2010年 03月 3日

The John Butler Trio

 「ひな人形は出しましたか?」というおふくろからのメールで思い出した。
 「とっとと出さねば」と焦った。
 義理母からのギフトとして贈られてきたこの人形を飾るのも、もう3回目だが、Rちゃんの記憶は今年からとなるのだろう。
 
 ちょっと少量だった朝食以来、飯を喰ってなかったからか妙に腹が鳴り、18時30分頃の東横線内でおにぎり2個を頬張りながら代官山のライヴハウス:UNITへ。
 本国オーストラリアでも絶大な人気を誇る、ジョン・バトラー・トリオのライヴへ向かった。
 
 以前、ジョン・バトラーの日本における契約レコード会社はワーナーだったが、今回のニューアルバムよりレーベルを移籍。同時にドラムス、ベースのメンバー・チェンジも行っている。
 この件に関しては、以前のJBTのバンド・メンバーであるドラムス:マイケル、ベース:シャノンらにメールでいきさつを伺っていた。
 マイケルにしろシャノンにしろ、「今度は他のミュージシャンともやってみたい、というジョンの意志を尊重し、残念ではあったが了承した」と記されたメッセージが届いた。

 新しいバンド・メンバーもお茶目な輩で、なかなか好感のもてるプレイヤーであったが、冷静に旧JBTと新JBTでは、リズムの繊細さに関しては明らかに前者の方がきめ細かい印象を受けた。
 今日の段階では、正直マイケルにとシャノンに戻ってきてほしいという気持ちが心を支配しているが、新JBTの面々がセッションを繰り返し、新たにわき起こる化学反応を得るその様も、また心待ちにすることにしよう。

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 ジョンの技量は言わずもがな。変わらなく突き抜けて素晴らしい。比べる者など誰もいない。
 定番『オーシャン』のエンディングではまたしても目頭にきた。
 演奏だけの11弦サウンドはどうにも涙腺を直撃してくる。ジョンに神が降臨する瞬間を、おいらはもう4度生で見ていることになる。

 今回どういうわけだか、スタンディングのステージ最前列中央に陣取り、終始ライヴ観戦を果たしたのだが、最後のアンコールを終え、両手を掲げてオーディエンスに挨拶をするジョンが、グーのサインでこちらのグーサインに答えてくれるアイコンタクトの配慮が嬉しかった。
 この日の焼酎が格別だったことは言わずもがなだ。

 彼らは3月24日に日本先行で待望の新作『April Uprising』を発表する。

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2010年 02月 25日

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 暖かい日。
 凍える日。
 震える日。
 豊かな日。
 虚ろな日。
 人生百日あれば百通り様々な想いがある。
 5年生の頃、書いた詩をふと思い出す。
 人生の岐路には誰がいるのか。

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2010年 02月 22日

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 3月公開の某映画作品への取材、諸事情あって本日断念。揺れる心。
 夜、敬愛するモノカキHさんと会食。心温まる。
 帰社後、業務を終え、編集Hと偶然の一杯。心穏やか。

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2010年 02月 19日

お腹に優しい

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 EMIの精鋭:N♀&N♂ちゃんと、ど久しぶりの会食に。
 年に一度ですら機会を得られなかった近年、久々の親睦会となった。
 鍋料理がお腹に優しい。音楽シーンの現状、アビーロード・スタジオ売却問題、そしてその後…話は無軌道に突き進む。
 N♀&N♂ちゃん今日も感謝!
 彼らを見送り、地元方面で最後の一杯を飲み干し帰宅。twitterはやっていない。

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2010年 01月 12日

THE MODS

 信じられない一日となった。
 都内某所でTHE MODS森山達也氏、漫画家:高橋ツトム氏の特写&対談が実現することに。

 50年の歴史を誇る年期の入った都内大型駐車場を撮影スペースに決め、撮影1時間以上前に現地入り。スーパー・フォトグラファー:尾形正茂と事前ロケハン。

 この場所のとてつもないクールさに胸が高まる。
 場所を提供くださった現地関係者の方々の協力も有り難く、今回ロケ・ポイントにはしなかったが、今後のための様々な驚きのスペースも見学させて戴いた。大感謝。

 高橋氏現地入り。やがて森山氏も。
 肩肘の張らないパンク・ロッカー森山さんのスタンスは、とてつもない魅力に溢れていた。

 福岡から上京したおいらにとって、THE MODSの存在はやっぱり特別なものがある。
 ビートルズもツェッペリンもマイケル・シェンカーもヴァン・ヘイレンも大好きだったが、JL&CもミカバンドもTHE MODSも勿論大好きだった。

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 THE MODSが東京進出する際、最後に演ってた80's FACTORYは伝説のライヴハウスだったし、おいらは当時入手した同店のマッチを今でも家のどこかに保管している。

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 『TWO PUNKS』にしろ『激しい雨が』にしろ『バラッドをお前に 』にしろ、森山氏が希代のメロディメーカーだと言う認識は、博多で1stを聴いたあの日から変わらない。

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 パンキッシュでありながら、同時にスタイリッシュな存在感が共存。
 今回氏と遭遇し、何故永遠にTHE MODSが瑞々しく輝き続けているのか、その理由の一端を再認識させられた夜になった。

 対談はまるで旧知の友人同士が語り合っているような、至ってアットホームな雰囲気の中進行。2人は3杯目の生ビールをおかわりした。やがて取材はつつがなく終了。
 そのまま「もう1杯いこうや!」と近所の酒場に飛び込み、その後夢のような時間が訪れることに。極めてロック。もう最高。

 THE MODSにおける森山さんの魅力溢れる声と、せつなく美しいメロディーは世界でただ一つの究極の個性。その想いは死ぬまで変わらんだろう。

 この、ときめく対談記事は、1月27日(水)発売のスーパージャンプ4号に掲載される。

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2009年 12月 21日

フリーペーパー『熱風』

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 伸び伸びになってしまっていた亀渕兄との飯が、この師走になってどうにか叶いラッキー。
 ソニー・ミュージックMさんにご配慮戴いたアジカンのZEPP公演はS、M、A(後にゴールデン街で合流)に託し、新宿の待ち合わせ場所へ。

 氏は、書店で無料で入手出来るフリーペーパー『熱風』に「ドーナッツ盤に恋をして」という、とてもチャーミングで魅力的なコラムを熱筆されておられるのだが、おいらはその熱心な読者だ。

 待ち合わせの場所へ到着し、再会を果たし椅子に座る前から、もう速射砲のように語りつくす。次回の機会がいつなのか判らぬ故、会ったらとにかく速射砲。

 アメリカン・ロック、ブリティッシュ・ロック、70年代、60年代、80年代、90年代、そして現在。
 マイケル・ジャクソン、ジミヘン、ビートルズ、リトル・リチャード、民主党、自民党、洋画、酒、新宿、正月、鍋、寿司、山、コレステロール、会社、社長、江口寿史、夢枕獏、母、父、文章、コラム、仕事、ツェッペリン、ニッポン放送、ウィキペディア、お笑い、北野武、ギター…
 話が途切れない。

 脱線しまくる節操のない話題は、これ以上ないほどの興味深さへと突き進む。
 亀兄、何でも知っている。物事をいつも優しい目で見つめている。
 60歳代の亀兄は、例えば18歳から30歳ぐらいまでの時に持ち合わせるような鋭い感覚の瞬発力を今もまったく失っていないことを、45歳のおいらが感じている。

 『熱風』に執筆されるコラムの、例えばたった2行を書こうと思えば、文献を2.3冊読み漁り、事実関係を突きとめなければならない。その真摯な姿勢が胸を打つのだ。そんな意味もあり、コラムの放つ熱風を感じずにはいられない。

 話の途中、氏が1冊のボロボロになった片手サイズの洋書を取り出した。
 例えばミュージシャンの正確な名前、アルバムのタイトル、年度、関係者各位とのいきさつなどは、その洋書を参考文献の1冊にされておられるとおっしゃった。
 ページをめくると、蛍光ペンで何カ所もアンダーラインが引かれてあった。
 感服。
 アンダーラインなど、もう何年使っていないだろう。
 本を読むときには確かにアンダーラインが必要だった。
 自分の鞄にはピンクのアンダーライン用のペンを常備させているにも関わらず、何年もその作業をすっかりスルーしている。
 ふいに母が学生時代からずーっと家で使っていたボロボロの辞書を思い出した。
 亀兄と語ると、様々な景色が思い出されてきた。

 古き時代を知り、最先端の今、巷に流れる音楽を聴き、そして自ら欲する音を求める。
 2007年12月、ロンドンの地で偶然の初邂逅を果たした亀渕兄との出会いは、今生涯の宝となった。

投稿者 yonezawa : 21:36 | トラックバック(0)

2009年 12月 7日

理想的

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 漫画家:寺田克也さん、女優:藤谷文子さん、ヴァイオリニスト:宮本笑里ちゃんらが、Rちゃんと同じ誕生日。
 本日12月7日からRちゃん3歳。おめでとう!

 先日、編集部Tの披露宴で飲み明かしたS誌Cと初サシ飯へ。
 飛び込んだ店は先月半ばにオープンしたばかりの和食屋。
 Cのなじみの店:Vに移動し、無ければ構わない前提で「スティーヴィー・レイヴォーン」をリクエストした直後、店でちょっとした事件が発生。まぁよし。

 この店で初めて知り合った若き面々と、まるで長いつきあいのあるような距離感で語れる一時が嬉しかった。
 酒とは何故こうも人との距離を瞬間的に縮めてくれるのか。
 昼間に名刺を持って大作家のもとを訪ねるよりも、酒の席で隣り合わせて作家に出会う方が、編集者にとっては理想的なのだ。

投稿者 yonezawa : 01:54 | トラックバック(0)

2009年 12月 6日

明日3回目

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 明日はRちゃん3回目の誕生日。彼女のプレゼントを買いに街へ。
 訪れた吉祥寺の街の、人の多さといったら凄まじかった。もう師走の景色。
 行く店行く店で直感のように「(単なる)小箱」とか「スタンプ・セット」とか、瞬時に欲しい品が確定するRちゃん。そこには吟味とか悩みという言葉は一切ない。
 「ホントにこれでいいの?」と問えば「うん、これでいい!」ときっぱり。
 店を変え、他のグッズ・ショップを覗くと速攻でピンクの財布が彼女の瞳に飛び込んできた。
 「これー!」と言って、勝手にレジに持ってゆくRちゃん(笑)。
 「よし! じゃあこれにしよう!」と誕生日プレゼントがすぐに確定した。
 「帰ってケーキも食べる?」「うん、たべるー!」
 スーパーで夕飯の買い物を済ませ、自分の靴も衝動買いしたりしながら帰途につく間に姫は爆睡。随分歩いたので疲れたのだろう。
 
 帰宅して、即ご飯を炊いた。タマネギと人参をアッシュしてミンチと合え、卵を落としてパン粉等を混ぜ合わせ、こねくり、あたり(味)付け。
 もやしと韮、冷蔵庫にあったハムの残りを細かく切り、塩こしょうだけで炒めた付け合わせに、キャベツの千切り。おまけにもずく酢。

 Rちゃんもお腹が減っていたのだろう。三輪車でキッチンにやってきて椅子の上に立ち上がり、Rちゃん専用の皿に盛ったトマトを全部その場で平らげた。
 食卓に座って食べるハンバーグもペロっと早い早い。ほうれん草のおひたしもきれいに食べ干し、おにぎりでフィニッシュ。
 ケーキをいただく時にはハイビジョンカメラで撮影。ブルーレイにはRちゃんの動画しか収録されていない。

 夕飯1時間後にお風呂へ。入る前に風呂場で前髪を少し切ってあげた。年末年始に待望の再会を果たす、おばあちゃんとの準備は万端。
 人生観を大きく変えられてから、丁度丸3年が経過した。

投稿者 yonezawa : 00:53 | トラックバック(0)

2009年 12月 4日

計画

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 誕生日プレゼントに伴侶&Rちゃんから貰ったマフラーを、Rちゃんが部屋に入ってくる度に「はい、ぷれぜんと!」と言って、一々持ち上げて渡してくれる。
 嬉しさ何十倍。何度でも「Rちゃんありがとう!」を繰り返す日々。

 今月の地方遠征行事、都内での打ち上げ、そして年末年始の大イベント構想を一人部屋で構成中。
 時期優先で、良き公演、イベント、ライヴという探し方なので、なかなか悩むところ。
 狙った演者、ミュージシャンは地方でやってるか、来日前だったり。

 親戚関係の宿泊、帰途までの距離、各々のスケジュールをすりあわせるのが仕事並の大作業。しかし、これほど重要で楽しみな年末年始は初めてかもしれない。
 取り急ぎ、関係者各位のみなさま、愉快な年末年始を極力演出するべく、考え尽くしますのでおつきあいのほどを。

投稿者 yonezawa : 12:41 | トラックバック(0)

2009年 11月 30日

熊谷貫

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 写真家:熊谷貫と久々の再会を果たす。
 例によって延々スケジュールの折り合いがつかず、延期の上に決めたタイミングとなっていたが、予定した日程(今週末)をさらに当日変更し、急遽本日とした。
 待ち合わせのちゃんこ屋も久々で、店のおばちゃんに皮肉を言われるのがこの店の鍋シーズンに入ってからの恒例の約束事。

 かつて、貫と最も密に追いかけた取材対象者は北野武監督、ボクサー畑山隆則だった。
 映画『菊次郎の夏』のエンドロールには貫の名が刻印されており、畑山の最初の写真集『ハタケ』は、彼の熱意と誠意によって商品化に導かれた。
 積もる話も酔いに連れグズグズになってゆく。その様も、あの頃の飲みの傾向となんら変わらない。
 現在、一流の場所で一流の写真を撮り続ける貫の活躍が、今改めてとても嬉しい。

投稿者 yonezawa : 19:11 | トラックバック(0)

2009年 11月 26日

出雲大社

 慢性の眠気全開。
 表参道へ色校正を届ける際、漫画家:高橋ツトムとWBC世界バンタム級チャンピオン:長谷川選手のリスペクト・ニュースがネットで話題の旨を知る。
 先だってブログにも記したが、「今世紀最強チャンピオン」と言い切ってもよい長谷川選手の防衛戦が今からとても楽しみ。

 先日チャンピオンにに初めてお会いした日、お土産を持参したのだが、その時併せて出雲大社のお守りも贈呈させて戴いた。

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 このお守りの贈呈は、新神戸入りするほんの数日前に閃き、神社の子であるI社のNにダメ元で相談したことによって実現した。
 突然の迷惑なお願いにも関わらず、速攻で地元の身内の方に連絡を取って戴き、品は前日に到着するという荒行をやってくれたのが音楽人N。
 取材を終えた頃、Nには御礼をしたかったのだが、今日、その機会を得ることとなった。

 馴染みの店:Hでご飯を食べて終電で帰宅。Nとの至って健全な食事会が年内に叶い、よかったよかった。
 お守りは長谷川チャンピオンと、彼の母へ贈呈させて戴いた。

投稿者 yonezawa : 20:59 | トラックバック(0)

2009年 11月 23日

Michael Jackson THIS IS IT

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 周りの仲間、諸先輩方に揃って「よねちゃんは絶対に観た方がいいよ。」「観た? まだなら観た方がいいぞ。」「米澤くんは私より見る目がきびしいと思いますが、女性ギタリスト、オリアンティ・パナガリス(あとで調べた)、すごくよかったです。」等の有り難きメッセージを戴いた。
 
 まぁここのところ劇場へ行くタイミングを逸する日々にあったが、本日ようやく鑑賞する機会を得た。
 Rちゃんが上映時間の2時間近くもつのか懸念されたが、結果、基本的に周りの迷惑になるようなこともなく3回(軽く劇場外に出る)の息抜き程度で無事鑑賞出来た。
 
 勿体ない。
 まったくもって勿体ない。
 これほどの恐ろしい才能が逝ってしまったことが、世界中の多くの人々の気持ち同様に口惜しくてならない。
 本番のテンションより7〜8割のウォーミングアップした程度の力なのかもしれないが、1シーンも見逃したくないような興味深き映像ばかりが矢継ぎ早に映し出された。
  
 Nさんの事前メールで知った女性ギタリスト:オリアンティ・パナガリスが、なるほど、かなりカッコいい。
 彼女のことはまったく知らなかったが、一発で虜にさせるビジュアルと技量。素晴らしかった。紛れもない世界一の演奏とパフォーマンス。
 マイケルは勿論偉大だが、あのツアーに招かれた連中の顔ぶれも映画の醍醐味と言えた。
 
 マイケル・ジャクソンだと、まずはジャクソン5時代の楽曲が好きだ。
 これからもあのグループの曲はカヴァーでやりたいぐらい。
 popスター以降のソロのマイケルには、一般の人よりも少しだけ多くの興味を抱くぐらいの認識でいたように思うが、亡くなってしまうとその存在が自分の中でもいかに大きかったのかを知った。
 USA for AFRICA We Are The Worldのレコーディング時、演奏する参加ミュージシャンもすごかったし、クインシーの担った部分に、日本人は初めて音楽プロデュースという意味を見出したのではなかろうか。

 また、これほど世界中にダンスをするプロフェッショナルな人間が溢れ返っているにも関わらず、最もマイケル・ジャクソンのパフォーマンスが最も見たいという欲望を抱かせることからも、彼のスキルはやっぱり頂点だと感じてしまうのだった。

 凄い人間だった。それしか言葉が出てこない。

投稿者 yonezawa : 11:50 | トラックバック(0)

2009年 11月 9日

鶴岡食堂

 夕べの深夜、おいらを含む総勢5名が、おいらの泊まるシングルの小さな部屋に押し寄せ、カップラーメンと酎ハイ、ビールを飲みながら過ごしたのだった。
 おいらがベッドの端にくの字になって眠りかけたタイミングで、みなさん容器を片付けつつ、明け方帰途につかれたようだ。

 無料だった8時30分までの朝食バイキングは断念。11時近くまで起きられず。
 
 シャワーを浴び、先ちゃんと近くの喫茶店でお茶。12時過ぎにはホテルまで秀ちゃんが迎えに来てくださった。
 秀ちゃんは3日続けておいらたちのサポートを買って出てくださり、とにかく感謝の極み。
 今日の昼には、『鶴岡食堂』のチャンポン。水俣入りした直後に食べることが決まっていた物件だ。

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 海っぺりに車を駐め、店構えを見ると、もうその時点でこの店が美味いのかそうでない店なのかの判断がついた。もはやこの勘にさして誤差はない。

