2011年 09月 20日
エンジェルロード
朝7時起床。目を覚まして砂浜へ出た。
国際ホテルの真ん前には「エンジェルロード」なる道がある。
「エンジェルロード」とは……
ホテルの南側にある小さな島を“弁天島”と言い、そこから砂浜で繋がった4つの島を総称して“余島”と呼ぶそうだ。
その連なる4つの島へは、1日2回の干潮時だけあらわれる砂浜の道を歩いて渡るのだが、姿を見せては消える不思議な場所として、いつからか「エンジェルロード」と呼ばれるようになった……と、hpにある。
確かに1日のほとんどが海であるくせに、ある時間になると道で繋がってしまうという現象には大いなる不思議を感じた。
「このエンジェルロードで手をつないだ二人は将来結ばれる・・・。」という話になっていることはさておいて、家族全員でこの道を渡ってきた。
朝食はバイキング。
9時30分にはロビーに集合し、宿泊の精算後土庄港へ。
高松経由で帰京するbambi−1チームに見送られ、再び宇野港をフェリーで目指した。
岡山駅のコインロッカーへ荷物を預け、そのまま倉敷へ。倉敷も初。
徒歩で倉敷市美観地区へ向かう前にRちゃんが腕の中でオチてしまい、再び汗だく状態で現地着。
昼飯もまだだったので、界隈でうどん屋に入店。普通に美味いが東京並みの価格だ。
食事を終えた後、一人川沿いのベンチへ腰掛けた。Rちゃんを抱えて河を背中にしばらくボーっと界隈の景色を眺めていた。
倉敷独特の時間が流れる。風が気持ちよかった。
……
……
……
数十分して、ふと目を開けたRちゃんは「ソフトクリームたべたい」と言葉を発するタイミングでしっかり起床。
店の方に美観地区の特徴を伺い、いくつかの買い物を済ませた後、倉敷美観地区トリックの館編「桃太郎のからくり博物館」へ。
ぐるぐるの渦巻きを見た後、造花が萎んだり開花したりして見える目の錯覚が不思議。江戸時代からこうしたトリックものの仕掛けはあったというので、人智の素晴らしさに感心する。
各位買うモノ買い尽くし、Rちゃんを抱っこしながら徒歩で倉敷駅へ。岡山を経由し、予定の新幹線で帰途についた。疲労度200%。新幹線では30分オチた。Rちゃん寝ない。
東京駅着後、母を迎えに来ていた姉に中継。
こちらは中央線に乗り換えたらば、新宿を過ぎる頃Rちゃんが完全にオチた。疲労度250%。
投稿者 yonezawa : 15:43 | トラックバック(0)
2011年 09月 19日
バーベキュー
朝7時起床。あらかじめ、おふくろに買ってもらってたパンと牛乳を喰い、待ち合わせの9時30分にはJR岡山駅改札へ到着。
在来線で宇野駅まで移動し、宇野港から土庄(とのしょう)港までフェリーの船旅を体験。
およそ1時間30分(他の島も経由する故)後、人生初の小豆島上陸を果たす。
港に迎えに来ていた宿泊ホテル:小豆島国際ホテルの送迎バスに乗車し、10数分でホテル着。
チェックインまでまだ1時間以上あったので、予定していたオリーブ園へ。
早速ホテルからタクシー3台で移動したのだが、感覚としては「2000円かからないだろう」という距離感だったのに(確か?)3300円程度とられた。高けぇ〜。
とにかくこの値段は受け入れがたく驚いた。
やや待たされた後、同レストランで昼食を頂き、帰りは本数が少なかろうがバスで帰ろうということになった。
ところが、オリーブ園から土庄までバス片道の値段が540円。我が家だけの料金を考えれば、大人4名で合計2160円。人数的にタクシーと比較しても1000円少々の差額しかない計算だ。
ちなみに(小豆島国際ホテルから最も近い)土庄まで、再び国際ホテルのバスに送迎の旨を伝えたら迎えにきてくれる。
小豆島の交通機関、かなりボリ気味。
夕飯までの18時30分までライヴと旅の疲れを癒すべく各々休憩。室内で10分横になった。
オンタイムで屋根付きの1Fバーベキュースペースで貸し切り大宴会開始。もうこれがやりたいだけにライヴをおこなっている節は勿論あるものの、実に充実した宴会で爆食をかます。
米澤家も喰った喰った。
二次会は、早々と床についたバンマス以外のメンツでBambi−1飲み。健全な会話で盛り上がる。
明日は倉敷にでも出てみるか。
投稿者 yonezawa : 15:41 | トラックバック(0)
2011年 08月 17日
明日帰京
たったこの4日間で、もはや早朝からの稼働には慣れた。
雨模様の中、義理母、家族と共にタクシーで最寄り駅へ。
電車を乗り継ぎ、博多駅で親戚と待ち合わせ、おいらは一旦今夜の宿泊先に荷物を預けに。改めて、電車に乗り一路ハウステンボスを目指す。
かなりの山奥に目的地はあった。ハウステンボスへの入場料と、一通りのアトラクションを見られるチケットはそれなりに高額で、解せない感覚もある中、「5D」とかいうシャープとナニガシが共同開発したというアトラクションでは、未就学児も大人同様に追加で500円支払わされる、というシステムに大いなる憤りを感じる。ちょっとあこぎ過ぎ。
遅めの昼食をいただき、ハウステンボス内でいくつかのアトラクションを体感する間「このあとハウステンボスにいくの?」と娘に何度か質問される。「ここ全部がハウステンボスなんだよ」と回答。
いくつかのアトラクションを巡るわけだが、少し怖い系のアトラクションが苦手なRちゃん、午後4時頃には、もうホテルに戻って寝たい感じのRちゃん。
おいらにすれば現地での最後のメリーゴーランドにRちゃんサポートで搭乗し、午後5時過ぎに単身で博多へ帰還。
宿泊ホテルに着いたらば、約束のFさんはすでに到着していた。彼との待ち合わせほど確実なことはない。博多も大分も、時に長崎までどんな場所も知っているFさん。
彼おすすめの店へタクシー移動し、魚と激美味の豚足を口火にサシ飲み開始。再びタクシー移動し、激安寿司屋で夕飯。
その頃、仕事を終えたMがつかまり、博多駅界隈で再会を果たし再び乾杯。
Mはおいらが18歳の頃、16歳でコックの後輩としてレストランにやってきた、かつて言葉通り同じ釜の飯を喰った戦友のような存在。
博多駅界隈にイタリアンの店舗『ピーチェリーノ』
http://www.peacherino-gourmet.jp/dessert/dessert.html
を構え、現役料理人として今も活躍する頼もしき後輩。こういう人生も、可能性としては、おいらにもあったのかもなぁ……っと、Mと話しをする度に考える自分がいる。
もう大酔いで飲めない。明日『ピーチェリーノ』のランチでの再会を約束しホテルへ。
使いにくい携帯で酔ったままどこかにメールしようとする途中におちたのだろう。携帯を掴んで椅子に座ったまま、明け方を迎えた。
投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)
2011年 08月 16日
大声ダイヤモンド
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学生時代、毎年原爆投下の時刻には家族で黙祷したものだった。今でも自宅にいたら、せめてもの、哀悼の意を気持ちに込める最たるタイミングである。
朝6時においらの頭を掴む娘。今日もほぼ同時刻に起こされた。
着せ替えシールにギターの練習。遊びに切れ目がないように、次々と要求してくる娘。
ギターは姫と交代で弾き遊び。「Rちゃん、おったんみたいになりたいな。おったんみたいにギターじょうずになりたいんだもん」
初めて聴くフレーズに心が喜ぶ。
昼食には駅前のラーメン屋さんで、と言うアイデアを受け、炎天下散歩がてら外出。ところが最大限に過酷な散歩になった。
迷いまくり、到着したらば休業中。絶句。
全身汗だくで、最終的に入った店はうどん屋さん。
なかなか普通に美味かって安堵。
先日飼い始めたカブトムシのメスが臨終となり、姫は埋葬まで体験。
夕方、再びAKB48再生。「大声ダイヤモンド」…こんな曲だっとは。初めて聴いた曲ながら。
日のあるうちに姫の前髪を玄関先で切りそろえ、明日の家族撮影に備えた。
近場の日曜雑貨屋で、アンテナ端子とテレビに差し込むアンテナ線の接続パーツを購入し、義理母のテレビ環境を、さらに強化。こちらで電波はかなり強まった。K村、アドバイス感謝。
夜、旧友Rより電話。
近々、娘が大々的にデビューすると伺い、軽く作成会議。
こちらの娘=姫、鼻の具合かなり悪化。困った。
投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)
2011年 08月 15日
不備多すぎ
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au/Androidで打つブログの厄介なことといったらない。不備多すぎ。
九州入りして即九州ペースに移行し、18時の夕飯後、Rちゃんと風呂に入ればもう布団が敷かれ、横になってテレビを見てたら、軽い睡魔に襲われた。
こちらが本来の生理現象か。
近場のセブンイレブンへ買い物にゆき、近場の公園でサッカーとブランコ。
汗だくになったオヤジと娘は風呂場に直行し、早々とシャワー。
また夕飯が即時やってきた。
ムリクリおったんと寝ると言い張る娘に、今日の日の気持ちを生涯忘れるべからず。と心で唱える。
トラベルギターにイヤホンを突っ込み、iPodシャッフルと片耳ずつあてがい、音源再生。
まずは、おいらの今週の課題となった楽曲、AKB48の「ヘビーローテーション」…こんな曲だっとは…
投稿者 yonezawa : 13:23 | トラックバック(0)
2011年 08月 14日
結局準備に深夜までかかり
結局準備に深夜までかかり、8時に睡眠4時間弱で起床。
今回の旅にあわせて購入したトラベルギターの確認を終え、9時前にタクシーを配車。駅前から出ている高速バスで羽田へ。
土産買って朝昼兼用に寿司定食喰って、自動発券機でチェックイン。
全てを手荷物として持ち込むべくゲートに向かえば、トラベルギターがサイズオーバーだという。ぶっちょう顔なまま、さっぱり要領の得ないスタッフに苛立ちを覚えながら、JALのスタッフに伺えば、とりあえず機内持ち込み了承の輪っかをつけてもらえた。
帰りも同じやりとりとなるのか。
機内で30分書籍を読んだら眠気に包まれ、あっという間に北九州着。
迎えに来てくれてるはずの出口を見渡すが、それなりの人々から身内を探し出せずにいたところ、「おったーん!」の声と共に小さいのが一目さんにこちらに突進してきた。
そしてジャーンプ!
娘と初めての北九州での時間が始まる。
投稿者 yonezawa : 13:22 | トラックバック(0)
2011年 08月 6日
おやすみなさい……
早朝8時前に、東芝レグザ設置の業者がやってきた。早すぎるし。睡眠、正味4時間……
我が家にも初の地デジ・モニターがやってきた。
業者の、ある腑に落ちない説明に大きな疑問を抱いたが今日、おいらは忙しいのであった。ともかく早く出発したかったので、自力での詳細設定は明後日以降やることに。
午後一、久々に引っ張り出してきたハードケースにストラトを収納し、オリジナルの白ミュージックランダーはフェンダーのソフトケースに収納。
ギターを2本とエフェクター&シールド他をとりまとめ、一泊のための家屋全員の大量の荷物を2度3度の運搬で車へと詰め込み、関越からまずは軽井沢へ。
現地で自転車を借り、あの有名な商店街で野沢菜やらふりかけやらを購入し、その後上田市へ移動。
雨模様な時間帯もあったが、果たして明日は晴れてくれるのか。50%の確率で不安も募る。
今日は夕方より丁度河川敷で花火大会があるというので、歩いて観に行こうかと迷っていた矢先に、7Fの宿泊部屋(711)で荷ほどきをしていた最中、「ドン・ドン」という花火の音が聞こえてきた。
窓から見ると、ほどよい大きさの花火が絶好のロケーションで観戦出来るではないか! なんたる幸運。部屋の明かりを消して、家族で1時間少々贅沢に観戦する。
10数分音が途切れたので、「終わったか?」と思い、遅めの夕飯をいただくべく1Fの居酒屋へ。テーブルに着席した瞬間に、再び「ドン・ドン」の音が! まだ終わってなかったか。まぁいいか。
ビールと芋焼酎で、家族とのこんなシチュエーションでの初めての乾杯だったような気がする。
二日酔いにならない程度に切り上げ、ギターの弦を張り直し、風呂に入って就寝。
今日のRちゃんは、あらかじめおったんの隣に寝ると決めてた模様。おやすみなさい……
投稿者 yonezawa : 15:28 | トラックバック(0)
2011年 05月 6日
JALの便
午前10時に起床し、11時にはチェックアウト。外は雨模様。
フロントで精算を終え、300円の傘を買った。
ノートパソコン2台の入った鞄が右肩に赤い痣が出来るほど重い。
ロビーで鞄の中身を再度整理し直した後、大きなメインストリート沿いを歩くと「うどん屋」を発見。迷わず昼食にと飛び込んだ。
大きな店舗ながら、食券を買って厨房カウンターへ持ってゆき、商品が上がったら受け取りにゆく。水も同様のセルフサービス。
注文1分後に呼ばれ、注文品のたぬきうどんと天むすを取りにゆく。隣のおばあちゃんが「青胡椒を2杯入れると美味しかよ!」と言うので、言われた通り、テーブルの唐辛子は入れずにそちらを2杯注いでみた。
ピリっとした辛みがホント丁度2杯程度でよき案配に感じられた。こんな些細な会話がそつなくわき起こるのが、こうして九州のいくつかの地を訪れた時に感じる喜びだったりするもの。
美味しくホフホフと食べ終え、食器を片付ける際おばあちゃんに「美味しいでしたよ!」と伝えたら、おばあちゃんは笑顔で「でしょ? 美味しかったでしょ?」と答えてくれた。
なんて気分がよいのだ。
「確かデパート前から出ているバスがあったっけか?」「次の時間は確か12時56分だったか?」と、うつろに覚えたままの情報を反芻し、信号を小走りに渡ってバス停へ着いたら12時台のバスは54分発だった。時刻は55分。タッチの差でバスは1分前に出てしまっていた。
次のバスまであと30分程待つかとも考えたが、雨模様の上、フライトまでに30分しか猶予がない計算になるのでタクシーに飛び乗った。
右肩の赤い痣も気になっていたこともあって、空港内で食べ物などの土産品を買う意思はすでになかった。が「Rちゃんだけには何か!」と考え、結局プリキュアのレターセットだけを購入。
予定していたJALの便は、整備の際不具合が発生したとのことで、およそ30分出発が遅れて離陸。
羽田には16時30分前後に到着し、17時の高速バスで地元へ。18時前には目的地へと到着し、さらにコミュニティバスで帰途へ。帰宅したのが18時15分前後。
移動中はどれもほとんど寝ていたので、気分としてはあっと言う間の感覚。ナイスアクセスだった。
ドアを開けると、部屋の奥からRちゃんの元気な声が聞こえてきた!
