2017年 09月 19日

友がまた増えた

 銀座のラウンジを切り盛りされるMさんとBFで初の会食。
 初めてお会いした場での彼女の気の利きように、「この方は仲間にすべき友の一人」と予感したのだが、その後、bambiのライヴにふいにお越しになった日に確信へと変わった。
 ずっと、ライヴご来場の御礼の一杯はやらねばと考えており、ようやく今夜実現した。嬉しい。何でも秘密を語ってよい友がまた増えたのだった。

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2017年 03月 10日

ペッテリ・サリオラ

 4日前に依頼された、ペッテリ・サリオラなるスラム奏法のアコギストが4月にリリースする新作アルバムのライナー・ノーツを、依頼を受けて3、4日で納品。推敲に推敲の一日。
 〆切1週間前に上げたので担当者が驚いていた。いつも原稿を待ち続ける立場故、なるだけ依頼主を待たすまいと思考する性分。ともあれホッとした。

 夜。阿佐ヶ谷駅待ち合わせにてT氏打ち合わせ。
 吉祥寺へ帰還し、急に召集をかけたSとは半年ほどぶりの酒。1杯目からロックの芋焼酎のやつ。頼もしい飲みっぷりだ。

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2017年 02月 15日

献杯

 K兄にお誘いいただき、Hでメシ。
 谷口ジローさん追悼の献杯。

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2017年 02月 14日

悲しい

谷口ジローさんのお通夜へ。悲しい。

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2017年 02月 11日

保管されている

 午後1時に携帯宛に何度も着信の連絡が。
 Rと過ごす自宅での休日に携帯を見たのは16時近くになっていた。
 何事かとコールいただいた主2人に電話を折り返すと、長く担当の漫画家だった谷口ジローさん逝去の知らせだった──言葉を失った。

 実は一昨年に体調を崩され、闘病されていたのはごく身近な関係者のみ知る事実であった。およそ1年ほど前になるのか、編集者らで谷口さんを囲む食事会では集えたし、六本木ヒルズで行われたルーブル美術館の漫画イベントの際にも、ご挨拶程度だったが再会は叶った。その際には、谷口さん、少し小さくなったなぁと感じていた。

 色んな場所で谷口さんと漫画や映画や音楽の話をするのが大好きだった。「また昨日の飲んでたんでしょ? 何時まで?」と酒飲みの呆れる所業にいつも笑顔で突っ込まれた。

 作家の久住昌之さんがFacebookに記しておられたが、あれほどの輝かしい功績がありながらも「自分を語らない人」であった。
 そして無理をしない人。もう頑張れないや……、と静かに瞳を閉じてしまわれたのか。
 おいらにすれば、最後の原稿依頼となった愛蔵版『神々の山嶺』上中下巻の4Cカラー扉は、今もおいらのデスクの横に保管されている。献杯。

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2017年 01月 13日

KING OF POP新潟編

 午前9時、KING OF POP江口寿史先生と吉祥寺駅改札待ち合わせ。
 新幹線の座席指定をした後、北陸新幹線で新潟へ。新潟は確か30年ぶりの訪問か。
 Maxときで11時07分、新潟駅着。
 タクシーでホテルへチェックイン。極寒降雪の新潟市内。まずは新潟市マンガの家を訪れ、近場のあたりをつけていたラーメン屋で昼食。
 そして今回、江口寿史原画展KOP最後の舞台となる新潟市マンガ・アニメ情報館へ。
 関係者へのご挨拶と、内覧。まだ展示品は完成されてなかったが。
 
 夜は先ちゃんの音楽友のみなさまと親睦会。先ちゃんがジャケ写を手がけたNegiccoのmegちゃん、so niceの鎌倉克行さんらの方々と愉快な宴。
 二次会にはカラオケパブへ移動。生演奏も出来る店となっており、全然知らないおっさんの歌にあわせてストラトで弾きまくるおいら。そしてハイタッチ。
 なかなか刺激的な時間が宴が続くが睡眠不足で酒もろくに飲めず。

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2016年 12月 26日

外苑前

 外苑前Sは2度目。ここの中華は、ここのスペアリブは忘れられず。
 Aとサシ呑みクリスマス会となった今夜は忘年会も兼ねて。唐辛子が舌に響く響く、でも美味し。芋焼酎ロックでガン飲み。

 銀座『木の子』へ移動。カウンター越しにいつもの爆笑談義。遅れて偶然K氏が合流してきたので、きっと彼とも今年最後になろう一杯を乾杯&おかわり。

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2016年 11月 24日

モーニングと宴会

 ホテルのモーニングを、この九州滞在中初めて口にし、チェックアウトの順に面々を見送り。

 母親と姉と近場でお茶し、幼少期によく行ったラーメン屋『来々軒』で昼食のラーメン。懐かしい優しい味。
 母と姉を見送り、迎えの車が来るまで2時間弱の仮眠をとった。

 夕方、徒歩で約束の和食屋へ。市の関係者面々の集う宴の末席に混ぜて頂き、最後の小林の夜を過ごす。郷土愛に包まれ、幼少期に過ごした大切なこの町への思いを、いま改めて思い出す。今日で親友が何人か増えてしまったようだ。

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2016年 10月 31日

心から感謝

 S親子にお誘いされ、日比谷の高級飯屋へ。
 風格のあるこの店で、彼ら親子と贅沢に語り合える貴重な時間。何から何までご配慮頂き、感謝感激の極み。Yと出会った奇跡にも感謝し、そのYのやりたいことを全部受け止め、見守る父。素晴らしい時間だけが流れた。そして必殺のタクシー券まで強引に渡され、日が変わらないうちに運賃9000円コースまでお世話になることに。Sさま、心から感謝!

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2016年 10月 26日

人生のおよそ半分

 我らが先輩編集者:Mさんのお疲れ様会は半蔵門界隈のワイン屋敷にて。おいらの思うヤンジャン黄金期のメンバーが集結し、身内中の身内のような空気に浸りながら、一人一人の語るかつてのエピソードで抱腹絶倒。人生のおよそ半分を過ごしたこの編集部。得も言われぬ空気が心地よい。二次会は新宿に。余った会費がそこそこの金額だったようで、続けてワインバーでガンガンとボトルが空きながら、時間の許す限り宴は続いた。

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2016年 08月 20日

確かな感性

 年に2度か、あって3度、Mとのサシ呑みの日が今日も嬉しい。先日も獏さんのイベントの件で御世話になった彼と、今日は気分的に水炊き『鳥源』。
 東京で出会った、確かな感性を示し続ける最も優秀な後輩。……というより人生の経験値もこのロートルを完全に凌駕している。
 嬉しき新宿の夜が更ける。Mとも、もう30年の時間が経過してしまった。

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2016年 05月 9日

原宿とSaYaKaと水炊き

 雨。「この雨は水曜まで続くのだ」と誰かが言っていた。
 昼間、原宿へ。目的地は竹下口左斜め向かいの画廊。漫画家のビッグ錠先生が原画を展示されておられると言うので赴いたのだったが、作品は2点だけで、他の方々の作品と共に展示されてあった。
 記帳し、せっかくここまで来たのだからと、一応竹下通りを闊歩。来る度に店の風景も変わっているような印象。

 思えば20歳頃から15年以上だろうか、バンドのライヴ活動のベースは9割方ここ原宿だった。原宿へと移転した『ルイード』が当時のおいらのバンドの本拠地。その当時のライヴハウス跡地もジュエリーショップと、何かの店舗に変わっている。
 裏路地の、どこから車で進入すれば効率のよい動きが出来るのかも、当時は理解していたものだった。こんなに面倒くさい立地の地で。

 帰社して雑務。
 夕方、半端な雨がずっと止まず憂鬱な気持ちで高田馬場へ。馬場のライヴハウス『天窓』には初めてやってきた。今年ライヴでコラボしたシンガーソングライターSaYaKaの単独を30分拝聴。
 彼女のメインソングとも言える『好きもサヨナラも』が盤石の出来というのは、もう当たり前になってきた。よき流れだ。
 そうすると、次のNext『好きもサヨナラ』が聴きたくなってきている。さしあたり、あと3曲くらい。宇宙一シリアスを目指した鉄板の楽曲。『好きもサヨナラも』を超えうる緊張感のある楽曲というものを、おいらもファンも、潜在意識として今後要求していくものだと想像した。
 ライヴ終わりの夕飯は、ふと飛び込んだ水炊き屋で。

 こちらで食べた品々は美味しい料理のものばかりだったが、それよりもカウンター越しのキッチンスタッフCさんの細やかな気配りと、特別な配慮にKちゃん共々感激し、そっと胸を打たれた。
 店を出て、駅の近くで身のフリを考えていたところ、「忘れ物ですよ!」とCさんが走って持ってきてくれたのだった。Kちゃんは忘れ物にすら気付いてなかったところを。
 店内でのサービスも盤石の思いがあったところ、この走って届けてくれたことに対する気遣いに益々感激し、二人再訪問を誓うのだった。
 
 タクシーで西麻布へ。最後の焼酎を頂き、無事電車で帰宅。

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2016年 04月 21日

サファリで夕飯

 正午、吉祥寺のカフェで1時間のネームミーティング。
 作家2人とわかれ、神保町でいつものデスクワーク。

 築地銀だこ六本木店で軽くハイボール飲んで、サファリで夕飯。
 先週末に結婚したCのお祝いに映画宣伝プロデューサーMくんをお誘いし、怒濤の『h』飲みへ。
 かおたんラーメンで〆たのは言わずもがな。

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2016年 04月 6日

ノーマルに帰宅

 白山の満津美鮨で夕飯。スペインの血を引くLとのサシ飯は初めて。
 たった1杯でなくなった芋焼酎のボトルを追加し、いつもの美味しい肴で会話に拍車をかける。バイリンのLは若くして精神年齢高すぎ。映画や音楽の話を速射砲のように語り合うひととき。時間はあっと言う間に過ぎ去り、閉店までの2時間30分が経過。盛り上がる日の体感速度は得てしてそんなもの。
 電車を乗り継ぎ、至ってノーマルに帰宅。

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2016年 04月 4日

奇跡の夜

 入稿を切り上げ都内某所へ。THE MODS森山達也さん還暦パーティへ。
 会場でふいに再会を果たしたクドカンちゃん、初対面で少しだけ話す機会を得た俳優の陣内孝則さん、他にも多数著名人の姿も。
 トリビュートバンドによる様々なMODSトラックだけでも、その楽曲の素晴らしさが伝わる。
 二次会、三次会と会場を変え、奇跡の夜が更けた。

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2016年 03月 8日

新たな出会い

 家族の呆れる早朝6時30分過ぎに帰宅(一駅電車を乗り過ごしたせいで40分のずれ)したが、やること山積み故10時前には起床。

 午後、集英社会議室にて、初対面となる映画監督:Sさんと待ち合わせ。彼女は新作映画のプロモーションでNYから来日中とのこと。
 作品に対する意向、プロモーションに対する方向性などを伺ったのだが、2時間弱のMTGがすべて楽しいものとなって嬉しかった。
 高校時代の幼馴染みとも言えるITが共通の友人であることも最高だったし、S監督との繋がりも知り得たので彼女との距離はすぐに縮まった感覚。
 何がやれるのか未知のものながら、新たな出会いを大事にしたし。

 夜、ブラシも使うスーパー絵描き:EMさん、Kさんらと会食。
 六本木の居酒屋「T」、普通に全部美味いので以降マーク。
 Barを梯子し、今夜得た情報を踏まえ、再び彼らとの仕事に結びつくものなら最高だ。

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2016年 03月 2日

ビートたけしライブ3

 ライツ林と待ち合わせ、浅草公会堂へ。
 今夜は『ビートたけしライブ3』の日。
 電波では一言も聴けかなかろう1時間余りの過激フリートークで満場の場内はピークを迎える。
 後半、衣装換えを果たしたたけしさんが、パワフルなバンド演奏で登場し、ギンギンなロックのコンサートとなった。落語をやるのかと想像していただけに度肝を抜かれ、いきなり会場がハイテンションに導かれた。たけしさんカッコイイ。浅草で演奏されたラストの『浅草キッド』では、会場の面々の瞳に光るものが。おいらも涙腺ギリギリ。

 終演後、控え室を訊ね、殿を労い、打ち上げの会場となった居酒屋へ。
 総勢数十名となった宴は深夜まで続き、間近で聴こえる殿の話に耳を傾けながら、至福の時間が過ぎた。なんという奇跡の夜なのだろう。
 打ち上げ終宴後、興奮やまないHと2人、西麻布へ移動。
 生涯指折りの最重要な一日となった。飲み終えた解散後、一人かおたんラーメンで〆たことはHには内緒にしておこう。

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2016年 02月 17日

乗り切れる

 『H』での打ち合わせのことをすっかり忘れていたとおぼしき輩は結局最後まで現れず、ならばとLINEで呼んだYとサシ呑み。でもYを呼んでよかった。激烈に落ち込んでいたタイミングだったそうだったから。
「よねさん、どこかで僕のことを見てたんじゃないですか。すごい嬉しいです」と、イレギュラーな誘いだったにも拘わらず、実にタイムリーなタイミングだったようだ。
 会社経営で人間関係の方で行き詰まり、すべてが悪い方向へと向かっている様子で、本気で励ましの会となる。社員のためをと思い奔走し、金策する社長Yの行動は全部裏目に取られ、歯車がかみ合わなくなってしまっているのだと。Y、頑張れ。お前なら乗り切れるはずだ。

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2016年 02月 16日

一つになった

 NちゃんとKさんとを仕事で結ぶきっかけになればと一席設ける。銀座一丁目鮨を経て、西麻布〜Hへ。仕事を睨む3人の意識が一つになった夜。

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2016年 02月 13日

後輩のM

 都内から小田原まで新幹線で向かった。車内は今回も崎陽軒。喰わずにおけない崎陽軒。
 到着した頃から何となく霧雨状態。

 小田原市民会館の小ホールは随分年期の入った建物だった。
 聞けば今年の6月には取り壊すとかなんとか。それほど古い。
 午後6時前、作家:夢枕獏さん到着。今夜は、獏さんの講演の日。取り仕切るのが後輩のM。この日が待ち遠しかった。

 夢枕獏講演……集客は250名を越え、200席にプラスして椅子を追加したとか。獏さんの表現力しかり、声も抑揚もリズムも内容も、益々の盤石・バーフェクトなライヴで萌えた萌えた。本当に本当に完璧な講演だと今夜も認識したおいら。獏さんすげー。

 雨の降る中、おいらも便乗して美味しいご飯(高級鉄板焼き)にありつけ、感謝と恐縮で胸もお腹もいっぱい。後輩のMがどんどん偉くなってくれてて本当に嬉しい限り。

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2016年 02月 9日

ささやかに

 寒い日。ハイネックのインナーでなかった故、久々にマフラー着用。
 連続で赤ワインの日。
 少し遅れたYの誕生日を『S』でささやかに祝う。友は姉と従兄弟と同じ誕生日で奇遇。

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2016年 02月 4日

新橋の焼き肉

 本日の、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』完成披露試写の案内が昨日になっても来ておらず、当日になって担当者に問い合わせ、詳細をバラバラの通知で知る。
 残念ながら入稿で行くことは断念せざるを得なかったが、あらゆる意味で脱力。覚えておこう。

 夜、念願の飯会はNちゃんとのサシ呑み。多くの仕事で絡みながらも、昨年から全然会えてなかった彼と今後の作戦会議を兼ね、新橋の焼き肉へ。彼から仰天の幸運のお知らせを受け、とたんに景色がバラ色(笑)に。なんにせよ、青年よ、おめでとう!
 彼の自宅も考慮し、新宿経由で漫画情報なども仕入れつつ帰途に。

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2016年 01月 7日

都内の某会社

 デスクワークを中断し、印刷所から届いた本文データをデザイナーSくん仕事場へ中継。その足でKさんと待ち合わせ、新規コンテンツ事業を始めるという都内の某会社を訪ね、2時間のミーティング。
 今年は何がどう始まってゆくのか、楽しみでもあり、闇の中でもあり。
 帰社して諸々、原稿の入稿準備。
 夜、Kさんと待ち合わせ、最重要案件となろう打ち合わせの続き。

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2015年 10月 7日

今夜も赤ワイン

「チョイト一杯の つもりで飲んでいつの間にやら ハシゴ酒気がつきゃ ホームのベンチで ゴロ寝これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ分かっちゃいるけど やめられねぇ ア ホレ スイスイ スーダララッタスラスラ スイスイスイスイー」

 「ベンチで ゴロ寝」はしていないが、今夜も思いの外このパターン。
 ゴールデン街でHと待ち合わせ、先日の取材で御世話になった某氏を含めて、数件の梯子酒。
 気がつきゃ自宅で布団に寝ていた。

 9/30の朝、前日明け方の赤ワインで、後半、独走態勢となっていたのだったが、生涯で初めて玄関で目覚めたことを書き記すのを忘れていた。朝、Rちゃんはさぞびっくりしたことだろう。これは果たして老化なのか。

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2015年 10月 5日

薬局の問題

 時折、意味不明の咳で咳き込むことがあるので、さして大したこともないのだが、(明日もある)演奏中に咳き込むのは困るので薬だけ確保しておこうと、前回訊ねた内科へ。
 小児科も兼ねた病院だが、駅と事務所の間にあるのでこの病院は重宝だと決め、2回目の通院となった。

 小児連れのお母さんが、「何故あなたのような職業の判らない風貌の人がこの病院に?」……とまで考えるのは行き過ぎだとしても、ふわっとした違和感の目線を、受付の方同様に感じながら肩身の狭い思いで診察を待つ。ギターを抱えていたことも理由の一つだったか。
 
 主治医に症状を伝え、咳き込み防止の薬を処方箋に記してもらう。

 すぐ隣の薬局へ処方箋を持って行くと、患者は1人しか見当たらなかったが1時間30分くらいは待つそうだ。「じゃあ、いいです」と断り、すぐ隣の薬局へ行くが同様の状況だった。

 結局一緒じゃねぇかと、初めてなので問診票を書かされ、再び保険証を提示。薬局で薬を受け取るだけに、とても1時間30分も待ってられないので、「場合によっては2〜3時間後に来てもいいんですか?」と伺ったところ、それで問題ないという。さらに聞けば明日でも大丈夫とのこと。
 こちらは知らないことばかりで、その辺の事項を伺っていたのだが、面倒くさそうな目線を向けた受付の者の空気だけは見逃さなかった。「なんでまだ、つっ立っている?」的目線。
 一度に説明すればいいことを、一々聞かねば判らない回答をするので、およそ10分間にも及ぶ大きな時間のロスをしてしまった。大きな時間のロスを。気分悪。
 薬の受け取りは当然、明日だ。お茶の水駅真ん前のここには明日以外、もう行かない。

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2015年 10月 2日

新宿二丁目 恵比寿

 新宿二丁目某店には14時前に到着。
 俳優Sさん、作家Yさんとの対談取材を決行。
 演技論、俳優論、果ては人間論へと話が繋がり、2年近くやっているこの企画の中でも珠玉の対談原稿を得た感触。
 両氏に感謝。

 事務所に引きあげ、入稿は相変わらず。
 20時を回って編集Fと待ち合わせ、徒歩で懇意の店Bへ。

 おいらの原稿の添削先生ともなっているFとの酒は、互いの子供の話からこの世のすべてのカルチャーまでジャンルの境目なし。大概そうした友としか酒を呑んでいないのだが。
 何でも回答してくれるFとの、次回の家族含めた再会を楽しみにしつつ、恵比寿の夜が更けた。

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2015年 08月 12日

紙袋がない

 昼間の電車ではなんだか眠くて眠くて仕方がない。自覚はないが、多少疲れてるいるのか。
 電車で最寄り駅に着く直前、船を漕いでおり、着いて慌てて飛び降りた。改札からしばらく歩き、事務所の机に着いた瞬間、札幌で買った土産の半分くらいを詰めた紙袋がないことに気づいた。

 中身は菓子折3つ4つつ、塩のパック2つ3つ、ふりかけ1つ。そんなところだったか。でも総額5000円分くらいはあった。
 下車して30分ほどは経過しており、慌ててJR忘れ物センターへ電話したところ「届けはまだない」と言う。「少し時間を開けてかけてみてください」とのことなので、さらに1時間を後にもう一度かけたが、紙袋は出てこない。
 東京行きの、お茶の水駅で下車した中央線なので、終点の東京駅から折り返しの乗客がすぐに乗ってくるので、もはや望みはなしかと諦めながらも、もう一度だけさらに1時間後にかけたら、「紙袋ですね。届いていますよ」との回答が! びっくりしながらも喜んだ。
 誰だか知らないが既得な人がいたものだ。東京も捨てたもんじゃねぇ。
 中身は、雑多なビニールや紙袋に包まれた菓子、塩、ふりかけなどだけだったので、きっと、どこぞのばあさんの忘れ物かと思ったんじゃなかろうか。可愛そうなんて届けてくれたんじゃなかろうかと勝手に思っていた。
 まぁ帰京して即刻間抜けなことしてるおいら。益々自分を信じずに、日々気をつけなきゃならぬ。あーアホだ。

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2015年 08月 3日

会合

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 夜、新宿会合。

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2015年 07月 19日

トマト狩りと芋掘りとジンギスカン

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 正午を挟んだ最も日照りピーク時間帯に府中へ。
 同級生:Jの畑で今日もトマト狩りと芋掘り。
 正味30〜40分程度の作業中、滝のような汗が3人の顔面と背中と胸元を伝わった。でも気持ちのよい汗。帰宅直後に水浴びすることを、Rちゃん共々決意する。
 今日もJによる、嬉しい貴重な時間と環境の提供に脱帽。
 帰途の道で何ヶ月ぶりかの洗車と給油。大枚をはたく。
 とんぼ返りで帰宅し、即風呂。
 
 夕方、後輩にして尊敬している一流ビジネスマンMと新宿待ち合わせ。日曜日だったこともあり営業店を知らないこともあって、珍しく、何も考えないまま適当な居酒屋に飛び込もうと思っていたら、たまたま目にしたのがジンギスカンの看板。一昨日喰えなかったそれに即決定。
 これが意外とイケたのでラッキー。しかし北海道のそれ系の店は格段に味の違いがあるのだとMに教えてもらう。

 メニューをよく知らないまま、90分食い放題、飲み放題一人5000円程度のコースを選んでしまっていたが、肉類は最初の盛りをなんとか完食しただけで、むしろ野菜盛りのおかわりを3回頼んだ程度。バイキング方式だったご飯も食べられなかったし、全然食べ放題しなかった。一人3000円台のコースにすべきであった。

 かつての(25年以上前の)Mの爆食いは、それはそれはすごかったし、かつてのおいらにしても、きっと今夜の倍の肉量は胃袋に食い納めていたろうに。
 生ビール1杯、ハイボール4杯程度で満腹ギブアップ。

 バーのばしごで最終的には三丁目のBで赤ワイン。店主のD、常連客のお二方と意気投合の文字通りの痛飲で、気がついたら午前5時を回ってしまっていた。なんてことだ。

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2015年 07月 1日

もう7月

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 誰にとっても平等である時間の経過ながら、気がつけばもう7月。
 この半年の過ぎ去る体感速度の速さたるや驚く。
 
 午後の昼間から集英社3丁目ビルで俳優Sさん、作家Hさんの対談。
 冷静沈着なトーンでの対談は興味深い内容で、予定よりも1時間以上を押しての取材時間となった。お二方、お疲れさまでした。
 この段階ではこのテキストをどうまとめてよいものか、毎回見当が付かない。頑張るのみ。
 
 夜、Hさん&Nちゃんの食事会へ。
 Hさんの人望は、相当昔から時折耳に入っていたので、かねてから一度きちんとお会いしてみたく思っていたのだったが、今夜はその願いが叶った。
 バチの当たりそうな豪華で品格ある和食を恐縮しながらも堪能させて頂く。この物件モノが違うという確信。そのクオリティとは違って、料理以外にちょっと違和感を感じる場面はあったが飲み込む。

 梯子はいつものBOSS御用達のバー。こちらも、もう何度訪れたことか。
 貴重な思いを心にしまい、Nちゃんと三軒目。
 もはや馴染みと言いたいバー『h』に座ろうと指定された奥の座席に行ってみればヤンジャンS、H、そして御大K先生の姿が。
 ご挨拶して分かれて飲むものの、やはりこれは合流すべきと小一時間後、同席させて頂いた。すると、同じくヤンジャンCが美女連れで入店。いきなりの合流酒となり、大人数で明け方までの盛り上がり。Nちゃんは呆れ気味だったかもしれないが、おいらは充分に笑った。
 こんな爛れた夜もあるのだ。 

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2015年 06月 3日

39年会

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 おいらにすれば、職場からは近いものの、白山なんて場所で飲む機会はこれまで一度もなかった。
 本年度『39年会』はIちゃんの勘でこの地に決まり、現地集合でカメラOと待ち合わせ。
 ど渋の店構えなココ。暖簾をくぐると大層な風格と年期を感じる風情。カウンターに立つオヤジさんも只事ではない空気を醸しだし、かつ温かい雰囲気。伺えば開店78周年なのだと言う。つまりおいらのおふくろが2歳の頃から営業している店ということだ。恐るべし。
 芋焼酎を頂きながらつまみをほおばる。この店、申し分なくイケてる! と瞬時に確信を頂き、後半の握りで完全にやられた。
 この店、好き。
 次回はいつ、誰と予約するべきかと、思考がそれだけに働き出していた。

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2015年 06月 2日

正直日記

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 遅い夕飯を地元民Sと。もう閉店の時間かな? と思って鮨藤の暖簾をくぐったら、まだまだ大丈夫の時間とのこと。久しぶりにKの寿司を頂く。

 Sを見送り、闇太郎先発隊の先ちゃんチームに合流。
 出来たての、似顔絵&サイン入り文庫本『正直日記』を先ちゃんに頂く。感激。
http://www.amazon.co.jp/dp/4309413773/
 この文庫は、飲んでばかりいるおいらの記述も多く出てくることは、単行本
http://www.amazon.co.jp/dp/430901741X/
ですでに承知しているが、再び90年代後半からの己の行動も一部確認出来るので、冷や汗をかきながら改めて拝読した。

 解説の人も触れていたが、先ちゃんは仮に漫画家にならなかったとしても、なんらかの作家にはなってたんだろうな。文章の巧さにそう感じるのだった。先ちゃんの、例えばFacebook等にあげられたテキストしかり時おり遡って読むのだが、やっぱり痛快で適切で、ここ一番で文体を砕けさせるテクニック等々、毎度唸るおいらだ。
 何度も読み返したくなる感じ。

 闇お開きの後も、隣合わせた地元デザイナーの西野くんと初サシ飲みの『サークル』で〆。

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2015年 06月 1日

スーパーデザイナーF

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 遅い晩飯はスーパーデザイナーFと。
 先日の編集者ボスKさん送別会の際、贈呈したギタレレへ貼るお祝いメッセージと写真のアートワークを担ってくれたのがFだった。

 この30年近く、デザイナーとカメラマンには本当に恵まれる人生だ。勿論、作家にも編集者にも。映画、音楽業界の面々にしても本当に優れた友が多数で、SNSがここまで広がらなくとも真実の友の数はきっとあまり変わらなかったように思う。
 そのせいで会わねばならない輩が年々増え続け、すると自動的に飲まざるを得ない。つまり、やむなき連鎖なのである。

 その多くは久々の再会というパターンとなるので力も入る。今夜のFとの酒にしても随分と久々だ。多くの友のワーカホリックさも共通の現象で、優秀な人材は決まって仕事大好き。おいらの人間好きに匹敵するくらいw

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2015年 05月 22日

浅草

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 1996年、1997年頃のTさん取材現場写真、映画祭取材時のスチール写真をファイルに整理し鞄に。
 九段下〜飯田橋駅ホームでAさんと待ち合わせし、秋葉原経由で浅草へ。
 何年ぶりかにSママの元を訪問。
 同じ卓を囲み、ビール、芋焼酎を頂きながら、Sママにお出し頂いたつまみを頬張りながらTさんの話で盛り上がった。丁度、MXテレビの生放送に出演されておられたTさんのタイムリーさも嬉しかった。
 ファイルにはカンヌ映画祭での写真の中で、Tさんのサインを写したものがあったのだが、その日が1997年の今日5月22日だったことが妙に嬉しい偶然だった。Sママお元気で嬉しい。次回の再会も約束しつつ、程よき頃においとま。Aさんと共に原宿のバーへ。

 Aさんより昨年の誕生日に頂いた高級スカーフは(恐らく飲みの最中に)うっかり無くしてしまった失礼千万なおいらだった。数ヶ月心当たりを探し回ったが発見されることはなかった。そのことはご本人には内緒にしとくわけにはいかず、ある食事をする機会にその失態をAさんにお伝えしたところ、「モノってそういうものだよ」と当たり前ように優しい言葉をかけてくださったのだった。オマケに、その日もう一枚のスカーフをプレゼントとして持参してくださり、その日はもう恐縮だけの夜であった。

 そして今日、電車の中でふいに包みを渡された。「もしや?」と汗を拭い、中を確認したところ、昨年おいらが無くしてしまった商品(ほぼ一点モノに近いシリーズの品だったはずなのに!)と同じデザインのスカーフを再び贈呈くださったのだった。歓喜! 衝撃! Sママとの再会同様に、恐縮×∞のような気分に陥り感謝の気持ちに満たされた。
 Aさん、ありがとうございました。
 
 原宿から千駄ヶ谷へ歩く途中、塩ラーメンを補給し、たまたま通りかかった同志Tの務める会社の社名をTに写メしながら、酔い覚ましに2km弱程歩いた。

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2015年 05月 19日

フランクフルトよりKが来日

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 およそ2年ぶりにフランクフルトよりKが来日。予約してた新宿の店『S』で、いつものNも誘い待ち合わせた。
 Kの友達ゲストで初対面のY、おいらはNちゃんをお誘いし、最終的に5人の宴となった。
 相変わらずKもNも酒は飲まないのだが、YとNちゃんがいけるので赤ワインを頂いた。こうも楽しいものかと思うほど終止愉快で楽しき時間が流れる。今夜もやっぱりあっという間に。気がつけばタイムリミットとなったKとYを見送り、残った3人で最後の一杯。みなさんとの温かい時間に感謝。

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2015年 05月 11日

寿司屋の緑茶ハイ

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 落合、東中野界隈の絶品寿司屋でO&Uに御世話になった。
 探せばこうした名店もきっと色々あるんだろうけど、こうした機会はなかなか少ない。
 ドリンクメニューに書かれてあった「寿司屋の緑茶ハイ」という記述が気に入った。おかみさんが出版されたと言う、2冊の文庫を賜る。
 新宿へ河岸を変え、数軒の梯子酒。O&Uに感謝。

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2015年 05月 4日

多摩川河川敷BBQ

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 府中本町駅から分倍河原駅へ乗り換えしようと、ホームに到着した車両に乗ろうとしたらドアが開かない。やがて沿線での人身事故をアナウンスし始めた。ならばと徒歩で分倍河原へ。上京し初めて飲んだ場所が分倍河原だったのが、この語感のインパクトは今でも覚えている。
 JとY夫妻とJ宅前で待ち合わせ、J地元のスーパーで食材を大量購入。
 Jは自転車、我々はタクシーで多摩川河川敷へ。
 BBQスポットのスペースにはすでに大勢の人々が。
 本日は初めてこの地でのBBQ日。
 なかなか着火しにくい風の状態だったが、Jはやはり秘密兵器を用意しており、万全の環境作りを実現していた(笑)。それにしても野外で食べる肉の美味さって一体なんなんだろと思う程、美味い。調味料も塩で十分な感じ。Rちゃんのお顔を観ながらのBBQ、まぁ最高だ。そして、Rちゃんを楽しませるために長い長い縄で全員参加の縄跳びに尽力してくれた50歳オーバーのJとYに感謝(笑)。

 解散後、まだ飲み足らないおいらはJとサシで分倍河原のパスタ屋へ。
 そろそろお開きの頃合いにHよりメールが入り、諸事情あって新宿で落ち合うことに。おいらは空のクーラーボックスを抱えたまま単独で新宿三丁目を目指しHと合流。そこから西麻布へ河岸を変え、空のクーラーボックスを抱えたままおしゃれなバーへ。マスターが優しい方でホッとした。宴の終わりは午前2時過ぎ。都合、午前11時から午前2時まで飲んでしまった。

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2015年 04月 30日

大腸内視鏡再検査

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 9時起床。液体の下剤を予定だと2Lを飲み干さねばならない。
 最初のコップ1杯は15分ほどかけて飲めと記してあり、ゆっくり3〜4時間かをかけて全部を飲むよう記されてあった。
 1杯目を飲み干し、わずか10分15分で排便が始まり、5〜6回の排便が数分おきにくるのだが、3回目以降は呑んだ液体がそのまま出てくる感じで、己の宿便の量が大したことないのを知る。そもそも便通は万全の人生。結局、液体は半分の1Lを残したくらいの消化量で準備完了。
 午後2時30分、クリニックで受付を終え、俊敏にガウンに着替え、診察室へ。
 2名の看護師、1名の中年女医(昨年も女性)に促され、指示通り身体の角度を動かす。
 検査は正味30分程度ながら、1年前の前回の同じ検査の際よりも激痛を伴い、一瞬のたうち回る状態に。昨年の際、ここまでの痛みの記憶はない。
 膨れあがる腹部、「どんどん空気は出してください」と指示され、内視鏡と共に送り込まれる空気をおなら状態で出したいのだが、内視鏡が大腸を塞ぎながら入ってくるので上手くおならも出せない。この筋肉の使い方は困難であり、技術がいる気すらした。内視鏡をかわしておならする技術。
 痛みに耐え、我慢に我慢を重ね、やがて内視鏡は最終地点まで到達した模様。
 まぁ〜散々のたうちまわった。冷や汗で首筋はホットに。
 そこからじょじょに内視鏡を抜きながらモニターで観察をするという寸法。内視鏡を抜く祭の気持ちわるさたるや、筆舌に尽くしがたい。もうやりたくない。

 痛烈な診察を終え、疲弊しながら帰社。
 腹部がガス(空気)で満タンな感覚で、大量の空気を出さねばモノも喰えない状態。
 入稿を一息つけた後、夕べの夕飯以来の食事となる林檎1コを丸かじり。
 夜は恒例の夜忍戒。いきなりシャンパンで乾杯し、ラムチョップなどを頂く。梯子酒は居酒屋の大衆料理。いつもよりも大量に喰ってしまった我々。大丈夫なのか、おいらの大腸は。

投稿者 yonezawa : 14:40 | トラックバック(0)

2015年 04月 29日

午後9時に下剤を2袋服用

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 昼食、鰤のそてい、夕飯のカルボナーラが美味。
 明日の健康診断再検査となる大腸の内視鏡検査を踏まえ、繊維質の夕飯はNGとされていた。
 午後9時に下剤を2袋服用し、明け方5時過ぎに就寝。

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2015年 04月 28日

高級鉄板焼き屋

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 午後、西新宿の高層ビル52Fへ。
 本日の特別対談の取材場所は高級鉄板焼き屋。
 小学生時代からのアイドルで漫画家のGさん、そして我らがBさんとの夢の取材空間が実現することに。
 このブログで軽く書き記す程度では到底説明しきれないほど、様々な影響を与えられてきたGさん作品。Gさんのコミックスを本屋で見つけたら内容など関係なしに目に入った作品は全部買っていた時代がある。Bさん作品同様に、生涯フェイバリットと呼びたい彼の作品群はおいらの本棚に何十年もコレクションされている。
 予定1時間30分のつもりが、食事の延長というフリーなスタイルで行ったこともあり、4時間以上の貴重な音声を賜ることに。ピュアなお二人の感性に隣でぶるぶるきていた。
 始めてGさんに認識して頂けた幸運の夜。
 今夜の記事は6月発売の青年漫画誌に掲載予定。

 タクシー乗り場でGさんをお見送りし、Bさん、F編集&F編集と梯子酒。嬉しい。
 新宿三丁目『Nash』で終電の無くなる時間までゴンゴン語り合い、F編集とさらに『アニーモ』で〆酒。あまりの良い酒が感無量。ふいに、F編集にクラギを上げたくなったので実行していた。

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2015年 04月 24日

LIVE&25年ぶりの再会

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 ケーブル会社の作業員が来宅。ネット環境のモデムを交換し、すべてのパソコン設定を改善。小一時間で作業を終えてもらう。
 フェローズより前回の展示会で注文していたTシャツが到着。SO COOL。

 夕方、渋谷サイクロンでFFPのライヴを久々に観戦。
 いよいよ流通にバンド音源を乗せた彼らを祝福したし。25分のステージを最後方から凝視。
 終演後、VO.絵美より新作CDをもらい、翻って1時間30分の遅刻で恵比寿へ。
 元呑め呑め団団長K兄にお誘い頂き、C、Y、25年ぶりの再会となるCAのKと飯。瞬時に25年前に時空が戻る。
 元ヤンジャンチームでの酒空間の居心地良さったらない。

投稿者 yonezawa : 09:34 | トラックバック(0)

2015年 03月 1日

和田ラヂヲ兄の勇姿

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 Rちゃんの遊ぼう遊ぼう攻勢で午前9時起床。
 最近、マヨネーズも納豆も少しずつ食べられるようになったRちゃん。昼食は渾身のトマトクリームパスタ。
 3/3ひな祭りの日にドームで行われるKISS公演。
 メイクはしてあげたいのだが、学校の終わる時間、仕事を切り上げられる時間の兼ね合いで難しそう。
 夜、バラエティ番組『オモクリ』で和田ラヂヲ兄の勇姿、拝見。

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2015年 01月 8日

全シーズン観終えた

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 9割9分は終わった感覚ながら、1月刊コミックスカバーのコンセンサス校正を終えた。
 夕方、S氏と待ち合わせ、ハイヤーで千葉へ。
 本日帰宅したのはいつもより早めだったが、誰も起きてはおらず。

 先ちゃんに勧められた『ウォーキング・デッド』はhuluで観られる全シーズン観終えたが、このシーンで終わりとは後を引く。TSUTAYAに行くべきか。

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2014年 12月 28日

食事会

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 大道塾吉祥寺支部:飯村師範の家族と我が家の面々で久々の食事会。
 何年おきだか折に触れて家族会をやっているが、子供の成長に互いに驚く。
 今年数回訪れたチェーン店ではなかなかよい食材を扱う『Y』で、みなさん相当な量をもりもり消化。気持ちがいいほど。

 家族を見送り、飯村師範と久々のサシ飲み『ひで』へ。
 カウンターには知ってる常連が集い、深夜2時を回った頃、あくびの絶えない飯村師範の横顔を確認したところでお会計。『ひで』のSちゃんの姿は今日が見納め。

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2014年 12月 2日

Blu-rayディスクとパーカーの高級ボールペン

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 先ちゃんとかみかみとの3人飲みは、あたかもおいらの誕生会のようなニュアンスになっており、先ちゃんからはご本人の絵柄の入った新のTシャツと、わざわざ用意してくださったBlu-rayディスクを2枚。
 かみかみからはパーカーの高級ボールペン。大変恐縮した。お二人に大感謝。
 地元で寿司を頂き、梯子酒で爆笑。以降、なんらかの仕事に繋がれば最高なのだが無理なく、こうした時間を大事にしてゆくべし。

 先ちゃんを見送り、かみかみと迷わずタクシーで六本木移動。
 クラブ、バーをリズムよく梯子した。バーでは色んな意味で初体験の未来に向けた効能をうかがい知ることとなり心がリラックス。5年後の自分に期待。来て良かった。

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2014年 11月 30日

11月生まれ

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 11月生まれの友人知人は他の月に比べて多いように思う。地元の近しい飲みダチ連中にもそれなりに多く身内にも多い。そして身内の命日も多い。なんだか不思議な感じ。
 H&Mで買った防寒ジャケットと面綿シャツを2枚、本日生まれの家人に贈呈。
 夕飯は地味でも美味い豚汁とサンマの焼き魚。外のディナーよりも圧倒的に家の夕餉が好みなおいら。静かな一日が終わった。

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2014年 11月 26日

豊洲PIT ダーティー・ループス公演

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 編集Aちゃんとコンビニで待ち合わせ、豊洲PITでのダーティー・ループス公演へ赴いた。
 関係者受付前で漫画家:AH氏、担当編集者と合流。
 ライヴ終了後にはサイン会?のようなことがあるそうで、ライヴ前にバックステージを訪れることに。
 メンバーとはインタビュー以来の再会を果たした。いつもフレンドリーなメンバーを労い、本日のライヴの健闘を祈った。

 数分押しでライヴスタート。雰囲気はサマソニ会場ホールの感じ。
 緻密に作り込まれた(ある種、難解な)アレンジがPOPソングに風格ある彩りを添え昇華。そのメロディにそのコードかい! と心で突っ込む。
 ダーティー・ループの3人+鍵盤でサポートしていたメンバー全員のスキルはやっぱり破格。中域から高域の音よりも低域が足りなかった印象以外、鉄壁の演奏スキルに全員大満足。
 ヴォーカル・キーボード:ジョナは、控え室で見せる幼い雰囲気などまったくなく、ステージングはやはり圧倒的フロントマン。ドラムス:アーロン、ベース:ヘンリックがやるド・ファンクも聴いてみたいものだ。きっと彼らは今すぐに、どんな音楽も構築出来るのだろう。素晴らしかった。

 会場で久々に再会を果たしたIに忘年会の約束を取り付け、我々は成り行きで銀座へ。
 AH氏の文庫本は校了したこともあり、作詞家:海陸和彦が単行本等の英訳を手がける経緯もある故、割と身近な漫画家ともいえる氏ながら今夜が初対面。
 シャンパン、赤ワインでスペイン料理を頂いたが、この贅沢な時間が幸運だった。
 まだまだ話したりない気分ではあったが、AH氏の明日のスケジュールの過密さを考慮し、一旦解散。
 編集者3人で近場のバーへ河岸を変え、深夜2時過ぎまでの痛飲。
 この時間のまた有意義なことといったらない。10年、20年編集生活を経てきた友との酒は理屈抜きに最高だ。この面子だからこそ思い出す隠れエピソードというのが格別に面白いのだ。

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2014年 11月 25日

ホフホフ

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 hulu『ブレイキング・バッド』どうなる?どこにいく? シーズン4。
 プライベートも充実していると聞いたYとサシ飯。考えたら初のサシ飯だったが、そんな意識はまったくなし。ホフホフしながら美味しい水炊きを囲んだ。

 雨模様の日はえらく冷え込み、街の人々の景色も完全に真冬の様相。
 食事を終え、シンプルに解散。
 日常、新宿をベースに音楽を創っているハズのIと一杯いくつもりで、ようやく連絡出来たと思ったら不通。残念。

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2014年 11月 20日

夢枕・谷口

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 昨日とはうって変わり、雨も降ったからか特に冷えた一日。
 正午から稼働し、JR吉祥寺駅で夢枕獏さん、谷口ジローさん、編集Fと待ち合わせ。カメラTのスタンばる井の頭公園へ移動。

 若干残っている紅葉を背景に、両氏の2ショット撮影開始。
 冬の衣類をまとう両氏が、歩きながら語り合う姿を数カ所で撮影したが、イメージとしてはまるでジョニー・ウォーカのCMみたい。渋く、かつ温かい両氏の醸し出す空気が、各々の傑作作品とシンクロする。

 場を飲み友:Aのイタリアン・レストランへ移動。
 飲み物を頂きながら対談を行うわけだが、両氏が共に注文されたのがビールだったので、おいらも便乗させて頂く。
 谷口さんが今年、ルイヴィトンより依頼され、世界発売された書籍を土産に頂き、超大感謝感激。そこからノンストップ、怒濤の対談開始。

 書き始めると限がないので割愛するが、これほど重要で贅沢で温かい空間は他にない。赤ワインも数杯胃袋に収まり徐々に良い気分になるおいらだったが、なんとかタイムアップまで仕切りを終えレコーダーのスイッチをオフに。
 しかし、そこからもしばらくオフレコ話等に花が咲き、朗らかで愉快で興味深い時間が続く。小説&漫画『神々の山嶺』は生きているうち、必ず読むべし。

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2014年 11月 19日

高倉健11/10

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 待ち合わせの美味い焼き鳥屋でブランクの期間を計算してみたら、もう4ヶ月も会ってなかったことを、当事者Nちゃんと語りながら芋焼酎で乾杯。
 そのブランクの間に、出版業界でも様々な出来事があったし、数名の友が職場を移動したり。瞬時に過ぎ去る時間の早さをNちゃんとの会話でも実感していた。
 いつもの新宿へ繰り出し、年に数回の親睦会は最重要な時事、カルチャー、ときにアホな情報蒐集の場に。

*********

 小学生の頃、香港の俳優:ブルース・リーが大好きで、机の上に卓上のブロマイド入れを飾っていた。
 ブルース・リーに逆上せていた息子を知った親父がある日、「(ブルース・リーもいいけれど)高倉健はかっこよかぞ」……そう言ったことがあった。

 先頃、日本が世界に誇る俳優:高倉健逝去のニュースを観た。

 高倉健は、親父と同じ1931年、昭和6年生まれ。
 おいらがブルース・リーに狂っていたその時代の出演作は、『山口組三代目』、『日本任侠道』等。あるいは、後にDVDでも購入した超傑作『新幹線大爆破』など。
 ワイドショーでも散々取り出たされる『幸福の黄色いハンカチ』は子供の頃からのフェイバリット作品だし、『南極物語』は当時、彼女と観にいったものだった。『夜叉』にドキドキさせられ、最も多感な時期に観て、拝み倒すほどの影響を与えてくれた『ブラック・レイン』には、どれほど狂喜乱舞させられたことだろう。
 一昨年、遺作となってしまった『あなたへ』で、ビートたけしとの共演があったことは個人的な歓びとなり、勝手に朗らかな気分にさせられた。
 もしも会うことが叶うものなら、是非ともお会いしたかった最たる映画人。すでに近親者で葬儀は終わったそうだが、亡くなられたのは11月10日の深夜だったそう。

 勝新太郎、森重久弥、森光子、そして高倉健も不思議なことに、その11月10日が命日だったそうだが、かくいう我が最愛の父も、命日が12年前の11月10日の早朝であったことを不思議な想いで受け止めていた。

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2014年 11月 14日

内幸町のフレンチ・バル

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 内幸町のフレンチ・バルには初訪問。近年、映画絡みでは最も仕事している映画人の一人、C社Mちゃんに、同時通訳などのスキルのあるSを紹介する機会を得られた。
 のっけから初対面とは思えない彼らのフレンドリーなノリに、この上ない最高の時間を過ごすことが叶った。

 思えばMっちゃんとは、13年前の2001年に日本公開されたアメリカ映画『Memento』クリストファー・ノーラン監督インタビューからの歴史。
 当時、バンドで東名阪のツアー・ファイナルを終える日、つまり六本木・スイート・ベイジルSTB139でライヴをやるおいらに、Mっちゃんは上司のIちゃんと共に初めて会いにやってきた。
 「次の監督インタビュアーがライヴをやっている」という状況をイマイチ理解しないままやってきたMっちゃんは不可解なまま(笑)上司においらを紹介されたのだったが、そのエピソードはMが初対面の者に話す挨拶代わりの定番ネタ。

 聡明なトライリンガルのS&Mっちゃんと、近い招待3人で仕事が実現したならばこんなに嬉しいことはない。
 素晴らしい夜だ。記憶によれば4本目の赤ワインが空いた頃、閉店の時間となっていた気がする。
 ロカルノ映画祭、釜山映画祭、アッバス・キアロスタミなどなど、基本的に話題は映画中心の夜ではあったが、こうして信頼ある友が繋がり、未来の展望への可能性を感じさせる場に居合わせるのはともかく幸せだ。

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2014年 11月 7日

紙の月とOのお祝い

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 映画『紙の月』最終追加試写へ。角田光代原作、今月公開の新作映画。これはいち早く観たかった映画だったのだが、前回の試写会では満席で入れず断念。今日の追加試写は予約しての鑑賞っと本気でおさえた。内容、ヒリヒリヒヤヒヤ。蓮司さんと飲みてぇ、そろそろ。

 神保町に帰還。喫茶店で座った席の隣には、偶然元YJバイトのZくんがネーム指定の最中。
 
 約束の友と年内の取材打ち合わせ。のち、編プロで雑務&入稿を終え、夕方には同じ神保町のY&N宅へ赴く日だったのでKちゃんとKKと廣文館待ち合わせた。
 Y&Nは超高級マンションの住人。
 ホテルのようなエントランスから、扉までなんと3回のインターフォンを押して入るという作りのマンションだ。
 部屋にはY&Nの2人のお母様が来宅されておられた。明日はお宮参りだと言う。
 我々は3人は、まだ誕生して1ヶ月しか経っていないOの顔を観にやって来たのだった。昨日ヨドバシカメラで購入した、数年は使えるおもちゃ&粗品、心ばかりの寸志を贈呈し、お茶で乾杯。
 Yと出会った際彼はまだ学生だったが、今では会社を切り盛りする代表。すごいことだ。

 ベビーベッドに横たわるOのプニプニのほっぺと、お手々で一指し指をもう一度握ってもらいおいとま。

  Kちゃん、KKと軽く夕飯を頂き、おいらは校了のため一旦編プロへ帰還。
 近場のバーで待機していたKKと再び合流し、終電までの痛飲。軽〜く。

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2014年 11月 4日

明日の活力

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 ふいの約束でモノカキMと新宿待ち合わせ。
 近況を語り合うMとの時間は、様々な角度からモチベーションが上がる上がる。
 よく食べよく飲みよく語る。全部が明日の活力。

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2014年 10月 22日

フェローズ展示会

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 先頃、オフィスの引っ越しを経たフェローズの展示会へ赴く。外は雨で相当寒い。薄着過ぎた。
 現地でイースト(ジャイアント)吉田兄と待ち合わせ、代表:志村さんと歓談。仕事ぶりも彼本人も相変わらずcoolでかっこええわ。めちゃめちゃ忙しかろうに、軽く話し込むと会話の全内容が漏れこぼさずに成立する感じ。
http://pherrows.com/
 氏と同じくらいcoolな吉田兄と展示会訪問後、軽くお茶して週末のリハサール打ち合わせを終えた。
 11月2日(日)は吉祥寺曼荼羅2「Happy岩崎とNew wife、ZERO★BEAT、bambi」ライヴへ是非!

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2014年 10月 10日

六本木EXシアター試聴聴会

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 六本木EXシアターでの「LED ZEPPELIN『4』&『聖なる館』コンパニオン・ディスク試聴聴会」へ。
 今週はほとんどがジミー・ペイジ週というとんでもなく贅沢な期間。

 3度目のお目見えとなったジミーが壇上に登場し、今月リリースされるコンパニオン・ディスクの説明やら一部音源の爆音試聴会開始。
 こうした正式なホールで、ここまでの爆音で聴くLED ZEPPELINの贅沢さ。まさにロックの最終形を確信する。
 再びジミーが登場し、質疑応答を終えイベント終了。

 夜、台湾のOと、彼女に紹介された韓国のSとの初飯会に待ち合わせの場所へ急ぐ。
 遅れてY、さらに遅れて編集Fも合流。
 ここ数年、韓国映画の勢いとクオリティは誰もが認めるところで、おいら近年の、映画取材の多くが韓国映画となっている。なぜならクオリティが素晴らしいから。
 取材の際に、インタビューを行う映画監督だったり原作者だったり、俳優、女優であったりの取材対象者にメッセージをお渡しする際には、当然本国の言葉はベストとなる。ところが、韓国語の場合ハングル文字をまったく勉強してこなかったおいらに当然書けるわけもなく、その際にOを介してスペシャリストのSが取材協力を担ってくれていたのだった。
 一度も会うことなく、直接の御礼もお伝えしたことがなかったので、今夜の席を設けたのだった。
 O&S、いつもありがとう。そして駆けつけてくれたYとFにも感謝!
 そのままおいらは新宿三丁目へと消え、晩酌邸で朝を迎えた。

投稿者 yonezawa : 15:19 | トラックバック(0)

2014年 09月 3日

似顔絵

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 パソコン作業をやる端から夕べの深夜にはたまらん眠気で即おちた。
 昼食焼きそば。麦茶を4L分仕込んでほどよい気候の戸外へ。
 静かな事務所で9月刊コミックスの校了。

 夜、久々のサシ呑みで先ちゃんと新宿待ち合わせ。『ひろ喜』で鮨三昧。幸せ。
 二十何年ぶりかでスマホで似顔絵描いて頂く。早速LINEのアイコン差し替えたら「似てる」メッセージの嵐。二十歳代の頃の似顔絵は確かに若かった。黒黒とした髪の毛。似顔絵で己の年輪を垣間見るとは。
 先ちゃんと最重要約束を交わし、最後は吉祥寺で次郎系のヘヴィーラーメンで〆。今週は3K増じゃなかろうか。完全に喰いすぎ。

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2014年 08月 29日

夢枕獏 岡野玲子 リサ・ローブ

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 対談取材が続く。本日の作家:夢枕獏×漫画家:岡野玲子対談はもの凄く楽しみにしていた。
 獏さん原作の名作『陰陽師』はとてつもない大ヒット作となり、追い打ちをかけた岡野さんによるコミカライズも、これまた凄まじい大ヒットを放ち続けた。
 “安倍晴明”の立役者といえるご両人の対談が神々しい。ときめくインテリ対談の隣で、お2人の言葉を聞き漏らさないような思いで立ち会わせて頂いた。贅沢な時間だ。
 
 取材を終え、泣く泣く夕食会を丁寧にお断りし、速攻で六本木へ。ビルボード東京で行われるリサ・ローブの来日公演に家族で赴くために。

 リサ・ローブ……思うに、アメリカの女性シンガーソングライターでおいらの最も好きな人。5年8ヶ月ぶりのライヴとなった。しっとり落ち着いた名曲だけのオンパレード。世界中の女性シンガーのアルバム中、リサの1st、2ndが最も聴いたCDかと思う。

 終演後、控え室を訊ね、久しぶりの再会を歓んだ。おいらがライナーを書いた木村大の『ONE』、そしてトミー・エマニュエルの2枚組新作ベストを贈呈。前回、取材の際にリサに贈呈したメッセージつきのギタレレのことを訊ねたら、「2人の子供が弾きまくってるわよ!」と笑顔で応えてくれた。
 彼女に「名刺を頂戴」と2度も言われたので、もしかしてメールを送ってくれるのかも、と密かに期待している(笑)。

 ドラマ『若者たち』の劇中、女優の長澤まさみが歌ったリサの『ステイ』が話題で、彼女の弾き語りシーンを聴き、その歌声に感心させられた。リサは、また再びブームとなった。

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2014年 08月 20日

アイスクリーム・ケーキ

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 実は夕べの一次会では前日の深酒が激しく祟り、えずく瞬間も多々。よって、へたれのように水だけ飲んでいた。二次会からは呑んだものの、まぁ情けなし。

 今夜は大事をとり、チューハイ一杯に止め「いなり」のつけ麺で晩飯。店主:たくやの誕生日プレゼントとして(ご家族に)アイスクリーム・ケーキを贈呈。

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2014年 08月 9日

「暫」で二次会

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 10時前の起床。台風情報は深刻な雰囲気ながら、目測で見る限り雨も降っていない。

 毎年、ものすごい数の収穫をみせていた庭のハッサクの樹は少し前にダメになったそうでバッサリと斬られていた。トマトの木には数個の実がなっており、昨日食べた大葉やトマトも庭で作ったものだったそう。
 朝食にバナナと、とろけるチーズを乗せた食パンが美味。実家ならではの食体験。

 夕方7時を目安に薩摩川内市へ移動。
 ホテルへチェックイン。すでに海陸一家は無事関西から無事到着しており、海陸家と改めて対面。懸念された天候は快適。なんて間のよい旅なんだろう。
 ところで海陸家の2人のチビちゃんの可愛らしいことと言ったらない。ちょっと破格の可愛ゆさ。
 Rちゃん土産として、Rちゃんの名が入った手作りキーフォルダーを海陸妻Aに頂く。感謝。

 徒歩ですぐの、懐かしく美味しい焼き肉や「昌苑」へ。
 賑やかな夕飯を頂き、目的の地「暫」で二次会。
 同級生S、Mらはすでに到着しており、貸し切り状態で宴の続き。えもいわれぬ空間が愛おしい。
 メールで一言「弾くので歌ってや」の要請はしていたものの、いきなりの店内ライヴでまずはクイーン「39」を海陸先生に歌ってもらった。
 遅れてK到着。あとは、なし崩し的にビートルズなどの大セッション。
 深夜になって母や甥っ子などが引き上げた後も、梯子酒を含む宴は深夜4時まで。この集いは止められない。〆のスープパスタが今日も美味い。R、K、S、Mらに感謝。

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2014年 08月 1日

フランスからの客人

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 暑い暑い。クーラーのない部屋で目覚める。
 古い冷えないクーラーを廃棄し、ヤマダ電機でネット購入した新規クーラーの取り付けを想定シミュレーションする中、ひとつの事件が勃発。
 ものすごーく難儀。ものすごーく。
 
 夜、フランスからの客人Tちゃんと1年ぶりの再会。
 原発事故以来、大好きだった日本を断腸の思いで離れる決意を固め、祖国への移住を決断した彼。第三子がまだこの世に生を受ける直前だったので彼の選択は賢明だった。
 毎年この頃になると彼の家族は来日するペースとなった。
 入稿の兼ね合いで時間的にやむなく吉祥寺飲みは断念し、新宿Aで待ち合わせ。つもり話も1年分以上。盆過ぎの再会も約束し、終電間近に解散。Tちゃんは本当に原発問題が片付くものならすぐにでも日本へ戻ってきたいと会う度に話している。今宵も有意義なひとときだ。

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2014年 07月 31日

定年

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 先頃、めでたく定年を迎えられたDさんの労い会をKちゃんと。
 Kちゃんにしても、すでにS社の偉い方なのだが、Kちゃんが新入社員の頃、教育担当だったのがDさんだったそう。だが、社内の移動やらによって編集部がまちまちだったりすることもあり、このようなサシに近い形での酒席はこの30年のうちほとんど無かったそうだ。それを考えると「年にたった一度呑む輩」という友との距離でも充分密接だなと感じた。

 新富町の落ち着いた和食屋の女将は鹿児島県薩摩川内市の出身で、コース料理が出てくる度に、話は原発再稼働のこと。

 Dさんとは何度かサシ呑みもしたことあるし、折に触れて文庫の仕事もやった。
 きっと漫画界では最初で最後であったろう立川談志師匠からの帯コメントを貰った際のコミックス担当者がDさんだったと記憶する。
 何年前かの、Summer Sonic開催中、談志師匠から、「(帯のコメントが)出来ましたんでねぇ」という直電が携帯にかかってきて、ものすごく驚いたエピソードはDさんに最初にお伝えした。
 Dさんは喜んでくださり「ホントに書いてくれたんだ! 謝礼はいくらにしようか?」と、当時としては破格の謝礼を検討され、談志師匠も作者も、そしておいらをも労ってくださったのだった。
 気がつけば戦友とでも言わせて頂きたい諸先輩方がどんどん現役を退かれる年代になった。自分にとっても、還暦なんてもはや全然未来の話に聞こえないのが不思議だ。
 その年代になってみなければわからない、人それぞれの歓びや想いや悩みやジレンマを少しでも察知することが、次世代の者の使命でもあるように想う。まだまだ完全に現役を退かれるわけではないが、今後ともDさんとの距離は変わりませぬ。引き続き、ご指導よろしくお願い申し上げます。
 それにしても食い過ぎた。

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2014年 07月 30日

よみうりホール

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 かつて、よみうりホールで観たロイ・ブキャナンを思い出していた。そのステージであのギタリストはRolandJC120で鳴らしていたっけ。

 そのよみうりホールで、午後から行われる夢枕獏さんらの講演にギリで到着したらば、あと1時間後が獏さんの出番だと知る。合流したNさんとランチして獏さんの到着を待ち、定刻5分前に会場のお客さんに混じり着席。ほぼ満席で座席は埋め尽くされていた。
 爆笑のシーンも含む、せつなくも感動的な講演を拝聴。獏さん本日も盤石の出来。小説もすごいが、講演でも惹き込む。
 終演後、出版社の獏さん担当が勢揃いし一斉に名刺交換。箱ごと名刺入れを持ってきて正解だった。
 各々の紹介を終え、お茶しながら獏さんを労い、帰社。
 本日ノルマ分の原稿を入稿。鬼のように暑い日、まだまだ続いてる。

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2014年 07月 28日

5周年

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 部屋のクーラーの設置がなんと8月頭まで混んでおり、そこまで設置出来ないという確認を取り、頭が熔けそうになるが致し方なし……か。
 夕べはリビングのクーラーかけてソファで就寝。しばらくそうしなければ生きて朝を迎えられなそうな暑さ。
 馴染みの串カツ屋さんがめでたく5周年を迎えたそうで、久々にマスターのお顔見に現地へ。
 ひまわり油で揚げたカツは勿論だが、丁寧な仕事で作りあげた激うまの品々でお腹いっぱい。
 再来年を睨んだ最重要会議と最重要情報交換の夜。

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2014年 07月 24日

昨日誕生日

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 地元民Hが昨日誕生日だったのと、1週間前に駅近くでバッタリ遭遇したこともあり、久々の親睦会。BarH常連のKちゃんの鮨屋を始めて訪問。Hとの時間ももう7年なり経過しているのだなぁ。メチャ、パスタの美味かったひじり亭が懐かしい。
 ナイスな食材と包丁捌きで鮮魚をゴンゴン頂く。
 週末の納涼盆踊りで常連チームとは再会かな。

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2014年 07月 19日

品川区で待ち合わせ

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 懐かしい後輩からの誘いで、夕方、品川区で待ち合わせた。
 すでに某社重役で活躍するMは出版業界出身でもあるのだが、いつ会っても彼のクレバーさと優れたバランス感覚は不変だ。彼が出版時代、彼との連係によって実を結んだ企画はいくつもあり、第三者で共に海外に旅立った回数の最も多いのは確かMだったかと思う。
 懐かしい話1/3、10年後を見越したビジョンの話1/3、そして現在進行形の話題が1/3程だったか。知識と情報のエネルギーを得て、次回神奈川県での再会を約束。Mに幸あれ。

投稿者 yonezawa : 14:55 | トラックバック(0)

2014年 07月 15日

音楽性の一部

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 FacebookでSuper BassistTとSuper鍵盤奏者とSuper Sax奏者のTとTが出演するライヴの情報を得ていた。
 特に彼らに誘われたわけではないが、仕事のキリを付けられたので観戦しにゆくべと四谷三丁目のハコを目指した。
 時折ライヴをやるものであれば重々分かる「一人でも多くの友を呼びたい」気持ちが彼らにも勿論あるはずだろうに、彼らはこちらの仕事や日程を気遣ってか、ライヴの誘いをしてこななかった。その配慮が、余計に彼らの演奏を見たいという衝動に繋がった。

 2人の輩も誘ってみたが彼らの予定は得られず。遅すぎの開演30分前にNGのメールをもらったりで 、結局独りで現地に赴いたのだった。着いてみれば同建物の2Fか3Fで、相当以前おいらもライヴをやった場所だった。

 ジャジーでソウルでファンキー。間違いなく自分の求める音楽性の一部がここにもあり、ファースト、セカンドの2ステージをバーボンソーダで気持ちよく拝聴。
 Super DrummerTが可愛らしいパートナー連れで、余計に心も朗らかに拝聴。時間が経つに連れ、TのBassはうねるようにGrooveしていた。
 
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 地元に引き上げ、ふいに遭遇した有名漫画家YNさんと呑むことになり、LINEで会話していた先ちゃんらと合流し、結局午前4時30分に宴、終了。
 

投稿者 yonezawa : 12:45 | トラックバック(0)

2014年 07月 13日

bambiのBBQ

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 午前9時から稼働。Rちゃんが宿題をやる間、唐揚げ、おにぎり3合少々分を仕込み、昨日作っていた(予め殻を剥いた)ゆで卵、保冷剤、氷、食材、ウェットティッシュ、おしぼりなどをクーラーボックスに詰め込む。これが相当な重量となった。これにRちゃんの遊具のボールとか敷物とかも抱え、自転車の前後にどかんと積んで近場の大型公園へ。

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 現地に着くとすでに、業者に10人前頼んだBBQセットのテーブルと椅子が並べられており、なんだか雰囲気があって嬉しい。
 とても家の近所の公園には思えない絵面で、遠くに遊びに来た感バリバリ。
 Rちゃんは久々に再会したMちゃんと女の子同士2人で様々な遊びに興じる。大人も混じって。

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 大先生持参の2本のヤマハ・オールド・アコギはなかなかナイスな物件で、響きもブライトで素晴らしい。早速、出来たばかりだというオリジナルを2曲弾きながら感触を確認してみた。

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 野外の仲間とのBBQは何故こうも美味いのか。食べて呑んで食べて呑んで、弾いて呑んでまた食べて……。

 二次会は我が家に大丈夫な面々を呼び込み、宴の続き。ピアノsessionまで賑やかな時間が過ぎた。こうした愉快な時間は真夏に一度は設けたし。なんだかんだで、ふいの客人を迎え入れ、23時頃まで11時間呑んでしまった。

投稿者 yonezawa : 12:43 | トラックバック(0)

2014年 07月 10日

愉快な夜

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 交差点の書店で週刊誌を購入し、待ち合わせのコンビニに向かった。
 近場の居酒屋へ移動。
 今夜の友の人間的機微というか、個性的な魅力は底知れないものがあり、このサシ会をいつも心待ちにしているのだ。
 重要な情報を交換しながらどこまでも愉快な夜が更けてゆく。業務における第三者を思いやり、面白いと思える案件・企画を考えぬき、芋焼酎をもう1杯。今の段階は妄想の域を出るものではないが、そのやりとりがたまらない。
 彼が深夜の打ち合わせに行く前、最後にパブに小一時間立ち寄り、おいらは普通に帰宅。送っていたYouTubeの必見映像は観てくれたかな。

投稿者 yonezawa : 12:42 | トラックバック(0)

2014年 07月 8日

『ルパン三世』と個展と焼き肉

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 8月公開の映画『ルパン三世』初号試写へ。
 2時間少々の尺の作品であるにも関わらず、体感時間は半分くらいにしか感じられなかった。ストレートに素晴らしい。痛快で豪快で申し分のない作品の証人になった。肝心のキャストの熱意もパーフェクトといっていい。
 本作の監督である北村龍平の生きざまや、作品や、環境などに対して語ってきた気持ちに、なんの誇張もないことが証明されたようなクオリティであり、世界中のどこに出しても文句ない傑作が誕生したことを喜んだ。「北村の最新作が最高傑作」に誇張はなし。
 尋常でない棘をくぐり抜け、よくぞこの完成度を実現したものだと、上映後、彼を労った。

 その足で、アートコンプレックスセンターで今日から開催の、久住昌之さんの切り絵を中心とした作品展『season56(ゴロー)展』に顔出し。
 ファミマで唐揚げなど揚げ物等のつまみを差し入れに買い、ビールと赤ワインで乾杯。絶好調の久住さん、今日も元気。

 吉祥寺の『李朝園』はおいらが知るだけで30年はあるはずなので、相当な老舗といえる焼き肉屋だ。
 某人と現地待ち合わせでハイボールと肉で夕飯。しかし前回も前々回も、そして今回もハラミは品切れ。ホントにあるのかハラミ。
 場をいつものHに移し、時間の許す限り某人との近況報告と語り合い。途中、ふいの横隔膜(ハラミ)痙攣のしゃっくりが出て困った。何年ぶりだろう。ハラミ喰ってないのに。
 深夜3時を回った頃、解散。

投稿者 yonezawa : 12:41 | トラックバック(0)

2014年 07月 3日

二人のOさん

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 長き長き出版人生を真摯にまっとうされる二人のOさん親睦会の席には30分遅刻で到着した。
 一時期は同じ釜の飯を食い、大先輩でありながら世代を超えたお付き合いをさせて頂けた距離感がともかく嬉しかった。僭越ながら、長い間、ある種の親友のような気持ちでいさせてくださった彼らの温かい度量に改めて敬服していた。
 二人のOさんとの出会いは宝だ。梯子酒……愉快で朗らかな新宿の世が更けた。
 そして今後もこのまま同じ距離感でよろしくお願いいたします!
 