 チャンポンを3つ注文したのだが、水は勿論、お茶も自らきゅうすにお茶の葉を入れ、お湯を入れて戴くシステム。

 一口二口。地元のみんなが口をそろえて「鶴岡食堂のチャンポンを食べた?」と聞いてこられた意味を重々理解。申し分のない美味物件との遭遇だった。
 
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 食後、直ぐ近くの秀ちゃん宅まで送っていただき、16時頃に戻ってくるという約束でユーノスコスモをお貸し戴いた。
 こんなスポーツカーに乗ったのは、博多時代の頃の117クーペ以来だったか。
 ちなみに秀ちゃんのガレージには、ユーノスコスモ、社用の車以外にも数台が保管されており、おいらは黄色いポルシェの影を見逃さなかった!
 いずれにせよ、オープンカー仕様の車種は初体験だ。しかも助手席には世界の江口寿史兄!
 すこぶる天候の良き水俣の町並から海沿いまでオープンカーで激走することとなった。

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 なんて有り難いナイスな旅なのだ。
 市役所で最後のサイン描き業務を経由し、「水俣市の本店のここまで来なければ買えない」という名和菓子店『美貴もなか』本社を訪問。

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 『美貴もなか』の商品は、デパートにも卸していないし、インターネットでも買えないそうだ。
 その姿勢こそ、有象無象の情報社会と化した現代における真摯な新ビジネスなのでは? と逆に感じた。
 1個1個手作り故、1日で生産する量も限られるそうで、毎日完売するそうだ。
 品質が落ちるといけないので、無理な大量生産は絶対にやらないのだそうだ。
 甘い物は苦手なおいらだったが、職人上がりの社長の深い言葉は印象深かった。

  オープンカーで秀ちゃん宅へ帰還し、またしても秀ちゃんには新水俣駅まで送って戴いた。なんと御礼を申し上げればよいのやら。
 秀ちゃん、何から何まで本当にありがとうございました!
 走り去る秀ちゃん号に会釈をし、我々は新幹線で八代駅駅へ。

 バスに乗り継ぎ、熊本空港着。
 夕食を戴き、先ちゃんと便の違うおいらは土産売り場へ。先ちゃんは「じゃあ東京で!」っと、一足先にフライトしていった。

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2009年 10月 17日

札幌

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 午前中に稼働し、Rちゃんともろくに遊ぶこともなく昼過ぎの便で札幌へ。
 空港よりJRで札幌駅へ。

 こちらでも東京で使うスイカが使えた。ちなみに大阪では使えない。
 地下鉄ですすきの駅へ。東急インホテルへチェックイン。

 午後7時、作家:M氏、編集Tさんとロビーで合流し、予約してあったすぐ近くの寿司屋「たる善」へ。
 漫画、音楽、ドラマ、俳優、女優、映画、食…思いつくまま語りあう一時。M氏の中のブームをいくつかご教示戴く。
 それにしてもこちらの肴の美味いこと。銀座の高級店に匹敵する極上の食材が、話のテーマをそちらに導かせてくれる。山わさびだけでもつまみになる。
 話も盛り上がるが食も盛り上がり過ぎ、おいらの年代としては「そんなに食べてはイカンだろう」と言えるほど食い過ぎた。自分アホ。
 河岸を変え、赤ワインを注文したのだが、喉のギリギリまで先ほどの新鮮な諸々が遣えており、酔う前にして食も飲もギブアップ。自分アホ。

 Mさんをタクシーまで見送り、そのまま部屋に倒れ爆睡。やがて朝を迎えてしまった。

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2009年 10月 14日

記憶完全粉砕

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 午前中、クライマックス・シーンを継続し続ける最重要原稿を引き上げ、即刻入稿。
 
 夜、漫画家:山崎紗也夏と会食。
 彼女とは、地元のバーで度々遭遇することはあるものの、こうしてちゃんと待ち合わせて食事をする機会はもう何年ぶりだろうか? と思うぐらい久々。
 この日程も随分前から計画し、ずんずんずれ込み、ここまで延期された末に実現となった。
 かねてから「山崎さんと飲む時には是非誘ってください!」とリクエストしていた若き編集:Mも約束通り同行。
 新宿へ。

 生魚を肴に芋焼酎をちびちび。
 河岸を変え、赤ワインをちびちび。
 ゴールデン街では馴染みの連中と遭遇しながら、なんらかのアルコールをちびちび。
 その後の話によれば店:HのHちゃんも合流したそうで、みんなで花園神社にお参りにも行ったそうだ。当然おいらも。しかし全然記憶がない。

 そのうちお開きとなったようで、タクシーで山崎嬢の地元へ送ったならば、彼女は「まだ飲む」のだと言う。
 後の話で聞いたのだが(こればっかり)、おいはゴールデン街で一度オチた瞬間があった模様。
 そんなコンディションにありながらも「ならばおいらも!」と同行したおいらはカウンターで1杯戴くことに。ところが、限界を自覚しながらの儚い抵抗であり、結局、彼女よりも先に撤退。
 久々に記憶完全粉砕の夜更けであった。
 素晴らしき強者:山崎紗也夏、恐るべし。

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2009年 10月 13日

帰京

 遙々広島からご会葬くださった親戚のHおばちゃんを送るべく、午前7時30分頃、車を空港まで向かわせた。
 移動の車中では、おふくろとは従姉妹同士にあたるHおばちゃんから、いくつかのエピソードを窺う。
 とにかくHおばちゃんは、おふくろの緩やかな性格を褒めっぱなし。「あんたのお母さんは、そら優しい人やからねぇ。本当にいいお母さんよぉ。昔からそうやったよ」
 おいら、終始笑顔。
 空港に到着し記念撮影終え、ゲートインしたHおばちゃんを見送った。

 帰宅してすぐ、今度はおいらの離陸時間が迫った故、東京組の姉、甥っ子の3名と、見送り組の姉、母と再び空港へ。
 皆様方、色々とお疲れさまでした。

 昼過ぎに羽田へ到着し一路神保町へ。即刻、編集業務の真っ直中へ埋没。

 結局深夜の帰宅となり、残念ながら(起きた)愛しのRちゃんにはまだ逢えないまま…

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2009年 10月 12日

告別式

 深夜5時30分に1時間仮眠を戴き、7時に1人帰宅して朝風呂へ。
 8時、姉の甥っ子4人を起こし、9時に再び会場へ戻る。
 告別式は11時より開始。

 奈良から駆けつけた従姉妹:中川太が、ばあちゃんに最期に贈る言葉を述べる。
 「生きて生きて生きまくったばあちゃん。ありがとう」
 それらの言葉を記した大きな垂れ幕まで自作してきた、太による労いの言葉が胸を熱くさせる。
 太の大きな大きな声は、充分ばあちゃんの魂にも響いたことだろう。ヤツの男気に泣けた。

 葬儀の最後に親族代表の挨拶を仰せつかった。
 ばあちゃんが救急車で搬送され、血圧の数値も危ない旨を知った事。
 家を出る数日前に母に告げた最期の言葉。
 それらを聞かされた時に狼狽した気持ち。
 満州から命からがら帰国を果たしたばあちゃんの勇気と強さ。
 そして自身の持つ個人的な価値観を何一つ、第三者に押しつけなかった品格。

 それらを言葉に託し、参列賜った皆様の前で語らせて戴いた。

 そして親父の葬儀の時と同様、おふくろへの労いの気持ちを語らずにはおられなかった。
 親父のもとへ嫁ぎ50年間、まさに親戚・関係者のために自分自身のプライベートはおざなりにして、献身的に尽くし尽くして生きた母。
 すべての祖父祖母の介護は全面的におふくろが担ったようなものだった。
 天に召された祖母はとてもとても幸せだったに違いない。世界一の娘に最期を看取ってもらえたのだから。

 霊柩車とマイクロバスを自家用車で追いかけ、火葬場へ移動。
 最終最期のお別れをし、点火。
 おいらは自宅での準備がある故、一足先に引き上げた。
 スーパーで頼んでいた精進上げのオードブル2点を受け取りに行き、自宅で準備。
 葬儀屋さんにディスプレイを施して戴いた頃、親族らが帰宅。
 正装から普段着へ着替え、各々一息つきながら、昨日の夜中に姉らと作ったおにぎりをオードブルと共に頬張る。

 精進上げを戴く前、遺骨となったばあちゃんにお経を上げて戴いたのだが、その際、その場にいた全員が目撃した光景があった。
 並べて隣に設置してある親父の仏壇にあるローソクと、今回設置したばあちゃんの祭壇のローソク2本が、風もない部屋の中で異様な燃え上がり方を示したのだった。
 親父の方のローソクの燃え方は時折異様な勢いがあり、1本無くなるスピードが尋常ではなかった。
 超常現象には縁もなく、大槻教授やら松尾貴史指示派のおいらとしては、そうした意識は皆無に近いものの、今日のこの景色だけは特例として己の意識の中に刻んでおこうと思う。
 親父がみんなを見守り、労いの気持ちを示してくれていたのだと信じて。

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2009年 10月 11日

通夜

 通夜の儀は午後7時より。
 事前の準備等もあるので、それよりも数時間早めの会場入り。

 祭壇にまつられたばあちゃんの遺影はおいらが選んだ。
 桜の花見の時に写したばあちゃんの笑顔が可愛らしい写真だ。
 身内で根暗の者が皆無なので、こうした葬儀の席にあっても始まる前は賑やかな空気が流れる。ばあちゃん、きっと喜んでいるに違いない。
 ばあちゃんの遺影をバックに、この日を忘れないための写真を数枚撮影。

 そして午後7時。お通夜はばあちゃんの意向を汲む友人葬にて執り行われた。
 おいらにとっては初体験の儀。

 終了と共に姉と買い出しに走る。
 精進料理を振る舞い、遙々遠方からご会葬賜った親戚、知人、友人の方々を順次お見送り。

 線香の絶やさない、ばあちゃんのいる部屋で従姉妹同士馬鹿話に花が咲く。
 こちらも葬儀恒例の風景。ばあちゃんの遺影は変わらず朗らかに笑っていた。

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2009年 10月 10日

帰省

 結局、1時間天井を睨んでいたが全然眠れなかった。
 午前4時にシャワーを浴び、車を呼んで最寄り駅へと向かった。午前5時の高速バスへ乗車。
 午前6時台のANAに搭乗し一路九州へ。

 遡る4時間30分前、祖母が98歳と11ヶ月の生涯を閉じた。
 空港に迎えにきてくれた姉の車で帰宅。
 部屋に入ると、綺麗な装束に包まれた祖母が横たわっている。なんと美しい顔をしたばあちゃんなんだろう。
 とても亡くなったとは思えない表情に映った。

 満州はハルビンより、幼き2人の娘(母と叔母)を引き連れ、命からがら帰国を果たした祖母。
 祖母がいたからこそ己の命に繋がった。
 祖母はとてもとても偉大でとてもとても優しかった。

 明日からのセレモニーのための打ち合わせを関係者と綿密に執り行う。
 続々と集ってくる親戚らと久々の再会を果たす。彼らの誰もが実に朗らかで、賑やかな時間が流れる。
 それもばあちゃんの人間性を反映しているようだ。
 本日は仮通夜となり、明日が本通夜、明後日が告別式となった。

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2009年 09月 19日

Bunkamuraオーチャードホール

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 先だって発売された、ジェイク・シマブクロのライヴ国内盤ジャケットを描いた漫画家:谷口ジローさんと会場入り。
 ジェイク・シマブクロ in Bunkamuraオーチャードホールへ。

 ホールは超満員。
 ツアー中日の頃合いで、演奏的にもまさに脂ののった完璧な技量と色気の炸裂する申し分のないコンサートだ。
 たった一人で2時間以上のステージングをこなす舞台演出には、今回、スクリーン、CCDカメラを駆使したジェイク。
 アットホームな中に、針の穴を通すような繊細なリズムとメロディの機微。とにかく圧巻としか言いようがない。
 今回、初めてジェイクの(ガット)ギター・プレイも拝聴したが、そのスキルには嫉妬を抱くほど。見事。さすが。舌を巻いた。

 終演後、大勢の関係者が待ちわびる中、控え室にジェイク登場。
 ジェイクは谷口さんの描かれたジャケット原画を持参し、記念撮影の後にサインを戴いた。谷口さんも英語版のご自身のサイン入りコミックを贈呈。全編英語フキダシのコミックスにジェイクご満悦。
 冷静にコンサートの出来を確認するジェイクに、おいらは感じたままの印象を伝える。彼と同じ時代に生き、同じ音楽を共有出来る幸運に感謝しながら控え室を後に。

 今後彼は、国内ツアーのわずかな合間にも渡仏し、異国でのライヴを控えているそうだ。
 世界有数のこれ以上考えられないミュージシャンの一人:ジェイク・シマブクロ。今日も世界へ邁進中。 

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2009年 09月 18日

1986年9月28日

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 博多から上京し、東京で初めて飲んだ店は吉祥寺『大茂』(現在、駅高架下にあった当時の場所とは別の店舗へ移転。営業時間も短縮)。
 上京したその日、九州時代の同級生で東京在のTに連れられ、飲んだ店が『大茂』で、当時の彼はライヴハウス『のろ』のスタッフ。(『ライヴハウス:のろ』であるのに対し、「そちらはライフは“うすのろ”さんですか?」と言う電話がかかってきたことのあったTの話をふいに思い出す)
 結果、吉祥寺『のろ』は、おいらが東京に来て初めて認識した飲み屋の一軒となった。

 当時、Tの誘いで1日だけ『のろ』のカウンター内に入り、スタッフの一員的ノリで手伝いをやったことがある。
 「米澤、おまえの好きな漫画家がうちでライヴやるみたいやぞ」そうTが言うのだ。「誰?」と聞けば「江口寿史」と答えが返ってきた。
 背筋に緊張が走った。「ホントか? だったらその日一日、カウンター内でバイトさせてくれ」
 当時、Tが掛け持ちで厨房スタッフをやってた今はなき中箱バー『プレイヤーズクラブ』の厨房の手伝いも、Tの口利きでやっていたこともあったし、そうした行き来はなんだか当たり前のようにまかり通っていた。

 『のろ』でのライヴは、遠藤賢司のオープニング・アクトと言う形で、江口寿史率いる漫画家&編集者で組んだバンドでの登場。
 カウンターごしにステージを見つめていたおいらは、今となっては他のメンバーの印象は何も残ってなく、ほんの数曲しか演奏しなかったその漫画家だけの動向を遠巻きに追いかけていた。
 ライヴが終わり、面々は打ち上げに突入。
 盛り上がる店内。こちら心臓バクバク。小学生時代から憧れたあの漫画家にどうにか話しかけたいのだが、どうしても踏ん切りがつかない。
 「しかしこの絶好のチャンスを不意にしてしまったら、おまえはどんだけのアホなんだ」「後悔だけが残るぞ」自分にそう言い聞かせ、便所で用を足した直後の(当時30歳の)先ちゃんを入口で待ち伏せする。
 「江口寿史が出てきた!」意を決し「あの…江口先生、ファンです」伝えた言葉はそれが精一杯。
 会話の流れでおいらも九州生まれですと告げた時、熊本出身の先ちゃんが「九州ね?」と九州弁の口調で返してきた。
 会話は一瞬のささやかなものだったと思うが、ともかくこの田舎から上京してきたばかりの、見ず知らずの青年に、先ちゃんが最後にかけた言葉が「今度、家に遊びに来なよ!」だった。
 倒れそうになった。初対面のロック小僧に漫画界のカリスマはとても優しかった。
 まだまだおいらはプロギタリストでも編集者でもなかったあの頃。

 その『のろ』が、10月いっぱいで閉店だと、先ちゃんからの最新メールで知らされたのだ。

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2009年 09月 5日

JAZZ KEIRIN

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 下高井戸の東京讃岐うどん屋「JAZZ KEIRIN」には、法政大学2部ジャズ研究会OB会の打ち上げ以来に訪れたので、もう何年ぶりになるだろう。
http://www.jazzkeirin.com/

 料理人時代のおいらが大学に所属していたわけではなかったが、縁あって20歳ぐらいからギターの参加で、なし崩し的にサークル活動を数年間過ごした時期があった。
 オーナー:T氏は、おいらよりも1個年上の同じく2ジャズ出身。
 久々の再会を果たした(2ジャズ内では同期のような)TTが、何年ぶりかに誘ってくれた店がここだった。
 
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 閉店間際にお任せで出てきた酒のアテの何もかもが美味い。
 時間的にカマの火を落とさねばという事情もあり、うどんの選択も店主:Tさんに任せ、冷たい(確か)白カレーうどんを戴いた。味◎。

 酔いに任せ、競輪好きのTさんの話を聞くうちに、思わず90年頃、当時まだギリギリ現役選手だった中野浩一選手へのインタビュー(江口寿史先生との対談企画)のことを思い出した。
 プロスプリントで世界10連覇した奇跡の実績は尋常ではない。

 中野は1976年に初めて世界自転車選手権に参戦。
 翌1977年には世界自転車選手権プロスプリント種目で初優勝。それから毎年同種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成した後、自ら同競技より身を退いた。「KEIRIN」を世界的に認知させたのは間違いなく中野だった。

 当時伺った淡い記憶ながら、V10を振り返った中野は確かこう語った。「初優勝の時には、『あいつは誰だ?』と言われ、誰にも認知されなかった。2度目以降の連覇の積み重ねにより『東洋人?』『日本と言う国から来たヤツなのか?』『ナカノという選手なのか!』と徐々に名前を覚えられ、認知される評価を目の当たりにしながら競技を行っていたものでした」
 「後に、もう自分が身を退き、世界一の走者でなくなった後にも、ヨーロッパの大会にゲストとして招かれると、ポスターの一番上には大きく『Koichi Nakano』と書かれてあるんですよね。嬉しかったなぁ」
 世界チャンピオンの名は、その次にナカノの文字よりも一回り小さい字で記されてあったそうだ。
 中野の偉業は、他の、どのスポーツのどの優れた選手にも匹敵、あるいは凌駕するほど桁違いの素晴らしいものがある。

 『世界自転車選手権プロスプリント10連覇』
 この記録は、20年以上経った現在でもいまだに破られていない。 

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2009年 09月 2日

関西にて第二子

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 過去に2度、満席で断られてしまった店:Tへようやく入店出来た。
 大将は「たまたまですよ、ホントにたまたま」とおっしゃるが、この店が人気店になりつつあることは第三者情報からも窺い知れた。
 Iとの飯は常に久々だ。
 彼は全国を飛び回る業務もある故、日程の摺り合わせが益々困難になりながらも無事再会を果たした。
 
