2009年 11月 9日

鶴岡食堂

 夕べの深夜、おいらを含む総勢5名が、おいらの泊まるシングルの小さな部屋に押し寄せ、カップラーメンと酎ハイ、ビールを飲みながら過ごしたのだった。
 おいらがベッドの端にくの字になって眠りかけたタイミングで、みなさん容器を片付けつつ、明け方帰途につかれたようだ。

 無料だった8時30分までの朝食バイキングは断念。11時近くまで起きられず。
 
 シャワーを浴び、先ちゃんと近くの喫茶店でお茶。12時過ぎにはホテルまで秀ちゃんが迎えに来てくださった。
 秀ちゃんは3日続けておいらたちのサポートを買って出てくださり、とにかく感謝の極み。
 今日の昼には、『鶴岡食堂』のチャンポン。水俣入りした直後に食べることが決まっていた物件だ。

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 海っぺりに車を駐め、店構えを見ると、もうその時点でこの店が美味いのかそうでない店なのかの判断がついた。もはやこの勘にさして誤差はない。

 チャンポンを3つ注文したのだが、水は勿論、お茶も自らきゅうすにお茶の葉を入れ、お湯を入れて戴くシステム。

 一口二口。地元のみんなが口をそろえて「鶴岡食堂のチャンポンを食べた?」と聞いてこられた意味を重々理解。申し分のない美味物件との遭遇だった。
 
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 食後、直ぐ近くの秀ちゃん宅まで送っていただき、16時頃に戻ってくるという約束でユーノスコスモをお貸し戴いた。
 こんなスポーツカーに乗ったのは、博多時代の頃の117クーペ以来だったか。
 ちなみに秀ちゃんのガレージには、ユーノスコスモ、社用の車以外にも数台が保管されており、おいらは黄色いポルシェの影を見逃さなかった!
 いずれにせよ、オープンカー仕様の車種は初体験だ。しかも助手席には世界の江口寿史兄!
 すこぶる天候の良き水俣の町並から海沿いまでオープンカーで激走することとなった。

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 なんて有り難いナイスな旅なのだ。
 市役所で最後のサイン描き業務を経由し、「水俣市の本店のここまで来なければ買えない」という名和菓子店『美貴もなか』本社を訪問。

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 『美貴もなか』の商品は、デパートにも卸していないし、インターネットでも買えないそうだ。
 その姿勢こそ、有象無象の情報社会と化した現代における真摯な新ビジネスなのでは? と逆に感じた。
 1個1個手作り故、1日で生産する量も限られるそうで、毎日完売するそうだ。
 品質が落ちるといけないので、無理な大量生産は絶対にやらないのだそうだ。
 甘い物は苦手なおいらだったが、職人上がりの社長の深い言葉は印象深かった。

  オープンカーで秀ちゃん宅へ帰還し、またしても秀ちゃんには新水俣駅まで送って戴いた。なんと御礼を申し上げればよいのやら。
 秀ちゃん、何から何まで本当にありがとうございました!
 走り去る秀ちゃん号に会釈をし、我々は新幹線で八代駅駅へ。

 バスに乗り継ぎ、熊本空港着。
 夕食を戴き、先ちゃんと便の違うおいらは土産売り場へ。先ちゃんは「じゃあ東京で!」っと、一足先にフライトしていった。

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2009年 11月 7日

1日目

 早朝、起床をRちゃんに悟られないように部屋に閉じこもり、黙々とインタビュー原稿のリライト作業。
 午前9時、Rちゃん入室。気づかれた。
 ので、しばらく作業を中断し、新しいおもちゃでお遊び。ここのところ、何かの付録なのか毎度新しいおもちゃを手にしているRちゃん。
 どこかのタイミングでパソコン部屋に戻って作業を再開するが、ものの数分で「こっちきて!」とお呼びがかかり、まぁ集中出来るわきゃない。

 しかしながら、焦りに反して心はとても嬉しい。
 焦りのココロは、今夜18:20発の飛行機:SNA021便をおさえてしまっていたからだ。
 Rちゃんとお遊びしながらの合間をぬい、午後2時までに8割程度の原稿構築を終え、熊本へ飛ぶ算段がようやくついた。
 午後3時前には2本の原稿をなんとか脱稿させ、関係者各位へ送信。事故がなければこちらで納品は無事完了だ。
 年末年始のおふくろの航空券を確保した午後4時、羽田へ向かう。

 外出する際のRちゃんの「ばいばい」が淡泊で悲しい。外に出たとたんドアの鍵がガチャリとかけられた。
 もう鍵位置に手が届くんだね…。

 明日開催される、江口寿史兄の故郷、熊本は水俣でのトーク・イベントとサイン会を見届けるべく、思い切って初めて熊本へ飛んだのだった。
 
 空港からバスで新八代駅へ。

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 料金は1200円。新八代駅から新幹線で新水俣駅へ。新幹線代金は特急券と自由席で2500円。なかなかよい(高額な)値段だ。
 新水俣駅からタクシーで1000円少々の場所にあった「スーパーホテルCity水俣」へ到着。チェックイン後、先ちゃんへ連絡したらば「○○さん(某個人宅)と言う家まで来て」というのだ
 「タクシーにその方の名を言えば判る」のだと言う。そんな驚くべき情報を頼りにタクシーに乗った。乗ったタクシーは当たり前のようにその方の名を存じ上げていた。

 到着した場所は確かに民家。時間はすでに22時を回っていた。
 タクシーが止まった端から家屋の奥様がお出迎えしてくださり、促されるままおじゃまさせて戴いた。
 家の中に立派なカウンターをこしらえ、普通の居酒屋としても営業出来そうな雰囲気の空間がそこにはあった。

 カウンターには先ちゃんの同級生やら、知人の知人というメンツでにぎわっている。
 家の主は山中さんとおっしゃり、完全に飲食店のマスター風情。
 いきなり鯖の極上刺身を戴き、何のためらいもなく焼酎を戴いた。

 数分後、カウンターの彼は「私は秀ちゃんでいいので、よねちゃんと呼ばしてもらうね!」と言った。
 肩肘の張らない雰囲気と、温かい人々に、彼らのおおらかな言葉に包まれてしまったおいらは、あっと言う間に彼らの空気に馴染んでゆくのだった。まるで長年の仲間のごとく。
 その際、先ちゃんはというと、カウンター後ろの座敷部分で軽く仮眠中。
 先ちゃんはゆうべ5時まで飲んだ後、6時20分のバスに飛び乗って来たという豪快なコンディション故、無理もなかろう。
 
 壁にかかったアコースティック・ギターを弾かせて戴き、ロック談義に花が咲き、深夜3時を回るなかなか深い時間まで飲んでおひらきに。秀ちゃんご馳走様でした。
 ホテルへ戻り、タイマーを7時50分に合わせた。

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2009年 11月 3日

帰還

 10時30分起床後シャワーを浴び、11時40分頃ホテル玄関前に到着したbambi号に乗車。

 実時間にしてわずか1日も長野に滞在しなかった計算になるが、内容の濃きひとときであった。
 ナビに目的地を記し、道中、おいらがたどり着けなかった「ホテル椿野」の話やら、Hさん差し入れの激美味野沢菜の話などしているうちに、関越ではなく中央道に紛れ込んでしまった。
 「まぁそのままゆくべ」と、昼下がりの梓川インターチェンジで軽く買い物と昼食を済ませ、東京方面へ向けて爆走。
 美しい富士山も拝観出来た。

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 ドラムス:Mさん、結構ビンビン快調にかっ飛ばす。
 大変スムーズな時間繰りで帰宅。間もなくバンマス:大先生号も到着。ギターを引き取り解散。
 皆々さま、色々とありがとうございました&お疲れさまでした。

 部屋に入ればRちゃんお昼寝の最中。こっそり並んで添い寝してみた。

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2009年 11月 2日

入園願書〜面接〜bambi in 長野

 早朝起床。最寄りの幼稚園に必要書類を届け、正確な面接の時間をその時点で知り、一旦帰宅して備える。
 私立の仰々しい幼稚園ともなれば、整理券をもらうべく寝袋持参で徹夜で並ぶケースもあるのだと言う。まったく理解しがたいこの異常なシステムを当事者の世代を持つ親となって初めて知る。

 長野ライヴのリハ時間にはなんとしても間に合わねばならないので、午後「なる早」の新幹線に飛び乗った。ネットで調べた出発便のうち2本が残念ながら運行しておらず、東京駅で40分も待つ羽目に。
 14時4分発の長野新幹線「あさま」に人生初乗車。
 中から映る戸外の景色はあっという間に長閑なものとなり、熊谷を通過する時思わず界隈の輩につっこみメール。
 霧に包まれた軽井沢を通過した。

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 やがてJR長野駅着。外はあいにくの雨模様。風が強くて前情報通りメチャ寒。
 駅に隣接するホテル「メトロポリタン」へチェックインし、徒歩でライヴハウス「NDIA LIVE THE SKY」入り。
 サウンド・チェックの最中、長野朝日放送「ザ・駅前テレビ」の取材陣も到着した。このイベントは地元のメディアで紹介される模様。
 34年の時空を超えて復活を果たす伝説のバンド『俄』のリハに聴き入る。

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 オリジナル・メンバーの演奏ーーという真実が余計迫力を感じさせた。本番の熱が楽しみ。

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 最後のbambi逆リハを経て開場。
 どうも会場には入りきれないほどの客が押し寄せている模様。流石、地元『俄』再結成の底力を感じ受けた。
 そしてbambi本番。ステージは狭いが、いつものテンション良好。『俄』のオリジナル「人形館」は、勝手ながらもはやbambiオリジナルの感触。
 我々以外のゲスト:宮川真衣さん、俄組の演奏時間もそつなく流れた。

 そして真打ち『俄』登場。
 ここのところ、何度もLP音源を聴いたあの演奏が、よりパワフルなテンションで再現されてゆく。楽屋下にも聴き漏れる演奏を聴くに連れ、自分なりの感慨にふけいる。
 何故NSPは、オフコースは、時代の潮流に乗っかり成功したのだろうか。小学生の頃、同級生の女のコで生徒会長だったSの家でNSPのカセット・テープを貰ったなぁ。
 『俄』リードヴォーカリスト:宮川さんの声は天野滋の声よりも芯に響く印象だ。