投稿者 yonezawa : 12:29 | トラックバック(0)

2014年 07月 1日

新天地

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 長きに亘り、映画現場のK組に参加し、殺陣の技量をもって映画界をサヴァイヴしたTMちゃん送別会を恵比寿で開催。
 貸し切り&酒は持ち込みで、野菜と肉と魚などをカレー風味で食した。

 TMちゃんとの出会いは、今から遡る17年ほど前のある映画の撮影現場だった。
 今も昔もシャープな出で立ちで、ほとんど同世代の方と思っていたところ、そこそこの先輩だと知った。つまり見た目が若いのだ。
 着かず離れずの距離で、年に数回ほどのライヴや酒席の場しか再会の機会はないのだが、17年前の撮影現場で知った彼らとの相性は心地よさを与え、当時そこで集ったメイキング班の繋がりは宝だ。まるで修学旅行のような、果てしなく愉快で贅沢な現場取材は、かけがえのない友との絆を産んだのだった。

 近々、関東から九州へ移住を果たすTMちゃんだが、うまく説明出来ないが、これからこそが、これでよりも距離が近くなった感覚が何故かある。ある程度の年齢になって家族を守りながらの一大決心だと察するが、彼のリラックスし、冷静沈着な表情を見て何も心配はなかろうと勝手に察した。
 終電までの4時間あまり、貴重で重要な時間はあっと言う間に過ぎ去った。TMちゃん、ご家族の皆様同様、新天地でのご健闘、ずっと祈っているよ! 子育てするなら九州は最高だぜ。

 地元へ引き上げ、居酒屋へ。
 脚本家Kさんと待ち合わせ、さらにディープな深夜までの贅沢な酒に感激しながら、ROCK談義に花が咲く。本日出会ったすべてのみなさんに感謝。

投稿者 yonezawa : 14:23 | トラックバック(0)

2014年 06月 26日

メモとサイン

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 昨日のニュースで流てたけれど、「ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』の直筆歌詞(メモ書き)が、サザビーのオークションで204万5000ドル(約2億860万円)で落札」だそうだ。
 関連サイトによれば、この手の音楽の草稿としては史上最高額なのだと言う。アメリカ(ワシントンD.C.)ザ・ロジャー・スミス・ホテルの用紙に書かれていた単なるメモで、メモの中にはイラストも書かれてあった。いずれにせよ単なるメモだ。

 このような希少価値のものとはまた別なのかもしれないが、ジミー・ペイジがギターにサインをしなかったり、アヴリル・ラヴィーンがサインすることに相当慎重である、という裏には、一気にこうした法外な価格になってしまうことも起因しているのだろう。ジミー・ペイジはインタビュー中、高等するチケットのオークション価格についてそのようなことを語っていた。なんといってもペアチケット(2枚)を1900万円で購入したファンがいるのだから。
 ジミー・ペイジにギターを渡してサインを貰おうと思ったところで、その前の時点でおつきのマネージャー及び、有名専属フォトグラファーに制され、止められるのだ。ギターがあるとスタッフに「そのギターはプレゼントか?」と聞かれるので「そうだ、プレゼントだ」と言い、ある工夫を凝らしたあるギターを贈呈したところ、神がもの凄く喜んで下さったことが、生涯の宝となったのだった。

 ジミーもジェフもおいらがプレゼントしたあるギターを(捨てたりあげたりしてなきゃ)持っててくれてるはずなのです。

投稿者 yonezawa : 14:11 | トラックバック(0)

2014年 06月 6日

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 雨。最低の一日の始まり。何も報われず。

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2014年 06月 2日

クーラーはつけなかった

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 夕べの寝苦しさもいきなりなり感があって、いきなり猛暑が来た感覚。確かに暑い。でも今日からクーラー入れると7月8月は一体どうなるのだ? という奇妙な強迫観念に陥りクーラーはつけなかった。

 昨日と変わらぬ炎天下の中、一日が始まる。編プロではもはやクーラーガンガン。
  
 夕方、ふいの集いの席に参戦。家族同然の友との酒。完全に無理をさせて遅くまでつきあってくれたHに大きく感謝。

投稿者 yonezawa : 15:33 | トラックバック(0)

2014年 04月 24日

銀座とハイヤー

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 「すきやばし次郎」にはまだ行ったことがないけれど、昨日の界隈の警備はもの凄かった。オバマ氏を見たいがための野次馬は通路に群れており、装甲車も相当数並んでいた。
 「すきやばし次郎」はビルの構造上、地下鉄直結であり、共同トイレだと聞いたが、SPの警備も神経を使ったことだろう。

 今夜はそこから、そこそこ近い場所にある鮨屋Iへ招かれた。
 今夜は、一般的には安易に会食の機会などあり得ないVIPな皆様方の末席に加えて頂き、新鮮な旬の味を堪能させて頂いた。
 Oさんに感謝の意をお伝えし、Kさん、Gさん、そしてSちゃんと共に銀座を数件梯子。最後には昭和なBarに落ち着いた。そのBarでの居心地が最も落ち着けたおいらだったが、いきなり某有名作曲家のKさんがカウンターへいらっしゃったり、明日は国民的漫画家Aさんがいらっしゃるといった情報を聞くと、妙に銀座の奥深さを感じ入った。

 ハイヤーまでチャーターして頂き、Sちゃんと2人吉祥寺帰還。
 「最後に一杯」っといつもの「ひで」に立ち寄り、ハイボール乾杯。編集S&漫画家っが合流し、深夜3時に解散。 

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2014年 03月 29日

調布脳神経外科内覧会

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 調布脳神経外科4月1日の開院に先立ち、内覧のご案内を頂いていた。
 前々から楽しみにしていたこの機会。午後から家族で現地を訪ねる。
 到着したところ、調布駅前が思い切り開発・変貌を遂げており、すぐには以前の地形が把握出来ず。
http://chofuneurosurgery.com/top/
 駅から徒歩1分の調布脳神経外科は立派なビルの3Fに構える清潔感のあるクリニック。取りそろえられた医療器具の充実ぶりも素晴らしすぎ。
 スタッフ、関係者らを前にしたオープニングセレモニーは(15分の遅刻をしてしまった)我々家族が到着した瞬間からやにわに始まり、おいらが鞄を置いてジャケットを脱いだ直後に演奏開始。こんなの初めて(笑)。
 演奏曲には、まだまだ身体にまるで入っていなかったオリジナル曲もありながら、イントロのリズムを聴いた瞬間、気持ち良く演奏していた。さすがbambiのグルーヴ魂。

 アトラクション終わっての撤収後はメンバーと当然の駅前居酒屋で時間の許す限りの宴会突入。 
 我が親友であり魅力的な盟友bambi:harukoは、やはり大したすごい女だ。

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2014年 03月 24日

『やまぐち』を予約

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 作家Bさんのお誘いで、銀座『やまぐち』を予約。定刻に待ち合わせた。今日のような仕事抜きのサシ飲みがまた贅沢。第三者がいる場合とは違う内容の話も多いので、今夜のようなサシだと遠慮なく意見交換出来るのだった。一昨年、Tさんサシ飲みの、筆舌に尽くしがたいあの空気を思い出していた。

投稿者 yonezawa : 11:27 | トラックバック(0)

2014年 03月 22日

そこそこ重さ

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 カメラKと久々にメールで連絡を取り、4月半ば過ぎの呑みを確定。ネット、携帯社会になってみんなしっかりと予定を組むという体勢になったことで、多くの人たちの忙しさは仕事に限らず確かに増えた。1週間先の予定が全部決まっている、というのもそこそこ重さを感じる場合多々。

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2014年 03月 19日

損失は大きすぎた

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 平成13年に一度だけ行ったことのあったラーメン屋にたまたま飛び込み、食券機のメニューにあったつけ麺を注文。ところが、一般的なインスタントラーメンの方が格段にマシだという味に心底がっかり。それでも食べ干す己にげんなり。この一食の損失は大きすぎた……。

 先日の、Sちゃん&CMの結婚披露宴の写真がようやく上がってきたので、ご本人にデータ中継。
 ずっと応援し続けていた、Yを取り巻くある案件がなんとか起動に乗る展開を見せたそうで安堵。最も、夢の体現のためにスタートラインに立ったにすぎないが。Y、よかったね。

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2014年 03月 10日

対談とレコーディング

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 山の上ホテルへロケハンに。
 同じ場所で取材を受けていたYさんがすでに取材を終え、待ち合わせの時間30分前に別館ロビーへいらっしゃった。やがてHさん到着。
 今夜はYさんとHさんの対談の日。この日が実に待ち遠しかった。

 ロビーで迅速にスチール撮影を終え、対談は会食の中で行うことに。おいらにすれば10数年ぶりかの山の上てんぷらへ。
 およそ3時間弱の対談はあらゆる方向へと話が飛び、誌面に使う使わないは置いといて、ワイドショーネタにしろ全部が興味深い内容ばかり。
 2人の才人を前に、仕事と言えども異常に贅沢で嬉しい時間を共有出来た。今日もラッキー。
 取材後、お二方をお見送りし、雑務のため編プロへ徒歩移動。

 その後23時着で、目黒区のスタジオへ。
 今夜もスーパー・ミュージシャンKのレコーディングに立ち会った。
 レコーディングはスムーズに進行しながらも、その場で出たアイディアを音に昇華させるべく試行錯誤がなされ、録りは深夜2時近くまで及んだ。
 作品群は、どっしりとした新たな息吹を感じさせる音となる。世界でただ一つの創作がコツコツ構築されつつある。今回も手応え充分の夜更け。

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2014年 03月 7日

吉祥寺のイタリアンバー

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 昼前の帰宅になってしまい、一つの大きな約束を見失っていた。大反省。
 
 2時間30分の睡眠後、支度をして入稿のタイミングを見て事務所へ。
 バッチリの頃合いに届いた原稿をなる早で関連各所へ回し、いくつかの問題を結果的になんとか切り抜け責了に。

 夜は、漫画家TさんにG誌Fちゃんを紹介する日。予約していた吉祥寺のイタリアンバーに現地集合。
 そもそも深い仕事の話はする日ではない約束なので、徹底的に漫画、映画、音楽のときめく話で盛り上がった。集った面々の世代はバラバラだが、誰しも精神年齢はある意味18歳とか20歳で止まったままなんだと言うことと、「現代に大人はいませんね」という意見に全員が納得した。
 そのまま二次会三次会は勝手に吉祥寺を徘徊する展開となり、「闇太郎」を覗いたところ、先ちゃん、Gっちゃん、テンちゃん、ズミー、さやからの有名漫画家がズラリ。恐るべし。
 当然合流しての痛飲。今に知った、今に始まったことじゃないけれど、こうしたタイミングがふいに来ると壮観過ぎる。ゲストのKと、後から合流してくださった先ちゃんらと「ひで」のミートソースで〆。

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2014年 02月 15日

雪かきとbambi打ち上げ

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 車が完全に雪に埋もれた状態で、車検のために業者へ持ってゆくはずの今日の予定が狂った。
 納車は諦め、朝から後日振り替え等のメールを業者とやりとり。

 マンション1Fの駐車場スペースでは住人の数名がスコップで雪をかきわけ、正常なスペースを確保するべく作業していた。こちら、スコップのような気の利いたモノなどは当然持っておらず、家の中に何か使えるものはなかろうかと探すが何もない。玄関にあった長めの靴べらで車体に積もったぐらいの雪は振り落とせるだろうと考えた。後はRちゃんが砂場等で使っていたおもちゃの小さなスコップ類ぐらい(涙)。
 何もないよりはマシだだと考え、Rちゃんと駐車場へ降り雪かき開始。作業時間のかかり具合と低い姿勢に疲れ、しかし地味にも作業は続け雪と対峙。人生初の?雪かきを経験。靴べらはすぐに折れた。
 しばらくしたら隣人の方が使っていた、マンションの備品だというスコップを譲り受け、そこからダンプを使うような大きな気持ちになり、本格的に作業継続。正味90分くらいはこの作業を休み無く行っており、気がつけばジャケットの中は汗だくに。
 「そもそも雪合戦をしにきたのだ」と言い張るRちゃんは、この間ずっとおいらに雪をぶつけ続けている。こちら雪かき途中に雪を除けながらも、ときおり雪の塊を身体に受ける父を見て彼女は一人ケラケラと笑っていた。
 
 一入作業完了と見なしたタイミングで部屋へと引き上げ、Rちゃん共々、ついでに早めのお風呂に直行。

 夕方からは先だってのbambiライヴ打ち上げの呑み会を予定してた。Rちゃんは「bambiにいっちゃダメー」と言うが今日はごめんなさい。メンバーからのメールがなかったのでアルものと見なした夕方、自転車で打ち上げ先のワインBarへ。

 シャンパン、白、赤のワインを順調にゴンゴン空けまくり、食べまくった後、やはりのスタジオ・セッションへと突入。大先生の導く思いつきのコード進行をアドリヴで返し、実に愉快なセッションタイムを消化。しかし、ワインBarでもスタジオでも笑った笑った。

 メンバーと解散した後、Kと2人地元Barを2件梯子し、最後はスパゲティ・ミートソースまで食べてしまい午前2時過ぎに終演。Kは我が家へ。

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2013年 12月 11日

OOY忘年会

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 気がつけば待ち合わせ時間の18分前。慌てて地下鉄へ駆け込んだ。
 通常30分は見るべき場所にジャスト18分で到着したのは、乗り合わせのタイムラグがほとんどなかったから。1本前の都営線は人身事故で随分遅れたそうなのにラッキーだった。最寄り駅に着いたらそこから大勢の通行人をごぼう抜き。

 OOY会待ち合わせの新宿『鳥源』の店の前に着いたとたん、後ろからOさんの声が。
 まさにジャストで2名が到着。30分ほど遅れて新橋方面から合流されたもう1人のOさん到着。
 最も早い時期、能動的に決めたオフィシャル(?)で重要な忘年会を兼ねたOOY会開催。
 コース料理をお願いし、水炊きから雑炊までお腹ぱんぱんのメニューを食した。
 この店には芋焼酎はなく米焼酎。しかも41度と高濃度の焼酎だ。ここに来た時に限り、米焼酎を頂くのだが、これがまた鍋にも合って美味い。鹿児島県日置市産の物件。

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 仕事関連の話からプライベート、そして政治の話からゴシップな話題まで、OOさんとの席はためになる場でもあり、情報収集の場でもあり。おいらはどんな話も彼らには包み隠さず話せてしまうという不思議な感覚に毎度包まれる。とても15歳も年上世代の方々とは思えない距離感を勝手に感じてしまっている。お二人とも髪の毛が白髪になった程度で、現役時代となんら印象は変わらない。白髪はこちらもそこそこ負けてないし(笑)。

 前回のOOY会時よりも、ちょっと酒量が多いような気をさせてくださったお二方。一緒に呑む仲間が沢山呑む様というのは、飲んべえにとって嬉しいものであり、今夜はほのかにこみ上げる嬉しさを感じていた。
 丁度よき塩梅で一次会はお開きとなり、お二人をお見送りした後、おいらも大人しく帰途に。OOさん、(まだ半月残っていますが)今年もありがとうございました!

 書かねばならないレビューの音源を、寝る前にもう一度拝聴しておくとするか。

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2013年 12月 6日

音楽談義を共有

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 19日発売の単行本をここまで引っ張りながらも無事責了を迎えた。
 2回催促しても来なかった印刷所からの進行表は見ないまま、すべての入稿が終わった。このケースは初めて。

 そしてこんなケースも滅多にないが、今夜は諸事情あって西麻布待ち合わせ。スーパー・ベーシストTとサシのカジュアル・フレンチ。滅多にないパターンの重要な一日。

 気持ちのほとんどを彼に伝え、最も興味深い音楽談義を共有する時間が贅沢だった。
 ものを見つめる目線が的確であり、かつ雑学王。その上大人で、優しいマインドの持ち主。家族を愛し、心の澄んだ子供達2人をパーフェクトに育てあげたTの凄さに今夜も脱帽。

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2013年 11月 28日

熟成肉

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 みなさまから、メール、LINE、Facebook宛に沢山の誕生日お祝いメッセージを頂き、ありがとうございました。すべてのみなさまに心より感謝。
*********
 東京に来ておよそ30年経過するが、同じ誕生日の知り合いが6人ほどいる。この数は普通なのかどうなのか? 

 昼食にカレー食べて事務所へ。モリモリ校了やってると日が暮れ出した。

 今夜はK兄&Nちゃんとの会食の日。誕生日に男子3人でとても幸せ!……なのだろうか(笑)?
 食事の前にギターショップへ立ち寄り、ストラトを中心に物色と試奏で楽器屋数件の梯子。
 ひとしきりリサーチを終え、めぼしい機種をチェックした後お茶飲んで一路、東麻布へ。

 そして今日は、待たされた続けた熟成肉を喰らう日。「食する」というより「喰らう」が相応しい。
 1杯目にシャンパンで乾杯。そして口の中でほろほろした旨味を感じながら、赤ワインで肉をごんごん消化。美味い、美味すぎる。
 遠慮の無いギター談義で気分はこの上なき至福の状態に。「自分はこんなにギターが好きなんだな」と話しながら自覚していた。自分の誕生日にギターのことだけをずっと考え、赤ワインで熟成肉。これほど贅沢な時間はなかろう。来年も是非ともこのシチュエーションを望みたいところ。さらに、おふくろやらRちゃんが隣にいたらどんなにスペシャルか。

 酔いに任せ、1998年のカンヌ映画祭取材時のことを思い出していた。現地で自ら招いた生涯最高のアホエピソード。すべてが呆れた笑いに包まれることで、人生をかけたアホネタは申し分のない貴重な体験談に昇華したことにした。
 最も美味かった赤ワインのラベルを綺麗にパウチしてもらい、K兄とNちゃんにサインを頂く。今宵の朗らかな記憶の証。K兄、Nちゃんに今夜も感謝。

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2013年 11月 20日

ベイスメント

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 北区王子。ちょっと前にママになった映画宣伝のSより「私の地元で呑みましょう」という話になり、相当久々に訪れたのが数年前の王子だった。
 今にすればまるで縁のない街なのだけど、今を遡る29年前には、この地にもっともゆかりがあった。豊島五丁目団地方面へと向かう公道の道沿いにあったバブ『アラジン』が、おいらが上京して最初の職場であった。高円寺在のおいらは、ドア・ツー・ドアの条件で、トヨタ・セリカXXでこの地に通っていたのだった。

 飲み屋に訪れるお客に料理を提供し、カラオケのサポートをして接客……今から思えば、(現在の職種から考えるに想像しにくいという意味合いで)夢のような時間だった。本当にあったことなのか? っと考えてしまうような、毎日の出来事がまるで違う世界ような超接客業の時代だった。
 
 駅近くのベイスメント・スペースで知人の舞台鑑賞を経て、そのままとんぼ返りで神保町の焼き鳥屋へ。
 次回の企画をあれこれ妄想しながら、担当編集者であるなべちゃんとサシで語るひととき。焼き鳥、美味ぇ。
 すでにRちゃんよりも大きい孫のいる同級生Yのことを考えたなら、なべちゃんはおいらの息子だとしてもおかしくない世代。その彼と、様々な人物及びカルチャーへのツッコミ、妄想を含めた誌面の企画などをあーだこうだと語る時間がおいらは大好きだ。今日観た某背広のおっさんも可笑しかった。
 闇雲に先輩をたてるという物腰でなく、「こうした方が企画内容や文章の方向性が正解」という判断があった場合にはストレートに提案しあえる。そんな感覚が世代なんか乗り越えてまず有り難い。最高学府は伊達じゃねぇ。わずか2年の付き合いで、おいらの知るいくつかの方面の著名人と再会する場に彼を誘うことも、順番にだが徐々に叶い、それは個人的な歓びにもなっている。
 そうした著名人よりも、むしろ未だ会わせてもらえぬ素敵な某氏との念願の邂逅は果たしていつ訪れるのか……その節は楽しみにしております!

 明日は待たされまくったポール(涙)! すでに涙腺が危なし。

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2013年 11月 18日

大……

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 夕方のプチブランクをぬい、映画『大脱出』試写へ。
「アクションスターの2大巨頭、シルベスター・スタローン(67歳)とアーノルド・シュワルツェネッガー(66歳)が共演。最新のセキュリティで固められた監獄から脱出を図る男たちの姿を描くサスペンスアクション」という映画。

 試写の予定を日程表に記す際、『大脱走』と間違えて入力してしまった。
『大脱走』と言えば、1963年公開のスティーヴ・マックイーン主演作であり、瞬時に天才絵師で職人の岡本博兄を思い出した。
 岡本博兄と言えば、バイクに乗ったスティーヴ・マックイーンと、よくみる肖像写真のスティーヴ・マックイーンを思い出す。岡本兄とはしばらくお会い出来てないなぁ……。

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2013年 11月 16日

ポール・マッカートニー来日

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 8時に起きたが実質11時頃までぐだぐだ。リビングで遊ぶRちゃんの横にいながら、筒状の浮き輪のようなものを枕にしてゴロゴロ。
 正午前、Rちゃんに餃子を焼き、おいらは塩焼きそば。
 今日は外出せず、PC前でのゲームばかり。家族が寝た23時過ぎにこちらも壮絶な睡魔に包まれる。
 ポール・マッカートニーが来日を果たし、すでに数公演が行われた。そのコンサートに行った輩からの報告メールが数通到着。
 遡る、ここ3ツアーのポールの来日公演は、なぜか全部が11月11日から始まっている。
 前々回の公演「THE NEW WORLD TOUR」は1993年11月に東京ドームで観戦。
 前回の公演「driving japan tour」は、親父の危篤の知らせを受け、持っていたチケットは第三者へと譲渡。そのときの記録は、***以下のように記していた。
 親父は、ポール・マッカートニーの来日中に天に召されたのだった。
 後にこの記録(当時はブログという言葉はまだなかったような……?)を、一緒に訪れたBarで読んでくださり、涙を流してくださった敬愛するHさん、そして懐の深く優しいTの流した涙を思い出した。

***************************
2002年11月9日(土)

 昨夜の寝ばなは、普段よりも朦朧とした感触でしばらく寝つけなかったのだが、翌午前中にはあっさり目覚めた。
 メールの整理を終え、ネットで航空会社のチケットを予約し、帰省のための荷造りを行いながら、ポール・マッカートニーの最新ライヴ・アルバムを再生。このライヴ・アルバムはまさしく今、自分が一番聴きたいテイストの、深々と贅沢な楽曲のオンパレードであった。そういったノスタルジックな気分に浸りたいという己の正直な気持ちであったに違いない。
 来週半ば、観戦を予定していた東京ドーム公演はかなり楽しみにしており、チケットもなかなかいい場所を確保しておったのだが、明日から身の振りの見通しが利かない理由で、チケット2枚は第三者へと譲渡した。
 “ハロー・グッバイ”でスタートするCDは、とてつもなくパワフルなもので、ポールは「これほどの規模のワールドツアーは最後にしよう」と決めた覚悟のようなニュアンスが伝わってくる内容だ。その意志は、全体を包むテンションに正直に刻み込まれていた。
 きっと、きっと日本公演も素晴らしいコンサートになるのだろう。

 午後3時15分、渋谷マークタワーからのバスで羽田へ向かい、午後5時15分の便で九州へ。
 午後7時05分、現地到着後、14000円あまりのタクシー代を支払い、ダイレクトに病院へ向かった。
 携帯には母からのメールが届けられていた。
 「何が起こるか解らないので、食事はして来て下さい。本当に、お疲れ様ね。父は、永遠の別れに愛する息子を、待ってますよ。機上の息子へ」
 意識のないまま、今年8月に71歳を迎えた父親が、2年あまりの歳月を植物状態で過ごしている病室が目的の部屋だ。
 2年前の2000年10月18(17)日、仰天日記、空白の一日。
 わずか2ヶ月前に見た、比較的安定していた姿から一変し、様々な延命装置の機器が置かれた病室に横たわる親父の様相は素人目にも一転して写った。昨日から受け付けなくなったという流動食の管も医師の判断で取り外され、何年も穴の開けられた食道部分にはダイレクトに酸素が送り込まれ、排尿はベッド横のビニールへ。10日以上も続く39度前後の高熱が下がらないまま今日を迎えていた。輸血を終えた父は、気持ち顔つきが腫れていたような感じだ。
 ドライブインでうどんを喰い、一旦帰宅。
 母親は簡易ベッドを用意し、夜、再度出かけた。病室で一夜を明かすために。

2002年11月10日(日)

 病室へ簡易ベッドを持ち込んだ母親が、午前3時、ひとまず横になる前に連絡。
 「容態の変化が起きたら即連絡せよ」と伝言し、こちらも横になるものの、もちろん寝付けない。午前6時前、再度母親からの連絡。
 「血圧が70を切ったよ。もう駄目…」
 飛び起き、ここに書けないぐらいのスピードで車で病院へ向かう。到着し、インターホンを押し、院内の人が出てくるまでにおよそ5分を要した。
 病室へ辿り着いた。「5分位前やったよ」
 身の周りの片づけを始めている母親が佇んでいた。
 目の前には、天に召された父がいた。とても穏やかな表情をしている逝ったばかりの父親へ言葉をかけた。看護婦さんからタオルを借り、2年1ヶ月弱の期間、寝たきり状態だった父親の身体を拭いかせていただいた。現役時代より少し、細くなってしまった身体を丁寧に丁寧に拭かせていただいた。親父、よう頑張ったな。
 着物を着せ、合掌させた父親を葬儀社の車へ運び、一旦父親を帰宅させた。通夜は明日にしたかった。2年以上ぶりとなる自宅へは、なんとしてでも帰してあげたかったのだ。
 亡くなったこの日は仮通夜とし、一晩父親と家族と過ごす事にした。床の間に祭壇をもうけ、葬儀社が仮通夜らしいディスプレイを施した。
 町中の告別式の案内を見た近所の方々が、次々と訪問される中、夜、思いもかけぬ友人が焼香へやってきた。
 高校時分のバンド仲間、小村幸市と種子田聡。2人にご焼香をいただいた後、ビールと焼酎で彼らは父を偲んでくれた。心が和んだな。あとは、いつもの席となんら変わらない懐かしい話に花が咲くだけだ。仏の前でにぎやかに語り合うのは、仏に対して最高の見送りであると確信した瞬間だった。親父の一等好きだった焼酎“明月”を彼らと飲み明かした。
 同世代の仲間の父親というものは大概疎遠なものだが、我が父親はオイラの仲間のライヴ観戦経験や、酒の席や、面識をもった仲間が多い方に入ると思う。それは、何かにつけて親父の話を持ち出すオイラのせいだったのかもしれない。
 今考えるに、手前味噌ながら、無意識に自慢の父親という気持ちを少なからず持ち合わせていたからだったような気がする。久々に再会した彼らとの時間は、得も言われぬ嬉しさと懐かしさに包まれた夜となった。父の真横で酒を酌み交わした彼らのことは、生涯忘れられない想い出になるだろう。
 深い夜、誰もいなくなった父親の部屋で、大きく泣けてきた。親父が好きだった。今日は泣いても良い日とさせてほしかった。

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2013年 11月 15日

夕飯の焼き鳥

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 夕飯の焼き鳥は信頼を寄せるF&Nと。この3人での食事がおいらは大好き。
 遠慮なく何でも話が出来る友な彼らは博学で雑学見識も広い。彼らによって初めて知らされることや、参考になる考えを聞く時間は毎度ありがたい。
 Nちゃんと飲み屋を経由し、最後はここのところ恒例となってるたこ焼き屋での〆。
 満腹のくせに、またしても何年ぶりかの博多ラーメン屋に独り飛び込んでしまった。食べながら大後悔。

投稿者 yonezawa : 13:56 | トラックバック(0)

2013年 11月 7日

D.A.D

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 オムライスを食べて仕事へ。事務所最寄り駅に着くまで雨が降りそうで降らなかった。
 書留出しに近所の郵便局へ。局員の説明だと、中身の補償額が5万円以下だと「簡易書留」、それ以上の保証金額になると「書留」になるそう。「簡易書留」の方が安い。書留の文字を赤で囲って持って行ったのだがそれは消され、その上から「簡易書留」の印に書き換えられた。
 通常よりもちょっとだけ大きめの封筒に入れてしまったが、その差額は40円程度。滅多に送らないので色々勉強になる。
 宅配便でギターアンプが30kgまでOKなのは覚えた。FamilyMartのメール便はA4までが厚さ1cmまでなら80円と便利。厚さが2cmになれば確か160円だったか。

 夜、ものすごく久々にROCK BAND:FのAと再会。こんな充実した時間があろうか。D.A.Dのアコ・アレンジに泣けてきた。20代のおいらが隣にいた。

投稿者 yonezawa : 00:10 | トラックバック(0)

2013年 10月 31日

究極の後ろ姿

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 かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールには、ジェイク・シマブクロの来日公演以来にやってきた。駅から徒歩10分程度の道のりだが、駅前でなんらかの街頭告知をしていた方が丁寧に道順を教えてくださった。葛飾の人、優しい。

 今年もやってきたミュージシャン:松下奈緒のコンサートツアー。彼女のツアーには毎年どこかで必ず訪問することにしている。
 満場の観衆を前に、威風堂々の弾き語り、インスト、単独の歌モノありと、2時間を超えるコンサートを堪能。ピアニストとしての安定感も年々極まるように感じさせた。当初はインストだけだった内容と比べ、近年では歌の比率も年々上がっている。ジョン・レノンの『WOMAN』まで聴かせてくれた。
 それにしても、あの落ち着き具合はもの凄い。紅白の司会までも経験した彼女の人間スキルはどこまで伸びてゆくのか。

 終演後、控え室の彼女を訪ね、Nちゃんにお願いしたマカロンと、えぐい映画などを収録したDVDや、彼女は未聴のCDなどを贈呈。トップ女優でありミュージシャンでもある彼女の輝くオーラを真正面に感じ受けた。奈緒ちゃん、お疲れさまでした。

 京成線で新橋へ直行。ワインバーで待つKちゃんと合流し軽く食事を済ませ、初訪問のLへ。その後、Nへ移動。偶然、S社の方々とも遭遇しつつ、遅れて合流したMらと再度乾杯。
 恵比寿『阿夫利』のつけ麺が無性に食べたくなり、Mと共に緊急訪問。さらに線路沿いのBarを梯子し、まだ呑みたりない2人は24時間営業の居酒屋に飛び込んでしまい、ヘロヘロの午前7時帰途に。
 7時30分過ぎ、玄関から出てきた笑顔のRちゃんとバッチリご対面。「下まで送ろうか?」「おったん、いーよ。ひとりでいけるよー(笑)」と胸を押され、笑顔のRちゃんはテクテクと廊下を歩いて一人エレベータに乗り込んだ。
 なんと癒やされる究極の後ろ姿なんだろうか。 

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2013年 10月 29日

LED ZEPPELINやJEFF BECK

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 W社Oちゃんの、あまりの多忙さで3度のリスケを経て、ようやく本日親睦会にたどり着けた。
 遅い時間に新宿『犀門』で待ち合わせた。LED ZEPPELINやJEFF BECKに対する最新情報の確認。おいらはいつでもアイドリング状態。
 三丁目STOPを経由して2人ともやや睡魔に襲われた深夜2時過ぎには解散。

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2013年 10月 22日

切実な願い

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 金曜日の姪の結婚式出席のため、母が午後の便で上京を果たした。

 本日、取材先で4名の方々へ贈呈する各3枚のDVD、各2枚のCD、映画パンフレットをそれぞれの封筒に入れ準備は万端。まだ公開前の映画が収録されたDVDの提供に協力してくれたMっちゃんに心より感謝。

 昼間、伊勢丹で高級大福をごつんと購入し、昼飯の牛丼を急いで胃袋に収め半蔵門線に。今日の世田谷のフォトスタジオを使うのは初めて。神に祈った切実な願いが届いたのか、曇天ながら台風にも雨風にも見舞われることなく今日の日を迎えていた。

 本日の大切な大切な取材対象者となるBさん、そして定刻にTさんが順次到着。スタッフ全員の緊張感はマックスに達するものの一二言のご挨拶とジョークで場をほぐされた氏はすぐに衣装部屋へ。
 先週金曜日に今日の取材のためのロケハンを行っていたこともあり、まず行った野外での写真撮影は完璧に近いスピードで駆け抜けられた。盟友で写真家Oのスキル炸裂。
 ここまでの広大なシチュエーションの中、Tさんの屋外撮影が出来るなんて夢のようだった。
 スタジオへ戻り、ライティングした室内での撮影数カットを迅速に終え、テーブル正面に腰掛けたお二人の前に椅子を置き、メインとなる究極の対談がスタート。

 予定した90分間、一ミリの無駄もない素晴らしい対談の内容に耳を傾け、おいらにとっては至福といえるその時間はあっと言う間に過ぎ去った。おいらは合いの手に命がけ。
 取材終わりに、スーパーデザイナーFのアドバイスを受けて自らパーツを集め、作成し、箱詰めしていた氏の1/6フィギュアを無事贈呈。感無量。F〜感謝〜

 後は自分が今日頂いた素材を文章としてどう上手に料理できるかだけ。踏ん張れ自分。

 Bさん、Nちゃんらと都内に引き上げ、G誌Fちゃんとサシ・ミーティング。この席で様々なポジティヴ案件のいくつかが進展をみた。ここもなんと刺激的な時間なのだろう。
 地元へ引き上げ、今夜こそ会うべきだろうよと思い出した、帰省先の田舎から戻ったばかりのKと小一時間乾杯し、いつものBarHでハイボール。
 これ以上は考えられない一日の夜が更けた。

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2013年 10月 11日

誕生会

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 正式には明後日誕生日を迎えるHの誕生会だった。新宿御苑Cに7名集結。
 半世紀生きるとうさん組3名&優秀事業部員Sが集ってくれた気持ちが、なによりもまず有り難かった。
 塩チャンコも7名分完食で、3人前の雑炊追加で丁度お腹満腹。Sに感謝。
 ライヴ打ち上げや、自宅呑み以来の面子で予定の3時間があっという間に過ぎ去った。
 若者3名を駅まで送り、残った親父衆4名で地下のBarAで梯子酒。Sに感謝。
 ベスト・コンディションでなかったおいらのテンションはいつになく終始大人しいもので、みんなにはやや申し訳なかったところ、至って大人な酔わない打ち上げで幕となった。こうして穏やかに語る時間も悪くないものだ。 

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2013年 10月 9日

グレートクレーマービヨンド

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 昨日夕方、久々の下北沢。小劇場楽園、着。グレート義太夫兄の舞台「グレートクレーマービヨンド」初鑑賞。
 トークと、往年の殿&軍団によるコントのリメイク、そして最後に義太夫兄の弾き語りと2時間30分に亘るパフォーマンスを堪能。芸人でなくとも、編集者でもギタリストでも泣ける『浅草キッド』はいつ聴いても素晴らしい。義太夫ちゃん、お疲れさまでした!

 そのままイースト吉田兄&Yの3人で近場の居酒屋へ。今宵も兄貴、ご馳走様でした。井の頭線で地元に引き上げ、いつものBarHで朝を迎えた。途中離脱したちゃんMの自転車がナニモノかにパンクさせられており、俄にパンクづくおいら。後輪を浮かせたまま、大先生の駐車場まで運搬。

 ネットを見れば、またしてもいたたまれなき事件が。以前、練馬区で殺傷事件が起きた時、即、通学の我が子の身を案じた。三鷹市女子高生殺害事件の被害者のご冥福をお祈りします。

投稿者 yonezawa : 15:32 | トラックバック(0)

2013年 10月 5日

I家に感謝

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 まさに今日の日を心待ちにしていた。
 Rちゃんと朝昼の食事を済ませ、夕方家族で吉祥寺へ。JRを乗り継ぎ、音楽一家なI家宅を初訪問。
 閑静な住宅街は初めてなのになぜか懐かしい感じ。
 ライヴ会場以来のご家族の皆様との再会を歓び、即座にセッションルームへ直行。なかなかのギター機種2機は、お世辞でなく弾き易さもあって感度良好。良質物件であることがうかがい知れた。

 T奥様の手料理全部Rちゃんの大好物だったこともあってか、場がなごやんだ。Mちゃんに感謝。
 “理想の家族”と映るI家の目映い光景を見て、我が家庭も見習うところ多しと感じ入った。
 土産のシャンパンと赤ワインがなくなった後、わざわざ用意してくださった麦焼酎を頂きながら、Rちゃんのピアノ曲もみんなで鑑賞。
 緊張のピークに達してしまったか、Rちゃん演奏がきちんと終わった後にちょっと泣いちゃったけれど、きっと本番のよきリハーサルになったことであろう。そしてTJr.は早々と大学合格おめでとう。T家には今日も心より感謝!

投稿者 yonezawa : 15:30 | トラックバック(0)

2013年 10月 4日

参加大丈夫?

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 朝食の豚汁定食をいただき、シャワーを浴びて外へ。今にも小雨が振りそう。
 大先生の駐車場に自転車を取りにゆき(感謝)、駐輪場でパンクらしき状態の後輪に空気を入れた。
 自転車屋に着いたところ、また同じように空気が抜けてた。「バルブ部分のゴムがいかれてますね」とのことでゴムの交換をし、こちらで少し様子を見てくださいとのこと。修理は無料。そのまま帰宅したらば、丁度到着した頃、再度空気が抜けた。完全に後輪はパンクしている。

 日常の些細な一角が崩れると、とたんにそれに費やす修復の時間で、大げさながらある種の“翻弄”に包まれる。たった一言の言葉で崩れる家族のバランスだったり、仕事における関係者との距離の取り方ひとつで、保たれたバランスがおかしなことになる場合もあり。

 ふいに、アニメセクションの某氏より届いた「打ち上げ出欠」メールに返信を出さねばと考えていた。主題は業界一の有名売れっ子声優の某女性を囲んでの打ち上げ。
 おいらはその声優の女子との面識もなく、取材もしたことがなかった。ところが打ち上げには声がかかった。同セクションの関連のミュージシャンには数回の取材があったので、その流れで声がけくださったのかと思い、それでも「私、取材してないけど参加大丈夫?」と問い合わせたところ、「大変申し訳ございません!こちら確認致しましたらBCCの中に誤って米澤さんを追加してしまいました…。この打ち上げが制作打ち上げを小人数でやることになっておりまして、私の不手際にて申し訳ございませんがご参加難しいものとなっております…。この度は大変失礼致しました。誠に申し訳ございません。」と可愛らしい返信が。
 おいらはなんだか心が朗らかになったよ。そしてこのメールをきっかけに、彼らとの飯会に繋がってゆくといった展開を見せ、また一つ楽しみが増えた感じ。

投稿者 yonezawa : 22:12 | トラックバック(0)

2013年 10月 1日

戦友……

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 もう10月かぁ。終日、夕べのモヒート他を重ーく引きずるコンディション。

 夜、Tちゃん(先輩)とSちゃんとの3人会で西麻布フレンチ。
 幾多の山を乗り越えてきた2人の編集者との飯は終始愉快な時間だ。
 20歳代だったあいつももう46歳なのか! と、我が身を棚上げして時の流れを感慨深く思う。
 戦友という言葉でよいと思うが、彼らは未だ戦争中業務の渦中。常に結果を出さねばならないスタンスにおり、そのプレッシャーと真剣さはシャレにならない。40万部発行の雑誌を廃刊と判断され、たった独りで増刊号を2冊同時に作ったあの時代が懐かしくも、もの凄い。
 ドラマ『半沢直樹』に描かれた不正会社員のような“悪事”を決して働くことのない彼らと呑む酒で、今日の心も救われる。

投稿者 yonezawa : 19:32 | トラックバック(0)

2013年 09月 26日

おめでとうメール

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 思いの外二日酔いにならず。
 旅に使ったバックをバラし、平日の仕事のための身支度。
 撮った写真は400枚以上あるようで、撮った動画と共にPCにセーブ。
 昨日誕生日を迎えた2人の同級生におめでとうメールを送信。今日誕生日を迎えた映画監督にもおめでとうメールを送信。

 編プロPCに来たメールの読み込みが大量でしばし待機。
 合宿の際の写真を携帯用HDに移し、ついでに編プロPCには入れてなかったここ数年の写真4万点以上をPCにセーブさせるべく読み込み開始。読み込みの間、丸香で遅い昼食。
 この取り込み、夜22時を回ってもまだ終わらず。……Rちゃんに早く逢いたいな。

投稿者 yonezawa : 15:23 | トラックバック(0)

2013年 09月 19日

作家の道楽

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 夢枕獏さんの新刊『作家の道楽』
http://www.amazon.co.jp/dp/4584135045/
は発売されているのを知らなかった。Amazon1クリックで数冊のコミックスと同時購入。
「たくさん遊ぼう、それが人生だ/倒れるまで仕事、起きあがれなくなるまで遊ぶ!」というコピーが帯に書かれてある。遊びが仕事にもなり、仕事が遊びにもなる獏さんの理想的な生き方は羨望の的であり指針でもあり。

 先頃53歳になったKちゃんと銀座飯。今日も中休みのもずく酢に舌鼓。近況報告。後、徒歩でワインバーへ。歌舞伎座近くのTでたらふく食べたせいで、赤ワインは1杯も飲み干せず。まったく、わずかこの数年で食べられなくなったもんだ。 

投稿者 yonezawa : 15:19 | トラックバック(0)

2013年 09月 12日

お祝いのお手製ステッカー付きアコギ

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 地元Barのバーテンでメタル・ベーシスト:しんちゃんが先月、ちゃん森と入籍。めでたく夫婦となった。その経過はFacebookで時折拝見しており、彼らに何をプレゼントするのがベストか、この数日間考えていた。……と言うのは嘘で、考えた時間は1分ほどだったか。その結論は直ぐに出た。
 ブツは「アコースティック・ギター」だろうと。

「ボディに祝福の文言や写真を記したステッカーを作って貼る!」このように、結婚した輩に実は過去、何度(何組)もやっている祝福の手段と品をまた決意した。デザインは、ものすごい多忙を極めるくせに、ものすごいスピードで完璧にデザインを決め、無欠の完成度で納品してくれるMちゃん。彼がいるからこそ、の商品だ。Mちゃんには頭があらがない。今回も感謝無限大。

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 ショートスケールのSヤイリ・ギターを購入し、めちゃ太いエレキ弦のゲージ(アコギ・ゲージよりも太し)を張り、イースト吉田兄と待ち合わせたBarへ。

 店にはしんちゃんだけが在だったが、ハイボールを1杯つくってもらった後、おもむろに祝福の贈呈式。感激のしんちゃんはずっとギターを離さず、写メールで新婦のちゃん森に送信した模様。やがて速攻で彼女は駆けつけ、2人とギターとの撮影会が始まった。何よりこんなに喜んでくれて、“父さん”としては大変気持ちの良い贈り物となった。お2人、永遠に幸せにね!

 ひるがえり、フジテレビで放送されている教養・バラエティ番組『たけしのコマ大数学科』最終回の収録を終えた吉田兄と近場の鮨屋へ河岸を変え、再度労いの乾杯。
 同番組の放映は毎週月曜日25:10~25:40(30分)で、残すとこ後2回の放送らしいが、最終回の23日は、どうもとりたてて観逃してはならない内容の噂。

投稿者 yonezawa : 15:15 | トラックバック(0)

2013年 09月 11日

OOY定例会

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 敬愛する2人のOさんとの定例会は初の四谷・荒木町。居酒屋メニューを頂きながら最後の雑炊まで語りあう贅沢な時間が嬉しい。
 食後、もう1杯! と徒歩10秒のBarへ移動。頻繁に会わなくとも数ヶ月ぶりの親睦会でこの距離感と居心地のよさ。その感触は格別であり、素晴らしき先輩を持ったおいらはラッキーだと言えた。
 彼らにメール1本送るだけで酒が酌み交わせるこの贅沢さ。年内、最低もう一度はお付き合いいただきますからね、2人のOさん! 

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2013年 09月 10日

THE ICEMANとゴールデン街

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 ワインでTシャツが赤く染まりながら全員ケラケラしていた金曜日の夜中、レストランでバッタリ会った映画人Mから頂いた映画サンプルDVDのことを、翌々日の日曜日、鞄を開けて知る。

 9月21日公開の映画『凶悪』、そして11月9日公開『THE ICEMAN 氷の処刑人』は、冒頭の数獣分間だけで“キテる”映画だと認識。多くは語れないが。白石和彌なる若い優秀な監督との出会い。
『THE ICEMAN 氷の処刑人』主演のマイケル・シャノンはバンドで(アコ)ギター・ヴォーカルでCDまでリリースしているとか。年齢が39歳だと知って少し驚愕。
 
 仕事仲間連れの同級生Hから珍しく日程を指定された本日、彼らの飯後のタイミングで合流を果たす。ゴールデン街で待ち合わせ、舞台稽古上がりの映画人Yも合流することに。
 案の定、関Hは連会社の後輩諸氏に慕われていた。よい仕事関係であることが窺い知れた。
 流れとして当然、高校時代からのHに対する持ちネタを披露。彼らは「Hさんには、そんな側面もあったんですか?」と朗らかに笑った。
 真っ当なHの生き方は永遠の目標であり、労うべき存在。30年以上Hの友でいられるおいらは幸運だ。
 お開き後、マスターとYの3人で近場のBarへ。着いたとたん、大変な乱闘の場に鉢合わせたので、即河岸代え。次のBarでは、自然と原発×オリンピック議論が白熱し、決着のつかないままお開き。

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2013年 09月 7日

菊次郎会

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 夕べの宴が素晴らしかった。
 3人の映画監督、篠崎誠、河津太郎(映像監督)、木川学、そしておいらの面々で新宿某所に集った。会の名は“菊次郎会”。1998年……今から15年も前の夏にこの面子が初めて集い、映画『菊次郎の夏』メイキング班として撮影の全行程に密着した。
 丸々ひと夏、数ヶ月のスパンで彼らと過ごした時間は人生の中でも極めてエポックな瞬間となり、目の前には毎日あの北野武さんが存在しているという夢のような空間を共有した戦友だ。
 撮影隊に邪魔にならないよう細心の注意を心がけ、現場で起こった出来事は一つ残らず取材するという、ある意味毎日が真剣勝負だったにも拘わらず、何故そこまでに楽しく愉快な思い出だけが思い出されるのかというと、それは彼らが果てしなく映画好きであったから。映画に真剣であったから。そんじょそこらの映画好きの連中とは格が違う程の“好きさ加減”。
 心底映画を愛する彼らの生活は映像で囲まれている。おいらもややその端くれだという自覚もないことはないが、彼らの比ではない。その分、ロックで囲まれてはいるけれど。
 これ以上ない至福の酒で完全酩酊。こんな楽しい夜があろうか。篠崎誠、河津太郎、木川学の永遠の健闘を祈っている。
 今日は完全に二日酔いの一日となった。

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2013年 09月 5日

Facebookの闇

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 雨が降ったり止んだり。
 霧雨だったりにわか雨だったり。
 空は晴れなのになんだかメチャクチャな天候が多い。

 昨日の午前中、雨は止んでいたが、Rちゃんは丁度大降りの時間帯に登校した模様。

 島国ニッポンが、そもそも太古の昔にアジア大陸の一部であったという仮説を信じるなら、世界中で頻発する地核変動や自然災害など、地球にとっては当たり前の現象なんだろう。
 人間が住んでいるからこそ災害と言っているだけで自然はあるがままに動いているだけ。自然の動きで地球自体が変動を繰り返している狭間に我々は必死で生きている。
 
 空いたペットボトルがはち切れそうにゴミ袋に溜まっていたので、ガラス製の瓶類廃棄物と共にゴミ置き場へ。マンション住人各位がそれぞれ入れる網の入れ物が、我が家だけのペットボトルだけで一杯になった。

 リビングの椅子の脚カバーが外れてしまっていたことを思い出し、閉店直前のロフトでカバーを購入。
 その足で、徒歩帰宅。

 家近くのコンビニで家族用にアイスクリームを購入。朝から何も食べてなかったのだが、何故か妙に腹が減らないままでいた。帰宅後、野菜くらいは食べとこうかと冷蔵庫をあさり、数種類の野菜と椎茸等を切り出して簡単に野菜炒め。家族が起きないようにそっと(極力)音を立てずにフライパンを振るのがおいらは上手い。
 卵と湯豆腐もつけあわせ、キッチンで遅めの晩飯を終えた。

 知人の知人だろうと判断したのだったが、フォローしたFacebookのフォロワーから、いきなり携帯アドレスの記したメッセージが送られ、「相談に乗ってほしい事がある」と実に不可解な文面が届いた。

 具体的にはこう。

***************

「2013年9月5日 21:00
 承認してくれてありがとうございます♪
 間違いとかじゃなくて、友達かも?に和幸さんが居たし、
 なんか気が合いそうだなって思って申請しちゃいました(*´▽`*)
 これからヨロシクお願いします(≧∇≦)
 実はfacebook始めたばっかりなんですけど。。。
 変な男の人から毎日メッセージが来るから辞めようと思ってて(´o`)
 和幸さんとせっかく知り合えたしこれからも仲良くしたいから、
 私の教えてもいいですか??

 ×××××××××@i.softbank.jp (×××××××××部分はそれっぽい単語が入っている)
 私のなんで直接ください♪

 実は和幸さんに相談に乗ってほしい事があるんです。。
 だから必ず返事くださいねっ!待ってます(++)」

***************

 知らない輩がいきなり「和幸さん」て。急に携帯アドレスを送るなんて。

 記された写真によれば相手は若い女性。先方の出身地が、同じくフォローしていた知り合いの著名人だったので、てっきり知人の知人かと思っていた。送ってきてるのこそが「変な男の人」なんじゃないか。こうした手段に始まり「モバイルサイトのQRコードで携帯からのアクセス」に誘導するのだとか。このわずか10分間が無駄な時間だった。
 そもそも完全に無視すれば問題ないのだが、「3人承認するとアカウントをのっとられる」とかいう情報もあるのでなかなか怖い。

 悪徳業者による手口の一例はこちらのサイトに。まさに同じ手口。みんな、気をつけましょう。
http://nikkan-spa.jp/475533

投稿者 yonezawa : 19:16 | トラックバック(0)

2013年 09月 2日

ハート型アコギ

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 イースト吉田兄所有のサウンド・ホールがハート型アコギの写真を観たRちゃんはパソコンでその画像を眺めていた。プレゼントしてくれるといいね(笑)!