 卓につき、しばらくすると関西の同級生:K先生より「業務終了〜」メールが。
 つい先日、めでたく第二子を授かったK家。その後、親父(K先生)の声を初めて聴いた。
 彼のmixiに事の詳細が記されてあるのだが、その文面はいつになくハラハラしながら読んだ。文脈を見る限り、どれほどの修羅場だったのか想像するのも恐ろしいほどの切迫感を感じたものだが、最善を尽くした彼らの処置がすべてを無事に導いた様子。
 嬉しい。嬉しくて、まだ大して呑んでいなかったが、心が喜びで泣けてきた。

 男ごとき、確かに女性には勝てないわな。よかったよかった。K先生、おめでとう。

投稿者 yonezawa : 00:32 | トラックバック(0)

2009年 08月 24日

ぷーるいく

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 日に日に言葉のバリエーションが増えるRちゃん。
 どこの親御さんにしてもこの面白味は体験してきたのだろうが、特別に子供嫌いだった自分は第三者から、こんなに刺激的な子供の話を聞くことはこれまでなかった。
 己の豹変ぶりは自覚しているものの、未だにこんなブログを書くこと自体信じられない感覚でおいらを見ている身内もいる。
 
 先だってSちゃんに誘われた、Rちゃん未体験の「プールへ行く」というイベントを彼女はしっかり覚えており、「ぷーるいく? ぷーるいく?」と口癖のように語る時がある。
 大人だろうが子供だろうが、勿論約束は守らねばならない。
 残暑と言われるシーズンのうちに、一度赴きたいところ。
 
 自我が芽生え、あり・なし、好き・嫌い、欲しい・いらないの意見をしっかり持ち始めた子供の感性は、少なからずこちらにも重要な人の機微を教えてくれる。

投稿者 yonezawa : 02:06 | トラックバック(0)

2009年 08月 23日

Music Is Good Medicine Tour 2009

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 昼、車を動かそうと鍵を開けようとするがドアの解錠音がしない。
 完全に電気系統がイカれている様子。
 よくよく見れば丸々2週間、室内灯の1カ所が点いたままの失態でバッテリーが上がっていた。

 予定していた外出の時間は押し迫っていたので、やむなく帰宅後の夜JAFを呼ぶことに決めた。
 [Music Is Good Medicine Japan Tour 2009]で国内ツアー中のジェイク・シマブクロ・コンサート観戦のため「恵比寿ガーデンホール」へ向かう。
 やむなき電車移動の道中、いつになくおいらの場所から離れないRちゃん。
 家以外でこれほどコミュニケーションをとったことがないほど、実にたまらない時間を過ごせて幸運だった。その代わり移動中の7割は抱っこ。ともあれ運転手だとこうはいかない。
 
 恵比寿ガーデンプレイス敷地内では買ったばかりの一眼レフが大活躍し、Rちゃん特写におよそ20分。
 動きっぱなしのRちゃんとは2時間30分ほどのお別れで、おいらはライヴ会場へ。

 先日書かせて戴いたライナー・ノーツの載った『Live〜ジェイク・シマブクロの世界』発売以来のライヴ・ツアーとなる。
 会場はチケット完売の様相で場内満席。大量に陳列されているCDの平積み加減が嬉しかった。
 
 初期のアルバムからの選曲なり、懐かしい衣装での演出なり、CCDカメラをウクレレのヘッドに搭載し、大型スクリーンで奏法をしっかり見せる演出やらと、趣向を凝らしたアイディアが会場の空気を和ませ、そして凝視させた。
 常に立ち止まらない偉大なる音楽家:ジェイクの演奏が今日もありがたい。
 
 登場するまで知らなかったが、ゲストにはアコースティック・ギタリストの押尾コータロー。
 YouTubeなりテレビでその卓越した超絶技巧は知ってはいたが、彼の最新アルバムからのオリジナル曲を始め、その明瞭で美しい音色がまずは際立っていた。やはりとんでもなく上手い。
 ジェイクとのセッションが命題となるのだが、中でも後半に魅せた「Five Dollars Unleaded」の2人かけあいは正に圧巻。
 誤解を恐れず言えば、このテイクは彼らにもそうそう簡単に再現は出来ないのかもしれないと思わせた。それほどの極めた演奏と言えた。
 互いのインプロの極みからエンディングへと叩きつけるキメまでがものすごい化学反応を実現させていた。
 (後で聞いたのだが)限られた打ち合わせの時間しかなかった故、双方がどう掛け合ってくるのかは、本番のテンションでないとお互い解らない境地だったことだろう。
 世界最高峰の演奏と認識する、すさまじき瞬間の証人となれた今日はラッキー。

 公演はアンコールを含んでおよそ2時間30分。
 終演後、控え室でジェイクとの再会をRちゃんと果たし記念撮影。一眼レフが活躍。
 押尾さんもご紹介戴き、彼の最新アルバムを贈呈戴き感激。

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 押尾さんのゲスト出演はスケジュールの都合上、昨日と今日の2カ所、東京公演のみ。特別な1日だったようだ。
 せっかくなのでRちゃんと押尾さんとの2ショットも実現の運びとなり、ムードメーカーなRちゃんの存在の大きさをここにきて再確認。
 Rちゃん、恐るべし。

 夜帰宅し、JAFを呼んだ。
 「バッテリーの残量は計測すると0。チャージしても数値が安定していないため、アイドリングとか、少々走る程度では一度止めたら再びエンジンがかからない確率もあり。GSでチャージするにせよ、これからなら24時間の店でなければならないし、最低でも半日〜1日は車両を預けなければならないはず」
 と診断されたので選択肢はほとんどなく、17000円の大枚をはたきバッテリー新調(泣)。
 
 気持ちとしてバッテリーのテスト運転も兼ね、ともかく車を動かしたかったのでRちゃんを連れ立ち、Sちゃんスタジオへ走らせた。

 スタジオにたまたま居合わせた最強スタッフ:Mちゃん、小Sちゃんとの嬉しい再会ともなり、Rちゃんは初対面の機会を得、なんと嬉しき邂逅となったことか。
 それまで気乗りしていなかったRちゃんの発言が嘘のように、Sちゃんスタジオ玄関前に到着したとたん、走り込んで家屋の中に入り、「うーたーまんいったよ。うーたーまんいったよ」とSちゃんに語り出したRちゃん。
 大いに笑った。

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2009年 08月 21日

Happy Birtheday

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 例えば知り合い女性の多数が標準的に30歳半ば頃を過ぎる年齢になると「誕生日を迎えても、もう喜べる年じゃない」というような言い方をする。何十回も聞かされたフレーズ。
 逆に男からはあまり聞かないフレーズのひとつだ。
 作家の出版する本の見返しで、プロフィール部分に生まれた月日を入れる割には、年度を入れない作家の意味も解らない。
 年を言ったところで抱く印象など何も変わらないのに…とかねてから考えるおいらは年を隠す気持ち自体が解らない。

 おいらにすれば、己の人生において最も重要な1日。
 今日はおふくろの誕生日。

 数年前にも書き記したかと思うが、時間があれば常に日頃の運動を絶やさない母。特に卓球に関しては冗談抜きに真剣勝負したら未だに勝てないかもしれない。
 なにせ定期的に練習している故、いきなりの対決なら勝つ自信がないのだ。
 親父も強かったがおふくろも屈強な継承者。まだまだ強い。誇らしい。

 大陸生まれの母が厳格な親父の家に嫁いでから今日まで、家族、身内を献身的にサポートする人生が続いている。
 物心ついてからおふくろの横顔を見つめてきた我々姉弟3人の母を思う印象は同じだ。
 親父の父母とは、祖父母本来の身内よりも真摯に向き合った。それぞれ人生の最期まで看取った最たる“身内”がおふくろだった。
 父方の祖父が自分の娘・息子よりも比較にならないほど母を信頼し、亡くなる何年も前からその気持ちにブレがなかったことは、祖父が遺書に書きつづらなくても孫のおいらたちは知っていた事実だった。

 親父も含め、おふくろにも「何故そんな貧乏くじのような、第三者の犠牲になるのだ」というような、当時としては腑に落ちない選択をしていた両親にいらだちを覚える時も多かった。
 しかしその考えは間違いだった。
 彼らの大いなる人間性の度量が、そうした生き方を選択させたことに気づいたのは、親父が現役を引退した頃辺りからだったか。
 果たして母は、これまで何人の者たちの生活の助力をしてきたことだろう。

 翻って現在、今日も実祖母の日常をサポートし続け、実娘の深刻なる悩み事を受け入れた。
 一般的に高齢と呼ばれる今頃になっても尚、複数かつ育ち盛りの孫を現実的に育てながら、ほんのささやかな自分の時間を“健康維持”に充てる母。
 「私が倒れるわけにはいかんからね!」笑いながらそう言う母は、自身のおかれた立場として自分がいなければ歯車が狂ってしまうと、結局第三者の生活を最優先して考えている。

 頭が上がらない。
 おふくろの生き様こそ、永遠の最大のリスペクトの対象。その気持ちは勿論永遠だ。

 Happy Birtheday

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2009年 08月 14日

Les Paul

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 昼過ぎ、KJ兄からのメールでレス・ポール御大ご逝去の訃報を知る。
 絶句…。「ついに逝ってしまったのか…」

 エレクトリック・ギターは彼の存在なしでは語れない。
 ギブソンのオフィシャルサイトには、多くの有名ギタリストのコメントが寄せられていたが、ギタリストであると同時に発明家であったレスの存在は、どのギタリストにとってもその存在はあまりに大きかった。
http://www2.gibson.com/Gibson.aspx

 何年おきかに仕事でNYを訪問する機会もあったが、いつも、レスの恒例ライヴの曜日「レスポール・ナイト」には日程があわず、それを理由に結局一度も彼の生演奏を聴く機会には恵まれなかった。
 エレキギター本体の開発しかり、マルチトラックの発明家ともなれば、世界でどれだけの音楽に携わる人々がその恩恵を受けてきたか。その功績は、プロツールス全盛の時代における現代であろうともすべての発想の源だと言えた。

 16歳で親父に7万円借りて買った最初のエレキギターが国産レスポールだった。
 レオ・フェンダーが逝き、そしてレスが逝った。
 エレキギターの歴史における大きな節目の一日となった。合掌。

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2009年 08月 9日

じゅーたーまん

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 午前中、唐突なる姫の「おきて! おきてパパ!」の一言で“悪夢”から目覚める。
 悪夢とは、iPod touchの中にセーブしていたRちゃんの写真がスライドショーのごとく逐一悪魔のような顔に変貌する…という本気で恐ろしい内容だった。
 その悪夢からRちゃん本人が目覚ましてくれた。あの心理は何だったのか。
 
 もう1週間ほど前から彼女と約束していた「ウルトラマンに会いに行く」計画を実行に移すべく、午前中からいそいそと準備。

 今週、「じゅーたーまん、いく? じゅーたーまん、いく?」と少なくとも5回は問われていた。
 ケーブルTVで『帰ってきたウルトラマン』の(確か)最終話を見せてから、Rちゃんはアンパンマン並にウルトラマンが気になるキャラクターになったよう。
 ちなみにその最終話の暗いことと言ったらないのだが、彼女には何かひっかかるものがあったのだろう。
 そのうち忘れてしまい、再びいつもの「しまじろう」とか「アンパンマン」等に戻るのかと思いきや、その熱はずっと継続されていたようで、「だったら行こうか!」と約束したのだった。

 早めの昼食を戴き、随分空き空きの都内へ車を走らせ、目的地:池袋サンシャインへ到着。
 道中もそうだが、館内の人出も比較的大したことがなく、通常この程度の人出なら、なんと快適な観光に、ショッピングになろうなぁと感じた。

 駐車場の割引の対象にもならない高額な入場券を購入し、ウルトラマン・ショーの座席も確保。入口で撮られた写真は(購入は自由意志ながら)帰り際に1200円で売られる仕組み。額装なら2500円とは、そのあこぎさに驚かされた。
 アトラクションのタイムリーな時間が来るまで、他の催し物会場を先に梯子。
 まだRちゃんの年齢ではトライ出来そうなゲームはないのだが、いくつかの小物を買ったり、おやつを食べたりで館内を適当にブラブラ。

 ウルトラマン・アトラクション会場へ戻り、乗り物に乗ったり、怪獣、ウルトラマン等の等身大フィギュアを眺めた後、舞台で行われる催し物、さらに別の大がかりな舞台のショーを観戦。
 Rちゃんを太ももに乗せ、椅子に座って観戦中、激しい睡魔に襲われ10分ほど上手に爆睡。
 ショーはおよそ1時間。着ぐるみの方々の暑い・熱い苦労を想像した。
 「おもしろかった?」の問いに「おもしろかった!」とRちゃんご満悦。よかったよかった。
 早めの夕飯にRちゃんはフライドポテトと餃子。ご飯は食べてくれなかった。
 帰途の道中、30分程度お昼寝をしたRちゃんに、帰宅後ふりかけご飯を食べさせ、お風呂。
 ご機嫌も損ねることなく就寝まで導けたのがなんとも嬉しい感慨だった。

 Rちゃん、買ってもらった初代ウルトラマン・フィギュアを握りしめてスヤスヤ寝ていた!

投稿者 yonezawa : 18:18 | トラックバック(0)

2009年 08月 3日

hibari & Pixie Lott

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 ↑に倒れた。絶賛発売中!


 午前中、都内某所着。
 初来日中の美人シンガー:ピクシー・ロット、インタビューへ。
 長旅の疲れか、前日からかなり体調が思わしくない情報を関係者より得ていたのだが、登場した彼女はとてもプロフェッショナルな気持ちを持ち合わせていた。
 2パターンの衣装によるフォトセッションを経てインタビュー・ルームへ移動。

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 イギリスはケント出身の若干18歳。
 今流行の、リアリティ番組やオーディション番組などテレビのバックグラウンドなしでデビューシングルを全英シングルチャート初登場1位に送り込んだ、初のUK女性アーティストとのこと。
 ポージングを決めてスチール撮影を行った時の大人びた雰囲気とはうってかわり、テーブルを囲んで質疑応答する瞬間、等身大の彼女の笑顔はまさに年相応。とてもキュート。
 
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 デビューアルバム『Turn It Up』は9月に全英リリース予定(日本では10月14日)。 
 身長は180cm以上あるそうだ。

投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2009年 07月 30日

iPOD touch

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 深夜帰宅すると、部屋のあちこちにオモチャのコインやらシールやら折りたたんだトランプ等が散乱している日もあり。
 手の届かない壁際の隅には様々なモノが落っこちてしまっている形跡。
 
 しばらく使ってなかったiPOD touchを思い出し充電。
 しかし、移動中に音楽を聴くと言う行為はほとんどやらなくなった。
 ダウンロードの始まった現代、巷では移動中の音楽鑑賞はウォークマン登場期の頃のようにポピュラーな光景だが、移動中はもっぱら仮眠というケースになっている昨今。

 昼間、ついにiPOD touchをRちゃんに発見されてしまった。
 同時に写真の送り方、拡大の操作を即座に習得されてしまった。
 結果、当然のごとく彼女の私物となった…。

投稿者 yonezawa : 18:06 | トラックバック(0)

2009年 07月 28日

忘れた

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 生クリームを使う料理は、大人になればなるほど好きになってきたような感じ。
 高カロリーとは知りながら、メニューに白身魚を素材とした品がかかれていると迷わず注文してしまう。
 素人ながら自炊を25年前後続けているサラリーマン:Kはフードプロセッサーまで購入し、アボガドやらタマネギやらをシェイクし料理するのだと言う。
 なかなか馬鹿にできない素人オヤジ料理。次回喰わせてもらおう。

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 雨模様の天候が鬱陶しい。
 飛び込んだ店で、預けた傘を忘れてしまった。買って全然使っていなかった新品だった。
 傘ってどうしてこう定期的に置き忘れるものなのか。
 夏場、外出した後ハンカチを忘れてしまったことに気づいた瞬間の無念な思いといい、何度も何度も“忘れるものか”と思っている日用品を忘れるのだ、人間は。
 「習慣となっているいつもの行動と、急に違う動きをすると忘れがちになりますよね」とは漫画家:Mの弁。
 シャワーを浴びて、服を着て、鞄の中身と身につけるモノのチェック。
 例えばこれが日常の順番であれば、その順番を入れ替えるだけでタイミングは乱れ、忘れ物の可能性を高めるのだと。
 
 ズボンのベルトの装着は今日もRちゃんが手伝ってくれた。こちらは毎度の日課的行動パターン。
 Mの発言を思い出し、外出時いつものように左足から靴を履いてみた。

投稿者 yonezawa : 00:56 | トラックバック(0)

2009年 07月 26日

チャンネル権の行使

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 不意に未確認情報が飛び込み、関係者各位に緊張が走る。
 来週の業務再開後、さらなる詳細の確認が待ち構える。
 自宅待機の時間はバンド・リハーサルの時間と思い切り被っていたが、最後の1時間だけ間に合わせるべく、思い切って家を飛び出した。

 リハ後、諸々の連絡を行いながら吉祥寺駅ビル構内でRちゃんらと待ち合わせ。
 軽い食事を終え帰宅したとたん、やにわに睡魔に襲われたRちゃんは「(お風呂に)入らない!」と言う。
 「今日もいっぱい汗をかいたから入らんとイカンよ」と促すものの眠気に負けそうだったのか「入らない!」とビッシリ繰り返す。
 数回の押し問答の末、「水遊びしよっか?」っという言い方の変換により、どうにかなんとか入浴に導けた。
 一つ一つの問答には大いなる自我を含む人間性が現れる。実に面白い。

 こちらがチャンネル権を行使してはならない。
 午後10時30分を回った頃、テレビのリモコンを持たせて「Rちゃん、消してね」とお願いしたら、すんなりパチリと消してくれた。
 同時にRちゃんは「おやすみなさい」と小声で言ってくれたのだった。

 自我を含んだ葛藤する人間性。和みの瞬間也。

投稿者 yonezawa : 04:17 | トラックバック(0)

2009年 07月 25日

1戸建てと国営昭和記念公園

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 S社:Sが、おいらの家からもほど近い閑静な住宅地に一戸建てを構えたと聞き、彼の新居でご飯を戴こうという話が急速に進展した。
 そのホームパーティを行う際には、そもそもおいらが料理をまかなうこと(条件?)になっていたので、S宅へゆく前に西友で買い出しに。

 「包丁が切れないんで、それも買いましょう」というSの要望も盛り込み、食材、飲み物は買い物カゴ4個がいっぱいになるほど買い込んだ。
 総計5名分の食材をわんさか購入。

 33歳の若さで庭付き1戸建ての物件購入。何はともあれ立派なことだ。
 おいらの自宅からの距離は車で正味15分程度だったろうか。
 「庭付き」の自慢話(笑)通り、確かにちょっとした庭もあり、隣は空き地。日当たりのよい環境も申し分のない新居に招かれた。