投稿者 yonezawa : 17:58 | トラックバック(0)
2011年 05月 5日
宮崎駅
実家から列車を乗り換え目的地へ向かうつもりが、宅配便の手配に時間がかかってしまい帰宅が遅れた。
自宅目前にJRの最寄り駅があるのだが、M姉が車で30分の距離にある、さらに目的地に近寄った駅まで送ってくれるというので、現地に用事のあるらしき甥っ子と共に乗車させてもらった。
予定していた列車に乗り、森林を切り開いた鉄道の旅を一人楽しんだ。
何も考えずに一人で移動する田舎の道中は年々心地よいものに変わってきている。
居眠りを始めたかと思ったら、丁度1年前、母入院の際に訪れた宮崎市内へ到着。あの頃の印象に残る貴重な時間を思い出した。
予約していたホテルへチェックイン。どの道やることなので、持参していた旧式パソコンの調整をこの機会にとこちらで行うべく調整してみるのだが、現行のあらゆるサイトへのアクセスは出来るものの本格的な稼働まで環境を持ってゆけない。
このノートはRちゃん使用のネットゲーム用にと考え、せっせと環境構築を行うものの、肝心の必要なソフトのダウンロードがままならない。実に残念。ちょっと昔までは先端のデザイナーが使っていた物件なのに。多分対応していない旧式に、もはやなってしまっているのだろう。
約束の知人と待ち合わせたのは眠気がやってきた午後10時を回った頃。
数件のはしご酒を楽しみながら、この地で食べたかったチキン南蛮と、しっかり〆にはラーメンをいただいた。
こちらのラーメンはホントにくどくないサラッとした豚骨。東京には未だになかなか見つからないタイプの、優しくシンプルなスープが特徴。やっぱり美味し。
投稿者 yonezawa : 17:57 | トラックバック(0)
2011年 05月 2日
パソコン環境設定・帰省
朝、液晶モニターの信じがたき重量と大きさを冷静に見て「やはり運べるわけがない…」っと、この段階で初めて判断。
このぐらいの大型モニターを宅配する場合、サイズ的にはもはや引っ越し業者の守備範囲に属するらしく、見積もってもらったところ東京〜九州間で4000円弱の価格だった。
到着までにはおよそ4日かかる計算。それでは帰省の時間に間に合わない。
ちなみにANAのサイトで機内持ち込みの手荷物サイズの条件を調べたところ、やはり3辺の合計サイズがいくらかオーバーしていたので持ち込みも不可となっていた。
その大型液晶モニター以前に使っていた、まだ大して使い古していない2回りほど小さいサイズの液晶モニターを持ってゆくことに急遽変更。
梱包をひもとき、梱包を開始。
これなら手提げ袋で持ってゆける。直前になって何をしているのだ、おれ。夕べの夜までの姫のゲームを許していたのでギリになったのは自業自得なのだが。
行きがけにヨドバシカメラで最後のパーツ(モニターとMINI本体をつなぐ接続端子の変換パーツ)を購入して一路羽田へ。
朝からRちゃんには九州帰省の旨を説明し、後からSkypeの約束をしていた。ああ~連れてゆきたい。
高速バスへと乗り込んだとたん即爆睡。途中2度、車の揺れで窓ガラスに頭をぶつけたら、いつの間にか羽田第2ターミナルへ着いており、焦って降りた。
離陸後爆睡。なんだか眠い。気分としてはあっと言う間に到着してくれた感じ。ありがたい。迎えにきてくれた母と姉の車でスーパーへ立ち寄り、夕食の食材を購入し帰宅。
田舎での地元の時間がゆっくりと流れ始めた。
早速パソコンを紐解き、ネットとメールの環境設定を終え、Skypeでテスト。
ほぼ問題なく開通し、九州の地にいながら初めてモニターでRちゃんの笑顔と声を聴くことが叶った。
投稿者 yonezawa : 17:55 | トラックバック(0)
2010年 08月 8日
間一髪
午前7時にはしっかり目覚め、夕べお世話になった大勢の皆様にご挨拶を済ませ、小雨の中帰途に。
突如「でちゃうー」と緊急事態の様相であるRちゃんのコンディションを知らせを受け、必死でインターチェンジを探した。もはやギリギリの状態だという言い回し。ようやくインターをみつけ、ともかく停車。「おたんといくー!」と決意しているRちゃんを抱きかかえ、入口付近でギャグを一発かますほどの余裕も見せたRちゃん、間一髪でセーフ。
ついでに朝食もいただき、Rちゃんは牛のおじさんにオモチャを買って貰い帰途につく。
投稿者 yonezawa : 11:18 | トラックバック(0)
2010年 08月 7日
川でバーベキュー
ここのところの生活のリズムからなのか、おいらにすれば午前の早い時間に目覚める日が多い。
夜中、布団の上を自由に回転するRちゃんが平行にピッタリと寄り添ってきた。
彼女は改めて寝息をたて始める。こちらも寝付きそうになったと思えば、Rちゃんの裏拳、時間をおいて左足のかかと落とし…という具合に、おいらの顔やら腹部に対してソレらが飛んでくる。
午前の早起きは、あながちそうした自然災害によるものなのかもしれない。
10時30分に買い出しのため外へ。
そのまま友人の格闘家I一家らが先乗りしている秩父の山奥へ移動。車でおよそ40分程度で到着の場所だった。
そちらへおじゃまし、古民家でバーベキューをやるといった趣旨でこの地へやってきた。
I家の可愛らしいチビちゃん2人はRちゃんとの再会を歓んでくれ、勿論2人のおねえちゃんに会うことを、とても楽しみにしていたRちゃんも大喜び。
チビちゃん2人はもう1人のお友達と3人ですでに川遊び中。
なんと水が綺麗なんだろう。そこそこ冷たいけど泳げる程度で丁度よい。
昼食用に買い込んだ、人数分のおにぎりやらカツサンドやら飲料水、酒、ビールを大量に川っぺりに運び込み、日のある夕方までとにかくダベり遊んだ。
Iのお弟子さんらプロ格闘家の面々も集合。彼らは正真正銘の有名トップ・ファイターばかり。
川っぺりで子供達は川遊びに夢中になり、大人達はビールを飲みながら成り行きの会話で盛り上がる。
日が暮れる前にバーベキューの準備をしましょうや。ということになり、数台の囲炉裏を庭へ並べ、飲みの続き。
宴にはIの愛娘の彼氏も登場し、益々賑やかな場となった。
酔いが回った頃、古民家の2階にあった民族楽器から、ありとあらゆるバンド演奏可能な機材を拝借し、セッションタイム。ここに来たのはこの楽器を見ることも楽しみの一つだった。
おいらが時最も間を費やしたのがドラムス。
近隣の迷惑も考え、菜箸で叩いた軽い感触はいまいちだったが、こんな面子でこんな環境で鳴らす…という機会はそうそうなかろう。
そしてRちゃんのドラムス・デビュー。ドラム・セットに対して、なんて小さいんだRちゃん。闇雲に感激。
やがて演奏中にも関わらずやたらと絡み出し、なんでもかんでも「おったんといっしょにいくー!」と聞かなくなったRちゃんの眠気の限界を確認し、明日早朝からの運転もあった故、一人抜けだし、別家屋の3Fをお借りして早めの就寝についた。
こうした贅沢を得るためには、秩父辺りぐらいまではやってこなきゃいかんのだなぁと、ぬるい風の届く扇風機を見つめながら考えていた。
投稿者 yonezawa : 19:28 | トラックバック(0)
見続けてゆきたい
朝6時までには外出の準備を整えたかったのだが、起きた時間が6時。
結局外出出来たのは7時30分を回った頃だ。
先週に引き続き、最寄りの関越インターを目指し加速。
いきなり帰省ラッシュ組の渋滞に道中の2/3程度は巻き込まれながら、2時間以上かかって目的の花園インター脱出。
未だカーナビの生活未体験なおいらは、いつものようにプリントアウトしたYahoo!の地図を頼りに、記された国道を右へ左へと移動。
難なく目的地のI宅へ到着。地図はとても正確だった。
I家の家族全員とはなんと9年ぶりの再会となり、著しい成長を見せた高校生のお兄ちゃん、すでに仕事に就いていると伺って驚かされたお姉ちゃんの姿に驚き感激した。
前回訪問の際には河原でバーベキューだった。写真があるからこそ余計鮮明に覚えている。懐かしい思い出だ。
新築の大きな家屋に荷物を置かせていただき、一休みした後、1時間少々かけて大人とRちゃんで伊香保方面へ出かけた。
まずは榛名湖へ。快晴の中、みんなでモーター・ボートへ乗車。
わずかの時間だったが、体感速度のひんやり感は抜群。おいらはゆっくり景色を眺めることもなく、ひたすらハイビジョン・カメラのモニターと睨めっこ。満面の笑みを浮かべるRちゃんの記録に忙しい。
ここのところ、どこの美しい景色に包まれていようとも周りを見渡すことはなく、優先順位はまずカメラのモニターであるおいら。
モーター・ボート以外にも足こぎ用のスワンやら、様々な色味のアナログ・ボートが並べてある。視力抜群のRちゃんが、案の定「あっちのピンクにのりたい!」とモーター・ボートから降りたとたんに言い出した。
「今乗ったばかりだから、もう終わり」と言うフレーズが頭を過ぎり、早足で売店方面に向かった。
「アイスでも食べる?」とRちゃんに伺いをたてたその時、Iと同行者Kの余計な一言が被って聞こえた
「Rちゃん、あのボート、かわいいよねぇ! お父さんと乗りたいよねぇ〜。乗ったら多分気持ちいいよねぇ〜」的意味合いの爆弾発言をかます悪魔の同級生2人。
Rちゃんの気持ちは完全にそっちの方へ向けられた。
「おまえ、父親として、Rちゃんの気持ちに答えてやらんのか」と促され、炎天下の中、足こぎボートへの試練に追いやられる羽目に。
「のりたいよー! いこうよーおったん!」
「はいわかりました。乗ろう…乗ろうか。どれがいい?」
「ピンクー!」
かくして30分の汗だくな時間をたっぷりと過ごす羽目に。
陸に上がり記念写真を撮って、色んな動物のいる伊香保グリーン牧場へ移動。
入園料が大人1名1800円とやや高めなところが気になったが、牛やら羊を間近に見られる場所なのでやむなし。
園の奥で催ししていた見学無料のアトラクション:シープドッグショウを観戦。
羊の毛を刈り、その流れを英語と日本語の解説で観客に説明していた。
最後には「動物とのふれあい」の時間も設けられた。「羊さんに自由に触っていいですよ」とアナウンスされたとたん、Rちゃんは柵の中に駆け込み、羊さんを追いかけはじめた。
奈良のシカ相手同様、そこには躊躇とか物怖じとか遠慮という言葉などない。
目に入った羊さんに端から接触を試みるRちゃん。その笑顔の眩しかったこと。
水道で靴底を洗い、「ここの物件なら特別に美味いはずだろう」と確信した末、みんなでソフトクリームを食した。さすが牧場、確かに濃厚で美味かった。
ボチボチ丁度よい頃合いの午後の時間となり、夕飯の買い出しを経由してI宅へ帰宅。
即、クリームパスタをメインにサラダ諸々を最速のスピードでこしらえ、食卓を賑わせた。
芋焼酎を飲みながら、2つの家族にKが加わり、深夜2時までの晩酌タイム。爆笑の嵐。
この貴重な晩酌だけは生ある限り続けてゆきたいものだ。
投稿者 yonezawa : 11:29 | トラックバック(0)
2010年 07月 24日
Inception
「私の今年のナンバーワンはそれです」
そう言った映画会社K:FKの発言が気になっていた。
早く観に行かなきゃと思っていた矢先、映画『それいけ!アンパンマン ブラックノーズと魔法の歌』公開の情報を知り、この機会に観るべし! と午前中から家族で新宿へ飛んだ。
Kの言った“それ”とは映画『インセプション』。ネット予約したチケットを発券し正午より鑑賞。
申し訳なかったが、Rちゃん鑑賞のアンパンマンは伴侶に付き合ってもらう。
『インセプション』(原題: Inception)は、クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による2010年のアメリカのSFアクション映画。
口コミでは内容の深さを伝えにくいので、「是非観て」と薦めるしかない類の作品と認識。
クリストファー・ノーランは『メメント』の取材時に単独インタビューをやり、余談ながら彼がレディオヘッドのファンであることを聞いたのはその時。
映画と関係ない話もフランクに語ってくれたあの日のことを思い出した。
イギリスの映画プロデューサー:エマ・トーマスは、ノーランの妻でもあり、本作品のプロデューサー。かつノーランの全作品をプロデュースしている。
映画を途中まで観た時ふいに思い出したのは、日本が世界に誇る作家:夢枕獏の傑作小説『魔獣狩り』だった。
劇中、あるシーンで現実世界から別の世界に飛び込む場面があるのだが、そのシーンが『魔獣狩り』に登場する“精神(サイコ)ダイビング”というシステムに酷似しており、インスピレーションの基はそこではないのか? という憶測が頭を過ぎった。
2000年頃公開された、ジェニファー・ロペス主演の映画『ザ・セル』という作品に至っては同じく『魔獣狩り』の持つアイディアとの酷似さがあまりに露骨であり、その時獏さんに電話でお伝えした記憶があるが、今日も鑑賞直後に思わず獏さんに電話していた。
事実関係は知るところでもないし、至って寛大に笑っておられた獏さんはだったが、『ターミネーター2』作成中頃辺りに、某日本の雑誌編集者が某アメリカの巨匠映画監督に夢枕獏作品を贈呈し、啓蒙したという事実はあながちナメたモノではなかったのだと認識している。
小説に限らず、ハリウッドは日本のコミックも驚くほど熟知していることは作品へのオファーを見てももはや常識だし、いわゆる“パクリ”があってもなんら不思議ではない。
獏さんは、『インセプション』にも重要な役所で登場している俳優の渡辺謙さんとも先頃異国で談笑する機会があったそうで、次回その時の話を是非伺わせていただこう。
そうした枕はありながらも、ノーランはやはりすごい。
『第9地区』も『告白』も観ていないが、おいらの年間ナンバーワン映画作品はもしかしたら『インセプション』になるかもしれない。
早い夕方、荻窪へ引き上げ、17時に合わせて丸長へ。
店頭に並ぶものの待てど暮らせどシャッターが開かない。
おかしいな? と思い、暑いのでRちゃん&伴侶はクーラーを入れた駐車場の車内に待機させ、おいらは30分一人で並んでいた。しばらくしたら客がチラホラ。
時計は30分の経過を知らせ、結局17時30分からの営業時間というのを後から知り、ガックシ。相当汗だく。
Rちゃん用に普通の中華ソバを注文したが、彼女はほとんど口にせず、つけ麺につまみのメンマ、シューマイまで食って胃が割れそうになった。
投稿者 yonezawa : 19:55 | トラックバック(0)
2010年 07月 20日
沖縄5/帰京
チェックアウトの際、ライヴ録音されたプロ・トゥールス・データを、Sくんの中継でフロントより拝受。
タクシーで那覇空港へ。
最後の土産品を物色しつつ搭乗手続き。
母の便が30分程度先に九州へ向けて離陸した。おふくろもおつかれさまでした。
羽田着。モノレールで浜松町を経由し、有楽町より帰社。
怒濤の入稿作業に突入。午前5時、仕事に区切りをつけた。
投稿者 yonezawa : 15:12 | トラックバック(0)
2010年 07月 19日
サザンビーチホテル&リゾート オキナワ/沖縄4
早朝から大先生は外のベンチでギターを弾いている。
朝、Kちゃんがyoyoに指南を受けていたのは、二日酔い醒ましの体操だった…。
朝飯を頂き、ここから別行動するSくん号に荷物を搭載させてもらい、11時頃面々チェックアウト。
今日だけは天候がかなり崩れる局面もあり、朝から雨模様。
メインの目的地の一つであった「沖縄美ら海水族」へ到着。
大水槽を泳ぐジンベエザメに圧倒され、わずかばかりのイルカショーも鑑賞。
Rちゃんはまだこの大きな海洋生物の凄さが理解出来ないのか、大水槽には興味がなさそう。
入園料は大人1800円。
遅めの昼食には、再び移動中に飛び込んだレストラン。この店のチョイスも正解で嬉しい。従業員が無愛想以外は問題なし。
全行程を運転してくれたチャーリーに感謝しながら、助手席で何度かオチていたおいら。
車をレンタカー屋へ戻し、現地解散。
土産をいくつか買っておきたいというリクエストに応え、米澤家はモノレールで国際通りへ出た。
一通り買い物を済ませた後、タクシーで最終宿泊地:サザンビーチホテル&リゾート オキナワへ。
チェックインし、荷ほどきした後、急いでRちゃんと室内プールへ。
こちらでは持ち込みの浮き輪はNGで、室内にある腕に挟み付ける浮き輪を、Rちゃんの両腕の付け根に装着させ、正味40分程度の水遊び。
Rちゃん、超ゴキゲン。
思いの外体力を奪われたおいらだったが、部屋へ戻り、Rちゃんをお風呂に入れ、おいらもシャワー。
夕飯は館内のバイキング・レストラン。ここでも大量に食い尽くした。最終日には酒も飲まないまま。
遊び疲れたRちゃんは早くにベッドにダウン。俯せに寝たRちゃんの足の延び具合にまた驚く。
おふくろは果たして楽しんでくれたのか。気疲れしてなきゃいいけれど。おつかれさまでした&ありがとうございました、お母さん。
ともあれ、こうして沖縄最後の夜が更けていった。
投稿者 yonezawa : 15:11 | トラックバック(0)
2010年 07月 18日
オン・ザ・ビーチ ルー/沖縄3
早朝の朝食を頂き、10時30分待ち合わせでおもろまちのレンタカー屋へ。
この店、DFS内にあるのだが、レンタルに際した契約を交わし車に乗ろうとしたら、乗り場にたどり着くには延々ショップ内を横断させる仕組みになっており、こちらは段ボールだ楽器だと抱えているものだから個人的に暴動を起こしそうな意識に陥り、怒りで呆れる。
ともかく作りが最低。
普通車とワゴン車の2台をチャーターし、普通車はSくんKちゃん水入らず号に。
ワゴン車はチャーリー運転のbambi&米澤家号。一路、オン・ザ・ビーチ ルーへ。
途中、Aコープか何かに隣接する食堂で昼食。チョイス正解。美味。スーパーで花火を購入。
羽田からことあるごとの一連のシーンを、一眼レフとハイビジョンカメラで切り取るおったん(私)の仕事は、ライヴを終えてもまだまだ続く。
15時前後にルーへ到着し、準備の出来た者から海へ飛び込んだ!