 吉田兄が30数年間に渡って手掛けてこられたビートたけしホストの名物深夜番組がこの度、最終収録を終えた旨のメールを賜り、感慨深い気持ちに。
 ビートたけしのオールナイトニッポンと、北野ファンクラブがあったからこそ、己がこのような人間になった部分もあるので、つまり彼製作の番組はおいらにとってレッド・ツェッペリン並みの重要なスリルであった。
 近い将来、次回の吉田兄×殿とのタッグ番組が観られることを心待ちにしている。

投稿者 yonezawa : 21:03 | トラックバック(0)

2013年 08月 28日

モダンバレエとセルビア

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 モダンバレエを生業にするHから、一昨日ふいに誘いの連絡を受け遅い晩飯を共に。
 聞けばもう1年半くらいは会ってなかったというが、その感覚はまるでなし。様々な感情の入り交じる近況を伺い、Hが軽い睡魔に襲われたタイミングを境に解散。

 そここから、この夏にセルビアで10本前後のライヴをこなしてきたというギター弾きMの店を訪ね、ワインを一杯飲んだが即時おいらも睡魔に襲われ小一時間で撤退。

投稿者 yonezawa : 18:42 | トラックバック(0)

2013年 08月 27日

早めの晩飯

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 夕方、都営線で目的の駅を目指したところ直前で違う方角に曲がってしまい、思いきり路線を間違えた。普段乗らない沿線の電車の上、スマホで印刷所等に業務連絡を送ったりしていると、このような間抜けな事態を招いてしまう。
 20分遅れたRとの早めの晩飯は焼肉。短時間でもりもり食べ尽くす。といっても大した量を頼んでいるわけじゃないのにすぐに満腹。先日のかっぱ寿司にしろ、20代の頃の半分くらいしか皿は重ならなかった。29年前の桃太郎寿司が懐かしい。
 9月刊コミックスのカバー回り初校を関連部署に回し、スムーズな入稿を終える。
 今週末に本文原稿が入ればギリギリセーフ。

投稿者 yonezawa : 14:00 | トラックバック(0)

2013年 08月 26日

三泊四日のお誘い

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 9月の連休にでも帰省出来ないものかと、なんとなく妄想していたところ、一昨日某氏より連絡が入り、その時期山奥にある氏の大別荘に誘われた。
 そこで行われる行事(合宿)の内容はここに記せないものながら、この歴史的かつ貴重なイベントの証人になれるのかと胸が高まり、躊躇などせず三泊四日のお誘いに快諾した。
 奥地の奥地につき、滞在中は携帯の電波の入らない環境となり、現地での食事はおいらが全面的にまかなうことになっている。複数のゲストとの邂逅もあるという特殊で貴重な空間なので、おいらなりの環境で可能な範疇、“議事録”を記したし。モチベーションの上がるときめく時間となること必至。

投稿者 yonezawa : 13:49 | トラックバック(0)

2013年 08月 1日

家族会

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 昨日から、起きてすぐの日課といえばアサガオへの水かけと、咲いた花の数の記録。リーダーRちゃんがいないので、夏休みの課題を父が代理チェックすることに。これが忘れやしないかと、そこそこのプレッシャー。今日は6コの花が咲いていた。
 
 野菜炒めと唐揚げ(夕べ仕込んであったので連続)をモシャモシャとほおばり、猛暑といっていい戸外へ。電車を待つ間にも背中を汗が流れる。
 
 駅前待ち合わせで、遅い夕飯をフランス人のTさんと一緒に。
 震災前にお会いした以来の再会で、日本人以上に日本の漫画に詳しいTちゃん。穏やかで朗らかな時間がとても嬉しい。
 南フランスのお菓子をお土産に頂いたのでおいらは音楽DVDの贈呈。
 Tちゃんと夏休み中にもう一度くらい再会し、家族会できるかな。 

投稿者 yonezawa : 18:57 | トラックバック(0)

2013年 07月 30日

遠くへ行きたい

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 少し前のテレビ番組『遠くへ行きたい』をようやくHDD鑑賞。
 
 舞台は青森県・下北半島───案内人は我等が夢枕獏兄。
「恐山」の件もワクワクしたし、ホクホクの「フジツボ」が妙に美味そうで、海に渡った淡水魚の「虹鱒」はあのようなサーモンのようになるのがびっくりだった。
 そして獏さんのほおばる魚がめちゃめちゃ美味そう。
 渓流で最初に釣れたイワナをリリースするのは勇気がいったのではなかろうか……と余計なことを考えていた。
 終始、獏さんの優しい人柄が伝わってくる大変端的で秀逸な映像に魅入った。

 『大江戸恐竜伝』の書籍は絶賛作成中だと聞いているが、デザインを手がけるのが、おいらともグランドジャンプの漫画作品で仕事をしているSくんなのだそう。Sくんからのメールを受けて驚いた。
 こうした想像もしなかった奇遇なところから聞く展開も、ふいにだけに嬉しい。

 歌舞伎座新開場柿葺落の九月花形歌舞伎は獏さんの筆によるもの。
 クランクインに向けて大型セットの建設を進めているチェン・カイコー(陳凱歌)監督の最新作「沙門空海」の原作も獏さんの筆によるもの。「遣唐使として唐の都・長安に入った空海らが宮廷の騒動や怪異に遭遇する」というストーリーだが、湖北省襄陽市で約1平方キロメートルの敷地に20億元(約330億円)を投じた「唐の都」が現在建設中なんだって。
 正真正銘の世界的スーパースターと、おいらは仕事をしているのだな。
 
 原作本『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は、ものすごくお薦めで必見。
http://www.amazon.co.jp/dp/4198931194/

投稿者 yonezawa : 18:55 | トラックバック(0)

2013年 07月 26日

飯田橋から阿佐ヶ谷

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 神楽坂に誘ってくれたKちゃんと初訪問の店で和食を食す。
 Kちゃんは、お盆にもそこそこ仕事があり、ちゃんとした休みは9月にとるそうな。9日前にKちゃんに渡した沖縄土産の御礼を今日言われた(笑)。
 氏と別れ、飯田橋から阿佐ヶ谷へ。仕事柄、ゴシップネタにも詳しい映画人WEB編集者Yと待ち合わせた。

 今月頭のゴールデン街で、おいらとは畑違いの数名の編集者と知り合う機会を得た。その中の優れた編集者の一人がY。そもそもこちらが大したわけじゃないが、若くしてYの邦画の知識はおいらを凌駕するものがあり、純粋に先方の薦める作品は興味を抱かせた。
 神楽坂で満腹の胃袋具合のせいか、さして呑めもせずに健康的に帰途に。

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2013年 07月 25日

情報過多の時代

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 夏休みになってもなんだかんだで登校の日もあるRちゃん。
 今日も10時過ぎには登校していった。
「おったん、Rちゃんがかえってくるまでいる?」というので、「Rちゃんが帰ってきたら、すぐにお仕事に行くんだからね」と言いながらもそのように待機する。

 モロモリ入稿に次ぐ入稿。
 遅い夕飯は。万年殿番:吉田兄と。
 少し前に兄は長期ハワイ滞在より戻り、おいらは沖縄&関西の旅から全然会う機会がなく、ふいに今日のサシ飲みとなった。

 明日からFUJI ROCKへゆく者の話を聞いて、もうそんな時期なんだと時間の早さを認識する。サマソニにトミー・エマニュエルが来ることも、コットンクラブで来日公演があることも、チケットが完売してから気づいた。
 最も行きたい輩がインフォメーションに気づかなかった。これだけの情報過多の時代に。

投稿者 yonezawa : 18:51 | トラックバック(0)

2013年 07月 24日

せっかち人間

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 京都での汗のかき具合は凄かったなぁと、一昨日の夜を回想した。
 京都でもほんの一瞬、祇園に向かうタクシーに乗った時間だけ小雨がぱらついた。
 今日の東京は降水量的にはそれよりももっと多かったはず。じめじめした東京。
 
 入稿中の原稿を改めて整理したところ、もらってこなければならん原稿が1枚抜けていることが発覚。ついでにもう1枚の差し替えした方が賢明な原稿の2枚を受け取るために急遽作者へ連絡し、北綾瀬までの往復に出かけた。

 地下鉄とJRとバスを乗り継ぎ、著者の元へ伺い、再び同じ経路を引き返した。
 おいら、そもそも徒歩のスピードが人よりも速いせっかち人間。こうした移動時間の無駄さを感じてしまうからこそのスピードである。

 帰社し、もりもりと入稿を重ね、切りの良いところをみて明治神宮前界隈へ飛んだ。
 居酒屋で会食の宴もたけなわな谷口先生と、歴代担当者の編集者他の席に合流し、近況を伺った。谷口さんの話は御本人が意図しなくとも、スケールがデカくて毎度驚く。まさに“世界の谷口”を地で行く仕事っぷりが同じ日本人で誇らしい気持ち。
 かといって、当然気取ることなど一切なく、至って庶民的な目線で会話してくださるノーマルな谷口さんの温度が、余計拍車をかけて魅力を感じてしまうのだった。巨匠中の偉人でおられるのに。
 これまでと変わらず、谷口さんの創作される全ての作品を応援したし。

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2013年 07月 23日

哀しみの恋人達

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 午前中のうちに京都駅へ。
 京都から東福寺、東福寺から神宮丸太町へと在来線を乗り継ぎ、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)を目指した。
 取材チームよりも1時間以上先に到着したので、近場の喫茶店などで時間をつぶそうと界隈を散策するがそういった店舗など何も見当たらない。
 気温は究極の刺すような暑さで、汗で濡れたハンカチはズシリと重くなった程。
 広大な大学の敷地内で見付けたコンビニでおにぎりと唐揚げ、お茶を買って、CiRA内ロビーでいただくが、省エネ対策なのかロビーはクーラーが効いておらず、温い体感温度を感じながら汗を拭いながらおにぎりを頬張った。

 定刻近くになり、取材チーム及び我らが獏さんも到着され、幹細胞生物学研究者の八代嘉美さんと初対面。八代さんは獏さんのご友人であるそうで、非常にリラックスした空気の中、取材開始。
 巷で噂のiPS細胞、聞けば聞くほどおそるべし。人間としては興味が沸かないというと嘘になりそうな分野。

 取材後、解散した後、スタッフらと共に鰻重食べに祇園へ。
 その後、京都駅で解散。おいらはその足で大阪は江坂にあるドルフィン・ギターショップへ。店に着く直前、再びKへLINEを送ったところ、なんと電車1本の違いで現地駅に到着したという気の合いよう。

 ドルフィン・ギターショップでは、目当てのメイトンを弾き倒した。まずは30万円の価格の機種。生音にせよ、(ドイツ製)アンプを通すにせよ、完成された極まった音色に終始やられまくり、やっぱり欲しい欲しい病を発症。
 続けて小型のボディの12弦を試奏。こちらはネックが細い分、えらく12弦が弾きにくいので、大きさの弾きにくさを考えても、通常サイズの方が12弦機種に関しては正解だなというのが個人的結論。

 店員さんよりメイトンの細かな機微や詳細を聞きながら、あらたかこのギターの持つ特性を認識した。アコギなら圧倒的にテイラー狙いだったところ、ここにきてメイトンに悩みまくるおいら。っと特に今、アコギが必要なわけではないのだが。
 ハミングバードとオベイション売ってでも手を出すべきか? それらの機種は温存して購入に踏み切るべきか。あと数年は悩んで結論を出すとしよう。

 夜、梅田のライヴ・レストラン「ロイヤルホース」前で獏さんと待ち合わせ、エンド・ロールのライヴ観戦。ドラマーの池長一美さんの参加されたライヴ観戦はもう何度目だろうか。
 Jeff Beckの『哀しみの恋人達 "Cause We've Ended As Lovers"』からライヴが始まったのが嬉しい。ヴォーカル入りのメンバーで池長さんが叩くのを聴いたのは初めて。サングリアと赤ワインを飲みながら、素直にライヴを楽しんだ。

 終演後、打ち上げ。終電を逃したKと獏さんとの時間も得ることが叶い、おいらは心底歓びに満ちた。これ以上望みようがない酒席。参加されたみなさんに感謝でした。

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2013年 07月 22日

中学時代から完成

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 9時に起床し、ほどよい時間が空いたので、遅めの昼食用の弁当を拵えようと冷蔵庫を物色。唐揚げ、ウインナー卵焼き、揚げ餃子の物件を確定させる。軽い朝食を済ませたRちゃんが「(室内で)バスケットボールやろう!」というので少しだけ付き合うが、弁当の作成時間がなくなるので、適当なところで勘弁してもらい、調理開始。
 ママの作る唐揚げとは味が違うだろうから、「今夜ママに作ってもらいな」と伝えるが、絶対に欲しがるであろう一口サイズの唐揚げを数個だけ分けておいた。「爪楊枝で食べな」とお皿を持たせたところ、即完食。「もういっこ、ちょうだい。もっと(唐揚げ)たべるー」とRちゃん。
 やむなく一旦カバンにしまった弁当を取りだし、唐揚げの塊をRちゃんのお口に。
「美味しい!」と言われることはこんなにも幸せなんだと、朗らかな気持ちになり、ちょっと減った弁当をカバンに戻した。

 焦った入稿だと、原稿を印刷所等へおろした瞬間、ペラ1枚の指定紙を入れてなかったりなどのミスも起こりがち。再三のチェックで下ろすものを確認作業。

 夜、Kとの久々の再会を果たす。以前会ったときにはK家には愛娘Aちゃんが一人だった。現在は愛息Mくんも加わった2人のお子さん持ちなので、そのぐらいのブランクが空いてしまっていたのだった。

 待ち合わせ場所でKの姿を発見。数年ぶりの再会となったKと2人で地下道を歩く際には、18歳の頃、天神やら平尾やらを並んで歩いたそのときと同じ空気になり、時間のギャップを感じることはほとんどない。
 人間の中身も発想の方向性もその質にしても、おいらにすればこの35年間なんら変わりなく、ある意味、この男の極まる知識と感性は中学時代から完成されていたことを認識する。

 荷物を預けて居酒屋Kに直行。
 今日はたった1軒の親睦会ながら、事前に何の用意もしない行き当たりばったりの会話で朗らかな酒が進む。Kはこの数年間で仕事における大勝負をカマし成功を収めている。Kの成功がおいらの糧にもなっている。
 子供の話、仕事の話、仲間の話、ギターの話、ライヴの話。再会を心から楽しんだ。

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2013年 06月 28日

ハーモニカ横町

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 地元民Sからの誘いで遅い晩飯を共に。ハーモニカ横町の寿司も出すこの居酒屋の存在は今日まで知らなかった。
 Sを見送った後、徒歩で帰宅。一日が早いのぅ。原稿が山積みだのぅ。

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2013年 06月 27日

飯村健一師範代の他

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 夕方、渋谷テイクオフ7でのFFP、テレビ収録ライヴ観戦へ。

 先頃、大道塾主催の「北斗旗」で優勝を果たした格闘家:飯村健一の祝勝会はサシ呑みの単独で行ったばかりながら、「何? 優勝したのー!そう! じゃあ是非、お祝いの会をやろう」とご提案くださった作家:夢枕獏さん主催の宴が本日の運びとなった。
 
 各位、新宿三丁目の居酒屋に招集。
 飯村健一師範代の他、キックボクシングの元チャンピオンが集結。大野信一朗、大月晴明、望月竜介、中野智則らの超豪華面々にK兄のメンバーで宴は開催。
 皆で、この日発売のNumberに掲載された飯村の勝利を祝った。
 宴修了後、吉祥寺『ひで』で飯村とサシ飲みの二次会へ。
 

投稿者 yonezawa : 17:37 | トラックバック(0)

2013年 06月 25日

ワゴン車が到着

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 夕べの夕飯時、芋焼酎4杯と赤ワイン2杯だけでは感覚的にも大した変化はなく、深夜2時に床に就いたところ、予定して目覚まし時計をかけた6時よりも1時間前に目覚める始末。あと1時間の睡眠が勿体なくも、もはや寝付けないので本日の準備のため起床。

 極力音を立てないまま、鮭ふりかけのおにぎりに梅干しを入れて(これが鉄板で美味)、ウインナー・ソーセージのソテーと、昨日作っておいたきんぴらごぼう等で立ったままの朝食。
 
 ストラトとデジカムなどを担いで朝のJRへ。
 通勤ラッシュという壮絶なものでもないのだが、おいらにすればただならぬ程のストレスを感じながらの中央線乗車。
 つり革につかまった隣のオヤジは、自分の目の前にそれなりのスペースがあるくせに、こちらが身動きできない程身体を後ろに突き出すので異様なストレスを感じた。
 逆の立場なら、他の乗客を考慮して極力スペースの共有を無意識に心がけるところ、このオヤジはある種のケンカ腰ともとれるような傍若無人ぶり。「きっと育ちが悪いのだ。可哀想に」と無視に心がけるが、生温い背中をこれ見よがしに押しつけてくるので、こちらも臨界点までギリギリだった。
 最寄り駅でやっと糞環境から開放され、外へ出るとやはり雨。乗車時もそうだったけれど。

 事務所へ到着し、セコムを解除し解錠。
 早朝8時30分にワゴン車が到着するのでそれまで雑務で待機。なべちゃんの連絡を待ち、合流した後、神保町より某所へ向かい、某氏宅で某機材を10ケース、ピックアップ。再び神保町へと引き返した。

 そこから怒濤の特写とインタビューの数時間が経過。取材は滞りなく修了。被写体の輝き具合にうなる。関係者各位には心より感謝。
 運んだ機材を順番に返却し、夕方神保町へ帰還。雑務を経てギターマガジンF氏とミーティング。ともかく今年は怒濤の展開、確定。 
 

投稿者 yonezawa : 17:36 | トラックバック(0)

2013年 06月 17日

色々

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 映画『ベルリンファイル』のリュ・スンワン監督に会ったのは7年前の夕張映画際以来となった。
 その翌年に夕張が破綻したことを思い出した。
 韓国映画配給会社CJエンタテインメント社内で簡単なロケハンを行い、鉄壁の準備でスタンばるスーパーカメラマン尾形正茂。
 定刻よりも5分遅れでリュ監督がやってきた。おいらは夕張で撮った取材写真を製本したアルバムにして持参し、当時を懐かしんだ。
 ここのところ多くの知人に言っているのは、『ベルリンファイル』が(早くも)今年の映画ナンバーワン作品だということ。韓国の映画人の気勢と覚悟はある意味ハリウッドを凌駕しているように感じられる。最近の韓国映画はあれもこれもが、もの凄いからだ。

 取材を終え帰社して校了。
 夕方、渋谷ミルキーウェイでFFPのライヴ観戦。ライヴは三脚を立ててなかなかよいテンションで動画の撮影に成功。ツアーを控えるメンバーを労い、Yの母にご挨拶して会場を後に。

 そこから東京駅界隈で夢枕獏さんと待ち合わせ、遅めの夕飯をご一緒した。
 魅力に満ちあふれる獏さんは今日もアグレッシヴ。世界一の笑顔。至福の一時。

 獏さんが引き上げられた後、一旦神保町へ戻り、Nちゃんと合流し近場のバー、港区のバーを経由して近況報告深夜3時。色々あった一日だ。

投稿者 yonezawa : 15:52 | トラックバック(0)

2013年 06月 14日

飯村師範代

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 沖縄ツアーのチケット、母親分を諸事情あって一旦キャンセルし、再び取り直した。諸事情とは購入者の名義の問題であったのだが、出発2ヶ月以上前に予約していたチケットよりも、その時期よりも出発時期に近づいてから取ったチケットの方が数万円安いという場合もあることを知る。
 より早く予約するのが常に格安とは限らない。そんな矛盾を知った。航空費は、時期は関係なく変動するそうだ。
 別別の出発地から離島経由のツアーを複数枚取るには、なかなかのセンスとググりスキルが必要だがどうにか確定。
 フェリーチケットを確保してくれたharukoの毎度スマートなサポートに感謝。

 デスクワークで8月発売の単行本の材料を徐々に整理。
 昼過ぎ、東劇へ『スマイル・アゲイン試写会へ。この作品のような小学生くらいの子供が出てくる映画はこの6年間ではこれまでより気にもなり、鑑賞の度合いも増えたように思う。
「娘の出てくる感動作品ならば是非とも観たい」と感覚が言っている。

 先日の2013年5月19日(日)宮城・仙台市武道館で行われた全日本空道連盟「2013北斗旗全日本空道体力別選手権大会」で5度目の優勝を果たした飯村師範代と遅い時間のサシ飯。
 飯村選手は現在44歳。記事にあるまま“伝説の王者、鉄人ぶり発揮して……”の件には大いに同感し、このニュースを聞いた時、飛び上がる程の嬉しさに包まれた。

 試合から1月近くの時間が経過してしまったが、ようやく彼を労う場を設けることが叶った。 
 彼に確認したところ、飯村との出会いからはもう21年の歳月が経過していた。
 何度もおいらのバンドのライヴを観戦に来てくれたり、ある時期には素晴らしい彼女が出来たり、2人の可愛らしい娘ちゃんが誕生したりと、飯村との歴史は全てが温かさで出来ている。
 ここにきて(この大会だけだとは思うが)現役復帰の決意は、我々素人には到底理解出来ないプレッシャーや試練があったはず。
 そして飯村の決意は大会の頂点を極めた。改めて、おめでとう飯村健一!

【空道】44歳・伝説の王者、鉄人ぶり発揮して5度目の優勝
http://efight.jp/result-20130519_17260

投稿者 yonezawa : 15:50 | トラックバック(0)

2013年 06月 3日

Hちゃんと二人恵比寿

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 6月刊コミックス初校を未だ回していないのはおいらだけか……。
 切迫した進行ながら、ようやく上がった本文修正&新規原稿を迅速に引き上げ、最速のスピードで2冊同時入稿をカマす。

 夜、入稿の状況次第で飯に行くか否かメールで相談中だったHちゃんと、結局行けることになった。

 Hちゃんとのサシ飯は意外にも今夜が初。
 近場のスペイン・バルで小腹を満たし、この頃、第二子も産まれたという編集O合流の後、おいらは一旦編プロへ引き上げ、原稿袋を持ってヤンジャン編集部へ。
 関係者各位への確認事項を伝達し、翻って待ち合わせの二次会の飯屋「文」へ。

 しこたま呑み食べ尽くし、Hちゃんと二人恵比寿へ。ロックバーでハイボールを飲みながら、ジョン・メイヤーを観て、ニコレット・ラーソンを聴いて感覚的にも至福の時間を過ごす。Hちゃんと四編時代からなぜ呑んでなかったのだろうという、ノーマルな疑問が頭を過ぎった。

 午前4時にさしかかる頃Hちゃんを見送り、またしても独り禁断の「AFURI」へ引き寄せられてしまう早朝のおいら。

投稿者 yonezawa : 19:01 | トラックバック(0)

2013年 05月 19日

“女子会”

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 午前中から昼過ぎまでRちゃんとの貴重な時間。
 どうぶつ将棋やって、将棋崩しやって、PCゲームやって、WiiUのマリオやって。

 昼ご飯はソーメン。ネギが大好きなRちゃん「ネギをたくさん入れてね!」とリクエスト。
 冷やしまくった揖保乃糸はいつでも美味いのぅ。
 今日は昼間にRちゃんをお風呂に入れる。風呂上がりの着替えも、彼女、もう一人でサクサクやる。
 休日恒例の髪の毛のブロウもバッチリ。

 14時30分を目安に、bambi関係者の女性軍団が我が家へやってきた。
 彼女ら女性5人で約束していた“女子会”が今日、開催だとか。

 各位、美味しそうな食材と酒を持ち寄った。我が家は唐揚げとサラダと肉野菜炒めに刺身類の出し物でメンバーを持てなす。
 焼酎ハイボールの空き缶やワインボトルの空き瓶がどんどん生産される。
 女子会におっさんが交じってしまい、純然たる女子会でなかったのが申し訳なかったが、この面子での会合なら大歓迎。おいらもRちゃん共々、大いに笑い語り合えて幸運。
 haru、yoyo、Kちゃん、お疲れさまでした!

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2013年 05月 16日

粛々

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 昼間の晴れ間からは信じられない天候に、午後よりみるみる変化。
 午後、Fちゃん、Yと待ち合わせ、タクシーで乃木坂。某オフィスを訪ね、しばしのミーティング。
 打ち合わせ終了後、青山一丁目から地下鉄で神保町下車。
 
 夜、書店で某氏と待ち合わせ。
 小雨模様の中、某氏、有楽町で花を買う。
 食事はコース料理を食べられるという銀座のBarで。初めて来た店。
 23時近くになりUへ移動。誕生日お祝いの花は某氏から某氏へ贈呈された。
 ひとしきりシャンパンを飲み、BarNへ移動。そして禁断のかおたんラーメンを食いに青山方面へと車を飛ばした。久々に喰うとこれがまた美味いものだ。

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2013年 05月 12日

日本フィル杉並公会堂シリーズ 2013 第1回とT

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 午前中、腰の好調さを確認した上で、思い切って八王子への水汲み決行。
 VAN HALEとTHE POLICEをものすごい爆音で聴かせろと言うドライブ中のRちゃんの指示に従い、容赦ない引くほどの爆音再生。少し音を絞ると「おったん、ち・い・さ・い。もっとあげて!」と指摘が入る。
 腰への負担を考慮しながらであれば、水汲み問題ナシ。

 Rちゃんに昼ご飯のハンバーグ定食を作ってあげた後、一人杉並公会堂へ。
 “日本フィル杉並公会堂シリーズ 2013 第1回 生命の躍動、輝きと憂いに満ちた世界への讃歌”を観るために。
 関連サイトには……「2011年ブザンソン国際指揮者コンクールの覇者・垣内悠希と、ギター界の華・村治佳織が杉並で共演。ウェーバー、シューマンといったロマン派音楽の生命感と、ロドリーゴのエキゾティックな熱狂と郷愁がホール内を満たします。」とある。
 
 指揮:垣内悠希は初めてロドリーゴ/アランフェス協奏曲を手がけたそう。アランフェスに関しては大ベテランの村治が完全にオーケストラをリードする様に迫力を感じ、音量も含めての絶妙なアンサンブルは鳥肌モノだった。キレのあるフレージング。それが今日の村治のギターで際立つ特徴と言えた。
 終演後、控え室で御本人に伺ったところ、使用ギタはーヤマハの機種だった模様。ともあれ素晴らしい。
 
 荻窪を後に新宿三丁目へ。丸井アネックスでS家・家族用の新居祝い贈呈品を豪華に買いそろえ、Tと待ち合わせした居酒屋へ。ゴールデン街BONS、四谷三丁目Shuffleを経由し、おいらは一人深夜の大勝軒で〆のつけ麺。深夜の麺、久々。

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2013年 05月 9日

選挙2 FFP Y&N 

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 映画『選挙2』をひっさげ、来日中の想田和弘監督にも会いたいので本日の試写会へ顔を出すことに。
 選挙運動(街頭演説などの様子)を通して政治家の素顔もチラリと見せてくれた佳作『選挙2』。
 ある種の公害とも言えそうな公共の場で行う街頭演説。街頭で行うが故、それはパブリックなシーンなので、冠婚葬祭などの取材・報道の自由のように、関係者にカメラを向けても問題は無かろうと考えるが、頑なに撮影を嫌がる候補者も映像には映っていた。

 想田監督は、撮った映像素材に何年間も目すら通さなかったそうだ。その映像をある日観て、何かのスイッチが入ったように2〜3週間で編集を完了した。
 どうも想田監督は“スイッチ”を探し当てさえすれば“素材”の機微をとらえることに長けており、そこにおいらは妙な安定感を感じてしまうのだ。
 無音の技も効果的であり、タイトルバックに音声だけを聞かせる演出にしろ、なんでだか見ていて嬉しくなる。毎回やってほしいくらい。

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 映画は一人の、元政治家の視点を通して全体の選挙活動を追う。
 政治の素人ながら、2005年秋の川崎市議会議員補欠選挙に立候補し当選した(主演の)山内和彦さんが、2011年4月の統一地方選挙に無所属として出馬することを決意。
 日本社会が放射能不安に包まれる中、候補者たちが原発問題に触れようとしない状況に憤りを感じたから。前回は徹底したドブ板戦を展開したが、今回は組織、看板、資金もなしという大変困難な選挙戦に挑む。
 映画の行く末共々、おいらの大好きな男:想田和弘の益々の健闘を祈っている。

 夕方、テレビ埼玉で放映するという、アマチュアバンドの非常に短いライヴ収録へ立ち会う。おいらの娘・息子なffpは今年もう1本のテレビ収録ライヴを行い、年内には地方へのツアーも計画している。弾けろ、ffp。

 夜、Y&N夫妻にC誌Kちゃんの4人で、この面子では多分4年ぶりくらいの集い。
 朗らかで“いいやつら”なY&N夫妻に漂う温かい空気により、Kちゃんのトークも冴えまくり2軒の梯子酒。
 お開きになった後、Kちゃんはそのまま吉祥寺まで行こうといってくれ、BarQに着いてハイボールを2杯頼んだところ、彼は即座にカウンターでオチた。

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2013年 04月 29日

~人類の旅~上野動物園

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 朝8時起床。身支度して弁当をこさえてもらい上野駅へ。
 最高の天候もあって今日は外出するのにベストな一日。
 電車の中はいつもよりも完全に空いている。大勢の都内の人々は別地なのだろう。

 上野到着後、国立科学博物館【特別展】グレートジャーニー ~人類の旅~へ。 
 エジプトよりも古い、世界最古のミイラ文化を持つチリ北部アタカマ砂漠からやって来た、約5000年前の「チンチョロ」ミイラやら、国立科学博物館に収蔵されていた干し首3体等、詳細な展示物の説明に加え、様々な興味深いものが多数展示されてあったが、探検家・関野吉晴氏が日本人のルーツに迫る旅に出た記録がすごかった。
 木を切るための鉄器は海岸の砂鉄を一から集めて作られ、それを使って木を切り出し船を作ったそうだ。基本的に近代文明に全く頼らずに、縄文と同じ手法ということか。
 それにしてもなんたる効率。なんたる根性。しかしながら、やり終えた時の達成感はとてつもないものだったという。
 “人類はどのように地球上に拡散し、過酷な環境の中、どうやって生きてきたのか”……そうしたものの大いなるヒントとなる本特別展を勧めてくださった、世界的海洋生物学の権威:窪寺恒己さんに感謝。

 出口を出たすぐの広場が、こしかけられる椅子状の芝生スペースになっており、迷い無くそちらで弁当タイム。この野外での弁当がたまらん程美味い。自分の分プラス、Rちゃんが食べ残したおにぎりまでいただく。
 その足で上野動物園へ。
 いつものまま、ふれいあいコーナーを軸に館内を閲覧。先日訪れた時にはあいにくの天候だったので、今日は写真の枚数も大いに上まわる。
 ひとしきりの見物を終え、お約束の、おねだりされたぬいぐるみ2体を購入させられる。
 レッサーパンダとモモンガ。
 昨日の洗車のおりに、Rちゃんが「ねぇおったん、これになまえをつけない? なんていうなまえにする?」と車を指して言うので、とっさの閃きで「アレンにしよう」と答えた。Rちゃん、なんだか嬉しそう。以前、売ってしまった車の名前は何にする? と続けて問われたので「あれはカレンにしとこう」と回答。Rちゃん、また嬉しそう。
 買ったばかりのレッサーパンダとモモンガにも名前を付けたいと言う本人の意向で、それぞれが“レーサー”、“モモガ”とRちゃんによって命名された。

 移動中の抱っこの要求で途中からTシャツ1枚になるが、全ての要求に答えられず。
 デジカメと一眼レフと、(最初は)ペットボトル3本をリュックに抱えながらの抱っこはなかなか堪える。
 比較的空いていた最後のパンダを見学し、動物園を後に。

 電車内で、夕飯は焼き肉! と決めた姫。Rちゃんの大好きな李朝園で本気の爆喰い。
 もう喰えんとギブアップ状態で、膨れた腹を抱えながら帰途に就いた。本日は本気で足にきた。

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2013年 04月 23日

国立科学博物館とOAZO

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 2004年には小笠原諸島沖の深海で、世界で初めて生きたダイオウイカの撮影に成功。現国立科学博物館・筑波研究施設・標本資料センター・コレクションディレクター で、分子生物多様性研究資料センター・センター長であられる窪寺恒己さんのことは、まさに「ダイオウイカ」のニュースで知るところとなった。
 2006年にはダイオウイカを生きたまま海面まで釣り上げ、2007年には、『ニューズウィーク』誌の「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれたと言う窪寺さんは、まさに“イカ”研究の第一人者。
 本日、季刊誌kotobaの夢枕獏対談企画の相手がその窪寺恒己さん。秋葉原駅で獏さんと待ち合わせ、つくばエクスプレスで茨城県つくば市の『国立科学博物館』を訪れた。
 
 巨大な敷地にもの凄い点数の標本資料をコレクションする国立科学博物館の迫力はもの凄い。直接テーマとは関係ない資料も含めて様々な“物件”を閲覧させていただいたが、単純にその時間だけでもかなり貴重な体験と言えた。
 グリズリーも鯨もヘラジカもなんたる大きさと迫力なのだ。時代ごとに変化する、人の頭蓋骨の変遷も現物を見ながらの解説がやけに興味深いものだ。古代人から現代人まで、あるいは江戸時代の将軍と大奥の頭蓋骨まで研究されているとはまったくもの凄い。
 そしてメインとも言えるダイオウイカのパーツ(吸盤など)もしっかりと拝見。

 場を事務室へ移し、都合2時間ほどの取材は滞りなく修了。対談の盛り上がりの心地よさ、獏さんと窪寺さんの相性のよさをひっそりと感じていた。関係者の皆様方のサポートにも心より感謝。国立科学博物館【特別展】グレートジャーニー ~人類の旅~ のチケットを贈呈くださった窪寺さんに御礼をお伝えし、つくばを後に。

 1時間で秋葉原へ戻り、タクシーで東京駅のOAZOへ。獏さんと久々のサシ呑みへ。
 およそ2時間ほどカウンターの席に陣取り、映画、漫画、小説他、獏さんの睨む様々なカルチャーへの思いを伺える時間がとにかく贅沢。
 おいらも思いつく限り、大好きな人たちの名前をどんどん獏さんにぶつけ、獏さんもそれに応えてくださるという嬉しさ。ビートたけし、ちばてつや、江口寿史、タモリ、赤塚不二夫……等々。
 獏さんには今日も大感謝だ。

 品川を経由し、最終的には吉祥寺のHIDEでC誌Kちゃんと待ち合わせ、小一時間でオチたKちゃんがタクシーに乗る姿を見届けて帰途に。
 昨日1時間少々の睡眠だったにも関わらず、夜中になっても特に眠気には襲われなかったことがかなり不思議。

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2013年 04月 22日

再会

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 2ヶ月ぶりくらいの再会となったか。LED ZEPPELINとJimi Hendrixと吉永小百合とビートたけしを敬愛するYとのサシ飯、四ッ谷へ。

 ジミヘンの新譜『People, Hell and Angel』は正真正銘の新譜なのだが、ジミ好きなくせに聴いていない人、あるいは情報を知らない人が意外といるので少し驚く。
 Rodrigo y Gabrielaのライヴ盤やらジミヘン新譜、あるいは一連のJEFF BECKのオリジナル・アルバムなどを土産に焼酎・日本酒乾杯。Yもやっぱりジミヘン聴いてなかったか。
 Bar Shuffleでスピッリッツ。そして池袋へ移動。ほとんどが音楽と映画の10時間。
 

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2013年 04月 18日

横田めぐみさん

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 お茶の水駅から駿河台を下る途中、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんらの拉致問題早期解決の著名活動を行っていた。

「今、もう一度国民が深い関心を呼び覚まし、解決に向かって力を合わせることを 願い、「横田めぐみ写真展」を催します。ぜひ足をお運びください。」といった主旨を知り、署名した後、同ビル内で行われている「横田めぐみ写真展」に足を運んだ。

「1997年から始まった拉致問題早期解決の著名活動は990万近くに達し、1000万到達が目前になりました。 併せて署名活動も行います。」

 結局、未だ拉致被害者の方々全員の救出には至っていない。ここに記された意志に勿論賛同し、会場内の写真をゆっくりと閲覧したのだが、丁度横田めぐみさんがRちゃんと同じ年齢の頃の写真もあって、痛烈に胸に去来するものがあった。

 横田めぐみさんはおいらと同じ1964年生まれ。

http://www.wlpm.or.jp/megumi/

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2013年 04月 12日

“夜忍戒”『とことん ビートルズ以前』

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  午後の試写会で『L.A.ギャングストーリー』鑑賞。ショーン・ペンが悪の親玉を演じていた。ライアン・ゴズリングも3番目に大活躍の時代活劇。
 
 夜、“夜忍戒”定例会で白金へ移動。
 K社のYとK、そして編集者組のおいらとIちゃんの4人でいつもの爆食親睦会で腹一杯。しかし美味かった。
 梯子酒はなしでお開き。おいらは明日がライヴだし。

 昨日も今日も亀渕兄がNHK-FM午前0時からDJを勤める番組『とことん ビートルズ以前』を2夜続けて拝聴。
 亀渕兄の人間性をおいらなりに理解しているせいか、独り微笑みながら氏のディスクジョッキーぶりを拝聴。
 ザ・ビートルズ以前のブリティッシュだと具体的にすぐには音楽が出てこないが、おいらの知る情報はアメリカに限るものだけで、しかもギタリスト限定。レスポールとかチェット・アトキンスばかりしか出てこない。
 知識として「知ってて60年代後半」だというのがおいら世代のベーシックなところか。一般的にもそこらが限界というのが普通だろう。
 番組でかかった曲はほとんど知らないトラックばかりだった。呑んだ際に亀渕兄に聞こっと。

 亀渕兄は明日、果たしてライヴに来てくださるのか!? 

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2013年 04月 10日

学者と漫画とロックな夜

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 「北朝鮮が中距離弾道ミサイルを発射する準備とみられる動きを見せている」て。
 近く朝鮮半島で戦争が起きる可能性は70〜80%だと言っている学者もいるとか。
 地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が撃墜する確率も正確なところは出たとこ勝負だとかニュースで語ってた。日本政府殿、よろしくお願いいたします。
 
 夜、宗教学者で、前東京大学大学院 人文社会系研究科教授、現:上智大学教授の島薗進先生と会食。先日、夢枕獏さんとの対談を掲載した「kotoba」http://shinsho.shueisha.co.jp/kotoba/の取材現場で先生とは初めてお目にかかった。掲載誌も発売され落ち着いた今日、約束の日がやってきた。
 待ち合わせの荻窪の名店Yはナイスな物件で、なべちゃんに拍手。

 これまで取材させて頂いた教授のみなさんは、どなたも専門分野のプロ中のプロであり、伺う内容はまさにネタの宝庫という印象を感じ受けてきたが、今宵はプライベートな空間で焼酎ロックに身を委ねながら、先生のお話を直に(自由に)伺えるという贅沢極まりない時間を過ごした。
 “高性能ミサイル”とは、獏さんが島薗先生を比喩して表現されたリスペクト・フレーズ。おいらも全く同感だった。そして先生の感性がめちゃめちゃ若い。
 Twitterでは原発と闘いつつ、第三者の話にはひとつひとつ耳を傾け、冷戦沈着にすべての物事を見つめる先生の在りようは、ひとつの憧れのように映るのだった。「教え子で想田和弘という映画監督がいるんだけどね」と先生が切りだした時、おいらの嬉しさは頂点に! 「想田くんとは1997年のベネチア映画祭の取材で初めて会い、そこから完全な身内状態で来日の際には必ずどこかで呑んでいますよ。映画も毎回取材しているんですよ!」と興奮しながらお伝えしたのだった。そうだった、確かに想田ちゃんは宗教学を学んでいたとか聞いていたっけ。
 直ぐさまNYの彼に(電話番号が判らなかったので)「電話して!」と記したメールを送信したのだが、残念ながら時差の関係かで連絡取れず。しかし後のメールのやりとりで、今日の歓びを彼に伝えたのだった。ちなみに想田監督は映画『選挙2』のプロモーションでGWに来日する模様。http://news.nicovideo.jp/watch/nw577353

 至福の時間を過ごし、同席のなべちゃんにはこれ以上つきあってはもらえず(笑)、独り吉祥寺へ。
 先ちゃんや、初対面となった漫画『クッキングパパ』の作者:うえやまとちさんらが呑んでおられる席に合流し、久々の闇太郎で漫画な宴会が続いた。いやー、こちらも楽しい楽しい。
 やがてお開きとなり、Bar:BのMと待ち合わせしQへ移動。
 先日誕生日だったMを労い、近況報告が終わったのが朝6時の少し前だった。Mは今年セルビアでライヴやるそうだ。どえらいことよのぅ。

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2013年 04月 5日

ベルリンからのメール

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 たかだか1日の食事制限ながら、ささやかなそのストレスからか、小ぶりのトマト4コ、デコポンを1コ夜中の台所で一人こっそり平らげた。麦茶を作り置きし、PCメールの整理。

 今月半ば過ぎに、ドイツより来日するKとメールのやりとり。
 Kは数年前のベルリン取材の際に知り合った才女(通訳をやって頂く予定だった)で、当時はまだ大学生だった。
 残念ながら、目的のレニー・クラヴィッツは体調不良でインタビュー取材NG。勿論、同時に現地でライヴも観戦する予定でベルリンくんだりまで飛んだはずなのに、そのライヴまでもが中止になってしまったという酷い海外取材だった。当時は最低の展開になった忘れられない旅だったが今は妙に懐かしい。
 ちなみにレニー・クラヴィッツの取材はUDOロックフェスで来日した際、最優先で充分な時間を頂き、東京でのリベンジはぶん取った。

 昨年、念願の司法試験を合格した彼女、最も得意な言語がドイツ語、次に英語、3番目に日本語なのだそう。国籍はドイツなのかもしれないが容姿は完全に日本人。ホンモノのインテリなのに気取ったところなど何もない朗らかな人格者。いつでもベルリンで過ごした数日間の思い出話に花が咲く大切な仲間の一人だ。
 前回はパートナーの彼とその兄弟(双子)と3人の来日だったが、今回は一人で来るそう。
 早速、届いたメールで会話し、ご飯の日程を決めたところ。元E社現U社Nも含めた親睦会が今から楽しみ。
 映画『グランド・マスター』完成披露試写会は終了時間が次のライヴ観戦に被るので諦めた。
 夜、新宿ヘッドパワーFFPライヴ観戦へ。今日のFFPは初のトリを務めた。

 ほんの30分ほど前にメールを貰っていた編集SとJR新宿ホームで偶然遭遇。これは珍しい。
 地元でほんの一杯だけひっかけ、帰ろうかと思っていたところ、これは天からの「呑みなされ」啓示だと受け取り、カメラTと3人とりあえず吉祥寺へ移動。

 久々のタイ料理:ラコタのテーブルが空いており、スムーズに入店。格別に美味いタイ料理。そのままHIDEを経由し、電車の動き出した時間におひらき。Tはもう船漕ぎ4回はオチながらの痛飲。合掌。

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2013年 04月 2日

銀座で和食

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 雨の中、先輩編集者Jさんとのサシ飯。
 銀座で美味しい和食を頂きながらワインを白赤のボトル&グラスで数杯。
 編集者の誰もが一目置く氏と完全なサシ飲み空間となり、素直にもの凄い充実感を感じていた。すべてがクレバー、すべてが博学。Jさんから学ぶべきことの重要さは今も昔も変わらず、様々なカルチャーを睨むセンスが今夜もとても共感させられた。

 Jさんとの酒の場合、河岸を変えた宵の口の頃には、大概誰かに電話して合流を呼びかけるのだが、たまたま電話をかけたOが今夜は珍しくつかまらず、完全なサシの空間で世が更けたが、このパターンとなったことはかなり贅沢だった。
 某企画の14年目を迎えた「Tさんを囲む集英社会」は年内に実現したいものだ。

 Jさんを見送り、深夜の銀座を酔い覚ましで歩いていたら深夜営業のスーパーに遭遇。何故か土産にトマト2パックとデコポン1袋買っているおいら。
 どんな精神状態だったのか、翌日の自分にも分からず。

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2013年 03月 27日

身内親睦会

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 昨日5時過ぎの起床だったので、夕べは2時前には眠気全開。
 朝食には豚生姜焼き定食。
 
 夜、姪のTが近々入籍するというので、彼女の母(実姉)共々食事会を提案。
 Tは来月にも地方に行ってしまうので次回の再会はいつになるのか解らない。
 “肉親”といっても、何らかの行事がなければ年に一度も会わない環境であり、40年前頃の家族と親戚のあり方とはえらい違い。大阪のFともそろそろ呑みたいなぁ。

 銀座の鉄板焼き屋を予約し近況を語り合った。2人とは、何年前かにおふくろが上京した際の正月に、原宿界隈で会った以来だったか。
 子供だと思っていたTも随分と大人になっており、酒がすすむに連れ語り合う内容にその成長を少しづつ感じていた。春から新天地での生活が始まるTは、思いの外楽観的に考えているようで、なんだか安心させられた。
 米澤家に纏わる懐かしい話と、近年の20歳代の若者の考え方を交互に聞く。おいらなりの視点で体験談を踏まえた思い、注意事項などを教授。
 店を変え、深夜4時15分を回った頃、意義ある8時間余りの親睦会はようやくお開き。T、地方でも踏ん張れ!  

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2013年 03月 22日

ビジネス・パートナー

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 寝不足と、しっかり二日に跨がったアルコールのテイストを感じながらシャワーで目を覚ました。
 すでに春休みに突入した、遊ぶ時間たっぷりのRちゃんはトイレに行く際にも「おったんーだっこし・な・さ・い。だっこしてトイレにつれていって!」とまとわりつく。
 何もそこまで甘やかせなくとも……という指摘もありそうだが、幼少期の子供にはちゃんと甘えさせないといけないと聞く。
 甘えた経験のない子は、思春期になってからその反動で逆に甘ったれになるそうだ。勿論、なんでもかんでも買い与えるというような意味合いの贅沢をさせる類の甘やかしではない。スキンシップを求める子供の気持ちをストレートに受け入れるということ。
 抱っこの要求こそ、今一番必要な“甘え”なのだと感じている。時に腰にくるけれども。

 電車の移動中も眠気と気怠さ全開で身体の重い一日。

 夜、コミックス仕事で日々御世話になる印刷所、製版所の素晴らしきビジネス・パートナーKさん&Gさんと初飯。これが初飯とは思えない程の盛り上がりで個人的にもかなり嬉しい夜となった。
 この1年以上一度も顔をあわさないまま、原稿のやりとりとメールだけの会話で入稿作業を行っていたが、それはイカンと前々から感じており、彼らとの親睦会は早めにやっておこうという気持ちがあった。それがタイミングを逃し、ズルズルきていたのだった。
 今日の機会はまさに必要で重要だった席ともいえ、会わずとも充分な人間関係は構築されていた感覚はあったが今日の親睦会によってより強靱な信頼関係が得られた感覚だ。
 Kさん&Gさんに感謝。

 食べ残った焼き鳥をテイクアウトにしてもらい、吉祥寺HIDEへのお土産にして軽く一杯。
 常連客の3人と遭遇し、いつものノリでいつもの乾杯。

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2013年 03月 3日

2013北斗旗全日本空道無差別選手権大会

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 大道塾吉祥寺支部師範代:飯村家と家族飯会で吉祥寺へ。
 ネットで探した唐揚げの種類が48もある居酒屋を予約していた。
 宴開始10分前にはすでに彼の家族は到着しており、Rちゃんと2人着席したのだが、子供全員が女のコばかり。Rちゃんは2人のおねぇちゃんに会うのをとても楽しみにしており、家を出る際には小さなバッグにあれやこれを詰め込んでいいた。なかなか重量を感じる重さとなったバッグはおいらが持ち運ぶのだけれども。
 2人のおねぇちゃんに会った瞬間にはまだまだ人見知りがあり、一人黙々と折り紙でなにやらを作るRちゃん。「もっと助けてよ、おたん!」と言わんばかりの目つきで隣の父を見るRちゃんだったが、軽く突き放す(笑)。

 閃きで予約した店だが、鍋も美味しいし、当然唐揚げもナイスな物件で嬉しい。
 大人面々も喜んでくれて一安心。飯村家も長い間、おいらの家族だ。
 飯村は、8年?ぶりに現役復活を果たすようで、今回の親睦会の最もエポックなニュースとなった。
 飯村師範代は、中央区立総合スポーツセンター 第2武道場にて3月20日に開催される「2013北斗旗全日本空道無差別選手権大会 全日本空道」予選から出場する。
https://www.facebook.com/kenichi.iimura.7

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2013年 01月 22日

Mの優しさ

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 遅めの夕飯をとても楽しみにしていたのだ。
 ビジネス・パートナーのMから、昨年のおいらの誕生日をまだ祝っていません! という指摘の元、彼女がご馳走してくれるのだと言う。なんという有り難い申し出なのだろう。
 当然、お断りする気など毛頭無く、遠慮なく指定された銀座の葱やへ伺った。

 この店は明日で閉店となるそうで、いきなり入口の張り紙に驚いた。
 鍋もつまみも申し分のない物件であり、風邪を引きずったおいらにはとても温まるベストの食材ばかり。
 仕事は完璧。性格も凛としするMの優しさが有り難かった。M感謝!
 彼女を改札まで見送り、今日別途でお誘いを行けていたKちゃんに電話したところ、すぐ近くのBarに居るのだという。
 「じゃあ、いくばい」と電話を切り、10分後にBarK着でKちゃんと合流。爆笑の空間。
 そこからさらにBarVへ移動。VのMを連れ立ち、さらに新宿ゴールデン街呑みに突入。時間は6時を回ってしまった。

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2013年 01月 5日

初夢

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 昨夜の酒も引きずることはなく、午後6時に銀座のミシュラン三つ星鮨:Mへ。
 メンバーは貸し切り12人。新年会の主催者はTさん。驚愕の宴が始まろうとしていた。

 定刻よりも10分早めに到着したおいらは、カウンターの席順があろうかと待機していたところへTさん定刻到着。なんとなくTさんが促してくださり、たまたまTさんの隣の席に座ることとなった。
 その時点ですでに浮世離れの時間が始まっていた。
 極上鮨にシャトー・マルゴー。人生でそう何度もあることはなかろうシチュエーション。おまかせで4万円程度だったと聞いた。
 果てしなく重要で貴重な時間を噛みしめながら、集ったみなさんと可能な限り親睦を深めた。

 二次会は4人の面子で六本木の焼き鳥屋へ移動。この贅沢すぎる空間に目眩がしそうになる。
 さらに三次会は広尾界隈のカラオケBarへ移動し、大カラオケ大会に突入。
 目の前でTさんがものすごくたくさん歌ってくださり、2人でハモったり(笑)。名曲Aを聴いた瞬間は不覚にも目頭にきた。それなりに酔っていたのだろう。しかしなんという至福の夜なんだ。
 おいらはリクエストされたDEEP PURPLEは歌わずLED ZEPPELINや『涙そうそう』などを本気で歌わせて頂いた。
 初夢のような筆舌に尽くしがたい新春の始まりとなったのだった……。
 みなさんとの新年会、楽しみにしてますよー!

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2012年 12月 30日

休日の歓び

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 朝9時頃、寝床にやってきたRちゃんは珍しくまだ寝足りなかったのか、おいらの布団へと潜り込んできてそこから30〜40分は寝てたように思う。
 起床。彼女の閃く最初の遊びから順番にメニューをこなす。いつもの休日。

 昼食は夕べの夕飯の炊き込みご飯とサラダ。
 サニレタスをポン酢で食べてくれるようになったRちゃんの食の進化を今日も認識。
 微妙な雨模様の中、ママを迎えにスーパーまで赴き、ピックアップして吉祥寺へ。
 移動中の音楽は全部『シンクロニシティ/ザ・ポリス』。他のバンド、ミュージシャンの音源をかけようと問うても、今はザ・ポリス以外受け付けないRちゃん。この現象は面白い。

 駅界隈へ到着。車駐車。ママの用事の間、Rちゃんと2人でショッピング。

 Rちゃん目当ての英語教材の5000円相当の書籍をリブロで購入し、100%フレッシュジュースとアイスクリームをいただく。
 ママと待ち合わせて帰途に。
 昨日、スケッチ・ブックに途中まで描いていたお絵かきの続きの着色を「てつだって」と言うのでコピックで2人して塗りまくる。無心で絵を描く娘の横顔。思わず見つめてしまう。
 夕方、おふくろへ久々のSkype。夕飯後にも2度目のSkype。九州では甥っ子が帰省中の様子。

 BSで放映していた映画をチラ見しながら夕飯まで過ごし、夕飯のカレーをRちゃんは甘口ではなく辛口を食べることを知り驚く。

 お風呂の後、TBS『たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5~6個のこと~其の四』を興味深く聴き入る。それらは今年一番のテレビ番組の一本と言えた。

 たけしさんに関する件。今年は書籍『ほしのはなし』はRちゃんに読んで聴かせた。彼女は『情報7days ニュースキャスター』の一コーナーでたけしさんの頭に落ちてくるフィギュア(作り物)のシーンを見逃さない。
 新書『間抜けの構造』は政治家必須のバイブルと言えた。
 テレビでのフリートークでは、実際の北野組の現場でも知り得ない演出の機微のほんの一部を垣間見る貴重な時間となった。様々な番組中の心温まるシーンのBGMで時折聴こえてくる『菊次郎の夏』のテーマ曲が2012年の今も圧倒的に胸を打つ。
 一年中、北野武という存在はおいらの意識の中心にあり、この師走の時期となればその印象はさらに増して心のヒダに染みこんでくる。

 それなりの時間、少しだけパソコンやってもなかなか寝てくれないのでRちゃんはママに叱られた。その後、それ以上抗えず。
 髪をブロウして歯を磨いてあげた後、不可解な表情のまま神妙に寝室へと向かった。まだまだ遊びたいんだろうけど、止められずにごめんね。 

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2012年 12月 14日

JAKE SHIMABUKURO JAPAN Tour 2012

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 今夜もライヴ観戦が続く。『JAKE SHIMABUKURO JAPAN Tour 2012』昭和女子大学 人見記念講堂へ。
 ジェイクの東京公演は昨日と今日。昨日はおいら不在ながら、幼なじみのIとその娘ちゃんのご招待が叶った。S社Hちゃんら関係者に深く感謝。
 Iからは、ライヴがいかに感激したのかが記されたメールが届いた。「よかったー! 凄いコンサートでした。ウクレレから、あんなに色んな音色がでるとは驚きました。娘もずっと食い入って見ていました。」
 なんだか人の役に立てたような気分になって嬉しい。
 
 今夜は編集Sと現地入り。S社関係者諸氏へご挨拶をして、盤石鉄板、無敵のライヴ・パフォーマンスを堪能。曲の贅肉は益々削ぎ落とされ、インプロヴァイゼーションの優先された構成に舌を巻く。ジェイクは今日もすげぇや。

 終演後、関係者が鈴生りに並ぶ控え室でてきぱきとジェイクと今年2度目の再会。同級生Iの娘ちゃん宛の色紙&トートバッグにサインを頂き、ハグしておよそ1分で再会の時間は終わったが、ジェイクのライヴ観戦で本年度の暮れを締めくくれたことは幸運だった。

 Sと地元:三軒茶屋唯一の居酒屋『つぼ倉』で豚鍋などのつまみで芋焼酎。冷静に様々なつまみを厳選して食したところ、その物件のクオリティに今更ながら驚いた。何もかもが極まった美味さ。参った。
 場を吉祥寺へ移し、馴染みの『HIDE』でハイボール乾杯。Sとの重要で愉快なサシ忘年会も嬉しかったなぁ。S、いつも感謝! 

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2012年 12月 13日

Traveller・3都市巡り

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 夕方、紀尾井ホールへ。「村治佳織 ギターリサイタル~Traveller・3都市巡り~」観戦。
 昨年末は、橈骨神経麻痺のせいで暮れのコンサートは見送られたので、2年ぶりの最重要ソロコンサートとなった。病からの復活コンサートは名古屋まで観に行った。そしていよいよやってきた今日の年末のコンサートと繋がった流れは大変感慨深いものとなった。

 舞台『シダの群れ』で身にまとっていた深紅の衣装と、宝塚的衣装が実に鮮やか。ゆとりあるステージングに圧倒的な説得力を感じながら6弦のゆらぎに身をゆだねた。鉄板の優雅さと言えた。
 ゲスト・ピアニスト:加藤昌則とのアンサンブルのシーン。2人の駆け引きのようなやりとりがナチュラルで、とても心地よいものを感じる。彼のプレイも大変繊細なタッチを感じさせた。

 「アンコールできっと『バモガヨ』やってくれると思う」演奏前に、髪を切ったばかりのクールななべちゃんにそう伝えたところ、図星だったので「やっぱり」とガッツポーズ。
 おいらとしてはコンサート中、最も力が入り、曲自体の持つ機微を感じ受けていた。
 「バモガヨ」の説得力が極まっていたことは告白せざるを得ない。
 曲は確実に進化を遂げ、ある種の風格を漂わせた。椅子を握りしめる手に力が入り、背中に電気が流れた。組曲風の展開には、さらなる進化のアレンジも考えられそうだし、まさに無限の可能性を秘めた楽曲の誕生だと確信。早々に「早くスタジオ盤の音源を聴きたい」という欲求に駆られていたのだ。「村治佳織がマイペースでオリジナルを創り続ける」という方向性は間違っていない。

 その、記念すべき紀尾井ホールライヴ前の午後に、ある一通のメールが到着。
 年明け早々、Tさん新年会へのお誘い内容に一瞬死亡。勿論、即快諾メールを返信。
 年始からなんて縁起がいいのだろう。そうときめき、S社チームとの「紀尾井ホール」打ち上げで夜が更けた。
 尽きることのないKさんとのベック話、ギター話はもはや小宇宙で高校生。
 そして、この年代の編集者では珍しく唯一、おいらに真っ直ぐ突っ込んでくるなべちゃんの合いの手にまた爆笑。なべちゃん、早く愛しき方に逢わせてね。楽しみにしとるよん。
 しかし我々は喰い過ぎやろ、なんぼなんでも。

[演奏曲目】
◇フランスのエスプリ
ショパン/ノクターン第2番Op.9-2
ショパン/雨だれ:プレリュードNo.15
ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女

◇スペインの光と影
グラナドス/ゴヤのマハ
ソル/グラン・ソロ
ロドリーゴ/ある貴紳のための幻想曲(ピアノ伴奏:加藤昌則)
モンポウ/コンポステラ組曲

◇イギリスの誇り
レノン&マッカートニー/ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア(武満徹 編)
レノン&マッカートニー/ヘイ・ジュード(武満徹 編)
ウォルトン/5つのパガテル
レノン&マッカートニー/ミッシェル(武満徹 編)
レノン&マッカートニー/イエスタディ(武満徹 編)

◇アンコール
村治佳織/バモガヨ(村治佳織 編)

投稿者 yonezawa : 15:26 | トラックバック(0)

2012年 12月 12日

恵まれている

 午後6時30分頃からのホーム社忘年会のことはすっかり忘れていた。スタッフの動向を見てそれに気づき、身支度をして徒歩で学士会館へ。
 数名の先輩編集者と近況を語りあい、ビンゴの始まる直前に中座して新宿三丁目へ。

 今夜は別件で重要な忘年会が決まっていた。
 編集見習い時代からの一等最初の編集者の先輩と言えば宮下さんと順二さん。楽しみにしていた彼らとの親睦会がやってきた。
 宮下さんは執筆活動もこなす編集者。つい先日、出来たての書籍を献本頂いた。

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http://www.amazon.co.jp/dp/4262131300/
http://www.amazon.co.jp/dp/4522476485/

 順二さんは、おいらの書いたたけし本『Blue Film―北野武の428日』の担当編集者。
http://www.amazon.co.jp/dp/4887497113/
 実写映画『マリア様がみてる』の公式本も彼との仕事だ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087805751/

 仮に2、3年会う機会がなくとも、諸先輩方との距離はいつも同じ。編集者としては最も古い20歳代前半の頃から今に至るまで、折に触れて再会を果たすのは彼ら二人だけ。
 新宿の居酒屋で吉祥寺のライヴ打ち上げ以来の乾杯を果たす。この宴にはゲストYも参戦。それにしても、編集者としておいらは先輩にもかなり恵まれてきたもんだ。
 
 今夜、この席で語られた映画話がどれほど重要であったか。
 鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』の劇中出てくるこんにゃくは、当時同作の美術班だったという宮下さんが千切って仕込んだのだそうだ。初耳。
 同席したゲストYは若くしてその作品を観ており、今日の席にもそうしたいくつかの驚愕な場面があった。
 山中貞雄からキアロスタミ、ベルトルッチからガス・ヴァン・サント、北野武からなぜか吉高由里子……っと出てくる名が愉快で深い。話しは尽きぬままゴールデン街へ移動し、終電まで語り尽くす贅沢な時間。

 吉祥寺へ帰還し『闇太郎』で先ちゃんと合流。今日は神保町から新宿を中継して吉祥寺まで、都合4軒の大横断梯子酒。明日に続く。

投稿者 yonezawa : 15:29 | トラックバック(0)

2012年 12月 6日

Happy Bithday

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 bambiハルコ、Happy Bithday。bambiには『Happy Bithday』と言う名曲がある。
 この時期はおいらも含めて知人・身内の誕生日が目白押しな感じ。東京初のバイト先の店長はおいらと同じ誕生日だったし、法政2部ジャズ研究会の同年代のある者も同じ誕生日だったことを思い出した。これは奇遇だと。
 近年、取材したフランス人美人女優のルイーズ・ブルゴワン(映画『アデル』主演)がおいらと同じ誕生日だと知った時は嬉しくて、取材空間はとてもリラックスしたものとなったっけ。

 12月発売の4冊もの本の入稿を同時に進行させていると、時に曜日の感覚も欠け落ち、完全に今日は金曜日だと言う認識で印刷所とメールのやりとりをしていた。妙なことを書いて送ってしまった。
 今日は木曜日。明日の出校を睨み、きっと責了まで大丈夫だろう……とタカをくくる。

 先週・今週で唯一の空き日だった今夜も、編集Kちゃんからのピンポイントお誘いでめでたく埋まった。今夜もヘヴィな飲みが始まる。
 銀座の三つ星寿司屋にことごとくふられたKちゃんと、最終的に四ツ谷のナイスな寿司屋「いがらし」へ落ち着く。
 極上寿司をたらふく頂き、徒歩で「シャッフル」へ。午前5時を回った頃、解散。Kちゃん、深い深いミーティングの件は承知しました。
 Kちゃんを見送り、風の吹くまま、とぼとぼ酔い覚ましに歩き、なぜか酎ハイ一杯と麻婆豆腐を食いに一人中華屋へ。
 朝、冷静になって己の行動に「何故?」と疑問符。

投稿者 yonezawa : 15:25 | トラックバック(0)

2012年 11月 16日

ベストのモチベーション

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 東京さぬきうどんで定評あるJAZZ KEIRIN
http://www.jazzkeirin.com/
 で晩飯。元法政2部JAZZ研究会のT、N、Sなども集い、店主Tさん極上のつまみを肴に芋焼酎をごんごん頂いた。
 全員が未だにしっかりミュージシャンしており、それぞれのモチベーションを伺う度に嬉しくなってきた。Nの驚愕のニュースも心がホットになったし、Tはなんと新しくベースを2本オーダー中なのだと言う。負けているではないか、おいら。

 Tさん今日も感謝! 呑むだけ呑んで、Nに車で吉祥寺まで送ってもらい、Tとサシで馴染みのためBarへ。そのカウンターに入るSちゃんもミュージシャンで、スラッシュメタルのベーシスト。我々よりも遙かに若い彼がまたナイスなあんちゃんで、またしても酒が美味い。たまたまカウンターで知り合った二十代と思しきヴォーカリストのあんちゃんとも音楽談義で嬉しい時間を共有する。
 禁断の明け方のラーメンにはTもつきあってくれ、出汁のクオリティに歓びまくり、勿論完食。Tの存在は今おいらにベストのモチベーションを与えてくれている。

投稿者 yonezawa : 21:38 | トラックバック(0)

2012年 11月 5日

『猟犬探偵』2巻は12月19日発売予定

 餃子定食を食って仕事へ。
 電車がJR四ッ谷駅にさしかかる頃、日本が世界に誇る漫画界の至宝:谷口ジローさんからの留守番電話を確認。
 12月刊の愛蔵版コミックス『猟犬探偵』2巻のカバー・カットがアップしたとの連絡を受け、Uターンで先生の仕事場へと向かった。

 最寄り駅から10分前後歩いた先にある氏の仕事場までののんびりした風景がおいらは好きで、都心からその程度離れた地域の空気感は飽きない。

 輝きを放つ大型カラーのアナログ原画をしかと受け取り、つい先日出版されたという重厚感溢れるコミックス『荒野より-FROM-WILDERNESS』(光文社コミック叢書SIGNAL/谷口ジロー)をいただいた。
 恐縮ながら、10年後に読んで貰おうと言う願いのもと、Rちゃん宛にサインを賜る。
 先生、超絶多忙とは存じ上げますが、忘年会は是非ともやりましょうぞ!

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 『晴れゆく空』(集英社文庫)は、おいらが担当で出版したコミックス。すべての谷口作品同様、必読也。
http://www.amazon.co.jp/dp/4086190613/

 そして今夜は何をやっていたのかと言うと、36年ぶりの再会となった世界的脳外科医:Sちゃん&大手銀行支店長:Mちゃんとの痛飲会食 in 『犀門』。もうたまらん。同級生の出世頭のお二方。
 勢い余って小学生時代のマドンナで、当時ご両親が電気屋さんをやっておられたNYさんに電話。そうかそうか、Sちゃんも彼女に惚れていたのだね!
 なんという素晴らしい夜なのだろう。

投稿者 yonezawa : 02:28 | トラックバック(0)

2012年 10月 30日

怒濤の日々確定

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 九州からの客人Mが大型連休を利用し、上京。遅い夕飯を共にした。
 Mは同僚のIさんと2人でやってきた。
 いつものコースでBarシクロにシティを経由し、世が更ける。

 夕方、BarAのAから突然入籍のメールが舞い込む。「15年ぶりに再会した人と一ヶ月で結婚決めて、即入籍.どや!」と相変わらずのfunkyぶりを見せた。

 名画『菊次郎の夏』ロケ現場で契を交わした盟友:T兄が、先日、品格溢れる美しきフィアンセを伴い、復活を果たしたばかりのおいらの出るライヴにきてくださった。
 音楽にしろ舞台にしろ役者業にしろ、およその芸能分野を満遍なく熟知するT兄。映画監督:篠崎誠に「T兄のお祝い呑みをやりましょうぞ!」メールを入れたところ、恒例化の流れに持って行きたい菊次郎会と合同でやりましょうやという提案が来た。いつでも心優しきイースト吉田兄も、当然「あいよっ、日にち出たら教えてください!!」と即返し。
 おいらの回りはみんなチャーミングな漢ばかり。
 11月、12月も怒濤の日々は確定。

投稿者 yonezawa : 02:22 | トラックバック(0)

2012年 10月 25日

獏さんの対談,第4弾

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 次から次へと呑み会も舞い込んではくるが取材のスケジュールも原稿に没頭している間にすぐやってくる。
 スーパー・フォトグラファー尾形正茂に明日の取材の場所も口頭で伝えたまま、文面なりメールで知らせておらず失礼をこく。担当編集Nちゃんの激務具合も認識。
 「取材は粗方昼頃から2時間程度」とは伝えていたが、確定の連絡が来ない方はそりゃ判らんわな。ともかく原稿書きに狭間をつくり、取材詳細の通達。

 観察映画監督第一人者:想田和弘の原稿整備は徹夜で推し進め、泣く泣く4800Wにシェイプ。
 この判断が正しかったのか、追って精査に入るところ。

 明日は、生物学者(理学博士)の長沼毅さんと初邂逅を果たす日。おいらは海のことは何も知らなかったとを、長沼毅さんの書籍『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』を読めば読むほど痛感。
http://www.amazon.co.jp/dp/425500594X/

投稿者 yonezawa : 02:28 | トラックバック(0)

2012年 10月 8日

ルーでの海水浴とバーベキュー

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 8時には起床し、バイキングの朝ご飯。
 国際通りに車で移動し、買い物しながらソーキソバなどを頂く。ビーサンも購入。

 かなりの距離を感じながら、残波岬へ移動。
 風が強く岸壁のところは足場も悪く危ない。
 喉が渇くので、売店で売ってたシャーベットを飲み干した。

 その後、もう1箇所の観光地を目指すが、何故かナビに違う箇所に誘導され、時間も時間だったので断念し、今夜の宿泊地ルーへ移動。名称もあっているのに何故なんだろう。

 ルーへ到着したとたん、「Rちゃんおよぐー」と張り切る彼女の手を引き、yoyoの浮き輪を強奪しながら10半ばの海水に浸かった。
 当初ちょっと冷たい気もしたが、一度入るとぬるま湯に感じられるのが不思議。
 Rちゃん、沖縄に来て一番の笑みで終始大はしゃぎ。最初からある程度、海主体で行動すべきだったか。
 正味20〜30分程度だったと思うが、波打ち際で波に揺られる歓びを感じたことと、一度バシャンと海に顔が浸かり、焦って泣いた経験も有効となろう。
 たくさんの写真を撮ってくれたチャーリーありがとう!