 今日集うメンツのうち2人がおいらとは初対面とのこと。
 Sの仕事仲間である彼らの到着時間はあと15分を切ってしまっていたので、とにかく突貫工事のごとく調理に着手。
 
 まず、ゆで卵を作成。
 その隙に、キャベツの千切りにレタス、サニレタス、トマト、キュウリ等を洗ってざるにあげ、サラダの材料は冷凍室へ。
 調理の後、サラダを即食べる場合、食材は冷凍室にしまうのがベストだと思う。

 豚肉野菜味噌炒め用の材料を切り出し、ニンニクアッシュして、シーフードクリームソースパスタ用の野菜、具材切り出し。
 調味料を確認。パスタの具材に考えていた3切れの鮭のうち2切れは素焼きにした。
 ニンニクの茎と牛肉を酒、醤油、出汁とブラックペッパーで炒め煮込み、5人前想定の豚肉野菜味噌炒めも作成。

 パスタの麺を12分間茹で、むきえび、鮭、卵黄、えのき、タマネギ等バターで炒め併せ、牛乳買うのを忘れてしまったので白ワインで和え、丁度麺がゆであがった頃、フライパン内で生クリームとざっくりあわせて軽く煮だたせた。

 S宅のフライパンが鬼のように小さいので、すべての料理は難儀を極めたが、丁度よいタイミングで到着したメンバー:Rに流しの洗い物等をサポートしてもらいながら、スムーズな時間繰りで予定したすべての品を完成させた。
 所要時間、正味1時間強だったか。気持ちのよい汗が流れる。
 
 ビールで乾杯。
 FUJI ROCKでの名演:ジョン・バトラー・トリオのライヴ映像を見ながら親睦会の開催。
 しかし仲間宅でのホームパーティはいいものだ。
 20年近く昔、たまに催していた、先ちゃん宅でのホームパーティは派手だったなぁ。あの頃もよく十数人分のシェフやってたっけ。
 午後5時のお開きの時間まで、ほろ酔いの心地よき時間が流れる。

 午後6時過ぎ、ママ&Rちゃんと三鷹駅で待ち合わせ。
 昨日突然思い立ち、国営昭和記念公園で開催される花火大会へ赴く計画を立てていた。本物の花火をRちゃんに見せようと考えた。
 
 立川駅からデパートの屋上を目指すが、すべてのテーブルがすでに予約者の名前で埋まっている。当たり前か。
 やむなく昭和記念公園に連なる遊歩道を歩き、適度な場所でシートを敷き、とりあえずの場所を確保。
 昼間2本近く飲んだワインがきいてきたのか、おいらは思い切り大の字。

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 やがて数千発を打ち上げる花火の音が聞こえ始めた。音色が小気味よい。
 Rちゃんは夜空に大きく輝く初めて見る景色を興味深く見つめている。その横顔がたまらない。
 ときおりRちゃんの姿を携帯とデジカメでとらえながら、可能な範疇「花火」の説明を耳元で聞かせた。
 ひとひとつの風景が彼女の心の襞にどういった心象を与えていくのか。
 かつて幼き自分が両親に見せてもらった胸の温まる多くの風景。Rちゃんを見つめながら、遙か昔に見た田舎での花火の光景がフラッシュバック。
 
 昔、祖母に花火大会でのあるエピソードを聞いたことがある。
 汽車が川内川を通過するそのタイミングに花火大会での花火が打ち上がった時、汽車は一旦そこに停車し、乗客に花火を見せてくれていたそうだ。

 なんて優雅でロマンチックな時代なんだ!

投稿者 yonezawa : 18:04 | トラックバック(0)

2009年 07月 23日

LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界

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 8.19発売「LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界」でライナー・ノーツを書かせて戴いた。
 ジャケットは日本が世界に誇る漫画家:谷口ジロー氏に快諾戴き、描き下ろしたイラストとなっている。谷口さんがCDジャケットを手がけたのは初。ジェイクの関連サイトでアート・ワークがすでにお披露目となっていたのでここでも掲載。
 全面的にアートワークまで任せてくださったKazyに感謝!

 これまでジェイクのアルバムには、細かい情報等を盛り込んだライナーはほとんどなかった。ので、クロニクル的な資料にもなるよう、9000W近い文字数でジェイクを見つめたすべての気持ちを書き記した。
 スタジオ盤のクオリティを凌駕するとも言えるジェイク真骨頂のライヴ音源は正に必聴。 

 はっきりしない雨の中、E先生宅で数十分の打ち合わせ後、小一時間闇経由で帰宅。

投稿者 yonezawa : 22:08 | トラックバック(0)

2009年 07月 22日

遭遇

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 どかんと届いた最重要な大量の原稿にせっせと指定を施し、わさわさと入稿。怒濤の入稿。

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 活字媒体のセクションに移動されたK氏に誘われ、およそ1ヶ月ぶりに再会。
 同じフロアからビルも変わってしまったので、随分疎遠になった感覚だった。
 訪れた店では、少年ジャンプ全盛期を支えたSさん、現M誌の大黒柱:Sと偶然遭遇。ビックリ。

 食事を終え深夜に帰社後、再び入稿に数時間。

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2009年 07月 17日

SOS

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 早朝4時、伴侶のSOSで近隣の救急病院へ。
 深夜の時間帯では簡単な診察しか出来なかったが、ともあれ応急処置で点滴をお願いすることに。
 点滴を受ける間、Rちゃんシフトのため1時間程度一旦帰宅しようと外へ出たらスコールのような大粒の雨が降り出した。
 5時30分に再び迎えに病院。薬を処方してもらい、とりあえずその場は凌げた。支払いは5000円の一時預かり金。点滴正味1時間40分。

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 帰宅し、5時間ほど横になった後、再び伴侶は病院へ向かいCTと2度目の点滴へ。
 午前中は室内でRちゃんのお遊び相手に徹する。

 Rちゃんの昼食には唐揚げ3切れと目玉焼き、トマト1/2にふりかけご飯。
 全部をきちんとテーブルについて食べてくれることは未だに皆無だが、今日はちゃんと昼食を完食してくれて嬉しい。
 料理人を経てきてこれほど役立ったと感じる瞬間はなく嬉しい局面はない。
 おいらはネギをきざみ、海苔をこなごなに千切り入れ、ワサビをつゆに溶かし、キンキンに冷やした揖保の糸を2束かけこんだ。

 まだ完治ではないが、一応落ち着きを見せた伴侶のコンディションを帰宅後確認し、都内某スタジオへ。

 久々となった本誌グラビア撮影への立ち会い現場は、とても大がかりな重厚感溢れるイントレが組まれていた。両サイドには野外ライヴでも充分可能な巨大ライティングが。
 企画内容を全然聞いていなかった経緯もあったので、この大かがりな撮影セットには驚いたが、おいらは頼まれたギター:ジャガーとストラトを責任持って用意。
 色は共に赤。用意したシールドも赤。小道具で見切れることにはなろうが、アンプもVOXの赤。
 ストラップもウッドストックのデザインが施された赤を貴重としてデザインされたもの。
 赤赤赤。今日の被写体女子が持つギターのイメージは「赤」だった。拘った。
 スレンダーな長身美女の彼女を想定すれば、フルシアンテやらカート・コバーンの持つフェンダー・ジャガーがジャスト・フィットだと考えた。
 
 やがてご本人がスタジオ入り。
 撮影衣裳をフィッティングした後ご挨拶を交わし、ギターを肩からかけると狙いはズバリ的中。ご本人、とてもチャーミングでありながらもギターを抱えたその姿は大変クールな出で立ちに。
 そして彼女は礼儀正しくクレバーな女性だった。
 今をときめくグラビア女優にして超売れっ子タレント:○○○ちゃんのジャガーを抱えたこんなクルーな姿は、ファンにしろ、読者にしろきっと初体験となるシロモノになることだろう。
 正に一点物のプレミアムショットが続々とデータ・セーブされてゆき、およそ1時間押した撮影は滞りなく終了。
 今日日のスチール写真は、撮った端からMACの大モニターに写し出され、撮影終了と同時にOKカットの確認が出来るシステムとなっている。
 この20年で、紙の入稿スタイルも写真の入稿スタイルもえらく変わったものだ。

 オール・スタッフの皆様方、お疲れさまでした。

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2009年 07月 15日

孤高の格闘家

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 DREAMの大黒柱であり、あのエメリヤーエンコ・ヒョードルに「尊敬している」とまで言わしめた総合格闘技界屈指の逸材に青木真也(パラエストラ東京)と言う選手がいる。
 その青木選手の、打撃の師匠とも言える孤高の格闘家:飯村健一(大道塾吉祥寺)と久々の再会を果たした。

 「米澤さんと知り合ったのは1992年だったですね」と本人から改めて伺い、大した時間が経過したものだと時の流れを回想した。
 ついうっかり見逃したボクシングの話題など、いくつかの格闘技話もプロの飯村視点で教授戴くのだが、話の基本はお互いの愛娘のことばかり。
 ゴールデン街で飲み明かし、いくつかの夜を語り明かした飯村と今この歳になって、次回は家族で遊びの計画が出来るとは、なんとも感慨深い思いだ。

 あちらこちらの関係者筋から聞こえてくる噂によれば、飯村は指導技術にも大変定評があり、例えば素人の練習生にもすぐにサンドバッグ等、蹴らせてくれると聞く。
 通常の格闘家の指導を想像すれば、基本的な身体作りの反復練習を経なければ、そうした実際の打撃などをやらせてもらえないようなイメージを抱くものだが、彼の方針はそちらではないのだと言う。
 勿論、プロ指導者の鋭い監視あってのメニューなのだろうが、「まずは練習も楽しくなければ」といった、練習の面白さにメンタル面を直結させるような意識が、練習生のモチベーションを最大限に引き出すのだろうと想像させた。
 
 多くの本格プロ格闘家からの信頼も厚く、団体及びジャンルの垣根を超え、飯村選手に教えを乞う選手が後を絶たないことが、的確な指導力と人望をそのまま反映していた。
 彼がセコンドについてくれれば、それほど心強いものはなかろう。
 飯村選手、今宵もお疲れさん。

 河岸を変え、馴染みの居酒屋で偶然遭遇したのはEさんグループ&Kさん。
 そこでは、とある驚愕の完成度を誇る最先端イラストを目の当たりにした!

投稿者 yonezawa : 09:46 | トラックバック(0)

2009年 07月 9日

送別会

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 7年前に親父が亡くなった頃、幸いにも特に切迫して困るようなことはなかったが、今になって相談したいことやら意見を伺いたいことはなんとなくチラホラ出てきて、「こんな時に親父ならどう選択したのだろうか?」「こんな時、親父の判断はどうだったのか?」みたいにもの思う瞬間がある。

 本日夕方より、編集部から移動されたJさんの送別会開催。  
 Jさんはまさにヤンジャン編集部の親父的存在で、スタッフ内での存在は特別だった。
 送別会とは言いながらも、今後も同フロアでの仕事仲間であることは変わらないのだが、28年間の長きにわたりヤンジャンを支えてこられたJさんの歩みは偉業だと言えた。
 お疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2009年 07月 3日

夕張メロン

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 先日、母の日に合わせて注文した夕張メロンがようやく出荷の時期とあいなり、田舎に到着した模様。
 パソコンも携帯も自在に操るお袋と姉貴より御礼のメールを拝受。
 果物好きな性質のおいらは明らかに両親からの影響のもので、今でも一人スーパーに行けばその日の気分でなんらかの果物を買ってしまう。
 しかし同級生等の同世代の仲間で、わざわざ果物を買ってまで喰う知り合いはほとんどいない。
 むしろ拒否する輩の方が多数なぐらい。
 「感謝します。みんなで頂きます。ありがとう。」と言った母からの労いの言葉を読むだけで、随分得した気分になった。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 07月 2日

BOSS:J

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 BOSS:Jさん労いの会は、同士:Iっちゃんと。
 Iっちゃんの発見してきた新宿の飯屋Tはどえらい穴場のナイスな新物件で、アクセスもベスト。
 Jさんの人望は、とてもここのスペースに書き尽くすことなど不可能なほど尊大なものがあり、掛け値無しに特別な思いがある。
 「組の若い衆が親分のために鉄砲玉になる」この表現は大げさだとしても、Jさんはそうした気持ちを抱かせる、数少ない人格者だとかねがね感じている。
 頭に立つ者はそうした圧倒的な信頼感を抱かせるものであり、事実Jさんには多くのシンパが存在する。
 同時にチャーミングな不良性に包まれていることも、頭に立つべき人格者の条件のひとつだと言える。Jさんはとてもチャーミングだ。

 各々、連日の痛飲のようで、同じ程度体内に残った酒に迎え入れるような今日の酒であったことがおかしかった。
 新宿駅前から新宿三丁目まで徒歩で移動。
 Sでシャンパン、ワイン等で再び乾杯し、解散の後、夜風にあたりたかったおいらは彼らを見送った後、ほんの少しだけ散歩して歩いた。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 06月 30日

いくつになってもロケンロール

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 先日放送された、フジテレビ『人志松本のすべらない話』が楽しめた。
 個人的には小藪にも出て欲しかったが、各キャストによる申し分のないせめぎ合いを堪能出来た。
 番組は、岩崎宏美&コーラス隊による『聖女たちのララバイ』で幕が開いたのだが、岩崎宏美のサポートにはゴスペル歌手:亀渕友香も参加。
 
 今夜の夕飯は、亀渕友香さんの実兄で、ディスクジョッキーであり、音楽評論家であり、ニッポン放送元代表取締役社長の亀渕昭信兄とご一緒することに。

 久々の再会に、積もる話も個人的にはありながらも、結局顔をつきあわせて語られる話題のほとんどが、その場で閃いた思いつきだけのエピソードばかり。
 マイケル・ジャクソンの悲劇に関しても兄の見解には興味深いものがあり、スティーヴィー・サラスの書いてくれた名文の話は、とっておきのおいらからのエピソードとして兄にお伝えさせていただく。

 60年代後半のサンフランシスコで、やれザ・フー、ジミヘン、ジャニスetc...と普通にライヴハウスで聴いてこられた経験を持つ亀渕兄には永遠に脱帽だ。
 一昨年のO2 アリーナでのツェッペリンを体感しているのと、いないのでは今の自分は違うのかもしれない、というのは兄とおいらとの共通認識なのかもと思っている。
 よくぞ彼の地で、兄と共にあのステージを観戦出来たものだ。

 現在、NHKデジタル・ラジオで彼がディスクジョッキーを務める番組『亀渕昭信のいくつになってもロケンロール 』の放送(再放送?)が始まろうとしていた。
 兄、おもむろに携帯ラジオのスイッチをON。

http://www.nhk.or.jp/kame/index.html
http://www.nhk.or.jp/kame-blog/
http://e-days.cc/style/columns/2/

 小さな音にして、耳に当てながらおよそ50分間の放送を聴き入った。

 今日の内容は、ザ・ビートルズの日本公演が始まった日の特集。
 ザ・ビートルズ来日コンサートは、1966年6月30〜7月2日の3日間、昼間のコンサート(マチネー)も入れて合計5回行われたそうだ。
 その曲目は5公演とも全部同じだったとのこと。

1. Rock And Roll Music
2. She's A Woman
3. If I Needed Someone
4. Day Tripper
5. Baby's In Black
6. I Feel Fine
7. Yesterday
8. I Wanna Be Your Man
9. Nowhere Man
10. Paperback Writer
11. I'm Down
 
 放送は一種のドキュメンタリー番組とも言える内容で、おいらも今夜初めて知った情報がいつくかあった。
 飯の席で語る亀渕兄の声と、放送の声は思いの外トーンが違い、電波に乗せた亀渕兄の声のトーンが幾分高く聞こえた。
 なんと言う名曲の数々よ。ザ・ビートルズにはいつでもどこでも心で泣けるのだった。

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投稿者 yonezawa : 16:31 | トラックバック(0)

2009年 06月 25日

MOJITO

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 B社が近々に社屋をS社に移し、本国と同じ形態の会社として再起動するニュースは、昨年から聞かされていた。
 編集の先輩:T氏の要望で、レコード会社の近況をご教授戴くべく、名刺がS社となったHちゃんを交えての食事会をセッティング。
 西麻布「真」着。

 九州出身の父親を持つHちゃんは、プロモーターとしての仕事も完璧で、良き意味で年齢に似合わず仕事を円滑にこなすクール・ビューティな才女。
 おまけに父親譲りなのか酒も強い。
 
 すれっからしのロック信者であるおいらが、今ロック啓蒙のほんの一端を担えるような立場にもしあるなら「是非とも次回はこうしたい、ああしたい」などと妄想しながら、洋楽話に花が咲く。
 漫画、ロック、映画、スポーツ、すべてのカルチャーの中から良質なモノを抽出して紹介してゆければ、いち発信者としては本望だ。

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 酒豪ヘミングウェイが愛飲し、エレキギターの神:ジェフ・ベックが好んで飲むと言うカクテル「MOJITO」を、昨日のジェフ65歳の誕生日に飲めなかったので、本日改めてジェフに乾杯。

投稿者 yonezawa : 15:18 | トラックバック(0)

2009年 06月 24日

Jacqueline Bisset

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 地下鉄に降りる前、路上に立ち止まり携帯で深夜上映の映画日程を検索していたところ、同じく携帯を見つめながら歩いてきたMちゃん。
 彼は、飯はまだ喰っておらず、帰途につく途中なのだと言う。
 ここのところ互いの誘いも巧く間があわず、伸び伸びになっていた飯のタイミングをここで見っけた。

 馴染みのバー「S」は出前もOKなので軽食を注文。パソコン、音楽を中心としながらも、無軌道に語り合うカルチャー全般。今宵も実に興味深い内容ばかり。
 そこら辺の編集者よりも編集的スキルを有し、あらゆるカルチャーに対する造詣深さをかいま見せるデザイナーMちゃんは、ホントに何でも知っている。感心する。いつでも何でも教えてもらっているおいら。
 
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 店内でかかっていたDVD映像をなんとなく眺めていた。
 そこに映る主演女優の美しさに魅せられ、バーテンMちゃんに「これ何の映画だっけ?」と伺った。パッケージを見せてもらえば作品名は「アメリカの夜」。
 ところが前回にもこの作品について問い、同じ質問をしたことを情けなくも思い出した。

 巨匠フランソワ・トリュフォー監督の傑作。
 造形的に響くジャクリーン・ビセットの容姿は現代でも圧巻だ。

投稿者 yonezawa : 21:27 | トラックバック(0)

2009年 06月 19日

MEDICOM TOY EXHIBITION '09

 渋谷パルコ6F「ファクトリー」にて「MEDICOM TOY EXHIBITION '09」が開催。
 それに先立ち、(毎年恒例だと言う)レセプションパーティが本日行われた。

 そもそも畑違いのおいらはそんな情報など知る術もないはずなのだったが、トイズ・マッコイ代表で偉人:岡本博兄直々にプレミアム招待状をお贈り戴いた(大感謝!)経緯があり、勿体ないので編集部アートディレクター:モトちゃんを連れ立ち参加。
 会場ではビリケン商会代表:三原さんにも遭遇。
 
 なんだか事情もわからないまま、ともあれ場内に陳列された驚きのトイを観賞させていただいたが、やたらと人が多く大変な状態。
 ディスプレイされたウルトラマン・シリーズやら仮面ライダー・シリーズのフィギュアに関しても、量産の市販品もついにここまでの完成度を誇るものなのかと舌を巻いた。
 
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 個人的にはメインの品ではないのかもしれないが、やはりKISSなり、人物のフィギュアが目を惹く。
 知るものにとっては岡本兄、横山宏さんらで作成された「12インチマシーネン」はかなりのトピックらしい。圧巻のフィギュアは迫力満点だ。

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 時間をずらして集った夕飯は、久々の映画関係者の面々で佐賀料理を戴くことに。
 知らなきゃ絶対に入らない店のひとつ。K社の美女:Oちゃんの貴重な情報で初めてこの名店『佐賀 雑穀』を知ることになった。

 本格的に辛いゆずこしょうが、まず店の優秀さを物語り、魚ロッケ(ぎょろっけ)等面白いメニューも珍しかったが、玄界灘で獲れた白身魚の諸々に感激。煮ても焼いてもベストの一品に遭遇。全員大満足。

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 人格者と語り会う時間が貴重で有り難くてたまらない。人は真摯であることが人生最重要事項。そう考えて生きねばと、参加者中のOちゃん一人だけが思わせてくれる空間だった(笑)。

 事の発端となった、ロサンジェルスでわき起こったMちゃんに纏わるおいらのホラ話から始まった“Mちゃんゲイ疑惑”の話題に、彼自身が自虐的にフェイク告白する一幕。
 何度聞いても可笑しいスベらない話の1つ。何が本当で何が嘘なのか関係者すら判らない。
 彼らとの次回の仕事がとても楽しみ。

 何年も付き合いのあるD社:Kが、今日初めてまともな店を教えてくれた。粋なロック・バーは意外な場所に位置し、この店は、この時間、この空間にとてもよくマッチしてくれた。

 昨日届けられた7月発売のスティーヴィー・サラス・カラーコードの新作『SET IT ON BLAST!』から1曲、爆音で拝聴。
 またしても、世界一のロック・アルバムとの遭遇を果たす。本気で呻った。流石、あっぱれのサラス。

Fuckin' so very very cool guitar sounds.
A world's best rock album was completed again.