海──久々。
浮き輪を持ったRちゃんと、初めて本格的に泳いだ。
満面の笑顔。「キャッキャッ」とはしゃぐRちゃんの表情を見るためだけにこの地へやってきたことを、もはや本題のライヴそっちのけで感じていた。
この2度と還らない今だけの、この素晴らしき景色も瞳に焼き付けておこう。
小一時間の水遊びを終えた頃、丁度夕飯のバーベキューの用意が整う。素晴らしい。
野外の海外沿いで涼しく夕景を見ながら、地元のバンド仲間、そしてかけがえのない家族とバーベキュー。これほどの贅沢があろうか。
大量の肉と野菜が大変なペースで胃袋に消えてゆく。浮世離れしたこの環境を踏まえ、ビールも泡盛もより絶品と感じられた。
そろそろRちゃん就寝の時間。
残ったbambiの面々で大先生のギターの音色を聴きながら、ちびちびと泡盛を流し込む。
今回のツアーで初めてゆったりと語る機会を得たSくんの彼女:Kちゃんが、大先生の伴奏で深夜の野外にて「青い珊瑚礁」を熱唱。
泡盛と沖縄の海が導いた風景であった。
投稿者 yonezawa : 15:10 | トラックバック(0)
2010年 07月 17日
ライヴ本番/沖縄2
早朝の朝飯を頂きに最上階レストランへ。
すこぶるよい天気。大きな窓から差し込んでくる太陽光線が目映い。
食事を終え、国際通りを散策。
那覇オリジナル・ブランドのアロハシャツ屋に飛び込み、しばらく物色したらなかなかよい物件だったので、母、九州の姉:M、伴侶、Rちゃん、そして本日おいらのステージ衣装を確保するべく模様違い、色違いの物件を5枚購入。
そのまま流れる汗をハンカチで拭きながら界隈を徘徊し、午後2時前にホテル・ロビーでbambiと合流。最終リハのため1時間のスタジオ入り。
ここでベース:yoyoの音が鳴らない。
それ以前に、彼女のメインとなるベースがホテルに到着していないというのだ。本番もレンタル・ベースになることはこの時点ですでに確定ではあったが、リハにあわせて借りてきたベースも断線だったのか音が出ず。ガックシ。
こうしていくつかのトラブル(ホテル到着後、「家と車の鍵を紛失した!」と、この時点では勘違い中の私。結論は、家に置き忘れてきていたが帰宅するまで判らない)を経て、市場で昼食を済ませ、我々バンドメンバーはライヴハウスGROOVEへ向かった。
場末感の赴き溢れる小屋を位置を確認し、リハ後、家族の夕飯に合流するべく国際通りに戻り、本番20時前に再び家族連れでとんぼ返り。忙しい。
本番、20時スタート。
ハイビジョンカメラで狙っている被写体はライヴを観戦するRちゃん。つまりステージ上から客席に向けたカメラをセッティングしているおったん(私)だった。
bambi全員ロック。紛れも無きロックバンド。
ノルマの1時間、ビッチリ演奏敢行。良き汗かいた。
複数の対バン演奏を拝聴し、爆睡もし、すべてのセッションも終わった後、遅い夕飯に移動。
なんだか当たり前に沖縄公演を終えたbambiであった。安堵&乾杯。
投稿者 yonezawa : 15:09 | トラックバック(0)
2010年 07月 16日
離陸/沖縄1
あろうことか、Rちゃんが昨日の午後より発熱。ガックシ。
今日から待望の沖縄ツアーだというのになんて事態なのだ。
幼稚園はある意味病原体の巣窟でもあり、空気感染で園の子供達から様々な菌をもらってきてしまうことが続いている。致し方なく、そんなものなのだろうが間が悪かった。
大事をとりつつ様子を見ながら、周辺の心強いbambi医師らのアドバイスを拝聴しつつ沖縄行きを決行。なんとかなるさ。
午後、羽田へ向かった。一路那覇へ。
本島に来たのは何年ぶりだろう。10年は経過している気がする。
南国の風情を肌に感じながら到着フロアに待機。
先乗りしていたY兄の姿を発見した頃、bambiの面々も順次合流。数分違いの便で全員が到着。
長蛇の列をなすタクシー乗り場に律儀に並び、2つの宿泊ホテルへと移動。
国際通りの外れにあるホテル・オーシャンにまずは2泊の予定。部屋で先乗りした母と合流。ホテルのオフィシャルHPには記されていなかったが、多分普段は宴会場として利用すると思しき広めの和室の一室が予約した部屋だった。
Rちゃん仕様のため、今回の旅は基本的に和室を探しての宿泊だったが、なかなか和室の部屋を探すのは難しかったところ、Sくんの協力もあり無事確保。
荷ほどきをし、家族が休んだ頃、bambiーズ到着乾杯の席に駆けつけ、今夜も大先生に愛で突っ込む。
マジで沖縄ライヴにやってきてしまった。
投稿者 yonezawa : 01:45 | トラックバック(0)
2010年 07月 8日
川のささやき
夕べ作家と梯子したバー「やまざき」は老舗でかなり有名な店なのだと言う。バーの草分けだとか。
ここに来たのは2回目だ。メニューにあった見知らぬカクテルなどを似合わないくせに注文してしまい、案の定失敗。その味はモンダミンだった。
昨年訪れた際、カウンターにあった楊枝を1本抜き取り、起用に包丁で削り先を尖らせ「はいどうぞ」と食後のおいらに差し出してくださった大将の醸し出す空気が嫌いではなかった。
同行者の方とここ金寿司へやってきたのも2度目だ。
昼間からランチ営業をやっておられる同店、1F席はあっと言う間に満席に。
仕事ぶりも粋な佇まいながら、やってくるお客の数というのがなんだかいなたい空気を感じさせてくれた。
午後の便で帰京。編集部で雑務をこなし、迅速に紀尾井ホールへ飛ぶ。
エイベックス・クラシックスのコンベンションにどうにか間に合った。
今日の目的は、もはや世界的ピアニストとして認知される辻井伸行。
http://www.nobupiano1988.com/index.html
出演した3組の音楽家のうち、トップで数曲披露した辻井。最後に奏でたオリジナル曲「川のささやき」が最も印象に残る。
Kと新宿へ電車移動。積もるあの話、この話は久々の「だいこんの葉菜」にて。以前この店で共に呑んだSさんとの会以来の訪問だったように記憶する。そのSさんが亡くなられて先月で丁度1年が経った。早いものだ。
この店、料理、やっぱりナイス。
投稿者 yonezawa : 15:39 | トラックバック(0)
2010年 07月 7日
街のエネルギー
パラつき気味のジメジメ天気。とっとと過ぎ去って欲しい梅雨が続く。
冷蔵庫にある野菜、豚肉を見つけざまアッシュ(みじん切り)して、卵を落としてご飯を入れてかき混ぜる。四国土産の出汁醤油を絡ませ、あがりに若葉のふりかけを足し、正味5分程度で作成した簡易チャーハンをワサワサかっ喰らった。
荷造りを終え、戸締まりして電気系統を確認し外へ。
ああ、今日も明日も下手したら明後日もRちゃんに逢えないかもしれない。
「とりあえず札幌に着いたら電話しとこう」と考えながら羽田へ向かった。
1時間数十分後、新千歳空港着。現地へ降り立てば湿気をなくしせば東京の気候とあまりかわらない塩梅。
新千歳空港から電車を乗り継ぎ、ホテルへチェックインして15分後に現地在住作家と合流。
この街にも折に触れ訪れてきたが、現地の方々の人間性、街のエネルギー共に大好き。
夕飯に戴いた薄野 鮨金の仕事ぶりに歓。ご飯の途中、Rちゃんと少しだけ話せた。
「どこにいるの? はやくかえってきてね」
投稿者 yonezawa : 15:39 | トラックバック(0)
2010年 04月 27日
帰社
午前5時から1時間ごとに目覚め、午前9時40分頃ホテルの車で宮崎駅に送迎して頂いた。
9時59分の電車で宮崎空港へ。
軽く土産屋を覗き、ちょっと余裕をもって待合い場のソファでなにげなくテレビモニターを見ていた。
NHKの映像では、かつておいらが2年ほど住んでいた大分県玖珠町関連の町おこし的ニュースを流していたので、ふいに見入った。
すると役場の人だか中年男性が登場し、イベントの説明などを行っていたのだが、そのうち1人の男性の名前に見覚えが。なんと同級生でバスケット部も同じだったM.M.がハッピ着て祭りの話をしているではないか。
思わず動画撮影し、玖珠町出身の輩3名に即配信。笑った。
12時20分発のSNAに搭乗。定刻通りフライトし、2時間もかからず羽田着後、一路編集部へ。
東京も宮崎同様に雨模様で、編集部近くのコンビニで傘を購入。微妙な雨だけに、傘に金を出すことにはなぜか異様な抵抗を感じる。
届けられた入稿原稿の下絵を見て呻る。
幕末世界を描いた物語『SIDOOH』は抜き差しならない展開に突入しており、勝海舟と、この物語の主人公の一人:雪村翔太郎とのやりとりに旋律を覚えたおいら。
物語の放つ緊張感はいつでもMAXだ。
原稿取りは雨模様もあってか少し早めに向かった。
途中、居酒屋KでAと、ものの30秒再会。Rちゃん&ママへもお気遣い戴いたお土産に心より感激。
原稿を引き上げ、入稿中、ふいに玖珠出身のYからメールが。なんと新宿都庁真下で飲んでいるとのこと。妙に玖珠づいた1日だ。
投稿者 yonezawa : 17:50 | トラックバック(0)
2010年 04月 26日
手術〜良好
午前中病院に到着したら母はすでに手術室へ移動しており、身内は別室の狭いモニタールームへと通された。
テレビには大きく見開かれた瞳のアップの映像が映し出されており、手術の一部始終が観覧出来るシステムになっている。
かなりエグい映像ではあったこともあり、近眼のメガネを外して焦点の合わない状態で見た。
映像をこうして包み隠さず公開する姿勢に病院の信頼を感じ取ることもできた。
所要時間はおよそ30分。術後の母のコンディションも良好。
出血もあるし、針と糸で切開した瞳の白い部分を縫う箇所もありながら、全く痛みもないそうで安堵の息をつく。しかし自らの場合を想像すればかなり怖い。
それにしても、母の後にも十何人かの患者がオートメーションのように次々手術されてゆく。一般患者の方は待合室を満席にしている。大繁盛の新城眼科。
今日も時間の許す限り、姉、母とバカ話の続き。至福の時間と言えた。
嫁に嫁いで真摯に半世紀走り続けた母に、天がくれた休息の時間であろうと受け取り、この貴重な時間を贅沢にまったりと過ごした。
病室で姉が持参してくれたおかずと焼きおにぎりを頬張りながら、昼食と軽い夕飯を頂く。
夕方、姉を見送りそして20時の面会時間一杯まで母と2人で過ごした後、ホテルへ。
外は急に雨模様。ホテルのサウナで汗を流し24時頃まで仮眠。小腹の空いた頃、軽い夜食を探しに街を徘徊。今更ながら宮崎の料理は美味い。おいらは宮崎県のことは何も知らないようなものだった。
あの長島さんも大好きだと聞く釜揚げうどんが名物であることも、こちらで知り合ったMに初めて聞かされた。
投稿者 yonezawa : 17:38 | トラックバック(0)
2010年 04月 24日
宮崎行
Rちゃんに散々、外出妨害工作を受けながら、同時に後ろ髪を引かれながら、夕方16時過ぎのリムジンバスで羽田空港へ。
予定通り宮崎行きのANA便でフライト。
宮崎空港着。こちらの空港に降り立った記憶はないので、冷静にこの地にやってきたのは、物心ついてからほぼ初めてだったのかもしれない。
路線バスで、およそ30分程かけ市内へ。
東横イン隣のファミマで待機する幼なじみ:S.S子にピックアップしてもらった。
宿泊予定のホテルには事前に連絡を入れ、チェックインせずまま一路小林へ。S.S子が買っといてくれたコンビニおにぎりとお茶を車中頂き、1時間少々で市内へと到着。
S.S子実家に車を停め、徒歩でK.S&Y.Sっ子らと合流。居酒屋の暖簾をくぐった時、事前に予想していたタイムテーブルから10分のズレもなかった。
親睦会としてはベストメンバーの4名が集結。積もる話を速射砲のように語り尽くす。各々抱えた人生における歴史、ある時は恥部、ある時は歓び、ある時は怒りのエピソードをそれぞれが包み隠さず吐露。
幼なじみならではの距離感がとにかく居心地よく、瞬時に小学生…あるいは幼稚園時代の景色が蘇る。
思えば、本日集った面子との付き合いは42年以上の時間が経過した計算。なんたる時間。なんたる歴史。
全員が思い切り幼少時代の面影バリバリ。贅沢かつ嬉しき夜が更けた。
投稿者 yonezawa : 17:15 | トラックバック(0)
2009年 11月 9日
鶴岡食堂
夕べの深夜、おいらを含む総勢5名が、おいらの泊まるシングルの小さな部屋に押し寄せ、カップラーメンと酎ハイ、ビールを飲みながら過ごしたのだった。
おいらがベッドの端にくの字になって眠りかけたタイミングで、みなさん容器を片付けつつ、明け方帰途につかれたようだ。
無料だった8時30分までの朝食バイキングは断念。11時近くまで起きられず。
シャワーを浴び、先ちゃんと近くの喫茶店でお茶。12時過ぎにはホテルまで秀ちゃんが迎えに来てくださった。
秀ちゃんは3日続けておいらたちのサポートを買って出てくださり、とにかく感謝の極み。
今日の昼には、『鶴岡食堂』のチャンポン。水俣入りした直後に食べることが決まっていた物件だ。
海っぺりに車を駐め、店構えを見ると、もうその時点でこの店が美味いのかそうでない店なのかの判断がついた。もはやこの勘にさして誤差はない。
チャンポンを3つ注文したのだが、水は勿論、お茶も自らきゅうすにお茶の葉を入れ、お湯を入れて戴くシステム。
一口二口。地元のみんなが口をそろえて「鶴岡食堂のチャンポンを食べた?」と聞いてこられた意味を重々理解。申し分のない美味物件との遭遇だった。
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食後、直ぐ近くの秀ちゃん宅まで送っていただき、16時頃に戻ってくるという約束でユーノスコスモをお貸し戴いた。
こんなスポーツカーに乗ったのは、博多時代の頃の117クーペ以来だったか。
ちなみに秀ちゃんのガレージには、ユーノスコスモ、社用の車以外にも数台が保管されており、おいらは黄色いポルシェの影を見逃さなかった!