 最後、『俄』に混じってのセッション。「鬼が走る」のいなたさをおいらはタッチワウでちゃんと再現出来たのだろうか。今宵ステージの最終最後を締めくくる「ハイウェイバス」でライヴは叙情的に幕を閉じる。

 こうしてbambi in 長野の初遠征が無事に終わった。

 小雨の中、一斉に撤収。
 一路打ち上げ会場へ。差し入れの野沢菜を肴に赤ワインで乾杯。
 演奏もさることながら、出演者及び関係者のみなさん、人柄も素敵な方ばかり。音楽が紡いだ心のつながりを感じ受ける。

 差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。
 差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。
 差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。

 この作業を繰り返すうちに軽く酔いがまわり始め、打ち上げ会場を後にbambiの面々で〆のラーメン。勿論この地の夜中に食した。

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2009年 10月 18日

寶龍(ほうりゅう)総本店

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 午前11時、ホテルを後にし、携帯で調べたラーメン屋へ徒歩で移動。
 ラーメンの寶龍(ほうりゅう)総本店着。
 ちなみに、某地元民に推薦されたらーめん「鴇の家」は電話に出なかったので休みだったのか。サイトを改めて確認すると営業しているハズなのだが。
 「寶龍」のスタンダードな味噌ラーメンが気負いのない好みの味。

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 しかしこの時期の札幌なのに東京程度の気候で助かった。早めに歩くとほんのり汗をかいたほどだ。
 空港まで地下鉄とJRで移動。2時間以上も時間があったので、買う予定でもなかったRちゃんへのぬいぐるみを含むお土産の菓子を大量購入。

 搭乗して新聞を読んで、アップルジュースを飲んだらあっいう間に羽田着。
 モノレールとJRを乗り継ぎ、宣言通り夕方6時前には自宅へ辿り着いた。
 「あれ!? パパ、帰ってきたよ!」玄関を開けた瞬間、Rちゃんの声がリビングの奥から聞こえてきた。嬉しい。

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2009年 10月 17日

札幌

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 午前中に稼働し、Rちゃんともろくに遊ぶこともなく昼過ぎの便で札幌へ。
 空港よりJRで札幌駅へ。

 こちらでも東京で使うスイカが使えた。ちなみに大阪では使えない。
 地下鉄ですすきの駅へ。東急インホテルへチェックイン。

 午後7時、作家:M氏、編集Tさんとロビーで合流し、予約してあったすぐ近くの寿司屋「たる善」へ。
 漫画、音楽、ドラマ、俳優、女優、映画、食…思いつくまま語りあう一時。M氏の中のブームをいくつかご教示戴く。
 それにしてもこちらの肴の美味いこと。銀座の高級店に匹敵する極上の食材が、話のテーマをそちらに導かせてくれる。山わさびだけでもつまみになる。
 話も盛り上がるが食も盛り上がり過ぎ、おいらの年代としては「そんなに食べてはイカンだろう」と言えるほど食い過ぎた。自分アホ。
 河岸を変え、赤ワインを注文したのだが、喉のギリギリまで先ほどの新鮮な諸々が遣えており、酔う前にして食も飲もギブアップ。自分アホ。

 Mさんをタクシーまで見送り、そのまま部屋に倒れ爆睡。やがて朝を迎えてしまった。

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2009年 05月 22日

札幌2

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 タイマーで目覚めたら外は雨模様。がっくし。
 正午過ぎに朝昼あわせた食事へ。

 場外市場で地元の特産品を眺めながら雨模様をほんのり呪う。
 飛行機までのわずかな時間を利用し、イサム・ノグチの設計したと言う『モエレ沼公園』へ。

http://www.sapporo-park.or.jp/moere/index.php

※関連サイトより──
「Isamu Noguchi (1904 ロサンゼルス-1988 ニューヨーク) とは…英文学者で詩人の野口米次郎を父に、アメリカ人の作家レオニー・ギルモアを母に持つイサム・ノグチは、少年期を日本で過ごし、その後渡米して彫刻家を志す。20代からアジア・ヨーロッパを旅し、文化遺産、絵画、彫刻、建築等を広く見聞し、パリでは彫刻家ブランクーシの助手も経験する。
ニューヨークに居を定めてからは、肖像彫刻、舞台美術、環境彫刻、商業デザインといった、幅広い活動を展開し、遊具、公園等の設計も開始する。戦後は日本でも活動が紹介され、日本の芸術家や文化と触れあい、陶芸彫刻や和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。日米両国で世界的な彫刻家として知られ、最晩年までモニュメントの制作、ランドスケープデザインを精力的に行い、1988年、モエレ沼公園のマスタープランを策定し、その年の12月、ニューヨークにて永眠する」

 天候がよければさぞ美しい眺めだったろう。
 展望台で周りを一望。
 階下に降りる。モエレ沼公園と公園全体の基本設計を策定したイサム・ノグチギャラリーへ。改めて、イサム・ノグチの表情と瞳が魅力的に感じられた。
 25年前、旧友:岩切天平の自宅にあった和紙の灯りがイサム・ノグチのデザインした品だったことに気づいたのは、それから数年経ってからのことだったか。そんなことを不意に思い出す。

 標高62mのモエレ山に登るだけで、とたんに息が上がる。
 この山はゴミの山(産廃?)を利用して作られたシェイプだと、タクシー運転手に伺った。
 天候上、外の探索はここだけで断念。
 天候の良き日であれば、間違いなく札幌市内全体を見渡せそうな展望台になりうる山だ。

 敷地全体はセントラルパークのおよそ半分。この話を依頼されたノグチはとても喜ばれたそうだ。彼の手がけた作品の中で最も規模の大きい物件だったから。

 JR札幌駅へ戻り、40分かけて新千歳空港へ。
 予定の飛行機は、到着の搭乗機が遅延したせいで結局30分の遅れ。
 空港内のベンチで弁当を戴き、搭乗。

 帰京し、直で編集部へ。

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2009年 05月 21日

札幌1

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 早朝8時起床。9時前にはシャワーを浴びて、お茶漬けをすする。
 午前10時15分発のリムジンバスで羽田へ。

 お茶漬けをすすった割には空港内でうどんと天むすを食す。
 ここ(ゲートを潜った後の小さな店舗)のうどんは腰があってかなり美味い。これマジ。かけうどん500円は高いけど。(天むすも200円以上の値段!)
 次回、覚えておかねば。

 昼下がり、新千歳空港到着。
 片道1040円。所要時間およそ40分。JRで札幌駅へ向かう。

 札幌、暑い。
 今日に限って言えば東京の気温となんら変わらない。湿気が感じられないぐらいで、Tシャツ1枚で充分な気候が意外だった。今日は特別暑い日だとはタクシー運転手さんの弁。
 時間のずれた昼食を済ませた後、ホテルへチェック・イン。

 部屋で打ち合わせの準備を施すうちに約束の時間は直ぐにやってきた。
 ロビーで漫画家:Mさんと合流。7か月ぶりの再会を果たす。ホテル1Fのカフェで先方の近況を伺った。

 Mさんは昨年末に(本人曰く、軽い)カテーテルで手術をされており、当初予定していた双方のビジョンから、仕事の時期がやや時期がずれ込んでしまったのだが、まずはMさんの体調が心配だった。
 ところがMさんはすこぶる体調良好のご様子で安堵の息をつく。
 ひとしきり話を終えた区切りで食事へ。
 
 行き当たりばったりの会話のはずなのに、Mさんのあらゆるカルチャーを睨んだ造詣深さには、正直おいら、ついていけてない。身に覚えのある一般的知識の乏しさをヒシヒシ感じつつ、流れに任せご教授いただく。

 和食は美味。
 今後の作品作りに繋がると信じるテーマをおいらなりに織り交ぜながら、河岸を変えたバーで、各々ターキー乾杯。

 〆には新(ARATA)の味噌ラーメン。ナイス物件。今夜はぐっすり眠れそう。

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2009年 04月 3日

11日ぶり

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 鉄人で飲みダチで大道塾師範代の飯村健一が、以前ムエタイの試合でタイに飛び、10日前後(だったか?)して帰国し、再会した時の3歳の娘が自分のことを忘れてしまっており、「ものすごく悲しい気持になりますよ…オチ込みますよ…」と語っていたことを思い出していた。
 知らないおじさんを見るような目線に晒され、ママの影に隠れてしまったそうだ。

 SFJ080便は14:25、羽田空港に到着。実に11日ぶりにRちゃんとの再会の日を迎えた。

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 出口の真ん前にたたずむおいら。
 到着便を確認し、ガラス越しに降り立った乗客の行き来を見つめる最中、機内の荷物が順次排出され、コンベアが回転し始めた。
 その時、Rちゃんとママを発見。
 荷物を引き上げるより先に、ママはおいらの存在をRちゃんに知らせた。
 やにわに、おったんを視界に捉えたRちゃん。
 地面に下ろされた瞬間、一人一目散に到着出口を目指して走ってきた。

 人生の中で、こんな嬉しい光景がかつてあったろうか。
 出口付近にいらした空港関係者の温かい視線を感じながら、体当たりしてくるRちゃんを受け止め、11日ぶりのハグハグ。生きててよかった。

 「飯村と同じ目にあわなくてヨカッタぜ…」と、内心ホッとしながら帰途に。

 都内で数本の打ち合わせを終え、W社洋楽トップ:Hちゃんと先日取材した案件の打ち合わせに数時間。
 「Hちゃん。おいらはあなたの、(シンガー)エイメリー初来日時の完璧なアテンドに感激したのだよ」という御礼の告白より、今宵親睦会の口火は切られた。
 業務及び家庭のあるお忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、かつとても真摯な空間を共有してくださったHちゃん、今日もありがとう!