 昨日、早速感想のメールをスティーヴィーに送ったところ、速攻で返信到着。

Hey kaz!! Thanks. Please tell everyone to get the new cd ok and see you soon in japan I hope

Stevie

 来年、盤石の面子で来日の噂だ。

投稿者 yonezawa : 20:30 | トラックバック(0)

2009年 06月 14日

訃報

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 13日、プロレス興行の広島大会後に亡くなられたノアの選手兼社長、三沢光晴選手のニュースに驚いた。
 三沢選手とは、一度だけ直にお会いしたことがある。
 ディファ有明のリング上で行われた、ラジオ番組の公開録音という場だ。
 リングではバンドで「NOHA2000」というオリジナル曲も披露した。
 三沢選手のテーマ曲:スパルタンXは、当時のバンド・バージョンという形でvapレコードより再録・リリース(オムニバス・アルバム)したこともあり、三沢選手とはそれほど疎遠な関係ではない意識があった。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005H0DC/
 様々な覚悟を踏まえ、リングという過酷な場所に身を置くことは全プロレスラー共通の思いかも知れないが、実際にこうした不慮の事故を目の当たりにするとたまらない感情がこみ上げる。合掌。
 
 訃報続きの昨今だ。
 夕方、東西線:落合駅で下車し、友の母:Kさんのお通夜に伺った。ほんの数ヶ月前、友を介し「また是非今度、ご飯ご一緒しましょう」と交した約束は、永遠に果たされることがなくなってしまった。
 なんと虚しきひとときなのだろう。合掌。

投稿者 yonezawa : 20:01 | トラックバック(0)

2009年 06月 11日

パブ『アラジン』

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 20歳の頃、おいらは王子のパブ『アラジン』にいた。
 ミッキー・マウスのエプロンを付けて、厨房で料理を作っていた。
 まかない飯は手鍋で炊いていた。
 油を敷かなくてよい激辛チョリソのそてい、仕込み立ての揚げたて串カツの美味しかったこと。
 店内は日々常連さんで賑わい、カラオケ全盛だった。
 店までは、杉並から毎日トヨタ・セリカXXで通っていた。後に環七で3回転半の転倒事故を起こし、廃車にしてしまったセリカXXで。
 実に様々な思い出が蘇る。たった1年強の時間でありながら。

 あれからおよそ25年。
 皆、それぞれの仕事に就き、それぞれの家庭を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。

 幼なじみ:Kの提案で、ふいにあの日の面子:YE、KH、KMらの4人で卓を囲む日程が組まれ、本日その日がやってきた。

 思い起こすのは彼の日に見た景色ばかり。
 「あの人、名前なんだったけ?」と古い記憶を掘り起こし、今の日常では体験しにくい実際にあった抱腹絶倒のエピソードにお腹がよじれた。
 20歳そこそこで就職したKHの会社のロゴを2つもデザインしたことは、おいらは自分ですっかり忘れていた。ついでに、旧友:KKの今の会社のロゴもデザインしたことを思い出す。

 こうして古い記憶を辿りながら仲間と飲み交わす酒は好きだ。
 全員の曖昧な記憶を持ち寄ることにより、断片的なピースが綺麗に埋まってゆく。
 諸事情あって全員が辞める決意をし、我々が店を離れてからパブ『アラジン』は、ほどなくして消滅したそうだが、今は区画整理で建物自体何もないそう。
 
 店内で撮られたある1枚の写真。
 そこには、おいら、そして我が両親の2人が写っており、助言する父親に対して、神妙な表情で視線を伏せているおいら。心配そうに見つめる母。

 将来の展望など何も考えてなかった時代の象徴的な1枚であり、おいらはその写真が妙に好きだ。

投稿者 yonezawa : 18:12 | トラックバック(0)

2009年 06月 10日

知らぬ間に外は雨

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 知らぬ間に外は雨。
 前途有望な編集:Mと初のサシ飯に。
 席でも語った話だが、Mは新人の頃から足が地に着き、そつなく業務をこなすイメージがある。その人となりは外部フォトグラファーなどにも評価されており、年齢に似合わなく冷静沈着。彼を指して、カメラ:Wは「様々な局面で常にびびらない男」だと評した。

 新宿でしばらくぶりの、ひろ喜ちゃんに会いに行き、突然誘われた赤坂の悪友チームと合流。
 スーパー・フォトグラファー:尾形正茂、編集超人:市川光治の「39会」面子の席に到着。
 20年を超える付き合いとなった彼らとの酒席は、もはや同窓会。
 ワインが格別だ。

投稿者 yonezawa : 00:51 | トラックバック(0)

2009年 06月 9日

昼下がりのメール

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 昨日、イースト:吉田兄より感激のDVDボックスを贈呈戴く。
 思えば本気でテレビに没頭していた時代は、『北野ファンクラブ』の頃が最後かも知れない。
 見たかった番組を録画しそびれ、かなりガッカリする経験はあの頃からどんどん無くなっていった。
 あの頃、『北野ファンクラブ』、上岡龍太郎の出る回の『EXテレビ』などはかなり熱が入っていたものだった。

 名場面を編集した『北野ファンクラブ』は、もはや見る前から5つ星。
 最近のビートたけしは更に一段面白い。書籍のクオリティもこれまでと変わらず◎。TBSのニュースしかり、タレントとしてもう一つの全盛期を迎えている印象を抱かせる。
 過去前例のない、信じがたき恐るべき現象だ。たけしさんはやっぱり大好き。


 昼下がり、Tからのメールに絶句した。
 ほんの小一時間前、Tの母が逝去された知らせを受けた。
 おいらにしても、Tの母とは知り合ってから10年では利かない時間が経過していた。何人かの仲間と居酒屋で賑わう空間を何度か共有させて戴いた。

 母親の死──
 それは筆舌に尽くし難い、張り裂けるほどの胸の内だろう。
 遺族にかけられる言葉はないけれど、残された家族が彼女の分まで精一杯生きること。誰しも、それが最たる供養だと察する。

 故人との思い出を、生涯大切に胸に留めて生きてゆきたい。合掌──

投稿者 yonezawa : 00:51 | トラックバック(0)

2009年 06月 8日

「フェローズ」新作展示会

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 代表:志村さんより「フェローズ」新作展示会のお知らせを戴き、恵比寿を目指す。
 もはや志村さんとも友人である江口寿史兄、泉晴紀兄を連れ立ち「フェローズ」本社訪問。

 会場には、トイズ・マッコイ:岡本博氏、ビートたけし番組プロデューサーでzeppelinシンガー:吉田兄(イースト)、ビリケン商会:三原社長、ダチョウ倶楽部:寺門ジモン氏、香港のアメカジ・ショップ「Benny Seki」代表:セキ氏etc...と異業種の錚々たる面子が集結。

 年に2度の親睦会と化す展示会場。飾らない志村さんの人柄が偲ばれる。
 
 例えば「ステッチ一つで2時間、平気で語り合う」と聞く、アメカジ全般プロ集団の親睦会。
 会場より中目黒へ移動。軽い打ち上げの席にも参加させて戴いた。
 漫画界代表の先ちゃん、ズミーも、ジーンズに関しては、造詣深さで彼らに充分対向できるスキルを有している。そんな知識を引け開かすくだらない輩などいるわけではないのだが、意味もなく、なんだか頼もしい気分でいたおいら。
 後半は現場がサイン大会と化し、漫画家スキルの独壇場。疎遠な街:恵比寿、中目黒へやってきてよかった。今宵集った貴重な面子の親睦会に立ち会え、ラッキー。

 宴終焉後、恵比寿に来たら喰う「阿夫利」でつけ麺。
 JRで地元へ引き上げ、道中の打ち合わせを経て軽く1杯。

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投稿者 yonezawa : 13:12 | トラックバック(0)

2009年 05月 29日

片面CD、片面DVD

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 DMBのこのアルバムは、片面CD、片面DVDというシロモノ。
 こんな両面仕様の盤は初めて見た。
 ところがDVDサイド、既製の国内DVDレコーダーではリージョン違いで再生不可。
 同じバンドの他の輸入盤CDに付属するDVDは再生可能なのにややこしい。

 早朝8時の高速バスで帰郷の義母。あっと言う間の1週間が経過した。
 「おったんとお留守番!」と言って、外出の準備を手こずらせたRちゃんは、意志とは裏腹に服を着替えさせられ、おばあちゃんのお見送りに羽田まで同行させられた。

 今朝3時間睡眠。朦朧の頭のまま、録画した番組を見た後消去するべく再生。しょぼしょぼした目が画面を見ていられない状態で、音声だけ聴きながら数本の番組を鑑賞直後に消去。
 ディズニーだ、アンパンマンだ、しまじろうだ、ハッピー!クラッピーだと自動録画の番組が増えたせいで、HDD内ハードディスクはすぐ容量オーバーに。
 自身で撮った動画の保管手段もそろそろ確立させねばと思いながら、時間は刻一刻と経過するばかり。
 それにしても、数年前のドラマ『スカイハイ』撮影現場で初めてお会いした女優:新山千春は随分綺麗になったものだ。

 想田和弘監督最新作『精神』の単独取材記事をようやく構築。
 監督からの最終チェックを経て、無事本日入稿の運び。
 彼からのメールによれば想田くん、来月(6月)、初の著書「精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける」(中央法規出版)を出版するそうだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/480583014X/

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投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2009年 05月 8日

合掌

 午前、落ち着いた空模様を確認し外へ。
 最寄り駅の書店で何の気なしに手にした書籍『ボロを着た王子様/村崎太郎』を衝動買い。
 内容のあおり文には「いくつもの試練を乗り越え破天荒な猿まわし芸人」とあった。
 被差別部落出身であることをカミングアウトし、書きつづられた文章に自然と引きよせられ、言われ無き差別に晒された過去を持つ筆者の目線になりながら、神保町到着まで読み込む。

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 4C音楽記事の再校正を戻し、4C音楽記事の入稿。
 デザイナーから届く請求書を関連セクションへ中継し、精算。
 スパムメールを含む新着メールは、この連休で2000通弱。双方に疎通のある業務及びプライベート・メールはわずかその一割前後。

 夕方、唐突に届いた1通のメールに愕然。
 昔、何度か食事会の席をご一緒したり、ライヴを観に行ったり、ご自宅にも招かれたことのあった家族ぐるみで友人のYさんが、先々月ご逝去されておられた知らせが届いた。

 どういった経緯でそんな事態になってしまったのか、おいらと同世代と言ってもよい少しだけ目上だった彼女のショッキングなニュースに絶句させられた。いまだに信じられない。
 
 心よりご冥福をお祈りいたします。

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 東京駅:大丸ミュージアム・東京内で開催中~日本・フィンランド修交90周年~タンペレ市立美術館・ムーミン谷博物館蔵「ムーミン展」へ。
 一昨日、H家のみなさまに戴いた画集にあるものの原画イラストを確認。
 カリカチュアしたイラストの線に興味深さも感じられるが、イラストが全体的に小さすぎ。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2009年 04月 20日

どんより

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 「頬に湿疹か?」と鏡を眺める。
 Rちゃんを抱っこした際、おいらの頬に思い切り爪を立てたり、おもむろに口の中に指を突っ込んできたりする愉快(深刻)なテンションの場合があり、今日編集部のトイレで鏡をよくよく見たら3箇所血が滲んでいた。湿疹などではなく。
 加減はない。充分怪力。その際、彼女は終始笑顔…

 ジェフ・ベックの最新ライヴDVDを持ってきては「じぇっじぇっく、じぇっじぇっく」と言いながら再生をせがみ、ビートたけし最新書籍『下世話の品格』を指さしては「たけししゃん、「たけししゃん」と言いながら律儀に教えてくれるRちゃん。

 今朝は『Rollin And Tumblin'』のリズムで大層ご機嫌だった。

 西麻布界隈の裏の路地を闊歩すると、島田紳助オーナーの寿司屋『はせ川』に遭遇。
 そのまま西麻布交差点方面へ下りながら、思い出した久々の『五行』へ。

投稿者 yonezawa : 01:09 | トラックバック(0)

2009年 04月 11日

耳鼻咽喉科

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 Rちゃんの鼻の調子はいまだ完治しないまま。
 午前中、自転車で最寄り駅前の耳鼻咽喉科へ。
 幼児の子供も受け入れる、最近移転したばかりだと聞いた新築の耳鼻科へ到着。

 Rちゃんぐらいの子供から大人までフロアいっぱい大勢の患者で待合室は埋まっていた。
 通常、確実に30分程度は待たされると聞いていたのだが、その場で大人しく順番を待つことに。
 子供用の玩具もあるので、それなりに時間をつぶすことは許容だが、子供は1時間を過ぎるとどの子も飽きてくる。ごね出す。

 結果、1時間40分待った頃ようやく名前を呼ばれた。
 大いに待ちわびた末、診察室へ。
 いつものことらしいが、あまりにRちゃんが恐がり、嫌がるので、吸引器で鼻を吸い出すだけの診察となったのだが、3人がかりで動きを制御して行うもので彼女は勿論ガン泣きとなった。どの子も似たりよったり。

 診察時間は1分なかった。

 ちなみに父親であるおいらも幼少時代、ハンパない医者嫌いだったそうで、その異常な嫌悪ぶりと抵抗ぶりは記憶しているほど。床屋の白衣でも泣いていたそうだ。

 主治医に御礼を申し上げ、Rちゃんを抱っこしたまま鼻をハンカチで拭き取りながら医者に今後の指示を伺おうと立ち上がった際、看護師の1人が「あちらで(聴覚?)検査中ですので、もう少し鳴き声を小さくしてもらえませんか!」としかめ面で注意を受けた。
 「こちらも出来ればそうしたいわい」「こんな泣き声など、幼児が来院すれば日常のことだろう」と心で突っ込みながら外に。なんと気分の悪いことだろう。

 確かにうるさく泣いている子供の声で迷惑だったのかもしれない。しかしやはりあの言われようは解せん。
 自身の経験上、人と人とのトラブルは、大抵がその内容自体よりもモノの言い方、あるいは(主張の)書き方にあるケースが多い。

 状況判断のかけらも、患者側の待たされ尽くし一種のフラストレーションを抱えた境遇も一切関係ない不条理な言われようで、1時間40分待った精神状態にひどい痼りを残しながら、晴天の空を見上げた。

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2009年 04月 7日

ばあちゃん、けーたい?