いずれにせよ、オープンカー仕様の車種は初体験だ。しかも助手席には世界の江口寿史兄!
すこぶる天候の良き水俣の町並から海沿いまでオープンカーで激走することとなった。
なんて有り難いナイスな旅なのだ。
市役所で最後のサイン描き業務を経由し、「水俣市の本店のここまで来なければ買えない」という名和菓子店『美貴もなか』本社を訪問。
『美貴もなか』の商品は、デパートにも卸していないし、インターネットでも買えないそうだ。
その姿勢こそ、有象無象の情報社会と化した現代における真摯な新ビジネスなのでは? と逆に感じた。
1個1個手作り故、1日で生産する量も限られるそうで、毎日完売するそうだ。
品質が落ちるといけないので、無理な大量生産は絶対にやらないのだそうだ。
甘い物は苦手なおいらだったが、職人上がりの社長の深い言葉は印象深かった。
オープンカーで秀ちゃん宅へ帰還し、またしても秀ちゃんには新水俣駅まで送って戴いた。なんと御礼を申し上げればよいのやら。
秀ちゃん、何から何まで本当にありがとうございました!
走り去る秀ちゃん号に会釈をし、我々は新幹線で八代駅駅へ。
バスに乗り継ぎ、熊本空港着。
夕食を戴き、先ちゃんと便の違うおいらは土産売り場へ。先ちゃんは「じゃあ東京で!」っと、一足先にフライトしていった。
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2009年 11月 7日
1日目
早朝、起床をRちゃんに悟られないように部屋に閉じこもり、黙々とインタビュー原稿のリライト作業。
午前9時、Rちゃん入室。気づかれた。
ので、しばらく作業を中断し、新しいおもちゃでお遊び。ここのところ、何かの付録なのか毎度新しいおもちゃを手にしているRちゃん。
どこかのタイミングでパソコン部屋に戻って作業を再開するが、ものの数分で「こっちきて!」とお呼びがかかり、まぁ集中出来るわきゃない。
しかしながら、焦りに反して心はとても嬉しい。
焦りのココロは、今夜18:20発の飛行機:SNA021便をおさえてしまっていたからだ。
Rちゃんとお遊びしながらの合間をぬい、午後2時までに8割程度の原稿構築を終え、熊本へ飛ぶ算段がようやくついた。
午後3時前には2本の原稿をなんとか脱稿させ、関係者各位へ送信。事故がなければこちらで納品は無事完了だ。
年末年始のおふくろの航空券を確保した午後4時、羽田へ向かう。
外出する際のRちゃんの「ばいばい」が淡泊で悲しい。外に出たとたんドアの鍵がガチャリとかけられた。
もう鍵位置に手が届くんだね…。
明日開催される、江口寿史兄の故郷、熊本は水俣でのトーク・イベントとサイン会を見届けるべく、思い切って初めて熊本へ飛んだのだった。
空港からバスで新八代駅へ。
料金は1200円。新八代駅から新幹線で新水俣駅へ。新幹線代金は特急券と自由席で2500円。なかなかよい(高額な)値段だ。
新水俣駅からタクシーで1000円少々の場所にあった「スーパーホテルCity水俣」へ到着。チェックイン後、先ちゃんへ連絡したらば「○○さん(某個人宅)と言う家まで来て」というのだ
「タクシーにその方の名を言えば判る」のだと言う。そんな驚くべき情報を頼りにタクシーに乗った。乗ったタクシーは当たり前のようにその方の名を存じ上げていた。
到着した場所は確かに民家。時間はすでに22時を回っていた。
タクシーが止まった端から家屋の奥様がお出迎えしてくださり、促されるままおじゃまさせて戴いた。
家の中に立派なカウンターをこしらえ、普通の居酒屋としても営業出来そうな雰囲気の空間がそこにはあった。
カウンターには先ちゃんの同級生やら、知人の知人というメンツでにぎわっている。
家の主は山中さんとおっしゃり、完全に飲食店のマスター風情。
いきなり鯖の極上刺身を戴き、何のためらいもなく焼酎を戴いた。
数分後、カウンターの彼は「私は秀ちゃんでいいので、よねちゃんと呼ばしてもらうね!」と言った。
肩肘の張らない雰囲気と、温かい人々に、彼らのおおらかな言葉に包まれてしまったおいらは、あっと言う間に彼らの空気に馴染んでゆくのだった。まるで長年の仲間のごとく。
その際、先ちゃんはというと、カウンター後ろの座敷部分で軽く仮眠中。
先ちゃんはゆうべ5時まで飲んだ後、6時20分のバスに飛び乗って来たという豪快なコンディション故、無理もなかろう。
壁にかかったアコースティック・ギターを弾かせて戴き、ロック談義に花が咲き、深夜3時を回るなかなか深い時間まで飲んでおひらきに。秀ちゃんご馳走様でした。
ホテルへ戻り、タイマーを7時50分に合わせた。
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2009年 11月 3日
帰還
10時30分起床後シャワーを浴び、11時40分頃ホテル玄関前に到着したbambi号に乗車。
実時間にしてわずか1日も長野に滞在しなかった計算になるが、内容の濃きひとときであった。
ナビに目的地を記し、道中、おいらがたどり着けなかった「ホテル椿野」の話やら、Hさん差し入れの激美味野沢菜の話などしているうちに、関越ではなく中央道に紛れ込んでしまった。
「まぁそのままゆくべ」と、昼下がりの梓川インターチェンジで軽く買い物と昼食を済ませ、東京方面へ向けて爆走。
美しい富士山も拝観出来た。
ドラムス:Mさん、結構ビンビン快調にかっ飛ばす。
大変スムーズな時間繰りで帰宅。間もなくバンマス:大先生号も到着。ギターを引き取り解散。
皆々さま、色々とありがとうございました&お疲れさまでした。
部屋に入ればRちゃんお昼寝の最中。こっそり並んで添い寝してみた。
投稿者 yonezawa : 15:56 | トラックバック(0)
2009年 11月 2日
入園願書〜面接〜bambi in 長野
早朝起床。最寄りの幼稚園に必要書類を届け、正確な面接の時間をその時点で知り、一旦帰宅して備える。
私立の仰々しい幼稚園ともなれば、整理券をもらうべく寝袋持参で徹夜で並ぶケースもあるのだと言う。まったく理解しがたいこの異常なシステムを当事者の世代を持つ親となって初めて知る。
長野ライヴのリハ時間にはなんとしても間に合わねばならないので、午後「なる早」の新幹線に飛び乗った。ネットで調べた出発便のうち2本が残念ながら運行しておらず、東京駅で40分も待つ羽目に。
14時4分発の長野新幹線「あさま」に人生初乗車。
中から映る戸外の景色はあっという間に長閑なものとなり、熊谷を通過する時思わず界隈の輩につっこみメール。
霧に包まれた軽井沢を通過した。
やがてJR長野駅着。外はあいにくの雨模様。風が強くて前情報通りメチャ寒。
駅に隣接するホテル「メトロポリタン」へチェックインし、徒歩でライヴハウス「NDIA LIVE THE SKY」入り。
サウンド・チェックの最中、長野朝日放送「ザ・駅前テレビ」の取材陣も到着した。このイベントは地元のメディアで紹介される模様。
34年の時空を超えて復活を果たす伝説のバンド『俄』のリハに聴き入る。
オリジナル・メンバーの演奏ーーという真実が余計迫力を感じさせた。本番の熱が楽しみ。
最後のbambi逆リハを経て開場。
どうも会場には入りきれないほどの客が押し寄せている模様。流石、地元『俄』再結成の底力を感じ受けた。
そしてbambi本番。ステージは狭いが、いつものテンション良好。『俄』のオリジナル「人形館」は、勝手ながらもはやbambiオリジナルの感触。
我々以外のゲスト:宮川真衣さん、俄組の演奏時間もそつなく流れた。
そして真打ち『俄』登場。
ここのところ、何度もLP音源を聴いたあの演奏が、よりパワフルなテンションで再現されてゆく。楽屋下にも聴き漏れる演奏を聴くに連れ、自分なりの感慨にふけいる。
何故NSPは、オフコースは、時代の潮流に乗っかり成功したのだろうか。小学生の頃、同級生の女のコで生徒会長だったSの家でNSPのカセット・テープを貰ったなぁ。
『俄』リードヴォーカリスト:宮川さんの声は天野滋の声よりも芯に響く印象だ。
最後、『俄』に混じってのセッション。「鬼が走る」のいなたさをおいらはタッチワウでちゃんと再現出来たのだろうか。今宵ステージの最終最後を締めくくる「ハイウェイバス」でライヴは叙情的に幕を閉じる。
こうしてbambi in 長野の初遠征が無事に終わった。
小雨の中、一斉に撤収。
一路打ち上げ会場へ。差し入れの野沢菜を肴に赤ワインで乾杯。
演奏もさることながら、出演者及び関係者のみなさん、人柄も素敵な方ばかり。音楽が紡いだ心のつながりを感じ受ける。
差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。
差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。
差し入れの美味しい野沢菜を肴に赤ワイン。
この作業を繰り返すうちに軽く酔いがまわり始め、打ち上げ会場を後にbambiの面々で〆のラーメン。勿論この地の夜中に食した。
投稿者 yonezawa : 01:41 | トラックバック(0)
2009年 10月 18日
寶龍(ほうりゅう)総本店
午前11時、ホテルを後にし、携帯で調べたラーメン屋へ徒歩で移動。
ラーメンの寶龍(ほうりゅう)総本店着。
ちなみに、某地元民に推薦されたらーめん「鴇の家」は電話に出なかったので休みだったのか。サイトを改めて確認すると営業しているハズなのだが。
「寶龍」のスタンダードな味噌ラーメンが気負いのない好みの味。
しかしこの時期の札幌なのに東京程度の気候で助かった。早めに歩くとほんのり汗をかいたほどだ。
空港まで地下鉄とJRで移動。2時間以上も時間があったので、買う予定でもなかったRちゃんへのぬいぐるみを含むお土産の菓子を大量購入。
搭乗して新聞を読んで、アップルジュースを飲んだらあっいう間に羽田着。
モノレールとJRを乗り継ぎ、宣言通り夕方6時前には自宅へ辿り着いた。
「あれ!? パパ、帰ってきたよ!」玄関を開けた瞬間、Rちゃんの声がリビングの奥から聞こえてきた。嬉しい。
投稿者 yonezawa : 21:28 | トラックバック(0)
2009年 10月 17日
札幌
午前中に稼働し、Rちゃんともろくに遊ぶこともなく昼過ぎの便で札幌へ。
空港よりJRで札幌駅へ。
こちらでも東京で使うスイカが使えた。ちなみに大阪では使えない。
地下鉄ですすきの駅へ。東急インホテルへチェックイン。
午後7時、作家:M氏、編集Tさんとロビーで合流し、予約してあったすぐ近くの寿司屋「たる善」へ。
漫画、音楽、ドラマ、俳優、女優、映画、食…思いつくまま語りあう一時。M氏の中のブームをいくつかご教示戴く。
それにしてもこちらの肴の美味いこと。銀座の高級店に匹敵する極上の食材が、話のテーマをそちらに導かせてくれる。山わさびだけでもつまみになる。
話も盛り上がるが食も盛り上がり過ぎ、おいらの年代としては「そんなに食べてはイカンだろう」と言えるほど食い過ぎた。自分アホ。
河岸を変え、赤ワインを注文したのだが、喉のギリギリまで先ほどの新鮮な諸々が遣えており、酔う前にして食も飲もギブアップ。自分アホ。
Mさんをタクシーまで見送り、そのまま部屋に倒れ爆睡。やがて朝を迎えてしまった。
投稿者 yonezawa : 21:29 | トラックバック(0)
2009年 05月 22日
札幌2
タイマーで目覚めたら外は雨模様。がっくし。
正午過ぎに朝昼あわせた食事へ。
場外市場で地元の特産品を眺めながら雨模様をほんのり呪う。
飛行機までのわずかな時間を利用し、イサム・ノグチの設計したと言う『モエレ沼公園』へ。
http://www.sapporo-park.or.jp/moere/index.php
※関連サイトより──
「Isamu Noguchi (1904 ロサンゼルス-1988 ニューヨーク) とは…英文学者で詩人の野口米次郎を父に、アメリカ人の作家レオニー・ギルモアを母に持つイサム・ノグチは、少年期を日本で過ごし、その後渡米して彫刻家を志す。20代からアジア・ヨーロッパを旅し、文化遺産、絵画、彫刻、建築等を広く見聞し、パリでは彫刻家ブランクーシの助手も経験する。
ニューヨークに居を定めてからは、肖像彫刻、舞台美術、環境彫刻、商業デザインといった、幅広い活動を展開し、遊具、公園等の設計も開始する。戦後は日本でも活動が紹介され、日本の芸術家や文化と触れあい、陶芸彫刻や和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。日米両国で世界的な彫刻家として知られ、最晩年までモニュメントの制作、ランドスケープデザインを精力的に行い、1988年、モエレ沼公園のマスタープランを策定し、その年の12月、ニューヨークにて永眠する」
天候がよければさぞ美しい眺めだったろう。
展望台で周りを一望。
階下に降りる。モエレ沼公園と公園全体の基本設計を策定したイサム・ノグチギャラリーへ。改めて、イサム・ノグチの表情と瞳が魅力的に感じられた。
25年前、旧友:岩切天平の自宅にあった和紙の灯りがイサム・ノグチのデザインした品だったことに気づいたのは、それから数年経ってからのことだったか。そんなことを不意に思い出す。
標高62mのモエレ山に登るだけで、とたんに息が上がる。
この山はゴミの山(産廃?)を利用して作られたシェイプだと、タクシー運転手に伺った。
天候上、外の探索はここだけで断念。
天候の良き日であれば、間違いなく札幌市内全体を見渡せそうな展望台になりうる山だ。
敷地全体はセントラルパークのおよそ半分。この話を依頼されたノグチはとても喜ばれたそうだ。彼の手がけた作品の中で最も規模の大きい物件だったから。
JR札幌駅へ戻り、40分かけて新千歳空港へ。
予定の飛行機は、到着の搭乗機が遅延したせいで結局30分の遅れ。
空港内のベンチで弁当を戴き、搭乗。
帰京し、直で編集部へ。
投稿者 yonezawa : 21:25 | トラックバック(0)
2009年 05月 21日
札幌1
早朝8時起床。9時前にはシャワーを浴びて、お茶漬けをすする。
午前10時15分発のリムジンバスで羽田へ。
お茶漬けをすすった割には空港内でうどんと天むすを食す。
ここ(ゲートを潜った後の小さな店舗)のうどんは腰があってかなり美味い。これマジ。かけうどん500円は高いけど。(天むすも200円以上の値段!)