 この場所でこのメンバーで、午後5時30分からのバーベキューをやりたいがためにやってきたところもあるので、個人的にはこの瞬間からが一番嬉しいのだった。
 野外のバーベキューは何故こうも美味いのか。母が隣にいてくれて今年も幸せだ。母との旅がbambiと共に続いているのがまた嬉しい理由の一つ。家族には慌ただしいスケジュールの中、いい時間までつきあってくれて大感謝。
 泡盛をごんごん飲み続け、結局2〜3本空いたのか。今年の泡盛は優しかった。

 酒盛り中は大先生との2本のアコギで終始セッション。
 バンマスは、きっとこの場の閃きで数曲を仕上げてくるだろうという確信を抱く。

 まぁ〜喰うだけ喰った後、ベランダ呑みへと場を移し、深夜12時頃に終了。
 なんか終わるの早い気もしたが、おいらも丁度そんな気分だった気がする。

投稿者 yonezawa : 19:31 | トラックバック(0)

2012年 09月 19日

水道橋『量平寿司』

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 入稿入稿入稿。

 夜、久々にK誌Nちゃんとサシ飯。
 訪れた水道橋の『量平寿司』は確か1年半以上ぶり。
 おやじさん、おかみさんにご無沙汰を詫びながら、生鮮魚他を堪能。

 Nちゃんはホントに何でも知っている。
昨日取材した俳優陣のことを何気に語ると、その俳優の経歴なりプロフィールを当たり前のように知っているのだ。これが仮に政治経済の話であってもAKB48の話であってもきっと明瞭に答えてしまうのがNちゃん。
 その雑学の量は不思議なほど。ちなみにおいら、ジャンケン大会は観ていない。
 赤坂のBarで飲み直し、最後はいつものたこ焼きで〆。いつも感謝です。

投稿者 yonezawa : 14:42 | トラックバック(0)

2012年 09月 13日

編集Oと完全なるサシ飯

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 編集Oと完全なるサシ飯はこの10数年の間で初めてだったかも。
 神楽坂のおでん屋でたらふく居酒屋メニューとおでんを芋焼酎と共に頂いた。

 二軒目には、「(編集業務が)7年目になりました」と語ったSちゃん合流。
 意外な事に初組み合わせの呑みながら、そんなたどたどしい感覚など何もないまま愉快な時間が流れる。
 二人とも編集業務に忙殺される毎日。それ故か、二人交互に瞼が閉じてきた。
 話に頷きながらも、特にSちゃんは完全に船漕ぎ状態になったので「横になんなされ」と伝えたら3秒で爆睡。優秀な編集者だ。仕事し過ぎだね、これは完全に。

 おいらより丁度一回り若いO、そしてそのOよりもさらに5〜6歳若いSちゃんの体力は、本日に限りおいらよりも不足していた様子。
 逆に、それなりの寝不足参戦ながら一人持ちこたえる己のコンディションが少し不思議。
 この頃、いくら朝まで呑んでもちっとも二日酔いにならないのだ。当然、飲み過ぎの際に自覚する胸部の筋肉痛は変わらないものの、気持ち悪い二日酔い独特のあの最低の体調には全然陥らない日ばかり。
 それは勿論喜ばしいことながら、その明確な理由が分からないでいる。
 親父が健在の頃、いくら大量に焼酎を飲んでも二日酔いにならない親父が不思議だったものだが、加齢によってそのような体質になってきたのか。

 今より遙かに若い時分、帰省して親父と同じペースで同じ芋焼酎を飲むのだが、トイレに立つ時、足下がおぼつかず、壁を這ってゆくぐらいの大酔いになっていた。
 日常東京で、どれほど呑んでも泥酔、酩酊状態なんかになったことは一度もないのに、何故実家の酒であのように極端に酔うのかは、未だ永遠の謎である。

投稿者 yonezawa : 16:29 | トラックバック(0)

2012年 09月 12日

がんさと30年ぶり

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 45年前後前から同級生としての付き合いの続く宮崎県の同志らより「ちゃんとUPしてよね」と再三通告を受けていた。
 今夜の酒席の写真をFacebookに上げてくれと連中は言っているのだ。
 Facebookで、それこそ40年近い昔の友の消息を知る時代だが、小六の頃以来、冷静に会う機会はなかったと思われた幼なじみの一人Iと、馴染みのナイスな串揚げ屋「文」で再会を果たした。瞬間、感無量。

 実は彼が予備校時代の福岡在住の頃、当時おいらの住む平尾のアパートに来て泊まったことがあったというのだが、当のおいらはまるっきり記憶が無い(笑)。
 なので30年ぶりぐらいの再会であることを認識した。
 「さぁどこから話そうか」と、やる気満々で構え(笑)、ともかくこの貴重で重要な時間を無駄にはするまいと、これまでの人生の軌跡から近況までを語り合うときめく時間が過ぎた。

 大手銀行のエリートサラリーマンであることは、彼の職場の駅名で察しはついていたが、Iが実に真っ当にエリート街道を歩んできた様を改めて知った。
 50も視野に入るいい歳のおっさんになっても小学生の頃となんら変わらない。人間として備え持つ優しさはあの頃の温度と同じで、人間は簡単には変わるものではないことを改めて確信するのだった。
 Iとは同級生であり共に剣道部。こうしたクラブ活動でも同じ時間を共有していたことは、学生時代の心象の深さとしてはかなり大きい。
 六年生で主将となったおいらは、あの頃、試合で迎える団体戦のプレッシャーを少し思い出した。次鋒か中堅だったIは試合の時は気が楽だったと笑った。我々の剣道部(男子)は全然強くなかったけれど。
 剣道部の顧問だったK先生宅のすぐ近くに住んでいたIのあの景色、家屋を思い出した。
 様々な懐かしい光景が蘇る。
 「そうだ、酔ってしまってからではFacebookへのUPは困難!」と考え、店の方に2ショット写真を撮ってもらい、店の従業員の協力を仰ぎスマホでUP完了。でも写真は逆さま(後に修正)。
 最終的に話題は自然に家族の方へと流れ、例外なく我が子が最重要事項であることを互いに語り合った。そして、今後我が両親をどう労うか、もテーマに。
 「次回九州へ帰る際には、お前のタイミングにあわせるからさ」おいらの仕事の都合にあわせて、一緒に帰省する機会を作るよとIが大きく笑う。
 I、そしてIの家族のために何か役立つことがあるなら何でもやりたいものだと考え、暮れのジェイク・シマブクロのコンサートは、是非彼の家族と一緒に観に行くべとスマホに記した。
 「これ以上、呑み達人数を増やしてはいけないよ、自分」と、己に言い聞かせなきゃならん程、呑み要員パンク状態のおいらながら、Iの存在はごぼう抜きでプライオリティの上位に食い込んだ。ま、増えてもいいんだけどね(笑)。
 次回は、同じく剣道部で秀才だったあの男。現在、世界的脳外科医のSも参戦なるか?

投稿者 yonezawa : 20:24 | トラックバック(0)

2012年 08月 13日

第3弾

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 我が家のみ第3弾。
 編集Sと地元民Sを招き、焼き肉にシーフード&霜降り肉入りカレーをメインにおもてなし。
 呑む喰う仲間は大好き。美味しい美味しいと言ってくれて大変嬉しい。
 使った直後に洗う台所もテーブルも常にシンプル。
 最後の最後にキャンキャンに冷やした揖保の糸まで平らげて、おなかぽんぽことなった面々、お疲れさま。幸せな時間だったさー。

投稿者 yonezawa : 19:59 | トラックバック(0)

2012年 08月 9日

酔わない

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 吉祥寺でSと飯。呑むけど酔わない、残らないこのお盆。

投稿者 yonezawa : 19:55 | トラックバック(0)

2012年 08月 7日

大量の超高級牛肉

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 昨深夜、車でスーパーに車で買い出しに行った帰り、ちゃんとシートベルトしてるのに警告のランプと警告音が鳴り止まない。停車して何度もベルトのホールドに入れ直すものの症状は直らない。
 家は近いので帰ってから考えようと嫌な警告音のしたまま帰宅。冷静によくよく考えたらスーパーで買った重い食材を助手席に乗せており、その重量で鳴ってたいたのだと理解した。食材にもシートベルトが義務づけられていたのか。

 午前9時起床。今月こなせばならない3本の映画案件の取材仕込みもそろそろ真剣にやらんといかんなぁ〜。

 午後、諸事情あってネットで「急性虫垂炎」を検索。

 Facebookのおかげで、ふいに小学生時代の同級生IからDMが届いた。びっくり! 先日は、中学時代の同級生数名の女子からも同じくFacebookを通じ、ネット上で会話する機会を得たのだったが、思いも寄らぬ角度からそうした嬉しき連絡が舞い込み、さらに呑み達が増えていきそう。
 夕方、三鷹駅にYとHを迎えに行く。
 遅れて、自力で二人の編集者Nちゃん、Hちゃんらが時間差で到着。今夜はこのメンバーで宴を開催した。
 九州の、Hの母Mから届けられた大量の超高級牛肉をメインに、今夜も渾身の力を込めた手料理を振る舞うおいら。芋焼酎「明月」を呑みながら、ほとんどゆっくり座ることもないまま、若者の胃袋をいっぱいにしてやろうとばかりに力を入れた。
 楽しい時間は簡単に過ぎ去ってゆく。食べ終えた端から片付ければ台所は常にシンプルで綺麗。しかし超高級牛肉をポン酢と大根おろし(あるいは醤油と山葵、あるいは塩と山葵)で戴くのは格別。誰しもが食べ過ぎた。
 超高級牛肉はまだ半分以上残っている……

投稿者 yonezawa : 11:36 | トラックバック(0)

2012年 08月 5日

リハーサル〜ホロホロ集った

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 長く打ったblogがセーブする前に消え去り、著しく脱力。
 二回書くと、文章とはまるで違うのがまた不思議。前に書いた文章と同じ文章は何故か書けない。同じ内容の文章を書くのはかなりの精神的体力を要する。
 文章もライヴである。

 普段よりもどえらく早い9時に起床し、4時間の睡眠から目覚めた。
 バンドリハーサルに必死で自転車漕いで到達。10時から12時プラグイン。
 集中力の限界を自覚する2時間で昼食呑みに突入。あとはもう酔うだけ。バンドメンバーと呑みたいがためにバンドやってるのではないかとたまに錯覚するおいら。錯覚なのか否か?
 Harukoによれば今日の昼間は都合4時間呑んでたらしいが、もはや時間をカウントするテンションにはあらず。フワフワ気持ちよし。
 自転車を慎重に漕いで帰宅する頃には「このまま誰が一緒に呑まないかなぁ病」にかかっており、闇雲に地元民に連絡。2時間後に、若者4人がホロホロ集った。
 おいらは冷蔵庫を睨み、手料理の仕込み開始。料理ってなぜこうも楽しいのか。昔とった杵柄が料理であったことが有り難い。
 音楽を聴き観て、映画の世界に埋没しながら、洗い物と追加つまみ作りのタイミングを図りながら、父ちゃん(おいら)は自らの喜びのために行動する。卵焼きと豚肉野菜味噌炒めが評判良し。日本酒は料理に欠かせないな、やはり。

 結果、久々の15時間呑みを経て就寝。

投稿者 yonezawa : 16:41 | トラックバック(0)

2012年 07月 1日

休日の時間

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 6時間程度は充分寝た計算ながらどうしても眠気が抜けない。何故だ。
 
 バランスボールの上でトランポリンのように飛び跳ねるRちゃん。こちらは、ボールが動かないように膝で挟み、本人は時折膝を交えてジャンプする。
 「公園に行きたい」とも言ってたので、水筒と本人仕様のお菓子類とタオルを用意していたが、おいらの乗る自転車の鍵がどうしても見つからないと言うのでそれなりの遠出は出来ない。
 Rちゃんにその旨を伝えたところ、「だったらやむなし」とばかりに公園行きは断念したと思われた。

 パソコンゲームで部屋で過ごす中、ほんの10分程ギターを弾く。
 今月はゲストで弾くライヴが3本。全部お初の曲なので感覚を得ることから初めねばならない。まだ曲をほとんど知らされていないライヴもあり。

 昨日、若き俳優Uからのメールを拝受していた。
 「急にスケジュールが空いたので明日(今日)会えませんか?」
 Rちゃんとの大事な時間があるにはあるが、彼のスケジュールもなかなかとれなかろうと思い、即返しでOK。
 夕方、「いっちゃダメー!」と通せんぼをするRちゃんに事情を説明し、彼の出演していた戦隊モノのサイトを見せつつ「今日はこのお兄ちゃんとご飯を食べてくるんだよ。今度はRちゃんも会いにいこうね」と、どうにか説得し、小雨の中、新宿のチャンコ両国で待ち合わせた。
 Rちゃんの「なんじにかえってくるの?」の問いかけを思い出し、胸を痛める。

 Uと数ヶ月ぶりの再会を果たした。
 いつだったか……日比谷の劇場へ舞台観戦に訪れた際、楽屋で会った以来だったか。
 とても実年齢とは思えない程、落ち着いたマインドを有するU。このぐらいの若者とサシで呑めばそれなりの違和感を感じそうなものの、まったく年齢差も距離感も心地よいのだ。
 完全に息子なUと、とにかく熱烈な映画談義。「この2年間、年間360本は映画を観ています」というUの貪欲さに、おいらは直ぐに抜かれてしまうだろう。
 それにしても端正な顔立ちとスマートなスタイルはさすがにその世界のプロと言えた。日本一の大女優に懇意にされ、日々重要な経験を積むUの未来は明るい。

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2012年 04月 19日

眠れなくなる宇宙のはなし

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PHOTO BY OGATA MASASHIGE
http://www.sherpa-jp.com/

 デスクワークに没頭していたら待ち合わせの時間が過ぎていた! 慌てて事務所を飛び出し、ル・アンジェ教会(表参道)で行われるサラ オレインのショウケースに向かう。
 ギリで間に合った。
 まもなく、「100年に一人」天性のヴォーカリストと謳われる彼女の美声が教会に谺していた。
 残念ながら懇親会には参加ならず、急いで神谷町へ移動。

 (共に日本が世界に誇る)作家:夢枕獏×宇宙物理学者:佐藤勝彦、特別対談の場に着いた。
 結論、宇宙を軸に交わされた宇宙論、質疑、議論にはただただうなずくばかり。宇宙を知りたい。宇宙の果てを知りたい。地球の最期に人類は存在するのか知りたい。人類に最期があるのなら知りたい。
 まさに議論は宇宙空間。
 宇宙に関わる最先端の研究成果を持って交わされる意見交換の場が、とにかく痛快で贅沢で素敵だった。
 獏さん佐藤先生共々、長丁場の取材に尽力くださり感激。
 この叡智極まる場所に、不憫な子供のようなおいらが立ち会うという展開となったが、獏さんの現場を担える幸運をかみしめ、佐藤先生という天才学者との邂逅を果たせた今夜に感謝した。

 どうしたって宇宙にはロマンがある。
 知識は0なのだが、子供の頃、星空を見つめてインテリ同級生とあれこれ話すのはとても好きだった。宇宙について親父とも話しておくべくだったか。今度、おふくろと話してみようかな。

 宇宙……あるいは「星」と言えば、おいらはすぐにビートたけし作詞の『嘲笑』という曲の歌詞を思い出す。


『嘲笑』

星を見るのか好きだ
夜空を見て考えるのが 
何より楽しい
百年前の人
千年前の人
百万年前の人
いろんな人が見た星と
ぼくらが今見る星と
ほとんど変わりがない
それがうれしい

君といるのが好きだ
星について考えるのが 
何より楽しい
星も笑ったあの時
悲しくって星がにじんだ
あの日 あの頃
ぼくらが昔見た星と
ぼくらが今見る星と
なんにも変わりがない
それがうれしい

 なんて琴線に触れる詩なのだ。
 日本語歌詞の曲なら、個人的にこの表現が最も心に響いてくる。第三者に一言も迷惑をかけないたけしさんらしき配慮。美しく綴られた表現には意味として涙する想いだ。
 
 スペシャルメンバーで乾杯した今夜の赤ワインは心底特別だった。

 書籍『眠れなくなる宇宙のはなし/佐藤勝彦』、『ますます眠れなくなる宇宙のはなし~「地球外生命」は存在するのか』
http://www.amazon.co.jp/dp/4796664238/

http://www.amazon.co.jp/dp/479667795X/
は、布団に入って読むとマジで眠れなくなるのだ。

投稿者 yonezawa : 17:46 | トラックバック(0)

2012年 04月 13日

人格者

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 帰宅午前6時。
 シャワーを浴び、少し寝て午前中のうちに起きたらリビングのテーブルの上にはRちゃんらが行く予定の花見(体育館で遊んで弁当食べる会?)の準備が。
 ちょっとしんどい胃腸の具合。こんなコンディションの日は電車で座りたい。そういう甘えが脳裏をちらつく。

 「人工衛星打ち上げ」名目で事実上の長距離弾道ミサイルを衛星発射場から発射した北朝鮮のニュースを少しだけワンセグで観ながら電車乗車。

 お茶の水駅から信号を渡ったすぐの楽器屋にある、クリーム色したド・マイナーブランドのC級品SGがなぜか気になる。
 ギブソンのエレガット:チェット・アトキンス・モデルは、いつも欲しい欲しいと想いながらもその決断には至らない。また今日もある中古屋で発見してしまったのだけれど。

 5月に日経ホールで行われるクラシックギタリスト:木村大の出演するコンサート鑑賞を決意。配慮ある手配をしてくださったNさんに大感謝!
 迫力ある大くんの卓越した超絶技巧が今回も楽しみ。共演される沖仁さんのステージは初体験なので、こちらもかなり期待。

 夜、おいらの後輩で最も優秀な人格者の一人:Mが(一応)上京。
 新宿で久々の再会を果たし近況を伺った。

 一昔前までは、仕事でもプライベートでも多くのことを共に体感し、共有してきた。思えば長い歴史だ。Mがいなければ仕事のペースも上手く立ち回らない時期もあったと言っていいほどMは重要な存在だった。今でもそう。
 今を遡る25,26年前、共通の友人の誘いで彼のアパートメントに遊びに行ったのが初対面だったそうだが、部屋に入るなり「自分(君)ん家、風呂あるんだ。入らせてね」とお願いしたおいらは、「ど、どうぞ……」と(多分あきれ顔で)言われたまま勝手にずんずんM宅のユニットバスでシャワーを浴び、その後、初めて乾杯したのだそう。
 なんてヤツなんだ! と己で呆れながらもほとんどその記憶がないのだが、きっと当時自分は風呂なしのアパートに住んでいたので、銭湯の開いている時間までに帰れないと踏んでの行動だったのだろう。にしてもなんてヤツなんだろう、おれ。
 確かに20歳代前半の頃は、閉まる間際の銭湯へ必死で駆け込んで「湯」を目指していた。

 Mとは何度か海外も共にしている。最も印象深かったのが北野武監督取材のカンヌ映画祭だろう。
 映画『菊次郎の夏』がコンペティションに参加した際、現地での単独インタビューに、Mもアシスタントとして同行を果たしていた。
 カンヌの隣町:ニースでわき起こった爆笑ドンペリ事件は諸事情あって語れないけれど、生涯、もう誰とも体験しなかろう驚愕エピソードは、Mと再会する度に出てくる宝のような持ちネタとなっている。余談ながら、当時この土産話を先ちゃんに伝えたところ「その話、ブログに書いていい?」と聞かれたが、丁重にお断り申し上げた(笑)。

 映画『インソムニア』のアル・パチーノ他、キャスト、監督取材のニューヨークも最高の時間だったなぁ。

 テレビ関連の仕事も実にきめ細かく正確に真摯こなしていたM。フジテレビも、Mにはずいぶんと御世話になっていたのだ。
 その後、まったく異業種の世界に身を転じた彼だったが、どの世界であろうともクレバーに立ちまわり、真っ当な判断を重ねて極める仕事の環境構築は変わらない。ついに社のトップに上り詰めてしまった。なんというスピードなのだ。
 Mと出会えたおいらはとにかく幸運だ。

投稿者 yonezawa : 13:31 | トラックバック(0)

2012年 03月 28日

PEOPLE ARE MACHINES / Fractal

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 二日酔い、一歩手前のコンディションにやや安堵。
 切り出されていた野菜と豚肉を炒め、焼きそば作成。なんだかあまり美味くない。
 パスモ(PASMO)もスイカ(Suica)も導入されたコミュニティバスに乗り最寄り駅へ。
 中央線内の座席に腰掛け、下を向いて本を読んでいたら園児連れのお母さんがおいらを挟んで着席したので、気付いた端から即席を替わった。逆の立場だと、やはり我が子は隣に座らせたいもの。新宿で下車された時、親御さんに御礼を言われた。
 電車で何かに没頭して思わず席を譲ることに気付かないケースもあり、気付いた時すでにタイミング遅しの場合は悔しさ一入。

 数冊の校了を終え、寺田克也がジャケットのイラストレーションを描いた『ピープル・アー・マシーンズ/フラクタル』再生。

 関連サイトより……北欧新世代ピアニスト、マグナス・ヨルトとベーシスト、ペーター・エルドがメンバーに名を連ねるワン・ホール・カルテット、ピープル・アー・マシーンズの2枚目のアルバム。80年代の北欧で生まれた4人からなるジャズ・コンボ。2作目となるアルバムは、各々がオリジナル曲を2曲ずつ持ち寄った入魂の一枚。マグナスとペーターは来日してファンを獲得するなど認知度も高い。演奏:マリウス・ネセット(TS) マグナス・ヨルト(P) ペーター・エルド(B) アントン・イーガー(DS)。 

 夜、編集Nちゃんと月一恒例の飯。
 彼の幼なじみF同様、なぜかおいらは彼らに全幅の信頼を置いており、包み隠さず日常の恥も赤裸々にお伝えするという距離感に落ち着いている。銀座の和食がずいぶんと遅いペースでカウンターに運ばれてくるので食べても食べてもお腹が膨れる気がなかなかしなかった。
 徒歩で新橋。80年代な歌謡広場でリクエストした映像はキャンディーズ/やさしい悪魔、チャー、甲斐バンドなど。終電間際まで激しく賑わうサラリーマンのパワーに驚愕。

投稿者 yonezawa : 12:46 | トラックバック(0)

2012年 03月 16日

U Turn

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 ふいにフェイバリット映画を問われても思いつく作品数は限られたものだ。
 幸運にも遅めの夕飯の機会を得られたYさんとの親睦会では、そうした優れた映画、音楽のタイトルをいくつか教示し合う席ともなったが、結果として「なぜあのタイトルを思い出さなかったのか、おいら!?」と悔しいケースになる瞬間でもあった。

 日本では公開当時ほとんど話題にならなかった(と記憶する)オリバー・ストーン監督の傑作『Uターン』、スティーヴン・ソダーバーグ監督の(個人的)最高傑作『アウト・オブ・サイト』を今日の席で思い出せたのはラッキーだった。
 まだ一般的には無名に近い存在だったジェニファー・ロペス(特にファンではない)が、たまたま両作品に出演を果たしているのだが、とりたてて彼女の登場するシーンではスクリーンに釘付けとなった。
 共に一般的には日本での認知度は知れたものだが、この2作品は突き抜けた傑作だと独り認識している。『Uターン』主演:ショーン・ペンはこれ以上ない味わいを魅せつけた。『アウト・オブ・サイト』は全米映画批評家協会賞にて作品賞を受賞した。

 1日空きの『ひろ喜』で再び怒濤の乾杯を果たし、ゴールデン街『ハングリーハンフリー』『図書室』を経由。まだまだ飲み足りず、アデルの『SOMEONE LIKE YOU』を真剣に歌ってみたくなり、数年に一度、魔が差した際にしか自主的には飛び込まないカラオケに突入。
 間の取り方、めちゃ難しい曲ながらキーの確認が出来たのは収穫だった。
 Yさん、Thank's!

投稿者 yonezawa : 13:52 | トラックバック(0)

2012年 02月 20日

久々の『クラウディア』

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 5月の失速ライヴを想定し、急遽吉田P父さんと飯打ち合わせ。久々の『クラウディア』は美味かった。
 それにしてもアデルの6冠はすごい。この曲の放つ威力に益々浸食されはじめている。
 曲によって力づけられることは確かにあるのだと、ふと実感した午後。

***************

 Mへ。「何も落ち込む必要などないよ。今は気持ちの整理もあるので、きっとまだそんな心境ではなかろうと察するけれど、今のここでの経験はどう転がっても問題ないよと、今の自分を顧みてそう確信しています。彼女は大健闘したのだから。彼女の美しく澄んだ瞳を見て、Mの母としての素晴らしさをおいらは感じたんだ。あの子は真っ直ぐ真摯に生きる子。大丈夫。これまで、世界中のミュージシャンや映画人他、数百人に会って機微を見つめてきたおいらが言うから間違いない。おいらが出来ることなら何でも言って。可能な限り協力するつもりです。そして今は優しくハグしてあげて。お2人との再会を心から楽しみにしています。頑張れ!」

Someone Like You
http://www.youtube.com/watch?v=8ovfz0AbTeo&feature=related

投稿者 yonezawa : 04:28 | トラックバック(0)

2012年 01月 21日

喫茶ルオーとbambi

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 寝て、起きたら3時間30分が経過していた。
 眠気と気怠さを抱えているものの、そんなことは言ってられない。
 なる早で身支度を済ませ、JRと地下鉄を乗り継ぎ『本郷三丁目』駅に着いたのは丁度正午。
 徒歩で『喫茶ルオー』を目指す。

 『喫茶ルオー』は 本郷通り、東大正門のはす向かいに位置する。今回、この地をアカデミックな某2氏の対談場所に決めたのだった。
 集合30分前に到着したおいらは、朝昼兼用の飯を喰らう気満々。編集Wくん(東大生OB!)、そして時間前には必ず現れるカメラO&アシスタントの方らと合流し、店内の2F席に取材場所を確保。
 ここの店はカレーが有名と聞いていたので迷わずそれを注文するのだが、先に到着していた編集Wくんが席に着いたらお冷やに続けて(自動的)カレーが出てきたと語っていた(笑)。ホンマかいな。
 正午と言うこともあって満席状態ながら、とにかく快い取材空間を提供してくださり、一つ一つの事柄にものすごいお気遣いとご協力してくださったご主人、おかみさんの配慮に感激だった。今年(確か)53歳になるハズの編集Kちゃん(東大生OB!)が現役の頃は、たまにここのカレーを喰っていたというので、少なくともその歴史の長さを知らさせる。

 対談に関する事の顛末は、覚えていたら3月中のどこかで書き記したいと今日の時点では考えているところ。あまりにアカデミックな対談内容に驚嘆し、己の可哀想な頭脳を恨む局面もしばしば。すさまじき議論応酬の証人となった。

 取材を終え、即座に新宿へ電車移動。雨の降りしきる中、初めてやってきた『新宿ペンタ』に到着したのは午後5時30分。30分の遅刻を許せbambi。
 年明け初のbambiリハーサルは、本来の目的である大新年会の前に行われた。
 300数十曲を数えるレパートリーはいまだ変わらないペースで増え続けている。練習不足のへたれギターで応戦。
 リハ後、徒歩で『ちゃんこ両国』へ移動。
 宴にはカメラT&K子ちゃんも参戦。総勢8名で爆食爆飲の新年会は勃発。

 明日、キーボードのSくんは、フィアンセであるK子ちゃんのご両親にご挨拶をしてくるのだと言う。つまり両親からの承諾を戴く、あるいは許しを請う、という男子最大の関門突破か否かの前夜祭なのであった。

投稿者 yonezawa : 14:43 | トラックバック(0)

2012年 01月 10日

friends

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 先週末、Rちゃんのご要望で映画『friends もののけ島のナキ』を2人で鑑賞。
 まったくノーマークだった3Dアニメーション作品。結論としては素晴らしい出来に驚く。Rちゃんに感謝だ。
 いつになくおとなしいまま淡々と鑑賞してくれたRちゃん。時折「おったん、ねてた〜?」と、同じく静かに鑑賞するおいらの様子を横目で見ながら確認する姫。可笑しい。

 主演のナキの声優がSMAPの香取慎吾。鑑賞中、この声が彼のものとは全く気付かずにもいたが、その出来はプロ顔負けの仕上がり。クレジットに気付いてからも全くの別人のようにしか感じられない。だみ声キャラクター等身大の声の印象は純粋に上手いと唸らされた。香取慎吾の最もよい機微を知った感覚。
  
 夜、落合界隈のスーパーで握り寿司、巻き寿司、刺身、焼芋焼酎、水、ピーナツ、マカロニサラダなどを買いそろえ、元呑め呑め団団長の邸にお邪魔。
 すでに二杯目以降の鍋が食卓センターに陣取られ、呑みの途中参加を果たす。
 かつて無類の牡蠣好きだったおいらが都合3度も(大当たり)裏切られ、牡蠣が食べられなくなって久しいが、今夜は牡蠣鍋。牡蠣を避けて煮込まれた鍋料理を頂いた。
 団長ご家族、ご親戚の皆様に感謝。

投稿者 yonezawa : 23:11 | トラックバック(0)

2011年 12月 29日

懐妊

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 本日、Rちゃんとの時間は午後6時まで。
 公園やら家やらで散々遊んだ頃、彼女は夕飯の時間に。

 おいらには、今年最後の行事が残されていた。
 先日、ふいに連絡をもらった元映画人Sとの食事会がソレであった。

 つい先日、大手映画会社を退職したと聞いたS。その理由が、ご懐妊という嬉しいニュースも聞いていたので、年内にはなんとか飯とは思っていたが本日めでたく再会が叶った。

 身重のコンディション故、当然先方はノンアルコール。積もる話を交換すれば、彼女はほとんどのタイミングで腹を抱えてケラケラと笑った。昨年ゴールインした彼女は、実に理想的で可愛らしいお嫁ちゃんになったものだ。
 本体なら、こちらから彼女のスケジュールをうかがって飯会を決めるべきところ、彼女の提案でこうした機会を得られ、恐縮でもあり嬉しくもあった。

 彼女とは、2年前の失速イベントでもバンド仲間として共演した経緯もあり。同志であると同時に友好なバンド仲間とも言えた。
 天真爛漫という言葉のまま、突き抜けた明るさは、もう一人の命を授かった日から、きっと家族全員を包み込んでゆくことだろう。その姿は安易に想像され、目に浮かぶのだった。
 和菓子とみかんのお土産、ありがとう! S、とりあえず3月までは万全を喫して大事にね。

投稿者 yonezawa : 05:11 | トラックバック(0)

2011年 12月 23日

厳格な九州男児

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 近所の大きな公園でRちゃんと小1時間前後過ごす。
 肌寒い日故か、温かい時期に比べれば人出も随分ちらほら。それでも子供は外で遊びたがる。
 いつから寒さが億劫になったのだろう。
 はち切れんばかりの元気で公園内を駆け巡り、鉄製の大型玩具に登りまくる我が子。未だに子の居るその光景が不思議でならない。
 日が暮れるのも随分早くなった。夕景になれば「ねえおったん、いまよる?」と質問攻めの第一問が始まった。
 「ねぇおったん、なんであのひとは、あんなかっこうしてるの?」
 「ねぇおったん、なんであのひとは、あんなにいそいでるの?」
 一日中彼女と過ごす日は、大概「ねぇおったん、なんで○○なの?」と言った疑問の数が計り知れない。
 おいらが5歳の頃、親父はおいらにどう接していたっけか。健在なら是非とも伺ってみたいところだが、きっと記憶しているもんじゃなかろう。

 高度経済成長のまっただ中、3人の子供をおおざっぱに育て上げた母に、その頃のことを聞いてみても、「どうしとったかねぇ。憶えとらんよ」と言う回答がほとんど。
 例えば、おむつひとつにしても一々洗濯していたことを知れば、現代の生活の何十倍もの労力を使って日々を乗り越えていたに違いない。なのに、あたかも楽しかった思い出を回想するように母は語る。
 当時、母は嫁いだ家屋敷地内の小川で洗濯していた。冬場の洗濯、風呂沸かしだけで現在の若者は悲鳴を上げることだろう。想像しただけでおいらも嫌だ。それが何年も何年も毎日毎日続くのだから。
 おまけにおいらの祖父は絵に描いたような厳格な九州男児。女が男の前に風呂に入ることなど、ありえなかった。
 母は苦労を苦労と語らない。一切愚痴を言わない母のすごさ。昭和初期から激動の時代を生き抜いてきたおふくろは、「驕り」という言葉から最も縁遠い。

 表情がおふろに似ていると評判のRちゃんは、我がおふくろの内面も是非継承してほしいものだ。
 肌寒い戸外で、おいらの大きなマフラーをRちゃんの首に巻き付けた。お目々しか見えてなかった己のその様を爆笑しながら、Rちゃんは赤い自転車を思い切り漕いで帰途についた。

投稿者 yonezawa : 13:48 | トラックバック(0)

2011年 12月 19日

死去の報道

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 基本、Rちゃんを軸に朝昼の献立は構成される故、唐揚げ・餃子頻度の多い我が家。
 Rちゃん弁当の際、作り置きした冷えた唐揚げや餃子が朝食……と言うケースは少なくなく、今日もソレ(唐揚げ定食)。
 そもそも昔から「弁当」という形態自体が嫌いでないおいらは、飯やおかずが冷えていても違和感がない。
 冷えた弁当……高校時代のあの美味さとはいったい何だったんだ! と思うぐらい弁当には目がなかった。思い出しては当時のおふくろにも深く感謝。

 昼時、ある郵便物をやっと送付完了。
 正午、北朝鮮:金正日(キム・ジョンイル)総書記死去の報道に思わずモニター側を振り返った。
 日朝間最大の懸案事項、拉致問題の行方はどうなるのか? 真っ先に脳裏をよぎった。
 
 校了の狭間を見つけ、郵便局で郵便物をゆうパックで送付。通常の郵便物扱いなら送料1150円だった物件が、ゆうパックなら600円で送ることが可能なのだと言う。
 少々重さがかさむ物件なら、ゆうパックで送る方が安いそう。窓口で窺ってみるとよい。そんな当たり前のことを今更冷静に知る。優しく安価な方を知らせてくれた郵便局窓口のおねえさんに感謝。

 夕方、喫茶店で待ち合わせたTさんとお茶しながら、今年始まったばかりの妄想案件に関する意見交換。
 帰社し、再び印刷物の校正〜推敲。

 夕方、大ボスHさんへ奇跡的に連絡が繋がり、強引に食事の約束を取り付けられたのはラッキーだった。
 この貴重な機会を大事にするべく、近況を窺いながら近況をお伝えする機会を得る。年末に某地を単独訪問するというHさんは、おいらの中ではやはり作家だ。
 美味い和食に胃袋大満足。
 しかし、金正日の報道のせいか、橋下・大阪市長初登庁の報道が少なめだったのは、やや遺憾。

投稿者 yonezawa : 19:42 | トラックバック(0)

2011年 12月 16日

世界的レーベル

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 長きにわたり世界的レーベルに所属される、日本が世界に誇る音楽家Mさんと念願の忘年会が叶った。
 大概こうした親睦会を行う場合、港区界隈の飲食店でお会いするケースが多いのだが、今回は思い切って縄張りの新宿へお誘いさせていただく。

 お伝えしなければならないいくつかの案件があったこともあり、本来喰うべき場所のカウンターではなく、プチ個室を予約した馴染みの寿司屋で江戸前の握りを堪能。

 ここまでたおやかに、優雅に、そして朗らかな表情をみせる彼女の人間度量にはその都度驚かせられながらも、この貴重な空間を素直に歓んだ。
 体調面で心配していた部分も、今日のご本人から窺った直接の説明で安堵。
 それにしてもなんと魅力的な方なんだろう。
 壮大なオーラを感じさせるスケール感。お会いする度にMさんから学ぶものは、まだまだ抱えきれないほど見いだされてくるのだった。
 
 食後、もう1件だけおつきあいして欲しいバー『シンクロニシティ』へお連れし、共に芋焼酎のお湯割りを軽く頂いたところ、店主Oちゃんはタッチの差で出勤しておらず残念。なんてこと!
 Mさんとの空間は、おいらの音楽人人生を顧みても、最も重要な空間の一つ。
 おいらの来年の願いは、Mさんがストラトキャスターを弾いてくださった後の感想を窺うこと。

投稿者 yonezawa : 19:39 | トラックバック(0)

2011年 12月 6日

T先輩

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 T先輩に1月ぶりのサク飯に誘われ、雨降る銀座へ。彼は再び帰社し、残った仕事をかたづけるそうだ。ご苦労さま。
 現在家の風呂が故障中とのこと。飯の後、一杯だけ飲みに立ち寄ったカウンター・バーで「これから銭湯かサウナに行っておきたい」と言い、水道橋でおいらを落としてくれた後、彼はラクーアへと消えてった。

 ダイエットに成功し、この1年で10kgほど痩せたというT先輩。2,3年前においらが贈呈した彼への誕生日プレゼントはダウンジャケットだった。
 当初、サイズを読み間違って購入してしまったおいらは、T先輩から「やや小さかったようで、前のボタンがちょっとだけ窮屈」という話を聞き、残念に思っていた。
 ところが、そのダウンが丁度よいサイズになったのだと言う。

 夜の炭水化物を止めて理想のコンディションを手に入れたT先輩、未だリバウンドもナシ。

投稿者 yonezawa : 20:27 | トラックバック(0)

2011年 12月 5日

新しき邂逅

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 かつて、ハリウッド監督のインタビュー取材現場に連れだったことのある編集Hと、その同期のTが親睦会を企画してくれた。
 遅めの夕飯はTの予約してくれたイタリアン。

 ソムリエの薦めてくれるまま、グラスごとに銘柄を変えた白赤のワインを飲みながら、折に触れて訪れる彼らとのひとときを楽しむ。
 40を過ぎてから、自分の年齢の半分ほどの仲間が出来たり、70歳を目前にした呑み達との出会いや、同世代の音楽仲間の出現など、新しき邂逅も感慨深い。
 映画のこと、音楽のこと、仕事のこと。いつものようにノンビジョンのまま思考の行き着くままに世のカルチャーの意見交換が心地よし。
 河岸を変え、最終的には蓄音機でオペラを聴きながら、更けゆく夜を堪能。マックスまで呑んだ。H&Tに感謝!

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2011年 11月 26日

7周年記念

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 Rちゃんの昼食を食べ終えるまで待ってたら、約束の時間ギリになってしまった。
 大道塾吉祥寺支部7周年記念祝いのため道場へ向かう。
 開始時間をやや押しての14時30分頃、到着された夢枕獏さんの乾杯の号令と共に7周年興業開催。
 団体の垣根を越えたフレンドシップで集った格闘家が、エキシビジョンとも言い切れないような素晴らしいカードで激戦。
 これらのテンションも、盟友:飯村師範の人柄によるもの。プロフェッショナルな格闘家たちの温かくも激しい時間が過ぎた。
 獏さんの引き上げるタイミングで我々家族もおいとまし、獏さんを駅で見送った後、ヨドバシカメラでRちゃんの誕生日プレゼントを購入。
 本人によるセレクトで今年はバービー人形に決定。 

投稿者 yonezawa : 15:05 | トラックバック(0)

2011年 11月 24日

立川談志

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 『現代落語論』を初めて読んだおよそ25年前より、節目節目に様々なメディアで目にしてきた立川談志の生き様には、驚嘆と共感の歴史があった。
 『EXテレビ』での一幕。上岡龍太郎の司会する回において、CMを冒頭の数分間ですべてひとまとめにひっくくり連続放送。それ以降、ノー・カットで立川談志の落語を生中継した回など、凄まじき“志”、もしくは“業”を感じたものだった。
 あんな作戦は見たことがなかったし今では成立しえない。
 
 古典落語の枕における、一件きつい口調で語られる現代人への一睨み。その言葉の裏には真実に裏打ちされた優しさと、“生きる上での人間の謙虚さ”“人としてのまっとうなセンス”が秘められていた。
 立川談志の“脱線”は何もかもが粋だった。なんたる感性、なんたるバランス感覚。「立川談志の受け売りだけで生きている」と、浅はかに自認していた時期がある。
 どこかのパーティで談志師匠をお見かけした時には、おそれおおくて臆病な自分は立ちすくんでしまった。

 6年ほど前、漫画家:高井研一郎の一番弟子・漫画家:昌原光一初の自著本出版には、担当編集者としておいらも関わっている。
 その際「彼にとっての最高のはなむけは?」と考えた時、師匠であられる高井先生によるタイトル文字、そして帯には、昌原氏自身も崇拝する談志師匠のコメント、それが究極のアイディアだと考えた。だが「筋違いの考えかも?」とも脳裏を過ぎったが、当たって砕けるつもりで打診させて頂いた。
 結果、談志師匠快諾。
 事実関係を知るところではないが、新刊漫画単行本に対して帯コメントを寄せたのは、この作品が最初で最後ではなかったろうか。

 そのやりとりの際、当時使っていた携帯電話に残された談志師匠の留守番メッセージが、我が家の家宝のひとつとなった。

 まさに生き様が情念。今後、また再び立川談志のような資質を備える人と出会えるとはまったく想像できない。立川談志は特別だった。立川談志は、立川談志一人で一つのクラスをなしていた。この宇宙でただ一つ。 他に似たものがない究極の個性。

 日本人は、立川談志を誇りに思うべきだ。合掌。

投稿者 yonezawa : 18:08 | トラックバック(0)

2011年 11月 13日

究極の恩

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 夕べ午前9時までたっぷり睡眠をとったというRちゃんが9時過ぎに部屋へ。
 パソコンゲームをやる間、身支度を終え、恒例の八王子水汲みへ。
 絶対友人Hを拾い、我が家だけで重量にして100Kgの給水作業完了。
 その間、公園で待つRちゃんらと合流し、雲梯やら公園道具を駆け回るRちゃんの所行を見終え帰途に。
 19歳の頃、Hがおいらのために尽くしてくれた究極の行為は生涯忘れない。

投稿者 yonezawa : 20:31 | トラックバック(0)

2011年 11月 12日

明治記念会館

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 睡眠3時間で起こされた。この5日間、ほとんど会う機会のなかったRちゃんと午前8時過ぎより、しこたまパソコン・ゲームにつきあった後、西友までお買い物。
 言われるまま、まだ全体的に湿り気のある公園へ立ち寄った。ベンチで美味しそうにリンゴジュースを飲み干す我が子。
 プリキュアの食玩製品に入っていたのは指輪だった。
 気が済むまでブランコに乗り尽くした後、帰宅。

 昼食は炊きたてのご飯でチャーハン。
 午後3時30分を回った頃ギターを担ぎ、身支度を終えたおいらだけ先にJR信濃町駅を目指した。

 『癌!癌!ロックンロール』~金髪ドクター、6度の癌宣告&6度の復活~というタイトルで今月書籍が発売されるのだが、その出版を記念してのパーティーがなんと明治記念会館で行われた。
 おいらチームはBambi−2の面々でバンド・サポートとしてオープニング演奏予定。勿論メイン・プレイヤーは家康医師。

 会場のセッティング中、同時にリハーサルを終えた。やがて続々と招聘されたゲストの方々がご来場。結局、総勢350名前後の方々が集う大パーティとなっていた。
 ほぼオンタイムで、18時からの本番ライヴがスタート。我々の持ち場はとりあえず4曲。

●Hole lotta love
●Hey Joe
●Sunshine of your love
●You shook me

 今回初めて「Hole lotta love」を歌うことになった。イースト吉田兄の大変さをしみじみ痛感。世界一難しい楽曲を必死でシャウトしながら、ジミヘンへと王道の展開で弾き抜ける。
 急遽歌を担ってくれたVO.harukoのおかげで、ジミヘン、クリームとギターに集中出来、安堵していたが、やはり彼女の力を借りて正解だった。
 本番を、申し分のないパフォーマンスで締めてくれたのがともかく有り難い。

 大好きでも一生演奏することはなかろうと思っていた「You shook me」まで、こんなタイミングで弾く機会を得るとは……

 LED ZEPPELINの奥深さは「Hole lotta love」のブレイクポイントにもあった。
 曲中、「Way down inside... Woman... You need...Love.」の件、「You need...」の後のコードは、これまで意識もせずDーAとばかり思っていたが、ここEーAなんだな。
 これは驚きの発見。みんなそう弾いてなかったか? おいらだけか?
 家康バンドのおかげでこんな驚愕の発見をしてしまった。

 今夜の素晴らしいイベントに関わったすべてのみなさま、お疲れさまでした。ありがとうございました。
 しかし明治記念会館で誰かがツェッペリンやジミヘンやクリームなんかを演奏した歴史があったろうか。それもよりによって「Hole lotta love」なんて……。きっとなかろうと高い確率で想像する自分だ。
 それにしても明治記念会館の料理はナイス。
 ちょっとした出版社忘年会以上の豪華で賑やかなパーティであった。家康さんは偉大だ。 

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2011年 11月 8日

展望アル未来

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 新宿御苑「ちゃんこ両国」で待ち合わせたのはミュージシャンのSだった。初のSサシ飯。
 多忙な業務の合間をぬってか、出された日程3日のうち、本日が双方の都合が良かった。

 ところで馴染みの「ちゃんこ両国」、板場の板長さんが変わったとのことで具材の内容も若干変化を見せていた。一見は気づかない程に。以前訪れた際にはその旨を聞き、認識をしていたが、変化を知って2回目の鍋。
 冷静に何度も確認するように、煮詰まり気味の最後の具材まで丁寧に食いつくしたところ、正直、コクが減った。個人的にはかなり残念。

 今年、来年と展望アル未来へと邁進するS。次回の再会はウィンウッドの来日時か新宿のサシ呑みの席か。
 我が家な「シンクロニシティ」を経由しておとなしく帰途に。
 地元界隈に到着し、やむなく選んだ豚骨醤油ラーメンはまったく必要なかった。「やむなく」じゃなかった……

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2011年 10月 27日

ロック

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 朝昼兼用に餃子定食。
 10/3も10/18もタイミングを得られず「成り行きの日程でいこうや」と言うことになり、Tの倅満1歳の誕生日を本日、Hと共に祝うことに。

 1歳児の女の子なら得意だが、いきなり男の子となると躊躇し、急に初心者のようにプレゼントを考えこんでてしまった。アイディアが湧かないのだ。
 先日ライヴ帰りの際、たまたま寄れたディズニー・ショップで店員の女性にも相談しつつ、最終的に映画「カーズ」のグッズをたんまり購入したのだったが、今日の夕飯時にようやくT宅へ持ってゆけることになった。
 かつての生活パターンから180度の転換を果たさざるを得なくなったTが母をやる姿に新鮮な印象を抱き、日々の充実を身をもって伝えてくれた。
 Aくんが小さくで軽い! 確かほんの4年弱前はこんな感じだったよなぁと我が子を回想しながら、数分で慣れてくれたAくんを何度か抱っこさせてもらう。

 子供が育つ。これに勝るロックはなし。

投稿者 yonezawa : 14:26 | トラックバック(0)

2011年 10月 21日

SSの送別会

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 iMoveに動画や、時にスチールを取り込み、iDVDでDVD化する作業も何回か繰り返すうちに手際はそれなりになってきた。
 しかし、ほんの数ヶ月放置して場から離れると些細な操作を直ぐに忘れてしまう。
 子供の記録を保管するために買った一眼レフカメラやHDDカメラや編集機能搭載のパソコンにしろ、そうした用途目的がある故覚えたようなものだ。

 先日の、渋谷での[FFP]LIVE映像編集は、自分としてはそつなく空き時間を上手く使っての取り込みと作業となった。デフォルトのエフェクト効果だけでの編集なので大した負担にはならなくなった。
 Aよ、到着を待っておれ。

 FFPの「Too Late」を聴いていたら、俄然創作意欲が湧いてきた。
 ロック・トラックの機微が、そんな気持ちにさせるケースは、その楽曲が優秀な証明だと感じる。ジョン・メイヤー全般しかり。

 怒濤の校了に集中。夜、ちっとだけ遅刻してしまったが、bambi鍵盤を担うSくんの送別会へ突入。
 Sくん、なんと札幌に行ってしまうそうだ。なんて極端な!
 最初から飲んだ芋焼酎がピンと来た。こういう日は幾ら飲んでも構わない体調の日だと、身体が知っていた。
 前途を祝しての乾杯。
 場をワインバーへ移し、やはりのBambiセッションへとなだれ込み、各位思い思いのペースでスタジオ入り。おいらに関しては、もはや何を弾いたのか分からない状態ながら、ともかくSよ、新天地で踏ん張ってきんされ!

投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2011年 10月 20日

伊丹兄

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 電車の中もデスクに座っても鬼の睡魔がとまらない。夕べもさして寝られてなかったか。

 伊丹由宇兄著『なぜ日本人だけが喜んで生卵を食べるのか』、Amazon拝受。
 伊丹兄とは、かれこれ10年を優に超えるおつきあいとなっていた。
 バンドでアルバムを出した時にライナー・ノーツを描いてくださったのが伊丹兄。
 ロンドンへ初めてジェフ・ベックのインタビューに行った際、ホテルのロビーで再会を果たしたのが伊丹兄。
 甲斐よしひろさんとの酒席を設けてくれたのが伊丹兄。
 1959年製レスポール・スタンダードを弾く機会を与えてくれたのが伊丹兄。
 気まぐれで更新を続けている「分裂ブログ」で心底笑わせてくれるのが伊丹兄。
 
 前出の書籍『なぜ日本人だけが喜んで生卵を食べるのか』は、とりわけ「日本食」をめぐる驚きのネタ、ウンチクがぎっしり詰まった一冊。
 ロックな文章を書く、とりわけ優れた文筆家の代表だという認識を古くから伊丹兄には抱いており、その気持ちは今日も変わらない。
 おいらは伊丹兄の冗談が大好きだ。
http://blog.livedoor.jp/sk99/ 

投稿者 yonezawa : 16:15 | トラックバック(0)

2011年 09月 13日

ミゲルくんとJちゃん

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 麻布某所へ。話題のCM『消臭力』で声量溢れる歌声を聴かせるポルトガル人の歌手:ミゲルくんと対面。単独インタビューを行った。

http://www.youtube.com/watch?v=K5ilVGKgcfA

http://www.youtube.com/watch?v=VEz5tX99K-0&feature=related

 ミゲルくん、普通に可愛らしい。12歳にしては小柄だと感じたけれど、受け応える回答は日本人の同じ世代のそれとは全く違う印象を抱いた。
 しゃぶしゃぶが大好きでメロンパンも大好き。インタビューの内容は、週刊プレイボーイ(確か)9月26日発売号の見開き記事「シゴトのこと」に掲載予定。

 夜21時過ぎ、突然事務所に現れたJちゃんに驚いた。
 かれこれもう10年ぶりぐらいの再会だったろうか。
 即時仕事を切り上げ、まだ夕飯前だという彼女と近場の居酒屋へ。
 Jちゃんはつい最近まで編集業をやっており、某雑誌の編集長を務めていたことは風の噂で聞いていた。
 10年ほど前、ゴールデン街で話した思い出話から矢継ぎ早に語り合うが、何から話していいのか分からない。やがて編集Uが加わり、河岸を変えて、当時Jちゃんとも親しかったと聞いた編集Hちゃんも呼び出し、さらにはO、Sらも合流し、どんちゃん騒ぎの展開に。
 時は流れても変わらないものがある。
 あの頃の心地よき風を感じながらも、なくなれば即おかわりする蒸留酒のお陰で、激しい二日酔いのコンディションが確定してゆくのだった…… 

投稿者 yonezawa : 17:04 | トラックバック(0)

2011年 07月 21日

ベテラン俳優

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 報道によれば、俳優・原田芳雄さんの葬儀は通常の献花ではなく、祭壇に向かって杯を掲げる献杯の形を取るそうだ。
 若手、ベテラン、男女を問わず自宅に集めては飲み会(通称・原田居酒屋)を開いていた原田さんのご自宅には、かつておいらもたった一度だけおじゃまさせていただいたことがあった。

 ある日、ベテラン俳優・石橋蓮司兄とのサシ飯で呑んでいた。
 蓮司さんとはドラマの現場取材で初めてお会いした。同じ現場で共演されておられた俳優・佐野史郎さんらとも酒を酌み交わす機会を得たことがきっかけとなり、蓮司さんとの携帯メールの交換を果たせたのだった。
 待ち合わせの寿司屋に先に到着されていた蓮司さんは、カウンターの一番奥で静かに呑んで
おられた。
 挨拶をしたら半座敷へ促され、そちらで後に痛飲となる酒盛りが始まった。

 テレビ、映画で何度も観たあの役者。スクリーン、あるいは昔で言うところの「銀幕の世界」の男が目の前にいた。
 酒の酔いは量に比例するが、その場のときめきは終始臨界点超えのテンションとなり、至福の時間が過ぎていった。
 焼酎ボトルが空き、さらにもう1本。おいらはかなり酔っていた。きっと蓮司兄も同じくらいに。
 「おい、芳雄ん家行くか! 今から電話してみるぞ」
 時計が22時過ぎを指す頃、おもむろにそう言って携帯から原田家に電話をかけた蓮司兄。ところが芳雄さんは寝ておられた様子。「なんだ、寝てんじゃねぇぞ。今から小僧連れて行くからよ。酒用意しといてくれ」
 記憶は曖昧だが、おおむねこのような会話で電話を切り、タクシーをつかまえ、そこからほど近い距離にあった原田芳雄さん宅へ向かうことに。
 おいらは相当酔っていたこともあり、タクシーで走った経路は何も覚えちゃいない。
 玄関へ入り、出てこられた奥様にご挨拶して、座敷に上げていただいたら、その風景はもう完全に居酒屋規模のスペースが広がっている。通称・原田居酒屋の意味を重々理解した。

 そして奥から一升瓶をぶら下げた芳雄さんが登場。

 なんという空間においらはいるのだ。
 ここを訪れた多くの俳優も映像関係者も編集者もテレビ関係者も素人も男も女も、きっと最初はそう感じたことだろう。
 一見さんなおいらは、芳雄さんと話すタイミングはそれほどなかったものの、この2大巨頭を目の当たりにする幸運に感激していた。奥様の隣の席にはご帰宅された娘さんの姿も。

 そもそも蓮司さんとサシで呑んだ理由の一つは、当時結婚したばかりの売れっ子デザイナー小林満の嫁が「蓮司さんファンだ」ということを聞きつけ、彼らのお祝いにギターを贈呈してあげたいと考え、白いテレキャスターを持ち込んでいたのだった。
 好きな人物の直筆サインの入ったギターほど嬉しい贈り物はなかろうと考えたからだ。

 蓮司さんからは先ほどの寿司屋ですでにサインをいただいていが、「小林嫁は原田芳雄さんも同じぐらいファンだ」という情報も同時にあったので、この席で幸運にもいただく機会を得たのだ。

 「あなた、これ以上居たら何が起こるかわからないから、適当に引き上げた方が良いかもよ(笑)!?」芳雄さんの奥様に小声でそう言われ、ガンガン話込んでおられる2人に会釈だけして、おいらは先にフェイドアウト。
 蓮司さん、芳雄さん、奥様、その際はありがとうございました。

 それなりの夜中ではあったが、勿論その足で小林の仕事場まで、2人のサインがしっかり入ったテレキャスターを運び込み、手渡してきたことは言うまでもない。
 ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 yonezawa : 11:56 | トラックバック(0)

2011年 07月 7日

飲み日和

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 本日、おいらの後輩編集者の中で最も若いHと初のサシ飯。
 先日、失速ライヴ観戦にきてくれたHは、その日も即帰社して仕事となった。「ならば仕切り直しじゃ」と日程を決めた数日後の日程も急遽仕事で流れた。

 つまり今日はお互いに念願のサシ飲み日和となっていた。
 遅めの夕飯は久々の『ひろ喜』へ。
 美味い寿司を喰らい、いつものまま『STOP』を経由しゴールデン街へ。なんら日常と変わらない風景の中に、今日だけはハンカチ王子のようなフレッシュな青年が混じっている。
 そう、確かH入社当時、コピー機の前で交わした言葉がヤツとの最初の会話だったと記憶するが、その際に「おまえ(見た目が)ハンカチ王子みたいやなぁ」と言ったのがおいらだった。

 「よい情報、身になる話はすべて吸収したいのです」というような、真摯な姿勢が魅力を放つHと飲む酒が心地よいことは、先日大勢で飲んたある席での経験で認識していた。
 互いに配慮を持ちながら共有する時間が過ぎ去る。とてもよい酒だった。

 徹夜のような状態で参戦したHが最後の店で、しばしトイレから出てこないなと思ったら、案の定居眠りしてた模様(笑)。疲労を押して夜中までつきあってくれたH。
 ヤツとの3度目の酒も、そう遠い未来ではなかろう。感謝!
 

投稿者 yonezawa : 22:35 | トラックバック(0)

2011年 06月 7日

最重要書類の作成

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 しっかり二日酔いを自覚しながらも最重要書類の作成に。
 夕飯時に、S社Kさん、Hさん、WO社Yちゃん、W社Oちゃんとのミーティングを予定していた。打ち合わせ場所には静かなところを想定し(おいらは食べられないが)K氏馴染みの蕎麦屋を予約。
 到着したらば、店内は大勢のオヤジ・サラリーマンで席は埋めつくされ、まぁ〜うるさいったらない酷い環境の場所となっていた。大失敗。だが仕方なし。

 ビールで乾杯。二日酔いのおいらは温かいウーロン茶でスタート。
 それぞれ異分野の者同士が意見を出し合い、今年おいらが睨む、おいらにとっての壮大なプロジェクトの布石を投じた瞬間となった。
 この数週間は頭であれこれ妄想を繰り広げ、どういった手段を踏めば企画を現実に導けるのかのシミュレーションを繰り返していた。
 まさに本企画のブレーンと言える頼もしき面々のアイディアを賜り、また一歩前進した今日は最高の気分。外枠の構築は良好。後は二日酔いを覚ますだけのところ、2件目では赤ワインを開けてしまっていた。

投稿者 yonezawa : 13:59 | トラックバック(0)

2011年 05月 24日

宮崎県串間市

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 おいらのCDをリリースしてくれたJVCのHさんよりお誘いを受け、渋谷WWWへ。
 今夜、17歳の女性シンガー:井手綾香(いであやか)の関係者限定プレミアムSHOWCASE LIVEへ招かれた。

 エスエス製薬<ハイチオールC プラス>CMソングとなっている井手綾香の「雲の向こう」が現在オンエアー中。長澤まさみが正面を見て泣く、あのCMだ。
 ほとんどテレビを観ない自分でも、なぜか記憶に残っているそのCMの歌声の主は気になっていた。同時に、紙資料にある彼女のプロフィールがちょっと気になった。

 現在、宮崎在住の高校三年生の彼女のオフィシャル・プロフィールを見るとこう書いてある。
 「17歳。120頭もの野生馬が生息する地として有名な宮崎県串間市都井で育った彼女。
全校生徒18名の中学校を卒業し、いまは宮崎市にある高校に通う。 アメリカ人でプロダンサーだった母と、福岡でバンド活動をしていた日本人の父をもつ。 4歳からピアノを始め、いつしか曲を生むようになると次に詞を描き、自らうたい表現した。 “うたとピアノ”で紡ぐ、ありのまま。」

 “宮崎県串間市”の件に反応していた。
 おいらが小児喘息に悩む幼少期、「宮崎県串間市に喘息の名医がいる」と聞きつけた両親は、毎週週末に車で数時間かけてその病院まで通院させてくれたのだった。
 この時代のエピソードを思い出せば、40も過ぎた今でも泣いてしまいそうな有り難さに包まれる。どこの親もそうだろうが、あの頃から続く一点の曇りもない両親の献身的な姿勢、家族を全力で守るという生き方に、いつでも胸を打たれる。

 あの頃、串間市までは遠かった。

 無言で車を走らせる親父は、一度も面倒な愚痴などこぼさず、母共々「喘息よ、早く治れ。苦しさから解放させたい」という表情をいつもしていた。貧弱な自分の体質を呪った。
 病院ではスピンヘラー(喘息用吸入器具)で粉状の薬を肺に吸い込み入れ、そして臀部に注射。
 この繰り返しを何週間行ったことか。

 これら両親のサポートで、確か小学3年生を過ぎた頃、喘息からは解放されることになり、そこからの学生時代はその片鱗など微塵もない体力を得ることとなった。
 
 井手綾香の名を聞けば、おいらは喘息と串間までの道のりを想い出すのだった。
 今日も、亡き親父と、世界一のおふくろに深く感謝。

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2011年 05月 20日

M、おめでとう!

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 SY編集との数ヶ月ぶりの親睦会のため、新宿三丁目へ。
 古いヤンジャン編集部を知るSYとの酒も毎度毎度かなり楽しみな空間だ。
 大概、震災後に会っていなかった仲間との再会であれば、この頃は当日の行動を伺いあうのが慣例となっている。

 美味しい寿司をつまみながら爆笑の世が更ける。
 途中、あらかじめ連絡をもらっていた地元友人でジャズ・ミュージシャンで軽いのんべぇの魅力溢れるFSが合流。

 SYは、相手が誰であっても負荷のかからない親しみ易いキャラクターと言え、連れが女性でもあっても男性であっても物腰が柔らか。
 端的に言うと、常にSYに育ちのよさを感じてしまうおいらだった。“育ちのよさ”とは単に金持ちの家系を指すものではなく、人間性の度量を指すもので、彼が発散する空気に誰しもが惹き込まれると想像させるのだ。

 SYのリクエストで場をゴールデン街へ移す。
 この界隈で最年少オーナーだと言う女性が経営するバーには漫画の単行本がたくさん陳列されており、図書館のように貸し出しも出来るのだと言う。なかなかユニークな店。
 ふと、いくつかの本をめくっていたら、江口寿史兄のサイン本も発見。

 再び新宿三丁目へ移動し、STOPのMに会いにゆく。
 Mはこの度、めでたくゴールインするそうで、直接お祝いを伝える日となった。STOPには、おいらの大事なほとんどの仲間を連れていったものだった。それはMがカウンターの中にいつもいてくれたから。
 ジェイクのライヴをうるうるした瞳で観戦していたMの姿を思い出していた。
 M、おめでとう! 

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2011年 05月 13日

ドラマティックな先ちゃん話

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 先日、Ustream配信の映像を見てからお会いしてなかった江口兄と夜飯。
 いつもの居酒屋でいつものノリで愉快なサシ飲み開始。感覚として、7割以上の確率で常連客で知り合いの仲間と遭遇するのがこの店だ。
 先ちゃんには、先日個人的に展望ある感触を得たちょっと嬉しいある話をお伝えしたく、それを理由に一杯おつきあいいただいたのだった。

 しばらくすると、先ちゃん共々共通の飲み仲間で編集者の2人がやってきた。やっぱり!
 やがて、店に設置してあるテレビで漫画原作のドラマ『シマシマ』の放映が始まった。
 その作品の原作者であるさやか嬢も、ドラマが終了し、しばらくしてからふいに来店された。
 先ちゃん以外とは約束などしていないのだが、本日の飲みメンツが全員集合しきった感じ。

 自虐的でありながらも、めちゃドラマティックな先ちゃん話に抱腹絶倒の夜を迎える面々。この面白さだけは正確に電波などには乗ったことがないので、この極まった笑いはこうした常連の仲間だけが伺い知る極めて貴重で贅沢な空間。
 個人的見解として、江口寿史という漫画家はあらゆるカルチャーの語り部としての異彩も放つ作家。つまり評論という意味あいの切り口にものすごく同感させられるところがあり、その切り口が気持ちよいのだ。本人の作品同様に。
 毎回その場にいる面々が、きっとそう認識しているのだろう。今夜もそんな確信を抱きながら、明け方の4時過ぎに24時間スーパーへ立ち寄り、明日もしかしたらゆくことになろう高尾山用の弁当の材料を買い出しして帰途に。
 朝は目の前だ。

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2011年 05月 10日

株券を持たない株主

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 6月ライヴに向けたリハーサルのためスタジオへ赴き予約完了。
 夜、活字誌編集KさんとJEFF BECK談義。大いに盛り上がる。

 朝日新聞夕刊4月25日(月)、26日(火)、27日(水)、28日(木)のあと、連休を挟んで5月2日(月)と6日(金)に掲載されたコラム『人生の贈りもの』全6話拝読。
 『人生の贈りもの』とは、各界の著名なベテランに人生を振り返ってもらう夕刊be月〜金曜掲載のコラム(一部地域掲載なし、関西地区などはDo面)。

 この6話分は、元ニッポン放送社長でラジオDJの亀渕昭信さんの回。
 亀渕兄の叔母さんがジャズシンガーであったり、妹さんが彼のゴスペルシンガーだったり(こちらは古くから認識)と、亀渕家は音楽一家であったことを、お母様が料亭を営んでおられた情報同様、今回初めて知った。

 進駐軍の将校クラブでの件は、さぞコーラが美味しかったのだろうなと想像させた。
 「資本とアイディアが最重要」なんて、ミュージシャン本人はなかなか気づかないもの。そこも含めてロックの歴史には感慨深い思いを抱くが、亀渕青年は早くからこのシステムを認識しておられた。
 大学時代には証券学会へ所属。先見の明というか、。つまりその日から数十年後にわきこる、ライブドアとの企業買収M&Aバトルは、この頃からすでに“想定内”だったことを伺い知る(笑)。

 おいらの生まれたS39(1964)年は東京オリンピックの年。その2年後、アメリカへの留学を認めたという会社もすごいが、稟議書を回し、説得力もあったのであろう亀渕兄の度量もきっと大きかったのだろうなぁと、大らかでチャーミング(僭越)な氏の笑顔を想像していた。

 サンフランシスコ州立大に在籍。すごいことだ。仮においらが同じ場所にいたとしても、そんな度量などなかっただろう。
 
 帰国。ラジオ番組を手がけられた。局に届いたという当時「3千通以上のはがきの重さ」には意味として泣けてきた。ラジオをものすごい場所に導いた氏の功績は筆舌に尽くしがたく、氏には聴く専門として最大の素質があった。そして、電波界最大の功績者となった。

 リスナーを指して「株券を持たない株主」とは、なんと素晴らしいフレーズなのだろう。

 全6話、会社を愛した、ラジオを愛した、音楽を愛した亀渕兄の、ほんの一部の軌跡を一読者として拝読・堪能させていただいた。
 しかしこの尺では短すぎる! 進駐軍の件もサンフランシスコの件ももっと読みたい! 知りたい! そこで亀渕青年が何をどう感じたのか、つぶさに教えてほしい! もし異国の地で、ビビった話などがあるならば全部知りたい!
 読後感の心地よさと共に、そうも感じていた。

 亀渕兄、近々の再会を楽しみにしています。

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2011年 05月 4日

Sっこ、Sおり、S子、M七代他

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 わずかの帰省日程だった故「おふくろとの時間を優先しなければ」と今回の同級生飲みは泣く泣く断念か?…と考えていたが、ノンアルコールながら宴にはおふくろ&M姉も参戦を決めてくれたので、喜んで同級生の集う場所へ赴いた。

 宴にはすでに7人くらいの面々が集っている。
 認識出来たのはそのうち3名。「この人、誰だかわかる?」と問われ、名前を伺っても正直分からないメンバーもいたりはしたが、先方がこちらを認識してくれていたので共通の知識で会話は流れていった。
 古くはもう40年以上昔の景色を想像しながら、懐かしい単語の飛び出す賑やかな空間に身を委ねた。
 イタリアン系の食事を済ませ、二次会のカラオケ・スナックへと移した頃、先ほどの話題にも出たM七代到着。
 冷静に考えれば幼稚園時代からのつきあいとなっている者までいる計算だ。
 次回、Sっこ、Sおり、S子、M七代他の愛娘、愛息らに会う機会があればまた楽しみ。
 連中に会わせた時にはまだまだ赤ちゃんだったRちゃんが元気に動き回る姿を、是非連中にも見せたいものだ。

 とにかく、無謀なおいらからの1日前思いつきメールで、全員が都合をつけてくれた。みんなの優しさに感謝。また飲もう!