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 パソコン画面のスクリーンセーバーには、これまで撮ってきたRちゃんの写真がランダムに出てくるのだが、その中でおふくろ、つまりRちゃんのおばあちゃんの写真が出てくると、彼女は「ばぁちゃん! ばあちゃん!」と指を指して教えてくれる。
 先日も今日と同じパターンだった。

 ばあちゃんの写真を見たRちゃん。「ばあちゃん、けーたい? ばあちゃん、けーたい?」と携帯電話を指さして主張する。
 「何? ばあちゃんに電話するの? ばあちゃんと話すの?」と問えば「うん」とRちゃん。
 ご希望のままおふくろに電話し、コール音がする間、Rちゃんはじっとおいらを見つめている。
 おふくろが出た。
 携帯を耳に当てたRちゃんから発される言葉には断片的に単語が入るものの、「ばあちゃん? ○×△□αβ…プーさん…○×△□αβ…」っと会話の成立しにくい宇宙語となるのだが、自らの意志を持って「ばあちゃんの声を聴きたい」と考える、我が子の姿勢に今日も心温まる。

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2009年 04月 6日

量平寿司

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 Y事務所:Nさんに誘われ、久しぶりの漫画談義及び、Nさんのライフ・ワークとも言える写真談義に近況報告。
 編集部付近の街頭で待ち合わせたら2人ともマスク着用だった。
 
 現代社会に蔓延する、心の病を抱える方々の話題に始まり、Nさんの趣味のカメラの話まで、まぁ交互に速射砲のように語り尽くす空間。
 おいらもデジタルの一眼レフが欲しくなってきた。

 Nさんは全くのノンアルコールな(飲めない)方なのだが、こちらの飲みペースに全く臆するところがなく、飄々と烏龍茶を飲んでいなさる。
 まだやや早い話だとも思うが、某小説家の先生があと2年で還暦を迎えると言う話から、みんな残された自分の時間をどのように過ごしてゆくのか、話が自然にそちらの方向へ向かう。

 手塚治虫先生が亡くなったのが60歳。
 その年齢をひとつの指針として人生を計算するならば、おいらにしてもすでに後20年を切ってしまった計算となる。
 崇拝する夢枕獏さんも手塚先生の年齢を睨み、優先順位の高いテーマの作品から順番に執筆されると言う話をご本人から伺ったこともある。

 あと、およそ17年と8ヶ月後に開けようと目論む赤ワインの選択とその期間の保存方法に悩み抜く夜更け。
 気がついたらNさんと4時間も語り尽くしていた。
 

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2009年 04月 3日

11日ぶり

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 鉄人で飲みダチで大道塾師範代の飯村健一が、以前ムエタイの試合でタイに飛び、10日前後(だったか?)して帰国し、再会した時の3歳の娘が自分のことを忘れてしまっており、「ものすごく悲しい気持になりますよ…オチ込みますよ…」と語っていたことを思い出していた。
 知らないおじさんを見るような目線に晒され、ママの影に隠れてしまったそうだ。

 SFJ080便は14:25、羽田空港に到着。実に11日ぶりにRちゃんとの再会の日を迎えた。

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 出口の真ん前にたたずむおいら。
 到着便を確認し、ガラス越しに降り立った乗客の行き来を見つめる最中、機内の荷物が順次排出され、コンベアが回転し始めた。
 その時、Rちゃんとママを発見。
 荷物を引き上げるより先に、ママはおいらの存在をRちゃんに知らせた。
 やにわに、おったんを視界に捉えたRちゃん。
 地面に下ろされた瞬間、一人一目散に到着出口を目指して走ってきた。

 人生の中で、こんな嬉しい光景がかつてあったろうか。
 出口付近にいらした空港関係者の温かい視線を感じながら、体当たりしてくるRちゃんを受け止め、11日ぶりのハグハグ。生きててよかった。

 「飯村と同じ目にあわなくてヨカッタぜ…」と、内心ホッとしながら帰途に。

 都内で数本の打ち合わせを終え、W社洋楽トップ:Hちゃんと先日取材した案件の打ち合わせに数時間。
 「Hちゃん。おいらはあなたの、(シンガー)エイメリー初来日時の完璧なアテンドに感激したのだよ」という御礼の告白より、今宵親睦会の口火は切られた。
 業務及び家庭のあるお忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、かつとても真摯な空間を共有してくださったHちゃん、今日もありがとう!

投稿者 yonezawa : 00:48 | トラックバック(0)

2009年 03月 25日

Pherrow`s Denim ~Buffalo Horn Stitch~

 通常とはリズムの違ったここ数日間の(たまたま)肉食主体の食生活からか、胃腸にやや違和感。
 午前中の入稿を午後終え、朝食と昼食を合わせた遅めの飯を喰うと、胃が締め付けられるような感じ。運動不足と不摂生からか。お腹減っているのにこんなの初めての不条理体感。
 
 書店で数冊の書籍を購入し、たまたまタイムリーに上映していた映画試写『いけちゃんとぼく』鑑賞。
 漫画家:西原理恵子の絵本が実写映画化された作品だが、果たして絵本を凌駕する出来になっているのか。西原ファンのジャッジはいかに。

 以前から約束していたフェローズ代表:志村さんと江口さんとの親睦会を本日夕方、恵比寿でセッティング。

 http://www.pherrows.com/
 
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 フェローズの本社を訪れる。たまたま修理に出していたジーンズが1本あるのだが、この機会に新しいヴィンテージウォッシュをフィッティングさせていただき、1本購入を決めた。

 はき心地の良さとシルエットの美しさはおいらも実感済みであり、ジーンズ:ポケットのステッチ・シルエットには、素人が想像出来ないほど創作に試行錯誤があり、それの特許なり権利にしろ、ブランド(商品)を世界展開させる場合、クリアせねばならぬ大変な障害がある事情も知った。
 創造と共に権利の確保。

 最大のブランドシンボルとなり得る予感のネオ・ジーンズを完成させた志村さんの飽くなき探求は今日も続く。

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 場を中目黒へ移し3人で落ち着き乾杯。夕飯をご一緒させていただきゴチに。志村兄、ご馳走さまでした。
 みなさま、お疲れさま。

 地元界隈までタクシーで引き上げ、先ちゃんとセパレートし、さらにJRで最寄り駅まで引き上げ、深夜バスで西友へ。
 明日の食材を考えながら主婦のように買い物するのが嫌いではない。

 明日か明後日いずれかの飯は麻婆豆腐に確定。

投稿者 yonezawa : 10:10 | トラックバック(0)

2009年 03月 18日

高校受験合格

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 睡眠3時間で朝がやってきた。

 母と姉からのメールで、田舎にいる甥っ子の高校受験合格の知らせを受ける。嬉しい。
 晴れて甥のMは、おいらの姉も通った高校の新入生となった。
 おいらの同級生の子にしろ、高校受験だ大学受験だなんだと、至って周りのジュニア世代はそんな時代に突入だが、我が家ではまだまだ「だっこぉ〜」やら「アンパンマン」な時代。
 
 朝、意志の赴くままおいらの部屋にトコトコ侵入し、パソコン前に置いてある眼鏡を取って「はい、どーぞ!」と、毎回逆さまでかけてくれるRちゃん。
 例外なくレンズは手垢まみれでよく見えない。
 「はい、ありがと!」といつもの御礼。今日も1日が始まった。
 昨日耳鼻科に行かせたもののRちゃんの鼻の調子はまだ本調子になく、親のダメな性質がえてして律儀に子供に遺伝してしまったか。
 分刻みでRちゃんのお鼻を拭き取るものだから、そのせいなのか“ティッシュ”の単語も早々と覚えてしまった彼女。
 自分にしても昨日から目が痒くて仕方がない。

 シャワーを浴びればお風呂の扉を少しだけ開け、「おったん? おったん?」と語りかけてくるRちゃん。
 モーローとした朝にシャワー、インスタント・ラーメンで頭を起こしつつ外出の支度。
 「おったんお仕事行ってくるね」「やだ!」「行ってくるね」「やだ!」と言った会話を繰り返しながら、今日も後ろ髪を引かれながら京王線。

 晴れ渡った杉並区の閑静な住宅街に忽然と光り輝く、イギリス製・高級ハンドメイドのスポーツカーを眺めながらプラチナ原稿奪取。
 カラーリングもさることながら、造形的にこの車はパーフェクトに写る。

 入稿作業を終えた頃、WBC韓国戦の侍JAPAN敗北を確認。

投稿者 yonezawa : 21:38 | トラックバック(0)

2009年 03月 8日

最重要事項

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 彼女にすれば、それはどういったタイミングなのか、おいらが丁度起きなきゃいけない頃合いの時間帯になるとRちゃんはそっとおいらの部屋に侵入してくる。
 遠慮気味に、「おった〜ん」と声をかけながら起こしに来てくれるのが慣例になった。

 モーローとしている起きがけに手を引き、リビングのテレビでかかっている「アンパンマン」とか「ワンワン」とか「ミッキーさん」とか「しまじろう」とか「歌のお兄さんお姉さん」のDVDを見ることになるのだが、これは日々タイトルが違う。
 2歳3ヶ月なりにその日の気分があるのだろう。

 好物の、おやつでも果物でも、気分でなければ「いや!」っと拒否る。
 (飲ませているのは野菜)ジュースは、終日いつでも欲しがる姫。
 煎餅は1枚入りの3袋をペロリ。お茶も大好き。味噌汁は出る度におかわり。
 最近、お昼寝は意地でもこらえ、多分眠気に襲われながらも踏ん張るケースが多々。

 おいらがパソコン前に座り、なんらかの作業を行えば、即座に膝に乗ってきてYouTubeの「アンパンマン」「わんわん」らを催促し、本来の作業はまったく進展せず。
 
 「そうだRちゃん、こっちの映像も見てみ!」と80年代のGARY MOOREライヴ映像見せると、なぜかニッコリのRちゃん。
 ハードロックのDNAがRちゃんの体内にも組み込まれているハズだから、この現象は納得なのだが。

 抱っこして、リズムに合わせて身体を揺する。やがて2曲目に瞳がトロンとしてきて、おいらの肩にほっぺが完全密着した。
 彼女はものの5分で寝息をかきはじめた。

 起こさぬように寝室へ移動し、寝息のリズムが安定した頃を見計り、布団へ寝かせようと試みたら、とたんに「いやぁ〜」と目を覚ました。再び抱っこ。
 しばらくして、また寝息が聞こえたので寝かせようと試みるが、またしてもギリのところで目を覚まし、「抱っこぉ〜」と泣き叫ぶRちゃん。

 この動作3往復でお昼寝への誘いは完全に断念し、再び抱っこのままパソコンの部屋でRちゃんのご希望通り、夕方まで過ごした。

 今日のRちゃん手強し(汗)。首にかけたタオルが汗で滲む。

 それでもとある局面になると、一言一言一歩ずつ、こちらの言葉を踏まえた回答が帰ってきたりするので、彼女と過ごす瞬間・場面は、おいらの人生における最重要事項の風景。

投稿者 yonezawa : 21:34 | トラックバック(0)

2009年 02月 8日

ジェフ・ベック単独インタビュー

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 午前中のうちに、取り置きしてもらっていた商品を山野楽器で受け取り一路都心へ。
 少し道に迷いながら、都内某所高級ホテル到着。

 2000年、2003年のロンドン取材に続き、3度目のジェフ・ベック単独インタビュー決行の時間が近づく。
 14時30分〜の取材が15分程度押したので、その時間まで昼食を摂り、指定されたインタビュールームへ移動。

 胸が高鳴る。
 14時45分過ぎ、前取材の朝日新聞がジェフの特写&撤収の最中、おいらも部屋の片隅でセッティング開始。
 今回、ジェフの取材許諾が出たのが、その2媒体のみなのだという。
 ギター及び音楽専門誌にすら、今回の単独インタビューに関しては掲載されない。
 
 ジェフは今日も素晴らしかった。
 幾度となく感じることだが、このひとときがたまらなかった。

 質問には、時にジョークを挟みながらも、中身はあくまで誠実に回答くださるジェフ。
 多くの日本人ファンがリスペクトしてくれる気持ちを歓び、感謝の言葉にしながら、まったく傲ることがない。
 常にリラックスする場に空気を導いてくれる人間性の深さは、彼のギター・プレイに比例していた。

 ジェフはジョークも可愛らしいし、きっといつでも実直だろうし、激しくシャイだと感じさせる。3回目の取材にして、ようやく彼との空間を見渡せる気持ちになれた。
 これまで彼との遭遇した時間は、まともに景色が見えていないほど高揚していたと記憶するからだ。

 宿泊ホテルでの再会を含めれば、都合4回目の邂逅となった今日の取材となったが、ジェフがおいらにとってギターの神様だと言う気持ちは、このまま死ぬまで永遠なんだと再認識・再確信。

 モトちゃん(サンキュ!)作成による、メッセージを記したシールを貼ったギタレレと、持参したおいらのオーダーメイド・ギター:ミュージックランダーをペケペケ弾きなさる神。

 この世で最も信じているギターの神様が、何もかも素晴らしいことに終始感激し、最後に労いの意を直接お伝えしながら取材部屋を後にした。
 感無量。Sスタッフにも大きく感謝。
 一路丸長に飛ぶ。

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 Rちゃんの年齢を伺い、Rちゃんを見つめた時のJEFFの優しい瞳は生涯忘れないだろう。
 今年65歳を迎える、ジェフ・ベックの全盛期は今も続いている。

投稿者 yonezawa : 01:11 | トラックバック(0)

2009年 02月 5日

人と人

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 F先輩の強い打診により、Kさんとの会食の席を無事設けることに。
 この約束は、昨年暮れからリクエストされていたものだった。

 Kさんは学生時代、Kさんの構築された番組のリスナーであった。
 F先輩からのラブコールは本気で、たまたま異国の地で知り合ったおいらを介し、ようやくこの席が実現する運びとなった。
 
 わずか2時間強程度の空間で、ある意味速射砲のように語りあわれる雰囲気がなんとも居心地良かった。

 Kさんへの土産にDON ROSSのCDやら、ザ・ファイヤーマンのCD他を贈呈させて戴いたところ、Kさんはなんと先日おいらがライナー・ノーツを担った『永遠のフィルモア・ウエスト/マイケル・ブルームフォールド』の、国内盤オリジナル・アナログLPサンプルをご用意してくださったのだった。
 このアルバムは、大昔にアナログを手放していたので実に嬉しき贈り物となった。Kさん感謝!
 今ではアメリカのオリジナル盤(LP)に関しては入手困難なのだそう。

 終宴後、東京駅に徒歩移動。人と人の繋がりの面白さを思い起こしながら一人JRへ。 

投稿者 yonezawa : 12:23 | トラックバック(0)

2008年 12月 24日

日米開戦と東条英機

 彼女1人で1日4コ強のみかんが消費されます。
 「みかん」の発音は「いかん」だったのが、数回に一度は「みかん」になってきました。
 最新「アンパンマン」のDVD鑑賞が大きな楽しみのひとつです。
 ほとんど毎日お昼寝の時間はありますが、まちまちの場合もあり、今日は寝ませんでした。
 夕飯にはケチャップ味の炒飯とトマト・サラダを豪快快食しました。

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 録画した番組、TBS「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」鑑賞。 
 物語は「太平洋戦争がなぜ起こったのか?」をテーマに、1941年9月6日の御前会議から12月8日開戦までの3か月間を中心に描いている。
 東条英機を演じたのはビートたけし。
 扮装したたけし氏と東条英機首相の写真を見比べると、意外にも役柄にはきっちりはまっていた。
 これまでほとんどマスコミに登場しなかったと言う、東条英機の身内の方々が登場し、発言された一幕は興味深いものがあった。

 外交とは何か。当時の外交がどれほど切迫し、現代のおいらでは想像すら追いつかない程ヒリヒリした局面にあったのか、ドラマの画面の中でもその様相は見て取れた。
 現代の日本の外交は果たして最善を尽くされているのか。
 あるいは外交に、日本の頭脳が集結出来ているのか。
 政治家の資質、人材はベストなのか。

 布団からはみ出したRちゃんのおしめを取り替えながら、今日観たドラマに描かれた内容の意味を反芻する夜更け。

投稿者 yonezawa : 12:05 | トラックバック(0)

2008年 12月 22日

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 新宿で食事をとる。
 同じ年代の輩は、年々食べる量が減少の道を辿る。
 その点、自分に関して思えば、20代に比べれば勿論落ちはしたが、今でも食欲は旺盛の部類だと自覚している。
 個人的には食べない女性よりも、食べる女性の方がチャーミングに映る。
 
 当日まで予定を組めないこの頃の時間ぐりながら、無事集い、なんとか鍋を囲めた連中:I,K,YMが集結。
 遠慮があるのかないのか、馴染んだ顔がそこにあるのは四の五のありながらも、ともかく心を緩めるものだ。
 STが加わり、偶然新宿に居合わせ、忘年会終えたというKMも緊急合流。
 
 居眠り組を横目にみつつ、年に似合わない時間まで宴という宴が続いた。

投稿者 yonezawa : 12:05 | トラックバック(0)

2008年 12月 18日

東天の獅子

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amazon(「BOOK」データベースより)抜粋。

 ◆柔術から柔道へ―文武二道の達人、嘉納治五郎の、技に対するたゆまざる追究と人間教育への情熱によって、明治になって衰退していた柔術界に新時代の息吹「講道館流」が誕生した。当初はただの新興一流派だったものが、「講道館四天王」らが頭角を現し、隆盛への道をその手に引き寄せていく。若き気概に充ち満ちた青春武道ロマン、第一巻。

 ◆名門として聞こえた、関東の揚心流戸塚派、さらに九州古流柔術界の猛者たちが続々と登場する、群狼邂逅の第二巻。講道館が創設された明治十五年、九州では久留米、熊本の二大勢力が激突した。運命の「警視庁武術試合」より前に、すでに各地で新時代への胎動が起こり始めていた。講道館は、まさに台風の目となりつつあった―。

 インターネットの商品説明に『東天の獅子 第1巻 天の巻・嘉納流柔術』『東天の獅子〈第2巻〉天の巻・嘉納流柔術』の内容として、こう書かれてある。

 〈第2巻〉の発売からほとんど期間を空けず『東天の獅子〈第3巻〉天の巻・嘉納流柔術』が発売。
 そして今日、これまた早々の発売となった『東天の獅子 第4巻 天の巻・嘉納流柔術』をブック・ファーストで発見・購入。

 執筆11年の大作:東天シリーズが出そろった。

 積もり積もった重要な雑務。出前で五目炒飯を戴いた後、東京駅:大丸へ。
 八重洲口から新幹線に乗る前、きちんと食事をしたければ、ここの12F13Fはベスト・ロケーションのひとつと言える。

 先月末に発売された『夢枕 獏 五大陸釣魚紀行 愚か者の杖』と、この書籍:東天シリーズ全巻を献本して戴いた御礼を兼ねた、ささやかなひとときを獏さんと過ごした。

 講道館創設者:嘉納治五郎を取り巻く格闘技の猛者を描いた東天シリーズは、例えるなら血の涙が出てくるよう。
 キマイラのエネルギーも、餓狼伝の力も、神々の山嶺の熱も、この先品にはふんだんに散りばめられており、そして日本の柔術・柔道がどのような意味を成すものであったのか、深く身体に染み入るように理解に至る。

 Rちゃん宛に戴いたメッセージを、15年後のRちゃんはどういった気持ちで読むのだろう。

 近況及び、大昔の話を、閃くまま語りあえた貴重な空間に感謝。
 あの気さくな獏さんからほとばしる筆のマジックにうなり、氏を見送った後、新宿方面のJRに乗った端から〈第3巻〉読了。

 しかし、明け方喰ったこのラーメンは、ぬるい温度から味から全面的にいただけなかった。
 ↓
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投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2008年 12月 17日

メロディーアンパンマンカー

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 心温まる母からのe-mail。
 先日、Rちゃん宛の誕生日プレゼントで届けられたのがメロディーアンパンマンカー。
 キラキラした瞳で、箱から早く取り出してほしいオーラばりばりのRちゃんは、セッティングの出来た端から、父の手からもぎ取るように物品強奪。