次回、覚えておかねば。
昼下がり、新千歳空港到着。
片道1040円。所要時間およそ40分。JRで札幌駅へ向かう。
札幌、暑い。
今日に限って言えば東京の気温となんら変わらない。湿気が感じられないぐらいで、Tシャツ1枚で充分な気候が意外だった。今日は特別暑い日だとはタクシー運転手さんの弁。
時間のずれた昼食を済ませた後、ホテルへチェック・イン。
部屋で打ち合わせの準備を施すうちに約束の時間は直ぐにやってきた。
ロビーで漫画家:Mさんと合流。7か月ぶりの再会を果たす。ホテル1Fのカフェで先方の近況を伺った。
Mさんは昨年末に(本人曰く、軽い)カテーテルで手術をされており、当初予定していた双方のビジョンから、仕事の時期がやや時期がずれ込んでしまったのだが、まずはMさんの体調が心配だった。
ところがMさんはすこぶる体調良好のご様子で安堵の息をつく。
ひとしきり話を終えた区切りで食事へ。
行き当たりばったりの会話のはずなのに、Mさんのあらゆるカルチャーを睨んだ造詣深さには、正直おいら、ついていけてない。身に覚えのある一般的知識の乏しさをヒシヒシ感じつつ、流れに任せご教授いただく。
和食は美味。
今後の作品作りに繋がると信じるテーマをおいらなりに織り交ぜながら、河岸を変えたバーで、各々ターキー乾杯。
〆には新(ARATA)の味噌ラーメン。ナイス物件。今夜はぐっすり眠れそう。
投稿者 yonezawa : 21:26 | トラックバック(0)
2009年 04月 3日
11日ぶり
鉄人で飲みダチで大道塾師範代の飯村健一が、以前ムエタイの試合でタイに飛び、10日前後(だったか?)して帰国し、再会した時の3歳の娘が自分のことを忘れてしまっており、「ものすごく悲しい気持になりますよ…オチ込みますよ…」と語っていたことを思い出していた。
知らないおじさんを見るような目線に晒され、ママの影に隠れてしまったそうだ。
SFJ080便は14:25、羽田空港に到着。実に11日ぶりにRちゃんとの再会の日を迎えた。
出口の真ん前にたたずむおいら。
到着便を確認し、ガラス越しに降り立った乗客の行き来を見つめる最中、機内の荷物が順次排出され、コンベアが回転し始めた。
その時、Rちゃんとママを発見。
荷物を引き上げるより先に、ママはおいらの存在をRちゃんに知らせた。
やにわに、おったんを視界に捉えたRちゃん。
地面に下ろされた瞬間、一人一目散に到着出口を目指して走ってきた。
人生の中で、こんな嬉しい光景がかつてあったろうか。
出口付近にいらした空港関係者の温かい視線を感じながら、体当たりしてくるRちゃんを受け止め、11日ぶりのハグハグ。生きててよかった。
「飯村と同じ目にあわなくてヨカッタぜ…」と、内心ホッとしながら帰途に。
都内で数本の打ち合わせを終え、W社洋楽トップ:Hちゃんと先日取材した案件の打ち合わせに数時間。
「Hちゃん。おいらはあなたの、(シンガー)エイメリー初来日時の完璧なアテンドに感激したのだよ」という御礼の告白より、今宵親睦会の口火は切られた。
業務及び家庭のあるお忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、かつとても真摯な空間を共有してくださったHちゃん、今日もありがとう!
投稿者 yonezawa : 00:48 | トラックバック(0)
2009年 03月 24日
WBC決勝
花粉症の症状は、関西滞在の後半戦が特に最悪の状態で、早朝に何度か喉がカラカラで目覚めた。
鼻で息が出来ないせいで喉のコンディション劣悪。
2度寝、3度寝を繰り返しながら、宿泊ホテルのチェックアウトを済ませ、新大阪駅よりのぞみで帰京。
移動中もほとんど爆睡。車内が混み合わなくラッキーだった。
東京駅より直接編集部へ。
映りの安定しないワンセグで騙し騙しは観戦していたが、会社へ到着した瞬間、WBC決勝の日本×韓国戦は8回の攻防。
デスク回りを整理する間、9回には延長戦へと持ち込まれ、しかし最終的には延長戦のイニングを抑えきったダルビッシュの投球を見届け、見事2連覇を達成した日本チームの勇姿を確認。
投稿者 yonezawa : 19:17 | トラックバック(0)
2009年 03月 23日
飛田
ここ関西訪問中、それぞれ朝食の美味さと言ったら格別だった。
N家では2食の朝食はお代わりしたぐらい。
海陸宅での美味しい朝食を戴き、Rちゃん&ママを新大阪へ送迎。
彼女らはそのまま北九州へ帰省。寂しい。
「Rちゃんの写真は毎日送るように」と保護者へ伝言し、ホームで数枚の写メールを撮り、しばしのバイバイ。
海陸先生と難波へ。
ホテルへ荷物を預け、まずは難波中「かどや」の豚足で乾杯。とろとろ煮込まれた味わい深い物件は、博多のそれともまたひと味違った。
場所を動物園前へ移し、ホルモン屋を経由。おもむろに海陸先生は散髪へ。
久々のスマートボールとパチンコに興じる。
次に飛び込んだ店の向かいの、とある店舗では地元出身の演歌歌手のようなおばさんが歌っていた。
道頓堀に出た後、昨年1月10日にも訪れた本日の最終地『菊池庵』へ到着。菊池ちゃん(店主)の店には大阪訪問の度、必ず訪れている。
http://gourmet.yahoo.co.jp/0007590161/
旬の食材を豊富に使ったメニューが、そこそこ食べてきたハズのおいらたちのお腹具合をまだ刺激する。
ホクホクの竹の子にしろ超特大アスパラにしろ、実に充実した美味しい品々だったが、この店で欠かさず食べるメニューの一品、〆の天むすだけは今日も外せない。
仕事の話、生き方の話、歓びの話、疎遠になったあいつの話、怒り散らした話、怒り散らし中の話…様々なエピソードを無規則に語り合う大事な時間。
幾つかの決意を新たにさせられた、貴重で内容の濃き関西訪問の時間が終わろうとしていた。
投稿者 yonezawa : 18:45 | トラックバック(0)
2009年 03月 22日
キッズプラザ大阪
午前中、従姉妹のSちゃん来宅。久々の再会を果たす。
朝食後、最寄りの駅まで叔母さん&従姉妹のSちゃんに送迎していただき、近鉄奈良線快速急行で鶴橋駅まで行き、JR環状線に乗り継ぎ天満駅下車。
徒歩1分。「日本で初めて誕生した本格的な子どものための博物館」と言うふれこみの「キッズプラザ大阪」へ到着。
この建物の中に何時間いただろう。
激しい花粉症の症状を引き摺り、モーローとしたコンディションの中、Rちゃんが元気にはしゃぐ姿を眺めていた。
ほんの3年弱昔まで、何の興味も示さなかった幼児と言う存在が、我が子となれば大きく興味が湧くから不思議なものだ。
気がついたら外は雨模様。全く知らなかった。
翻訳家でライターで塾講師の海陸先生が、早めに仕事を切り上げられた連絡を受け、さらにはこちらまで車で迎えにきてくれるというラッキーな展開となり、天満駅ロッカーに預けていた荷物を雨模様の中、取りに向かう。
先生到着。目指すは海陸先生宅の新築高級マンションへ。
今回、旅の目的は親戚の諸氏との再会を果たすこととRちゃんとの初邂逅もあり、もう一つの最大の目的は海陸先生の愛娘:AちゃんとRちゃんの初邂逅にもあった。
Aちゃん母:A’による、超高級激美味松坂牛をメインに焼き肉万歳。
食べ物が美味いと、もの凄く食べ過ぎてしまう己の思考は昔から変わらない。A’の、配慮ある食事にもてなしに大きく感謝。
まだまだ寝てしまいたくないRちゃん、そろそろ寝かしつけられる雰囲気を察知し、凄まじい声でガン泣き。ロバート・プラントも真っ青。
我々は彼女と同じタイミングでの就寝を余儀なくされた。
投稿者 yonezawa : 18:21 | トラックバック(0)
2009年 03月 21日
東大寺
午前中、朝食後、N家S叔父さんの墓参りへ。
その足で奈良公園を目指す。天候抜群。
奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院:東大寺を訪れたのは、記憶が全うなら高校時代以来かもしれない。
これまでの人生において、動物に一切の物怖じをしないRちゃんは当然のように鹿の群れに突進を試みている。その姿の頼もしいこと。
上手に鹿煎餅を食べさせられたRちゃん、立派。
従兄弟:太による現地の説明を受けながら、一観光客と化し敷地内を闊歩。
昼食には、たまたまだがひつまぶしの白焼きを戴き、それほど離れていない奈良市脇戸町にあるフォークシンガー:河島英五の喫茶店「TEN・TEN・CAFE」を訪問し、お茶。
腹ごしらえを終え、一汗かこうかと生駒市内の温泉に向かう途中、Rちゃん爆睡の体制に。
やむなく先発隊とおいらとに別れ、座敷にあった座布団を敷き詰め、バスタオルを敷いてかぶせてRちゃん爆睡の環境を快適に整える。
先発隊が上がってきても、まだまだRちゃん目覚めず。
後発で入浴したおいらが急いで上がってきた頃ようやく目覚めたRちゃん。かくしてRちゃんを引き連れ、2度の入浴にRちゃん母が向かう。
近場のスーパーですき焼き用の高級肉他を買い出し、夕飯は賑やかな夕餉となった。
旅の疲れもあったのか、日常よりも相当早い時間に就寝。
太&S叔母さんに多大なる感謝。
投稿者 yonezawa : 17:58 | トラックバック(0)
2009年 03月 20日
go to 奈良
ガッカリの雨模様の中、午前の新幹線のぞみで新大阪へ。
GW前ならこの時期がベストだろうと関西訪問を決行した。
新大阪より御堂筋線に乗り天王寺駅へ。改札を出て大阪阿部野橋駅から近鉄南大阪線準急・橿原神宮前行に乗り、磐城駅下車。
そこからおよそ徒歩5分。
大昔に一度だけ訪れた叔父さん宅だったが、地図を頼りに最短距離で到着。再会を果たす。
もはや我が親父は存在しないが、それこそ親父の話なり、近況を語り合い、久方ぶりの貴重な時間を共有させて戴いた。
2時間弱しておいとまし、磐城駅より近鉄南大阪線へ。橿原神宮前駅を経由し、近鉄橿原線急行・京都行で大和西大寺駅到着。
こちらも徒歩10分程度で、従兄弟の太宅を目指す。
親戚の中で、最も頼もしい太による激美味たこ焼きをつまみにビールで乾杯。
看板業と平行しながら、たこ焼きも食べられる居酒屋スペースに改築された店舗で、太とも久々の再会を果たした。
隣り合わせた地元のアットホームなお客さんとも自然と会話を交わす展開となり、温かい親睦会となったこの席が心地よい。
太の人柄が偲ばれる一コマ。
店を閉めた後、生駒市へ移動し、叔母さんと久々の再会。時間の許す限り、リビングで乾杯。
投稿者 yonezawa : 13:23 | トラックバック(0)
2008年 11月 30日
太宰府天満宮
Fさんと午前8時過ぎまで語り尽くし、話は終わらないまま彼は仮眠&仕事へと発った。
9時30分にはチェック・アウトの準備。ほぼ貫徹状態の10時チェック・アウト。
朦朧とし、激しい睡魔を抱えたまま精算を済ませ外へ。あまりに劣悪なコンディションだったので、資料確認も兼ね漫画喫茶で小一時間休息。
噂に聞いていた天神『稚加榮』で初めて昼食をとり、その足で太宰府天満宮へ向かう。
太宰府駅から続く表参道をくぐり抜け、一部美しい紅葉に包まれた天満宮の敷地へ。
この辺りに、福岡在住時代共に暮らした先輩ギタリスト氏の店があるはずなのだが、下調べもせずにやってきたせいで捜索は断念。
学問の神様:菅原道真を御祭神として祀る、ここ天満宮を訪れたのは確か25年ぶりぐらいだと記憶する。
敷地内には、さだまさしも歌っている「飛梅」が。
ものの20分程度の参拝だったが、結婚式の真っ直中の方々や、七五三の家族など、微笑ましい観光客で賑わっている光景が印象に残った。
西鉄と地下鉄を乗り継ぎ、福岡空港へ。
「もう喰えん」と思っていたが、最後にうどん喰っとくべと軽くすする。
滞空時間1時間30分。午後4時30分の便は、行きの時間よりも早く東京へ到着。明日から怒濤の取材&入稿攻勢が始まる。
投稿者 yonezawa : 00:21 | トラックバック(0)
2008年 11月 10日
帰省5/帰京
大量の段ボールに土産、頂き物の新米等を詰め込み、宅配便で7000円前後の出費。痛い。
母親とM姉に送られ、高速で30分、鹿児島空港へ。
空港内で今回の帰省最後の飯を摂る。
母親とRちゃんとの過ごす時間が、このまま永遠であればいいのになぁ〜と心でつぶやき、同時にどうにもならない環境を心で呪いながらゲートをくぐった。
母は偉大だ。彼女の見える配慮と見えない配慮に人生をかけた破格の感謝。
空路はあっと言う間。
着陸後、即編集部へ。山積み大量のメールと郵便物をさばき、今週の試練を再確認。
投稿者 yonezawa : 22:58 | トラックバック(0)
2008年 11月 9日
帰省4/法事/七回忌
午前11時に予想通り10分程度の遅刻をかまし、父親・七回忌の供養の寺へ。
お経の始まる前、おいらと同じ名字の方の、ある葬儀のエピソードをインターネットで見かけたと、住職の方に窺った。
「同じ名字は日本中、数あろうから、そんなサイトもあるんだなぁ」と思いきや、アドレスを窺えばズバリおいらのホームページであることを知り、驚かされた。
流石インターネット。
生前、親父と交流のあられたと窺った住職によるお経、そして説法に小一時間。
珍しい面子が集ったこの光景を、あちらの世界から親父は瞳を細めて眺めていたのだろうか。
あの哀しい日から、早くも丸6年が経過したのだなぁ。
親父がRちゃんの誕生をどれほど喜んだのか、安易に想像出来る分、悔やまれる心情ながら、歴史とは至ってこうしたものなのだろうと考える。
住職による一休さんのエピソードに頷きながら、寺を後に。温かい供養を戴き親族一同、感謝。
夕食にはキムチ炒飯。ほんのわずかな時間は、想像通りあっという間に過ぎ去った。今回の目的を果たし終えた明日は、早くも帰京也。
投稿者 yonezawa : 22:58 | トラックバック(0)
2008年 11月 8日
帰省3/小林市
午前7時45分、Rちゃんの目覚めによってベストの時間に起床。
洗面所下の水漏れを発見し、ホテルの修繕スタッフが応急処置。
午前8時過ぎにバイキングの朝食をいただく。
大満腹。
お土産屋を経由し、小林市側の山道を下り、デパートで無意味なウィンド・ショッピング。
買う物、何も思い当たらず。
小学生自分、一家揃って馴染みだった「来々軒」で久々のラーメン。
大盛りちゃんぽんをRちゃんと分け合うため、注文したのだがその大量さ加減に驚いて、やや後悔。
もう何十年も東京の濃い味のラーメンに慣れてしまっているため、好物だったここのスープも薄く感じてしまい、もはやパンチを感じない舌になってしまっている。
食事を終え帰宅。今日一日中は満腹だ〜と思いきや、夕食の時間が近づけばまた悲しいかな人は腹が減ってくるのだった。
夕方、スーパーまで母親らと買い物がてら散歩。天候は雨が降りそうなギリギリの案配。
夕飯はM作成の美味しいおでん。ビールが美味い。
投稿者 yonezawa : 22:57 | トラックバック(0)
2008年 11月 7日
帰省2/えびの高原温泉ホテル
帰省しても尚、東京から引きずった眠気は変わらず。
午前9時頃、一旦目覚めたものの正午まで2度寝。
何故か異様に実家滞在中、眠いのは何故か? 夕べも朝まで飲んでいたから当たり前なのだった。
劣悪なコンディションであろうとも、ペースと言うモノが決まっている東京での生活の方が体調的には良好なのか。
午後3時頃から車でえびの高原温泉ホテルへ向かった。
かつて子供の頃、親父、あるいは母親の運転する車でこの地を数え切れないほど訪れた。この地は想い出深き場所でもあり、親父が最期に食べた食事もこの地でのレストランだったそうだ。