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2011年 05月 1日

頼むよそろそろ

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 早朝からRちゃんと2人きり。
 午前中よりゲーム中心の遊びで盛り上がり、正午を20分過ぎた頃「昼飯の時間が過ぎてる」と気づき、Rちゃんには唐揚げとソーセージそてい、プチトマト(サラダ)等を20分程度でこしらえる。
 おいらは、残念ながらRちゃんが食べず嫌いで、まだ口にしたことにない納豆とごま昆布と梅干しを追加した。

 昼食後、自転車で外に行きたいと言うRちゃんと2人でスーパーへ。
 (中身のバリエーションはあるらしき)同じ食玩製品を2つ買わされ、姫の大好きなゼリー、ヤクルト、ヨーグルト類を購入。
 自転車、早く乗れるといいな。今のところなんとか補助輪のない自転車での訓練を貫いている。

 夕飯は餃子とほうれん草とトマト。お父さんはそちらにキャベツの千切りが加わった程度。まだ生野菜もまともに口にしないRちゃん、頼むよそろそろ。

 風呂が沸き、イタズラ心全開のRちゃんは浴室ではしゃぎっぱなし。
 とにかく人の頭にお湯をかけたり、抱っこされたまま、お湯を張った洗面器を足でこぼしてやること……などに必死になる彼女のモチベーションに、こちらも最終的には笑いが止まらなくなる。呆れて。

 風呂上がりもゲーム。しばらくして髪の毛をドライヤーで乾かしてやり、パソコンのモニター前に座ったまま歯磨きさせるRちゃんの横着さをちょっとは注意しながらも、結局すべての要求を聞いてしまう父。

 彼女が床についた後、パソコン類の梱包をようやく開始。その重量と大きさに改めて焦る始末。
 梱包すれば益々限界に近い相当な重量と相当な大きさなのであった。果たして手荷物で成立するのかマジで微妙。マジでデカ過ぎ。

 明日から5日間、九州帰省決行。

投稿者 yonezawa : 17:54 | トラックバック(0)

2011年 04月 30日

Sちゃん進学おめでとう

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 先週木曜日に約束していた飯の都合がお互いダメなり、延期する代わりに「30日、我が家へ来ないか?」と件のJより誘いの連絡があった。迷わずJ宅のある府中方面を目指した。

 一昨日はRちゃん発熱、夕べはおいらまで発熱してしまったのだったが、根性で本日昼間には平熱へと引き戻し、何事もなかったかのように電車を乗り継ぎながら現地へ。

 現代は携帯サイトの「乗り換え案内」を検索すれば、正確なアクセス手段を検索出来、正確な到着時間を先方に伝えることが出来る。
 今回もそのサービスの恩恵を受けながらアクセスしていたところ、西国分寺から乗り換えのホームへ着いたとたん「おったんー、おしっこ、がまんできない……」と姫SOS。
 Rちゃん夕飯用の唐揚げ&サラダ、お土産のケーキ、赤ワイン、H家Sちゃんの進学祝いの品等、大量で重量のかかる荷物を長椅子に置き、ダッシュでトイレへ。
 用を足した後、意外と余裕で間に合いかけっこでホームへとんぼ返り。

 約束の時間、改札到着。
 Jと、その愛娘Sちゃんが迎えに来てくれてた。Sちゃんは「切符(?)の精算がある」とのことで、みどりの窓口に並んでいた。
 府中に用事のありそうな労務者風のおやじたちが行き交う光景の奥をしばらく眺めていた。
 10分、15分、20分…と、なかなかSちゃんの用事が終わらない様子。
 「ずいぶん長いな…」
 窓口辺りを覗いてみれば、Sちゃんのすぐ前のおばさんが1人延々と窓口を独占していた。おまけに1人用のみの窓口なので、どんどん人が並び始めている。
 結局そのおばさん1人で25分以上を要してなんらかのチケットを購入した模様。次、Sちゃんの用事は1分少々で終わった。
 Jに「あのおばさんは世界一周のチケットを買ったんだな?」と問いかけながら、Jの提案で徒歩のまま、暗闇祭の準備をしているという大国魂神社へお参りに。
 Rちゃんを抱っこして歩道をゆったりと歩いていると、正面から自転車に乗った糞馬鹿オヤジが突っ込んできそうな勢いで真正面から向かってくるではないか。瞬時に避けたが、思わず「ここは歩道だろうが、馬鹿たれが!」と正義の注意をゴツンとかました。捨て台詞で「なんだとこの野郎」と聞こえたが声は去っていた。ああ〜辞典の角で殴りたい。見かけ60歳代後半の糞馬鹿オヤジにはよい教訓になったであろう。いつ轢かれても不思議ではない精神状態の糞馬鹿オヤジは厄介。

 即時気を取り直す。それにしても神社へのお参りなんていい機会。こうした提案が実にそつない。常識人でホントの意味におけるインテリ。Jの人間性とバランス感覚が30年前からおいらは大好きで、自分なんかには到底追いつけない人としての度量を感じるのだった。
 Jは同級生うちで最もクレバーで真っ当で、成熟した社会通念を有する希有な存在。今日も30年前も何も変わっていない。一点の曇りもない素晴らしいJの家族と接すれば、そのすごさをすべて認識させられる。
 
 徒歩で20分かけ、そのうち9割の道中は「おったん、だっこー」の要求のまま、地味に汗をにじませた状態でJ宅へ到着。
 食卓にはすでに食事の用意がしてあり、Rちゃんは即時PCをセッティングしてもらい、早速ディズニーゲームに没頭。

 ビールが美味い。
 J宅訪問は丁度1年ぐらい前だったか。ゆったりと親睦会のつもりだったが、おいらをゲームへと誘う姫の要求がひきりなし故、笑って諦めた。

 「おうちにかえりたい!」
 突然脈絡のないタイミングでスイッチの入った姫が叫びながら号泣し、胸に飛び込んできたタイミングを堺に即帰宅準備を開始。

 Sちゃん進学おめでとう! わざわざ駅まで送ってくださったH家のみなさま、今日も大きく感謝!

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2011年 04月 26日

人生の贈りもの

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 マーラー交響曲第5番 第5楽章、拝聴。
 JEFF BECKご意見番:Kさんより知らされたネット情報に反応。
 ベックがマーラーの交響曲をカバーしているそう。その音源がなぜか発売前にネット流出し、「そのままお蔵入りとなった幻のテイク」があるとのこと。そこには「涙が出るほどの名演」と書かれていた。そうだろう、そうだろう。

 次回はクラシックだけの選曲による音源制作になるのか、 ジェフ?
 近年のインタビューでもそうした発言はあったので噂はかなり現実的なのかもしれない。

 なんだか日程が見えずに悩み悩んでいたが腹を決めた。GW中の単独九州訪問を確定。Rちゃんと離れるのがものすごく寂しいけれど。
 おふくろのパソコンを最新スペックへと変更し、万全のネット環境を構築するのが主たる目的。今はおふくろと語り合う贅沢な時間を心待ちするのみ。

 NHK『亀渕昭信のにっぽん全国ラジオめぐり』
http://www.nhk.or.jp/kame/index.html
で絶賛稼働中。現在、日本国中を飛び回っておられる我らが亀渕おとうさんより最新情報入手。
 朝日新聞夕刊掲載のコラム「人生の贈りもの」に亀渕兄が計6回登場する。
 4月25日、26日、27日、28日、の後、連休を挟んで5月2日(月)と6日(金)の計6回、掲載予定とのこと。
 昨日の回はすでに確認した。おふくろ様が料亭を営んでおられたことは初耳だった。
 この時代のエピソードに感じられる独特の空気は、全部映画のネタになりそうな迫力というか、妙な興味深さを抱かせるのは何なのだろう。我が母の境遇とも重ね合わせて読んでいた。
 大らかで優しい亀渕少年の人間性がここから育まれ、そしてFENに突入……だったのか? やがて少年は真顔でアメリカン・ポップスを追いかけはじめる、崇高で真っ当な(イワレナキ)不良少年時代に突入。……だったのか? 最終話まで楽しみに拝読することにしよう。

 小学生時代最ものめり込んだアイドル「CANDIES」スーちゃんの訃報は残念。ブロマイドを卓上に飾り、壁に初めてポスターを貼ったのがCANDIESだったか。あの3人が今も変わらず仲良しでいたことを知り、心が温かくなった。合掌。 

投稿者 yonezawa : 17:47 | トラックバック(0)

2011年 04月 22日

カメラのロケハンとOちゃん

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 初校の戻し原稿を確認し、本番本文原稿を9割入稿。
 差し替え用のレイアウト・データが到着し、一区切りついた。

 ヨドバシカメラへコンパクトカメラのロケハンに。
 機種が鬼のように多い故、この分野は迷いまくる。
 目的はCanon製品であったが、シェアーはたいしたことがないというPENTAXの物件がやや気になった。いずれにせよ、手ぶれ防止と露出補正は条件。

 夕飯は、遅めの時間にW社Oちゃんと待ち合わせた。
 幻にならぬよう、現在企画書をしたためている(現段階では)ある妄想を直接プレゼンするべく、当日連絡ながら、Oちゃんは快くおつきあいくださった。
 レコード会社勤務の彼、ちょっとフライング情報だが、あのJBと一杯やったことがある!というとんでもない経験をしている。なんとときめく夜なのだ。OちゃんThanks&ごちそうさま!

 http://cweb.canon.jp/camera/dcam/lineup/index.html
 http://www.pentax.jp/japan/products/optio-s1/
 

投稿者 yonezawa : 17:43 | トラックバック(0)

2011年 04月 20日

代表取締役

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 確か昨年9月頃入籍したYと、その日以来の再会を果たし飯。
 Yは、編集部界隈に自分の会社を構える一応事実上の代表取締役。
 東大生だった学生時代からヤツのことは知っているが、まるで会社経営者に見えないところがYらしくもあり(笑)。しかし大したものだ。

 貿易というか、仕事の中身は海外との取引がメインだと聞き、まったく異分野で活躍するヤツの仕事内容を聞き入った。
 乾杯した串揚げ屋はYの会社の入ったビル1Fにある店だったが、とても感じのよい店だ。また誰かと訪れたい。遅れてYの妻N到着。

 時代はどんどん移り変わり、連中との時間もそれなりに経過しながらも、お互いの性格などもちろん変わることもなく、彼らと初めて会った場所「六本木の鳥料理屋」の距離感と今日も同じだった。

 遅い電車で吉祥寺へ。
 地元の舶来映像人間T、デザイナーYと待ち合わせ、こちらもずいぶん久々の再会を果たした。
 「もしかしたら来月頃引っ越しするかも」とTとYに伺った。頻繁に会わないくせに、そうした話を聞くとちょっと寂しい感じ。
 彼らを見送り、一人禁断の豚骨ラーメン。ラヂヲ先生、ごめんなさい。

投稿者 yonezawa : 20:18 | トラックバック(0)

2011年 04月 12日

映画伝道師

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 相変わらずマスクが欠かせない。

 映画伝道師:むーちゃんと久々に再会。
 日常、そうした「お茶する」的週間のないおいらとしては珍しい。
 神保町の昼下がりに、原発のことやら映画のこと、次にむーちゃんが何を見つめているのか、彼の志のようなことを聞いた。
 被災地近くに身内のいるという彼は終止笑顔。彼との最初の邂逅はロンドンのヒースローだったっけ。
 朝以降何も口にしてなかったからか、20時を回った頃、空腹が限界に達し吉野家に駆け込んだ。
 ついこの前まで肌寒かったはずなのに、ふと訪れた奇妙な暖かさが真夏の激暑を予感させた。

投稿者 yonezawa : 18:15 | トラックバック(0)

2011年 04月 4日

会食

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 コミックス原稿の入稿に今日も編集部へ。

 夕方、Hさんとの約束の会食へ。
 どうしても震災の話が話題の中心になることは致し方ない。Hさんの持つ興味深いご意見を聞く機会としても、今日は楽しみにしていた1日だった。
 大型の飲食店は仕入れの調整が大変とのことで、大量に仕入れても客が来ない。あるいは少ない仕入れで予想以上の客が来てしまったらお手上げ……っと、飲食店も踏ん張り時の時世だと聞く。
 酔いに任せ、話がどんどん転がるように様々な分野に渡っては移り変わる。構えた飲みの席でない飲みこそが心から楽しめる空間であると認識しているが、今日もその最たる日。
 理屈抜きに楽しい。何から何までHさんには大感謝だ。

投稿者 yonezawa : 17:42 | トラックバック(0)

2011年 03月 31日

@shueisha.co.jp

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 本日をもって、およそ22年間あまりお世話になったヤングジャンプ編集部を離れることになった。
 関係者各位へお送りさせていただいたメールは、温かいメッセージとなって返信賜り、その普通の距離感に嬉しさがこみ上げた。
 22年という時間が経過する最中、幸運にも知り合う機会を得た多くの仕事仲間は、時に同士となり、戦友となり、隠し事の一つや二つを共有するぐらいの友ともなった。

 そして、なんといっても数多くの作家と出会えたことは、この業界にいてこその幸運と言えた。
 華々しいメディアの中でしかお目にかかれなかった多くの著名人の方々とも、たった一度の取材に始まり、まさかその日から何年もお付き合いすることになるとは。
 編集者とささやかなミュージシャン活動の中で得た、人と人との繋がりはまさに生涯の宝だ。
 20代前半で出版界に飛び込み、30代前半では書籍の出版が叶い、ロックバンドでは一応アルバム・デビューも経験した。その長き間、常に自分の隣にあった最たる核こそが【週刊ヤングジャンプ】という媒体だった。

 雑誌が創刊されたのはおいらが中学生の頃。創刊1号から3号目までを大分県の書店で購入した記憶がある。
 装丁の雰囲気が当時の感覚だと「大人の雑誌」風だったので、買う際レジのおばちゃんに「この本は大人が読む本なんやけどねぇ」と釘を刺された。そして4号目以降を買う勇気は断たれた。
 その雑誌の編集部に自分が所属したことは奇遇であり、成人してからの青春時代というものがあるならば、その時間の全てをこの雑誌につぎ込んだと言っていい。

 1989年1月、神保町は猿楽町の第四編集部に所属され、最初に手がけた雑誌が月刊ベアーズクラブ《BEARSCLUB》1989年3月号(通巻10号)。
 執筆陣には、日野日出志、猿渡哲也、中島史雄、柳澤一明、船戸与一、はた万次郎、金井たつお、矢也昌久など。
 そこでおいらが最初に入稿した漫画原稿が【志水三喜郎・画、針木康雄・監修「HONDA WAY 本田宗一郎青春伝(前編)」P100】だったと記憶する。

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 「当時20代前半だった小僧も、あっと言う間に40代半ばの中年になってしまいました。ヤンジャン編集部在籍中は、いつも温かいご支援とご指導、手厚いご協力を賜りまして誠にありがとうございました。 新たな環境におきましても、これまで以上、良質なカルチャーの啓蒙に全力を尽くす所存です。みなさまとの再会の機会を楽しみにしています。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。」

※尚、これまで使用しておりました編集部の米澤アドレス
youngjump_yonezawa@shueisha.co.jp  は本日をもって不通になります。

投稿者 yonezawa : 22:46 | トラックバック(0)

2011年 03月 29日

江口寿史兄、55歳

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 Rちゃんのいないリビングが閑散。
 鰺を塩焼きにしてキャベツを刻み、トマトを切って、豆腐と卵とタマネギで味噌汁をこさえ、一人リビングで食事を摂る。
 そろそろ街も人が帰ってきたような印象。自粛ムードで外食すら発想しなかったこれまでが、徐々に回復してゆく感じ。
 しかし20時前後、また余震が。夜、谷口ジローさんと編集者の集いに参加。先生、連載絶好調。〜痛飲。

 そして江口寿史兄、55歳の誕生日おめでとうございます。

投稿者 yonezawa : 22:43 | トラックバック(0)

2011年 03月 26日

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 えらく寒い1日だ。
 後ろのタイヤに何度空気を入れても、翌日には空気の抜けてしまうRちゃんの赤い自転車はパンクかと思い、近所の青空自転車修理屋さんまで持って行った。
 自転車を預け、買い物を済ませて戻ったところ、パンクではなく必要な器具が外れていたとのこと。修理費400円。

 近くの公園でブランコ&鬼ごっこを経て帰宅。しかししみじみと寒い日。Rちゃん、大丈夫か?
 
 夕方、作ってもらった唐揚げ、ポテトサラダ、激美味芋焼酎:明月などを持参し、bambi打ち上げの場へ。

 ライヴ当日の打ち上げは、ご来場のみなさまとの会話を優先して楽しむことが慣例となっており、歴史的においらもバンド・メンバーでの打ち上げ、という状況にはなかなかならなかったものだ。
 bambiにしても同様でそうした流れも踏まえ、打ち上げは事前に予定され今日を迎えた。

 しかしこの時期、居酒屋類は計画停電やらの影響もあってか営業時間がえらく短縮されている様子。すると「ならばココを使ってよろしい!」と、太っ腹の提案を賜り、その主:bass:yoyo&𠮷紋兄が宴の場を提供してくださることに。なんと有り難い。
 かくして全員の手弁当で宴開催の運びに。

 銀座のあるワインバーではメニューのいくつかに印がついており、その品(ワインもフードも)の価格のうち200円分を日本赤十字社に義援金として寄付するというシステムを取っていた。
 この時期、アルコールを口にすること自体に罪悪感を感じる方がいるようで、ならば「アルコールを飲むことによって寄付している」というシステムにすれば抵抗感も減るのではないか、という店主のアイディアでそうしたらしい。
 その品を注文した方は署名し、その署名の一覧をお店のオフィシャル・サイトにそのまま載せるそうだ。

 午後6時前後、いい年したbambi&関係者がわらわら集う。まるで高校生の集いのよう。
 𠮷紋兄が用意してくださったギターの美しくてコンディションのよいことといったらなかった。さすが音楽職人。
 おいらは座布団に座った端からMartinを手放さない。大先生の手にしたイバニーズ?の関連ブランド?の物件も素晴らしい。
 唐揚げもポテトフライも、芋焼酎:明月も白ワインもちらし寿司もおにぎりも、ずこんずこん胃袋に消えてゆく。ギターは延々弾いている。

 頃合いをみて、おいらは初めて観た先日のライヴ映像観戦。全員モニターに釘付け。
 映像を手がけてくださった𠮷紋兄の一見無造作なアングル、切り取り方に、各々ピリっとくるクールなセンスを感じていた。 

「音楽が好き」「楽器が好き」「演奏が好き」そうした共通認識で集う利害関係のない(笑)身内メンツで、ホロホロ酔いながら、ホクホク弾きながら、ワラワラ語り合う瞬間の贅沢なことといったない。
 気持ちよく大先生の新曲にあわせていたところ、隣でvo.haruが爆睡体制に。さすがフロント大物女子。こうでなくちゃ。

 皆様方、今日もお疲れごくろうさんでした。yoyo&𠮷紋兄、ありがとうございました。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2011年 03月 24日

取材の歴史

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 昨年のうちに写真家:熊谷貫が事務所を引っ越したと聞いた。
 ふいにもらった彼からの連絡で、今夜、西麻布の新事務所を初めて訪れることに。
 貫との歴史もいろいろあった。

 まだ世界戦を行っていた頃のラスベガスでのボクサー辰吉丈一郎選手取材は、貫にとっての最初のヤンジャン海外取材だった。
 『Kids Return』での北野武監督取材は2人にとっての大きなターニングポイントとなった。
 世界戦に挑戦する以前と以降のボクサー畑山隆則選手の長期取材では、マニラでのキャンプにまで自腹で同行したこともあった。
 ともかく、ここ十数年に渡り様々な局面で現場を共にしてきた。
 事務所で紅茶をいただきつつ、話題は地震、被災地、原発,政府、東電の話。
 昨日、ある作家も語っておられたが、この災害を乗り越えた先には本当に必要な作家だけが生き残り、多くが淘汰されるだろう……といった意味合いの話をここでも語り合った。
 写真家しかり、雑誌本体しかり、本当に必要とされれる媒体、カルチャーだけが生き残ってゆくと思われる。
 映画も漫画も小説も写真も、生きるためには最優先されるものではない。当事者の心境の根底には,正直戦々恐々といった意識を強く認識させられた。
 
 今回の事件が世界的にどのように見られているのか、海外の友人から届くメールで、逆にその重さを感じとっているこの頃。
 実際、汚染国となってしまった日本。今後、相当頑張らねばと個人個人の意識にも渇を入れ、完全復興のスピードを願うばかり。一歩ずつ乗り越えなければならない。

投稿者 yonezawa : 22:39 | トラックバック(0)

2011年 03月 23日

帝国ホテル

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 早朝連続の揺れには警戒させられた。もう余震への構えが定着してきた感じ。

 正午過ぎ、帝国ホテル・ロビーで待ち合わせた作家Bさんと珍しくランチ。
 この2週間、本格的に飲むという約束は全部延期されてしまったので、作家と語りながら割とゆっくり飯を喰うのは久々な感覚。
 お会いした瞬間から、話題は当然大地震のこと。当日何をしていたかを伺った。

 昼間、こんな高級ホテルでランチを食べる方とはどういう職業の方なんだろう。いつもそうした疑問が頭を過ぎるが、かくいう自分も同じ疑問を大いにもたれているのだろう。
 チキンカレーが結構ボリュームあってお腹いっぱい。
 Bさんを見送り、帰社後、せっせと校了作業。今日で校了のすべてを終える。
 夜は引き続き、せっせと単行本の入稿。昨日に続いて夕飯は出前の弁当。明日も揺れるんだろうか。

投稿者 yonezawa : 22:38 | トラックバック(0)

2011年 03月 21日

相田監督ブログより

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 相田監督ブログより転載。

http://documentary-campaign.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html
 
 Sunday, March 20, 2011
この難局を生き抜くために
専門家の意見を聞け、門外漢は黙ってろ、という言説に違和感を覚える。「どんな地震が来ても原発は安全だ」という専門家のお墨付きを信じてしまったからこそ、今日の原発災害があることを忘れてはならない。この期に及んで専門家に自らや家族や国の命運を預けてはならない。

そもそも、専門家の間で意見が割れる事柄は多い。特に原発や放射能の問題は賠償問題もあるから政治が絡む。だからバイアスや誇張や嘘が混じりやすい。その道の専門家だからといって、100%信用する方がどうかしている。

だから結局問題は、どの専門家のどういう説を信頼するか、ということになる。これは、われわれ非専門家にとっては難しい。専門知識がないから判断の術がない。では、どうするのか。

難しいけれども、まずは説そのものが納得いくものかどうか吟味することが必要だ。そして対立する説があれば比較する。また、その専門家の政治的立場や人的つながり、経歴などを調べ、どんなバイアスがかかり易いか考える。あとはその人の人柄を直観する。難しいけれども。

でも、非専門家にとっての究極の目標は、その説が正しいかどうかを判定することではなく、生き延びることだ。サバイバルできるなら、説の成否はどうでもよい。だから、何を信じれば自分や大切な人やその他の人々が生き残りやすいか。それを究極の基準にすればよいと思う。

いずれにせよ、エネルギーにしろ、医療にしろ、政治にしろ、教育にしろ、僕らは専門家任せの社会を作ってしまった。社会が複雑化したせいもあり、自分で考え判断するのは難しいし面倒だから、みんな専門家に丸投げしてしまっている。この機会に、その態度こそを改めなければならないと思う。

専門家に丸投げすることによって眠らせていた各人の生存本能を、今こそ起動せよと言いたい。

投稿者 yonezawa : 22:37 | トラックバック(0)

2011年 03月 8日

ジェフ・ベック信者

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 見たくもない者が出てきた悪夢のせいか、午前の早い時間に起こされた。

 昼間、某編集部某氏とのミーティングで、氏が恐ろしい程のロック通で当たり前のようにジェフ・ベック信者でもあることが発覚し、驚き、喜んだ。
 ここまでギターを語れる編集者は近場の編集部にもいない印象だ。この22年の間。

 妄想が形になる──。
 世の傑作創作物は往々にしてそうして結実してきた(と思う)。
 昼間の編集部なので、さすがに飲酒なわけではないが、(くだらない戯言が9割だとしても)酒を飲んで語り合う雑談も、いかに重要であるかを再認識する瞬間でもあった。

 『俺のロック・ステディ/花村満月』をこれから拝読する。

 最近入手した書籍『超思考/北野武』の中身がともかく的を射ており、理屈抜きに素晴らしすぎる。読者に対して注釈として促す文面もあるが、そんな心配はおいらには不用で、ここには乱暴な言葉など皆無。
 この崇高なる書籍をもって日本中を啓蒙したい気分。

 昨年、ゴールデン街で知り合い、約束の酒が果てしなく延び延びになり、今日ようやく実現の運びに。まるで芸術家のようなTさんとの空間が貴重で嬉しい。
 「酒が好きでお金がかかってしまう」と無邪気に笑ったTさんの笑顔は、名前同様にツボだった。
 ちゃんこからシンク経由でSTOP。パーフェクトな一時。

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2011年 03月 7日

MIXI

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 午前、起きがけに外を見ると雪が斜めに降り注いでいる。
 それなりに積もる勢いの雪。完全防寒の準備で外へ。
 
 飲みだちで取材対象者で映画監督で最高学府の想田さんが、MIXIで上手いこと語ってたので、抜粋転写。

 「筑紫哲也さんが癌で亡くなる直前に「日本という国は癌にかかっている。栄養分をみんな癌がとってしまって、必要なところに全然行き届かない」という趣旨のことを発言されていた。それを思い出し痛感する今日この頃。」

 「僭越ながら先の筑紫さんの言葉に僕が付け加えるとすれば、『日本は癌にかかって死にかけているのに、水虫のことばかり気にして様々な塗り薬をとっかえひっかえ塗り続けてる』という感じかもしれない。」

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2011年 03月 1日

少し不器用

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 誠実で生真面目で温かくてクレバーで(多分)少し不器用で品格溢れる両氏。
 折に触れてOさん&Oさんと、貴重な時間を過ごせる環境にいるおいらは幸せだ。
 新宿でしばらくぶりの親睦会を楽しんだ。
 人生の大先輩が、青二才に対して何の負荷もないまま、同じ目線で日常感じるあれこれを語ってくださる、ということにひとつの喜びを感じるのだ。

投稿者 yonezawa : 01:27 | トラックバック(0)

2011年 02月 22日

サシ飯と格闘家

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 珍しい午前中からの連絡をいただき、ひょんな展開から今夜は大先輩のYさんとサシ飯となった。
 貴重で有り難いひととき。今日の親睦会の内容は、あと4〜5年くらいしたら明確に書き記したいものだ。
 新宿二丁目の美味しい和食屋で満腹になった。Yさんに感謝。

 今日の約束を入れた直後の昼間から、大道塾:飯村師範から飲み会に誘われており、宴をやっている場をメールで確認後、格闘家の集う居酒屋へ合流。

 かつてU.W.F.スネークピットジャパンで活躍した望月竜介氏、ムエタイのリングも経験するキックボクサーの大野氏、遅れて、現役東大教授の猛者で獏さんの友人である格闘家:松原氏も合流し、とことん格闘技談義。
 本気で肉体的に強靱な者たちが、いくつかの試合を振り返ったり、未来のカードを睨んで議論するその内容は、やはり説得力という意味では我々素人の比ではない。
 おいらの知る格闘家は、例外なく優しく、ユーモラスに溢れている。
 飯村の最近のブログを読んで驚嘆していたのだが、今日、彼から届いたメールがこうだ。

 「昨日ロシアから帰ってきました。最初は日本選手団のコーチとして同行の予定だったのですが(大道塾吉祥寺支部の田中)俊輔が試合一週間前におたふく風邪になり、ロシア行きもドクター・ストップになったため塾長の無茶振りで自分が出る事になりました。結果は準決勝で10kg以上差の毛毟ったゴリラのようなロシア人に腕十字で負けましたが、3回勝ってベスト4なので面目は保てたと思います。」

 どんな世界なんだ。
 このメールを拝受し、おいらは改めて格闘という世界で生きる者の精神力のすごさを感じ取るのであった。
 飯村は正式な試合のリングには7年あがってなかったのだという。本来試合などするハズではなかった男が単身ロシアへ乗り込み、娘の待つ日本を想い、プチ・ホームシックにかかったなどと冗談めいて語っていたが、モチベーションもないままリングに上がることこそ最も辛い状態であったことだと察した。
 今夜は少しだけ飯村を労おうと思った。

 今週の土曜日に、弟子や仲間が慰労会を開いてくれるので、おいらのライヴ(の打ち上げ)参戦はなくなり、残念だったが、おいらも駆けつけて労いたい気分になった。

投稿者 yonezawa : 01:22 | トラックバック(0)

2011年 01月 21日

還暦祝杯

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 東京駅界隈の名古屋料理屋でBさんの還暦祝い(元旦)開催。
 南方方面帰りのBさんは大きなリュックを抱えて登場。Bさんのご都合を伺い、本日祝杯の日を決めた。
 ちゃんちゃんこは止め、渋谷のmont-bellで赤いアウトドア・ジャケットと赤いソックスを事前に代表購入していた。乾杯後、精鋭4名のワリカンにてプレゼントの贈呈式を。

 1年中世界を飛び回っておられる日常のBさん。根っから朗らかな氏の笑顔で場の空気は一気に温かくなる。
 「還暦を迎えられたご気分は?」とお伺いしたところ「分かったことがあるんだよ! (60歳になったからといっても)なにがえらくなることもなく、なにが見えてくるものでなし。優秀なヤツは10代から変わらず優秀で、60歳になっても駄目なヤツは変わらずダメってことなんだよ」と笑顔でご教授。
 Bさんのおおらかさを隣で眺めながら、20年近く前に氏との出会った幸運を心から感謝するのだった。

 氏を新幹線駅改札までお見送りし、定期的親睦会を欠かさないSと新宿へ河岸を変え、サシ乾杯。
 慢性の寝不足のはずなのに、おいらと飲む際にはいつも朝までコースの気持ちでつきあってくれる有り難いS。若いSにはいつも感謝だ。
 彼と話す場合、大概、携帯にメモらねばならない重要事項が毎度いくつかある。

投稿者 yonezawa : 18:09 | トラックバック(0)

2011年 01月 20日

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 見に行きたい映画は複数ある。
 気になっている映画もたくさんある。
 しかし、気分がなかなか盛り上がらず、ここのところ多くの試写会を見逃している。
 
 夕方、この20年間、信頼する某氏とお茶。
 近況を報告し、温かい言葉もかけてもらえた。
 明日の風はどちらに吹くのか。

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2011年 01月 19日

タワーの先っぽ

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 カウンターのテーブル前から東京タワーの先っぽが見えた。
 おいらのプライベートではありえなさそうな高級神戸牛が目の前に運ばれる。
 かけがえのない方との貴重な時間が過ぎる。「おいらも後10年もすれば、こうした品格ある酒を飲むのだろうか」と妄想するものの「現実はきっと今と変わらない」という結論に今日も行き着く。氏には何年も何度も深く重く感謝するのみ。

 1人になれば様々な妄想が広がる。不安を抱えた妄想。
 「こんな時、親父だったら何を選択するのだろうか?」分かりようもない自問自答。
 一昨年に始まり、昨年末の予測しなかった決定的事件から、時間の流れにとまどう日々。
 突破口はまだみつからない。かんばしくない意味合いの“日々仰天”が続く。決断は結局本人の意志のみ。

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2011年 01月 16日

正真正銘のロケンローラー

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 昼過ぎまでRちゃんパソコン・ゲームにつきあい、車で池袋へ。
 西武デパートに繋がる書店リブロで行われる「江口寿史サイン会」会場へ向かう。

 開始時間より1時間も早めに着いてしまったので適当に時間をつぶしつつ、先ちゃんと合流した後、別館8Fのカフェで待機。なんだか仕切りが心細い。

 サイン会より数日前に、整理券は予定枚数をあっと言う間に配りきったそう。
 次回の先ちゃんサイン会は30日14時より吉祥寺リブロ。並んだファンの行列前方、男子多し。
 
 この1〜2年で、おいらが最も注目するロックシンガーAから最新デモ音源拝受。嬉しい。
 英語圏からやってきたAの魂込めた、まさに渾身の新作。
 明日、珍しく通勤の際に爆音でもう一度拝聴予定。スキルは上がり、勢いは増し、期待は募るばかり。Aは正真正銘のロケンローラー。

投稿者 yonezawa : 01:33 | トラックバック(0)

2011年 01月 9日

最新超絶傑作

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 午後、夕方までの3〜4時間、Rちゃんと2人きりで「かるた」やら「神経衰弱ゲーム」等に興じる。
 先日、先ちゃんより贈呈いただいた額装に、購入してきたイラスト「ROCKS」をはめ込む。
 額装にすると、絵にしろ写真にしろ数倍の風格を感じさせるもの。

 本作を受け取りに画廊へ行った際、東京芸術大学書道サークルの「審美展」なる作品展が開催されていた。
 せっかくだったので1点ずつしっかり閲覧。たまに上質の書を観たらば迫力も感じられてとてもよい気分になった。

 かつて、祖父も親父も姉も書家だったおいらの家系で書はとても身近なモノで、毎年正月には祖父の家で書き初めをやって(やらされて)いた。
 祖父の目の前で書く“書道”にはほどよい緊張感があり、今となっては貴重で重要な思い出。
 絵に描いたような祖父像だった。
 おいらが子供の頃、祖父は「男は3年に一度だけ(顔の)半分だけ笑え」と言ってた。
 耳の毛を1本抜いたら1円のお駄賃をくれた。
 祖父の家屋の庭には小さな川が流れており、幼少の頃我々はそこで泳いだものだった。
 その冷たい川の水で、桶と洗濯板でせっせと洗濯していたのは、新婚当時の母親だったと聞いた。
 この年代になって初めて気がつく大いなる価値観がそこにはあった。

 夕方、宅配便を拝受。
 差出人は、長年大尊敬し、敬愛し続けるBさん。ひもといたら驚愕。あの最新超絶傑作作品の最終巻・生原稿が丸ごと入っていた!

投稿者 yonezawa : 21:11 | トラックバック(0)

2011年 01月 7日

真剣師:小池重明

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 飲んだ席でふいに出たのが、真剣師:小池重明の話。
 「プロより強いアマチュア」この魅力溢れるたった一言のフレーズで、その人となりを知ることとなったのだが、今宵そうした方向にも話は転がった。
 「疾風三十一番勝負」という「真剣師:小池重明」の続編となる文庫のあとがきに、獏さんが寄稿されており、その文面にもかつては泣いた。

 そのあとがきをA3の紙に拡大コピーし、当時闘病中だった父親に読ませるため入院先の病室に持っていたことがあった。
 何故、その文章を持って行ったのか、当時の自分の気持ちも明確には覚えていない。
 ただ、そのあとがきで獏さんが、本書の作者である団鬼六に嫉妬しているようなテイストも感じ受け、えたいの知れぬ力が漲ってきたその現象を父親にも感じさせたい、そう思っての行動だったように回想する。

 飲んで小池の話を語ると力が入る。
 やむない理由で志を貫徹しないまま若くして逝った小池の生き様は、節目節目で彼を知らない輩に語り継ぐことになろう。
 団鬼六も活字の名人也。

投稿者 yonezawa : 21:09 | トラックバック(0)

2011年 01月 6日

吉田兄と先ちゃん

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 部屋の棚などにかからないで布団が敷けたのは随分しばらくぶりだったかも。
 隅々まで整理した部屋での寝起きは気持ちよい。すぐ乱れるのだろうけど。

 大手TV制作会社イーストのスーパープロデューサーで、永遠のたけしさん番:吉田兄と初飯。
 暮れもまったく互いの予定が合わず、結局再会は年をまたいでしまった。
 本日ふいに待ち合わせが叶い、焼き肉をゴチに。兄貴感謝!
 持参してくださった『失速DVD』を『STOP』で拝聴。
 吉田兄の謙虚な言葉とは裏腹に、いつもの広大なシャウト技量に笑う。ではなくうなる。映像の中の吉田兄は今日もかっこいいぜ。
 そして、最新たけしさんエピソードで心が暖かくなった。

 遅い時間になり吉祥寺へ電車移動。新宿駅のホーム、寒い。
 たまたま仕事場で先ちゃんがつかまった! 先日の個展で展示してあったイラスト「ROCKS」(←タイトルです)の額装と、先ちゃんがイタリアのブランドに依頼されて描いたという赤ワインを頂戴するべく寿スタジオを久々に訪問。
 この赤ワインは画廊でしこたま飲ませていただいたのだが激美味で驚いた。パッケージも中身も一流品の認識。
 先ちゃん、わざわざ手提げのビニール袋をこさせてくださり、心では激しく感激。

 仕事部屋のレイアウトが大きく変更されていおり、ツメ作業の時に突然おっぱじめる先ちゃんの気分転換を思い出す。
 先ちゃんは整理整頓の天才でもある。

 近場のロックなバーで軽く一杯おつきあいくださった。
 ところが先ほど、吉田兄と飲んだ赤ワインが喉につかえており、2杯頼んでほとんど1杯分しか飲めない自分。
 正月、あまり飲む機会がなかったせいか、やや弱いコンディションの新春。
 とても心地よい音楽(BB&Aとか)を聴き、河岸を変え、先ちゃんと2011年初麺で〆。
 なんとしても今年は『まんがヤング』やりますよ!
 
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投稿者 yonezawa : 02:33 | トラックバック(0)

2010年 12月 28日

ツェッペリン繋がり

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 ツェッペリン繋がりな亀渕兄との2人忘年会は新宿の『ひろ喜』にて。

 あの信じられないライヴの証人になって早3年。
 それまでの間、氏とは何度かの酒席を共にさせていただく幸運に恵まれてきたが、師走も押し迫る大層なこの時期に彼のスケジュールが確保出来たことは本当にラッキーだった。

 席に着く前、氏の第一声は「ツェッペリンは(なかなかライヴを)やらないなぁ、おい!」。
 なんとも真っ当で粋で、同時に(僭越ながら)チャーミングな氏の発散する空気がたまらない。
 時間を最大限に有効利用しつつ、氏のご意見を徹底的に伺い尽くす時間。贅沢な夜だ。

 新丸ビル8Fでやってるというアートディレクター信藤三雄さんのDJパーティーに行きましょうということになり、地下鉄移動。
 亀渕さんの友人でもある信藤さんには初めてお会いしたが、このイベントには江口さんもお誘いしてたとのこと。
 「スナックみつお」と銘打ったイベントを後にして、亀渕兄との忘年会をお開きに。

投稿者 yonezawa : 03:28 | トラックバック(0)

2010年 12月 17日

『ソレイユ』 東京公演

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 とてつもなく優しいフィンガリングでフェイド・インしてきた「ヒア・カムズ・ザ・サン」の旋律にいきなり鳥肌がたった。音色もビジュアルも、本当に美しい…。

 昨年の今頃、同じ場所で聴いたあの感動と同じ感触が思い起こされ、常に「最新のライヴがベスト」と感じられるコンサートの幕が開いた。

 リリース記念コンサート『ソレイユ』 村治佳織:東京公演はニューアルバム『ソレイユ』収録曲を全て演奏するスペシャル・コンサートとして、恵比寿ガーデンホールで行われた。
 丁度昨年の今頃も同じ場所で佳織ちゃんのコンサート観戦のために、このホールを訪れていた。

 贅沢にもアルバムそのものの曲順で構成された演出は、暮れの最後にファンが大満足するライヴとなった印象。とても贅沢な演出となった。
 下町!(日本)が世界に誇るクラシック・ギタリスト:村治佳織の機微は今年も極まる。さすがだ。

 ゲストとして登場された沖仁さんとのコラボレーションも興味深い。あの優れたフラメンコ・ギタリストが一歩引いて演奏しているニュアンスも新鮮で、佳織ちゃんのギターの迫力が
がぜん引き立つ演奏となり、ホールに力強く響き渡っていた。
 「2人のコラボレーションはまた観てみたい」と、会場の多くの皆さんも感じられたことだろう。

 演奏クオリティに比例するように、愉快で品格溢れるMCのそつなさ。もはや村治佳織はなにもかも手に入れてしまった。
 後はそのトップ・スキルを何年継続するか、今後のテーマの一つはそこにもあるように思う。

 昨年は「初二日酔い」のエピソードに会場が温かい気持ちに包まれたような記憶。
 今年は師走に向かって12月半ば前より暮れまで基本的に延々飲む相手がすべて決まってしまっていると言う、忘年会アホ・スケジュール渦中の自分を省み、自業自得に汗。

 世界最高水準にある村治佳織のような素晴らしい演奏を目の当たりにする度、毎年毎年、襟を正さねばと、二日酔いを含めて反省の意識に苛まれる。

 走り続けるという凄さ。鍛錬は身を結ぶという説得力。
 それらをまるで当たり前のことのように、努力の姿を見せないまま、実にしなやかに演じきる技量。
 そしてそのスタイルは、どこを切っても「美」というキーワードに包まれている。
 ため息ものだ。圧巻の、かつ年間ベスト・ライヴ物件の証人となり、控え室へのご挨拶を経て即吉祥寺へ移動。
 佳織ちゃん、おつかれさま!

 音楽人Aとの嬉しき乾杯。輩とももう24、25年ぐらいのつきあいか…。感慨深し。

投稿者 yonezawa : 18:00 | トラックバック(0)

2010年 12月 11日

江口寿史×オザワミカ2人展『reply』

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 漫画家:江口寿史と、イラストレーター:オザワミカによる作品展「江口寿史×オザワミカ2人展『reply』パーティへRちゃんを連れだって参戦。
 誰よりも身近に先ちゃんの絵は見続けているハズなのに、額装されたイラストの1点1点のクオリティのすごさに心でうなった。
 一見無造作に描いたようで、見つめれば見つめるほどものすごく繊細。
 最終的に選び抜かれた墨線の放つ機微、気持ちを捉えて放さない身体のライン、リアリティーあってシンプル極まる女のコの表情に心撃たれる。
 対するオザワミカさんは、すべての先ちゃん作品を観て、それに答える「アンサー」のスタイルで全作品を描き下ろしされたそうだ。
 全体にまとまりを感じるハズだし、とても清潔感のある素晴らしい個展だ。

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 (じっくり説明はしましたが)意味も分からないまま連れてこられたRちゃんは終始緊張気味で、到着後30分もしたらスヤスヤ寝てしまった。
 
 パーティを終え、二次会への大移動が行われるタイミングでおいらはbambiリハへ。
 久々の2時間ウォーミングアップ。
 2月のライヴを目指し、今日はすべて新曲の音出しなのだが、筆舌に尽くしがたいゆとりを感じる。
 「リハの演奏が完成している」という意味ではなく、バンドが結成当時よりも、沖縄ライヴ時よりも熟成してきたというか、アンサンブルに安定感があった。
 もちろん初めてに近い曲のたかだか3、4回程度のリプレイである故、全員、それぞれのアレンジに宛て、最もベストのタイム感を探し当てるべく試行錯誤の時間となるのだが、力業の引き出しがどんどん増えていくような気がした。
 みなさん、お世辞ではなくステキです。

http://natalie.mu/comic/news/41479
http://natalie.mu/comic/news/41727

投稿者 yonezawa : 01:07 | トラックバック(0)

2010年 12月 10日

センスある見識と人間性

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 Fのセンスある見識と人間性に、確かに癒された。40歳過ぎの男に癒される日もあるのだ。
 真実の真相はどこにあるのか?

投稿者 yonezawa : 01:06 | トラックバック(0)

2010年 12月 9日

Baby Taylor

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 3年間机の中、キャビネットの中から一度も紐解くことのなかったブツは廃棄してよい! という定義はあながち間違っていないと思うものの、これまで「捨てられない病」が邪魔をして踏み切れなかった。が、昨今の諸事情を踏まえ「えいや!」と思い切る。

 実家のテレビ環境は我が家に先駆け、先に地デジ対応のブラビアを設置してもらった。工事を行ってくれたのは同級生のKK。
 なんの気なしにメールで注文し、わざわざ県外まで遠征して実家まで赴いて完璧に構築してくれた。
 
 小学館の『ビッグコミック・オリジナル』で、20年にわたって続けていた名コラム
『こだわりの店』が終了した。
 執筆される伊丹由宇さんの文体には、個人的にとても真似したくなるような魅力を感じており、彼のブログは初回から欠かさずに読んでいる。
 かつて、ポールマッカートニー特集記事作成の際、伊丹氏に原稿依頼をしたことがあったが、出来上がりの機微というか、的確さというか、文体が読み手を惹きつけるクオリティにうなったものだ。もう名人。
 どういった理由によってあの1Pの枠がなくなることになったのか、やや疑問を感じるところだが、この名コラムを受け継ぐ雑誌(媒体)が現れないものかと、個人的にも活字媒体の諸氏にプレゼンメールを送ったところ。

 夜、漫画家:TT69と久々のサシ飯。
 積もる話にうなずき、笑い、ある瞬間には涙目になり、時の許す限り労いを込めた。
 ノーゲストとなった寿司屋(及び地下のバー:シンクロニシティ)で大将(及びマスター)に許可を貰い、用意したBaby TaylorをおもむろにつまびくTT69。巧いものだ。
 明日を見つめながらも、長い旅の一つの節目となった色濃き夜更けとなった。

投稿者 yonezawa : 01:06 | トラックバック(0)

2010年 12月 7日

誕生日

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 昨日の水炊きはなかなかよい物件だった。
 昔、同店を訪れた際も確かに「ナイスな物件」だと感じたのだが、精算時、その高額さに驚き「こんな店、もう来るもんかい!」と心で叫んで疎遠でいた。

 時代も移り変わり、久々にちょっと覗いてみるかと飛び込んだら読みは正解。時代の波に併せてか、常識的な価格に変わっていて嬉しかった。正直、前の半額のイメージなんだもの。

 夜、映画会社Oちゃんと再会。Oちゃん同僚のSも加わり3人の親睦会。
 雨模様で肌寒い。
 日に日に変わる気温に対応しきれず、身にまとうジャケットのチョイスが下手なおいらは今日も震えた。Oちゃんの雰囲気と場のリズムが大好き。Sのゲイ疑惑は本日も解明ならず。お二方ともお疲れさまでした。
 地元へ引き上げ、帰宅直前のFさんに連絡がついたので、軽くご挨拶して帰途に。

 今日がホントの誕生日だったRちゃん&THE MODSのスーパーベーシスト:北里さん、世界的絵描き師:寺田克也さん、女優:藤谷文子ちゃん、美人バイオリニスト:宮本笑里ちゃん、誕生日おめでとうございます!

投稿者 yonezawa : 01:05 | トラックバック(0)

2010年 12月 3日

hh&khの忘年会

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 hh&khの忘年会の席へ。
 彼らと過去何度も連れ立って訪れた店かと勘違いしてたところ、今日の2人と来たのは初めてだったと聞き、率先して鍋奉行を買ってでる。

 30年以上昔の話を、昨日のことのように語り合えるおいらの身内の中でも最も古い輩2名。至極真っ当で、優秀なサラリーマンを貫く連中は、おいらにとって糧のような存在とも言える。
 中学時代、転校生同士だったkhとおいらが何故にここまで近しい関係になったのか。その心は、現在電機店を営むkkの存在によるものだ…という話をkhに改めて説明され、再認識した。
 hhと、今日は長期出張中で残念ながら不参加となったykにおいら。高校時代からのこの3人の取り合わせにしても、今考えれば考える程なんたる愉快なキャラクターの集まりであったのか…と感慨深い気持ちになってゆく。

 一切の気兼ねもしない編集スタッフも大勢いるが、物理的にどれほどの長き時間を共有してきたかを比較をすれば、彼らを凌ぐ面子はいなかろう。
 五合瓶の芋焼酎がゆったりと空いた。発売当初の「鬼火」はもっと焼き芋の薫りがしたものだったが、最近はまったく「焼き」の薫りがしない。

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 馴染みのバーではスコッチの“ロック”を彼らに習い、おいらもいただいた。
 もう10年近くは基本的に“ロック”なんていう飲み方をしていない。酔いのスピードが早いのは経済的ってのはあるが、本気で“ロック”で呑むとせっかくの大事な時間の記憶をほとんど失うと知っているので、それができないでいる。

 いつの間にか、足腰の立てない状態になってしまったhhをタクシーに担ぎ乗せ、運転手に彼の住所を番地まで伝えた。大丈夫だったのか。khもタクシーで見送り。
 単独になったおいらは、行かなくてもいいのに一人「一蘭」で〆のラーメン。物件が大変悲しかってものすごく残念。

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投稿者 yonezawa : 17:08 | トラックバック(0)

2010年 11月 9日

控えめ

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 I、引き続きTと飲んだ酒が少しだけ残っていた。
 夕方、O氏と待ち合わせ、新宿で近況を伺う。O氏との思い出は豊富だ。
 20年以上昔、イギリスはネヴァースでLED ZEPPELINやらマッカートニーやらピンク・フロイドを共に見たという事実は動かせない。
 控えめの飲みで、終電前の電車で地元方面へ。
 帰宅し、忙しない脱力させられる喧騒にげんなり。

投稿者 yonezawa : 11:59 | トラックバック(0)

2010年 11月 1日

レスポールのヴォリューム

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 Rちゃんの体調がなかなか完治に至らず、今日も幼稚園はお休みで病院へ。
 かかりつけの医者に行かせたところ、その病院では細かい検査ができないとのことで、電車で数分かかる別の病院(の先生も指定)を紹介してもらい、病院を梯子させた。
 寝付いた後の咳込みが数時間おきに見られる故、大事をとっての診察だったが、気管支炎はしっかり再発していた。
 
 昨日のインタビュー原稿を書き上げ、担当編集へと中継し、ふいに双方のタイミングがあったS社Kと飯へ。
 ここでしか聞けないレア情報を確認しながら、音楽談義に花が咲く。
 遠慮無くディランだジェイクだエアロだと話のできる貴重な同世代の仲間。映画「宇宙戦艦ヤマト」挿入曲のエンディングか何かにスティーヴィン・タイラーが、「アルマゲドン」的想像通りの楽曲を書き下ろしているそうだ。

 彼の携帯ストラップに下がっている、レスポールのヴォリュームを鎖で繫いだアクセサリーをジロジロ見つめていたおいら。その気持ちを察してくれたのか、いつの間にかKは「これあげるし!」と、取り外して贈呈してくださった。
 重量感のあるヴォリューム・ストラップを、ゴム製ストラトのストラップに加え、ぶら下げてみた。K、サンキュ!

投稿者 yonezawa : 15:40 | トラックバック(0)

2010年 10月 25日

バッド・カンパニー

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 鼻の通りがなかなか完治せずで、Rちゃん園を休んで今日も病院。
 段々冷え込む気候になってきた。

 入稿を言えた夕方、国際フォーラムAへ。バッド・カンパニーのライヴ観戦。
 
 以前、クイーンのライヴの際、ミート&グリートのため雑誌読者のおばさま方(多分同世代)を5名ほどバック・ステージへ招く_という企画をやったことがあった。
 引率者としては自ら率先してメンバーと接触することは御法度と考え、一スタッフに徹していたのだったが、帰り際にポール・ロジャースとブライアン・メイ&ロジャー・テイラーに一言だけ労いの言葉をかけることが叶った。
 同時に自分の音源と、気持ちを記したメッセージをお渡しした。

 その日から、およそ1ヶ月。
 帰国したポール・ロジャースから直筆の手紙が届けられた時には、腰が抜けるような思いがしたものだった。

 ステージ6列目で間近に見たバッド・カンパニーの勇姿。ポールがロックしている。
 往年のヒット曲を矢継ぎ早に演奏。
 安定したこの人のヴォーカル・スタイルは、フリーのファーストの頃から確立されており、彼は16歳の頃からこんな声でこんな歌い方をしていたことを、また改めて思い出す。達観ぶりがハンパではなかった。
 バッド・カンパニーはアメリカでも成功したイギリスのバンド。サポートを務めたいぶし銀のギターを弾いたのはミック・ラルフス(健康上の理由で手術が必要な為、米国ツアー後に予定されていた日本公演に急遽参加できなくなった。残念)ではなかったが、バンド・アンサンブルはさすがだ。
 フリーのレパートリーを極力抑え、バッド・カンパニーに徹した姿も結果としてクールに感じられた。
 ちなみにオープニング・アクトにはポールの息子の弾き語り。親の血を引く、素晴らしいスキルを秘めたヴォーカリストだった。

 ポール・ロジャース作詞曲による『Yoakeno Keiji』 (1970年代にTBS系列で放映された刑事ドラマ『夜明けの刑事』の挿入曲)のさわりを弾き語りで聴けた今日はラッキーだった。

 地鶏屋「車」でW社:Oちゃんらと乾杯し、Oちゃん作成のバッド・カンパニー紙ジャケCDをどかんと贈呈いただく。なんと素晴らしい仕事なのだ。Oちゃん今日も大感謝。忘年会は必ずやろうね!