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2009年 03月 24日

WBC決勝

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 花粉症の症状は、関西滞在の後半戦が特に最悪の状態で、早朝に何度か喉がカラカラで目覚めた。
 鼻で息が出来ないせいで喉のコンディション劣悪。
 
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 2度寝、3度寝を繰り返しながら、宿泊ホテルのチェックアウトを済ませ、新大阪駅よりのぞみで帰京。

 移動中もほとんど爆睡。車内が混み合わなくラッキーだった。
 東京駅より直接編集部へ。

 映りの安定しないワンセグで騙し騙しは観戦していたが、会社へ到着した瞬間、WBC決勝の日本×韓国戦は8回の攻防。
 デスク回りを整理する間、9回には延長戦へと持ち込まれ、しかし最終的には延長戦のイニングを抑えきったダルビッシュの投球を見届け、見事2連覇を達成した日本チームの勇姿を確認。

投稿者 yonezawa : 19:17 | トラックバック(0)

2009年 03月 23日

飛田

 ここ関西訪問中、それぞれ朝食の美味さと言ったら格別だった。
 N家では2食の朝食はお代わりしたぐらい。
 海陸宅での美味しい朝食を戴き、Rちゃん&ママを新大阪へ送迎。
 彼女らはそのまま北九州へ帰省。寂しい。
 「Rちゃんの写真は毎日送るように」と保護者へ伝言し、ホームで数枚の写メールを撮り、しばしのバイバイ。

 海陸先生と難波へ。
 ホテルへ荷物を預け、まずは難波中「かどや」の豚足で乾杯。とろとろ煮込まれた味わい深い物件は、博多のそれともまたひと味違った。

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 場所を動物園前へ移し、ホルモン屋を経由。おもむろに海陸先生は散髪へ。
 久々のスマートボールとパチンコに興じる。

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 次に飛び込んだ店の向かいの、とある店舗では地元出身の演歌歌手のようなおばさんが歌っていた。

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 道頓堀に出た後、昨年1月10日にも訪れた本日の最終地『菊池庵』へ到着。菊池ちゃん(店主)の店には大阪訪問の度、必ず訪れている。
 
http://gourmet.yahoo.co.jp/0007590161/

 旬の食材を豊富に使ったメニューが、そこそこ食べてきたハズのおいらたちのお腹具合をまだ刺激する。

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 ホクホクの竹の子にしろ超特大アスパラにしろ、実に充実した美味しい品々だったが、この店で欠かさず食べるメニューの一品、〆の天むすだけは今日も外せない。
 
 仕事の話、生き方の話、歓びの話、疎遠になったあいつの話、怒り散らした話、怒り散らし中の話…様々なエピソードを無規則に語り合う大事な時間。
 幾つかの決意を新たにさせられた、貴重で内容の濃き関西訪問の時間が終わろうとしていた。

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2009年 03月 22日

キッズプラザ大阪

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 午前中、従姉妹のSちゃん来宅。久々の再会を果たす。
 朝食後、最寄りの駅まで叔母さん&従姉妹のSちゃんに送迎していただき、近鉄奈良線快速急行で鶴橋駅まで行き、JR環状線に乗り継ぎ天満駅下車。

 徒歩1分。「日本で初めて誕生した本格的な子どものための博物館」と言うふれこみの「キッズプラザ大阪」へ到着。
 この建物の中に何時間いただろう。
 激しい花粉症の症状を引き摺り、モーローとしたコンディションの中、Rちゃんが元気にはしゃぐ姿を眺めていた。
 ほんの3年弱昔まで、何の興味も示さなかった幼児と言う存在が、我が子となれば大きく興味が湧くから不思議なものだ。
 
 気がついたら外は雨模様。全く知らなかった。
 翻訳家でライターで塾講師の海陸先生が、早めに仕事を切り上げられた連絡を受け、さらにはこちらまで車で迎えにきてくれるというラッキーな展開となり、天満駅ロッカーに預けていた荷物を雨模様の中、取りに向かう。

 先生到着。目指すは海陸先生宅の新築高級マンションへ。
 
 今回、旅の目的は親戚の諸氏との再会を果たすこととRちゃんとの初邂逅もあり、もう一つの最大の目的は海陸先生の愛娘:AちゃんとRちゃんの初邂逅にもあった。

 Aちゃん母:A’による、超高級激美味松坂牛をメインに焼き肉万歳。
 食べ物が美味いと、もの凄く食べ過ぎてしまう己の思考は昔から変わらない。A’の、配慮ある食事にもてなしに大きく感謝。

 まだまだ寝てしまいたくないRちゃん、そろそろ寝かしつけられる雰囲気を察知し、凄まじい声でガン泣き。ロバート・プラントも真っ青。
 我々は彼女と同じタイミングでの就寝を余儀なくされた。

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2009年 03月 21日

東大寺

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 午前中、朝食後、N家S叔父さんの墓参りへ。
 その足で奈良公園を目指す。天候抜群。

 奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院:東大寺を訪れたのは、記憶が全うなら高校時代以来かもしれない。
 これまでの人生において、動物に一切の物怖じをしないRちゃんは当然のように鹿の群れに突進を試みている。その姿の頼もしいこと。
 上手に鹿煎餅を食べさせられたRちゃん、立派。

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 従兄弟:太による現地の説明を受けながら、一観光客と化し敷地内を闊歩。

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 昼食には、たまたまだがひつまぶしの白焼きを戴き、それほど離れていない奈良市脇戸町にあるフォークシンガー:河島英五の喫茶店「TEN・TEN・CAFE」を訪問し、お茶。

 腹ごしらえを終え、一汗かこうかと生駒市内の温泉に向かう途中、Rちゃん爆睡の体制に。
 やむなく先発隊とおいらとに別れ、座敷にあった座布団を敷き詰め、バスタオルを敷いてかぶせてRちゃん爆睡の環境を快適に整える。

 先発隊が上がってきても、まだまだRちゃん目覚めず。
 後発で入浴したおいらが急いで上がってきた頃ようやく目覚めたRちゃん。かくしてRちゃんを引き連れ、2度の入浴にRちゃん母が向かう。

 近場のスーパーですき焼き用の高級肉他を買い出し、夕飯は賑やかな夕餉となった。
 旅の疲れもあったのか、日常よりも相当早い時間に就寝。

 太&S叔母さんに多大なる感謝。

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2009年 03月 20日

go to 奈良

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 ガッカリの雨模様の中、午前の新幹線のぞみで新大阪へ。
 GW前ならこの時期がベストだろうと関西訪問を決行した。
 新大阪より御堂筋線に乗り天王寺駅へ。改札を出て大阪阿部野橋駅から近鉄南大阪線準急・橿原神宮前行に乗り、磐城駅下車。
 そこからおよそ徒歩5分。
 大昔に一度だけ訪れた叔父さん宅だったが、地図を頼りに最短距離で到着。再会を果たす。

 もはや我が親父は存在しないが、それこそ親父の話なり、近況を語り合い、久方ぶりの貴重な時間を共有させて戴いた。

 2時間弱しておいとまし、磐城駅より近鉄南大阪線へ。橿原神宮前駅を経由し、近鉄橿原線急行・京都行で大和西大寺駅到着。
 こちらも徒歩10分程度で、従兄弟の太宅を目指す。

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 親戚の中で、最も頼もしい太による激美味たこ焼きをつまみにビールで乾杯。
 看板業と平行しながら、たこ焼きも食べられる居酒屋スペースに改築された店舗で、太とも久々の再会を果たした。
 
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 隣り合わせた地元のアットホームなお客さんとも自然と会話を交わす展開となり、温かい親睦会となったこの席が心地よい。
 太の人柄が偲ばれる一コマ。

 店を閉めた後、生駒市へ移動し、叔母さんと久々の再会。時間の許す限り、リビングで乾杯。

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2008年 11月 30日

太宰府天満宮

 Fさんと午前8時過ぎまで語り尽くし、話は終わらないまま彼は仮眠&仕事へと発った。
 9時30分にはチェック・アウトの準備。ほぼ貫徹状態の10時チェック・アウト。
 朦朧とし、激しい睡魔を抱えたまま精算を済ませ外へ。あまりに劣悪なコンディションだったので、資料確認も兼ね漫画喫茶で小一時間休息。
 噂に聞いていた天神『稚加榮』で初めて昼食をとり、その足で太宰府天満宮へ向かう。

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 太宰府駅から続く表参道をくぐり抜け、一部美しい紅葉に包まれた天満宮の敷地へ。
 この辺りに、福岡在住時代共に暮らした先輩ギタリスト氏の店があるはずなのだが、下調べもせずにやってきたせいで捜索は断念。
 学問の神様:菅原道真を御祭神として祀る、ここ天満宮を訪れたのは確か25年ぶりぐらいだと記憶する。
 敷地内には、さだまさしも歌っている「飛梅」が。

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 ものの20分程度の参拝だったが、結婚式の真っ直中の方々や、七五三の家族など、微笑ましい観光客で賑わっている光景が印象に残った。
 西鉄と地下鉄を乗り継ぎ、福岡空港へ。
 「もう喰えん」と思っていたが、最後にうどん喰っとくべと軽くすする。

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 滞空時間1時間30分。午後4時30分の便は、行きの時間よりも早く東京へ到着。明日から怒濤の取材&入稿攻勢が始まる。 

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2008年 11月 10日

帰省5/帰京

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 大量の段ボールに土産、頂き物の新米等を詰め込み、宅配便で7000円前後の出費。痛い。
 母親とM姉に送られ、高速で30分、鹿児島空港へ。
 空港内で今回の帰省最後の飯を摂る。

 母親とRちゃんとの過ごす時間が、このまま永遠であればいいのになぁ〜と心でつぶやき、同時にどうにもならない環境を心で呪いながらゲートをくぐった。

 母は偉大だ。彼女の見える配慮と見えない配慮に人生をかけた破格の感謝。

 空路はあっと言う間。
 着陸後、即編集部へ。山積み大量のメールと郵便物をさばき、今週の試練を再確認。 
 

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2008年 11月 9日

帰省4/法事/七回忌

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 午前11時に予想通り10分程度の遅刻をかまし、父親・七回忌の供養の寺へ。

 お経の始まる前、おいらと同じ名字の方の、ある葬儀のエピソードをインターネットで見かけたと、住職の方に窺った。
 「同じ名字は日本中、数あろうから、そんなサイトもあるんだなぁ」と思いきや、アドレスを窺えばズバリおいらのホームページであることを知り、驚かされた。
 流石インターネット。