 乗ってか押してか、そのままRちゃんは豪快に家中を駆け回る。

 M姉から届いたミッキーさんのフカフカ羽織を着た髪の毛切り立てのRちゃん。その姿が、時代も関係ない田舎の子みたいで思わず吹いた。

 我が家もそろそろプチ児童館の様相となってきた。

 部屋の向こうから、彼女が突進してきている雰囲気を察知したその瞬間、この世で最もときめきとパッションに満ちあふれた時が流れる。

 Lisa Loebも愛聴するRちゃんは、Alanis Morissetteを、Alicia Keysを、Aretha Franklinを、Chaka Khanを、Delta Goodremを、Duffyを、Pinkを、Didoを、Dolores O’riordanを将来どう聴くのだろう。

投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)

2008年 12月 16日

Steven Andrew Soderbergh

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 午前中、都内某高級ホテルへ。
 インタビュー対象者は、映画監督のスティーヴン・ソダーバーグ。
 
 ソダーバーグと言えば、最初に好きになった映画が『Out of Sight』。この作品と出会った時期には『セックスと嘘とビデオテープ』と同じ監督であることを知らなかった。

 『Out of Sight』で初めて知った女優としてのジェニファー・ロペスのクールな出で立ちと言ったらなかった。
 多分以前にも記述した記憶があるが、オリバー・ストーン監督作『U-Turn』でのジェニロペとこの作品のジェニロペが、ジェニロペ史上最も素晴らしい。
 この大変な女優スキルがあれば、彼女は歌わなくてもよいように思う。
 
 ソダーバーグは今回、映画『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』のプロモーションで来日。
 まだ若干と言ってもよかろう45歳のソダーバーグはとても優しいフランクな紳士。
 笑顔で握手を交わしながら、テレコをスタンバリ、最初の質問を伝えようとしたら、逆に彼の方から先に第一の質問を受けてしまった。

 「私の日本人の仕事上のパートナーは、日本人にとってもゲバラという人に対して、とても親近感を覚える人が多いと聞きました。私も彼らと話をする度にそんな印象を受けるのです。ゲバラは日本人にとっても、とても意味がある人物であるという風に。それはホントだとお考えですか? もしそうならその理由は何ですか?」
 こうした意味合いの質問を問うてきた。

 「彼を知れば知るほど、私も徐々にその人間性に惹かれ、入り込んでゆき、親近感を覚えたのが事実ですから本当だと思います。ただ、この作品を観るまで、チェ・ゲバラのことで知っていたことは、アルゼンチン人であること。医者であったこと。“チェ”と言う言葉は、「ねぇ君」などと相手に呼びかけるときに使う言葉であったこと。キューバ革命の中心人物。後はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアンプに描かれいる人。その程度の認識しかありませんでした」と答えた。

 取材は端的に合理的にスムーズに進行する。
 監督と言っても、2本併せて映画全編、彼自身がカメラを持ち映像を撮っているということを確認した。
 確かに、彼の撮った2本の映画のおかげで、随分チェのことが判ったような気分になったことは確かだ。
 ジョン・レノンに「世界一カッコイイ男」と言わしめたゲバラ。
 『チェ 28歳の革命』は1月10日より、『チェ 39歳 別れの手紙』は1月31日より、日劇PLEXほか全国ロードショーされる。

 音楽の話も伺えたし、本人に直接確認しなければその真相がわからない、あるファニーな問いの回答も得られたので実にラッキー。
 
 ソダーバーグにお願いされた、ある約束を守るべく、取材稼働最終日に再び本人に接見の予定。

投稿者 yonezawa : 13:24 | トラックバック(0)

2008年 12月 11日

吉祥寺でのお祝い

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 吉祥寺、Tさん他11名で集う、ささやかなる忘年会を兼ねたTさんの祝い。
 貴重な時間が過ぎる。早々と解散となった後、帰途前に1人で久々のホープ軒。

投稿者 yonezawa : 18:47 | トラックバック(0)

2008年 12月 10日

樋口宗孝

 伴侶のコンディションがなかなか優れず、昼過ぎにRちゃんをお風呂に。
 DVDのインサートもイジェクトも熟知期に入ったRちゃんを、こちらの思惑通り、そうそう誤魔化せなくなってきた。
 「DVDの盤面に傷がついて、次回アンパンマンの再生が出来なくなるよ!」と言った事情をまだ何も理解してくれないので、機嫌を損ねないよう上手なやりとりに四苦八苦。可愛いので何もかも許してしまいながら。
 
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 先月30日、ヘヴィメタル・ハードロックバンド:ラウドネスのドラマー:樋口宗孝が大阪市内の病院にて肝細胞癌のため逝去された報道を聞いた。
 癌で入院され、様態が好ましくない旨は関係者より漏れ伝わってはきていたが、30日にそのニュースを知った時にはショックだった。

 ラウドネスが80年代中盤に海外進出した時の胸の高鳴りは、ある意味五輪選手が金メダルを奪取する勇姿を見守る感覚に近いものがあり、熱狂する海外のオーディエンスの動画やら写真を見る度に、日本人としての誇りのような気分を味わっていた。

 下北沢の居酒屋で大勢のバンドマンや関係者に混じり、樋口氏の隣り合わせに座って携帯番号を交換した、たった一度の酒席がおいらにすれば彼との最初で最期の機会となった。
 「ヤンジャン読んどるでぇ。一度載せたってぇな(笑)!」
 宴会場でもボス的存在であった彼は、日本人で初めてニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立つという快挙も成し遂げたバンド・リーダーだった。
 
 1981年、アイドルバンド:レイジーが「ヘヴィメタル宣言」をし、オーディションで探した本格的なヴォーカリストと共に世界に通用するロックバンドを結成…と言う音楽専門誌の記事を見て、どれほど高揚したことか。
 レイジーの(この時期の)ラスト・アルバム『宇宙船地球号』は、ラウドネスのどの作品よりも興味深い作品として、今でもおいらの心の中に燦然と輝くレコードとなっている。

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 アメリカ進出を志し、作成された『THUNDER IN THE EAST』が発表された時期が、おいらの中でラウドネスが最も気になった頂点で、その後アメリカ人ヴォーカリストが加入した以降になると、徐々に彼らの音源にも情報にも疎遠になっていった。
 書かれる曲がスラッシュメタル的なリフ展開となってからは、一切彼らの音楽から離れてしまった。
 しかし、かつて一度でも恋愛をした音楽であるが故、同時に頭の片隅でどこか気になっていたのも事実であった。
 そんな中の樋口氏の訃報──絶句。

 ラウドネスで最も好きな曲は『Let It Go 』『Gotta Fight』。『Road Racer』も忘れられない想い出の曲だ。
 ご冥福をお祈りいたします。

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投稿者 yonezawa : 12:55 | トラックバック(0)

2008年 12月 7日

村治佳織 in サントリー・ホール&世界最重要日

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▲村治佳織の弾くギターとの
 出会いは『パストラル』から。

 外は風がとても冷たかった。

 チケットは当日券まで完売。
 午後1時30分には現地に到着し、入口付近で連れを待つ間、ホールに向かって続々と集まる観衆の光景を見ていると、今日のコンサートが発散している迫力が伝わってきた。
 『plays BACH』の初日となる、村治佳織のコンサートは午後2時よりスタート。
 入口でH夫妻と待ち合わせ入場。

 やがて暗転となり、日本が世界に誇るクラシックギタリスト:村治佳織が眩い純白の衣裳を身に纏い登場。

 『プレリュード』導入部分の美しいことと言ったらなかった。
 2組のゲストを迎え入れ、演奏された和笛との掛け合いも初めて体感した刺激的なニュアンスだったし、学生とのコラボレーションは、彼らに大きな自信を与えたことだろう。
 そもそも今回のバッハに関しては、最後の『G線上のアリア』ぐらいしか知識のないヘタレながら、終始演者の魔法にかけられたまま終わりを迎えた。

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▲最新作『plays bach』

 ああも立て続けにバッハ(他)の曲を、ああもきっちりギターで弾ききるギタリストは他に知らない。
 ソロ演奏の瞬間、鍵盤の和音が聴こえたような錯覚を起こすシーンが何度もあり、生産地の違う2台のギターが織りなす、起伏のあるメロディが、コード・トーンが、かつて一度でもギターを囓った者の少し鈍った感性をビシバシ突き上げてくるようだった。
 非の打ち所のない満場一致大喝采のリサイタル。圧巻のステージがとにかく素晴らしかった。
 そして村治佳織自身の優雅で美しいこと。

 先だってタレント:今田耕司氏司会のテレビ番組(他)も興味深く拝見したが、(あの映像の村治佳織は永久保存版にしたいぐらい貴重で特に最高)ああした音楽以外の時間にも練習時間をどんどん割かれてしまう環境であろう中、どれほどの鍛錬があのステージを支えたのかを想像する度に、ギターの旋律が個人的な感動へと変わってゆくようだった。
 つまり自制心を感じたコンサートでもあったのだ。

 アンコールを見ずして楽屋入口に待機し、終演直後、控え室で、衣裳も煌びやかで眩い佳織ちゃんと数日ぶりの再会を果たした。瞬間、カメラマンを同行させなかったことを悔やんだ。 
 労いの言葉をお伝えした別れ際、「Rちゃんによろしく!」っと彼女が笑った。

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 おいらの人生で最も重要な日:12月7日──Rちゃん2歳の誕生日は、記憶に宿る素晴らしく印象的な1日となった。

 速攻帰宅して午後6時。
 Rちゃん大好物のハンバーグにバースデイ・ケーキ。いつもとなんら変わらない夕餉のひとときながら、心だけは特別な1日
 クリスマス・シーズンだけの限定ホワイト・プーさんに、Rちゃんまるで無反応(哀)。
 彼女のマイ・ブームは断然「ミッキー」さんなのだった。

投稿者 yonezawa : 23:30 | トラックバック(0)

2008年 09月 22日

Jake Shimabukuro〜4人同窓会

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 なにげにテレビに出ていた、新婚ホヤホヤとかの女優:星野知子さんが女優:菊池桃子さんに見えた。似ているし、彼女若い(50歳!)。

 報道で知った千葉5歳女児死体遺棄事件に怒り心頭。小1男児殺害、母逮捕に震撼の憤り。
 今後益々、子供を野外でのびのびと開放させられない世の中だと遺憾。地域は関係ない。たまたま実行犯の居た地域が犯行特定の地域だ。

 昼下がり、自民党総裁選により麻生太郎幹事長が第23代総裁に選出されたことを携帯ニュースで知る。
 一部の韓国メディアは氏を「自民党の代表的な極右政治家」と位置付けているそうだ。
 氏の発言にもある景気対策も勿論大事ではあろうが、明日の命が不安な人々の救済が真っ先に優先される世の中に改革されるのか。
 外交において政治家の口べたは大変不利だと察するが、新総理の手腕はいかに。

 夕飯は、念願でもあったウクレレ・マスター:ジェイク・シマブクロさん&スタッフの方々と。
 彼の技量は言わずもがなだが、それに加えて人柄の素晴らしさはウクレレのスキル同様、舌を巻くほど感動的だ。
 会食だけにしてしまうのも勿体ないと、編集者・取材者の性か血が騒ぎ、やはりテレコを回す確認をいただいた上で、会の半分は超リラックスしながらもインタビュー的空間を設けることに。
 S社担当Kazyに、初めてジェイクの存在を知らされた時のことを思い出していた。
 「一度でいいから、米さん(ジェイクの生を)観に来てよ!」
 「ウクレレ奏者? 果たしておいらがカッコイイと思えるのかい?」
 疑念の気持ち半分で当時の渋谷公会堂へ伺った時のことを、おいらは2004年12月19日(日)の日記にこう記していた。

 「午後5時より開始。渋谷公会堂で行われた『ジェイク・シマグクロ』公演へ。
 ジェイクの近況は、S社:Kに何度も伺っていた。しかし、なかなかライヴ会場までにはたどり着けなかった。正直、そう期待していなかったアーティストだったのだ。しかし、その思い違いを今日の公演によってキッパリ知らされることになった。

 ジェイクのウクレレは圧巻だった。
 コード感の凄さと深さ。また、ジェイクのリズムの凄さを目の当たりにした。
 あのプレイがどれほどの根気と練習によって培われてきたのか、オイラにはゴツンと判る。テレビ等で見受けられた軽い感じ(失礼)のキャラは、もはやどういった意味も持たず、ひたすらに呻らされたひとときだった。」

 おいらはあの日、ジェイクのスキルを目の当たりにし心で泣いた。
 食事の合間にもウクレレを抱えたまま、ある曲の話題を振ると即座にその曲の構成を解説しながら弾いてくれるのだ。
 おいらひとりのために、彼はかしこまってバッハの『Bach Part-Two Invention No.4 in Dm』をノーミスで披露。圧巻。舌を巻く。
 
 ジェイクを影で支える関係者スタッフ諸氏との感激の談笑の時間も、温かい最高の空間だった。今日も感慨深い気持ちに包まれた、大いに泣ける夜だった。
 みなさま、心より御礼申し上げます。ありがとうござしました。

 感極まる会食を終え、急いで新宿三丁目方面へ移動。
 この後にも、初めて訪れる超重要な約束が待ちかまえていた。

 実に30年ぶりの再会を果たすこととなるYT、そしてジェイクの初ライヴ観戦も同行させた“あいつら”と待ち合わせる。
 熊谷のおちゃきいIKに、年中がら年中いかがわしいKK。この驚きの面子でまさか飲むとは、当たり前だが中学時代には想像すら出来なかった。
 
 YTとは中学時代、特に仲の良かったクラスメートだった。
 今も昔もおいらと奴との、身体の大きさ対比が変わらない。30年の歳月に互いの紆余曲折があるのは当たり前だが、初めて直に聞いた奴の数奇な運命も驚きだった。
 同級生でありながら、奴にはすでに孫がいるそうで、その孫はRちゃんよりも年上だった。
 
 遠慮などなにもナシ。感激と笑いの再会に包まれ、心からくらだない馬鹿話を満喫出来た、かけがえのない夜更けだった。

投稿者 yonezawa : 19:00 | トラックバック(0)

2008年 09月 19日

念願の面子4人が集結

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 おいらがバイト編集者になった日から、フロアの先輩となったMMさん、MTさん、SJさん。実に懐かしき日々。
 あれから丁度、20年が経過していた。

 ともかく、初の本格招集で「SJさんを元気づけようじゃないか」と、今宵、おいら念願の面子4人が集結。
 MMさん、MTさんに至っては、まさに20年ぶりの再会となったそうだ。
 何だかんだ言っても折に触れ、おいらは個人的に彼らそれぞれとの再会を、おいらのわがままのみで果たしては来たが、仕事の持ち場が別れ、中継する者がいなければ人と人はなかなか再会に踏み切ることがないのかもしれない。
 20年前、彼らの大きな魅力の具体的な根源が明確には判らなかった。しかしこの4人しかなかった。あの時代を思い起こせば、ベストの面子は、おいらにとっては今日の4人なのだった。

 最近は、どの席に招かれてもほとんど年長なおいらだが、今夜は年少であり、相手は酒の席で最もやんちゃをさせてくださる3人の諸先輩方。
 そんな、たった1日の時間が勿体ないと速射砲のように語り合い、2つの激美味鍋奉行を担い、よりスムーズな酒場の演出をと、オイラ自身のために最善を尽くした。
 
 利害のない間柄でも、とにかく会って酒を組み交わしたいと願う存在。それがかつての先輩という幸運。
 この年齢になれば、その理由が確信を持って徐々に明確に見えてくるのだった。彼らは、おいらの何十倍も博学で、おいら好みのセンスを有する諸氏に他ならない。

 めっきり白く、見た目お爺ちゃんになっちゃった2人。&年長で孫が2人もいる本当のお爺ちゃんは、見た目が20年前と寸分変わらない。本気で変わらない。

 抱腹絶倒の夜だった。

 仕事を残しながらもお付き合いくださった、常においらに最高のアドバイスを贈り続けてくださるSJさん、ライヴには常に足を運んでくださり、遙か昔の20年前から銀座&下北沢:小笹寿司やら、神保町:ボンディに連れて行ってくださった飲み達:MTさん、当時ランチ・タイムには、貧乏なおいらを連れ、近所の定食屋でいつもご馳走してくださり、映画の魅力を自然体で教えてくれたMMさん。

 よくもまぁ、こんな50前後の老眼オヤジが集い、明け方までお付き合いくださったものだ。
 次回の再会も俄然楽しみながら、その際、オプションにビリヤードやらボウリングという提案が出ているのが少し不安なおいらだ。

 A.キアロスタミ監督と北野武監督と「像の足跡」のエピソードが伝えられておいら大満足。
 お3方、最高。大感謝でした!