投稿者 yonezawa : 21:07 | トラックバック(0)

2010年 10月 20日

太股が椅子

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 ほんの稀に咳きが出る程度のようだが今日も大事をとり、幼稚園を病欠のRちゃん。
 可愛そうだが金曜日の遠足は断念か!?
 やにわに9時に強引に起こされた。「おーきーてぇーー」と今日も絶対に二度寝を許さない臨戦態勢で登場。
 パソコンでやれるパズル等のゲームを要請されるまま数回やってご飯。
 父が家にいるわずかの間は、おいらの太股がRちゃんの椅子になる。
 真後ろを向いたまま膝にワサワサくっついてきて、モノも言わないまま「おったんの太股に乗せろ」という態度。これが無性に愛らしい。
 昨日は夕飯はとらず、深夜帰宅後に食べたのは納豆(のみ)とトマトの欠片とみかん2個だけだったが、起きがけにはあまり腹も減ってはいなかった。
 朝食と昼食を同時にとり、出張校正のため印刷所へ直行。
 
 昨日、急にパソコン・ソフトのエクセルが開かなくなった。
 PRAMやっても、シャットダウンして数分後の再起動でも、アプリケーションから新たに立ち上げても修復の兆しなし。
 いきなりたった一つのソフトが機動しないだけで、台割は開けないわ精算はできないわ入稿予定表は開けないはと、まさに重要な機能が停止してしまう。
 ここら辺に詳しいデザイナーに聞いてみても解決には至らず、逆に「つい先日、本体のメインPCがとびました…」という怖ろしい話を聞いた。
 100%パソコンに仕事を委ねることの怖さを思い知る。毎年何度も思い知る。が毎度学習することはなく、その呪縛からは逃れることは至難。

 専門業者に依頼し、15分ほどで復旧。基本的にはソフトをダウロードし直しアップデート。粗方そんなような作業だけだったが15000円の請求額。びっくり。
 
 夜、久々にフレッシュで勤勉な若者:Cと再会。つもる話は音楽と映画の話。
 自分の知らないナイスなロック・バンドやら書籍、映画の話を信頼を置く仲間から聞くと、その者の瞳の輝き度によって、対象の音源なり書籍なり映画等をその後調べることにしている。
 深谷のT宅で娘Yちゃんが「ONE OK ROCKが好きなんです!」という話を聴き、落ち着いた頃調べてみた。
 新し目の曲が特に好みで、なかなか魂がロックしており好感を抱いた。

投稿者 yonezawa : 00:36 | トラックバック(0)

2010年 10月 15日

きちんと覚えている

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 早朝帰宅した音でRちゃんがえらく早い時間にも関わらず起床した。初の運動会で少し興奮していたのか。

 「おったん、なにしてるの?」
 「おったん今から1時間だけ寝るから、後から一緒に運動会にいこうね!」
 「だめ〜〜ね〜ないでぇー」
 「ちゃんと起きるからほんの少しだけ寝かせて〜!」
 「だー〜めー〜よー〜」

 こうした攻防が20分近く続き、仮眠を断念。おいらアホの自業自得。
 先ほどまで一緒にいた輩らに「己がどういった状況に陥っているか」をメールで知らしめたくなり一斉送信。
 一眼レフカメラ、ハイビジョン・カメラ等を準備し、8時45分頃徒歩で幼稚園へ向かう。
 園にはすでに大勢の父兄、園児が集っており、ささやかなトラックが彩られていた。

 記念すべきRちゃん人生初の運動会開催。(何をやっている、父親)

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 トラックを囲んで父兄が居並ぶスペースの端に座り込み、おいらは一眼レフで遠目から特写。
 隣の方がRちゃんと同じクラスのお母さんだったようで、手作りパンフを見ながら「ここの競技までRちゃんも出ませんよ」と教えてくださった。
 その端から10分の仮眠に徹する。
 どう足掻いても、二日酔いのダメな親父像は誤魔化せなかったかもしれないが、あともう1度の機会を見つけた10分仮眠だけで全行程を乗り切る。
 保護者に関してはかけっこ等の出場枠も特になく、基本母親が参加のダンスやら玉入れがあったぐらいでホッとした。
 あってもきっぱり出られるものではないが。

 Rちゃんのいつくかの輝く笑顔をフレーム内に収め、すべての競技が滞りなく終わった後、昼下がりの住宅街をお手々繫いで帰途についた。
 総菜屋で弁当を買い、帰宅後食べ終え、仕事の準備をした後外へ…

 夜──
 映画『マリア様がみてる』公式本では、フランス語コピーの翻訳を手伝ってくださった知的友人Tさんと何年ぶりかの飯に。
 昨日の爛れたコンディションから完全復活できず、乾杯した薄めのアルコールは3杯に留める。
 Tさんは翻訳の仕事で過去に300冊以上の日本の本を本国に輸出しているそうだが、漫画への造詣深さは舌を巻くほど。
 今回もご教授くだっさった某国内コミックを知らされ、帰宅して慌てて注文しなければと思った。
 音楽に関しても基本70年代の音が好みというTさんと、バー:シンクロニシティのOちゃん共々、趣味があいそうで嬉しい。
 結果、酔わない酒の席では何の話をしてきたのか、きちんと覚えていることが自分で新鮮でもあった。

投稿者 yonezawa : 21:49 | トラックバック(0)

2010年 10月 14日

人ごと

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 久々にやらかした1日。20歳の飲みを46になる1月少々前にやってしまった。

 W社との親睦会も随分久々で、面子の一人、二枚目男子Zちゃんには(取材以外で)会わない間、「誕生日おめでとうメール」を3回は送ったぐらいのブランクだったと思う。

 改装中の雑居ビルB1で待ち合わせしたベネチア風居酒屋は意外な盛況ぶりで、料理のリズムにあわせて総勢5名のテンションは徐々に盛り上がる。

 酒体力を有した猛者の集まりか、一度だけ船をこいだ某氏はいた(致し方なし)ものの、何件梯子しようとも話もテンションも衰えない圧巻の面子に囲まれ、心がとてもとても有意義。
 「明日(すでに今日の早朝)の9時にはRちゃんの運動会が始まるなぁ〜」という思考は、午前5時のコンディションには、やや人ごととなっていた…

投稿者 yonezawa : 23:50 | トラックバック(0)

2010年 10月 8日

音痴

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 明日行くやもしれぬ、多摩市にある全天候型の屋内テーマパークまでの地図をプリント・アウト。
 方向音痴である故、仮に何度か行ったことのある場所でも一々地図で確認しなければストレートに到着させる自信がない。

 以前、ボクシングの試合を観に車で横浜まで行ったことがあった。
 もちろんインターからの行き方も克明に分かる地図を数枚プリント・アウトしていった。にもかかわらず、降りるインターを一つ先まで余計に行ってしまい、そこから勘だけで会場まで向かうこととなった。

 右も左も分からない。地名にしても、矢印の指し示す方向が近づいている目的地の方面なのかもまったく知らないまま、まったくの勘だけで車を走らせた。
 結果、さほど大回りでない感触で目的地界隈にスムーズに到着したあのケースは今でも考えるとゾッとする。
 よく試合(取材)に間に合ったものだという意味で。
 今やれと言われても無理だろうし自信もない。

 世間は明日から三連休。九州帰省の日程も白紙となった今、明日、サンリオピューロランドまでの遠征は俄然信憑性を帯びてきた。

投稿者 yonezawa : 18:21 | トラックバック(0)

2010年 10月 7日

太氣拳

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 ゆうべゴールデン街で出会った大きなおじさん(島田道男さん)の名刺には、『太氣至誠拳気功会師範』と書かれてあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/島田道男

 カウンターで隣り合わせた島田さんに、友人で大道塾の空手家:飯村師範代のことを伝えたところ、「もしかしたら、おれのこと知ってるかもよ」と言っておられたので、早速飯村にメールで伺ってみた。
 すると以下のような返信が届いた。
 「(島田道男さんとは)太氣拳の始祖、澤井健一先生に唯一、道場を出すことを許された達人じゃないですか!」
http://ja.wikipedia.org/wiki/澤井健一

 肩書きからして「飯村も知ってる方かも?」と思い、伺ったのだが、その世界では大変有名なお方だったと今頃知った。
 厳つい体格で豪放磊落な人柄。彼の迫力の源がそこにもあったのかと気づいた。
 強い男ほど優しさに満ちている。
 飯村師範代しかり、おいらの知りうる格闘家しかり、優しい心を持っている者こそが例外なく一番の強さを秘めている。
 次回、島田さんと飲む場所もきっと新宿ゴールデン街なんだろうが、飯村師範代も同行してもらうしかないな、こりゃ。

投稿者 yonezawa : 18:20 | トラックバック(0)

2010年 10月 6日

明日に続く…

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 YB事務所Nさんと久々の会食。場所はNさんの事務所近くで、俳優Iさんも御用達の寿司屋Yにて。
 まったく飲まないNさんお構いなしにおいらは芋を飲みながら、現在・過去・未来の会話で盛り上がる。
 もうNさんとのお付き合いも10年ではきかない長い時間が経過した。
 彼と最も盛り上がるのは、昔から本の話と彼の趣味であるカメラ及び写真の話。
 書店を経由し、次回の再会を約束して久々に小田急線に乗った。
 YBさんやらNさんと初めてお会いした時代はこの沿線に住んでいたなぁ〜と、懐かしさに耽る。
 新宿でSと再会を果たし、ゴールデン街では実に嬉しき出会いに喜んだ。
 客として隣に座った、一見かなり強面なおじさんの笑顔が(失礼ながら!)妙に可愛らしく、様々な話で主人:ゆうじさんらも含めて盛り上がる。
 その強面おじさんと名刺交換を果たした瞬間も、勉強不足なおいらはその時、そのお方がどなたなのか、翌日になるまで気づかないのであった…明日に続く…

投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2010年 09月 22日

極上の夕餉

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 仕事を早めに切り上げ、三鷹駅に車で向かう。
 待ち合わせの時間丁度に到着したおふくろと姉を招き入れ、夕飯を我が家で。
 野菜をふんだんに敷き詰め、豚バラをまぶして蒸しただけでホクホクのヘルシー料理が完成し、ポン酢でいただいた。美味しい。
 鰹の刺身に数点付け足し料理も美味い。
 奮発して購入していた(ディスカウント価格でも3万円以上する)赤ワインを思い切ってこの機会に開けた。
 おいらにすれば極上の夕餉とメンバーだ。
 

投稿者 yonezawa : 23:50 | トラックバック(0)

2010年 09月 21日

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 “カンヌ国際映画祭を熱狂させた奇跡のドキュメンタリー!”というコピーで只今絶賛上映中の映画『ベンダ・ビリリ! もう一つのキンシャサの奇跡』は、雑誌「ぴあ」調査による9月10日、11日公開の映画満足度ランキングでトップに輝いたそう。

 路上で生活する、コンゴはキンシャサのストリート・ミュージシャンを追ったドキュメンタリー。
 手作り楽器で誰にも真似できない音楽を演奏する車椅子4人と松葉杖2人を含むバンドが「スタッフ・ベンダ・ビリリ」。

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 今日はそのバンマス:リッキーと、ドラマー:モンタナ2人の単独インタビューを敢行。
 リッキーの車椅子をモンタナが押しながら、2人はユニセフ内のインタビュールームへとやってきた。

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 映画に描かれるまま、何の気負いもないバンドマンの2人。楽観的な国民性と伺っていた通り、現場はとてもフレンドリーな空間に包まれた。
 世界ツアーも経験した彼らは、路上生活者であった1年前と比べ、生活も180度変わったそうで、なんと今ではバンドメンバー1人ずつ家を建てたそうだ。
 モンタナは「人生はバラ色だ」と語った。
 
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 メンバーの中に「サトンゲ」という自家製の楽器を奏でるロジェという少年がおり、実際に会ったら映画の中より随分成長していた。
 ロジェ、雰囲気カッコイイ。ある意味イケメンな兄ちゃん。
 彼らへの興味と共に、空き缶と木の枝だけで作った1弦楽器「サトンゲ」においらは惹かれていた。
 インタビュー後、全メンバーと対面し、野外の駐車場スペースで写真撮影。
 インターバルの際、ロジェからその「サトンゲ」を貸してもらったが、お手製感バリバリのなんとも言えない形状の楽器が不思議で面白い。シールドを通すアダプターもあったので、ライヴ用にピックアップも取り付けているのだろうか。
 例えば拾ったバイクを改造して自ら車椅子までも廃物利用で作成してしまう彼らは、もはや発明家だ。
 この「サトンゲ」、既製品として販売しないのか。ギター・メーカーは。そろそろ。
http://bendabilili.jp/

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2010年 09月 17日

再校正出校

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 映画公式本のプロモーション記事6Pの再校正出校。
 出校の時間21時過ぎに原稿を確認し、編集Uと飯の店に到着したのは22時。
 あまりおいらにはゆかりのない土地で初めての店にご案内いただいた。
 「和」なその居酒屋は一品料理がほどほどの量で、清潔感のある店内の雰囲気も申し分ない健全な物件。
 「精算」の合図と共に温かいお茶が出てくるのだが、そのつまには梅干し。
 帰り間際の、他客のことを見て知っていたのでその梅干しのことを認識していた我々は、まだ焼酎を飲んでいる最中、先にその梅干しをお願い。そんな客はきっと我々だけだったことだろう。
 本当に食事だけで帰宅。それでも電車の時間はすでに終わっていた。

投稿者 yonezawa : 23:48 | トラックバック(0)

2010年 09月 15日

突然の大雨

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 ここのところ、とても精力的に自分のやりたいことをどんどん前進させ、様々な試みをしている表現者:Mと、久々の再会を果たす。
 延ばし延ばしでやっと予定のすり合わせが叶った。
 食事会には、新聞などで取材記事を書いたり、漫画原作もこなすライターSさんも急遽ゲスト参加。
 まだ作品になっていないプリントアウトした原稿と、数冊の著作本を頂いた。
 Mはほんの数日前にSさんからのインタビュー取材を受けたとかだが、すでに意気投合し、古い友人同士のよう。美味しい食材と酒が一気に3人の距離を縮める。
 入稿原稿の、編集部の確認待ちでいたが、深夜印刷所と話し合い、結局明日の午後一入稿を確認。
 2軒目のバーから外に出れば突然の大雨。明け方にかけて降り注ぐ久々の雨は滝状態の場所も。
 帰途途中に経由した松濤界隈も降り方ハンパじゃなかった。

投稿者 yonezawa : 18:31 | トラックバック(0)

2010年 09月 11日

武蔵野中央公園

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 明らかに寝不足を承知で10時には起床し、シャワーを浴びてTシャツと半ズボンはいて待機。
 買い物帰りのRちゃんを引き連れ、自転車2台のタイヤの空気を(汗だく)で補充し、自転車で5〜6分程度の武蔵野中央公園へ。

 バーベキューがこうした公園でやれることは具体的にはこれまで知らなかった。誘われなかったらなかなか来ることもないだろう。
 大道塾吉祥寺師範代:飯村選手のご家族にお誘いいただき、大人から子供まで総勢30〜40名で大バーベキュー呑み会。
 集った道場生、ジュニア部門に所属するお子さんを持つご両親、友人関係が集い賑わった。
 師匠である飯村選手の仲間に嫌な人間は皆無で、彼らの人間性の素晴らしさを感じ受ける嬉しい機会となった。
 ムエタイ、キック、空手のトップ選手もゴロゴロいる席ながら、そうした心技共に実力のある選手に限って優しい瞳をしており、物腰もとても優しい。
 優しさこそが強さであることを改めて認識させてくれる面々ばかり。

 たまにRちゃんのシャボン玉やら、公園器具での遊びに付き合い、汗も相当かいたせいか、缶ビール、缶酎ハイがゴンゴン吸収されてゆく。肉も焼いていただくばかりで恐縮ながら、ご厚意に甘えさせていただいた。
 「吉祥寺いせや」から購入したという焼き肉のネタが特にナイス物件で、その関係者がこのチームにいるということがラッキー。
 
 夕方16時30分までに火を消さねばならず、気がつけばもう3時間も呑んで語っていたのかと、時間の早さに驚く。基本的に一仕事終わると家に帰りたがるRちゃんに促されるまま、一旦おいらは彼女を自転車に乗せて帰宅。

 自宅で少し涼んでから二次会の居酒屋へ移動し、合流。
 結局13時30分から始まった「呑み」は、通算23時頃まで続いた計算となった。ナイスガイ具合にもほどがある若き格闘技トップ選手との集いは今日も幸運だ。試合、観に行こう。

 帰り際、無意識に札幌ラーメン屋へ飛び込み、つけ麺をすすったのがおいらだけなのは言わずもがなか。

投稿者 yonezawa : 19:03 | トラックバック(0)

2010年 08月 29日

ジェイク・シマブクロ

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 このブログでも何度となく讃えたことだろう。
 渋谷オーチャードホールで行われる、恒例のジェイク・シマブクロ公演は年間を通じて最も楽しみな一日だ。
 いよいよ今年もその季節がやってきた。

 新作では、クイーンのボヘミアンラプソディのカヴァーもやっていたが、ジェイクなら当たり前に優れたアレンジだし、当たり前に優れた演奏だと認識し、特に深く受け止めるニュースでもない気がしていた。

 コンサートはアルバムの曲を中心に構成。問題の『ボヘミアンラプソディ』はコンサート中盤に奏でられた。

 イントロが始まった瞬間、CDのそれとは比較にならない破格の響きだと知覚。

 すごかった。

 とんでもない宇宙規模の音色がホール全体にこだまする。
 クイーンという比較対象のない凄まじきバンドが残した、この世でたった1つの旋律とアンサンブル。その極まる楽曲の機微を、ジェイクはウクレレ1本だけであますところなく再現し、そして独自の彩りを加えた。
 ほとんどの観衆が心で泣いていた。

 CDなどでは到底表現しきれない、2オクターブの4弦だけによる世界観がたまらない。
 世界トップ水準の演奏はここにあった。

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 ジェイクの音楽は、ライヴを見なきゃその真髄はわからない。
 ジェイクの身内中の身内Kの意見も言い得て妙だ。「ディラン同様、レコード(CD)はその時の記録でしかないってことでしょう」
 彼も、ジェイクのライヴ感をCDに収めるのは無理かもしれないと知っている。
 
 音楽家としてのあの表現力、演奏スキルに至っては、もうあれ以上のパフォーマンスを想像出来ない。
 つまり音楽家として機微は(もっと前からだが)頂点を極めた印象だ。
 後は、あのトップ・スキルを何十年継続するか、テーマの一つはそこにあるような気がしている。
 まだジェイクのライヴを知らぬ者は、おいらがライナーノーツを担った最新ライヴ盤を購入し、国内ツアー中のいずれかの公演を観るべきだ。

 加えてジェイクは人として最も重要な優しさ、配慮を兼ね備えている。
 今回、婚約の朗報は個人的にもとても嬉しいニュースだった。
 フィアンセに送ったという新譜#1収録の『kelly's song』は確かにアルバム中、最も優しさに満ち溢れている。
 ジェイクの音楽に触れられること、ジェイクと同じ時代を生きることすべてに感謝。

 ツアー・ファイナルとなる宮崎県はおいらの故郷であり、現在母親在中の町だ。
 ジェイクが「口蹄疫の影響を受ける本県に思いを寄せ…」という内容で綴った「全国ツアーで本県応援」という見出し記事の切り抜きを母が写メールで送ってきてくれたのだが、今日のMCではその件が語られた。

 当面、ジェイク&2人のKさんらと、また食卓を囲める日を妄想している。その日が実現したなら、もしかしてジェイクはまた目の前でバッハのレパートリーを生演奏してくれるかもしれない。
 暑い夏の全国ツアー、ジェイク&スタッフの皆様方、どうぞご自愛くださいませ。

投稿者 yonezawa : 04:01 | トラックバック(0)

2010年 08月 27日

彼のスタンス

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 音楽人Aとの付き合いも、もう20年では済まない程の時間が経過していた。
 Aが18歳の時、おいらが21歳。この時から今日までAとの距離感は変わっていない。
 昨年から仕事場が代わり、都心のど真ん中に通勤を果たす彼から「来月には一杯行きましょう!」というメールを貰ったのが昨年12月だった。
 どうにもこうにも予定を合わせることがままならず、特に解っているヤツだという認識も手伝い、延び延びの極みになっていたが、「このままズルズルではイカン!」と思い立ち、今日の日を強引に決定し、Aの賛同を得、乾杯の席を設けることが叶った。
 間違いなくエリートサラリーマンの王道を行く彼のスタンスは、音楽活動を続けることに理想的な環境だと言えた。
 連れて行きたかった寿司Hで乾杯し、馴染みのバーでハイボールを頂く。
 歌舞伎町を散策した際、つい先日、ゴールデン街に店を出したというOさんの話を思い出し、路地を探検。看板の消えた店を見事に見つけ当てた。
 閉店後に数杯の(氷がなく)ぬるい焼酎水割りを頂き、懐かしい話に花が咲く。Oさんはおいらが22歳くらいの頃、バイトしていた出版社で当時編集長として活躍されておられた大先輩。
 「Oさんが店を出したそうですよ」と教えてくれたのは後輩編集のKで、KはOさんとは面識がなかったが、Kは知り合いの方にたまたまその店に引き連れられた際、Kの知り合いの漫画家:とがしやすたか氏と遭遇。
 流れ上、その場でおいらの話も出たということもあり、即時おいらまでその情報が伝わってきたのだった。ややこしいけど。
 ともあれ、とんでもない驚きの夜更けとなった。

投稿者 yonezawa : 12:18 | トラックバック(0)

2010年 08月 20日

フェンダー

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 世界的な大手ギターブランド・フェンダーのMちゃんが勇退されたとの知らせを受け、加えて近々東京を離れることを知り、労いの会を急遽設けた。

 Mちゃんとは、ジェフ・ベックだスティーヴィー・サラスだSUM41だ波瑠ちゃん(他)だと、これまで様々な仕事を共にしてきた。
 レコード会社からの要請で、ギター本体もスペシャル・ディールのもと提供くださったし、記事の構築、対応にはとにかく機敏で、彼との仕事はとてもスムーズだったことしか思い出さない。
 ギターの構造は勿論、弾き手の心も敏感に察知出来る機微を持つMちゃんがフェンダーから去ることは、業界にとっても大きな損失だと感じている。
 引き継ぎをされるNちゃんに今後は望みを託しつつ、新天地での彼の健闘を祈りたい。

 彼らを見送り、音楽人Tと待ち合わせた。
 彼はできたてホヤホヤのロリー・ギャラガーのBBCライヴ音源を持ってきてくれた。即、おいらの心は16歳に戻った。

投稿者 yonezawa : 21:34 | トラックバック(0)

2010年 08月 14日

新人俳優

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 2日前にもらったメールで、急遽若き新人俳優:Uくんとサシ飯へ行くことに。
 彼を想定したこともあり、なんとなく「肉」であろうと、焼き肉:長春館で待ち合わせたのだがったが満席。予約しなくとも盆だから大丈夫だろう…とタカをくくっていたら、休日の家族連れが押し寄せていた模様。
 ならばと、もう1軒想定もしていた居酒屋:池林房へ。こちらは貸し切り状態で快適環境。

 映画の撮影現場で出会った経緯で今回の席に繋がったのだが、Uくんが若くして芝居の勉強を真面目に積み重ねていることを理解した。古い映画も古い舞台も年齢に見合わない程、よく知っている。それにしても顔も小さく身体の細いUくんながら、さすが年齢だけあって食べる食べる。気持ちよい。未成年である彼は終始ノンアルコールのドリンク類を交代で注文。
 正味4時間強。演技に関して、映画に関して、小説に関して…そして自身の立ち位置、今後のビジョンっと、思わず時間をも忘れるようなテンションで語り合った。
 Uくんの出演する舞台の公演は今月より2本連続で上映されることになっており、秋には主要キャストで出演している映画も公開。
 Uくんとの再会は、毎度毎度楽しいものになりそうだ。

投稿者 yonezawa : 16:38 | トラックバック(0)

2010年 08月 11日

修羅場はこれから

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 水疱瘡の予防接種を受ける前に、Rちゃん発症。
 時折かかってしまう風邪なり、他の幼児用感染症発症のせいで予防接種するタイミングを伸ばさざるをえない時期が続き、夏の内にやらせとこうと思っていた矢先の出来事だった。
 最寄りの病院が連休に入ると聞き、昼下がり近所の小児科で再検診。

 しかし、疲労困憊となるコンディションでなくホッとした。軽い症状ですでに水疱瘡の免疫も手に入れられ、主治医に終息の日も明言してもらい安堵。
 眠気と、若干の食欲不振、寝起きの際の機嫌の悪さは水疱瘡の辛さによるものだと認識。それでもRちゃんは、日中元気に陽気に振る舞う。

 日がな一日パソコンへ張り付き、順次到着するアナログ原稿を順番にテキスト書類におこしながら作業を推し進めた。
 まだまだ最重要な取材も残されている。締切も間近。事務所チェックはこれから。
 そう、修羅場はこれからだ。

 Rちゃんの日本脳炎予防接種のタイミングは夏の終わりが目標。

投稿者 yonezawa : 14:33 | トラックバック(0)

2010年 08月 8日

間一髪

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 午前7時にはしっかり目覚め、夕べお世話になった大勢の皆様にご挨拶を済ませ、小雨の中帰途に。
 突如「でちゃうー」と緊急事態の様相であるRちゃんのコンディションを知らせを受け、必死でインターチェンジを探した。もはやギリギリの状態だという言い回し。ようやくインターをみつけ、ともかく停車。「おたんといくー!」と決意しているRちゃんを抱きかかえ、入口付近でギャグを一発かますほどの余裕も見せたRちゃん、間一髪でセーフ。
 ついでに朝食もいただき、Rちゃんは牛のおじさんにオモチャを買って貰い帰途につく。

投稿者 yonezawa : 11:18 | トラックバック(0)

2010年 08月 7日

川でバーベキュー

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 ここのところの生活のリズムからなのか、おいらにすれば午前の早い時間に目覚める日が多い。
 夜中、布団の上を自由に回転するRちゃんが平行にピッタリと寄り添ってきた。
 彼女は改めて寝息をたて始める。こちらも寝付きそうになったと思えば、Rちゃんの裏拳、時間をおいて左足のかかと落とし…という具合に、おいらの顔やら腹部に対してソレらが飛んでくる。
 午前の早起きは、あながちそうした自然災害によるものなのかもしれない。
 
 10時30分に買い出しのため外へ。
 そのまま友人の格闘家I一家らが先乗りしている秩父の山奥へ移動。車でおよそ40分程度で到着の場所だった。
 そちらへおじゃまし、古民家でバーベキューをやるといった趣旨でこの地へやってきた。
 I家の可愛らしいチビちゃん2人はRちゃんとの再会を歓んでくれ、勿論2人のおねえちゃんに会うことを、とても楽しみにしていたRちゃんも大喜び。
 チビちゃん2人はもう1人のお友達と3人ですでに川遊び中。
 なんと水が綺麗なんだろう。そこそこ冷たいけど泳げる程度で丁度よい。

 昼食用に買い込んだ、人数分のおにぎりやらカツサンドやら飲料水、酒、ビールを大量に川っぺりに運び込み、日のある夕方までとにかくダベり遊んだ。

 Iのお弟子さんらプロ格闘家の面々も集合。彼らは正真正銘の有名トップ・ファイターばかり。
 川っぺりで子供達は川遊びに夢中になり、大人達はビールを飲みながら成り行きの会話で盛り上がる。
 
 日が暮れる前にバーベキューの準備をしましょうや。ということになり、数台の囲炉裏を庭へ並べ、飲みの続き。
 宴にはIの愛娘の彼氏も登場し、益々賑やかな場となった。
 酔いが回った頃、古民家の2階にあった民族楽器から、ありとあらゆるバンド演奏可能な機材を拝借し、セッションタイム。ここに来たのはこの楽器を見ることも楽しみの一つだった。

 おいらが時最も間を費やしたのがドラムス。
 近隣の迷惑も考え、菜箸で叩いた軽い感触はいまいちだったが、こんな面子でこんな環境で鳴らす…という機会はそうそうなかろう。
 そしてRちゃんのドラムス・デビュー。ドラム・セットに対して、なんて小さいんだRちゃん。闇雲に感激。

 やがて演奏中にも関わらずやたらと絡み出し、なんでもかんでも「おったんといっしょにいくー!」と聞かなくなったRちゃんの眠気の限界を確認し、明日早朝からの運転もあった故、一人抜けだし、別家屋の3Fをお借りして早めの就寝についた。

 こうした贅沢を得るためには、秩父辺りぐらいまではやってこなきゃいかんのだなぁと、ぬるい風の届く扇風機を見つめながら考えていた。

投稿者 yonezawa : 19:28 | トラックバック(0)

見続けてゆきたい

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 朝6時までには外出の準備を整えたかったのだが、起きた時間が6時。
 結局外出出来たのは7時30分を回った頃だ。

 先週に引き続き、最寄りの関越インターを目指し加速。
 いきなり帰省ラッシュ組の渋滞に道中の2/3程度は巻き込まれながら、2時間以上かかって目的の花園インター脱出。
 未だカーナビの生活未体験なおいらは、いつものようにプリントアウトしたYahoo!の地図を頼りに、記された国道を右へ左へと移動。
 難なく目的地のI宅へ到着。地図はとても正確だった。

 I家の家族全員とはなんと9年ぶりの再会となり、著しい成長を見せた高校生のお兄ちゃん、すでに仕事に就いていると伺って驚かされたお姉ちゃんの姿に驚き感激した。
 前回訪問の際には河原でバーベキューだった。写真があるからこそ余計鮮明に覚えている。懐かしい思い出だ。
 新築の大きな家屋に荷物を置かせていただき、一休みした後、1時間少々かけて大人とRちゃんで伊香保方面へ出かけた。
 まずは榛名湖へ。快晴の中、みんなでモーター・ボートへ乗車。
 わずかの時間だったが、体感速度のひんやり感は抜群。おいらはゆっくり景色を眺めることもなく、ひたすらハイビジョン・カメラのモニターと睨めっこ。満面の笑みを浮かべるRちゃんの記録に忙しい。
 ここのところ、どこの美しい景色に包まれていようとも周りを見渡すことはなく、優先順位はまずカメラのモニターであるおいら。
 
 モーター・ボート以外にも足こぎ用のスワンやら、様々な色味のアナログ・ボートが並べてある。視力抜群のRちゃんが、案の定「あっちのピンクにのりたい!」とモーター・ボートから降りたとたんに言い出した。
 「今乗ったばかりだから、もう終わり」と言うフレーズが頭を過ぎり、早足で売店方面に向かった。
「アイスでも食べる?」とRちゃんに伺いをたてたその時、Iと同行者Kの余計な一言が被って聞こえた
 「Rちゃん、あのボート、かわいいよねぇ! お父さんと乗りたいよねぇ〜。乗ったら多分気持ちいいよねぇ〜」的意味合いの爆弾発言をかます悪魔の同級生2人。
 Rちゃんの気持ちは完全にそっちの方へ向けられた。
「おまえ、父親として、Rちゃんの気持ちに答えてやらんのか」と促され、炎天下の中、足こぎボートへの試練に追いやられる羽目に。

 「のりたいよー! いこうよーおったん!」
 「はいわかりました。乗ろう…乗ろうか。どれがいい?」
 「ピンクー!」

 かくして30分の汗だくな時間をたっぷりと過ごす羽目に。
 
 陸に上がり記念写真を撮って、色んな動物のいる伊香保グリーン牧場へ移動。
 入園料が大人1名1800円とやや高めなところが気になったが、牛やら羊を間近に見られる場所なのでやむなし。
 園の奥で催ししていた見学無料のアトラクション:シープドッグショウを観戦。
 羊の毛を刈り、その流れを英語と日本語の解説で観客に説明していた。

 最後には「動物とのふれあい」の時間も設けられた。「羊さんに自由に触っていいですよ」とアナウンスされたとたん、Rちゃんは柵の中に駆け込み、羊さんを追いかけはじめた。
 奈良のシカ相手同様、そこには躊躇とか物怖じとか遠慮という言葉などない。
 目に入った羊さんに端から接触を試みるRちゃん。その笑顔の眩しかったこと。

 水道で靴底を洗い、「ここの物件なら特別に美味いはずだろう」と確信した末、みんなでソフトクリームを食した。さすが牧場、確かに濃厚で美味かった。
 
 ボチボチ丁度よい頃合いの午後の時間となり、夕飯の買い出しを経由してI宅へ帰宅。
 即、クリームパスタをメインにサラダ諸々を最速のスピードでこしらえ、食卓を賑わせた。
 芋焼酎を飲みながら、2つの家族にKが加わり、深夜2時までの晩酌タイム。爆笑の嵐。

 この貴重な晩酌だけは生ある限り続けてゆきたいものだ。

投稿者 yonezawa : 11:29 | トラックバック(0)

2010年 08月 4日

昇進祝い

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 しかし暑い日々が続くものだ。
 突き刺すような紫外線。不快指数100%。各方面に送るメールの枕がこんなフレーズになりがちだ。東京はなんて暑いのだ。

 編集Sの昇進祝いの席を、昇進後1月近く経過してようやく実現出来た。
 もう後輩筋の編集者が編集長になるという時間が経過しているのだなぁ…と感慨深い気持ちになる。Sの編集長昇進は個人的にも、とても嬉しい。
 巧く行く仕事とそうでない仕事、業務の歴史の中では様々な障害はあるものの、今日の呑みで、ともかく自分の持ち場の仕事を真摯にこなす。その単純かつ重要な意識をまた再確認させられた席ともなった。
 編集S&Aとの酒席、理屈抜きに最高。
 バーへと河岸を変えた今夜の宴もどえらく印象深き一時也。2人今日も感謝。

投稿者 yonezawa : 16:38 | トラックバック(0)

2010年 08月 2日

インタビュー

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 際立って筋肉痛になっていないのはどういうことなんだろう。
 慣れない雨靴で出来た擦り傷(踝から6cm上の辺り)を触らないように風呂に入り、午前8時から取材準備。
 焼き魚と、北九州から届いた海苔に梅干し、トマト、海草味噌汁の朝食が美味い。
 
 午前中には編集部に到着し、取材準備を終えて会議室へ。
 約束通り、映画『マリア様がみてる』の寺内康太郎監督が来社。
 地方でおよそ2週間程度のロケを行い粛々と進行された現場だったが、とても温厚な彼の演出は印象的だった。
 スケジュールの都合で一部のロケには参加出来なかったものの、松本、土浦、上田のロケには密着し、最終地となった上田の薔薇園まで映画全体の7、8割以上の現場には密着出来た計算だ。 
 正味1時間程度の特写&インタビューを行い、監督の思う本編作品への思い、現在の映画界への思いを語っていただいた。つつがなく取材を終え、次回の呑みの約束を交わす。

 そして監督はそのまま次回作の撮影現場へと向かわれた。
 編集部で、本誌入稿とコミックスの入稿作業に追われ、隙間の時間を利用し、先ほど行ったインタビュー原稿の構築に早速着手。
 6月18日発売となるYJC「スカイハイⅣ(FOUR)」の青焼きを切って貼り込む単純作業が深夜2時近くまでかかってしまった。

投稿者 yonezawa : 02:33 | トラックバック(0)

2010年 07月 26日

デリケート

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 起きがけのポーク・カレーにキャベツの千切りをこさえ、さくさく食す。
 やはりカレーはポークの頻度多し。
 Rちゃんはまだお子様カレーも食べてくれない。一口お口に入れて「違う!」と感じたらもう食べない。とてもデリケート。

 製氷器部分に霜がこびり付いていた。比較的新品の冷蔵庫にも関わらず、夏場に毎回霜がつくことが気になっている。引き出した折凍り付いており、出し入れに難あり。

 家で冷房を付けないまま、パソコン業務を行っていると徐々に汗がしたたり落ちてきた。外出30分前にシャワー。
 さっぱり気分で外へ。
 蒸し風呂のような気候だったのに、小雨がパラついた。

 入稿後の遅い夜、約束していたジャーナリストTさんと編集者Tさんと久々3人会食。
 ジャーナリストTさんは大変お酒のお強い方で、前回呑みの印象では「こちらがもたないかも…」とその酒豪ぶりに驚いた記憶があったが、今日はほんのり酔いの雰囲気を身にまとった感じでよいテンション。
 室内に入ったら、とても新宿とは思えないバーを編集Tさんにご教示いただき、軽く1杯。
 ジェフ・ベックが大好きで、ヘミングウエイが好んでいたという「モヒート」が、心底好きで飲める体質には、まだなれそうにない。

投稿者 yonezawa : 19:57 | トラックバック(0)

2010年 07月 23日

2ショット写真

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 沖縄滞在中、折を見て写真を撮ってくれたおふくろからの写メールが届いた。
 海岸で浮き輪をしたRちゃんとおいらの2ショット写真を見ていると、おいらがRちゃんぐらいの頃の、古き良き米澤家の団欒を思い出し感慨深い気持ちになっていた。

 あの時代の屈強な親父と、凛とした母が、いかにきちんとした家庭を築いていたかを痛感する思がしていた。
 紛れもなくおれら姉弟は幸せだった。
 その後の姉弟各々の人生は、おいらも含めて情けないところもあるけれど、両親のもとに生まれて最高だという自負を今日も認識させられた。

 今から遡る42年前以上昔、おいらを海岸で撮った、わずかばかりの尺の8ミリ映像は貴重な思い出だ。親父がおいらを海岸沿いで遊ばせている映像と、Rちゃんと自分の画像が見事にダブるのだった。
 父も母も、やっぱりスゴかった。
 生きることに、育てることに、喜びのために、誰よりも純粋だったから。
 Rちゃんが大きくなったら、米澤家の祖父母がいかに温かく偉大であったのかを、ゆっくりと教えてあげなきゃならん。

 「おったんがいちばんすき!」「おったんとけっこんする!」
 これらの言葉を今の時期だけ真に受け、この宇宙で最も大切な時間を心に刻んでおこう。

 沖縄で、ことあるごとにRちゃんが耳打ちしていたのが、「おったんがいちばんすき」の言葉だったことを深夜に思い浮かべ、一人にやけた。

投稿者 yonezawa : 17:26 | トラックバック(0)

2010年 07月 15日

手紙〜親愛なる子供たちへ〜

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「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」

作詞:不詳 日本語詞:角智織・補作詞:樋口了一 作曲:樋口了一
(元々はポルトガル語で書かれた差出人不明の一通のメール)

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても どうか そのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を 濡(ぬ)らしてしまったりお風呂に入るのをいやがるときには 思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えをさせたり 様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
   
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっと それだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

私の子供たちへ 

愛する子供たちへ
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html

投稿者 yonezawa : 01:43 | トラックバック(0)

2010年 07月 12日

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 《39年回》とは、おいら、そして名物編集者:いっちゃん、&フォトグラファー:尾形の3人を指す集合体のことで、全員昭和39年生まれ。
 そんな同い年のベスト面子で久々に酒を飲み交わすことに。

 今日は、日本のトップギタリスト:Cさんの極秘撮影現場潜入に誘われていたのだったが、会食の約束の方が先だったので当たり前に見送った。
 撮影に立ち会えなかったことは残念だったが、親しい仲間なだけに今日の約束の延期は考えられなかった。

 同じ時期に同じ編集部で、それこそ同じ釜の飯を喰った連中だ。
 いつも同じ距離で、それぞれがそれぞれとの酒の席をいつもいつも心待ちにしている。少なくともおいらはいつもそう。
 しかしそれほど頻繁に会うわけではない。それぞれの多忙さも知っているから。しかし会えばその距離はいつも変わらない。
 こんな距離感を感じる仲間は他の編集部にはいない。
 同い年の大将の握る寿司を頂きながら、ほろほろと酔いが回る様の心地よさといったらなかった。
 情けない話も、ここだけの話も、シビアな話も、笑い話も、会話の垣根がすべて取り払われ、酔ってきたおいらの思考は「果たしておいらが、連中のためにやれることは何だろうか?」といった意味合いのものへと傾いてゆく。
 20年以上の付き合いを超えたきゃつら、もはやある種の幼なじみのようなものだ。いやー実に楽しい。

投稿者 yonezawa : 02:09 | トラックバック(0)

2010年 07月 5日

Oさん

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 ヤンジャン編集部に所属して早22年目となった今年。
 内勤の外部スタッフとして最初に携わった雑誌は、今は無き月刊ベアーズクラブ。
 最初の社員旅行で隣の隣に座っておられたのは、すぐ隣の編集部に在籍されておられた先輩編集者のOさんだった。
 そのOさんより、僭越ながらビールをお酌していただき、そこで交わした会話がOさんとの初めての出会いのようなものだった。

 やがてOさんも同じ月刊誌に所属することになり、沢山の仕事を共にさせていただいた。
 編集者としての機微を勉強する、極めて貴重な機会をたくさん得た。
 Oさんは知り合った当初から我が両親にも年賀状をお送りくださった。

 大学生の男性読者5名を引率し、訪れたロンドンのネヴァースは初めての海外取材だったが、そちらは信頼を寄せるOさんと一緒だった。
 野外フェスでピンク・フロイドとマッカートニー、そしてレッド・ツェッペリンを観戦しながら、Oさんと半日以上野外で過ごした彼の日は、忘れられないよき思い出となっている。

 やがて編集者から編集総務セクションへ移動され、常勤するビルも変わってしまってから食事をする機会はずいぶんと減ってしまったが、お会いすればブランクの時間など瞬時に吹き飛び、いつものおちゃめなOさんとの距離がとたんに埋まり尽くす。

 そんなOさんが今週9日(金)を持って勇退、定年退職されることになった。
 おいらにしても、なんと長い時間が経ってしまったのかと感慨深い気持ちになっていた。
 36年以上の長きに渡り、大出版社に勤務され、青年誌の黄金時代を歩んでこられたOさんの魅力は筆舌に尽くしがたいほど。
 何があっても温厚なOさんの人間性は驚嘆ものだ。自分など生涯到達出来なかろう、人としての大いなる器を感じさせるてくれる最たる先輩の一人がOさんだった。

 送別会が行われた高級中華屋での、古くからの仲間によるスピーチは爆笑の嵐。
 今後も再雇用として週の半分程度は関連会社に出社されると聞き、これまで以上にOさんと密になりたいなと心で思った。
 今夜の賑やかな宴は、そんなOさんの素晴らしい人間性も指し示していた。
 Oさん、節目となった今日まで本当にお疲れさまでした。そして末永くお付き合いの程、引き続き宜しくお願いいたします。ありがとうございました。

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2010年 06月 17日

散会式

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 昼下がり、デザイナー事務所:ロジアへ打ち合わせに。
 帰社して雑務を終え、20時30分より始まるF班散会式の地:西麻布の韓国料理屋へ赴く。
 よく知る面子とよく通じる笑いネタで爆笑の夜が予想通り続くのだが、最後の最後に編集見習いのTが同棲中の彼女にプロポーズするといった事態に話が展開。
 
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2010年 06月 10日

唖然

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 「編集Iさんのオススメの店なんですが、是非一杯行きましょう!」と誘われた。
 「Iの常連店なら期待大だ!」とほくそ笑み、また知らぬ名店を新たに知る機会になると思っていたら、おいらが翌日予約していた店で(嬉しくも)唖然となった。
 なんたる偶然なのだ! と言うだけで明日のことは早速忘れることにし、今日の贅沢な食事を楽しんだ。極上つまみが今日も嬉しい。

 心を掴まれた映画・音楽を酔いに任せてほろほろ語りだし、若き編集Mの拘っている映画作品も教示してもらう。近々にブルーレイも貸してくれると彼は言った。
 折に触れてそうした名盤ソフトの情報交換を行いたい輩はたくさんいるが、Mもその中の一人に加わった感じがしている。 

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2010年 06月 7日

東京島

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 やっと試写鑑賞。篠崎誠最新作『東京島』。
 原作を読んでいないので、本編と原作との違いを知るところではないが、全編を通じて、沖永良部を含む離島ロケの映像に誠ちゃんのパワーを感じさせた。
 こうした立場にいると、全体の撮影日数なりバジェットなりを、まずはいやらしくも考えがちなのだが、「篠崎誠の作品」という括りで、いかなる理由があろうとも味方な気持ちで鑑賞している自分を自覚した。
 誠ちゃんとは近々に飲みたし。

 今週末の新規開店を睨む『ひろ喜』オープン直前の店舗内をラッキーにも拝見出来た。
 新しい壁の質感を見つめ、店内に漂う真新しき香りを感じながら将来の展望を願った。
 ひろ喜を囲み、ライターK、編集Uもかけつたプチ親睦会を開催。

 〆「わ蔵」のラーメン写メールを撮り損ねたのは、決して酔ったからではなかった。

投稿者 yonezawa : 19:38 | トラックバック(0)

2010年 05月 28日

ラッキー

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 21年少々前に現在の第四編集部で勤務することとなったのだが、最初に意気投合し、プライベートな会話を投げあうことの出来る唯一の同僚先輩編集者:Nさんと十年以上ぶりの飯に。

 日常、おいらとは半日(?)稼働時間が違うNさん故、飯の時間もまず被ることがなく、仕事内容も行動パタンも真逆なので、仲良しでも食事(酒)は疎遠…と言う間柄となっている。
 「夕飯もご自宅で」という日も少なくないというNさん。おいらは1年を通じて夕飯を家で食うことは、平日ではまずあり得ない。
 
 積もる話を弾丸のようなスピードで語り合った。おいら大満足。
 世界の北野の話題も、他のお笑い芸人の話も、おいらにとってNさんの意見はとても参考になり、何よりも彼のセンスを窺い知る機会がラッキーだと感じている。

 各々の、未来の青写真はまだまだ未知のモノといった案配ながら、タイムリミットまで語り尽くせた今夜は大収穫。
 Nさんの大好きなカルチャーを彼の喜びのために独自で収集し、贈呈したいと、今日も感じた。

投稿者 yonezawa : 12:16 | トラックバック(0)

2010年 05月 27日

ミーティング

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 映画『マリア様がみてる』の件で編集:S氏とミーティング。

 S氏はおいらが1999年に出版したルポルタージュ書籍『Blue Film』の担当編集者でもあり、さらに遡る23年前には、グラフ誌の仕事で同じ釜の飯を喰った仲。
 漫画誌の世界に移行し、しばらく時間が経過した後、節目節目に遭遇する機会が何度か得られ、そしてあの北野武に密着するという決意を抱かせてくださった張本人、それがSさんだった。
 完全に背中を押された感じ。

 渾身にして唯一の署名書籍の編集作業は楽しかったことしか覚えておらず、Sさんには本当の意味で、編集者の機微を感じさせられた。
 かつ、人生における最重要な仕事の一つであったことが嬉しき思い出となってる。

 今日の打ち合わせに、あの当時の本を持参してきたSさん。
 「たけしさんも若いけど、米ちゃんも若いね!」と、11年前のおいらの写真を見せてくれた。
 今になってページをパラパラめくると、写真の選択、挿入箇所のリズムに一点の曇りも感じない。さすがの編集者という印象。
 この本の作成にあたって、おいらは何も口出しせず、写真も自分では選んでいない。
 それでいて大満足だという気持ちにさせてくれたSさんの仕事は、やっぱり秀逸なる編集者であることを認識させられる、僭越ながら。

投稿者 yonezawa : 12:17 | トラックバック(0)

2010年 05月 26日

ロック・ミュージック

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 小雨降る中、演奏家:Aとしばらくぶりの会食談笑の席を設けることが叶った。
 彼の口から出てくるミュージシャンやらバンド名は、そこそこの音楽通でも対抗しようのない根深い知識と造詣深さを思わせる。
 知り合ってからもう20年近くの時間が経過した計算だが、本気でロック・ミュージックを語り合える貴重な存在の一人、それがAでもある。

 新宿「匠」を経由し、ゴールデン街で久々にHへおじゃまし、名物のカレーミートボールをいただいた。
 クラシックの世界にも精通した現役のチェリストでもある彼とアコギ・セッションする日、その日を心待ちにしている。

投稿者 yonezawa : 13:35 | トラックバック(0)

2010年 05月 24日

失速LIVE2010

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 Aimie、bambiご一行様、デビルガールズご一行様、トッポ、マミコロ、エミちゃん、S織、E戸夫妻、対バンのみなさま、サウンドチェックでトラで叩いてくださった某氏、実行委員会の皆様、カメラ殿村&広称、他、失速LIVE2010に参加してくださったすべてのスタッフ、ご来場の皆様の方に感謝!

 第16回を迎えた失速LIVE2010はあいにくの雨模様。
 巻き気味で始まったサウンドチェックにはギリギリで到着し、着いた端から音出し。走ってきたので熱い熱い。
 
 出番までK野、Tらと焼鳥屋へ。
 本番1時間前に今年も恒例の会場となった「目黒ブルースアレイ」へ戻り、満員御礼の集客を確認。少し赤ら顔だったおいらは誰かに指摘される。

 20時30分、本番。
 知らぬ間にドラムスの兼松くんが突然ドラムセット前に居ることに気づく。
 フィードバックから『移民の歌』でライヴ・スタート。
 スタート瞬間の、なんとも表現しがたいライヴ独特のテンションが毎度たまらない。ライヴの最も好きな感覚は、この瞬間にもある。
 回客席には大勢の知り合いの面々。おいらにとっては最も贅沢なライヴと言えた。ここにおふくろがいれば完璧。

 時間いっぱい正味20分のステージを瞬時に駆け抜けた。
 打ち上げの最終的な〆には、久方ぶりの『阿夫利』。

 唯一の心残り、それはこのイベントに絶対来たかったRちゃんが、残念ながら来られなかったこと。風邪と(ぶつけた)お口の怪我で断念したのであった。

●失速LIVE2010
Beat generation

●吉田宏(ヴォーカル)
●甲野勝之(ギター)
●池田哲也(ベース)
●兼松幸市(ドラムス)
●田中英俊(キーボード)
●米澤和幸(ギター)

1)Immigrant Song
2)Communication Breakdown
3)Custard Pie
4)All My Love
5)Misty Mountain Hop〜Beat it〜Misty Mountain Hop

投稿者 yonezawa : 00:33 | トラックバック(0)

2010年 04月 30日

ボクシングWBC、WBOダブルタイトル・マッチ世界戦

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 先日、九州から帰省した日、買わなきゃと思っていた書籍をコンビニで発見。
 タイトル『意志道拓』。ボクサー:長谷川穂積の自伝を綴った本を迷わず購入した。
 
  本日、ボクシングWBC、WBOダブルタイトルマッチ世界戦を見届けるべく夕方、日本武道館へ。

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 スペシャルリングサイドの席を贈呈してれた漫画家の高橋ツトム氏、そしてその席を手配してくださった長谷川選手両氏に大きく感謝。
 
 セミでは粟生が痛快にTKO勝ちし、続くスーパーバンタム級チャンピオンの西岡利晃は、同級10位の挑戦者:バルウェグ・バンゴヤンを相手に盤石の試合運びで捉え、こちらもTKO(5R)で下し4度目の防衛に成功。
 最高のお膳立てが出来た午後7時、メイン:長谷川の試合時間が近づいた。

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 WBOという団体は日本非公認ながら、勝てば世界(アメリカ)への大きなアピールとなる。長谷川は、めっぽう強いと評判だった同級王者:フェルナンド・モンティエルをあえて防衛戦の相手に選んでいた。
 安定政権とも言える両世界チャンピオンの技術を思えば、どちらが勝つのかは中身を見るまで判らない。長谷川を信じる気持ちと不安が交錯する。まったく試合予想の出来ないままゴングが鳴った。

 しかし、試合はまさかの結末を迎えた。
 長谷川選手の4RTKO負け。結果、11度目の防衛に失敗。

 3Rまでは長谷川が相手を見切っていたと感じさせたし「何ラウンドで決めるのか?」という期待も高まったぐらいだった。
 モンティエルは時折トリッキーな動きで、相手のタイミングを外すリズムで攻めてくるが、突破口を見いだせない。しかし、4Rになってその読みにくい動きはより顕著になり、「これまでよりも予測しにくいパンチの繰り出し方もあるな…」と感じていた矢先のことだった。
 残り時間10秒の拍子木が鳴った直後、決定的な1発、そして2発目以降の連打を打ち込まれた。
 
 試合後、何人かの人たちからメールが到着。別件と併せて届いた江口兄からのメールに長谷川の試合に関して一言書かれてあった。
 「負けたね。残念。でも剣豪同士の斬り合いみたいないい試合だった。」
 まさに試合中、自分が感じていたことを端的に言い表した表現であり、その言い回しに胸のつかえがとれた気持ちになる。(未完の少年漫画『エイジ』(最終担当:米澤)が傑作であるはずだ)
 岩谷テンホー兄からのメールにしても「相手も素晴らしいチャンピオンだったんだね。長谷川にパンチ当てるんだからなー。しかしラスト10秒の油断かな。」と、漫画家諸氏の視点の的確さに大きく納得。漫画家には強烈なボクシング狂多し。

 帰社し、試合のVTR映像と控え室での長谷川選手のインタビューを見た。
 「コンディションはパーフェクト。言い訳は出来ない」といった意味合いの言葉を語っていた長谷川選手。
 正直、言葉も出ない結果であり、個人的にもかなりズシンときた試合ではあったが、再起戦の未来に向けて、一ファンとして応援し続けたい。
 今日は負けてしまったが、長谷川穂積、世界に誇れる素晴らしいボクサーだ。

投稿者 yonezawa : 20:21 | トラックバック(0)

2010年 04月 27日

帰社

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 午前5時から1時間ごとに目覚め、午前9時40分頃ホテルの車で宮崎駅に送迎して頂いた。
 9時59分の電車で宮崎空港へ。
 軽く土産屋を覗き、ちょっと余裕をもって待合い場のソファでなにげなくテレビモニターを見ていた。
 NHKの映像では、かつておいらが2年ほど住んでいた大分県玖珠町関連の町おこし的ニュースを流していたので、ふいに見入った。
 すると役場の人だか中年男性が登場し、イベントの説明などを行っていたのだが、そのうち1人の男性の名前に見覚えが。なんと同級生でバスケット部も同じだったM.M.がハッピ着て祭りの話をしているではないか。
 思わず動画撮影し、玖珠町出身の輩3名に即配信。笑った。

 12時20分発のSNAに搭乗。定刻通りフライトし、2時間もかからず羽田着後、一路編集部へ。
 東京も宮崎同様に雨模様で、編集部近くのコンビニで傘を購入。微妙な雨だけに、傘に金を出すことにはなぜか異様な抵抗を感じる。

 届けられた入稿原稿の下絵を見て呻る。
 幕末世界を描いた物語『SIDOOH』は抜き差しならない展開に突入しており、勝海舟と、この物語の主人公の一人:雪村翔太郎とのやりとりに旋律を覚えたおいら。
 物語の放つ緊張感はいつでもMAXだ。

 原稿取りは雨模様もあってか少し早めに向かった。
 途中、居酒屋KでAと、ものの30秒再会。Rちゃん&ママへもお気遣い戴いたお土産に心より感激。

 原稿を引き上げ、入稿中、ふいに玖珠出身のYからメールが。なんと新宿都庁真下で飲んでいるとのこと。妙に玖珠づいた1日だ。

投稿者 yonezawa : 17:50 | トラックバック(0)

2010年 04月 26日

手術〜良好

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 午前中病院に到着したら母はすでに手術室へ移動しており、身内は別室の狭いモニタールームへと通された。
 テレビには大きく見開かれた瞳のアップの映像が映し出されており、手術の一部始終が観覧出来るシステムになっている。
 かなりエグい映像ではあったこともあり、近眼のメガネを外して焦点の合わない状態で見た。
 映像をこうして包み隠さず公開する姿勢に病院の信頼を感じ取ることもできた。
 所要時間はおよそ30分。術後の母のコンディションも良好。
 出血もあるし、針と糸で切開した瞳の白い部分を縫う箇所もありながら、全く痛みもないそうで安堵の息をつく。しかし自らの場合を想像すればかなり怖い。

 それにしても、母の後にも十何人かの患者がオートメーションのように次々手術されてゆく。一般患者の方は待合室を満席にしている。大繁盛の新城眼科。

 今日も時間の許す限り、姉、母とバカ話の続き。至福の時間と言えた。
 嫁に嫁いで真摯に半世紀走り続けた母に、天がくれた休息の時間であろうと受け取り、この貴重な時間を贅沢にまったりと過ごした。
 病室で姉が持参してくれたおかずと焼きおにぎりを頬張りながら、昼食と軽い夕飯を頂く。
 夕方、姉を見送りそして20時の面会時間一杯まで母と2人で過ごした後、ホテルへ。

 外は急に雨模様。ホテルのサウナで汗を流し24時頃まで仮眠。小腹の空いた頃、軽い夜食を探しに街を徘徊。今更ながら宮崎の料理は美味い。おいらは宮崎県のことは何も知らないようなものだった。
 あの長島さんも大好きだと聞く釜揚げうどんが名物であることも、こちらで知り合ったMに初めて聞かされた。

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投稿者 yonezawa : 17:38 | トラックバック(0)

2010年 04月 25日

お見舞い

 翌朝S.S子の母さんとは2年ぶりの再会。近況を伺いながら朝食をご馳走になる。感謝。
 おばさんの物腰も小学生時代からなんら変わらなく嬉しい。
 
 午前中、M姉の車にピックアップしてもらい宮崎市の新城眼科を目指した。
 1.5時間かけ現地着。昨日左目の手術を終えた母はガーゼで片目を保護しサングラスをかけている。その様を見て立川談志を思い出すおいら。

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 母が夕飯と風呂の時間となった間に、編集部で一番の宮崎通なIっちゃんにレクチャーを受けたラーメン屋『栄養軒』へ。美味。さっぱりした宮崎ラーメン。かなり好み。東京の豚骨系の多くの物件がいかにギトギトしているか認識。

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 食後、姉に再び病院まで送ってもらい、面会時間一杯の20時まで語り尽くす。
 天気も良かった1日。
 病院からホテルへ徒歩とバスで移動。
 遅めの時間にふらふらと街に出て夜食を探して徘徊。美味い飯や「AUBE」を探しあて、店主と意気投合。

 明日はおふくろの白内障・緑内障手術最終日。

投稿者 yonezawa : 17:29 | トラックバック(0)

2010年 04月 23日

地元ティ

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 都内での失速リハを終え、大人しく電車帰宅。の途中、札幌から打ち合わせで上京中の漫画家:Mさん他と吉祥寺にて合流。
 Mさんは、吉祥寺の主:漫画家:Sちゃんとの初邂逅が目的で、わざわざこの日だけこの飲み屋の界隈にホテルを取った。
 
 すでにMさんらはSちゃんら行きつけの居酒屋:闇太郎で飲んでおられた。Mさん、Sちゃんにお会い出来て嬉しそう。おいらが到着したのはすでに23時頃だったので、Mさんとはわずか1時間程度しか語り合える時間がなかったのだが、今宵も贅沢な面子との遭遇で場はいつものように賑やかな宴となった。
 おいらは闇太郎後の、ど深夜のカラオケは遠慮させていただき1人帰途に。明日の九州行きに備えて…

投稿者 yonezawa : 15:35 | トラックバック(0)

2010年 04月 19日

おしごといくの?

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 小学生低学年の頃だったか、例えば夕飯で食べる肉の焼き加減が判らず、ちゃんと火が入っているのかどうかいちいち親父に確認していたものだった。

 「これ食べれる?」
 「もうちょっと焼いた方がよか」
 「これは?」
 「それはもう(食べて)いい」

 この親父による“安全”を意味する言い切りがとても頼もしかった。
 いつしか、料理人を経験したこともあってか、こうした判断は個人的には得意となっている気がするのだが、現代のRちゃん、まだまだ食べ偏りがあるものの、少しずつこちらの“食べても大丈夫”発言を気にしながら食事をしている気がする。
 
 今日も一般の成人女性並の量の餃子を平らげたRちゃん。食べる早さも日々進んでいるようだ。

 「おしごといくの?」

 平日、ジャケットを羽織るとこう問われ、「いったらダメー。ダメだよー」攻勢も恒例となった。
 仕事用の鞄を抱えると、唐突に何かを注文してくる。「じっえっべっく、みるー」とDVDを催促。ご要望通り抱っこして映像を見せるものの、30秒程度で他のモノに興味を示すのだが、そのわずかの時間、立ち往生させる作戦が叶えばRちゃんはようやくバイバイしてくれる。
 玄関までズックを履いて、案の定「Rちゃんもおしごと、いくー」と一緒に外に出ようとするものだから、すかさずママに「こっちに来なさい」と一括。
 おいらの平日業務の一日は大概そうして始まっている。

 先週の冷えこみとは一転し、今日は妙に暑いぞ。
 鍋を喰っていいのか、刺身でいいのか、食べ物の選択もその都度大きく変わりそうな気候ばかり。
 S社Sさんとのサシ飯はもう3〜4年ぶりだったか?
 ふいにそうした間合いとなり、本日久方ぶりの食事の席を共にさせて頂いた。

 bambiの沖縄ライヴ・ツアー計画、着々と進行中。メンバー中3名(YY、H、S)、旅行計画スキル高すぎ。残り3名(Y、O、C)スキル低すぎ。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2010年 04月 15日

Gっさん

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 寒い日と暑い日が交互に訪れる感じ。
 Tシャツ1枚で過ごせる日から一転し、革ジャンの必要な日に変わる。
 小雨模様の中、外出に同行するRちゃんを見送り外へ。
 
 着ていく服の厚さを間違えた。バス停に向かった頃、かなりの冷え込みを自覚し、途中でジャケットを買おうかと迷った。
 
 昨年の親睦会から数ヶ月。S社の名物ディレクターにして、実力派シンガーHKのブレーンでもあるGっさんと久々の再会を果たす。
 席に落ち着き、飲み物を注文した際、個室のドアの隙間から知り合いの顔が見えた。
 漫画家:若林健次と偶然遭遇。
 
 現在邦楽セクションに身を置くGっさんは、以前洋楽セクションに在籍中、おいらと共にニューヨークへ飛び、AC/DC「アンガス・ヤング」取材時の担当者でもあった。
 AC/DCの公演は、個人的に海外まで追っかけ、先だって行われたさいたまスーパーアリーナでの公演の際には、アンガスのコスプレでエントランスに現れた。
 ニューヨークでの取材時、この日と同じ格好でアンガスと2ショットを撮ったことはいわずもがなだ。
 彼の醸し出す独特のノリが妙にツボにはまる。マシンガントークで音楽談義に花が咲く。

 やがて遅れること1時間少々、同社S&Yも合流。
 この席に、たまたま流れで出た(タレントで、警世家で、ベナン大統領特別顧問で、俳優:ビートたけしの付き人でもある)ゾマホンを呼ぼうという話になり連絡。着信を入れたらば、丁度別件で同じ新宿にいるという返事が返ってきたが、残念ながら合流にはならず。ゾマホンにもそろそろ会いたいものだ。

 三丁目のバー『S』に河岸を変え、トミー・エマニュエルの旋律に耳を傾ける。
 「ジョー・サトリアーニのギターよりも、先日聴いたノラ・ジョーンズのギターの方が、数倍の魅力を放っていた」というおいらの話に「そういうことなんですよね!」と頷いてくれたGっさんが、やがて船をこぎ出した。
 超プレミア・チケットを都合してくれたGっさん、嫁も喜びます。大感謝!

投稿者 yonezawa : 11:40 | トラックバック(0)

2010年 04月 12日

ジェフ東京公演2日目

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 ジェフ東京公演2日目。国際フォーラムA。
 名古屋公演だけで演奏されたという『フリーウェイ・ジャム』は、セットリストに記されながらも、今夜も奏でられることはなかった。
 ジェフの機微は何度見ても何度聴いても飽きが来ない。究極の演奏をステージ中央近くの4列目で拝聴した。
 ギターのアドリヴは、簡単に言えばその場の閃きであり、即興演奏のひとつだとも言える。
 その即席で奏でるメロディには演奏者のセンスがすべて剥き出しとなり、それまでにどれほどの引き出しなり、アイディアなりを有しているのかがミュージシャンのセンスの鍵となる。
 とにかく舌を巻く圧巻の演奏が今日も繰り広げられるのだった。

 終演後、控え室へと向かい、待機部屋で赤ワインを飲んでいたらドラムスのナラダ・マイケル・ウォルデンが登場。超ファンキー。そしてなんとフレンドリーな男なのだ。
 部屋にいる関係者すべてと握手を交わし語り合う機会を提供し、自ら記念撮影を催促するほど温かいナイス・ガイだった。ドラムスに偽りがないはずだ。
 やがて関係者に「メンバーはすでに全員帰りました」と聞き、残念ながらこの日はジェフには会えず仕舞いで引き上げた。

投稿者 yonezawa : 15:20 | トラックバック(0)

2010年 04月 8日

尿管結石

 今年の米澤家新年会の席には、正月に上京していたおふくろの参加もあり、同時に、まだ一度も酒の席を共にされていないと伺っていた江口兄&獏さんの豪華ゲストもお誘いし、賑やかに鍋でもつつければと計画した。
 この宴の噂を聞いた出版関係者他が「私も混ぜて〜」「皿洗いでも何でもするので参加させてください」「子連れで伺います」等々、続々参加することとなり、結局10数名を数える大宴会に。
 ところが当日になり、「これから尿管結石の(切開ではなく、レーザーを中てる)手術をやることになったので少し遅れます。麻酔でぼーっとしてるかもしれないので勘弁」おおむねこのような内容のメールが獏さんより入った。
 「無理をしなくとも次回の機会で大丈夫ですよ! お大事に」そう電話でお伝えしようと思っていたところ、結局手術は泊まりになってしまい、2日続けて行うことになったという連絡が入った。

 結局、残念ながら獏さん抜きの宴となったのだが、獏さんはおいらのおふくろにもお気遣いされ、その電話でおふくろともしばらく話してくださった。
 
 そこから4ヶ月程の時間が経ち、体調の戻られた獏さんから「仕切り直しの飲み会を是非やろうぜぃ!」とご提案を頂いており、本日が新年会のやり直し日となった。
 やや面子は変わったが、同じちゃんこ屋で鍋をつついた。
 みなさま、お疲れさまでした。獏さん、ごちそうさまでした。

 格闘家:飯村選手と地元へ帰還。最後の1杯は、偶然遭遇した地元漫画家先生方と闇太郎で乾杯。

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 尚、獏さんが尿管結石にのたうち回った経緯は、『獅子の門-人狼編-カッパ・ノベルス-夢枕獏』
http://www.amazon.co.jp/dp/4334076890
の後書きにしっかり書き記されている。

投稿者 yonezawa : 16:03 | トラックバック(0)

2010年 04月 7日

泣く泣くお断り

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 JR吉祥寺駅、まんが家:江口寿史一色。

 先週の水曜日、ふいに世界のTさんにお誘いを受けながら、当日のことだったので先約あって泣く泣くお断り申し上げた。
 「今週の水曜日にも、もしかしたらその可能性があるかも?」と考え、今夜は20時過ぎまで予定を入れず編集部で雑務をこなしていた。
 結局お誘いはなかったので、「もしその用事がなければ21時以降に落ち合うべし」と約束していたW社:Yちゃん&Tちゃんとの待ち合わせが叶った。
 昨年以来、今年初となる3人での再会。
 しばらく会わずとも頻繁に会おうとも、彼らとの距離はいつも一定だ。
 映像業界に身を置く彼らと、妄想で語る仰天企画のあれこれがとても興味深い。
 ロック・ミュージックを遠慮なく語り合える最強の面子の中の2人。

 Tちゃんが出張から帰ってきたら、おいらもそろそろ映像ディレクター化しようかと、もう一つの大いなる妄想を抱いてみた。

投稿者 yonezawa : 16:02 | トラックバック(0)

2010年 04月 5日

“夜忍戒”2010

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 “夜忍戒”と命名する映画人&編集者の親睦会は、すでに十数回を数える。
 渋谷の鳥料理『鬼亭』はなかなかのナイス物件。
 店のおばちゃんのパーフェクトなフォロー(客の不安定な焼き方を見ていられない)によって、ベスト・コンディションの中、出てくる品々を次々がつがつ喰いまくる。
 平均年齢40歳ぐらいの4人ともペースを落とさず。

 ダイエット中のIちゃんは、そうしたこともあり珍しく一軒目で引き上げ、残った3名で少しだけ馴染みのロックバーへ。
 店では80年代前半の洋楽“産業ロック”がかかっている。つまりおいらが高校時代の音源オンパレードが大音響で鳴っていた。
 
 映画界における裏話を今宵もちらほら入手し、こちらも、つい最近感じ受けた驚きのきな臭い裏話を披露。思惑と実態と真実と裏切り。
 とにかく山師多し。つまるところ映画界は大いなる大博奕の世界であると再認識。

投稿者 yonezawa : 15:40 | トラックバック(0)

2010年 04月 1日

おめでとう

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 我が両親の結婚記念日は、漫画家:MKの娘さん誕生の日と重なった。
 MK、おめでとう!

投稿者 yonezawa : 18:00 | トラックバック(0)

2010年 03月 31日

アグレッシヴな戦略

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 Kさんのご依頼で、編集者Oさん紹介の席を設ける。
 新たな分野に移籍されたKさんのアグレッシヴな戦略なや妄想は、端から見ても呻るものがあり。
 古い編集部の体質をガンガン刷新し、次々と新しい試みを実験しようとするその姿勢は、出版界不況の中においても、まず必要な行動だと感じさせる。

 違う分野の専門的な情報が飛び交う中、おいらはちんぷんかんぷんな場面などもありながら、今夜の親睦会も大事な席だと認識。
 深夜に聴く、トミー・エマニュエル・ライヴ盤の心地よい音色といったらなかった。

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2010年 03月 29日

誕生日おめでとうございます

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 柴田 国明さん、マイケル・ブレッカーさん、高水健司さん、野沢直子さん、西島秀俊さん、鈴木彩子さん、桜庭あつこさん、滝沢秀明くん、里田まいちゃん…

 そして…江口寿史兄、誕生日おめでとうございます。

 夕方、漫画家:高橋ツトム兄とTHE MODSライヴ観戦。
 森山達也さんは、高橋ツトム『SIDOOH-士道-』20巻帯に、いぶし銀のコピーを提供してくださった。
 今夜のライヴは“完璧”という形容が相応しいほど掛け値無しにベストの出来であり、なんといっても新曲の放った色艶、完成度に心揺さぶられた。

 数時間遅れて打ち上げの席に合流させて戴く機会を得、そこでメンバーの方々と直に語り合うという信じられない夜を体感。
 何故THE MODSが永遠に瑞々しく光り輝いているのか、その理由の一旦が理解出来たような気がした。
 彼らの音楽に対する誠実さに適う音楽家には、簡単には出会えない。

 THE MODSの皆様、素晴らしい夜をありがとうございました。&日付が変わった頃、森山さん、ハッピー・バースディ!