 生前、親父と交流のあられたと窺った住職によるお経、そして説法に小一時間。

 珍しい面子が集ったこの光景を、あちらの世界から親父は瞳を細めて眺めていたのだろうか。
 あの哀しい日から、早くも丸6年が経過したのだなぁ。
 親父がRちゃんの誕生をどれほど喜んだのか、安易に想像出来る分、悔やまれる心情ながら、歴史とは至ってこうしたものなのだろうと考える。

 住職による一休さんのエピソードに頷きながら、寺を後に。温かい供養を戴き親族一同、感謝。
 
 夕食にはキムチ炒飯。ほんのわずかな時間は、想像通りあっという間に過ぎ去った。今回の目的を果たし終えた明日は、早くも帰京也。

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2008年 11月 8日

帰省3/小林市

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 午前7時45分、Rちゃんの目覚めによってベストの時間に起床。
 洗面所下の水漏れを発見し、ホテルの修繕スタッフが応急処置。
 午前8時過ぎにバイキングの朝食をいただく。
 大満腹。

 お土産屋を経由し、小林市側の山道を下り、デパートで無意味なウィンド・ショッピング。
 買う物、何も思い当たらず。

 小学生自分、一家揃って馴染みだった「来々軒」で久々のラーメン。
 大盛りちゃんぽんをRちゃんと分け合うため、注文したのだがその大量さ加減に驚いて、やや後悔。
 もう何十年も東京の濃い味のラーメンに慣れてしまっているため、好物だったここのスープも薄く感じてしまい、もはやパンチを感じない舌になってしまっている。

 食事を終え帰宅。今日一日中は満腹だ〜と思いきや、夕食の時間が近づけばまた悲しいかな人は腹が減ってくるのだった。
 
 夕方、スーパーまで母親らと買い物がてら散歩。天候は雨が降りそうなギリギリの案配。
 夕飯はM作成の美味しいおでん。ビールが美味い。

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2008年 11月 7日

帰省2/えびの高原温泉ホテル

 帰省しても尚、東京から引きずった眠気は変わらず。

 午前9時頃、一旦目覚めたものの正午まで2度寝。
 何故か異様に実家滞在中、眠いのは何故か? 夕べも朝まで飲んでいたから当たり前なのだった。
 劣悪なコンディションであろうとも、ペースと言うモノが決まっている東京での生活の方が体調的には良好なのか。

 午後3時頃から車でえびの高原温泉ホテルへ向かった。
 かつて子供の頃、親父、あるいは母親の運転する車でこの地を数え切れないほど訪れた。この地は想い出深き場所でもあり、親父が最期に食べた食事もこの地でのレストランだったそうだ。
 幼少の頃、沸き上がる硫黄の匂いで鼻をつまむ場合も多かった記憶があるが、今ではよほど限られた場所しか、そうした活力のある地獄温泉の蒸気は目にしない。
 綺麗に舗装された道沿いの頂上付近にある、昨年訪れた時から随分清潔に改築された土産屋の近くにホテルはあった。
 
 この機会に、東京への土産をどかっと購入。荷物を抱え、インターネットで予約した通り、ホテルへチェック・イン。そして早速温泉へ。

 隣の女湯でRちゃんの声が聞こえてきた。
 男湯がノーゲストになったタイミングを見計らい、何度かRちゃんに呼びかけるが声は届かず。そうした己のアホな行為に自分で笑いが出た。
 温泉の後、オプションで頼んでおいた酸素カプセルに初めて入ってみた。こちらにはおふくろも道連れ。
 初物好きで、いくつになっても好奇心旺盛な母親。彼女は大概物怖じせずに初チャレンジの物件に、おそるおそるであってもトライする。ワープロしかり、パソコンしかり。
 手前味噌ながら世界一の母親は今日も、そのマインドが実にチャーミングだ。

 酸素カプセル体験で、少し予約の時間を押した19時30分頃より晩飯。

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 こうした席に親父がいたらなぁ〜と考える思考はいつも同じだ。
 酒を飲まない面子故、23時には就寝となった。

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2008年 11月 6日

帰省1

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 午前10時過ぎ、飯を喰いそびれたまま川内駅へ。昨日焼酎を酌み交わしたK村、新品のビデオカメラを持参。その場で商品を受け取り、ギリギリのタイミングでシャトルバスへ。
 わずかの時間だったが、高校時代キーボードを担ってくれてたYちゃんとも瞬間的に再会出来てラッキー。
 シャトルバスは空港へ向かった。バス内では弁当。
 
 およそ1時間後、空港到着。
 現地まで迎えに来てくれた母&M姉らの車で1年ぶりの帰宅を果たす。

 人生における最も温かい癒しと、懐かしい笑いの空間を見いだせる最たる場所。父親の七回忌で親父以外の家族が全員集合した。

 夕食には唐揚げ&天ぷら等。これらのシンプルな飯が妙に美味いのも恒例だ。

 Rちゃんが深い夢の中となった頃、午前3時過ぎまで食卓を囲んでの親族飲み勃発。

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2008年 11月 5日

HDR-SR12 Handycam

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 ソニー:HDR-SR12 Handycam(ハンディカム) [デジタルHDビデオカメラレコーダー]欲しい。

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 13時40分羽田発〜鹿児島空港へ。
 14時35分発のシャトルバスで川内へ。
 川内ホテル着後、未だにそのタレの美味さは絶品と認識する焼き肉「昌苑」で飯。

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 飲まない分、白飯2膳も喰ってしまうおいら。
 ホテルへ帰還後、蓮ちゃんを連れ立ち初めて温泉へ。広い浴槽を怖々しいくも好奇心の眼差し。おったんに抱えられ、スイスイ泳いでいるつもりのRちゃん。キュート。
 
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 20時30分過ぎ、K、S、Mと1年ぶりの再会合流。ここのところ懐かしい面子も固定的。
 Rの店「暫」でいっぱいやろうと暖簾をくぐるが、店主の提案で今暫く開店時間を延期させ、ライヴ・バー:ボーダーへ。
 乾杯後、いきなりのセッション・タイム。
 何の決めごとのないラフなインプロで、全員大汗をかいてしまう。

 再びRの店「暫」へ場を移し、午前5時過ぎまで痛飲。Rの作る炒飯、激美味。マジで。
 徒歩でホテル帰還。

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2008年 10月 30日

札幌2

 チェックアウト1時間前に起床。
 午前11時ホテルを出た。
 「二条市場」の、やんごとなき噂を聞き、不正のあった販売の実態を嘆き、今回目指したのは「札幌市中央卸売/札幌場外市場」

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 昔、札幌を訪れた時「二条市場」から両親宛に送った蟹が、果たして高額な金を支払った注文の品だったのか、もはや真相を調べる術もなし。
 過去、「二条市場」は、タラバガニに比べて仕入れ価格の安いアブラガニを「本タラバ」として高く売る場合があったそうで、タクシー運転手が観光客をリベートがもらえる土産物店に無理やり案内していたそうだ。
 仕入れ値の倍ほどの価格をつけて売りつける「折り返し」をやられても、こちら素人は判る術もない。しかも大概が贈答品なので、中身を確認することは基本的に無理だ。
 タクシー運転手も、この不正行為をいたく嘆いており、観光客もめっきり減少したそうだ。観光バスはコースを外してしまったそうだ。当たり前だ。

 「札幌市中央卸売/札幌場外市場」を信用し、散々悩みあげいた末に購入する品を見極め、クール宅配便で送ったのは「しまほっけ」「鰹漬けいくら」「毛蟹」等。
 しかし、踏ん切りのいる価格ではある。

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 昼食には「鮨一」でランチ。
 東京からの客も大層多いと窺う。飛行機を使ってゴルフをやってホテルに泊まって鮨を食べても、銀座の鮨屋から数軒の梯子酒をやった場合なら、前者の方が安上がりだという理由で、ここまで食べに来る人もおられるとか。

 札幌駅では展望台に登った。今回、唯一観光らしいシーンはここだけ。
 市内が広く展望できるこの景観は圧巻だった。「景気が悪い」と語ったタクシー運転手の言葉とは裏腹に、札幌の景気の風は賑やかに感じさせる。 

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 JRで千歳空港へ。
 港内の「白樺山荘」で今回札幌滞在の最後のラーメン。原五分目の状態でまた喰う。大満腹。花畑牧場の「生キャラメル」、そして先ちゃんブログによって知った、あの「じゃがポックル」初ゲット。
 「生キャラメル」は空港内でも本気で購入困難な物件。“キャラメル”なんて、みんなそれまでそんなに喰ってたか?

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2008年 09月 13日

帰国

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 成田には午後5時到着。
 換金を終え、高速バスを待ち、最寄りの駅に到着し、自宅に着いたのは午後8時を回った頃。

 NYのホテルを出てから、正味通算22時間(行き20時間)を経てようやく我が家へ到着…の計算となる。
 現地での取材時間はきっかり30分。
 かけがえのない歓びを得る代償として、アメリカ及びヨーロッパへ赴き、取材を敢行するという行動は、2日弱の時間をつぶすことに果てしなく近い。
 

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2008年 09月 12日

22時間

 午前6時と8時に起床。2度寝。
 寝過ごしがちなおいらを見越した、MとTさんより交互にモーニング・コール拝受。感謝!
 午前9時過ぎチェックアウト。タクシーでJFKへ。

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 道中は都心を離れれば空いており、移動はすこぶるスムーズ。
 運転手は耳に小型のクリップ状の機器を搭載しており、まるでSF映画の小道具のような出で立ちで会話をしている。
 その様が、まるで独り言を言っているようで、事情が判らないと恐い。
 NYのドライバー限定なのか、携帯電話のひとつがアレなのを知る。

 また、後部座席センター正面にはモニターが搭載され、自分の行きたい場所を表す地図も表示出来る。
 さらに、支払いの際、カードを横にスライドさせ、あらかじめ決められた3種類のチップの中から選択出来ることになっており、合計額をカードで支払えるシステムにもなっていた。
 レシートは運転手より拝受する。
 東京でも見たことがないな、これと寸分同じ環境は。