幼少の頃、沸き上がる硫黄の匂いで鼻をつまむ場合も多かった記憶があるが、今ではよほど限られた場所しか、そうした活力のある地獄温泉の蒸気は目にしない。
綺麗に舗装された道沿いの頂上付近にある、昨年訪れた時から随分清潔に改築された土産屋の近くにホテルはあった。
この機会に、東京への土産をどかっと購入。荷物を抱え、インターネットで予約した通り、ホテルへチェック・イン。そして早速温泉へ。
隣の女湯でRちゃんの声が聞こえてきた。
男湯がノーゲストになったタイミングを見計らい、何度かRちゃんに呼びかけるが声は届かず。そうした己のアホな行為に自分で笑いが出た。
温泉の後、オプションで頼んでおいた酸素カプセルに初めて入ってみた。こちらにはおふくろも道連れ。
初物好きで、いくつになっても好奇心旺盛な母親。彼女は大概物怖じせずに初チャレンジの物件に、おそるおそるであってもトライする。ワープロしかり、パソコンしかり。
手前味噌ながら世界一の母親は今日も、そのマインドが実にチャーミングだ。
酸素カプセル体験で、少し予約の時間を押した19時30分頃より晩飯。
こうした席に親父がいたらなぁ〜と考える思考はいつも同じだ。
酒を飲まない面子故、23時には就寝となった。
投稿者 yonezawa : 22:57 | トラックバック(0)
2008年 11月 6日
帰省1
午前10時過ぎ、飯を喰いそびれたまま川内駅へ。昨日焼酎を酌み交わしたK村、新品のビデオカメラを持参。その場で商品を受け取り、ギリギリのタイミングでシャトルバスへ。
わずかの時間だったが、高校時代キーボードを担ってくれてたYちゃんとも瞬間的に再会出来てラッキー。
シャトルバスは空港へ向かった。バス内では弁当。
およそ1時間後、空港到着。
現地まで迎えに来てくれた母&M姉らの車で1年ぶりの帰宅を果たす。
人生における最も温かい癒しと、懐かしい笑いの空間を見いだせる最たる場所。父親の七回忌で親父以外の家族が全員集合した。
夕食には唐揚げ&天ぷら等。これらのシンプルな飯が妙に美味いのも恒例だ。
Rちゃんが深い夢の中となった頃、午前3時過ぎまで食卓を囲んでの親族飲み勃発。
投稿者 yonezawa : 22:24 | トラックバック(0)
2008年 11月 5日
HDR-SR12 Handycam
ソニー:HDR-SR12 Handycam(ハンディカム) [デジタルHDビデオカメラレコーダー]欲しい。
13時40分羽田発〜鹿児島空港へ。
14時35分発のシャトルバスで川内へ。
川内ホテル着後、未だにそのタレの美味さは絶品と認識する焼き肉「昌苑」で飯。
飲まない分、白飯2膳も喰ってしまうおいら。
ホテルへ帰還後、蓮ちゃんを連れ立ち初めて温泉へ。広い浴槽を怖々しいくも好奇心の眼差し。おったんに抱えられ、スイスイ泳いでいるつもりのRちゃん。キュート。
20時30分過ぎ、K、S、Mと1年ぶりの再会合流。ここのところ懐かしい面子も固定的。
Rの店「暫」でいっぱいやろうと暖簾をくぐるが、店主の提案で今暫く開店時間を延期させ、ライヴ・バー:ボーダーへ。
乾杯後、いきなりのセッション・タイム。
何の決めごとのないラフなインプロで、全員大汗をかいてしまう。
再びRの店「暫」へ場を移し、午前5時過ぎまで痛飲。Rの作る炒飯、激美味。マジで。
徒歩でホテル帰還。
投稿者 yonezawa : 22:24 | トラックバック(0)
2008年 10月 30日
札幌2
チェックアウト1時間前に起床。
午前11時ホテルを出た。
「二条市場」の、やんごとなき噂を聞き、不正のあった販売の実態を嘆き、今回目指したのは「札幌市中央卸売/札幌場外市場」
昔、札幌を訪れた時「二条市場」から両親宛に送った蟹が、果たして高額な金を支払った注文の品だったのか、もはや真相を調べる術もなし。
過去、「二条市場」は、タラバガニに比べて仕入れ価格の安いアブラガニを「本タラバ」として高く売る場合があったそうで、タクシー運転手が観光客をリベートがもらえる土産物店に無理やり案内していたそうだ。
仕入れ値の倍ほどの価格をつけて売りつける「折り返し」をやられても、こちら素人は判る術もない。しかも大概が贈答品なので、中身を確認することは基本的に無理だ。
タクシー運転手も、この不正行為をいたく嘆いており、観光客もめっきり減少したそうだ。観光バスはコースを外してしまったそうだ。当たり前だ。
「札幌市中央卸売/札幌場外市場」を信用し、散々悩みあげいた末に購入する品を見極め、クール宅配便で送ったのは「しまほっけ」「鰹漬けいくら」「毛蟹」等。
しかし、踏ん切りのいる価格ではある。
昼食には「鮨一」でランチ。
東京からの客も大層多いと窺う。飛行機を使ってゴルフをやってホテルに泊まって鮨を食べても、銀座の鮨屋から数軒の梯子酒をやった場合なら、前者の方が安上がりだという理由で、ここまで食べに来る人もおられるとか。
札幌駅では展望台に登った。今回、唯一観光らしいシーンはここだけ。
市内が広く展望できるこの景観は圧巻だった。「景気が悪い」と語ったタクシー運転手の言葉とは裏腹に、札幌の景気の風は賑やかに感じさせる。
JRで千歳空港へ。
港内の「白樺山荘」で今回札幌滞在の最後のラーメン。原五分目の状態でまた喰う。大満腹。花畑牧場の「生キャラメル」、そして先ちゃんブログによって知った、あの「じゃがポックル」初ゲット。
「生キャラメル」は空港内でも本気で購入困難な物件。“キャラメル”なんて、みんなそれまでそんなに喰ってたか?
投稿者 yonezawa : 17:24 | トラックバック(0)
2008年 09月 13日
帰国
成田には午後5時到着。
換金を終え、高速バスを待ち、最寄りの駅に到着し、自宅に着いたのは午後8時を回った頃。
NYのホテルを出てから、正味通算22時間(行き20時間)を経てようやく我が家へ到着…の計算となる。
現地での取材時間はきっかり30分。
かけがえのない歓びを得る代償として、アメリカ及びヨーロッパへ赴き、取材を敢行するという行動は、2日弱の時間をつぶすことに果てしなく近い。
投稿者 yonezawa : 02:38 | トラックバック(0)
2008年 09月 12日
22時間
午前6時と8時に起床。2度寝。
寝過ごしがちなおいらを見越した、MとTさんより交互にモーニング・コール拝受。感謝!
午前9時過ぎチェックアウト。タクシーでJFKへ。
道中は都心を離れれば空いており、移動はすこぶるスムーズ。
運転手は耳に小型のクリップ状の機器を搭載しており、まるでSF映画の小道具のような出で立ちで会話をしている。
その様が、まるで独り言を言っているようで、事情が判らないと恐い。
NYのドライバー限定なのか、携帯電話のひとつがアレなのを知る。
また、後部座席センター正面にはモニターが搭載され、自分の行きたい場所を表す地図も表示出来る。
さらに、支払いの際、カードを横にスライドさせ、あらかじめ決められた3種類のチップの中から選択出来ることになっており、合計額をカードで支払えるシステムにもなっていた。
レシートは運転手より拝受する。
東京でも見たことがないな、これと寸分同じ環境は。
空港でもスムーズなチェック・インを終え、東京では滅多に喰わないマックのハンバーガー&コークで腹を満たし、免税店で最後の買い物。
免税店で購入した品は、搭乗する直前の通路で受け取るシステムとなっている。
さて、ここから行きよりも2時間追加の、14時間2分(予定)のフライトが始まった。
帰途の機内で見た映画は『歩いても 歩いても』の、行きで見られなかったエンディングまでの20分、『近距離恋愛』、女性に超話題の『SEX AND THE CITY』、『ウォルター少年と、夏の休日』、『ブレード・ランナー』、それにショート・フィルム『Hajime』、『80°aist for birdland』、『The Heisenberg Principle』、さらに『アフター・スクール』の半分だけ観戦で着陸態勢に。
投稿者 yonezawa : 02:39 | トラックバック(0)
2008年 09月 9日
go to 成田〜ニューヨーク
▲写真は、昨日宮本笑里ちゃんが持参した
極上バイオリン。
価格は恐ろしくて伺えなかった。
タイマー音より1時間早めに目覚め、外の晴れぶりを確認しながら起床。
午前7時30分発の高速バスで成田国際空港へ。
成田手前のインターで、乗客全員のパスポートを税関員が事前検査するのだが、パスポートを、1人の客が預けた荷物に入れてしまっていたせいでしばしの足止めをくらう。
バスの乗客は満席。運転手曰く「マジかよぉ〜まったくぅ〜」荷物置き場の奧の奧から搭載した荷物をエンヤコラと引きずり出し、所持確認。後、ようやく空港到着。
ANAカウンターでS社:Mと合流。
チェックインと保険加入を終え、出国審査を終え、サンドウィッチとマンゴージュースを飲んで11時発NH0010便へ搭乗。
フライト予定時間は12時間45分。
近年、エコノミーでも機内での映画鑑賞はすべての席がセパレートで鑑賞出来るシステムになっており、その辺りは便利。
定時に一斉放映の時代のように、途中から映画を観ることがなくなった。
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』『スピード・レーサー』『半落ち』『ベガスの恋に勝つルール』『歩いても 歩いても』を矢継ぎ早に鑑賞。状況故、居眠りを挟みつつ。
苦痛以外のナニモノでもない半日以上もの時間をかけ、ようやくJFKに到着。
外は雨模様。
飲料水を、同行者の分も含む$16ちょい分購入(2本×3名=6本)し、タクシーで宿泊ホテル『The Roosevelt Hotel』へ向かった。13時15分到着。
http://www.theroosevelthotel.com/
荷ほどき後、1時間の仮眠を経た16時過ぎにロビーへ集合し、ホテルより10ブロック程度の距離にあるソニー・オフィスへ徒歩移動。
NYへは5年ぶりぐらいだろうか。
泊まるホテルもストリートもまちまちだし、終われば何も記憶しちゃいないので、通算3〜4回訪れているものの何の土地勘すりゃありゃしない。
ソニービルには身分証明書(パスポート)を持参。オフィスの19Fに上がり、SKと2月以来の再会を果たす。
丁度1年程度のNY勤務を経た彼女だが、もう完全にアメリカで働く女性の赴きを感じさせた。
AC/DCの新作『BLACK ICE』全曲をこのタイミングで初めて拝聴。
一足先に聴く機会を得たおいらが自信を持って書き記すが、新作の音はとてつもなくよい出来だ。
AC/DCの歴史の中でもベストの仕上がりだと言っていい、本気の内容を確信した。自信を持ってプレゼンしてきたソニー・ミュージックの意図も重々理解。
この世に現存するファズ・ギターの音色で、この音色を超えうる音はなかろう。
きっとSGとマーシャルの単純な組み合わせなのだろうが。ここら辺も明日、掘り下げて伺う予定だ。
ライター:Tさん、ソニー:M、Rちゃん、CC誌のKくんらと明日の打ち合わを兼ねた食事会へ。
各々それぞれの時差を抱えつつも楽しき夕食を終える。
赤ワインで、ほどよく気持ちよくなったおいらも、梯子酒することもなく大人しく部屋へ。
明日のことを考えれば賢明ではあった。
投稿者 yonezawa : 06:05 | トラックバック(0)
2008年 06月 9日
鳥取取材4〜帰京
飲み過ぎであることは昨夜中からの記憶がすべて飛んでいるせいで理解していた。
午前10時20分にシャワーを浴び、必死でロビー待ち合わせの11時に間に合わせ、昨日まで散々言ってた鳥取カレーを昼食に。
鳥取駅発のバスに乗車し、空港へ。福岡空港も市内から激近だが、鳥取のアクセスも近くてとても便利。
フライト時間まで最後の土産等を購入しつつ一路東京へ。Nさん、大変お世話になりました。
羽田着。即刻編集部へ帰還。
デスクの中に届けられた原稿に写植を貼り込み入稿作業で頭グルグル。
デスク周りの雑務整理、メールの整理、精算、コミックス原稿の入稿段取りとやること山積み。帰宅は深夜。激疲労困憊。
投稿者 yonezawa : 18:02 | トラックバック(0)
2008年 06月 8日
鳥取取材3
各々午前中を自由行動とし、おいらは駅構内のうどん屋で昼食を。
13時ロビー集合。
昭和の面影残る集落の地を訪問。
いくつかの家屋が隣接してあるが、まるでおいらの祖父が健在だった頃の住まいを彷彿とさせる場所だった。
薪をくべてお風呂を沸かした最後の世代がおいらたちなのかも。
沢山の写真を撮る最中、昔の黒電話の事、農村集団電話(略称:農集電話)の事が脳裏をよぎる。
![]()
鳥取市歴史博物館の隣にある「樗谿公園(おうちだにこうえん)」の広大な森林敷地が、とても市街地そばの環境とは思えないほど立派。
もう少し日が暮れなければホタルの飛来する時間にはならないようだったが、資料写真をたんまり撮影。
鳥取市歴史博物館の壁の黄色はこの景色にミスマッチ。
昨日見た、明治40年に、旧藩主池田家の別邸として建てられたというフレンチルネサンス様式の白亜の洋館『仁風閣(じんぷうかく)』がクールだった。
大正天皇の宿舎として建てられたとも聞いた。島根県松江市訪問の時にも感じたが、無軌道に市街地探索するのに優れた街なんだと思う。
山陰の印象は良好だ。
夕食にはイタリアン。地元北条砂丘で栽培した葡萄を使った『北条ワイン』が美味しい。
食後、ホテル帰還組を見送り解散。たった一人で地元のバーでも探検しようと繁華街徘徊中、偶然コーディネートしてくださったNさんと遭遇。
良質のバーを紹介いただき、2件の梯子酒。1件目の若きマスターが2件目に駆けつけ、おいらの相手をしてくれた。記憶はすでに無し。鳥取市民が温かい。
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2008年 06月 7日
鳥取取材2
3人部屋に聴こえてきた河のせせらぎ。
いつも一人で寝る習慣があるせいからか、ほとんど一睡も出来ずに朝を迎えた。こんな時、神経質な己の性質が鬱陶しい。
起きがけの午前8時、温泉で寝たままの頭をサッパリと喝。
8時30分朝食。おかずの量が多い。ご飯軽く三善。
10時出発。今回、Nさんが我々を完全サポートしてくださり、車でドア・トゥ・ドアのスケジューリング。感謝。
三徳山・投入堂には登らず経由だけし、目指すは鳥取砂丘。こんな自然がこの日本の山陰にあるという現象自体が不思議だ。
砂丘の最も高いポイントまで上り、海岸の景色とその反対側の景色を見つめながら、めい一杯写真に収める。
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昼食。他のスタッフは全員蕎麦を食し、蕎麦アレルギーのおいらだけうどん。
地元の書店等を経由しながら、谷口さん生家跡地も通過。ホテルへ。
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17時45分ロビー集合。夕食会の席へ向かう前、谷口さんご両親へご挨拶する機会を得、待ち合わせの居酒屋へ。
地元の市長を初めとする蒼々たる方々が集結。このセッティングには少し驚いた。様々な方々との名刺交換を経て2件目へ。
ここ鳥取の食べ物もとても美味い。醤油は南九州地方のたまり醤油のような濃厚さで、鹿児島、宮崎の味付けに共通するこの地の食文化を知る。
ホテル近くの「チョコレート」というパブで軽く一杯ひっかけホテルへ。間髪入れずに爆睡。