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2010年 03月 26日

1人でも飲む

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 以前、地元の居酒屋で知り合ったFSさんと念願の会食。
 「ちょっと飲み足りないと思ったら、迷いながら1人でも飲む」という、基本呑んべぇ体質のFSさんは、その物腰全体がチャーミング。
 親父が生涯飲み続けたおいらの一等好きな芋焼酎:明月を常備しているこのうどん屋は、それだけでステイタス高し。
 予定していた(週末だけ[?]予約の出来ない店)『汁べぇ』が残念ながら満席で断念。『真希うどん』に落ち着いた。
 外はジメジメ日より。
 FSさんがジャズに傾倒され、学生時代から自らも管楽器を演奏されていると伺い、急に親近感が増した。「楽器を演奏する」こうした人間とは基本的に話が弾む。
 己の子供には何らかの楽器を1つ自分のモノにして欲しいという願いが、身勝手ながら心中にある。勿論、ギターである必要もなく。

 FSさんを見送り、『闇太郎』を覗けばタムタム、エグチンのささやかな誕生会が開催中。
 流れで暖簾をくぐったのだが、読みは的中。偶然、同級生:Hも大酔い状態で合流したものの、彼は即刻爆睡したのでタクシーに乗せて引き上げさせた。
 早朝5時、まだまだ飲む先生たちを残し帰途に。

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2010年 03月 25日

ディラン

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 雨模様で寒い。
 夜、日本橋へ。親愛なるF氏にお誘い頂きサシ会食。
 氏とは1日違いでB.ディラン観戦に行ったおいらだが、氏のディランに関する造詣の深さはハンパでない。
 高級ステーキを真正面から本格的に頂く。Fさん感謝!
 遅い電車で地元へ引き上げ、E氏へ近況報告。
 
 角田光代の「八日目の蝉」がドラマ化される模様。ちょっと楽しみ。

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2010年 03月 21日

高校時代

 Bambi鉄壁のリズム・セクション:チャーリー&ヨーヨーの出演するライヴ情報を得、代々木の某ライヴ・ハウスで行われた帝京大学軽音楽部OB-LIVEへ向かった。
 高校時代を思い出すパラシュート、そしてプリズム等のカヴァーが奏でられ、自身が高校時代の景色を思い出していた。

 実に忠実に高中正義を弾きこなすH先輩。マイケル・シェンカー/イン・トゥ・ジ・アリーナを寸分違わずコピーしきったK。同級生のTはクラプトンを極める高校生だった。
 先のH先輩の消息は知るところではないが、Kがギターを止めたのは大変勿体ないと感じたものだった。Tは今も地元でギタリストであるハズだが、ギターを本業として成功に至らなかったのは今でも残念でならない。
 当時高中正義は周りの環境もあり、おいらも1曲だけ弾いたことがある。確か「FINGER DANCIN’」。今のおいらのギタースタイルとは対局とも言える懐かしきカヴァーの1曲。

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 ライヴはヨーヨーのスラップらしきプレイも初めて体感。バンド中、最もプロっぽい仕切りでキメを極めたチャーリーのスティックさばき。7月沖縄ライヴも益々楽しみ。
 みなさまお疲れさまでした。

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2010年 03月 19日

写真家

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 近年、最も共に仕事をした写真家は、間違いなく(株)スウィープ代表:若林広称だ。
 これまで、何百人という各国の音楽家、映画人の取材現場にはほとんどが彼がいた。

 取材とは一つ一つがシビアな真剣勝負といえる。
 どんな現場でも、まずこちらのもくろみ通りに展開しない故、100者100様の取材空間となる。毎度その場その場の空気をどう読み取り、何を優先し、限られた時間をいかに上手に使うのかが、成功(満足)する取材となるか、そうでない取材となるかの鍵を握る。

 ふと、ブラックアイドピーズ:ファーギーへの取材を思い出していた。
 彼女へ2つ目の質問を投げようとした時、スタッフから「あと2分です」のカンペが見せられた。
 約束の時間はあと10分少々残っているハズ。「話が違うじゃないか!」と心で思ったおいらは思わず 「FUCK」と声に出してしまった。
 その言葉の意味を理解したファーギーは「It's ok It's ok!」とおいらをなだめ、なんと2度にも渡ってインタビュー時間の延長を指示してくださり、結果予定の倍の時間を得たことがあった。
 取材前、おいらの気持ちを記したファーギーへのメッセージをご本人にお渡ししたのだが、取材後、全スタッフの前でその内容を披露させたというエピソードを、後にレコード会社スタッフに伺った時には感激したものだった。

 この日も広称は、(撮影するには)狭いホテルのインタビュー部屋に強引にピンクのバックドラフトを持ち込み、特写を果たしたわけだが、彼が現場で出来うる限りベストを尽くしてきた最たるフォトグラファーであったことは事実だ。
 できあがった写真は、まさかホテルの部屋で撮られた写真だとは、読者の誰も思わなかったろう。

 荒木町、そして新宿三丁目と場を移し、滅多にやらない広称(&ゲストのK)との親睦会の席を設けた今夜。
 今日は広称の初めての労いの日。そして広称は新たなるステージへと邁進する。
 しかし新利しりの炒飯秀逸也。

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 現在・過去・未来の話に盛り上がる最中、漫画家:江口寿史兄は前情報通り「西原理恵子の人生画力対決」の行われる六本木ミッドタウン界隈へスタンばった。
 そして、ベロベロに酔っ払った状態で、Billboard Live TOKYOで開催されるそのイベントのシークレット・ゲストとして、無事、乱入を果たされた模様。

 関連サイトによれば…「今日は対決のためにシラフで来たから!」と千鳥足で見え透いた嘘を吐き、席に着くなりアルコールを注文…されたそうだ。なんと素晴らしい。
http://natalie.mu/comic/news/29367

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2010年 03月 18日

音楽家

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 広尾から西麻布へ徒歩移動。
 家族ぐるみでお会いする機会(コンサートの控え室や取材の場)が多かったのだが、およそ2年ぐらい前から延び延びとなっていた、音楽家:Mさんとの念願の会食がついに実現することとなった。

 丁度、海外と日本とを半分ずつ行き来し、ワールド・ワイドに音楽活動を展開される彼女のスタイルは一つの憧れでもあり、常々その偉功を讃えているおいらだ。完全に脱帽。
 常に自然体で気負いがないまま世界中を飛び回り、各国の人々の前で一年を通して演奏する日々。あまりのナチュラル(無防備)さに、懐の深さなりゆとりを感じ、日々最前線で活躍される機微を余計に感じていた。

 一昨日は北海道、明後日は関西でのコンサートを控えておられるそうなので、本当に合間の時間を調整してくださったMさん、感激でした!

 彼女はたけしさんの番組にも何度か出演されておられ、そこから派生した無軌道な話が、音楽話以外の会話へと脱線し、とても興味深い。
 頭脳明晰で音楽的才能に溢れ、その上、容姿端麗。彼女は芋焼酎も数杯おかわりしてくれた。

 コンサート会場では控え室を訪れる度に、いつもRちゃんに配慮されたメッセージを頂き、人間的にあまりに素晴らしすぎる才女。夢のような数時間は、あっと言う間に過ぎ去った。

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2010年 03月 17日

リサとガスパール&ペネロペ

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 銀座松屋で開催中『リサとガスパール&ペネロペ展』閲覧。
 パリに住むドイツ人画家ゲオルグ・ハレンスレーベンと、フランス人作家アン・グットマン夫妻によって生み出されたキャラ。
 明るく豊かな色彩と、ほのぼのとしたストーリーで、絵を見つめていると気が抜けるような気分になる。
 何とも形容しがたいキュートなキャラが微笑ましい。

 Rちゃんは関連グッズの小さなバッグを見つけた端から握りしめ、持ち歩き、どうしてもソレが欲しいのだときかない。
 プラモデルの前でテコでも動かなかった幼少時代の自分がダブる。
 
 今年勇退される2人の先輩と、突然の閃きで会食する機会を得た。
 どんな形であっても、どんな角度から切り込んでも全部シャレの通用する諸先輩。
 僭越ながら、勝手に彼らのことは戦友だと思ってきた。

 両氏と席を並べ、贅沢に語り合える瞬間の温かさは他ではなかなか味わえない気持ちに包まれる。
 両氏の素晴らしい功績は個人的に深く認識しており、そのすごさは編集者としての、おいら自身のひとつの指針となってきた気がする。
 おいらとは縁もゆかりもなかった、昔OZさんの所属した編集部の忘年会へ軽くお誘いくださったOZさんの温かさ。
 すでに、ほとんどがご主人のご逝去やら引退に伴いなくなってしまったが、幾つかの美味しい飯屋やバーへ連日引き連れて頂き、何年もの食の歴史をも共にさせて頂いたOTさんとの時間。
 貴重な思い出は、懐かしくも新鮮な赴きで胸に刻まれている。

 20年近く昔、漫画家:江口寿史氏の仕事部屋へツメた時、なかなか上がらない原稿を愁い、陣中見舞いにいらした OTさんが先生に伝えた言葉を思い出した。

 「江口先生、米澤を男にして(原稿を上げて)ください!」

 嬉しかった。担当編集として4,5泊した頃のことであり、先輩編集者のこの言葉はとても心強かった。
 勿論、江口先生はその期待にギリギリに答えてくださり、無事表紙巻頭で上がった読切作品の入稿によって、“男”にしてもらえたのだった。

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「リサとガスパールのレストラン」Hachette Livre
© 2004 A.Gutman & G.Hallensleben

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2010年 03月 3日

The John Butler Trio

 「ひな人形は出しましたか?」というおふくろからのメールで思い出した。
 「とっとと出さねば」と焦った。
 義理母からのギフトとして贈られてきたこの人形を飾るのも、もう3回目だが、Rちゃんの記憶は今年からとなるのだろう。
 
 ちょっと少量だった朝食以来、飯を喰ってなかったからか妙に腹が鳴り、18時30分頃の東横線内でおにぎり2個を頬張りながら代官山のライヴハウス:UNITへ。
 本国オーストラリアでも絶大な人気を誇る、ジョン・バトラー・トリオのライヴへ向かった。
 
 以前、ジョン・バトラーの日本における契約レコード会社はワーナーだったが、今回のニューアルバムよりレーベルを移籍。同時にドラムス、ベースのメンバー・チェンジも行っている。
 この件に関しては、以前のJBTのバンド・メンバーであるドラムス:マイケル、ベース:シャノンらにメールでいきさつを伺っていた。
 マイケルにしろシャノンにしろ、「今度は他のミュージシャンともやってみたい、というジョンの意志を尊重し、残念ではあったが了承した」と記されたメッセージが届いた。

 新しいバンド・メンバーもお茶目な輩で、なかなか好感のもてるプレイヤーであったが、冷静に旧JBTと新JBTでは、リズムの繊細さに関しては明らかに前者の方がきめ細かい印象を受けた。
 今日の段階では、正直マイケルにとシャノンに戻ってきてほしいという気持ちが心を支配しているが、新JBTの面々がセッションを繰り返し、新たにわき起こる化学反応を得るその様も、また心待ちにすることにしよう。

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 ジョンの技量は言わずもがな。変わらなく突き抜けて素晴らしい。比べる者など誰もいない。
 定番『オーシャン』のエンディングではまたしても目頭にきた。
 演奏だけの11弦サウンドはどうにも涙腺を直撃してくる。ジョンに神が降臨する瞬間を、おいらはもう4度生で見ていることになる。

 今回どういうわけだか、スタンディングのステージ最前列中央に陣取り、終始ライヴ観戦を果たしたのだが、最後のアンコールを終え、両手を掲げてオーディエンスに挨拶をするジョンが、グーのサインでこちらのグーサインに答えてくれるアイコンタクトの配慮が嬉しかった。
 この日の焼酎が格別だったことは言わずもがなだ。

 彼らは3月24日に日本先行で待望の新作『April Uprising』を発表する。

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2010年 02月 25日

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 暖かい日。
 凍える日。
 震える日。
 豊かな日。
 虚ろな日。
 人生百日あれば百通り様々な想いがある。
 5年生の頃、書いた詩をふと思い出す。
 人生の岐路には誰がいるのか。

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2010年 02月 22日

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 3月公開の某映画作品への取材、諸事情あって本日断念。揺れる心。
 夜、敬愛するモノカキHさんと会食。心温まる。
 帰社後、業務を終え、編集Hと偶然の一杯。心穏やか。

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2010年 02月 19日

お腹に優しい

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 EMIの精鋭:N♀&N♂ちゃんと、ど久しぶりの会食に。
 年に一度ですら機会を得られなかった近年、久々の親睦会となった。
 鍋料理がお腹に優しい。音楽シーンの現状、アビーロード・スタジオ売却問題、そしてその後…話は無軌道に突き進む。
 N♀&N♂ちゃん今日も感謝!
 彼らを見送り、地元方面で最後の一杯を飲み干し帰宅。twitterはやっていない。

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2010年 01月 12日

THE MODS

 信じられない一日となった。
 都内某所でTHE MODS森山達也氏、漫画家:高橋ツトム氏の特写&対談が実現することに。

 50年の歴史を誇る年期の入った都内大型駐車場を撮影スペースに決め、撮影1時間以上前に現地入り。スーパー・フォトグラファー:尾形正茂と事前ロケハン。

 この場所のとてつもないクールさに胸が高まる。
 場所を提供くださった現地関係者の方々の協力も有り難く、今回ロケ・ポイントにはしなかったが、今後のための様々な驚きのスペースも見学させて戴いた。大感謝。

 高橋氏現地入り。やがて森山氏も。
 肩肘の張らないパンク・ロッカー森山さんのスタンスは、とてつもない魅力に溢れていた。

 福岡から上京したおいらにとって、THE MODSの存在はやっぱり特別なものがある。
 ビートルズもツェッペリンもマイケル・シェンカーもヴァン・ヘイレンも大好きだったが、JL&CもミカバンドもTHE MODSも勿論大好きだった。

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 THE MODSが東京進出する際、最後に演ってた80's FACTORYは伝説のライヴハウスだったし、おいらは当時入手した同店のマッチを今でも家のどこかに保管している。

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 『TWO PUNKS』にしろ『激しい雨が』にしろ『バラッドをお前に 』にしろ、森山氏が希代のメロディメーカーだと言う認識は、博多で1stを聴いたあの日から変わらない。

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 パンキッシュでありながら、同時にスタイリッシュな存在感が共存。
 今回氏と遭遇し、何故永遠にTHE MODSが瑞々しく輝き続けているのか、その理由の一端を再認識させられた夜になった。

 対談はまるで旧知の友人同士が語り合っているような、至ってアットホームな雰囲気の中進行。2人は3杯目の生ビールをおかわりした。やがて取材はつつがなく終了。
 そのまま「もう1杯いこうや!」と近所の酒場に飛び込み、その後夢のような時間が訪れることに。極めてロック。もう最高。

 THE MODSにおける森山さんの魅力溢れる声と、せつなく美しいメロディーは世界でただ一つの究極の個性。その想いは死ぬまで変わらんだろう。

 この、ときめく対談記事は、1月27日(水)発売のスーパージャンプ4号に掲載される。

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2009年 12月 21日

フリーペーパー『熱風』

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 伸び伸びになってしまっていた亀渕兄との飯が、この師走になってどうにか叶いラッキー。
 ソニー・ミュージックMさんにご配慮戴いたアジカンのZEPP公演はS、M、A(後にゴールデン街で合流)に託し、新宿の待ち合わせ場所へ。

 氏は、書店で無料で入手出来るフリーペーパー『熱風』に「ドーナッツ盤に恋をして」という、とてもチャーミングで魅力的なコラムを熱筆されておられるのだが、おいらはその熱心な読者だ。

 待ち合わせの場所へ到着し、再会を果たし椅子に座る前から、もう速射砲のように語りつくす。次回の機会がいつなのか判らぬ故、会ったらとにかく速射砲。

 アメリカン・ロック、ブリティッシュ・ロック、70年代、60年代、80年代、90年代、そして現在。
 マイケル・ジャクソン、ジミヘン、ビートルズ、リトル・リチャード、民主党、自民党、洋画、酒、新宿、正月、鍋、寿司、山、コレステロール、会社、社長、江口寿史、夢枕獏、母、父、文章、コラム、仕事、ツェッペリン、ニッポン放送、ウィキペディア、お笑い、北野武、ギター…
 話が途切れない。

 脱線しまくる節操のない話題は、これ以上ないほどの興味深さへと突き進む。
 亀兄、何でも知っている。物事をいつも優しい目で見つめている。
 60歳代の亀兄は、例えば18歳から30歳ぐらいまでの時に持ち合わせるような鋭い感覚の瞬発力を今もまったく失っていないことを、45歳のおいらが感じている。

 『熱風』に執筆されるコラムの、例えばたった2行を書こうと思えば、文献を2.3冊読み漁り、事実関係を突きとめなければならない。その真摯な姿勢が胸を打つのだ。そんな意味もあり、コラムの放つ熱風を感じずにはいられない。

 話の途中、氏が1冊のボロボロになった片手サイズの洋書を取り出した。
 例えばミュージシャンの正確な名前、アルバムのタイトル、年度、関係者各位とのいきさつなどは、その洋書を参考文献の1冊にされておられるとおっしゃった。
 ページをめくると、蛍光ペンで何カ所もアンダーラインが引かれてあった。
 感服。
 アンダーラインなど、もう何年使っていないだろう。
 本を読むときには確かにアンダーラインが必要だった。
 自分の鞄にはピンクのアンダーライン用のペンを常備させているにも関わらず、何年もその作業をすっかりスルーしている。
 ふいに母が学生時代からずーっと家で使っていたボロボロの辞書を思い出した。
 亀兄と語ると、様々な景色が思い出されてきた。

 古き時代を知り、最先端の今、巷に流れる音楽を聴き、そして自ら欲する音を求める。
 2007年12月、ロンドンの地で偶然の初邂逅を果たした亀渕兄との出会いは、今生涯の宝となった。

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2009年 12月 7日

理想的

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 漫画家:寺田克也さん、女優:藤谷文子さん、ヴァイオリニスト:宮本笑里ちゃんらが、Rちゃんと同じ誕生日。
 本日12月7日からRちゃん3歳。おめでとう!

 先日、編集部Tの披露宴で飲み明かしたS誌Cと初サシ飯へ。
 飛び込んだ店は先月半ばにオープンしたばかりの和食屋。
 Cのなじみの店:Vに移動し、無ければ構わない前提で「スティーヴィー・レイヴォーン」をリクエストした直後、店でちょっとした事件が発生。まぁよし。

 この店で初めて知り合った若き面々と、まるで長いつきあいのあるような距離感で語れる一時が嬉しかった。
 酒とは何故こうも人との距離を瞬間的に縮めてくれるのか。
 昼間に名刺を持って大作家のもとを訪ねるよりも、酒の席で隣り合わせて作家に出会う方が、編集者にとっては理想的なのだ。

投稿者 yonezawa : 01:54 | トラックバック(0)

2009年 12月 6日

明日3回目

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 明日はRちゃん3回目の誕生日。彼女のプレゼントを買いに街へ。
 訪れた吉祥寺の街の、人の多さといったら凄まじかった。もう師走の景色。
 行く店行く店で直感のように「(単なる)小箱」とか「スタンプ・セット」とか、瞬時に欲しい品が確定するRちゃん。そこには吟味とか悩みという言葉は一切ない。
 「ホントにこれでいいの?」と問えば「うん、これでいい!」ときっぱり。
 店を変え、他のグッズ・ショップを覗くと速攻でピンクの財布が彼女の瞳に飛び込んできた。
 「これー!」と言って、勝手にレジに持ってゆくRちゃん(笑)。
 「よし! じゃあこれにしよう!」と誕生日プレゼントがすぐに確定した。
 「帰ってケーキも食べる?」「うん、たべるー!」
 スーパーで夕飯の買い物を済ませ、自分の靴も衝動買いしたりしながら帰途につく間に姫は爆睡。随分歩いたので疲れたのだろう。
 
 帰宅して、即ご飯を炊いた。タマネギと人参をアッシュしてミンチと合え、卵を落としてパン粉等を混ぜ合わせ、こねくり、あたり(味)付け。
 もやしと韮、冷蔵庫にあったハムの残りを細かく切り、塩こしょうだけで炒めた付け合わせに、キャベツの千切り。おまけにもずく酢。

 Rちゃんもお腹が減っていたのだろう。三輪車でキッチンにやってきて椅子の上に立ち上がり、Rちゃん専用の皿に盛ったトマトを全部その場で平らげた。
 食卓に座って食べるハンバーグもペロっと早い早い。ほうれん草のおひたしもきれいに食べ干し、おにぎりでフィニッシュ。
 ケーキをいただく時にはハイビジョンカメラで撮影。ブルーレイにはRちゃんの動画しか収録されていない。

 夕飯1時間後にお風呂へ。入る前に風呂場で前髪を少し切ってあげた。年末年始に待望の再会を果たす、おばあちゃんとの準備は万端。
 人生観を大きく変えられてから、丁度丸3年が経過した。

投稿者 yonezawa : 00:53 | トラックバック(0)

2009年 12月 4日

計画

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 誕生日プレゼントに伴侶&Rちゃんから貰ったマフラーを、Rちゃんが部屋に入ってくる度に「はい、ぷれぜんと!」と言って、一々持ち上げて渡してくれる。
 嬉しさ何十倍。何度でも「Rちゃんありがとう!」を繰り返す日々。

 今月の地方遠征行事、都内での打ち上げ、そして年末年始の大イベント構想を一人部屋で構成中。
 時期優先で、良き公演、イベント、ライヴという探し方なので、なかなか悩むところ。
 狙った演者、ミュージシャンは地方でやってるか、来日前だったり。

 親戚関係の宿泊、帰途までの距離、各々のスケジュールをすりあわせるのが仕事並の大作業。しかし、これほど重要で楽しみな年末年始は初めてかもしれない。
 取り急ぎ、関係者各位のみなさま、愉快な年末年始を極力演出するべく、考え尽くしますのでおつきあいのほどを。

投稿者 yonezawa : 12:41 | トラックバック(0)

2009年 11月 30日

熊谷貫

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 写真家:熊谷貫と久々の再会を果たす。
 例によって延々スケジュールの折り合いがつかず、延期の上に決めたタイミングとなっていたが、予定した日程(今週末)をさらに当日変更し、急遽本日とした。
 待ち合わせのちゃんこ屋も久々で、店のおばちゃんに皮肉を言われるのがこの店の鍋シーズンに入ってからの恒例の約束事。

 かつて、貫と最も密に追いかけた取材対象者は北野武監督、ボクサー畑山隆則だった。
 映画『菊次郎の夏』のエンドロールには貫の名が刻印されており、畑山の最初の写真集『ハタケ』は、彼の熱意と誠意によって商品化に導かれた。
 積もる話も酔いに連れグズグズになってゆく。その様も、あの頃の飲みの傾向となんら変わらない。
 現在、一流の場所で一流の写真を撮り続ける貫の活躍が、今改めてとても嬉しい。

投稿者 yonezawa : 19:11 | トラックバック(0)

2009年 11月 26日

出雲大社

 慢性の眠気全開。
 表参道へ色校正を届ける際、漫画家:高橋ツトムとWBC世界バンタム級チャンピオン:長谷川選手のリスペクト・ニュースがネットで話題の旨を知る。
 先だってブログにも記したが、「今世紀最強チャンピオン」と言い切ってもよい長谷川選手の防衛戦が今からとても楽しみ。

 先日チャンピオンにに初めてお会いした日、お土産を持参したのだが、その時併せて出雲大社のお守りも贈呈させて戴いた。

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 このお守りの贈呈は、新神戸入りするほんの数日前に閃き、神社の子であるI社のNにダメ元で相談したことによって実現した。
 突然の迷惑なお願いにも関わらず、速攻で地元の身内の方に連絡を取って戴き、品は前日に到着するという荒行をやってくれたのが音楽人N。
 取材を終えた頃、Nには御礼をしたかったのだが、今日、その機会を得ることとなった。

 馴染みの店:Hでご飯を食べて終電で帰宅。Nとの至って健全な食事会が年内に叶い、よかったよかった。
 お守りは長谷川チャンピオンと、彼の母へ贈呈させて戴いた。

投稿者 yonezawa : 20:59 | トラックバック(0)

2009年 11月 23日

Michael Jackson THIS IS IT

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 周りの仲間、諸先輩方に揃って「よねちゃんは絶対に観た方がいいよ。」「観た? まだなら観た方がいいぞ。」「米澤くんは私より見る目がきびしいと思いますが、女性ギタリスト、オリアンティ・パナガリス(あとで調べた)、すごくよかったです。」等の有り難きメッセージを戴いた。
 
 まぁここのところ劇場へ行くタイミングを逸する日々にあったが、本日ようやく鑑賞する機会を得た。
 Rちゃんが上映時間の2時間近くもつのか懸念されたが、結果、基本的に周りの迷惑になるようなこともなく3回(軽く劇場外に出る)の息抜き程度で無事鑑賞出来た。
 
 勿体ない。
 まったくもって勿体ない。
 これほどの恐ろしい才能が逝ってしまったことが、世界中の多くの人々の気持ち同様に口惜しくてならない。
 本番のテンションより7〜8割のウォーミングアップした程度の力なのかもしれないが、1シーンも見逃したくないような興味深き映像ばかりが矢継ぎ早に映し出された。
  
 Nさんの事前メールで知った女性ギタリスト:オリアンティ・パナガリスが、なるほど、かなりカッコいい。
 彼女のことはまったく知らなかったが、一発で虜にさせるビジュアルと技量。素晴らしかった。紛れもない世界一の演奏とパフォーマンス。
 マイケルは勿論偉大だが、あのツアーに招かれた連中の顔ぶれも映画の醍醐味と言えた。
 
 マイケル・ジャクソンだと、まずはジャクソン5時代の楽曲が好きだ。
 これからもあのグループの曲はカヴァーでやりたいぐらい。
 popスター以降のソロのマイケルには、一般の人よりも少しだけ多くの興味を抱くぐらいの認識でいたように思うが、亡くなってしまうとその存在が自分の中でもいかに大きかったのかを知った。
 USA for AFRICA We Are The Worldのレコーディング時、演奏する参加ミュージシャンもすごかったし、クインシーの担った部分に、日本人は初めて音楽プロデュースという意味を見出したのではなかろうか。

 また、これほど世界中にダンスをするプロフェッショナルな人間が溢れ返っているにも関わらず、最もマイケル・ジャクソンのパフォーマンスが最も見たいという欲望を抱かせることからも、彼のスキルはやっぱり頂点だと感じてしまうのだった。

 凄い人間だった。それしか言葉が出てこない。

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2009年 11月 9日

鶴岡食堂

 夕べの深夜、おいらを含む総勢5名が、おいらの泊まるシングルの小さな部屋に押し寄せ、カップラーメンと酎ハイ、ビールを飲みながら過ごしたのだった。
 おいらがベッドの端にくの字になって眠りかけたタイミングで、みなさん容器を片付けつつ、明け方帰途につかれたようだ。

 無料だった8時30分までの朝食バイキングは断念。11時近くまで起きられず。
 
 シャワーを浴び、先ちゃんと近くの喫茶店でお茶。12時過ぎにはホテルまで秀ちゃんが迎えに来てくださった。
 秀ちゃんは3日続けておいらたちのサポートを買って出てくださり、とにかく感謝の極み。
 今日の昼には、『鶴岡食堂』のチャンポン。水俣入りした直後に食べることが決まっていた物件だ。

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 海っぺりに車を駐め、店構えを見ると、もうその時点でこの店が美味いのかそうでない店なのかの判断がついた。もはやこの勘にさして誤差はない。

 チャンポンを3つ注文したのだが、水は勿論、お茶も自らきゅうすにお茶の葉を入れ、お湯を入れて戴くシステム。

 一口二口。地元のみんなが口をそろえて「鶴岡食堂のチャンポンを食べた?」と聞いてこられた意味を重々理解。申し分のない美味物件との遭遇だった。
 
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 食後、直ぐ近くの秀ちゃん宅まで送っていただき、16時頃に戻ってくるという約束でユーノスコスモをお貸し戴いた。
 こんなスポーツカーに乗ったのは、博多時代の頃の117クーペ以来だったか。
 ちなみに秀ちゃんのガレージには、ユーノスコスモ、社用の車以外にも数台が保管されており、おいらは黄色いポルシェの影を見逃さなかった!
 いずれにせよ、オープンカー仕様の車種は初体験だ。しかも助手席には世界の江口寿史兄!
 すこぶる天候の良き水俣の町並から海沿いまでオープンカーで激走することとなった。

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 なんて有り難いナイスな旅なのだ。
 市役所で最後のサイン描き業務を経由し、「水俣市の本店のここまで来なければ買えない」という名和菓子店『美貴もなか』本社を訪問。

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 『美貴もなか』の商品は、デパートにも卸していないし、インターネットでも買えないそうだ。
 その姿勢こそ、有象無象の情報社会と化した現代における真摯な新ビジネスなのでは? と逆に感じた。
 1個1個手作り故、1日で生産する量も限られるそうで、毎日完売するそうだ。
 品質が落ちるといけないので、無理な大量生産は絶対にやらないのだそうだ。
 甘い物は苦手なおいらだったが、職人上がりの社長の深い言葉は印象深かった。

  オープンカーで秀ちゃん宅へ帰還し、またしても秀ちゃんには新水俣駅まで送って戴いた。なんと御礼を申し上げればよいのやら。
 秀ちゃん、何から何まで本当にありがとうございました!
 走り去る秀ちゃん号に会釈をし、我々は新幹線で八代駅駅へ。

 バスに乗り継ぎ、熊本空港着。
 夕食を戴き、先ちゃんと便の違うおいらは土産売り場へ。先ちゃんは「じゃあ東京で!」っと、一足先にフライトしていった。

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2009年 10月 17日

札幌

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 午前中に稼働し、Rちゃんともろくに遊ぶこともなく昼過ぎの便で札幌へ。
 空港よりJRで札幌駅へ。

 こちらでも東京で使うスイカが使えた。ちなみに大阪では使えない。
 地下鉄ですすきの駅へ。東急インホテルへチェックイン。

 午後7時、作家:M氏、編集Tさんとロビーで合流し、予約してあったすぐ近くの寿司屋「たる善」へ。
 漫画、音楽、ドラマ、俳優、女優、映画、食…思いつくまま語りあう一時。M氏の中のブームをいくつかご教示戴く。
 それにしてもこちらの肴の美味いこと。銀座の高級店に匹敵する極上の食材が、話のテーマをそちらに導かせてくれる。山わさびだけでもつまみになる。
 話も盛り上がるが食も盛り上がり過ぎ、おいらの年代としては「そんなに食べてはイカンだろう」と言えるほど食い過ぎた。自分アホ。
 河岸を変え、赤ワインを注文したのだが、喉のギリギリまで先ほどの新鮮な諸々が遣えており、酔う前にして食も飲もギブアップ。自分アホ。

 Mさんをタクシーまで見送り、そのまま部屋に倒れ爆睡。やがて朝を迎えてしまった。

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2009年 10月 14日

記憶完全粉砕

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 午前中、クライマックス・シーンを継続し続ける最重要原稿を引き上げ、即刻入稿。
 
 夜、漫画家:山崎紗也夏と会食。
 彼女とは、地元のバーで度々遭遇することはあるものの、こうしてちゃんと待ち合わせて食事をする機会はもう何年ぶりだろうか? と思うぐらい久々。
 この日程も随分前から計画し、ずんずんずれ込み、ここまで延期された末に実現となった。
 かねてから「山崎さんと飲む時には是非誘ってください!」とリクエストしていた若き編集:Mも約束通り同行。
 新宿へ。

 生魚を肴に芋焼酎をちびちび。
 河岸を変え、赤ワインをちびちび。
 ゴールデン街では馴染みの連中と遭遇しながら、なんらかのアルコールをちびちび。
 その後の話によれば店:HのHちゃんも合流したそうで、みんなで花園神社にお参りにも行ったそうだ。当然おいらも。しかし全然記憶がない。

 そのうちお開きとなったようで、タクシーで山崎嬢の地元へ送ったならば、彼女は「まだ飲む」のだと言う。
 後の話で聞いたのだが(こればっかり)、おいはゴールデン街で一度オチた瞬間があった模様。
 そんなコンディションにありながらも「ならばおいらも!」と同行したおいらはカウンターで1杯戴くことに。ところが、限界を自覚しながらの儚い抵抗であり、結局、彼女よりも先に撤退。
 久々に記憶完全粉砕の夜更けであった。
 素晴らしき強者:山崎紗也夏、恐るべし。

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2009年 10月 13日

帰京

 遙々広島からご会葬くださった親戚のHおばちゃんを送るべく、午前7時30分頃、車を空港まで向かわせた。
 移動の車中では、おふくろとは従姉妹同士にあたるHおばちゃんから、いくつかのエピソードを窺う。
 とにかくHおばちゃんは、おふくろの緩やかな性格を褒めっぱなし。「あんたのお母さんは、そら優しい人やからねぇ。本当にいいお母さんよぉ。昔からそうやったよ」
 おいら、終始笑顔。
 空港に到着し記念撮影終え、ゲートインしたHおばちゃんを見送った。

 帰宅してすぐ、今度はおいらの離陸時間が迫った故、東京組の姉、甥っ子の3名と、見送り組の姉、母と再び空港へ。
 皆様方、色々とお疲れさまでした。

 昼過ぎに羽田へ到着し一路神保町へ。即刻、編集業務の真っ直中へ埋没。

 結局深夜の帰宅となり、残念ながら(起きた)愛しのRちゃんにはまだ逢えないまま…

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2009年 10月 12日

告別式

 深夜5時30分に1時間仮眠を戴き、7時に1人帰宅して朝風呂へ。
 8時、姉の甥っ子4人を起こし、9時に再び会場へ戻る。
 告別式は11時より開始。

 奈良から駆けつけた従姉妹:中川太が、ばあちゃんに最期に贈る言葉を述べる。
 「生きて生きて生きまくったばあちゃん。ありがとう」
 それらの言葉を記した大きな垂れ幕まで自作してきた、太による労いの言葉が胸を熱くさせる。
 太の大きな大きな声は、充分ばあちゃんの魂にも響いたことだろう。ヤツの男気に泣けた。

 葬儀の最後に親族代表の挨拶を仰せつかった。
 ばあちゃんが救急車で搬送され、血圧の数値も危ない旨を知った事。
 家を出る数日前に母に告げた最期の言葉。
 それらを聞かされた時に狼狽した気持ち。
 満州から命からがら帰国を果たしたばあちゃんの勇気と強さ。
 そして自身の持つ個人的な価値観を何一つ、第三者に押しつけなかった品格。

 それらを言葉に託し、参列賜った皆様の前で語らせて戴いた。

 そして親父の葬儀の時と同様、おふくろへの労いの気持ちを語らずにはおられなかった。
 親父のもとへ嫁ぎ50年間、まさに親戚・関係者のために自分自身のプライベートはおざなりにして、献身的に尽くし尽くして生きた母。
 すべての祖父祖母の介護は全面的におふくろが担ったようなものだった。
 天に召された祖母はとてもとても幸せだったに違いない。世界一の娘に最期を看取ってもらえたのだから。

 霊柩車とマイクロバスを自家用車で追いかけ、火葬場へ移動。
 最終最期のお別れをし、点火。
 おいらは自宅での準備がある故、一足先に引き上げた。
 スーパーで頼んでいた精進上げのオードブル2点を受け取りに行き、自宅で準備。
 葬儀屋さんにディスプレイを施して戴いた頃、親族らが帰宅。
 正装から普段着へ着替え、各々一息つきながら、昨日の夜中に姉らと作ったおにぎりをオードブルと共に頬張る。

 精進上げを戴く前、遺骨となったばあちゃんにお経を上げて戴いたのだが、その際、その場にいた全員が目撃した光景があった。
 並べて隣に設置してある親父の仏壇にあるローソクと、今回設置したばあちゃんの祭壇のローソク2本が、風もない部屋の中で異様な燃え上がり方を示したのだった。
 親父の方のローソクの燃え方は時折異様な勢いがあり、1本無くなるスピードが尋常ではなかった。
 超常現象には縁もなく、大槻教授やら松尾貴史指示派のおいらとしては、そうした意識は皆無に近いものの、今日のこの景色だけは特例として己の意識の中に刻んでおこうと思う。
 親父がみんなを見守り、労いの気持ちを示してくれていたのだと信じて。

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2009年 10月 11日

通夜

 通夜の儀は午後7時より。
 事前の準備等もあるので、それよりも数時間早めの会場入り。

 祭壇にまつられたばあちゃんの遺影はおいらが選んだ。
 桜の花見の時に写したばあちゃんの笑顔が可愛らしい写真だ。
 身内で根暗の者が皆無なので、こうした葬儀の席にあっても始まる前は賑やかな空気が流れる。ばあちゃん、きっと喜んでいるに違いない。
 ばあちゃんの遺影をバックに、この日を忘れないための写真を数枚撮影。

 そして午後7時。お通夜はばあちゃんの意向を汲む友人葬にて執り行われた。
 おいらにとっては初体験の儀。

 終了と共に姉と買い出しに走る。
 精進料理を振る舞い、遙々遠方からご会葬賜った親戚、知人、友人の方々を順次お見送り。

 線香の絶やさない、ばあちゃんのいる部屋で従姉妹同士馬鹿話に花が咲く。
 こちらも葬儀恒例の風景。ばあちゃんの遺影は変わらず朗らかに笑っていた。

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2009年 10月 10日

帰省

 結局、1時間天井を睨んでいたが全然眠れなかった。
 午前4時にシャワーを浴び、車を呼んで最寄り駅へと向かった。午前5時の高速バスへ乗車。
 午前6時台のANAに搭乗し一路九州へ。

 遡る4時間30分前、祖母が98歳と11ヶ月の生涯を閉じた。
 空港に迎えにきてくれた姉の車で帰宅。
 部屋に入ると、綺麗な装束に包まれた祖母が横たわっている。なんと美しい顔をしたばあちゃんなんだろう。
 とても亡くなったとは思えない表情に映った。

 満州はハルビンより、幼き2人の娘(母と叔母)を引き連れ、命からがら帰国を果たした祖母。
 祖母がいたからこそ己の命に繋がった。
 祖母はとてもとても偉大でとてもとても優しかった。

 明日からのセレモニーのための打ち合わせを関係者と綿密に執り行う。
 続々と集ってくる親戚らと久々の再会を果たす。彼らの誰もが実に朗らかで、賑やかな時間が流れる。
 それもばあちゃんの人間性を反映しているようだ。
 本日は仮通夜となり、明日が本通夜、明後日が告別式となった。

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2009年 09月 19日

Bunkamuraオーチャードホール

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 先だって発売された、ジェイク・シマブクロのライヴ国内盤ジャケットを描いた漫画家:谷口ジローさんと会場入り。
 ジェイク・シマブクロ in Bunkamuraオーチャードホールへ。

 ホールは超満員。
 ツアー中日の頃合いで、演奏的にもまさに脂ののった完璧な技量と色気の炸裂する申し分のないコンサートだ。
 たった一人で2時間以上のステージングをこなす舞台演出には、今回、スクリーン、CCDカメラを駆使したジェイク。
 アットホームな中に、針の穴を通すような繊細なリズムとメロディの機微。とにかく圧巻としか言いようがない。
 今回、初めてジェイクの(ガット)ギター・プレイも拝聴したが、そのスキルには嫉妬を抱くほど。見事。さすが。舌を巻いた。

 終演後、大勢の関係者が待ちわびる中、控え室にジェイク登場。
 ジェイクは谷口さんの描かれたジャケット原画を持参し、記念撮影の後にサインを戴いた。谷口さんも英語版のご自身のサイン入りコミックを贈呈。全編英語フキダシのコミックスにジェイクご満悦。
 冷静にコンサートの出来を確認するジェイクに、おいらは感じたままの印象を伝える。彼と同じ時代に生き、同じ音楽を共有出来る幸運に感謝しながら控え室を後に。

 今後彼は、国内ツアーのわずかな合間にも渡仏し、異国でのライヴを控えているそうだ。
 世界有数のこれ以上考えられないミュージシャンの一人:ジェイク・シマブクロ。今日も世界へ邁進中。 

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2009年 09月 18日

1986年9月28日

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 博多から上京し、東京で初めて飲んだ店は吉祥寺『大茂』(現在、駅高架下にあった当時の場所とは別の店舗へ移転。営業時間も短縮)。
 上京したその日、九州時代の同級生で東京在のTに連れられ、飲んだ店が『大茂』で、当時の彼はライヴハウス『のろ』のスタッフ。(『ライヴハウス:のろ』であるのに対し、「そちらはライフは“うすのろ”さんですか?」と言う電話がかかってきたことのあったTの話をふいに思い出す)
 結果、吉祥寺『のろ』は、おいらが東京に来て初めて認識した飲み屋の一軒となった。

 当時、Tの誘いで1日だけ『のろ』のカウンター内に入り、スタッフの一員的ノリで手伝いをやったことがある。
 「米澤、おまえの好きな漫画家がうちでライヴやるみたいやぞ」そうTが言うのだ。「誰?」と聞けば「江口寿史」と答えが返ってきた。
 背筋に緊張が走った。「ホントか? だったらその日一日、カウンター内でバイトさせてくれ」
 当時、Tが掛け持ちで厨房スタッフをやってた今はなき中箱バー『プレイヤーズクラブ』の厨房の手伝いも、Tの口利きでやっていたこともあったし、そうした行き来はなんだか当たり前のようにまかり通っていた。

 『のろ』でのライヴは、遠藤賢司のオープニング・アクトと言う形で、江口寿史率いる漫画家&編集者で組んだバンドでの登場。
 カウンターごしにステージを見つめていたおいらは、今となっては他のメンバーの印象は何も残ってなく、ほんの数曲しか演奏しなかったその漫画家だけの動向を遠巻きに追いかけていた。
 ライヴが終わり、面々は打ち上げに突入。
 盛り上がる店内。こちら心臓バクバク。小学生時代から憧れたあの漫画家にどうにか話しかけたいのだが、どうしても踏ん切りがつかない。
 「しかしこの絶好のチャンスを不意にしてしまったら、おまえはどんだけのアホなんだ」「後悔だけが残るぞ」自分にそう言い聞かせ、便所で用を足した直後の(当時30歳の)先ちゃんを入口で待ち伏せする。
 「江口寿史が出てきた!」意を決し「あの…江口先生、ファンです」伝えた言葉はそれが精一杯。
 会話の流れでおいらも九州生まれですと告げた時、熊本出身の先ちゃんが「九州ね?」と九州弁の口調で返してきた。
 会話は一瞬のささやかなものだったと思うが、ともかくこの田舎から上京してきたばかりの、見ず知らずの青年に、先ちゃんが最後にかけた言葉が「今度、家に遊びに来なよ!」だった。
 倒れそうになった。初対面のロック小僧に漫画界のカリスマはとても優しかった。
 まだまだおいらはプロギタリストでも編集者でもなかったあの頃。

 その『のろ』が、10月いっぱいで閉店だと、先ちゃんからの最新メールで知らされたのだ。

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2009年 09月 5日

JAZZ KEIRIN

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 下高井戸の東京讃岐うどん屋「JAZZ KEIRIN」には、法政大学2部ジャズ研究会OB会の打ち上げ以来に訪れたので、もう何年ぶりになるだろう。
http://www.jazzkeirin.com/

 料理人時代のおいらが大学に所属していたわけではなかったが、縁あって20歳ぐらいからギターの参加で、なし崩し的にサークル活動を数年間過ごした時期があった。
 オーナー:T氏は、おいらよりも1個年上の同じく2ジャズ出身。
 久々の再会を果たした(2ジャズ内では同期のような)TTが、何年ぶりかに誘ってくれた店がここだった。
 
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 閉店間際にお任せで出てきた酒のアテの何もかもが美味い。
 時間的にカマの火を落とさねばという事情もあり、うどんの選択も店主:Tさんに任せ、冷たい(確か)白カレーうどんを戴いた。味◎。

 酔いに任せ、競輪好きのTさんの話を聞くうちに、思わず90年頃、当時まだギリギリ現役選手だった中野浩一選手へのインタビュー(江口寿史先生との対談企画)のことを思い出した。
 プロスプリントで世界10連覇した奇跡の実績は尋常ではない。

 中野は1976年に初めて世界自転車選手権に参戦。
 翌1977年には世界自転車選手権プロスプリント種目で初優勝。それから毎年同種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成した後、自ら同競技より身を退いた。「KEIRIN」を世界的に認知させたのは間違いなく中野だった。

 当時伺った淡い記憶ながら、V10を振り返った中野は確かこう語った。「初優勝の時には、『あいつは誰だ?』と言われ、誰にも認知されなかった。2度目以降の連覇の積み重ねにより『東洋人?』『日本と言う国から来たヤツなのか?』『ナカノという選手なのか!』と徐々に名前を覚えられ、認知される評価を目の当たりにしながら競技を行っていたものでした」
 「後に、もう自分が身を退き、世界一の走者でなくなった後にも、ヨーロッパの大会にゲストとして招かれると、ポスターの一番上には大きく『Koichi Nakano』と書かれてあるんですよね。嬉しかったなぁ」
 世界チャンピオンの名は、その次にナカノの文字よりも一回り小さい字で記されてあったそうだ。
 中野の偉業は、他の、どのスポーツのどの優れた選手にも匹敵、あるいは凌駕するほど桁違いの素晴らしいものがある。

 『世界自転車選手権プロスプリント10連覇』
 この記録は、20年以上経った現在でもいまだに破られていない。 

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2009年 09月 2日

関西にて第二子

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 過去に2度、満席で断られてしまった店:Tへようやく入店出来た。
 大将は「たまたまですよ、ホントにたまたま」とおっしゃるが、この店が人気店になりつつあることは第三者情報からも窺い知れた。
 Iとの飯は常に久々だ。
 彼は全国を飛び回る業務もある故、日程の摺り合わせが益々困難になりながらも無事再会を果たした。
 
 卓につき、しばらくすると関西の同級生:K先生より「業務終了〜」メールが。
 つい先日、めでたく第二子を授かったK家。その後、親父(K先生)の声を初めて聴いた。
 彼のmixiに事の詳細が記されてあるのだが、その文面はいつになくハラハラしながら読んだ。文脈を見る限り、どれほどの修羅場だったのか想像するのも恐ろしいほどの切迫感を感じたものだが、最善を尽くした彼らの処置がすべてを無事に導いた様子。
 嬉しい。嬉しくて、まだ大して呑んでいなかったが、心が喜びで泣けてきた。

 男ごとき、確かに女性には勝てないわな。よかったよかった。K先生、おめでとう。

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2009年 08月 24日

ぷーるいく

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 日に日に言葉のバリエーションが増えるRちゃん。
 どこの親御さんにしてもこの面白味は体験してきたのだろうが、特別に子供嫌いだった自分は第三者から、こんなに刺激的な子供の話を聞くことはこれまでなかった。
 己の豹変ぶりは自覚しているものの、未だにこんなブログを書くこと自体信じられない感覚でおいらを見ている身内もいる。
 
 先だってSちゃんに誘われた、Rちゃん未体験の「プールへ行く」というイベントを彼女はしっかり覚えており、「ぷーるいく? ぷーるいく?」と口癖のように語る時がある。
 大人だろうが子供だろうが、勿論約束は守らねばならない。
 残暑と言われるシーズンのうちに、一度赴きたいところ。
 
 自我が芽生え、あり・なし、好き・嫌い、欲しい・いらないの意見をしっかり持ち始めた子供の感性は、少なからずこちらにも重要な人の機微を教えてくれる。

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2009年 08月 23日

Music Is Good Medicine Tour 2009

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 昼、車を動かそうと鍵を開けようとするがドアの解錠音がしない。
 完全に電気系統がイカれている様子。
 よくよく見れば丸々2週間、室内灯の1カ所が点いたままの失態でバッテリーが上がっていた。

 予定していた外出の時間は押し迫っていたので、やむなく帰宅後の夜JAFを呼ぶことに決めた。
 [Music Is Good Medicine Japan Tour 2009]で国内ツアー中のジェイク・シマブクロ・コンサート観戦のため「恵比寿ガーデンホール」へ向かう。
 やむなき電車移動の道中、いつになくおいらの場所から離れないRちゃん。
 家以外でこれほどコミュニケーションをとったことがないほど、実にたまらない時間を過ごせて幸運だった。その代わり移動中の7割は抱っこ。ともあれ運転手だとこうはいかない。
 
 恵比寿ガーデンプレイス敷地内では買ったばかりの一眼レフが大活躍し、Rちゃん特写におよそ20分。
 動きっぱなしのRちゃんとは2時間30分ほどのお別れで、おいらはライヴ会場へ。

 先日書かせて戴いたライナー・ノーツの載った『Live〜ジェイク・シマブクロの世界』発売以来のライヴ・ツアーとなる。
 会場はチケット完売の様相で場内満席。大量に陳列されているCDの平積み加減が嬉しかった。
 
 初期のアルバムからの選曲なり、懐かしい衣装での演出なり、CCDカメラをウクレレのヘッドに搭載し、大型スクリーンで奏法をしっかり見せる演出やらと、趣向を凝らしたアイディアが会場の空気を和ませ、そして凝視させた。
 常に立ち止まらない偉大なる音楽家:ジェイクの演奏が今日もありがたい。
 
 登場するまで知らなかったが、ゲストにはアコースティック・ギタリストの押尾コータロー。
 YouTubeなりテレビでその卓越した超絶技巧は知ってはいたが、彼の最新アルバムからのオリジナル曲を始め、その明瞭で美しい音色がまずは際立っていた。やはりとんでもなく上手い。
 ジェイクとのセッションが命題となるのだが、中でも後半に魅せた「Five Dollars Unleaded」の2人かけあいは正に圧巻。
 誤解を恐れず言えば、このテイクは彼らにもそうそう簡単に再現は出来ないのかもしれないと思わせた。それほどの極めた演奏と言えた。
 互いのインプロの極みからエンディングへと叩きつけるキメまでがものすごい化学反応を実現させていた。
 (後で聞いたのだが)限られた打ち合わせの時間しかなかった故、双方がどう掛け合ってくるのかは、本番のテンションでないとお互い解らない境地だったことだろう。
 世界最高峰の演奏と認識する、すさまじき瞬間の証人となれた今日はラッキー。

 公演はアンコールを含んでおよそ2時間30分。
 終演後、控え室でジェイクとの再会をRちゃんと果たし記念撮影。一眼レフが活躍。
 押尾さんもご紹介戴き、彼の最新アルバムを贈呈戴き感激。

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 押尾さんのゲスト出演はスケジュールの都合上、昨日と今日の2カ所、東京公演のみ。特別な1日だったようだ。
 せっかくなのでRちゃんと押尾さんとの2ショットも実現の運びとなり、ムードメーカーなRちゃんの存在の大きさをここにきて再確認。
 Rちゃん、恐るべし。

 夜帰宅し、JAFを呼んだ。
 「バッテリーの残量は計測すると0。チャージしても数値が安定していないため、アイドリングとか、少々走る程度では一度止めたら再びエンジンがかからない確率もあり。GSでチャージするにせよ、これからなら24時間の店でなければならないし、最低でも半日〜1日は車両を預けなければならないはず」
 と診断されたので選択肢はほとんどなく、17000円の大枚をはたきバッテリー新調(泣)。
 
 気持ちとしてバッテリーのテスト運転も兼ね、ともかく車を動かしたかったのでRちゃんを連れ立ち、Sちゃんスタジオへ走らせた。

 スタジオにたまたま居合わせた最強スタッフ:Mちゃん、小Sちゃんとの嬉しい再会ともなり、Rちゃんは初対面の機会を得、なんと嬉しき邂逅となったことか。
 それまで気乗りしていなかったRちゃんの発言が嘘のように、Sちゃんスタジオ玄関前に到着したとたん、走り込んで家屋の中に入り、「うーたーまんいったよ。うーたーまんいったよ」とSちゃんに語り出したRちゃん。
 大いに笑った。

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2009年 08月 21日

Happy Birtheday

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 例えば知り合い女性の多数が標準的に30歳半ば頃を過ぎる年齢になると「誕生日を迎えても、もう喜べる年じゃない」というような言い方をする。何十回も聞かされたフレーズ。
 逆に男からはあまり聞かないフレーズのひとつだ。
 作家の出版する本の見返しで、プロフィール部分に生まれた月日を入れる割には、年度を入れない作家の意味も解らない。
 年を言ったところで抱く印象など何も変わらないのに…とかねてから考えるおいらは年を隠す気持ち自体が解らない。

 おいらにすれば、己の人生において最も重要な1日。
 今日はおふくろの誕生日。

 数年前にも書き記したかと思うが、時間があれば常に日頃の運動を絶やさない母。特に卓球に関しては冗談抜きに真剣勝負したら未だに勝てないかもしれない。
 なにせ定期的に練習している故、いきなりの対決なら勝つ自信がないのだ。
 親父も強かったがおふくろも屈強な継承者。まだまだ強い。誇らしい。

 大陸生まれの母が厳格な親父の家に嫁いでから今日まで、家族、身内を献身的にサポートする人生が続いている。
 物心ついてからおふくろの横顔を見つめてきた我々姉弟3人の母を思う印象は同じだ。
 親父の父母とは、祖父母本来の身内よりも真摯に向き合った。それぞれ人生の最期まで看取った最たる“身内”がおふくろだった。
 父方の祖父が自分の娘・息子よりも比較にならないほど母を信頼し、亡くなる何年も前からその気持ちにブレがなかったことは、祖父が遺書に書きつづらなくても孫のおいらたちは知っていた事実だった。

 親父も含め、おふくろにも「何故そんな貧乏くじのような、第三者の犠牲になるのだ」というような、当時としては腑に落ちない選択をしていた両親にいらだちを覚える時も多かった。
 しかしその考えは間違いだった。
 彼らの大いなる人間性の度量が、そうした生き方を選択させたことに気づいたのは、親父が現役を引退した頃辺りからだったか。
 果たして母は、これまで何人の者たちの生活の助力をしてきたことだろう。

 翻って現在、今日も実祖母の日常をサポートし続け、実娘の深刻なる悩み事を受け入れた。
 一般的に高齢と呼ばれる今頃になっても尚、複数かつ育ち盛りの孫を現実的に育てながら、ほんのささやかな自分の時間を“健康維持”に充てる母。
 「私が倒れるわけにはいかんからね!」笑いながらそう言う母は、自身のおかれた立場として自分がいなければ歯車が狂ってしまうと、結局第三者の生活を最優先して考えている。

 頭が上がらない。
 おふくろの生き様こそ、永遠の最大のリスペクトの対象。その気持ちは勿論永遠だ。

 Happy Birtheday

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2009年 08月 14日

Les Paul

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 昼過ぎ、KJ兄からのメールでレス・ポール御大ご逝去の訃報を知る。
 絶句…。「ついに逝ってしまったのか…」

 エレクトリック・ギターは彼の存在なしでは語れない。
 ギブソンのオフィシャルサイトには、多くの有名ギタリストのコメントが寄せられていたが、ギタリストであると同時に発明家であったレスの存在は、どのギタリストにとってもその存在はあまりに大きかった。
http://www2.gibson.com/Gibson.aspx

 何年おきかに仕事でNYを訪問する機会もあったが、いつも、レスの恒例ライヴの曜日「レスポール・ナイト」には日程があわず、それを理由に結局一度も彼の生演奏を聴く機会には恵まれなかった。
 エレキギター本体の開発しかり、マルチトラックの発明家ともなれば、世界でどれだけの音楽に携わる人々がその恩恵を受けてきたか。その功績は、プロツールス全盛の時代における現代であろうともすべての発想の源だと言えた。

 16歳で親父に7万円借りて買った最初のエレキギターが国産レスポールだった。
 レオ・フェンダーが逝き、そしてレスが逝った。
 エレキギターの歴史における大きな節目の一日となった。合掌。

投稿者 yonezawa : 14:41 | トラックバック(0)

2009年 08月 9日

じゅーたーまん

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 午前中、唐突なる姫の「おきて! おきてパパ!」の一言で“悪夢”から目覚める。
 悪夢とは、iPod touchの中にセーブしていたRちゃんの写真がスライドショーのごとく逐一悪魔のような顔に変貌する…という本気で恐ろしい内容だった。
 その悪夢からRちゃん本人が目覚ましてくれた。あの心理は何だったのか。
 
 もう1週間ほど前から彼女と約束していた「ウルトラマンに会いに行く」計画を実行に移すべく、午前中からいそいそと準備。

 今週、「じゅーたーまん、いく? じゅーたーまん、いく?」と少なくとも5回は問われていた。
 ケーブルTVで『帰ってきたウルトラマン』の(確か)最終話を見せてから、Rちゃんはアンパンマン並にウルトラマンが気になるキャラクターになったよう。
 ちなみにその最終話の暗いことと言ったらないのだが、彼女には何かひっかかるものがあったのだろう。
 そのうち忘れてしまい、再びいつもの「しまじろう」とか「アンパンマン」等に戻るのかと思いきや、その熱はずっと継続されていたようで、「だったら行こうか!」と約束したのだった。

 早めの昼食を戴き、随分空き空きの都内へ車を走らせ、目的地:池袋サンシャインへ到着。
 道中もそうだが、館内の人出も比較的大したことがなく、通常この程度の人出なら、なんと快適な観光に、ショッピングになろうなぁと感じた。

 駐車場の割引の対象にもならない高額な入場券を購入し、ウルトラマン・ショーの座席も確保。入口で撮られた写真は(購入は自由意志ながら)帰り際に1200円で売られる仕組み。額装なら2500円とは、そのあこぎさに驚かされた。
 アトラクションのタイムリーな時間が来るまで、他の催し物会場を先に梯子。
 まだRちゃんの年齢ではトライ出来そうなゲームはないのだが、いくつかの小物を買ったり、おやつを食べたりで館内を適当にブラブラ。

 ウルトラマン・アトラクション会場へ戻り、乗り物に乗ったり、怪獣、ウルトラマン等の等身大フィギュアを眺めた後、舞台で行われる催し物、さらに別の大がかりな舞台のショーを観戦。
 Rちゃんを太ももに乗せ、椅子に座って観戦中、激しい睡魔に襲われ10分ほど上手に爆睡。
 ショーはおよそ1時間。着ぐるみの方々の暑い・熱い苦労を想像した。
 「おもしろかった?」の問いに「おもしろかった!」とRちゃんご満悦。よかったよかった。
 早めの夕飯にRちゃんはフライドポテトと餃子。ご飯は食べてくれなかった。
 帰途の道中、30分程度お昼寝をしたRちゃんに、帰宅後ふりかけご飯を食べさせ、お風呂。
 ご機嫌も損ねることなく就寝まで導けたのがなんとも嬉しい感慨だった。

 Rちゃん、買ってもらった初代ウルトラマン・フィギュアを握りしめてスヤスヤ寝ていた!

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2009年 08月 3日

hibari & Pixie Lott

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 ↑に倒れた。絶賛発売中!


 午前中、都内某所着。
 初来日中の美人シンガー:ピクシー・ロット、インタビューへ。
 長旅の疲れか、前日からかなり体調が思わしくない情報を関係者より得ていたのだが、登場した彼女はとてもプロフェッショナルな気持ちを持ち合わせていた。
 2パターンの衣装によるフォトセッションを経てインタビュー・ルームへ移動。

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 イギリスはケント出身の若干18歳。
 今流行の、リアリティ番組やオーディション番組などテレビのバックグラウンドなしでデビューシングルを全英シングルチャート初登場1位に送り込んだ、初のUK女性アーティストとのこと。
 ポージングを決めてスチール撮影を行った時の大人びた雰囲気とはうってかわり、テーブルを囲んで質疑応答する瞬間、等身大の彼女の笑顔はまさに年相応。とてもキュート。
 
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 デビューアルバム『Turn It Up』は9月に全英リリース予定(日本では10月14日)。 
 身長は180cm以上あるそうだ。

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2009年 07月 30日

iPOD touch

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 深夜帰宅すると、部屋のあちこちにオモチャのコインやらシールやら折りたたんだトランプ等が散乱している日もあり。
 手の届かない壁際の隅には様々なモノが落っこちてしまっている形跡。
 
 しばらく使ってなかったiPOD touchを思い出し充電。
 しかし、移動中に音楽を聴くと言う行為はほとんどやらなくなった。
 ダウンロードの始まった現代、巷では移動中の音楽鑑賞はウォークマン登場期の頃のようにポピュラーな光景だが、移動中はもっぱら仮眠というケースになっている昨今。

 昼間、ついにiPOD touchをRちゃんに発見されてしまった。
 同時に写真の送り方、拡大の操作を即座に習得されてしまった。
 結果、当然のごとく彼女の私物となった…。

投稿者 yonezawa : 18:06 | トラックバック(0)

2009年 07月 28日

忘れた

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 生クリームを使う料理は、大人になればなるほど好きになってきたような感じ。
 高カロリーとは知りながら、メニューに白身魚を素材とした品がかかれていると迷わず注文してしまう。
 素人ながら自炊を25年前後続けているサラリーマン:Kはフードプロセッサーまで購入し、アボガドやらタマネギやらをシェイクし料理するのだと言う。
 なかなか馬鹿にできない素人オヤジ料理。次回喰わせてもらおう。

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 雨模様の天候が鬱陶しい。
 飛び込んだ店で、預けた傘を忘れてしまった。買って全然使っていなかった新品だった。
 傘ってどうしてこう定期的に置き忘れるものなのか。
 夏場、外出した後ハンカチを忘れてしまったことに気づいた瞬間の無念な思いといい、何度も何度も“忘れるものか”と思っている日用品を忘れるのだ、人間は。
 「習慣となっているいつもの行動と、急に違う動きをすると忘れがちになりますよね」とは漫画家:Mの弁。
 シャワーを浴びて、服を着て、鞄の中身と身につけるモノのチェック。
 例えばこれが日常の順番であれば、その順番を入れ替えるだけでタイミングは乱れ、忘れ物の可能性を高めるのだと。
 
 ズボンのベルトの装着は今日もRちゃんが手伝ってくれた。こちらは毎度の日課的行動パターン。
 Mの発言を思い出し、外出時いつものように左足から靴を履いてみた。

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2009年 07月 26日

チャンネル権の行使

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 不意に未確認情報が飛び込み、関係者各位に緊張が走る。
 来週の業務再開後、さらなる詳細の確認が待ち構える。
 自宅待機の時間はバンド・リハーサルの時間と思い切り被っていたが、最後の1時間だけ間に合わせるべく、思い切って家を飛び出した。

 リハ後、諸々の連絡を行いながら吉祥寺駅ビル構内でRちゃんらと待ち合わせ。
 軽い食事を終え帰宅したとたん、やにわに睡魔に襲われたRちゃんは「(お風呂に)入らない!」と言う。
 「今日もいっぱい汗をかいたから入らんとイカンよ」と促すものの眠気に負けそうだったのか「入らない!」とビッシリ繰り返す。
 数回の押し問答の末、「水遊びしよっか?」っという言い方の変換により、どうにかなんとか入浴に導けた。
 一つ一つの問答には大いなる自我を含む人間性が現れる。実に面白い。

 こちらがチャンネル権を行使してはならない。
 午後10時30分を回った頃、テレビのリモコンを持たせて「Rちゃん、消してね」とお願いしたら、すんなりパチリと消してくれた。
 同時にRちゃんは「おやすみなさい」と小声で言ってくれたのだった。

 自我を含んだ葛藤する人間性。和みの瞬間也。

投稿者 yonezawa : 04:17 | トラックバック(0)

2009年 07月 25日

1戸建てと国営昭和記念公園

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 S社:Sが、おいらの家からもほど近い閑静な住宅地に一戸建てを構えたと聞き、彼の新居でご飯を戴こうという話が急速に進展した。
 そのホームパーティを行う際には、そもそもおいらが料理をまかなうこと(条件?)になっていたので、S宅へゆく前に西友で買い出しに。

 「包丁が切れないんで、それも買いましょう」というSの要望も盛り込み、食材、飲み物は買い物カゴ4個がいっぱいになるほど買い込んだ。
 総計5名分の食材をわんさか購入。

 33歳の若さで庭付き1戸建ての物件購入。何はともあれ立派なことだ。
 おいらの自宅からの距離は車で正味15分程度だったろうか。
 「庭付き」の自慢話(笑)通り、確かにちょっとした庭もあり、隣は空き地。日当たりのよい環境も申し分のない新居に招かれた。

 今日集うメンツのうち2人がおいらとは初対面とのこと。
 Sの仕事仲間である彼らの到着時間はあと15分を切ってしまっていたので、とにかく突貫工事のごとく調理に着手。
 
 まず、ゆで卵を作成。
 その隙に、キャベツの千切りにレタス、サニレタス、トマト、キュウリ等を洗ってざるにあげ、サラダの材料は冷凍室へ。
 調理の後、サラダを即食べる場合、食材は冷凍室にしまうのがベストだと思う。

 豚肉野菜味噌炒め用の材料を切り出し、ニンニクアッシュして、シーフードクリームソースパスタ用の野菜、具材切り出し。
 調味料を確認。パスタの具材に考えていた3切れの鮭のうち2切れは素焼きにした。
 ニンニクの茎と牛肉を酒、醤油、出汁とブラックペッパーで炒め煮込み、5人前想定の豚肉野菜味噌炒めも作成。

 パスタの麺を12分間茹で、むきえび、鮭、卵黄、えのき、タマネギ等バターで炒め併せ、牛乳買うのを忘れてしまったので白ワインで和え、丁度麺がゆであがった頃、フライパン内で生クリームとざっくりあわせて軽く煮だたせた。

 S宅のフライパンが鬼のように小さいので、すべての料理は難儀を極めたが、丁度よいタイミングで到着したメンバー:Rに流しの洗い物等をサポートしてもらいながら、スムーズな時間繰りで予定したすべての品を完成させた。
 所要時間、正味1時間強だったか。気持ちのよい汗が流れる。
 
 ビールで乾杯。
 FUJI ROCKでの名演:ジョン・バトラー・トリオのライヴ映像を見ながら親睦会の開催。
 しかし仲間宅でのホームパーティはいいものだ。
 20年近く昔、たまに催していた、先ちゃん宅でのホームパーティは派手だったなぁ。あの頃もよく十数人分のシェフやってたっけ。
 午後5時のお開きの時間まで、ほろ酔いの心地よき時間が流れる。

 午後6時過ぎ、ママ&Rちゃんと三鷹駅で待ち合わせ。
 昨日突然思い立ち、国営昭和記念公園で開催される花火大会へ赴く計画を立てていた。本物の花火をRちゃんに見せようと考えた。
 
 立川駅からデパートの屋上を目指すが、すべてのテーブルがすでに予約者の名前で埋まっている。当たり前か。
 やむなく昭和記念公園に連なる遊歩道を歩き、適度な場所でシートを敷き、とりあえずの場所を確保。
 昼間2本近く飲んだワインがきいてきたのか、おいらは思い切り大の字。

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 やがて数千発を打ち上げる花火の音が聞こえ始めた。音色が小気味よい。
 Rちゃんは夜空に大きく輝く初めて見る景色を興味深く見つめている。その横顔がたまらない。
 ときおりRちゃんの姿を携帯とデジカメでとらえながら、可能な範疇「花火」の説明を耳元で聞かせた。
 ひとひとつの風景が彼女の心の襞にどういった心象を与えていくのか。
 かつて幼き自分が両親に見せてもらった胸の温まる多くの風景。Rちゃんを見つめながら、遙か昔に見た田舎での花火の光景がフラッシュバック。
 
 昔、祖母に花火大会でのあるエピソードを聞いたことがある。
 汽車が川内川を通過するそのタイミングに花火大会での花火が打ち上がった時、汽車は一旦そこに停車し、乗客に花火を見せてくれていたそうだ。

 なんて優雅でロマンチックな時代なんだ!