 空港でもスムーズなチェック・インを終え、東京では滅多に喰わないマックのハンバーガー&コークで腹を満たし、免税店で最後の買い物。

 免税店で購入した品は、搭乗する直前の通路で受け取るシステムとなっている。
 さて、ここから行きよりも2時間追加の、14時間2分(予定)のフライトが始まった。

 帰途の機内で見た映画は『歩いても 歩いても』の、行きで見られなかったエンディングまでの20分、『近距離恋愛』、女性に超話題の『SEX AND THE CITY』、『ウォルター少年と、夏の休日』、『ブレード・ランナー』、それにショート・フィルム『Hajime』、『80°aist for birdland』、『The Heisenberg Principle』、さらに『アフター・スクール』の半分だけ観戦で着陸態勢に。

投稿者 yonezawa : 02:39 | トラックバック(0)

2008年 09月 9日

go to 成田〜ニューヨーク

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 ▲写真は、昨日宮本笑里ちゃんが持参した
  極上バイオリン。
  価格は恐ろしくて伺えなかった。
 
 タイマー音より1時間早めに目覚め、外の晴れぶりを確認しながら起床。
 午前7時30分発の高速バスで成田国際空港へ。
 成田手前のインターで、乗客全員のパスポートを税関員が事前検査するのだが、パスポートを、1人の客が預けた荷物に入れてしまっていたせいでしばしの足止めをくらう。
 バスの乗客は満席。運転手曰く「マジかよぉ〜まったくぅ〜」荷物置き場の奧の奧から搭載した荷物をエンヤコラと引きずり出し、所持確認。後、ようやく空港到着。

 ANAカウンターでS社:Mと合流。
 チェックインと保険加入を終え、出国審査を終え、サンドウィッチとマンゴージュースを飲んで11時発NH0010便へ搭乗。

 フライト予定時間は12時間45分。

 近年、エコノミーでも機内での映画鑑賞はすべての席がセパレートで鑑賞出来るシステムになっており、その辺りは便利。
 定時に一斉放映の時代のように、途中から映画を観ることがなくなった。

 『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』『スピード・レーサー』『半落ち』『ベガスの恋に勝つルール』『歩いても 歩いても』を矢継ぎ早に鑑賞。状況故、居眠りを挟みつつ。

 苦痛以外のナニモノでもない半日以上もの時間をかけ、ようやくJFKに到着。
 外は雨模様。
 
 飲料水を、同行者の分も含む$16ちょい分購入(2本×3名=6本)し、タクシーで宿泊ホテル『The Roosevelt Hotel』へ向かった。13時15分到着。
http://www.theroosevelthotel.com/

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 荷ほどき後、1時間の仮眠を経た16時過ぎにロビーへ集合し、ホテルより10ブロック程度の距離にあるソニー・オフィスへ徒歩移動。

 NYへは5年ぶりぐらいだろうか。
 泊まるホテルもストリートもまちまちだし、終われば何も記憶しちゃいないので、通算3〜4回訪れているものの何の土地勘すりゃありゃしない。

 ソニービルには身分証明書(パスポート)を持参。オフィスの19Fに上がり、SKと2月以来の再会を果たす。
 丁度1年程度のNY勤務を経た彼女だが、もう完全にアメリカで働く女性の赴きを感じさせた。

 AC/DCの新作『BLACK ICE』全曲をこのタイミングで初めて拝聴。
 一足先に聴く機会を得たおいらが自信を持って書き記すが、新作の音はとてつもなくよい出来だ。
 AC/DCの歴史の中でもベストの仕上がりだと言っていい、本気の内容を確信した。自信を持ってプレゼンしてきたソニー・ミュージックの意図も重々理解。
 この世に現存するファズ・ギターの音色で、この音色を超えうる音はなかろう。
 きっとSGとマーシャルの単純な組み合わせなのだろうが。ここら辺も明日、掘り下げて伺う予定だ。
 
 ライター:Tさん、ソニー:M、Rちゃん、CC誌のKくんらと明日の打ち合わを兼ねた食事会へ。
 各々それぞれの時差を抱えつつも楽しき夕食を終える。
 赤ワインで、ほどよく気持ちよくなったおいらも、梯子酒することもなく大人しく部屋へ。

 明日のことを考えれば賢明ではあった。

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2008年 06月 9日

鳥取取材4〜帰京

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 飲み過ぎであることは昨夜中からの記憶がすべて飛んでいるせいで理解していた。
 午前10時20分にシャワーを浴び、必死でロビー待ち合わせの11時に間に合わせ、昨日まで散々言ってた鳥取カレーを昼食に。
 鳥取駅発のバスに乗車し、空港へ。福岡空港も市内から激近だが、鳥取のアクセスも近くてとても便利。
 フライト時間まで最後の土産等を購入しつつ一路東京へ。Nさん、大変お世話になりました。
 
 羽田着。即刻編集部へ帰還。
 デスクの中に届けられた原稿に写植を貼り込み入稿作業で頭グルグル。
 デスク周りの雑務整理、メールの整理、精算、コミックス原稿の入稿段取りとやること山積み。帰宅は深夜。激疲労困憊。

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2008年 06月 8日

鳥取取材3

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 各々午前中を自由行動とし、おいらは駅構内のうどん屋で昼食を。

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 13時ロビー集合。
 昭和の面影残る集落の地を訪問。
 いくつかの家屋が隣接してあるが、まるでおいらの祖父が健在だった頃の住まいを彷彿とさせる場所だった。
 薪をくべてお風呂を沸かした最後の世代がおいらたちなのかも。
 沢山の写真を撮る最中、昔の黒電話の事、農村集団電話(略称:農集電話)の事が脳裏をよぎる。
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 鳥取市歴史博物館の隣にある「樗谿公園(おうちだにこうえん)」の広大な森林敷地が、とても市街地そばの環境とは思えないほど立派。

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 もう少し日が暮れなければホタルの飛来する時間にはならないようだったが、資料写真をたんまり撮影。

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 鳥取市歴史博物館の壁の黄色はこの景色にミスマッチ。

 昨日見た、明治40年に、旧藩主池田家の別邸として建てられたというフレンチルネサンス様式の白亜の洋館『仁風閣(じんぷうかく)』がクールだった。
 大正天皇の宿舎として建てられたとも聞いた。島根県松江市訪問の時にも感じたが、無軌道に市街地探索するのに優れた街なんだと思う。
 山陰の印象は良好だ。 

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 夕食にはイタリアン。地元北条砂丘で栽培した葡萄を使った『北条ワイン』が美味しい。
 
 食後、ホテル帰還組を見送り解散。たった一人で地元のバーでも探検しようと繁華街徘徊中、偶然コーディネートしてくださったNさんと遭遇。
 良質のバーを紹介いただき、2件の梯子酒。1件目の若きマスターが2件目に駆けつけ、おいらの相手をしてくれた。記憶はすでに無し。鳥取市民が温かい。
 

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2008年 06月 7日

鳥取取材2

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 3人部屋に聴こえてきた河のせせらぎ。
 いつも一人で寝る習慣があるせいからか、ほとんど一睡も出来ずに朝を迎えた。こんな時、神経質な己の性質が鬱陶しい。

 起きがけの午前8時、温泉で寝たままの頭をサッパリと喝。
 8時30分朝食。おかずの量が多い。ご飯軽く三善。
 10時出発。今回、Nさんが我々を完全サポートしてくださり、車でドア・トゥ・ドアのスケジューリング。感謝。

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 三徳山・投入堂には登らず経由だけし、目指すは鳥取砂丘。こんな自然がこの日本の山陰にあるという現象自体が不思議だ。
 砂丘の最も高いポイントまで上り、海岸の景色とその反対側の景色を見つめながら、めい一杯写真に収める。
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 昼食。他のスタッフは全員蕎麦を食し、蕎麦アレルギーのおいらだけうどん。
 地元の書店等を経由しながら、谷口さん生家跡地も通過。ホテルへ。

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 17時45分ロビー集合。夕食会の席へ向かう前、谷口さんご両親へご挨拶する機会を得、待ち合わせの居酒屋へ。
 地元の市長を初めとする蒼々たる方々が集結。このセッティングには少し驚いた。様々な方々との名刺交換を経て2件目へ。
 ここ鳥取の食べ物もとても美味い。醤油は南九州地方のたまり醤油のような濃厚さで、鹿児島、宮崎の味付けに共通するこの地の食文化を知る。

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 ホテル近くの「チョコレート」というパブで軽く一杯ひっかけホテルへ。間髪入れずに爆睡。

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2008年 06月 6日

鳥取取材1

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 10時30分起床。JR神田〜浜松町を経由し、羽田空港へ。
 待ち合わせの1時間も前に到着してしまった。
 チェックインしゲート・イン。鳥取行きの搭乗ゲートは入口より一番遠くの70番。滞空時間およそ1時30分前後で鳥取空港到着。早い早い。

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 漫画家:谷口ジローさんの故郷であるここ鳥取には初めてやってきた。
 編集2名にキュレーター:Kさんの計4人。明日遅れて編集:Yが合流の予定だ。
 空港には、谷口さんの古くからの友人:Nさんが迎えにきてくださった。
 温泉宿に向かう途中、現在、フランスで映画化のプロジェクトが進行しつつある漫画『遙かな町』の舞台になった町を探索。
 むげん堂チックなカフェでお茶して、山陰・三朝温泉の旅館『大橋』へ。

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 昭和七年創業の名の通り、風情のある趣の温泉宿。食事の前に即刻温泉に浸かり、こうした旅館にすれば遅めの20時30分より夕食。
 山陰地方の食材もとても口に合うし美味しい。
 食後、谷口作品『父の暦』でもいくつかのシーンとして記憶する、えらくマニアックな床屋及び温泉商店街を闊歩。
 まさに谷口作品の漫画の中を散歩しているような錯覚に陥る。

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2008年 04月 6日

ほっぺたリンゴ

 休日にしては寝不足な1日の始まり。午前8時30分には起床してしまった。
 シャワーの後に風呂掃除。まとめたゴミを破棄し、ご飯を2合炊いたと同時に外出。

 ジョン・バトラー・トリオ、レニー・クラヴィッツ等の最新オリジナルCDを車に投げ込む。コンビニで水と週刊誌を購入し、1万円札をくずして高速道路用の小銭を確保。
 首都高:高井戸から羽田空港へ。
 700円の交通料金に対して支払った1000円札のおつりを、流れ作業で200円しか渡さなかった高井戸インターのオヤジの不手際に気づいた時には遅かった。
 特にこの時期、国土交通省には1円たりとも支払いたくない心境なのに大変悔しい。