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2008年 06月 6日
鳥取取材1
10時30分起床。JR神田〜浜松町を経由し、羽田空港へ。
待ち合わせの1時間も前に到着してしまった。
チェックインしゲート・イン。鳥取行きの搭乗ゲートは入口より一番遠くの70番。滞空時間およそ1時30分前後で鳥取空港到着。早い早い。
漫画家:谷口ジローさんの故郷であるここ鳥取には初めてやってきた。
編集2名にキュレーター:Kさんの計4人。明日遅れて編集:Yが合流の予定だ。
空港には、谷口さんの古くからの友人:Nさんが迎えにきてくださった。
温泉宿に向かう途中、現在、フランスで映画化のプロジェクトが進行しつつある漫画『遙かな町』の舞台になった町を探索。
むげん堂チックなカフェでお茶して、山陰・三朝温泉の旅館『大橋』へ。
昭和七年創業の名の通り、風情のある趣の温泉宿。食事の前に即刻温泉に浸かり、こうした旅館にすれば遅めの20時30分より夕食。
山陰地方の食材もとても口に合うし美味しい。
食後、谷口作品『父の暦』でもいくつかのシーンとして記憶する、えらくマニアックな床屋及び温泉商店街を闊歩。
まさに谷口作品の漫画の中を散歩しているような錯覚に陥る。
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2008年 04月 6日
ほっぺたリンゴ
休日にしては寝不足な1日の始まり。午前8時30分には起床してしまった。
シャワーの後に風呂掃除。まとめたゴミを破棄し、ご飯を2合炊いたと同時に外出。
ジョン・バトラー・トリオ、レニー・クラヴィッツ等の最新オリジナルCDを車に投げ込む。コンビニで水と週刊誌を購入し、1万円札をくずして高速道路用の小銭を確保。
首都高:高井戸から羽田空港へ。
700円の交通料金に対して支払った1000円札のおつりを、流れ作業で200円しか渡さなかった高井戸インターのオヤジの不手際に気づいた時には遅かった。
特にこの時期、国土交通省には1円たりとも支払いたくない心境なのに大変悔しい。
遅刻は厳禁と起床から気合いが入りすぎたか。
まったく混んでいなかった道中のおかげで、予定の時刻よりも2時間30分も余裕を持つこととなった。しかし全然構わん。何もしないでよい2時間30分は贅沢だ。
朝食と昼食を兼ね、タレントのサイン入り色紙の飾られた『羽田ラーメン』で塩ラーメン+半炒飯。けっこう満腹。
出発ロビーのさらに1F上のベンチ数席にはほとんど人が座らない事を見越し、軽く仮眠を取ることに成功。日常の編集生活のスキルがここで活きる。
午後1時過ぎ、長き7日の間、待ちわびたRちゃんも無事ゲートをくぐって帰京。
彼女はスヤスヤと夢の中。
どこか穴の空いたような1週間だったことは感覚として間違いがなかった。
たった一人の存在が、ここまで気持ちに影響を与えるものだと、06年の暮れに初めて覚えた感覚を、今また新たに噛みしめる空港での一幕。
駐車場:P1へ駐車した車に戻り速攻帰宅。帰宅に要する時間もかなり短い。
都心は空いてりゃこんなに近い。
久々に帰宅したRちゃんは、慣れ親しんだ我が家に帰ってきた安堵感からか、トコトコと室内を歩き回り、我がテリトリーを確認しているのか。
赤らんだほっぺが1週間前より、思いの外少しぷっくらしているよう。
ここのところ、テレビで放映されてるある番組のドキュメント・シーンに釘付け。
難病に冒された九州の女性:テレニン晃子さんが、まだ幼い娘に残した数多くの優しく温かいメッセージが胸を打つ。
赤ん坊を抱き、お乳を飲ませること、一緒に遊んでやること。そのどれもがままならない。普通のことができない。彼女が妊娠中の05年秋に脊髄悪性腫瘍が発覚したからだ。
娘の将来を見てやれないかも知れない。そんな切なく、いとしい娘への想いがいっぱいいっぱい詰まった彼女のメッセージには、教えられることが多すぎた。
千葉県在住の少年(当時6歳)は、心臓が拡張し、 機能が低下して心不全となり死に至る「拡張型心筋症」という 原因不明の難病を患い、入院しながら心臓移植準備中だった。
当時、生命に関わるため、早急な移植を必要とする状態が続いていた。
しかしながら6歳という年齢もあり、国内での移植の可能性は法律的に望めないため、海外での移植を選ばざるを得なかった。
受け入れ先はアメリカの病院で決定したが、 海外での心臓移植には日本の保険が適用されないため膨大な費用(6000万円)が掛かるとのこと。
ご両親は、一心不乱に街頭等で一般の方々に協力を訴えかける。
その訴えを知った、少年の地元球団である千葉ロッテマリーンズがなんと全面協力する運びとなり、時に試合前後にこの情報を訴えた。
ある番組ではこの事実・現状を紹介し募金を呼びかけた。
複数の新聞社が、募金の記事を日付を変えて掲載した。
結果、多くの人々が、いち野球・サッカー好きな少年の力になるために協力し合い、膨大なる募金額を達成。
やがて、無事手術が成功し、元気を取り戻した旨を放映していた。
激動の渦に巻き込まれる運命は、誰であろうと降りかかる可能性はある。
1日寝かしたカレーと新鮮野菜のサラダが激美味。リセットされた日々がまた明日から始まる。
投稿者 yonezawa : 01:48 | トラックバック(0)
2008年 02月 22日
チュキチュキ
昨日深夜、編集スタッフ:Aが紙袋内に入れた商品の処理に困っている様子。
覗いてみれば、「おしりかじり虫」他、TV番組・ゲーム関連キャラ(?)のぬいぐるみらの処分を考えてる模様。
捨てるのも気が引ける新品の品々だ。
「それ、くれぃ」「そうだ!(もらってくれる人)米澤さんがいるじゃん!」と落着。
即座に叫んだおいらの一言で、即時キャラ・グッズ引き取り成立。
今朝起きがけに、やにわにRちゃんへ“お土産”贈呈。
「お! お! お!」っと目を丸くしながらぬいぐるみ1個ずつにチュキチュキ(チューの意)攻撃のRちゃん。
初めて出会った真新しい品には好きなら好きなり、恐いなら恐いなりに大概興味を示すのが彼女。
その上、あらゆる品々の動向をしっかり瞳で追いかけ、逐一記憶しているので侮れない。
例えば玩具以外の、遊び道具じゃない凶器にもなりかねない日用品・台所用品などもふいに持ち出すものだから、即刻見えない場所に保管。
ところが彼女は、移動させたその位置をちゃんと記憶しており、こちらが忘れた頃に再びその場へ歩み寄り、奪還を試みたりするのだ。
真面目に侮れない。しかしその行動がたまらない。
夕方より、基本YJ&BJ編集部総出で山梨の温泉地まで社員旅行。
編集部近くに停車した大型バスに乗り込み2時間強、目的の地:山梨県・春日居温泉『大棟苑』へ到着。
到着後、4合分『竹酒』を用意してもらい速攻露天風呂。
(香りだけ?)ワイン風呂だという温泉、すこしぬるい。
宴会では囲炉裏焼で郷土料理と、甲州ビーフや岩魚、野菜等の串炭火焼を喰いながら談笑。
やや食い過ぎる。
二次会場で怒濤のカラオケ大会後、部屋飲みが続き、午前5時30分頃お開き。白熱する議論を子守歌代わりに聴きながら床につくものの一睡も出来ず。
午前6時30分頃、編集:Oが1人枕元でごそごそと着替え、帰宅の用意をしていた。
投稿者 yonezawa : 03:23 | トラックバック(0)
2007年 12月 12日
LED ZEPPELIN3
正午成田着。
高速バスの待ち時間までカツカレーで時間調整。
午後、出社後、デスクの原稿・郵便物山積み具合にやや萎えつつも、怒濤の原稿書きに入稿再開。
容赦なしの待ったなし。
江口兄、S社:F氏とのミーティングを兼ねた夕食へ同席し、軽く一杯いただくものの、時差ぼけも甚だしく2件目に河岸を変えた瞬間から怒濤の睡魔に包まれ、非常に名残惜しい気持ちとは裏腹に、勝てない眠気を優先し帰途へ。
投稿者 yonezawa : 05:07 | トラックバック(0)
2007年 12月 11日
LED ZEPPELIN2
午前7時起床。
8時に朝食をいただき、9時にヒースローへ。
チェック・インは自動券売機にて。
パスポートの顔写真のページを機械へ通しボーディング・チケットを出力。
このチェック・インの仕方は初めて。
免税店のフロアで食べたパスタが激不味。
ヴァージンは行きも帰りも空いてて、ついてた。
映画『オーシャンズ13』『トランスフォーマー』鑑賞。
およそ12時間の飛行に耐え難きを耐え…
投稿者 yonezawa : 05:07 | トラックバック(0)
2007年 12月 10日
LED ZEPPELIN
正午まで部屋で読書、そしてシャワー。
外は曇天。
日本では絶対に見ることのない、独特の不気味な色の空だ。
Hightstreet Kensington駅構内モールでサンドウィッチ、コーラをテイク・アウト。
再び部屋で続きの読書をしつつ午後2時50分、待ち合わせのロビーへ。
中学時代、それこそLED ZEPPELINを初めとする洋楽ロックをNHKのラジオで“教育”してくれた、音楽評論家:渋谷陽一氏との遭遇がとてもラッキーだった。
午後3時、O2アリーナへ向かう。
到着後、午後5時、スタバでカプチーノ待機。
あの渋谷氏と、いみじくもツェッペリンのコンサート前に、しかもこのロンドンの現地で音楽話をする機会に恵まれた時間は貴重だった。
中学時代に聴きまくったサウンド・ストリート等の思い出話を、この機会に彼に伝えることが叶った。
渋谷氏DJのラジオがなかったら今のオイラは無かった。あの体験がなければロック・ミュージックに目覚める時期が、もっと遅れていたかもしれない。
プレイヤー以外で、おいらの音楽見識に関し、多大なる影響を与えてくれたのが渋谷氏のラジオ番組であったことは揺るぎようのない事実だ。
午後6時30分、Hゲートより入場。
話題の沢尻エリカ嬢も並びの席で観覧スタンバイ。
19時過ぎに始まったコンサートには、フォリナー、ポール・ロジャース、ビル・ワイマン、パオロ・ヌティーニ等が参加。
セットチェンジの後、21時、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムの4人がステージへ現れる。
このコンサート詳細は、来年1月17日発売「週刊ヤングジャンプ7号」誌上に4C2Pのリポートにて掲載予定。
「そのキーに、そのリズムだったらそれしかナイ!」というリフレインを最もたくさん創造・生産したギタリストがジミー・ペイジだ。
おいらのツェッぺリンの認識はまずそこにある。
彼の創作したリフの構造は、近年に至るまで進化という進化は何もなく、ツェッペリンの楽曲の構造・アレンジが、後の多くのロック・バンドの創作する楽曲の原型として確立され現在に至っている。
これまでどれほど多くの男(とあえて限定)たちが、ジミー・ペイジのリフについて議論してきたことだろう。
E Keyに対して「これしかない!」という出来映えのリフの、琴線の触れさせ方は、もう魔法としか言いようがないほどだ。
そのリフには必ず“歌っている”リズムが感じられ、オリジナルのリフを創作する場合、多くのバンドがツェッペリンのリフの呪縛から脱却することが至難の業となるのだ。
かねてからそのスキルは実証済みだったジェイソン・ボーナムのドラミングも素晴らしいの一言で、ともかくLED ZEPPELINにハマり過ぎなほど。
彼は父親のスキルをすべて受け継いでいた。
「よくぞボンゾは彼を遺してくれたものだ」と心で感謝した。
まさに至上最高のダイナミックなイブニングが過ぎていったのだった…
あのレッド・ツェッペリンが21世紀に完全復活を果たした、文句なしの125分-全16曲。感無量──
投稿者 yonezawa : 05:07 | トラックバック(0)
2007年 12月 9日
LED ZEPPELIN リハーサル観戦
午前8時起床。部屋のカード・キーは磁気の部分をスライドさせるタイプのもの。
1Fで朝食。〜午前9時。
部屋に持ち帰ったリンゴを囓りながら、再び10時30分頃まで仮眠。
昼前起床。時差ぼけの頭をシャワーで起こす。
正午チェック・アウト。
気分転換に徒歩で30分ほどかけて、本日より2泊のROYAL GARDEN HOTELへ移動。
621号室へチェックイン。近くのマクドナルドで昼食をとり、午後1時、ロビーでW社:F氏と合流。
約束の午後3時55分、フロントで伊藤政則氏、W社の方々と合流。
雨模様の中タクシー搭乗。
明日コンサートの行われるツェッペリン・ライヴの、なんとリハーサルを観戦するべく02アリーナへ向かったのだった。
ここからが大変だった。
市街地は超激混み。「午後4時までに到着しなければゲートを閉める」と先方関係者に散々お達しを受けていたのがW社担当者:F氏だった。
異様な混み具合の道中、車中から携帯で確認を仰ぐF氏。結局、到着は午後4時30分。心が焦る。
ゲートHまで激走。ところが辿り着いたならば、まだまったく開場すらしておらず、リハ観戦のチケットを入手した者たちが長蛇の列を成している。
結局、時間のアバウトさには救われたのだが、後に気づくIDチェックの酷さ(再三に渡る告知だけで何もチェックはなし)には恐れ入った。
カメラ、録音機材等の持ち込みは禁止と強いお達しがあるのは判るが、携帯電話もきつくNGとされれていた。
今日日携帯では、カメラ機能はおろか録音まで出来てしまうので、この規則も致し方なかろうと思うのだが、明日、一般客20000人分の携帯を一時預かり入場となった日にゃ、一体、スタートは何時になるのか! と危惧された。
リハのIDに関しては結局意味不明のままノーチェック状態で、しかも蓋を明ければ「誰でも入れるじゃん!」的ゆるさで入場したのだった。
まぁ見れりゃ問題はない。
ステージには、本当に普通ーにサウンド・チェック中の4人がたたずんでいる。あまりにも唐突に。
写真で見たまま、ジミー・ペイジは白髪だ。
得体の知れぬ緊張感を背中に感じながら、ひな壇のスタンド席で100名以上の観覧者と共に2曲鑑賞。
ギター、ベース、(ジョン・ポール・ジョーンズの)鍵盤もよいバランスの音色ながら、ジェイソンのドラムスも実に心地の良いスネアの音を聴かせる。
明日のライヴの仕上がり具合を感じさせてくれた。
ジミー・ペイジが引き上げたのを見届け、我々も開場を後に。
マーチャンダイズ売り場で、すでに販売を始めていたイベントのLED ZEPPELIN-Tシャツ£20、コンサート・プログラム£20を購入。それにしても高い〜。
それほどの人数がいたわけではないが、この購入だけで1時間以上待たされた。
恐ろしく非合理的な販売システムに驚愕の思いだ。イギリス人の極端な“欠け方”はまったく不思議。
O2アリーナ最寄りのGreenwich駅よりジュビリー・ラインで地下鉄移動。
日本料理屋『菊』で夕食。門構えに反比例し、内容は期待はずれ。
タクシーに相乗りし、ホテルへ帰還。
投稿者 yonezawa : 04:44 | トラックバック(0)
2007年 12月 8日
アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート
本日、正午より東京不在につき。
現地にパソコンは持参しない上に、工夫もしないのでPC宛のメールは12日夕方まで確認出来ません。
更新は13日以降になります。
案件は、『アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート』
つまり、レッド・ツェッペリン再結成ライブ@ロンドン、見てきます。
取り急ぎ!