投稿者 yonezawa : 18:04 | トラックバック(0)

2009年 07月 23日

LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界

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 8.19発売「LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界」でライナー・ノーツを書かせて戴いた。
 ジャケットは日本が世界に誇る漫画家:谷口ジロー氏に快諾戴き、描き下ろしたイラストとなっている。谷口さんがCDジャケットを手がけたのは初。ジェイクの関連サイトでアート・ワークがすでにお披露目となっていたのでここでも掲載。
 全面的にアートワークまで任せてくださったKazyに感謝!

 これまでジェイクのアルバムには、細かい情報等を盛り込んだライナーはほとんどなかった。ので、クロニクル的な資料にもなるよう、9000W近い文字数でジェイクを見つめたすべての気持ちを書き記した。
 スタジオ盤のクオリティを凌駕するとも言えるジェイク真骨頂のライヴ音源は正に必聴。 

 はっきりしない雨の中、E先生宅で数十分の打ち合わせ後、小一時間闇経由で帰宅。

投稿者 yonezawa : 22:08 | トラックバック(0)

2009年 07月 22日

遭遇

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 どかんと届いた最重要な大量の原稿にせっせと指定を施し、わさわさと入稿。怒濤の入稿。

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 活字媒体のセクションに移動されたK氏に誘われ、およそ1ヶ月ぶりに再会。
 同じフロアからビルも変わってしまったので、随分疎遠になった感覚だった。
 訪れた店では、少年ジャンプ全盛期を支えたSさん、現M誌の大黒柱:Sと偶然遭遇。ビックリ。

 食事を終え深夜に帰社後、再び入稿に数時間。

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投稿者 yonezawa : 22:07 | トラックバック(0)

2009年 07月 17日

SOS

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 早朝4時、伴侶のSOSで近隣の救急病院へ。
 深夜の時間帯では簡単な診察しか出来なかったが、ともあれ応急処置で点滴をお願いすることに。
 点滴を受ける間、Rちゃんシフトのため1時間程度一旦帰宅しようと外へ出たらスコールのような大粒の雨が降り出した。
 5時30分に再び迎えに病院。薬を処方してもらい、とりあえずその場は凌げた。支払いは5000円の一時預かり金。点滴正味1時間40分。

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 帰宅し、5時間ほど横になった後、再び伴侶は病院へ向かいCTと2度目の点滴へ。
 午前中は室内でRちゃんのお遊び相手に徹する。

 Rちゃんの昼食には唐揚げ3切れと目玉焼き、トマト1/2にふりかけご飯。
 全部をきちんとテーブルについて食べてくれることは未だに皆無だが、今日はちゃんと昼食を完食してくれて嬉しい。
 料理人を経てきてこれほど役立ったと感じる瞬間はなく嬉しい局面はない。
 おいらはネギをきざみ、海苔をこなごなに千切り入れ、ワサビをつゆに溶かし、キンキンに冷やした揖保の糸を2束かけこんだ。

 まだ完治ではないが、一応落ち着きを見せた伴侶のコンディションを帰宅後確認し、都内某スタジオへ。

 久々となった本誌グラビア撮影への立ち会い現場は、とても大がかりな重厚感溢れるイントレが組まれていた。両サイドには野外ライヴでも充分可能な巨大ライティングが。
 企画内容を全然聞いていなかった経緯もあったので、この大かがりな撮影セットには驚いたが、おいらは頼まれたギター:ジャガーとストラトを責任持って用意。
 色は共に赤。用意したシールドも赤。小道具で見切れることにはなろうが、アンプもVOXの赤。
 ストラップもウッドストックのデザインが施された赤を貴重としてデザインされたもの。
 赤赤赤。今日の被写体女子が持つギターのイメージは「赤」だった。拘った。
 スレンダーな長身美女の彼女を想定すれば、フルシアンテやらカート・コバーンの持つフェンダー・ジャガーがジャスト・フィットだと考えた。
 
 やがてご本人がスタジオ入り。
 撮影衣裳をフィッティングした後ご挨拶を交わし、ギターを肩からかけると狙いはズバリ的中。ご本人、とてもチャーミングでありながらもギターを抱えたその姿は大変クールな出で立ちに。
 そして彼女は礼儀正しくクレバーな女性だった。
 今をときめくグラビア女優にして超売れっ子タレント:○○○ちゃんのジャガーを抱えたこんなクルーな姿は、ファンにしろ、読者にしろきっと初体験となるシロモノになることだろう。
 正に一点物のプレミアムショットが続々とデータ・セーブされてゆき、およそ1時間押した撮影は滞りなく終了。
 今日日のスチール写真は、撮った端からMACの大モニターに写し出され、撮影終了と同時にOKカットの確認が出来るシステムとなっている。
 この20年で、紙の入稿スタイルも写真の入稿スタイルもえらく変わったものだ。

 オール・スタッフの皆様方、お疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 02:19 | トラックバック(0)

2009年 07月 15日

孤高の格闘家

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 DREAMの大黒柱であり、あのエメリヤーエンコ・ヒョードルに「尊敬している」とまで言わしめた総合格闘技界屈指の逸材に青木真也(パラエストラ東京)と言う選手がいる。
 その青木選手の、打撃の師匠とも言える孤高の格闘家:飯村健一(大道塾吉祥寺)と久々の再会を果たした。

 「米澤さんと知り合ったのは1992年だったですね」と本人から改めて伺い、大した時間が経過したものだと時の流れを回想した。
 ついうっかり見逃したボクシングの話題など、いくつかの格闘技話もプロの飯村視点で教授戴くのだが、話の基本はお互いの愛娘のことばかり。
 ゴールデン街で飲み明かし、いくつかの夜を語り明かした飯村と今この歳になって、次回は家族で遊びの計画が出来るとは、なんとも感慨深い思いだ。

 あちらこちらの関係者筋から聞こえてくる噂によれば、飯村は指導技術にも大変定評があり、例えば素人の練習生にもすぐにサンドバッグ等、蹴らせてくれると聞く。
 通常の格闘家の指導を想像すれば、基本的な身体作りの反復練習を経なければ、そうした実際の打撃などをやらせてもらえないようなイメージを抱くものだが、彼の方針はそちらではないのだと言う。
 勿論、プロ指導者の鋭い監視あってのメニューなのだろうが、「まずは練習も楽しくなければ」といった、練習の面白さにメンタル面を直結させるような意識が、練習生のモチベーションを最大限に引き出すのだろうと想像させた。
 
 多くの本格プロ格闘家からの信頼も厚く、団体及びジャンルの垣根を超え、飯村選手に教えを乞う選手が後を絶たないことが、的確な指導力と人望をそのまま反映していた。
 彼がセコンドについてくれれば、それほど心強いものはなかろう。
 飯村選手、今宵もお疲れさん。

 河岸を変え、馴染みの居酒屋で偶然遭遇したのはEさんグループ&Kさん。
 そこでは、とある驚愕の完成度を誇る最先端イラストを目の当たりにした!

投稿者 yonezawa : 09:46 | トラックバック(0)

2009年 07月 9日

送別会

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 7年前に親父が亡くなった頃、幸いにも特に切迫して困るようなことはなかったが、今になって相談したいことやら意見を伺いたいことはなんとなくチラホラ出てきて、「こんな時に親父ならどう選択したのだろうか?」「こんな時、親父の判断はどうだったのか?」みたいにもの思う瞬間がある。

 本日夕方より、編集部から移動されたJさんの送別会開催。  
 Jさんはまさにヤンジャン編集部の親父的存在で、スタッフ内での存在は特別だった。
 送別会とは言いながらも、今後も同フロアでの仕事仲間であることは変わらないのだが、28年間の長きにわたりヤンジャンを支えてこられたJさんの歩みは偉業だと言えた。
 お疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2009年 07月 3日

夕張メロン

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 先日、母の日に合わせて注文した夕張メロンがようやく出荷の時期とあいなり、田舎に到着した模様。
 パソコンも携帯も自在に操るお袋と姉貴より御礼のメールを拝受。
 果物好きな性質のおいらは明らかに両親からの影響のもので、今でも一人スーパーに行けばその日の気分でなんらかの果物を買ってしまう。
 しかし同級生等の同世代の仲間で、わざわざ果物を買ってまで喰う知り合いはほとんどいない。
 むしろ拒否する輩の方が多数なぐらい。
 「感謝します。みんなで頂きます。ありがとう。」と言った母からの労いの言葉を読むだけで、随分得した気分になった。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 07月 2日

BOSS:J

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 BOSS:Jさん労いの会は、同士:Iっちゃんと。
 Iっちゃんの発見してきた新宿の飯屋Tはどえらい穴場のナイスな新物件で、アクセスもベスト。
 Jさんの人望は、とてもここのスペースに書き尽くすことなど不可能なほど尊大なものがあり、掛け値無しに特別な思いがある。
 「組の若い衆が親分のために鉄砲玉になる」この表現は大げさだとしても、Jさんはそうした気持ちを抱かせる、数少ない人格者だとかねがね感じている。
 頭に立つ者はそうした圧倒的な信頼感を抱かせるものであり、事実Jさんには多くのシンパが存在する。
 同時にチャーミングな不良性に包まれていることも、頭に立つべき人格者の条件のひとつだと言える。Jさんはとてもチャーミングだ。

 各々、連日の痛飲のようで、同じ程度体内に残った酒に迎え入れるような今日の酒であったことがおかしかった。
 新宿駅前から新宿三丁目まで徒歩で移動。
 Sでシャンパン、ワイン等で再び乾杯し、解散の後、夜風にあたりたかったおいらは彼らを見送った後、ほんの少しだけ散歩して歩いた。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 06月 30日

いくつになってもロケンロール

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 先日放送された、フジテレビ『人志松本のすべらない話』が楽しめた。
 個人的には小藪にも出て欲しかったが、各キャストによる申し分のないせめぎ合いを堪能出来た。
 番組は、岩崎宏美&コーラス隊による『聖女たちのララバイ』で幕が開いたのだが、岩崎宏美のサポートにはゴスペル歌手:亀渕友香も参加。
 
 今夜の夕飯は、亀渕友香さんの実兄で、ディスクジョッキーであり、音楽評論家であり、ニッポン放送元代表取締役社長の亀渕昭信兄とご一緒することに。

 久々の再会に、積もる話も個人的にはありながらも、結局顔をつきあわせて語られる話題のほとんどが、その場で閃いた思いつきだけのエピソードばかり。
 マイケル・ジャクソンの悲劇に関しても兄の見解には興味深いものがあり、スティーヴィー・サラスの書いてくれた名文の話は、とっておきのおいらからのエピソードとして兄にお伝えさせていただく。

 60年代後半のサンフランシスコで、やれザ・フー、ジミヘン、ジャニスetc...と普通にライヴハウスで聴いてこられた経験を持つ亀渕兄には永遠に脱帽だ。
 一昨年のO2 アリーナでのツェッペリンを体感しているのと、いないのでは今の自分は違うのかもしれない、というのは兄とおいらとの共通認識なのかもと思っている。
 よくぞ彼の地で、兄と共にあのステージを観戦出来たものだ。

 現在、NHKデジタル・ラジオで彼がディスクジョッキーを務める番組『亀渕昭信のいくつになってもロケンロール 』の放送(再放送?)が始まろうとしていた。
 兄、おもむろに携帯ラジオのスイッチをON。

http://www.nhk.or.jp/kame/index.html
http://www.nhk.or.jp/kame-blog/
http://e-days.cc/style/columns/2/

 小さな音にして、耳に当てながらおよそ50分間の放送を聴き入った。

 今日の内容は、ザ・ビートルズの日本公演が始まった日の特集。
 ザ・ビートルズ来日コンサートは、1966年6月30〜7月2日の3日間、昼間のコンサート(マチネー)も入れて合計5回行われたそうだ。
 その曲目は5公演とも全部同じだったとのこと。

1. Rock And Roll Music
2. She's A Woman
3. If I Needed Someone
4. Day Tripper
5. Baby's In Black
6. I Feel Fine
7. Yesterday
8. I Wanna Be Your Man
9. Nowhere Man
10. Paperback Writer
11. I'm Down
 
 放送は一種のドキュメンタリー番組とも言える内容で、おいらも今夜初めて知った情報がいつくかあった。
 飯の席で語る亀渕兄の声と、放送の声は思いの外トーンが違い、電波に乗せた亀渕兄の声のトーンが幾分高く聞こえた。
 なんと言う名曲の数々よ。ザ・ビートルズにはいつでもどこでも心で泣けるのだった。

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投稿者 yonezawa : 16:31 | トラックバック(0)

2009年 06月 25日

MOJITO

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 B社が近々に社屋をS社に移し、本国と同じ形態の会社として再起動するニュースは、昨年から聞かされていた。
 編集の先輩:T氏の要望で、レコード会社の近況をご教授戴くべく、名刺がS社となったHちゃんを交えての食事会をセッティング。
 西麻布「真」着。

 九州出身の父親を持つHちゃんは、プロモーターとしての仕事も完璧で、良き意味で年齢に似合わず仕事を円滑にこなすクール・ビューティな才女。
 おまけに父親譲りなのか酒も強い。
 
 すれっからしのロック信者であるおいらが、今ロック啓蒙のほんの一端を担えるような立場にもしあるなら「是非とも次回はこうしたい、ああしたい」などと妄想しながら、洋楽話に花が咲く。
 漫画、ロック、映画、スポーツ、すべてのカルチャーの中から良質なモノを抽出して紹介してゆければ、いち発信者としては本望だ。

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 酒豪ヘミングウェイが愛飲し、エレキギターの神:ジェフ・ベックが好んで飲むと言うカクテル「MOJITO」を、昨日のジェフ65歳の誕生日に飲めなかったので、本日改めてジェフに乾杯。

投稿者 yonezawa : 15:18 | トラックバック(0)

2009年 06月 24日

Jacqueline Bisset

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 地下鉄に降りる前、路上に立ち止まり携帯で深夜上映の映画日程を検索していたところ、同じく携帯を見つめながら歩いてきたMちゃん。
 彼は、飯はまだ喰っておらず、帰途につく途中なのだと言う。
 ここのところ互いの誘いも巧く間があわず、伸び伸びになっていた飯のタイミングをここで見っけた。

 馴染みのバー「S」は出前もOKなので軽食を注文。パソコン、音楽を中心としながらも、無軌道に語り合うカルチャー全般。今宵も実に興味深い内容ばかり。
 そこら辺の編集者よりも編集的スキルを有し、あらゆるカルチャーに対する造詣深さをかいま見せるデザイナーMちゃんは、ホントに何でも知っている。感心する。いつでも何でも教えてもらっているおいら。
 
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 店内でかかっていたDVD映像をなんとなく眺めていた。
 そこに映る主演女優の美しさに魅せられ、バーテンMちゃんに「これ何の映画だっけ?」と伺った。パッケージを見せてもらえば作品名は「アメリカの夜」。
 ところが前回にもこの作品について問い、同じ質問をしたことを情けなくも思い出した。

 巨匠フランソワ・トリュフォー監督の傑作。
 造形的に響くジャクリーン・ビセットの容姿は現代でも圧巻だ。

投稿者 yonezawa : 21:27 | トラックバック(0)

2009年 06月 19日

MEDICOM TOY EXHIBITION '09

 渋谷パルコ6F「ファクトリー」にて「MEDICOM TOY EXHIBITION '09」が開催。
 それに先立ち、(毎年恒例だと言う)レセプションパーティが本日行われた。

 そもそも畑違いのおいらはそんな情報など知る術もないはずなのだったが、トイズ・マッコイ代表で偉人:岡本博兄直々にプレミアム招待状をお贈り戴いた(大感謝!)経緯があり、勿体ないので編集部アートディレクター:モトちゃんを連れ立ち参加。
 会場ではビリケン商会代表:三原さんにも遭遇。
 
 なんだか事情もわからないまま、ともあれ場内に陳列された驚きのトイを観賞させていただいたが、やたらと人が多く大変な状態。
 ディスプレイされたウルトラマン・シリーズやら仮面ライダー・シリーズのフィギュアに関しても、量産の市販品もついにここまでの完成度を誇るものなのかと舌を巻いた。
 
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 個人的にはメインの品ではないのかもしれないが、やはりKISSなり、人物のフィギュアが目を惹く。
 知るものにとっては岡本兄、横山宏さんらで作成された「12インチマシーネン」はかなりのトピックらしい。圧巻のフィギュアは迫力満点だ。

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 時間をずらして集った夕飯は、久々の映画関係者の面々で佐賀料理を戴くことに。
 知らなきゃ絶対に入らない店のひとつ。K社の美女:Oちゃんの貴重な情報で初めてこの名店『佐賀 雑穀』を知ることになった。

 本格的に辛いゆずこしょうが、まず店の優秀さを物語り、魚ロッケ(ぎょろっけ)等面白いメニューも珍しかったが、玄界灘で獲れた白身魚の諸々に感激。煮ても焼いてもベストの一品に遭遇。全員大満足。

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 人格者と語り会う時間が貴重で有り難くてたまらない。人は真摯であることが人生最重要事項。そう考えて生きねばと、参加者中のOちゃん一人だけが思わせてくれる空間だった(笑)。

 事の発端となった、ロサンジェルスでわき起こったMちゃんに纏わるおいらのホラ話から始まった“Mちゃんゲイ疑惑”の話題に、彼自身が自虐的にフェイク告白する一幕。
 何度聞いても可笑しいスベらない話の1つ。何が本当で何が嘘なのか関係者すら判らない。
 彼らとの次回の仕事がとても楽しみ。

 何年も付き合いのあるD社:Kが、今日初めてまともな店を教えてくれた。粋なロック・バーは意外な場所に位置し、この店は、この時間、この空間にとてもよくマッチしてくれた。

 昨日届けられた7月発売のスティーヴィー・サラス・カラーコードの新作『SET IT ON BLAST!』から1曲、爆音で拝聴。
 またしても、世界一のロック・アルバムとの遭遇を果たす。本気で呻った。流石、あっぱれのサラス。

Fuckin' so very very cool guitar sounds.
A world's best rock album was completed again.

 昨日、早速感想のメールをスティーヴィーに送ったところ、速攻で返信到着。

Hey kaz!! Thanks. Please tell everyone to get the new cd ok and see you soon in japan I hope

Stevie

 来年、盤石の面子で来日の噂だ。

投稿者 yonezawa : 20:30 | トラックバック(0)

2009年 06月 14日

訃報

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 13日、プロレス興行の広島大会後に亡くなられたノアの選手兼社長、三沢光晴選手のニュースに驚いた。
 三沢選手とは、一度だけ直にお会いしたことがある。
 ディファ有明のリング上で行われた、ラジオ番組の公開録音という場だ。
 リングではバンドで「NOHA2000」というオリジナル曲も披露した。
 三沢選手のテーマ曲:スパルタンXは、当時のバンド・バージョンという形でvapレコードより再録・リリース(オムニバス・アルバム)したこともあり、三沢選手とはそれほど疎遠な関係ではない意識があった。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005H0DC/
 様々な覚悟を踏まえ、リングという過酷な場所に身を置くことは全プロレスラー共通の思いかも知れないが、実際にこうした不慮の事故を目の当たりにするとたまらない感情がこみ上げる。合掌。
 
 訃報続きの昨今だ。
 夕方、東西線:落合駅で下車し、友の母:Kさんのお通夜に伺った。ほんの数ヶ月前、友を介し「また是非今度、ご飯ご一緒しましょう」と交した約束は、永遠に果たされることがなくなってしまった。
 なんと虚しきひとときなのだろう。合掌。

投稿者 yonezawa : 20:01 | トラックバック(0)

2009年 06月 11日

パブ『アラジン』

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 20歳の頃、おいらは王子のパブ『アラジン』にいた。
 ミッキー・マウスのエプロンを付けて、厨房で料理を作っていた。
 まかない飯は手鍋で炊いていた。
 油を敷かなくてよい激辛チョリソのそてい、仕込み立ての揚げたて串カツの美味しかったこと。
 店内は日々常連さんで賑わい、カラオケ全盛だった。
 店までは、杉並から毎日トヨタ・セリカXXで通っていた。後に環七で3回転半の転倒事故を起こし、廃車にしてしまったセリカXXで。
 実に様々な思い出が蘇る。たった1年強の時間でありながら。

 あれからおよそ25年。
 皆、それぞれの仕事に就き、それぞれの家庭を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。

 幼なじみ:Kの提案で、ふいにあの日の面子:YE、KH、KMらの4人で卓を囲む日程が組まれ、本日その日がやってきた。

 思い起こすのは彼の日に見た景色ばかり。
 「あの人、名前なんだったけ?」と古い記憶を掘り起こし、今の日常では体験しにくい実際にあった抱腹絶倒のエピソードにお腹がよじれた。
 20歳そこそこで就職したKHの会社のロゴを2つもデザインしたことは、おいらは自分ですっかり忘れていた。ついでに、旧友:KKの今の会社のロゴもデザインしたことを思い出す。

 こうして古い記憶を辿りながら仲間と飲み交わす酒は好きだ。
 全員の曖昧な記憶を持ち寄ることにより、断片的なピースが綺麗に埋まってゆく。
 諸事情あって全員が辞める決意をし、我々が店を離れてからパブ『アラジン』は、ほどなくして消滅したそうだが、今は区画整理で建物自体何もないそう。
 
 店内で撮られたある1枚の写真。
 そこには、おいら、そして我が両親の2人が写っており、助言する父親に対して、神妙な表情で視線を伏せているおいら。心配そうに見つめる母。

 将来の展望など何も考えてなかった時代の象徴的な1枚であり、おいらはその写真が妙に好きだ。

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2009年 06月 10日

知らぬ間に外は雨

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 知らぬ間に外は雨。
 前途有望な編集:Mと初のサシ飯に。
 席でも語った話だが、Mは新人の頃から足が地に着き、そつなく業務をこなすイメージがある。その人となりは外部フォトグラファーなどにも評価されており、年齢に似合わなく冷静沈着。彼を指して、カメラ:Wは「様々な局面で常にびびらない男」だと評した。

 新宿でしばらくぶりの、ひろ喜ちゃんに会いに行き、突然誘われた赤坂の悪友チームと合流。
 スーパー・フォトグラファー:尾形正茂、編集超人:市川光治の「39会」面子の席に到着。
 20年を超える付き合いとなった彼らとの酒席は、もはや同窓会。
 ワインが格別だ。

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2009年 06月 9日

昼下がりのメール

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 昨日、イースト:吉田兄より感激のDVDボックスを贈呈戴く。
 思えば本気でテレビに没頭していた時代は、『北野ファンクラブ』の頃が最後かも知れない。
 見たかった番組を録画しそびれ、かなりガッカリする経験はあの頃からどんどん無くなっていった。
 あの頃、『北野ファンクラブ』、上岡龍太郎の出る回の『EXテレビ』などはかなり熱が入っていたものだった。

 名場面を編集した『北野ファンクラブ』は、もはや見る前から5つ星。
 最近のビートたけしは更に一段面白い。書籍のクオリティもこれまでと変わらず◎。TBSのニュースしかり、タレントとしてもう一つの全盛期を迎えている印象を抱かせる。
 過去前例のない、信じがたき恐るべき現象だ。たけしさんはやっぱり大好き。


 昼下がり、Tからのメールに絶句した。
 ほんの小一時間前、Tの母が逝去された知らせを受けた。
 おいらにしても、Tの母とは知り合ってから10年では利かない時間が経過していた。何人かの仲間と居酒屋で賑わう空間を何度か共有させて戴いた。

 母親の死──
 それは筆舌に尽くし難い、張り裂けるほどの胸の内だろう。
 遺族にかけられる言葉はないけれど、残された家族が彼女の分まで精一杯生きること。誰しも、それが最たる供養だと察する。

 故人との思い出を、生涯大切に胸に留めて生きてゆきたい。合掌──

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2009年 06月 8日

「フェローズ」新作展示会

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 代表:志村さんより「フェローズ」新作展示会のお知らせを戴き、恵比寿を目指す。
 もはや志村さんとも友人である江口寿史兄、泉晴紀兄を連れ立ち「フェローズ」本社訪問。

 会場には、トイズ・マッコイ:岡本博氏、ビートたけし番組プロデューサーでzeppelinシンガー:吉田兄(イースト)、ビリケン商会:三原社長、ダチョウ倶楽部:寺門ジモン氏、香港のアメカジ・ショップ「Benny Seki」代表:セキ氏etc...と異業種の錚々たる面子が集結。

 年に2度の親睦会と化す展示会場。飾らない志村さんの人柄が偲ばれる。
 
 例えば「ステッチ一つで2時間、平気で語り合う」と聞く、アメカジ全般プロ集団の親睦会。
 会場より中目黒へ移動。軽い打ち上げの席にも参加させて戴いた。
 漫画界代表の先ちゃん、ズミーも、ジーンズに関しては、造詣深さで彼らに充分対向できるスキルを有している。そんな知識を引け開かすくだらない輩などいるわけではないのだが、意味もなく、なんだか頼もしい気分でいたおいら。
 後半は現場がサイン大会と化し、漫画家スキルの独壇場。疎遠な街:恵比寿、中目黒へやってきてよかった。今宵集った貴重な面子の親睦会に立ち会え、ラッキー。

 宴終焉後、恵比寿に来たら喰う「阿夫利」でつけ麺。
 JRで地元へ引き上げ、道中の打ち合わせを経て軽く1杯。

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2009年 05月 29日

片面CD、片面DVD

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 DMBのこのアルバムは、片面CD、片面DVDというシロモノ。
 こんな両面仕様の盤は初めて見た。
 ところがDVDサイド、既製の国内DVDレコーダーではリージョン違いで再生不可。
 同じバンドの他の輸入盤CDに付属するDVDは再生可能なのにややこしい。

 早朝8時の高速バスで帰郷の義母。あっと言う間の1週間が経過した。
 「おったんとお留守番!」と言って、外出の準備を手こずらせたRちゃんは、意志とは裏腹に服を着替えさせられ、おばあちゃんのお見送りに羽田まで同行させられた。

 今朝3時間睡眠。朦朧の頭のまま、録画した番組を見た後消去するべく再生。しょぼしょぼした目が画面を見ていられない状態で、音声だけ聴きながら数本の番組を鑑賞直後に消去。
 ディズニーだ、アンパンマンだ、しまじろうだ、ハッピー!クラッピーだと自動録画の番組が増えたせいで、HDD内ハードディスクはすぐ容量オーバーに。
 自身で撮った動画の保管手段もそろそろ確立させねばと思いながら、時間は刻一刻と経過するばかり。
 それにしても、数年前のドラマ『スカイハイ』撮影現場で初めてお会いした女優:新山千春は随分綺麗になったものだ。

 想田和弘監督最新作『精神』の単独取材記事をようやく構築。
 監督からの最終チェックを経て、無事本日入稿の運び。
 彼からのメールによれば想田くん、来月(6月)、初の著書「精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける」(中央法規出版)を出版するそうだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/480583014X/

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投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2009年 05月 8日

合掌

 午前、落ち着いた空模様を確認し外へ。
 最寄り駅の書店で何の気なしに手にした書籍『ボロを着た王子様/村崎太郎』を衝動買い。
 内容のあおり文には「いくつもの試練を乗り越え破天荒な猿まわし芸人」とあった。
 被差別部落出身であることをカミングアウトし、書きつづられた文章に自然と引きよせられ、言われ無き差別に晒された過去を持つ筆者の目線になりながら、神保町到着まで読み込む。

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 4C音楽記事の再校正を戻し、4C音楽記事の入稿。
 デザイナーから届く請求書を関連セクションへ中継し、精算。
 スパムメールを含む新着メールは、この連休で2000通弱。双方に疎通のある業務及びプライベート・メールはわずかその一割前後。

 夕方、唐突に届いた1通のメールに愕然。
 昔、何度か食事会の席をご一緒したり、ライヴを観に行ったり、ご自宅にも招かれたことのあった家族ぐるみで友人のYさんが、先々月ご逝去されておられた知らせが届いた。

 どういった経緯でそんな事態になってしまったのか、おいらと同世代と言ってもよい少しだけ目上だった彼女のショッキングなニュースに絶句させられた。いまだに信じられない。
 
 心よりご冥福をお祈りいたします。

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 東京駅:大丸ミュージアム・東京内で開催中~日本・フィンランド修交90周年~タンペレ市立美術館・ムーミン谷博物館蔵「ムーミン展」へ。
 一昨日、H家のみなさまに戴いた画集にあるものの原画イラストを確認。
 カリカチュアしたイラストの線に興味深さも感じられるが、イラストが全体的に小さすぎ。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2009年 04月 20日

どんより

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 「頬に湿疹か?」と鏡を眺める。
 Rちゃんを抱っこした際、おいらの頬に思い切り爪を立てたり、おもむろに口の中に指を突っ込んできたりする愉快(深刻)なテンションの場合があり、今日編集部のトイレで鏡をよくよく見たら3箇所血が滲んでいた。湿疹などではなく。
 加減はない。充分怪力。その際、彼女は終始笑顔…

 ジェフ・ベックの最新ライヴDVDを持ってきては「じぇっじぇっく、じぇっじぇっく」と言いながら再生をせがみ、ビートたけし最新書籍『下世話の品格』を指さしては「たけししゃん、「たけししゃん」と言いながら律儀に教えてくれるRちゃん。

 今朝は『Rollin And Tumblin'』のリズムで大層ご機嫌だった。

 西麻布界隈の裏の路地を闊歩すると、島田紳助オーナーの寿司屋『はせ川』に遭遇。
 そのまま西麻布交差点方面へ下りながら、思い出した久々の『五行』へ。

投稿者 yonezawa : 01:09 | トラックバック(0)

2009年 04月 11日

耳鼻咽喉科

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 Rちゃんの鼻の調子はいまだ完治しないまま。
 午前中、自転車で最寄り駅前の耳鼻咽喉科へ。
 幼児の子供も受け入れる、最近移転したばかりだと聞いた新築の耳鼻科へ到着。

 Rちゃんぐらいの子供から大人までフロアいっぱい大勢の患者で待合室は埋まっていた。
 通常、確実に30分程度は待たされると聞いていたのだが、その場で大人しく順番を待つことに。
 子供用の玩具もあるので、それなりに時間をつぶすことは許容だが、子供は1時間を過ぎるとどの子も飽きてくる。ごね出す。

 結果、1時間40分待った頃ようやく名前を呼ばれた。
 大いに待ちわびた末、診察室へ。
 いつものことらしいが、あまりにRちゃんが恐がり、嫌がるので、吸引器で鼻を吸い出すだけの診察となったのだが、3人がかりで動きを制御して行うもので彼女は勿論ガン泣きとなった。どの子も似たりよったり。

 診察時間は1分なかった。

 ちなみに父親であるおいらも幼少時代、ハンパない医者嫌いだったそうで、その異常な嫌悪ぶりと抵抗ぶりは記憶しているほど。床屋の白衣でも泣いていたそうだ。

 主治医に御礼を申し上げ、Rちゃんを抱っこしたまま鼻をハンカチで拭き取りながら医者に今後の指示を伺おうと立ち上がった際、看護師の1人が「あちらで(聴覚?)検査中ですので、もう少し鳴き声を小さくしてもらえませんか!」としかめ面で注意を受けた。
 「こちらも出来ればそうしたいわい」「こんな泣き声など、幼児が来院すれば日常のことだろう」と心で突っ込みながら外に。なんと気分の悪いことだろう。

 確かにうるさく泣いている子供の声で迷惑だったのかもしれない。しかしやはりあの言われようは解せん。
 自身の経験上、人と人とのトラブルは、大抵がその内容自体よりもモノの言い方、あるいは(主張の)書き方にあるケースが多い。

 状況判断のかけらも、患者側の待たされ尽くし一種のフラストレーションを抱えた境遇も一切関係ない不条理な言われようで、1時間40分待った精神状態にひどい痼りを残しながら、晴天の空を見上げた。

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2009年 04月 7日

ばあちゃん、けーたい?

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 パソコン画面のスクリーンセーバーには、これまで撮ってきたRちゃんの写真がランダムに出てくるのだが、その中でおふくろ、つまりRちゃんのおばあちゃんの写真が出てくると、彼女は「ばぁちゃん! ばあちゃん!」と指を指して教えてくれる。
 先日も今日と同じパターンだった。

 ばあちゃんの写真を見たRちゃん。「ばあちゃん、けーたい? ばあちゃん、けーたい?」と携帯電話を指さして主張する。
 「何? ばあちゃんに電話するの? ばあちゃんと話すの?」と問えば「うん」とRちゃん。
 ご希望のままおふくろに電話し、コール音がする間、Rちゃんはじっとおいらを見つめている。
 おふくろが出た。
 携帯を耳に当てたRちゃんから発される言葉には断片的に単語が入るものの、「ばあちゃん? ○×△□αβ…プーさん…○×△□αβ…」っと会話の成立しにくい宇宙語となるのだが、自らの意志を持って「ばあちゃんの声を聴きたい」と考える、我が子の姿勢に今日も心温まる。

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2009年 04月 6日

量平寿司

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 Y事務所:Nさんに誘われ、久しぶりの漫画談義及び、Nさんのライフ・ワークとも言える写真談義に近況報告。
 編集部付近の街頭で待ち合わせたら2人ともマスク着用だった。
 
 現代社会に蔓延する、心の病を抱える方々の話題に始まり、Nさんの趣味のカメラの話まで、まぁ交互に速射砲のように語り尽くす空間。
 おいらもデジタルの一眼レフが欲しくなってきた。

 Nさんは全くのノンアルコールな(飲めない)方なのだが、こちらの飲みペースに全く臆するところがなく、飄々と烏龍茶を飲んでいなさる。
 まだやや早い話だとも思うが、某小説家の先生があと2年で還暦を迎えると言う話から、みんな残された自分の時間をどのように過ごしてゆくのか、話が自然にそちらの方向へ向かう。

 手塚治虫先生が亡くなったのが60歳。
 その年齢をひとつの指針として人生を計算するならば、おいらにしてもすでに後20年を切ってしまった計算となる。
 崇拝する夢枕獏さんも手塚先生の年齢を睨み、優先順位の高いテーマの作品から順番に執筆されると言う話をご本人から伺ったこともある。

 あと、およそ17年と8ヶ月後に開けようと目論む赤ワインの選択とその期間の保存方法に悩み抜く夜更け。
 気がついたらNさんと4時間も語り尽くしていた。
 

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2009年 04月 3日

11日ぶり

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 鉄人で飲みダチで大道塾師範代の飯村健一が、以前ムエタイの試合でタイに飛び、10日前後(だったか?)して帰国し、再会した時の3歳の娘が自分のことを忘れてしまっており、「ものすごく悲しい気持になりますよ…オチ込みますよ…」と語っていたことを思い出していた。
 知らないおじさんを見るような目線に晒され、ママの影に隠れてしまったそうだ。

 SFJ080便は14:25、羽田空港に到着。実に11日ぶりにRちゃんとの再会の日を迎えた。

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 出口の真ん前にたたずむおいら。
 到着便を確認し、ガラス越しに降り立った乗客の行き来を見つめる最中、機内の荷物が順次排出され、コンベアが回転し始めた。
 その時、Rちゃんとママを発見。
 荷物を引き上げるより先に、ママはおいらの存在をRちゃんに知らせた。
 やにわに、おったんを視界に捉えたRちゃん。
 地面に下ろされた瞬間、一人一目散に到着出口を目指して走ってきた。

 人生の中で、こんな嬉しい光景がかつてあったろうか。
 出口付近にいらした空港関係者の温かい視線を感じながら、体当たりしてくるRちゃんを受け止め、11日ぶりのハグハグ。生きててよかった。

 「飯村と同じ目にあわなくてヨカッタぜ…」と、内心ホッとしながら帰途に。

 都内で数本の打ち合わせを終え、W社洋楽トップ:Hちゃんと先日取材した案件の打ち合わせに数時間。
 「Hちゃん。おいらはあなたの、(シンガー)エイメリー初来日時の完璧なアテンドに感激したのだよ」という御礼の告白より、今宵親睦会の口火は切られた。
 業務及び家庭のあるお忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、かつとても真摯な空間を共有してくださったHちゃん、今日もありがとう!

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2009年 03月 25日

Pherrow`s Denim ~Buffalo Horn Stitch~

 通常とはリズムの違ったここ数日間の(たまたま)肉食主体の食生活からか、胃腸にやや違和感。
 午前中の入稿を午後終え、朝食と昼食を合わせた遅めの飯を喰うと、胃が締め付けられるような感じ。運動不足と不摂生からか。お腹減っているのにこんなの初めての不条理体感。
 
 書店で数冊の書籍を購入し、たまたまタイムリーに上映していた映画試写『いけちゃんとぼく』鑑賞。
 漫画家:西原理恵子の絵本が実写映画化された作品だが、果たして絵本を凌駕する出来になっているのか。西原ファンのジャッジはいかに。

 以前から約束していたフェローズ代表:志村さんと江口さんとの親睦会を本日夕方、恵比寿でセッティング。

 http://www.pherrows.com/
 
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 フェローズの本社を訪れる。たまたま修理に出していたジーンズが1本あるのだが、この機会に新しいヴィンテージウォッシュをフィッティングさせていただき、1本購入を決めた。

 はき心地の良さとシルエットの美しさはおいらも実感済みであり、ジーンズ:ポケットのステッチ・シルエットには、素人が想像出来ないほど創作に試行錯誤があり、それの特許なり権利にしろ、ブランド(商品)を世界展開させる場合、クリアせねばならぬ大変な障害がある事情も知った。
 創造と共に権利の確保。

 最大のブランドシンボルとなり得る予感のネオ・ジーンズを完成させた志村さんの飽くなき探求は今日も続く。

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 場を中目黒へ移し3人で落ち着き乾杯。夕飯をご一緒させていただきゴチに。志村兄、ご馳走さまでした。
 みなさま、お疲れさま。

 地元界隈までタクシーで引き上げ、先ちゃんとセパレートし、さらにJRで最寄り駅まで引き上げ、深夜バスで西友へ。
 明日の食材を考えながら主婦のように買い物するのが嫌いではない。

 明日か明後日いずれかの飯は麻婆豆腐に確定。

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2009年 03月 18日

高校受験合格

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 睡眠3時間で朝がやってきた。

 母と姉からのメールで、田舎にいる甥っ子の高校受験合格の知らせを受ける。嬉しい。
 晴れて甥のMは、おいらの姉も通った高校の新入生となった。
 おいらの同級生の子にしろ、高校受験だ大学受験だなんだと、至って周りのジュニア世代はそんな時代に突入だが、我が家ではまだまだ「だっこぉ〜」やら「アンパンマン」な時代。
 
 朝、意志の赴くままおいらの部屋にトコトコ侵入し、パソコン前に置いてある眼鏡を取って「はい、どーぞ!」と、毎回逆さまでかけてくれるRちゃん。
 例外なくレンズは手垢まみれでよく見えない。
 「はい、ありがと!」といつもの御礼。今日も1日が始まった。
 昨日耳鼻科に行かせたもののRちゃんの鼻の調子はまだ本調子になく、親のダメな性質がえてして律儀に子供に遺伝してしまったか。
 分刻みでRちゃんのお鼻を拭き取るものだから、そのせいなのか“ティッシュ”の単語も早々と覚えてしまった彼女。
 自分にしても昨日から目が痒くて仕方がない。

 シャワーを浴びればお風呂の扉を少しだけ開け、「おったん? おったん?」と語りかけてくるRちゃん。
 モーローとした朝にシャワー、インスタント・ラーメンで頭を起こしつつ外出の支度。
 「おったんお仕事行ってくるね」「やだ!」「行ってくるね」「やだ!」と言った会話を繰り返しながら、今日も後ろ髪を引かれながら京王線。

 晴れ渡った杉並区の閑静な住宅街に忽然と光り輝く、イギリス製・高級ハンドメイドのスポーツカーを眺めながらプラチナ原稿奪取。
 カラーリングもさることながら、造形的にこの車はパーフェクトに写る。

 入稿作業を終えた頃、WBC韓国戦の侍JAPAN敗北を確認。

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2009年 03月 8日

最重要事項

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 彼女にすれば、それはどういったタイミングなのか、おいらが丁度起きなきゃいけない頃合いの時間帯になるとRちゃんはそっとおいらの部屋に侵入してくる。
 遠慮気味に、「おった〜ん」と声をかけながら起こしに来てくれるのが慣例になった。

 モーローとしている起きがけに手を引き、リビングのテレビでかかっている「アンパンマン」とか「ワンワン」とか「ミッキーさん」とか「しまじろう」とか「歌のお兄さんお姉さん」のDVDを見ることになるのだが、これは日々タイトルが違う。
 2歳3ヶ月なりにその日の気分があるのだろう。

 好物の、おやつでも果物でも、気分でなければ「いや!」っと拒否る。
 (飲ませているのは野菜)ジュースは、終日いつでも欲しがる姫。
 煎餅は1枚入りの3袋をペロリ。お茶も大好き。味噌汁は出る度におかわり。
 最近、お昼寝は意地でもこらえ、多分眠気に襲われながらも踏ん張るケースが多々。

 おいらがパソコン前に座り、なんらかの作業を行えば、即座に膝に乗ってきてYouTubeの「アンパンマン」「わんわん」らを催促し、本来の作業はまったく進展せず。
 
 「そうだRちゃん、こっちの映像も見てみ!」と80年代のGARY MOOREライヴ映像見せると、なぜかニッコリのRちゃん。
 ハードロックのDNAがRちゃんの体内にも組み込まれているハズだから、この現象は納得なのだが。

 抱っこして、リズムに合わせて身体を揺する。やがて2曲目に瞳がトロンとしてきて、おいらの肩にほっぺが完全密着した。
 彼女はものの5分で寝息をかきはじめた。

 起こさぬように寝室へ移動し、寝息のリズムが安定した頃を見計り、布団へ寝かせようと試みたら、とたんに「いやぁ〜」と目を覚ました。再び抱っこ。
 しばらくして、また寝息が聞こえたので寝かせようと試みるが、またしてもギリのところで目を覚まし、「抱っこぉ〜」と泣き叫ぶRちゃん。

 この動作3往復でお昼寝への誘いは完全に断念し、再び抱っこのままパソコンの部屋でRちゃんのご希望通り、夕方まで過ごした。

 今日のRちゃん手強し(汗)。首にかけたタオルが汗で滲む。

 それでもとある局面になると、一言一言一歩ずつ、こちらの言葉を踏まえた回答が帰ってきたりするので、彼女と過ごす瞬間・場面は、おいらの人生における最重要事項の風景。

投稿者 yonezawa : 21:34 | トラックバック(0)

2009年 02月 8日

ジェフ・ベック単独インタビュー

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 午前中のうちに、取り置きしてもらっていた商品を山野楽器で受け取り一路都心へ。
 少し道に迷いながら、都内某所高級ホテル到着。

 2000年、2003年のロンドン取材に続き、3度目のジェフ・ベック単独インタビュー決行の時間が近づく。
 14時30分〜の取材が15分程度押したので、その時間まで昼食を摂り、指定されたインタビュールームへ移動。

 胸が高鳴る。
 14時45分過ぎ、前取材の朝日新聞がジェフの特写&撤収の最中、おいらも部屋の片隅でセッティング開始。
 今回、ジェフの取材許諾が出たのが、その2媒体のみなのだという。
 ギター及び音楽専門誌にすら、今回の単独インタビューに関しては掲載されない。
 
 ジェフは今日も素晴らしかった。
 幾度となく感じることだが、このひとときがたまらなかった。

 質問には、時にジョークを挟みながらも、中身はあくまで誠実に回答くださるジェフ。
 多くの日本人ファンがリスペクトしてくれる気持ちを歓び、感謝の言葉にしながら、まったく傲ることがない。
 常にリラックスする場に空気を導いてくれる人間性の深さは、彼のギター・プレイに比例していた。

 ジェフはジョークも可愛らしいし、きっといつでも実直だろうし、激しくシャイだと感じさせる。3回目の取材にして、ようやく彼との空間を見渡せる気持ちになれた。
 これまで彼との遭遇した時間は、まともに景色が見えていないほど高揚していたと記憶するからだ。

 宿泊ホテルでの再会を含めれば、都合4回目の邂逅となった今日の取材となったが、ジェフがおいらにとってギターの神様だと言う気持ちは、このまま死ぬまで永遠なんだと再認識・再確信。

 モトちゃん(サンキュ!)作成による、メッセージを記したシールを貼ったギタレレと、持参したおいらのオーダーメイド・ギター:ミュージックランダーをペケペケ弾きなさる神。

 この世で最も信じているギターの神様が、何もかも素晴らしいことに終始感激し、最後に労いの意を直接お伝えしながら取材部屋を後にした。
 感無量。Sスタッフにも大きく感謝。
 一路丸長に飛ぶ。

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 Rちゃんの年齢を伺い、Rちゃんを見つめた時のJEFFの優しい瞳は生涯忘れないだろう。
 今年65歳を迎える、ジェフ・ベックの全盛期は今も続いている。

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2009年 02月 5日

人と人

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 F先輩の強い打診により、Kさんとの会食の席を無事設けることに。
 この約束は、昨年暮れからリクエストされていたものだった。

 Kさんは学生時代、Kさんの構築された番組のリスナーであった。
 F先輩からのラブコールは本気で、たまたま異国の地で知り合ったおいらを介し、ようやくこの席が実現する運びとなった。
 
 わずか2時間強程度の空間で、ある意味速射砲のように語りあわれる雰囲気がなんとも居心地良かった。

 Kさんへの土産にDON ROSSのCDやら、ザ・ファイヤーマンのCD他を贈呈させて戴いたところ、Kさんはなんと先日おいらがライナー・ノーツを担った『永遠のフィルモア・ウエスト/マイケル・ブルームフォールド』の、国内盤オリジナル・アナログLPサンプルをご用意してくださったのだった。
 このアルバムは、大昔にアナログを手放していたので実に嬉しき贈り物となった。Kさん感謝!
 今ではアメリカのオリジナル盤(LP)に関しては入手困難なのだそう。

 終宴後、東京駅に徒歩移動。人と人の繋がりの面白さを思い起こしながら一人JRへ。 

投稿者 yonezawa : 12:23 | トラックバック(0)

2008年 12月 24日

日米開戦と東条英機

 彼女1人で1日4コ強のみかんが消費されます。
 「みかん」の発音は「いかん」だったのが、数回に一度は「みかん」になってきました。
 最新「アンパンマン」のDVD鑑賞が大きな楽しみのひとつです。
 ほとんど毎日お昼寝の時間はありますが、まちまちの場合もあり、今日は寝ませんでした。
 夕飯にはケチャップ味の炒飯とトマト・サラダを豪快快食しました。

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 録画した番組、TBS「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」鑑賞。 
 物語は「太平洋戦争がなぜ起こったのか?」をテーマに、1941年9月6日の御前会議から12月8日開戦までの3か月間を中心に描いている。
 東条英機を演じたのはビートたけし。
 扮装したたけし氏と東条英機首相の写真を見比べると、意外にも役柄にはきっちりはまっていた。
 これまでほとんどマスコミに登場しなかったと言う、東条英機の身内の方々が登場し、発言された一幕は興味深いものがあった。

 外交とは何か。当時の外交がどれほど切迫し、現代のおいらでは想像すら追いつかない程ヒリヒリした局面にあったのか、ドラマの画面の中でもその様相は見て取れた。
 現代の日本の外交は果たして最善を尽くされているのか。
 あるいは外交に、日本の頭脳が集結出来ているのか。
 政治家の資質、人材はベストなのか。

 布団からはみ出したRちゃんのおしめを取り替えながら、今日観たドラマに描かれた内容の意味を反芻する夜更け。

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2008年 12月 22日

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 新宿で食事をとる。
 同じ年代の輩は、年々食べる量が減少の道を辿る。
 その点、自分に関して思えば、20代に比べれば勿論落ちはしたが、今でも食欲は旺盛の部類だと自覚している。
 個人的には食べない女性よりも、食べる女性の方がチャーミングに映る。
 
 当日まで予定を組めないこの頃の時間ぐりながら、無事集い、なんとか鍋を囲めた連中:I,K,YMが集結。
 遠慮があるのかないのか、馴染んだ顔がそこにあるのは四の五のありながらも、ともかく心を緩めるものだ。
 STが加わり、偶然新宿に居合わせ、忘年会終えたというKMも緊急合流。
 
 居眠り組を横目にみつつ、年に似合わない時間まで宴という宴が続いた。

投稿者 yonezawa : 12:05 | トラックバック(0)

2008年 12月 18日

東天の獅子

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amazon(「BOOK」データベースより)抜粋。

 ◆柔術から柔道へ―文武二道の達人、嘉納治五郎の、技に対するたゆまざる追究と人間教育への情熱によって、明治になって衰退していた柔術界に新時代の息吹「講道館流」が誕生した。当初はただの新興一流派だったものが、「講道館四天王」らが頭角を現し、隆盛への道をその手に引き寄せていく。若き気概に充ち満ちた青春武道ロマン、第一巻。

 ◆名門として聞こえた、関東の揚心流戸塚派、さらに九州古流柔術界の猛者たちが続々と登場する、群狼邂逅の第二巻。講道館が創設された明治十五年、九州では久留米、熊本の二大勢力が激突した。運命の「警視庁武術試合」より前に、すでに各地で新時代への胎動が起こり始めていた。講道館は、まさに台風の目となりつつあった―。

 インターネットの商品説明に『東天の獅子 第1巻 天の巻・嘉納流柔術』『東天の獅子〈第2巻〉天の巻・嘉納流柔術』の内容として、こう書かれてある。

 〈第2巻〉の発売からほとんど期間を空けず『東天の獅子〈第3巻〉天の巻・嘉納流柔術』が発売。
 そして今日、これまた早々の発売となった『東天の獅子 第4巻 天の巻・嘉納流柔術』をブック・ファーストで発見・購入。

 執筆11年の大作:東天シリーズが出そろった。

 積もり積もった重要な雑務。出前で五目炒飯を戴いた後、東京駅:大丸へ。
 八重洲口から新幹線に乗る前、きちんと食事をしたければ、ここの12F13Fはベスト・ロケーションのひとつと言える。

 先月末に発売された『夢枕 獏 五大陸釣魚紀行 愚か者の杖』と、この書籍:東天シリーズ全巻を献本して戴いた御礼を兼ねた、ささやかなひとときを獏さんと過ごした。

 講道館創設者:嘉納治五郎を取り巻く格闘技の猛者を描いた東天シリーズは、例えるなら血の涙が出てくるよう。
 キマイラのエネルギーも、餓狼伝の力も、神々の山嶺の熱も、この先品にはふんだんに散りばめられており、そして日本の柔術・柔道がどのような意味を成すものであったのか、深く身体に染み入るように理解に至る。

 Rちゃん宛に戴いたメッセージを、15年後のRちゃんはどういった気持ちで読むのだろう。

 近況及び、大昔の話を、閃くまま語りあえた貴重な空間に感謝。
 あの気さくな獏さんからほとばしる筆のマジックにうなり、氏を見送った後、新宿方面のJRに乗った端から〈第3巻〉読了。

 しかし、明け方喰ったこのラーメンは、ぬるい温度から味から全面的にいただけなかった。
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投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2008年 12月 17日

メロディーアンパンマンカー

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 心温まる母からのe-mail。
 先日、Rちゃん宛の誕生日プレゼントで届けられたのがメロディーアンパンマンカー。
 キラキラした瞳で、箱から早く取り出してほしいオーラばりばりのRちゃんは、セッティングの出来た端から、父の手からもぎ取るように物品強奪。

 乗ってか押してか、そのままRちゃんは豪快に家中を駆け回る。

 M姉から届いたミッキーさんのフカフカ羽織を着た髪の毛切り立てのRちゃん。その姿が、時代も関係ない田舎の子みたいで思わず吹いた。

 我が家もそろそろプチ児童館の様相となってきた。

 部屋の向こうから、彼女が突進してきている雰囲気を察知したその瞬間、この世で最もときめきとパッションに満ちあふれた時が流れる。

 Lisa Loebも愛聴するRちゃんは、Alanis Morissetteを、Alicia Keysを、Aretha Franklinを、Chaka Khanを、Delta Goodremを、Duffyを、Pinkを、Didoを、Dolores O’riordanを将来どう聴くのだろう。

投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)

2008年 12月 16日

Steven Andrew Soderbergh

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 午前中、都内某高級ホテルへ。
 インタビュー対象者は、映画監督のスティーヴン・ソダーバーグ。
 
 ソダーバーグと言えば、最初に好きになった映画が『Out of Sight』。この作品と出会った時期には『セックスと嘘とビデオテープ』と同じ監督であることを知らなかった。

 『Out of Sight』で初めて知った女優としてのジェニファー・ロペスのクールな出で立ちと言ったらなかった。
 多分以前にも記述した記憶があるが、オリバー・ストーン監督作『U-Turn』でのジェニロペとこの作品のジェニロペが、ジェニロペ史上最も素晴らしい。
 この大変な女優スキルがあれば、彼女は歌わなくてもよいように思う。
 
 ソダーバーグは今回、映画『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』のプロモーションで来日。
 まだ若干と言ってもよかろう45歳のソダーバーグはとても優しいフランクな紳士。
 笑顔で握手を交わしながら、テレコをスタンバリ、最初の質問を伝えようとしたら、逆に彼の方から先に第一の質問を受けてしまった。

 「私の日本人の仕事上のパートナーは、日本人にとってもゲバラという人に対して、とても親近感を覚える人が多いと聞きました。私も彼らと話をする度にそんな印象を受けるのです。ゲバラは日本人にとっても、とても意味がある人物であるという風に。それはホントだとお考えですか? もしそうならその理由は何ですか?」
 こうした意味合いの質問を問うてきた。

 「彼を知れば知るほど、私も徐々にその人間性に惹かれ、入り込んでゆき、親近感を覚えたのが事実ですから本当だと思います。ただ、この作品を観るまで、チェ・ゲバラのことで知っていたことは、アルゼンチン人であること。医者であったこと。“チェ”と言う言葉は、「ねぇ君」などと相手に呼びかけるときに使う言葉であったこと。キューバ革命の中心人物。後はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアンプに描かれいる人。その程度の認識しかありませんでした」と答えた。

 取材は端的に合理的にスムーズに進行する。
 監督と言っても、2本併せて映画全編、彼自身がカメラを持ち映像を撮っているということを確認した。
 確かに、彼の撮った2本の映画のおかげで、随分チェのことが判ったような気分になったことは確かだ。
 ジョン・レノンに「世界一カッコイイ男」と言わしめたゲバラ。
 『チェ 28歳の革命』は1月10日より、『チェ 39歳 別れの手紙』は1月31日より、日劇PLEXほか全国ロードショーされる。

 音楽の話も伺えたし、本人に直接確認しなければその真相がわからない、あるファニーな問いの回答も得られたので実にラッキー。
 
 ソダーバーグにお願いされた、ある約束を守るべく、取材稼働最終日に再び本人に接見の予定。

投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)

2008年 12月 11日

吉祥寺でのお祝い

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 吉祥寺、Tさん他11名で集う、ささやかなる忘年会を兼ねたTさんの祝い。
 貴重な時間が過ぎる。早々と解散となった後、帰途前に1人で久々のホープ軒。

投稿者 yonezawa : 18:47 | トラックバック(0)

2008年 12月 10日

樋口宗孝

 伴侶のコンディションがなかなか優れず、昼過ぎにRちゃんをお風呂に。
 DVDのインサートもイジェクトも熟知期に入ったRちゃんを、こちらの思惑通り、そうそう誤魔化せなくなってきた。
 「DVDの盤面に傷がついて、次回アンパンマンの再生が出来なくなるよ!」と言った事情をまだ何も理解してくれないので、機嫌を損ねないよう上手なやりとりに四苦八苦。可愛いので何もかも許してしまいながら。
 
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 先月30日、ヘヴィメタル・ハードロックバンド:ラウドネスのドラマー:樋口宗孝が大阪市内の病院にて肝細胞癌のため逝去された報道を聞いた。
 癌で入院され、様態が好ましくない旨は関係者より漏れ伝わってはきていたが、30日にそのニュースを知った時にはショックだった。

 ラウドネスが80年代中盤に海外進出した時の胸の高鳴りは、ある意味五輪選手が金メダルを奪取する勇姿を見守る感覚に近いものがあり、熱狂する海外のオーディエンスの動画やら写真を見る度に、日本人としての誇りのような気分を味わっていた。

 下北沢の居酒屋で大勢のバンドマンや関係者に混じり、樋口氏の隣り合わせに座って携帯番号を交換した、たった一度の酒席がおいらにすれば彼との最初で最期の機会となった。
 「ヤンジャン読んどるでぇ。一度載せたってぇな(笑)!」
 宴会場でもボス的存在であった彼は、日本人で初めてニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立つという快挙も成し遂げたバンド・リーダーだった。
 
 1981年、アイドルバンド:レイジーが「ヘヴィメタル宣言」をし、オーディションで探した本格的なヴォーカリストと共に世界に通用するロックバンドを結成…と言う音楽専門誌の記事を見て、どれほど高揚したことか。
 レイジーの(この時期の)ラスト・アルバム『宇宙船地球号』は、ラウドネスのどの作品よりも興味深い作品として、今でもおいらの心の中に燦然と輝くレコードとなっている。

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 アメリカ進出を志し、作成された『THUNDER IN THE EAST』が発表された時期が、おいらの中でラウドネスが最も気になった頂点で、その後アメリカ人ヴォーカリストが加入した以降になると、徐々に彼らの音源にも情報にも疎遠になっていった。
 書かれる曲がスラッシュメタル的なリフ展開となってからは、一切彼らの音楽から離れてしまった。
 しかし、かつて一度でも恋愛をした音楽であるが故、同時に頭の片隅でどこか気になっていたのも事実であった。
 そんな中の樋口氏の訃報──絶句。

 ラウドネスで最も好きな曲は『Let It Go 』『Gotta Fight』。『Road Racer』も忘れられない想い出の曲だ。
 ご冥福をお祈りいたします。

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投稿者 yonezawa : 12:55 | トラックバック(0)

2008年 12月 7日

村治佳織 in サントリー・ホール&世界最重要日

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▲村治佳織の弾くギターとの
 出会いは『パストラル』から。

 外は風がとても冷たかった。

 チケットは当日券まで完売。
 午後1時30分には現地に到着し、入口付近で連れを待つ間、ホールに向かって続々と集まる観衆の光景を見ていると、今日のコンサートが発散している迫力が伝わってきた。
 『plays BACH』の初日となる、村治佳織のコンサートは午後2時よりスタート。
 入口でH夫妻と待ち合わせ入場。

 やがて暗転となり、日本が世界に誇るクラシックギタリスト:村治佳織が眩い純白の衣裳を身に纏い登場。

 『プレリュード』導入部分の美しいことと言ったらなかった。
 2組のゲストを迎え入れ、演奏された和笛との掛け合いも初めて体感した刺激的なニュアンスだったし、学生とのコラボレーションは、彼らに大きな自信を与えたことだろう。
 そもそも今回のバッハに関しては、最後の『G線上のアリア』ぐらいしか知識のないヘタレながら、終始演者の魔法にかけられたまま終わりを迎えた。

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▲最新作『plays bach』

 ああも立て続けにバッハ(他)の曲を、ああもきっちりギターで弾ききるギタリストは他に知らない。
 ソロ演奏の瞬間、鍵盤の和音が聴こえたような錯覚を起こすシーンが何度もあり、生産地の違う2台のギターが織りなす、起伏のあるメロディが、コード・トーンが、かつて一度でもギターを囓った者の少し鈍った感性をビシバシ突き上げてくるようだった。
 非の打ち所のない満場一致大喝采のリサイタル。圧巻のステージがとにかく素晴らしかった。
 そして村治佳織自身の優雅で美しいこと。

 先だってタレント:今田耕司氏司会のテレビ番組(他)も興味深く拝見したが、(あの映像の村治佳織は永久保存版にしたいぐらい貴重で特に最高)ああした音楽以外の時間にも練習時間をどんどん割かれてしまう環境であろう中、どれほどの鍛錬があのステージを支えたのかを想像する度に、ギターの旋律が個人的な感動へと変わってゆくようだった。
 つまり自制心を感じたコンサートでもあったのだ。

 アンコールを見ずして楽屋入口に待機し、終演直後、控え室で、衣裳も煌びやかで眩い佳織ちゃんと数日ぶりの再会を果たした。瞬間、カメラマンを同行させなかったことを悔やんだ。 
 労いの言葉をお伝えした別れ際、「Rちゃんによろしく!」っと彼女が笑った。