 遅刻は厳禁と起床から気合いが入りすぎたか。
 まったく混んでいなかった道中のおかげで、予定の時刻よりも2時間30分も余裕を持つこととなった。しかし全然構わん。何もしないでよい2時間30分は贅沢だ。
 朝食と昼食を兼ね、タレントのサイン入り色紙の飾られた『羽田ラーメン』で塩ラーメン+半炒飯。けっこう満腹。

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 出発ロビーのさらに1F上のベンチ数席にはほとんど人が座らない事を見越し、軽く仮眠を取ることに成功。日常の編集生活のスキルがここで活きる。
 午後1時過ぎ、長き7日の間、待ちわびたRちゃんも無事ゲートをくぐって帰京。
 彼女はスヤスヤと夢の中。
 どこか穴の空いたような1週間だったことは感覚として間違いがなかった。
 たった一人の存在が、ここまで気持ちに影響を与えるものだと、06年の暮れに初めて覚えた感覚を、今また新たに噛みしめる空港での一幕。

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 駐車場:P1へ駐車した車に戻り速攻帰宅。帰宅に要する時間もかなり短い。
 都心は空いてりゃこんなに近い。

 久々に帰宅したRちゃんは、慣れ親しんだ我が家に帰ってきた安堵感からか、トコトコと室内を歩き回り、我がテリトリーを確認しているのか。
 赤らんだほっぺが1週間前より、思いの外少しぷっくらしているよう。
 

 ここのところ、テレビで放映されてるある番組のドキュメント・シーンに釘付け。
 
 難病に冒された九州の女性:テレニン晃子さんが、まだ幼い娘に残した数多くの優しく温かいメッセージが胸を打つ。
 赤ん坊を抱き、お乳を飲ませること、一緒に遊んでやること。そのどれもがままならない。普通のことができない。彼女が妊娠中の05年秋に脊髄悪性腫瘍が発覚したからだ。
 娘の将来を見てやれないかも知れない。そんな切なく、いとしい娘への想いがいっぱいいっぱい詰まった彼女のメッセージには、教えられることが多すぎた。

 千葉県在住の少年(当時6歳)は、心臓が拡張し、 機能が低下して心不全となり死に至る「拡張型心筋症」という 原因不明の難病を患い、入院しながら心臓移植準備中だった。
 当時、生命に関わるため、早急な移植を必要とする状態が続いていた。
 しかしながら6歳という年齢もあり、国内での移植の可能性は法律的に望めないため、海外での移植を選ばざるを得なかった。
 受け入れ先はアメリカの病院で決定したが、 海外での心臓移植には日本の保険が適用されないため膨大な費用(6000万円)が掛かるとのこと。
 ご両親は、一心不乱に街頭等で一般の方々に協力を訴えかける。
 その訴えを知った、少年の地元球団である千葉ロッテマリーンズがなんと全面協力する運びとなり、時に試合前後にこの情報を訴えた。
 ある番組ではこの事実・現状を紹介し募金を呼びかけた。
 複数の新聞社が、募金の記事を日付を変えて掲載した。
 
 結果、多くの人々が、いち野球・サッカー好きな少年の力になるために協力し合い、膨大なる募金額を達成。
 やがて、無事手術が成功し、元気を取り戻した旨を放映していた。
 
 激動の渦に巻き込まれる運命は、誰であろうと降りかかる可能性はある。

 1日寝かしたカレーと新鮮野菜のサラダが激美味。リセットされた日々がまた明日から始まる。

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2008年 02月 22日

チュキチュキ

 昨日深夜、編集スタッフ:Aが紙袋内に入れた商品の処理に困っている様子。
 覗いてみれば、「おしりかじり虫」他、TV番組・ゲーム関連キャラ(?)のぬいぐるみらの処分を考えてる模様。
 捨てるのも気が引ける新品の品々だ。
 「それ、くれぃ」「そうだ!(もらってくれる人)米澤さんがいるじゃん!」と落着。
 即座に叫んだおいらの一言で、即時キャラ・グッズ引き取り成立。
 
 今朝起きがけに、やにわにRちゃんへ“お土産”贈呈。
 「お! お! お!」っと目を丸くしながらぬいぐるみ1個ずつにチュキチュキ(チューの意)攻撃のRちゃん。
 初めて出会った真新しい品には好きなら好きなり、恐いなら恐いなりに大概興味を示すのが彼女。
 その上、あらゆる品々の動向をしっかり瞳で追いかけ、逐一記憶しているので侮れない。
 例えば玩具以外の、遊び道具じゃない凶器にもなりかねない日用品・台所用品などもふいに持ち出すものだから、即刻見えない場所に保管。
 ところが彼女は、移動させたその位置をちゃんと記憶しており、こちらが忘れた頃に再びその場へ歩み寄り、奪還を試みたりするのだ。
 真面目に侮れない。しかしその行動がたまらない。
 
 夕方より、基本YJ&BJ編集部総出で山梨の温泉地まで社員旅行。
 編集部近くに停車した大型バスに乗り込み2時間強、目的の地:山梨県・春日居温泉『大棟苑』へ到着。
 到着後、4合分『竹酒』を用意してもらい速攻露天風呂。
 (香りだけ?)ワイン風呂だという温泉、すこしぬるい。
 宴会では囲炉裏焼で郷土料理と、甲州ビーフや岩魚、野菜等の串炭火焼を喰いながら談笑。
 やや食い過ぎる。
 二次会場で怒濤のカラオケ大会後、部屋飲みが続き、午前5時30分頃お開き。白熱する議論を子守歌代わりに聴きながら床につくものの一睡も出来ず。
 午前6時30分頃、編集:Oが1人枕元でごそごそと着替え、帰宅の用意をしていた。

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投稿者 yonezawa : 03:23 | トラックバック(0)

2007年 12月 12日

LED ZEPPELIN3

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 正午成田着。
 高速バスの待ち時間までカツカレーで時間調整。

 午後、出社後、デスクの原稿・郵便物山積み具合にやや萎えつつも、怒濤の原稿書きに入稿再開。
 容赦なしの待ったなし。
 
 江口兄、S社:F氏とのミーティングを兼ねた夕食へ同席し、軽く一杯いただくものの、時差ぼけも甚だしく2件目に河岸を変えた瞬間から怒濤の睡魔に包まれ、非常に名残惜しい気持ちとは裏腹に、勝てない眠気を優先し帰途へ。

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2007年 12月 11日

LED ZEPPELIN2

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 午前7時起床。
 8時に朝食をいただき、9時にヒースローへ。
 チェック・インは自動券売機にて。
 パスポートの顔写真のページを機械へ通しボーディング・チケットを出力。
 このチェック・インの仕方は初めて。
 免税店のフロアで食べたパスタが激不味。
 ヴァージンは行きも帰りも空いてて、ついてた。

 映画『オーシャンズ13』『トランスフォーマー』鑑賞。
 およそ12時間の飛行に耐え難きを耐え…

投稿者 yonezawa : 05:07 | トラックバック(0)

2007年 12月 10日

LED ZEPPELIN

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 正午まで部屋で読書、そしてシャワー。
 外は曇天。
 日本では絶対に見ることのない、独特の不気味な色の空だ。
 Hightstreet Kensington駅構内モールでサンドウィッチ、コーラをテイク・アウト。
 再び部屋で続きの読書をしつつ午後2時50分、待ち合わせのロビーへ。

 中学時代、それこそLED ZEPPELINを初めとする洋楽ロックをNHKのラジオで“教育”してくれた、音楽評論家:渋谷陽一氏との遭遇がとてもラッキーだった。

 午後3時、O2アリーナへ向かう。
 到着後、午後5時、スタバでカプチーノ待機。
 あの渋谷氏と、いみじくもツェッペリンのコンサート前に、しかもこのロンドンの現地で音楽話をする機会に恵まれた時間は貴重だった。
 中学時代に聴きまくったサウンド・ストリート等の思い出話を、この機会に彼に伝えることが叶った。
 渋谷氏DJのラジオがなかったら今のオイラは無かった。あの体験がなければロック・ミュージックに目覚める時期が、もっと遅れていたかもしれない。
 プレイヤー以外で、おいらの音楽見識に関し、多大なる影響を与えてくれたのが渋谷氏のラジオ番組であったことは揺るぎようのない事実だ。

 午後6時30分、Hゲートより入場。
 話題の沢尻エリカ嬢も並びの席で観覧スタンバイ。
 
 19時過ぎに始まったコンサートには、フォリナー、ポール・ロジャース、ビル・ワイマン、パオロ・ヌティーニ等が参加。
 セットチェンジの後、21時、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムの4人がステージへ現れる。

 このコンサート詳細は、来年1月17日発売「週刊ヤングジャンプ7号」誌上に4C2Pのリポートにて掲載予定。

 「そのキーに、そのリズムだったらそれしかナイ!」というリフレインを最もたくさん創造・生産したギタリストがジミー・ペイジだ。
 おいらのツェッぺリンの認識はまずそこにある。

 彼の創作したリフの構造は、近年に至るまで進化という進化は何もなく、ツェッペリンの楽曲の構造・アレンジが、後の多くのロック・バンドの創作する楽曲の原型として確立され現在に至っている。
 これまでどれほど多くの男(とあえて限定)たちが、ジミー・ペイジのリフについて議論してきたことだろう。
 E Keyに対して「これしかない!」という出来映えのリフの、琴線の触れさせ方は、もう魔法としか言いようがないほどだ。
 そのリフには必ず“歌っている”リズムが感じられ、オリジナルのリフを創作する場合、多くのバンドがツェッペリンのリフの呪縛から脱却することが至難の業となるのだ。
 
 かねてからそのスキルは実証済みだったジェイソン・ボーナムのドラミングも素晴らしいの一言で、ともかくLED ZEPPELINにハマり過ぎなほど。
 彼は父親のスキルをすべて受け継いでいた。
 「よくぞボンゾは彼を遺してくれたものだ」と心で感謝した。

 まさに至上最高のダイナミックなイブニングが過ぎていったのだった…
 あのレッド・ツェッペリンが21世紀に完全復活を果たした、文句なしの125分-全16曲。感無量──

投稿者 yonezawa : 05:07 | トラックバック(0)