*****************************************
午前6時50分、出発。高速バスで成田へ。
空港内で不味いカレー喰って風邪薬を購入。昨日から喉の痛みが気がかり。
保証金1億円の保険に加入。追加料金15000円でexit シートを確保。これで12時間、前方の席に人のいない環境は得られた。
正午発のヴァージンに搭乗し、定刻離陸。
機内では、映画『バブルへGO』『ゴーストライダー』『ダイハード4』等を鑑賞。
半日、この生きにくいスペースで過ごす覚悟を伴った気合いを入れながら、正味12時間を経てヒースローへ到着。
生きている内に、この渡航時間が半分ぐらいになる日が来ないモノか。
税関で音楽ライターの保科さんと偶然遭遇。信じられないことに、彼はマジでこのチケット『アーメット・アーティガン トリビュート・コンサート』が当選したのだそうだ。彼も同じ便だったのか。
ペットボトルの水を2本購入し、雨模様だったのでタクシーに相乗り。双方のホテルを経由してチェック・イン。
今回は、初日宿泊のホテルと、2日目以降宿泊のホテル:ROYAL GARDEN HOTELが違った。
シャワーを浴びて午後7時、ROYAL GARDEN HOTELへ。W社:F氏と打ち合わせのため、待ち合わせた。
合流後、タクシーでF社:M氏、F氏らと夕食の店へ移動。
席には、株式会社ニッポン放送相談役の亀淵昭信氏、主にヘヴィメタル・ハードロック(HM/HR)を専門とする日本におけるこのジャンルのパイオニア的存在の音楽評論家:伊藤政則氏らも。
1966年頃、留学先のサンフランシスコでジミ・ヘンドリックス、クリーム等のライヴを実際に観たという亀淵氏のエピソードにはぶっ飛んだ。「ジミ・ヘンドリックスも2,3度見てるかなぁ」なんて、一体どんな環境なんだと驚かされた。
伊藤氏との絶妙な間の会話がとにかく新鮮。彼らを紹介いただき、とてもラッキーな時間だった。
勿論全員、今回のLED ZEPPELINを見るために渡英したのだ。
W社様、ご馳走様でした。2件目には移動せず、旅の疲れと時差ぼけを癒すべく午後10時過ぎにはホテルへ帰還。
即爆睡。
投稿者 yonezawa : 20:23 | トラックバック(0)
2007年 11月 25日
えびの高原
温かい昼下がり。
およそ5年前、父親が最期の食事をしたというレストランのある「えびの高原」を訪れた。
米澤家とは代々縁のある地のひとつが、この霧島屋久国立公園に属する盆地状高原。
寝たきりとなる数時間前、親父は「えびの高原に行こうや」と母に言ったそうだ。
ここを訪れる度に想い出す。
小学生低学年の頃、家族で登った標高約1,200mの韓国岳(からくにだけ)が懐かしい。
かつて、この辺り一帯は高原の大部分は韓国岳火口から噴出した硫黄の匂いで凄かったものだった。広大な景色は健在ながら、今ではその迫力も匂いも見受けられない。
山中にある「からくに荘」は親父が命名した保養所で、おいらの仲人を担ってくださったKさんの設計による建築物とのこと。
親父とKさんは親友だった。
湖畔を見下ろせる展望ポイントで写真を2枚撮ったらば、デジカメが即電源切れ。
予備のカメラで数枚特写し、東国原英夫宮崎県知事の似顔絵の載った様々な商品の陳列されるお土産屋で、結構な量の買い物を終えた。
Rちゃんと2週間ぶりに入ったお風呂がともかく感激。
投稿者 yonezawa : 23:16 | トラックバック(0)
2007年 11月 23日
秋祭り
小林市は小学生時代過ごした思い出深き町。
母親と共に、幼稚園時代からの幼なじみ:S宅へ向かった。
前回、同窓会の折訪れてからおよそ10年ぶり。小学生の現役時分から数えれば、およそ35年(前後)ぶりに彼女の実家を訪ねた。
同時に彼の日以来の再会を果たしたSのお母さん。感激だった。
メインストリートの国道沿いが封鎖された、『秋祭り』の催し物が行われる市内へ繰り出す。
数名の幼なじみとすれ違いつつ、わずかな時間ながら近況を語り合った。
近隣の各地より参戦するダンス・チームがそれぞれ(数カ所で行う)10分程度のパフォーマンスを行うイベントを見た。
あらかじめ地元の同級生:YSからの情報は仕入れていた。
実は小学6年生時分、厳ついスポーツマンだった担任の先生が、そのイベントに参加する旨を伺っており、やがて目の前でプログラムをこなす先生を視界に捉えた。
こんな賑やかな場所で、こんなシチュエーションの中で叶った驚愕31年ぶりの再会。素直に嬉しかった。
F先生は多分62歳だと思う。
パフォーマンスを終えたF先生を一目さんに目指す。
「小6の時の米澤ですよ、F先生!」と駆け寄れば、「おお米澤くん! 面影あるねー! 嬉しかよ!」とコスプレ中の先生にハグされた。感激だった。
今日、ここへ来てみてよかった…
祭りの最中、なぜか自身の所在のなさを感じながら、母親と適当に催し物を見物しながら、夕方前には帰宅。
帰宅途中、スーパーでの買い物が、おいらの至福の時間。
投稿者 yonezawa : 01:56 | トラックバック(0)
2007年 11月 22日
東京不在
本日、夕方より東京不在につき。
現地にパソコンは持参しない上に、工夫もしないのでPC宛のメールは26日まで確認出来ません。
更新は27日以降になると思います。
取り急ぎ!
***********************
延々ギリギリまで家事をやってたら、どう考えても羽田に着くのがフライト時間ギリギリの案配に。
バスでも焦る。JRでも焦る。モノレールでも焦る。
飛び乗ったモノレールが、後発の快速に抜かされた瞬間、さらに後悔の念と焦りのピーク。危ない時間に羽田駅に到着し、ごぼう抜きでANAカウンターに突撃。チケットはネットですでに購入済みだ。
時計の時間を見ればフライトの5分前。
係の方が「今日は飛行機が整備の遅れでたまたま間に合いますが、次回からは15分前までに必ず来てくださいね」と当たり前の指摘を受ける。
「申し訳ありません」と搭乗口へ急げば、まだゲートインの時間には5分ほど余裕があった。
トイレを済ませ、ペットボトルのお茶を購入し、汗だくで無事搭乗。
ほんの少し全力疾走すれば、外がそれなりに寒かろうと汗はしたたり落ちてくる。
ともかく乗れてヨカッタ。
夕方、予定よりも30分前後の遅れで九州上陸。
今回、最大の帰省目的は母親のパソコン交換。
当時としては高価だったmacG3がクラッシュしたことを受け、相変わらずPCスキルの低い、頼りなきおいらが再構築しに向かった。
なかなか修繕のタイミングが謀れず、半年近くおふくろをパソコンから遠ざけてしまった。
おふくろとのパソコン・メールはおいらの人生にとってトップ・プライオリティ。本腰入れて、サポセンと掛け合ってみることにしよう。
投稿者 yonezawa : 20:10 | トラックバック(0)
2007年 09月 16日
井の頭公園
明日が休日であることは、先週金曜日、デザイナー:岩崎に言われるまで気づいていなかった。
連休の直前はいつもこんな調子だ。
午後、井の頭公園を散策。少し汗ばむ気候だけれど気持ちいい日差し。
入口近くの売店でラムネを注文したら店のおばさんが「冷えたのがないんです」と言うので、1杯400円のかき氷を注文。高っ!
会計を済ませ、表に出れば明らかに冷えきったラムネを買い、飲み干す人たちの姿が。
あのばばぁは何をもって「冷えたのがないんです」と言ったのか。
とたんに増幅した不可解極まりない気持ちを飲み込み、散策に。
今後、この店へ行くことはなかろう。
公園には休日を散歩で過ごす人々が多数訪れていた。
手こぎボートやスワンボート、観光客の行き交う井の頭池を超えて、橋を渡り池回りを1周。
およそ23年前、当時吉祥寺在住だった旧友:天平と共に、酔ったサラリーマン十数人相手に大立ち回りした古い記憶が蘇る。
時間が過ぎればたいそうな笑い話だ。
近隣で食事を終えた後、当時天平の働いていた店「のろ」の前を通過し、サンロードを散策。
立ち寄りこそしなかったが、この「のろ」こそおいらが21年前に漫画家:江口寿史(兄)と運命の遭遇を果たした、想い出深き場所なのだ。
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2007年 09月 11日
プリントアウト
取材で赴く場所が初めての場所だと、その度にいちいち目的地:地図のプリントアウト。
未だに方向音痴なところは変わらず、知っている場所でも、理解している道の逆から向かうと位置関係が判らなくなったり。情けない。
久々F氏とのサシ飯だったが梯子酒は次回に持ち越し、入稿のため原稿取りと入稿に切迫。
投稿者 yonezawa : 18:26 | トラックバック(0)
2007年 08月 22日
ターミナル4
午前11時45分、ホテル・チェック・アウト。
ヒースロー空港へ。タクシーはチップ込みで55£。
空港ターミナルはドライバーに確認し、ターミナル4へ送ってもらったのだが、BAの日本行きはターミナル1の間違いで、やむなく地下鉄で移動。
以前見たレイアウトと違う様相から、この何年かで日本行きのターミナルは変わってしたったのかもしれない。
チェック・インは、おいらの英国滞在史上初めてといって良いほど空いており、スピーディなものだった。早めのホテル出発は正解だ。
搭乗手続きを終え、ゲート・インする時、機内に持ち込むワケでもないのに水類はその場で飲み干すか破棄が義務づけられており、ミネラル・ウォーター2本を捨てさせられた。
まだ飛行機にのる手前、せいぜい免税店を徘徊するだけなのになんたる不可解。
免税店で犬のぬいぐるみ他の買い物を済ませ、一路日本までの空路11時間30分との格闘が始まった。
投稿者 yonezawa : 03:33 | トラックバック(0)
2007年 08月 21日
自然史博物館
午前11時、目と鼻の先にそびえるロンドンでも有名な観光スポット:自然史博物館へ。
なんと入場料は無料。ここが凄い。入り口からは長蛇の列が。しかし入場までの時間が億劫にはならない。そして展示物が壮絶だ。
一旦ホテルへ引き上げ、午後4時、ハンバーガーを喰って地下鉄へ。
Gloucester rd駅からディストリクト線でWestminster乗り換え、ジュビリー線でNorth Greenwich for THE 02へ。
ロンドン最大の目的:ザ・ローリング・ストーンズのライヴ会場がココ。今年出たばかりの、まだ建設中の箇所もある1万人規模のホールだ。ストーンズがやる箱としては狭くて嬉しい。
プリンス、エルトン・ジョンも近々に公演を行う模様。
ゲート・インし、売店前で立ったままビールを1杯。
若い女性を連れたブロンドの陽気なオヤジが話しかけてくる。彼らは親子だそうで、なんとフィラデルフィアからやってきたそうだ。「なんとまぁフィラデルフィアくんだりからわざわざ」っと思うと同時に、この公演を見るだけのために渡英した我々日本人のアホさ加減を顧みる。
しかし、我が娘を連れてストーンズ観戦なんざ、贅沢の極みと言えた。
21日の前座のバンドとしてポスターに記されていたのはオーストラリアのバンド:JETだったが、登場してきたのは多分THE KOOKS。
「随分曲調が変わったなぁ…」と思いきや、遠目で顔がはっきり判らなかったが、明らかにJETではなかった。
午後9時、ザ・ローリング・ストーンズの登場。「スタート・ミー・アップ」でスタート。
何回体感しても、この始まる瞬間のワクワク感は変わらない。
個人的には初めて聴いたジェームス・ブラウンのカヴァーが際だって聴こえた。演者が曲の新鮮さに歓びを感じている様が判る。軽妙な演奏だ。
午後11時、ロンドン・タクシー乗り場で順番待ちをしていたら、斡旋のオヤジが同じ方向の相乗りを促している。
我々の場合も、他3人1組の若者とシェアーした形で乗車。
ピカデリーで夕食をと思っていた我々が先に降りることに。その時点で料金は33£程度。かなりいい加減なやりとりだが、半額よりやや少ない15£を相乗りした彼らに手渡し、実際安上がりで移動出来た。
この方式が当たり前の様相だったのが新鮮。東京ではあり得ない光景だ。
中華街で夕飯をいただき、ホテルに帰り着いたのは午前1時頃。
午前3時近くまで赤ワイン。
昨日のウォーキング後に、なぜか右足の土踏まずの辺りが疼き、プチ剥離骨折的自覚症状で歩行が困難に。
剥離骨折とは、急激な筋肉の収縮などで腱や靭帯に強い力が加わり、それらが切れる代わりに骨との接合部分が剥がれてしまう事だが、まさに軽い肉離れのような感じで、剥離までしてしまったのかどうか判らないが、急に歩行困難となった。厄介。
投稿者 yonezawa : 02:59 | トラックバック(0)
2007年 08月 20日
ロンドン
深夜3時過ぎに無事原稿が上がり、とっとと中継納品。
帰宅して午前5時。6時過ぎのタクシーでJRの最寄り駅へ。
新宿駅でサンドウィッチとお茶を購入。7時7分新宿発:成田行き、成田エクスプレスへ。
円を£に両替。
海外旅行保険の申し込みに補償額1億円の9000円を、漫画家:高橋ツトムが2人分キャッシュ精算。太っ腹。
搭乗手続き後、税関通過後、おにぎりと餃子を喰ってブリティッシュ・エアウェイBA005便へ搭乗。
海外のように、ボーディング・パスに記された時刻より出発の時刻はなぜか少し早まっていた。
12時間の空の旅がへっちゃらだと言う者など、本来いなかろう。
丸々半日、この狭い機内で過ごすかと思うと憂鬱だが、毎度海外渡航の場合、離陸後何も考えない時間を3時間は設けるようにしている。
およそ12時間後、ロンドン:ヒースロー空港到着。時刻は同日の14:55過ぎ。
税関がこれまでの景色とは違ったので、ターミナルが変わったのかもしれない。
税関通過後、ジャックダニエル1本、オーストラリア産の赤ワイン1本、水4本を購入し、ロンドン・タクシーでホテル:ホリデー・インへ。
ロンドン・タクシーのドライバーが、以前の紳士風スタイルよりラフな格好をしていた。
タクシーでおよそ30分。
KensingtonエリアのHOLIDAY INN KENSINGTON FORUM:97 CROMWELL ROAD LONDON SW7 4DN ENGLAND へチェックイン。
地下鉄の最寄り駅はGloucester rd。
夕方まで一休みし、午後7時頃から近所の散歩へ。普段ハツラツとウォーキングする機会もないので、地図片手に結構な距離を歩くことに。
ホテルからほど近い場所にあるRoyal Albert Hallへ。70年頃のレッド・ツェッペリンを思い出す。さらに徒歩でケンジントンからピカデリーまで移動。歩くとそれなりの距離だ。
チャイナタウンで夕食を。
さらにパブで1杯。タクシーでホテルへ帰り着いたのは午後11時を回っていた。
塩煎餅をつまみにウィスキーの部屋呑み後、午前1時過ぎには就寝。
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2007年 07月 9日
帰途
午前中、ホテル内の温泉に浸かり、正午に駅構内のうどん屋で定食。
大量の上、ご飯お代わり自由で格安の価格だ。
K&Rちゃんは博多行きの新幹線へ搭乗。おいらは小村が鹿児島空港まで送迎してくれた。心遣いの嬉しかった小村よ、随分世話になったな。サンキュ!
わずか一泊ながら語り尽くした川内の夜は、また一つおいらの個人史に刻まれた。
ANA搭乗。離陸前に爆睡。睡眠不足のおかげでオチてたフライトの時間はあっと言う間だった。
羽田着。高速バスで移動中、携帯を駆使し怒濤の戦闘(仕事)モードに切り替わった。
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