2007年 12月 9日

LED ZEPPELIN リハーサル観戦

 午前8時起床。部屋のカード・キーは磁気の部分をスライドさせるタイプのもの。
 1Fで朝食。〜午前9時。
 部屋に持ち帰ったリンゴを囓りながら、再び10時30分頃まで仮眠。
 昼前起床。時差ぼけの頭をシャワーで起こす。

 正午チェック・アウト。
 気分転換に徒歩で30分ほどかけて、本日より2泊のROYAL GARDEN HOTELへ移動。
 621号室へチェックイン。近くのマクドナルドで昼食をとり、午後1時、ロビーでW社:F氏と合流。

 約束の午後3時55分、フロントで伊藤政則氏、W社の方々と合流。
 雨模様の中タクシー搭乗。
 明日コンサートの行われるツェッペリン・ライヴの、なんとリハーサルを観戦するべく02アリーナへ向かったのだった。

 ここからが大変だった。
 市街地は超激混み。「午後4時までに到着しなければゲートを閉める」と先方関係者に散々お達しを受けていたのがW社担当者:F氏だった。
 異様な混み具合の道中、車中から携帯で確認を仰ぐF氏。結局、到着は午後4時30分。心が焦る。
 ゲートHまで激走。ところが辿り着いたならば、まだまったく開場すらしておらず、リハ観戦のチケットを入手した者たちが長蛇の列を成している。
 結局、時間のアバウトさには救われたのだが、後に気づくIDチェックの酷さ(再三に渡る告知だけで何もチェックはなし)には恐れ入った。
 カメラ、録音機材等の持ち込みは禁止と強いお達しがあるのは判るが、携帯電話もきつくNGとされれていた。
 今日日携帯では、カメラ機能はおろか録音まで出来てしまうので、この規則も致し方なかろうと思うのだが、明日、一般客20000人分の携帯を一時預かり入場となった日にゃ、一体、スタートは何時になるのか! と危惧された。
 リハのIDに関しては結局意味不明のままノーチェック状態で、しかも蓋を明ければ「誰でも入れるじゃん!」的ゆるさで入場したのだった。
 まぁ見れりゃ問題はない。
 
 ステージには、本当に普通ーにサウンド・チェック中の4人がたたずんでいる。あまりにも唐突に。
 写真で見たまま、ジミー・ペイジは白髪だ。
 得体の知れぬ緊張感を背中に感じながら、ひな壇のスタンド席で100名以上の観覧者と共に2曲鑑賞。
 ギター、ベース、(ジョン・ポール・ジョーンズの)鍵盤もよいバランスの音色ながら、ジェイソンのドラムスも実に心地の良いスネアの音を聴かせる。
 明日のライヴの仕上がり具合を感じさせてくれた。
 ジミー・ペイジが引き上げたのを見届け、我々も開場を後に。

 マーチャンダイズ売り場で、すでに販売を始めていたイベントのLED ZEPPELIN-Tシャツ£20、コンサート・プログラム£20を購入。それにしても高い〜。
 それほどの人数がいたわけではないが、この購入だけで1時間以上待たされた。
 恐ろしく非合理的な販売システムに驚愕の思いだ。イギリス人の極端な“欠け方”はまったく不思議。

 O2アリーナ最寄りのGreenwich駅よりジュビリー・ラインで地下鉄移動。
 日本料理屋『菊』で夕食。門構えに反比例し、内容は期待はずれ。
 タクシーに相乗りし、ホテルへ帰還。

投稿者 yonezawa : 04:44 | トラックバック(0)

2007年 12月 8日

アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート

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 本日、正午より東京不在につき。
 現地にパソコンは持参しない上に、工夫もしないのでPC宛のメールは12日夕方まで確認出来ません。
 更新は13日以降になります。
 案件は、『アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート』
 つまり、レッド・ツェッペリン再結成ライブ@ロンドン、見てきます。

 取り急ぎ!
*****************************************
 午前6時50分、出発。高速バスで成田へ。
 空港内で不味いカレー喰って風邪薬を購入。昨日から喉の痛みが気がかり。
 保証金1億円の保険に加入。追加料金15000円でexit シートを確保。これで12時間、前方の席に人のいない環境は得られた。
 正午発のヴァージンに搭乗し、定刻離陸。

 機内では、映画『バブルへGO』『ゴーストライダー』『ダイハード4』等を鑑賞。
 半日、この生きにくいスペースで過ごす覚悟を伴った気合いを入れながら、正味12時間を経てヒースローへ到着。
 生きている内に、この渡航時間が半分ぐらいになる日が来ないモノか。
 税関で音楽ライターの保科さんと偶然遭遇。信じられないことに、彼はマジでこのチケット『アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート』が当選したのだそうだ。彼も同じ便だったのか。
 ペットボトルの水を2本購入し、雨模様だったのでタクシーに相乗り。双方のホテルを経由してチェック・イン。
 今回は、初日宿泊のホテルと、2日目以降宿泊のホテル:ROYAL GARDEN HOTELが違った。
 シャワーを浴びて午後7時、ROYAL GARDEN HOTELへ。W社:F氏と打ち合わせのため、待ち合わせた。
 合流後、タクシーでF社:M氏、F氏らと夕食の店へ移動。
 席には、株式会社ニッポン放送相談役の亀淵昭信氏、主にヘヴィメタル・ハードロック(HM/HR)を専門とする日本におけるこのジャンルのパイオニア的存在の音楽評論家:伊藤政則氏らも。
 1966年頃、留学先のサンフランシスコでジミ・ヘンドリックス、クリーム等のライヴを実際に観たという亀淵氏のエピソードにはぶっ飛んだ。「ジミ・ヘンドリックスも2,3度見てるかなぁ」なんて、一体どんな環境なんだと驚かされた。
 伊藤氏との絶妙な間の会話がとにかく新鮮。彼らを紹介いただき、とてもラッキーな時間だった。
 勿論全員、今回のLED ZEPPELINを見るために渡英したのだ。
 
 W社様、ご馳走様でした。2件目には移動せず、旅の疲れと時差ぼけを癒すべく午後10時過ぎにはホテルへ帰還。
 即爆睡。

投稿者 yonezawa : 20:23 | トラックバック(0)

2007年 11月 25日

えびの高原

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 温かい昼下がり。
 およそ5年前、父親が最期の食事をしたというレストランのある「えびの高原」を訪れた。
 米澤家とは代々縁のある地のひとつが、この霧島屋久国立公園に属する盆地状高原。
 寝たきりとなる数時間前、親父は「えびの高原に行こうや」と母に言ったそうだ。

 ここを訪れる度に想い出す。
 小学生低学年の頃、家族で登った標高約1,200mの韓国岳(からくにだけ)が懐かしい。
 かつて、この辺り一帯は高原の大部分は韓国岳火口から噴出した硫黄の匂いで凄かったものだった。広大な景色は健在ながら、今ではその迫力も匂いも見受けられない。

 山中にある「からくに荘」は親父が命名した保養所で、おいらの仲人を担ってくださったKさんの設計による建築物とのこと。
 親父とKさんは親友だった。

 湖畔を見下ろせる展望ポイントで写真を2枚撮ったらば、デジカメが即電源切れ。
 予備のカメラで数枚特写し、東国原英夫宮崎県知事の似顔絵の載った様々な商品の陳列されるお土産屋で、結構な量の買い物を終えた。

 Rちゃんと2週間ぶりに入ったお風呂がともかく感激。

投稿者 yonezawa : 23:16 | トラックバック(0)

2007年 11月 23日

秋祭り

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 小林市は小学生時代過ごした思い出深き町。

 母親と共に、幼稚園時代からの幼なじみ:S宅へ向かった。
 前回、同窓会の折訪れてからおよそ10年ぶり。小学生の現役時分から数えれば、およそ35年(前後)ぶりに彼女の実家を訪ねた。
 同時に彼の日以来の再会を果たしたSのお母さん。感激だった。

 メインストリートの国道沿いが封鎖された、『秋祭り』の催し物が行われる市内へ繰り出す。
 数名の幼なじみとすれ違いつつ、わずかな時間ながら近況を語り合った。
 
 近隣の各地より参戦するダンス・チームがそれぞれ(数カ所で行う)10分程度のパフォーマンスを行うイベントを見た。
 あらかじめ地元の同級生:YSからの情報は仕入れていた。
 実は小学6年生時分、厳ついスポーツマンだった担任の先生が、そのイベントに参加する旨を伺っており、やがて目の前でプログラムをこなす先生を視界に捉えた。
 こんな賑やかな場所で、こんなシチュエーションの中で叶った驚愕31年ぶりの再会。素直に嬉しかった。
 F先生は多分62歳だと思う。
 パフォーマンスを終えたF先生を一目さんに目指す。
 「小6の時の米澤ですよ、F先生!」と駆け寄れば、「おお米澤くん! 面影あるねー! 嬉しかよ!」とコスプレ中の先生にハグされた。感激だった。

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 今日、ここへ来てみてよかった…
 祭りの最中、なぜか自身の所在のなさを感じながら、母親と適当に催し物を見物しながら、夕方前には帰宅。
 帰宅途中、スーパーでの買い物が、おいらの至福の時間。

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投稿者 yonezawa : 01:56 | トラックバック(0)

2007年 11月 22日

東京不在

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 本日、夕方より東京不在につき。
 現地にパソコンは持参しない上に、工夫もしないのでPC宛のメールは26日まで確認出来ません。
 更新は27日以降になると思います。
 取り急ぎ!

***********************
 延々ギリギリまで家事をやってたら、どう考えても羽田に着くのがフライト時間ギリギリの案配に。
 バスでも焦る。JRでも焦る。モノレールでも焦る。
 飛び乗ったモノレールが、後発の快速に抜かされた瞬間、さらに後悔の念と焦りのピーク。危ない時間に羽田駅に到着し、ごぼう抜きでANAカウンターに突撃。チケットはネットですでに購入済みだ。
 時計の時間を見ればフライトの5分前。
 係の方が「今日は飛行機が整備の遅れでたまたま間に合いますが、次回からは15分前までに必ず来てくださいね」と当たり前の指摘を受ける。
 「申し訳ありません」と搭乗口へ急げば、まだゲートインの時間には5分ほど余裕があった。
 トイレを済ませ、ペットボトルのお茶を購入し、汗だくで無事搭乗。
 ほんの少し全力疾走すれば、外がそれなりに寒かろうと汗はしたたり落ちてくる。
 ともかく乗れてヨカッタ。

 夕方、予定よりも30分前後の遅れで九州上陸。
 今回、最大の帰省目的は母親のパソコン交換。
 当時としては高価だったmacG3がクラッシュしたことを受け、相変わらずPCスキルの低い、頼りなきおいらが再構築しに向かった。
 なかなか修繕のタイミングが謀れず、半年近くおふくろをパソコンから遠ざけてしまった。
 おふくろとのパソコン・メールはおいらの人生にとってトップ・プライオリティ。本腰入れて、サポセンと掛け合ってみることにしよう。

投稿者 yonezawa : 20:10 | トラックバック(0)

2007年 09月 16日

井の頭公園

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 明日が休日であることは、先週金曜日、デザイナー:岩崎に言われるまで気づいていなかった。
 連休の直前はいつもこんな調子だ。

 午後、井の頭公園を散策。少し汗ばむ気候だけれど気持ちいい日差し。
 入口近くの売店でラムネを注文したら店のおばさんが「冷えたのがないんです」と言うので、1杯400円のかき氷を注文。高っ!
 会計を済ませ、表に出れば明らかに冷えきったラムネを買い、飲み干す人たちの姿が。
 あのばばぁは何をもって「冷えたのがないんです」と言ったのか。
 とたんに増幅した不可解極まりない気持ちを飲み込み、散策に。
 今後、この店へ行くことはなかろう。
 
 公園には休日を散歩で過ごす人々が多数訪れていた。
 手こぎボートやスワンボート、観光客の行き交う井の頭池を超えて、橋を渡り池回りを1周。
 およそ23年前、当時吉祥寺在住だった旧友:天平と共に、酔ったサラリーマン十数人相手に大立ち回りした古い記憶が蘇る。
 時間が過ぎればたいそうな笑い話だ。

 近隣で食事を終えた後、当時天平の働いていた店「のろ」の前を通過し、サンロードを散策。
 立ち寄りこそしなかったが、この「のろ」こそおいらが21年前に漫画家:江口寿史(兄)と運命の遭遇を果たした、想い出深き場所なのだ。

投稿者 yonezawa : 00:06 | トラックバック(0)

2007年 09月 11日

プリントアウト

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 取材で赴く場所が初めての場所だと、その度にいちいち目的地:地図のプリントアウト。
 未だに方向音痴なところは変わらず、知っている場所でも、理解している道の逆から向かうと位置関係が判らなくなったり。情けない。
 久々F氏とのサシ飯だったが梯子酒は次回に持ち越し、入稿のため原稿取りと入稿に切迫。
 

投稿者 yonezawa : 18:26 | トラックバック(0)

2007年 08月 22日

ターミナル4

 午前11時45分、ホテル・チェック・アウト。
 ヒースロー空港へ。タクシーはチップ込みで55£。
 空港ターミナルはドライバーに確認し、ターミナル4へ送ってもらったのだが、BAの日本行きはターミナル1の間違いで、やむなく地下鉄で移動。

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 以前見たレイアウトと違う様相から、この何年かで日本行きのターミナルは変わってしたったのかもしれない。
 チェック・インは、おいらの英国滞在史上初めてといって良いほど空いており、スピーディなものだった。早めのホテル出発は正解だ。
 搭乗手続きを終え、ゲート・インする時、機内に持ち込むワケでもないのに水類はその場で飲み干すか破棄が義務づけられており、ミネラル・ウォーター2本を捨てさせられた。
 まだ飛行機にのる手前、せいぜい免税店を徘徊するだけなのになんたる不可解。

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 免税店で犬のぬいぐるみ他の買い物を済ませ、一路日本までの空路11時間30分との格闘が始まった。

投稿者 yonezawa : 03:33 | トラックバック(0)

2007年 08月 21日

自然史博物館

 午前8時起床。バイキングの朝食をガッツリ。
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 午前11時、目と鼻の先にそびえるロンドンでも有名な観光スポット:自然史博物館へ。
 なんと入場料は無料。ここが凄い。入り口からは長蛇の列が。しかし入場までの時間が億劫にはならない。そして展示物が壮絶だ。

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 一旦ホテルへ引き上げ、午後4時、ハンバーガーを喰って地下鉄へ。
 Gloucester rd駅からディストリクト線でWestminster乗り換え、ジュビリー線でNorth Greenwich for THE 02へ。

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 ロンドン最大の目的:ザ・ローリング・ストーンズのライヴ会場がココ。今年出たばかりの、まだ建設中の箇所もある1万人規模のホールだ。ストーンズがやる箱としては狭くて嬉しい。

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 プリンス、エルトン・ジョンも近々に公演を行う模様。
 ゲート・インし、売店前で立ったままビールを1杯。
 若い女性を連れたブロンドの陽気なオヤジが話しかけてくる。彼らは親子だそうで、なんとフィラデルフィアからやってきたそうだ。「なんとまぁフィラデルフィアくんだりからわざわざ」っと思うと同時に、この公演を見るだけのために渡英した我々日本人のアホさ加減を顧みる。
 しかし、我が娘を連れてストーンズ観戦なんざ、贅沢の極みと言えた。
 21日の前座のバンドとしてポスターに記されていたのはオーストラリアのバンド:JETだったが、登場してきたのは多分THE KOOKS。
 「随分曲調が変わったなぁ…」と思いきや、遠目で顔がはっきり判らなかったが、明らかにJETではなかった。

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 午後9時、ザ・ローリング・ストーンズの登場。「スタート・ミー・アップ」でスタート。
 何回体感しても、この始まる瞬間のワクワク感は変わらない。
 個人的には初めて聴いたジェームス・ブラウンのカヴァーが際だって聴こえた。演者が曲の新鮮さに歓びを感じている様が判る。軽妙な演奏だ。

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 午後11時、ロンドン・タクシー乗り場で順番待ちをしていたら、斡旋のオヤジが同じ方向の相乗りを促している。
 我々の場合も、他3人1組の若者とシェアーした形で乗車。
 ピカデリーで夕食をと思っていた我々が先に降りることに。その時点で料金は33£程度。かなりいい加減なやりとりだが、半額よりやや少ない15£を相乗りした彼らに手渡し、実際安上がりで移動出来た。
 この方式が当たり前の様相だったのが新鮮。東京ではあり得ない光景だ。

 中華街で夕飯をいただき、ホテルに帰り着いたのは午前1時頃。
 午前3時近くまで赤ワイン。

 昨日のウォーキング後に、なぜか右足の土踏まずの辺りが疼き、プチ剥離骨折的自覚症状で歩行が困難に。
 剥離骨折とは、急激な筋肉の収縮などで腱や靭帯に強い力が加わり、それらが切れる代わりに骨との接合部分が剥がれてしまう事だが、まさに軽い肉離れのような感じで、剥離までしてしまったのかどうか判らないが、急に歩行困難となった。厄介。

投稿者 yonezawa : 02:59 | トラックバック(0)

2007年 08月 20日

ロンドン

 深夜3時過ぎに無事原稿が上がり、とっとと中継納品。
 帰宅して午前5時。6時過ぎのタクシーでJRの最寄り駅へ。
 新宿駅でサンドウィッチとお茶を購入。7時7分新宿発:成田行き、成田エクスプレスへ。
 円を£に両替。

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 海外旅行保険の申し込みに補償額1億円の9000円を、漫画家:高橋ツトムが2人分キャッシュ精算。太っ腹。

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 搭乗手続き後、税関通過後、おにぎりと餃子を喰ってブリティッシュ・エアウェイBA005便へ搭乗。
 海外のように、ボーディング・パスに記された時刻より出発の時刻はなぜか少し早まっていた。
 12時間の空の旅がへっちゃらだと言う者など、本来いなかろう。
 丸々半日、この狭い機内で過ごすかと思うと憂鬱だが、毎度海外渡航の場合、離陸後何も考えない時間を3時間は設けるようにしている。

 およそ12時間後、ロンドン:ヒースロー空港到着。時刻は同日の14:55過ぎ。
 税関がこれまでの景色とは違ったので、ターミナルが変わったのかもしれない。
 税関通過後、ジャックダニエル1本、オーストラリア産の赤ワイン1本、水4本を購入し、ロンドン・タクシーでホテル:ホリデー・インへ。
 ロンドン・タクシーのドライバーが、以前の紳士風スタイルよりラフな格好をしていた。
 タクシーでおよそ30分。
 KensingtonエリアのHOLIDAY INN KENSINGTON FORUM:97 CROMWELL ROAD LONDON SW7 4DN ENGLAND へチェックイン。
 地下鉄の最寄り駅はGloucester rd。

 夕方まで一休みし、午後7時頃から近所の散歩へ。普段ハツラツとウォーキングする機会もないので、地図片手に結構な距離を歩くことに。

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 ホテルからほど近い場所にあるRoyal Albert Hallへ。70年頃のレッド・ツェッペリンを思い出す。さらに徒歩でケンジントンからピカデリーまで移動。歩くとそれなりの距離だ。

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 チャイナタウンで夕食を。
 さらにパブで1杯。タクシーでホテルへ帰り着いたのは午後11時を回っていた。
 塩煎餅をつまみにウィスキーの部屋呑み後、午前1時過ぎには就寝。

投稿者 yonezawa : 02:36 | トラックバック(0)

2007年 07月 9日

帰途

 午前中、ホテル内の温泉に浸かり、正午に駅構内のうどん屋で定食。
 大量の上、ご飯お代わり自由で格安の価格だ。
 K&Rちゃんは博多行きの新幹線へ搭乗。おいらは小村が鹿児島空港まで送迎してくれた。心遣いの嬉しかった小村よ、随分世話になったな。サンキュ!
 わずか一泊ながら語り尽くした川内の夜は、また一つおいらの個人史に刻まれた。
 ANA搭乗。離陸前に爆睡。睡眠不足のおかげでオチてたフライトの時間はあっと言う間だった。
 羽田着。高速バスで移動中、携帯を駆使し怒濤の戦闘(仕事)モードに切り替わった。

投稿者 yonezawa : 02:04 | トラックバック(0)