投稿者 yonezawa : 23:16 | トラックバック(0)

2008年 09月 11日

 正午に目覚め、シャワー。
 どういうわけだか室内間の電話が不通で、セフティ・ボックスは故障。
 滞在時間がわずかだったので見逃したが、高級ホテルの割にやや不満。日本人は優しいもんだ。

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 午後2時、軽くサンドウィッチとジュースを食すが、残酒のせいか妙に喰い足りなく、パックにバイキングで詰め込めるスーパーの食材を探し当て、部屋飯。
 
 夕方、天平からの電話で起床。その電話の10分後の午後7時に彼は部屋に到着した。
 彼勤務先のオフィスが、ホテルからわずか2ブロックしか離れていない場所にあったそうで、夕食までのわずかの時間を過ごす機会を得た。

 NYよりもむしろそれ以外の地域を飛び回り、主にドキュメントの映像を担う彼の記したブログは、おいらの、とある場面の教理ともなっている。
http://blog.goo.ne.jp/tempei/
 
 午後8時、南下したブロックでSKお薦めのイタリアン。
 この日も、初日同様、梯子せずにホテルへ帰還。則寝。

投稿者 yonezawa : 02:39 | トラックバック(0)

2008年 09月 7日

BECCA

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 荻窪から国会議事堂前で千代田線に乗り換える際、美人バイオリニスト:宮本笑里の特大ポスター発見。都内各所に、とんでもない大きさのポスターが張り巡らされている模様。
 セカンドアルバム「tears」の発売を記念したプロモーションの一環。
 このアルバムは広大で優雅で品格が高く、ポスターのコピーにあるまま、まさに「世界遺産級」
http://playlog.jp/emirimiyamoto/blog/

 晴れ渡る午後の昼下がり、都内某所でアメリカの女性スーパー・ロック・シンガー:BECCAと初対面。
 11月5日にリリースされる、彼女のファースト・アルバム『ALIVE』の出来は120点。
 内容は、パワフルでメロディアスでツボを抑えた充実の仕上がりだ。19歳の女性シンガーと言われなければ気づかない程、わびさびを感じさせるテイストにつつまれた秀作に仕上がっている。
 2種類の衣裳チェンジの中で幾つかのシチュエーションを試み、シューティングを終えた。
 
 撮影の合間、現場でなんと女優でピアニスト:松下奈緒ちゃんに贅沢にも偶然遭遇。
 とんでもない多忙なスケジュールの中、近況を伺えば彼女は新作の創作にも取り組んでいるそうだ。

 BECCAチームとミーティングルームへ引き上げ、正味40分のインタビュー。
 彼女はとても気持ちのよい、可愛らしくも正真正銘のロッカーだった。
 編集:U差し入れのテントウ虫ケーキが大好評を得る。

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 帰宅途中、最寄り駅に少し前から突然の土砂降りに遭遇。
 一旦、帰宅した後、急に思い立った荻窪:丸長の夕飯を実行するべく車を飛ばす。
 今日のつけ麺の出来、完璧。大満足。デザイナー:小林満には遭遇しなかった。

 夜、先ちゃん仕事場でスーパージャンプ20周年のお祝い記事用イラスト&肖像写真を確認。先ちゃん、ご苦労様。

投稿者 yonezawa : 21:06 | トラックバック(0)

2008年 08月 21日

Les enfants la Terre

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 JAKE SHIMABUKUROの新作『YEAH.』、BECCAのダイジェストCDを拝聴。
 北京五輪/ソフトボール決勝に熱狂する編集部スタッフ。
 この大変な快挙も、帰国後さぞかし盛り上がることだろう。
 
 当代随一の美人バイオリニスト:宮本笑里のニューPV『Les enfants la Terre〜地球のこどもたち〜』を観て鳥肌が立った。
 オール・スペイン・ロケで撮影されたという神秘的映像が凄まじい。
 優雅な音色と、広大に広がる現地の風景が見事な調和をみせる。おそろしいほど美しく風格ある映像美。
 宮本笑里の著しい進化から目が離せない。

投稿者 yonezawa : 00:39 | トラックバック(0)

2008年 08月 19日

遠位型ミオパチー

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 CDラック下段1/3に段ボールを貼り付け、およそ高さ1m程度は一面取り出せないようにしている“Rちゃんシフト”のせいで、聴きたいCDが簡単に引き出せないこの頃。
 隠れた分、持っているCDも、そうでないCDも益々区別がつかなくなり、取材対象者の音源も取材が近づくに連れ、焦ったりするパターンも。

 6時間はきっかり寝たハズなのに、編集部へ行きがけの電車で、最寄り駅3つ手前頃から爆睡の状態に。日によっては四六時中眠い場合も。

 深夜、黄金の原稿を拝受し、入稿を終え、帰途へ。

 先頃、ドキュメント番組で中岡亜希さんという美しい女性を知った。

 以下、関連サイトからの引用で周辺情報を得た。
 現在、彼女は31歳。
 足を引きずって、はうように廊下を移動します。もう足に力はありません。足だけでなく、両手に残された握力もわずか1~2キロ。箸を持つ手もおぼつかないのです。

 番組で初めて知ることとなった奇妙な病名「遠位型ミオパチー」と呼ばれる、指先などの体の遠い部分から徐々に筋繊維が萎縮する、原因不明の病気に彼女がかかってしまったことを、その番組で認識した。

 患者は100万人に、わずか2,3人。

 現時点では治療法などはまったく無く、未だ国が難病指定をしていないせいで、治療にも莫大な金額が課せられるのだ。

 今から8年前の当時、客室乗務員だったという中岡さんは、憧れだった職業に胸を躍らせ、世界中を飛び回る生活を送っていた。
 ある日、会社の同僚から『歩き方がちょっとおかしいね』と指摘されたり、紙パックのジュースが指でひきちぎれない日があり、そこで初めてご自身の体調の変化を自覚したそうだ。
 その後、検診により告知を受けた。

 歩けない程度だった初期の症状は徐々にひどくなり、徐々に筋肉は奪われ、このまま進行すれば20〜30年後には寝たきりになる日が来るのだと言う。
 なんていたたまれなく、理不尽極まりない現実なのか。
 
 そんな中、ささやかな朗報が飛び込んできた。
 彼女の主治医が、遺伝子技術で中岡さんと同じ症状を持ったネズミをつくり出すことに成功し、現在、治療法の研究が進められているそうだ。
 ただし、治療法が見つかったとしても、現状、患者の数が少ないため、製薬会社にとっては採算が見込まれず、治療薬の開発は絶望的。

 そこで彼女たちは、患者だけで莫大な開発コストをまかなうのではなく、国に支援を求めようと署名活動を始めている。
 現在、18万人分の署名が集まり、彼女を中心とした「患者の会」は法律の改正や難病指定を求めた要望書を、近く厚生労働省に提出するようだ。

 厚生労働省は患者の人数など関係なく、とっとと認定すべきだ。どんな理由があろうとも。
 役人の不正で税金が理不尽に搾取されることは1円も許さないが、こうした難病と闘う人たちのために税金が高騰することには、きっと多くの納税者は基本的に反対しないのではないか。
 道路を、ダムを造る前に、トップ・プライオリティは明らかにこちらだろう。

 「今を生きるために、国による支援体制が何よりも欲しい──」
 残された時間の中、消えゆく筋肉を振り絞りながら、彼女たちは闘っている。

投稿者 yonezawa : 00:30 | トラックバック(0)

2008年 08月 18日

森恵

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 出社途中、新宿:伊勢丹は9999へ寄り、ひん曲がった眼鏡のフレームを修理に。
 ものの5分で治してくれた。大助かり。もうRちゃんの目線の高さに眼鏡を置くまい。

 休み明けのデスクはたいそう、どえらいことになっているかと思いきや、大したことがなかった。
 編集部のパソコン宛に届く900/1200通あまりのスパムメールが自動的にゴミ箱へ。

 帰途につく途中、編集部の近くにあるにも関わらず、たった2、3度しか入ったことのない書店内を徘徊。
 ギター・マガジン掲載のジョン・メイヤー記事。かつてジョンはバークリー在籍中に日本人ギタリスト講師に習っていた事実を知る。なるほど。
 ミニ親子丼と冷やしたぬきうどんの立ち食いで晩飯を済ませ、地下鉄とJRを経由し地元方面へ引き上げた。
 ユニクロで、程よいサイズの鞄とシャツを衝動買いし、CDショップでディズニー『くまのプーさん』DVD×2購入。
 DVD『ライヴ・イン・ジャーマニー'80S フロム・ロックパラスト/ロリー・ギャラガー』発見。
 なんと「フォロー・ミー」「バッド・ペニー」等の音源がライヴ映像で見られる。
 マメにamazonなどを見なきゃ、こんなレア映像は見逃しがちだ。
 
 定期便のバスの時間も危なくなった頃、徒歩で帰途につこうとアーケード街を歩いていると、伸び伸びとした上に、清んだ歌声が耳に飛び込んできた。
 聴こえてくる声には、清潔感があってパワフルで、丁寧な歌い回しだ。
 近年だと、元コア・オブ・ソウルの中村蕗子ことLOVE以来の心地よさ。

 閉まった店の前にギター・ケースを敷き、そこへあぐらを掻いてギターを弾く小柄の女のコが、その耳を惹く歌声の持ち主だった。
 シンガー・ソングライターのストリート・ライヴ──
 遠目で見る限り、マーティンの・アコギだろうか。いい鳴りしてる。
 それなりに離れた場所からも、サビにかかる節のシーンでは実に小気味よい声量の抜けを確認した。
 歌っている本人も、聴き入る我々も気持ちの良いポイントに達しているカオスを感じた。

 ストリート拝聴の経験上、ほとんど9割方、足を止める音楽には出会わない。今まで出会って来なかった。
 しかし、今日の偶然に対しては3曲拝聴し、曲の狭間に彼女の1ST.アルバムを購入しようと考えた。

 人前で演奏する恐怖、人前で歌う勇気…そうした、経験した者にしか解らない試練やプレッシャーを乗り越え、この場所まで、この技量まで己を磨いてきたんだろうと、見るからにまだ若き彼女の歌声を聴きながら勝手にそう感じていた。

 帰途につき、CDを聴いた。彼女の名は森恵と言った。
 今宵は優秀なるシンガーの発見となった。

 http://www.multiformatstudio.jp/megumi/index2.html
 オフィシャル・サイトにマーキングを入れ、次回、彼女の紡ぎ出す音との再会を楽しみに待つことにしよう。

投稿者 yonezawa : 13:29 | トラックバック(0)

2008年 08月 8日

JUNO〜ROOM

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 最終上映となった今日、渋谷アミューズCQNで未見の映画『JUNO』滑り込み鑑賞。
 80回アカデミー賞脚本賞の作品ながら、主演のJUNOを演じたエレン・ペイジに全面的に感情移入出来ず、世間の評判よりやや温度差を感じた内容だった。
 
 21時待ち合わせの鍋料理屋へ移動。
 先々週前決まっていたK社:Mちゃんら4人の飯会の席に到着すれば、いたのは幹事のMちゃんだけ。
 それからおよそ1時間後、ワラワラとD社:K、K社:Sが合流し、ようやく本来の鍋を囲む会開始。

 2件のワインバーを梯子し、単独で下北沢へ移動。
 下北沢「ROOM」で行われているDJイベントへ深夜合流。
 そもそもおいらをこのイベントに深夜メールでお誘いくださった岩谷テンホーちゃんは、もう限界の様相で、おいらが到着したばかりの1F入口で、すれ違い様に帰宅された。
 すでに出来上がっていたおいらは、かなりの体力の限界でもありながら、流れてくるフーバスタンクの爆音等で持ち直す。
 先ちゃん、健ちゃん、山本直樹さん、馴染みの編集者らと現地合流し、イベント終演後、近くの居酒屋へ。
 もはや体力限界で、気がついたら終宴15分前にオチてしまっていた。
 吉祥寺組を一人ずつ送迎しつつ、最後自宅に到着したのはもはや完全な早朝だった。どえらくしんどい。

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投稿者 yonezawa : 17:17 | トラックバック(0)

2008年 07月 17日

西紅柿鶏蛋

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 映画記事『イントゥ・ザ・ワイルド』ようやく完成。
 製版所へ下ろして明日入稿の運び。

 夕方、編集:Sとの飯へ。
 会いたき人々が大勢なおかげで、どの人との飯会も久々になってしまうのだが、彼との語らいも何ヶ月かは経過していたはず。
 思いも寄らぬ意外なポイントにあったこの上海料理屋さんは、完全取材拒否を徹底的に貫くお店とのこと。
 確かにネットにも簡単な住所程度か、美味しいのでどうしても書き込んでしまった人の情報程度しかヒットしない。
 裏通りにひっそりとたたずむように、そして品格を感じる店構えが好感触。
 注文したすべての品々が明確なる主張を放ち、とても美味しい。
 
 確か、「西紅柿鶏蛋」とかいう、トマトと卵の炒め物がまた美味しいのだが、燻製のようなスモーキーな香ばしい香りがした。
 家で作れないものだろうかと、店のおかみさんに伺ったところ、「(燻製の香りがするなんて)よくわかったわね! そうなのよ、煙でその香りをつけてるの」っと即答。
 裏技とも言えそうな風味の秘密、隠し味の調味料まで丁重にご教授してくださった。
 間違いのない品目を提供してくださる上、こうした嬉しき物腰自体がよりこの店に対する心象をグンと向上させるのだ。
 ココ、もはや大好き。

 名店である所以をしっかり認識し、徒歩で新宿へと向かった。

投稿者 yonezawa : 17:19 | トラックバック(0)

2008年 07月 16日

A BIG HAND FOR THE LITTLE LADY

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 昨日、漫画家:高井研一郎先生よりお貸し戴いたDVDを、漫画家:昌原光一が中継し、宅配送付してくれた。
 長年観たい観たいと思っていた、古い洋画『テキサスの五人の仲間』が編集部に到着。
 深夜入稿を終え、居眠りしながらの帰宅のくせにどうしても今観ておきたいと考え、結局今朝までかかって鑑賞。
 テキサスの五人の金持ち連中が、年に一度行うポーカーの大勝負。そこへたまたま居合わせた夫婦が勝負に大きく巻き込まれていくと言うストーリーだ。

 この作品の噂は20年くらい前から聞いていた。
 大昔に漫画家:中崎タツヤさんと初めてお会いした席で、彼に「こんなストーリーの映画のタイトル、知りませんか?」と問われ、答えられなかったおいらは、その内容を明確に伺い知ることとなったのだが、ストーリー概要を正確に聞いて、益々その作品を無性に観たくなったのだ。
 中崎さんが子供の頃、テレビで観た映画だったそうだが、(おいらとお会いしたその当時は)タイトルが解らないので探し出せなかったそうだ。
 おいらも何年にもわたり、飲みの席で多くの人々にその内容の一部を語り、タイトルを探していたが解らなかった。
 
 およそ10年前、この話を漫画界きっての映画通と言っていい昌原光一にふと伺ったところ、「ああ〜、それは『テキサスの五人の仲間』ですよ!」と軽く答えてくれた。
 本作は1966年:アメリカ作品で、おいらはその頃2歳、昌原は産まれていない時代だ。
 聞けば何度かテレビ放映されているとのことだったが、ソフトの版権も切れ絶版状態。ともかくおいらは鑑賞した記憶がない。
 さらに昌原がこう付け加えるのだ。
 「あの作品は『スティング』よりも上だと思いますよ。(立川)談志師匠もそう言ってましたよ!」
 
 狙う演出ポイントに向かって、ブレのない脚本がシンプルで痛快。
 40年以上昔の作品なのに、演出の肝がまるで色あせていない。このアイディアを参考にした作品は、映画に限らず数多くあるのではなかろうか。

 先生と昌原に大きく感謝。

 監督:フィルダー・クック、脚本:シドニー・キャロル、主演(と言っていいのか?):ヘンリー・フォンダの、ゲーム中の表情が印象的。
 ジェイソン・ロバーズは高井先生に似ていた。

※ストーリー…テキサスの金持ち連中五人が集まって、ポーカーの大勝負が行われる。そこへ、ポーカー好きの男がやってきて、勝負に加えて欲しいと頼み込む。しかし、男は瞬く間に金をスッてしまい、男の妻が代わって挑むことになるが……。

 夜、V社:Uちゃんと大変久々のサシ飯。
 待ち合わせのJR改札よりUちゃんお勧めの目的の店に着くなり、おびただしい枚数のDEEP PURPLE紙ジャケ・シリーズを贈呈いただき大感激。
 クーラ・シェイカーのクリスピアンが嫉妬しそうだ。
 やってきたのは豊島区南長崎辺りの和食店。
 このお店:Nの食材の何もかもが素晴らしい。
 
 鮎も天然物。鰻も天然物。鰻に関して大将の弁は「養殖物だと余計な油があるんですよ」
 おいら、鰻などは脂がのっている状態こそがよい鰻だとばかり考えていた。
 確かに、締まった質感の舌触りで味にも品格を感じさせるシロモノだった。魚を感じさせるのだ。
 刺身にしろ、澄んだ淡水の池沼に自生するジュンサイも、わさびを効かせて喰えば美味しいったらない。
 2件目にたどり着けないぐらい、お腹いっぱい料理を堪能する最中、隣あわせた客がどうも出版関係の方々のようで、漏れ聞こえる会話の中に、伊丹由宇兄の話が。
 店主である大将と、そのお客で、「伊丹由宇の文章がどれほど信頼があるか」という、大リスペクトなやりとりをしていた。
 こうなったら黙っちゃおられない! とばかりにおいらも話に参戦。
「伊丹兄はおいらも大の仲良しなんですよ」と少し鼻高々な気分。

 伊丹由宇の選んだ300件の店の中からさらに厳選し、100件を選出した原稿の記述があるそうで、その100件にこの名店:Nもしっかり掲載されたそうだ。

 22時を回れば、女将さんより飲酒の許可が下りるという大将。その鉄則は後で聞いたのだが、心地よき会話に、新鮮で丁寧な食材を堪能するうち、時計が22時を5分回った。
 「まぁ1杯いかがですか?」と1本大将にお付き合いいただく。

 大将の交流関係の広さに呻りながら、先日25週年を迎えられたという店には秋元康さんから贈呈された綺麗な花が飾られてあった。
 こんな辺鄙(失礼!)な場所で、こんな名店に巡り会えるとは!
 すぐ裏にあるという「トキワ荘」を取り巻く話も、実に興味深いものだった。

 次回の訪問を約束しつつ、Uちゃん行きつけの中野駅界隈のバーで、軽く3杯。
 ミュージシャン取材の幾つかの現場で、共に仕事してきたUちゃんの配慮は、今日も温かかった。

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投稿者 yonezawa : 17:18 | トラックバック(0)

2008年 07月 14日

SCREW DRIVER

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 入稿原稿を確認しながら、色校正をデザイナーに中継。
 明日渡米し、現地で某ミュージシャン・インタビューを行うレコード会社スタッフへ委ねた質問状、送信完了。
 今月取材のある日程の再確認。
 取材が立て込めば、前日に何度も時間と場所を確認しなきゃ、どうにも自分が信用ならない。
 珍しく終電より早い電車に飛び乗り、おいらにすれば早めの帰宅を心がけようと思っていた。
 ふと電車内で、買い換えたばかりの携帯を見れば、登録しかけたままになっていたフリーランス編集者:Tくんのアドレスが。
 「彼は、確かおいらと自宅も近かったハズ…」と以前の記憶を頼りに、帰途の道中の脚を止めないまま、ダメ元でお誘いのメール送信。
 
 身内だけで行った、ボクシング世界チャンピオン:新井田豊選手の祝勝会がTくんとの初対面の席だった。 
 速攻で返信されたメールへ数回のやりとりを行えば、どうもおいらの歩くところから徒歩2分圏内のバーで、海外在住のライターと飲んでいるのだと言う。
 編集者の勘か、ここは四の五の言わずにとっとと合流すべし! という意識の元、言葉通り2分前後で現地バーへ到着。
 このバーは、何年か前に先ちゃんと訪れた事のある店だ。

 この勘は正解であった。

 Tくんの連れ:ライターIくんは、海外より帰国のタイミングとの事。
 彼の人となりを伺ううち、徐々にとても心地の良い空気が流れるのを関知し、思わず思考の赴くまま、大いに思いの丈を語り合ってしまった。
 海外を拠点に活躍され、自身が睨む世界を貪欲に探求する者には、有名無名に限らず奇妙な魅力を抱かされてきた。
 彼のたたずまいは、ある種のピュアネスさを抱かせ、同時に潔さのようなものを感じさせた。
 
 肩肘の張らない人、肩肘の張らない酒、肩肘の張らないエピソード…これらが合致した時、わき起こる場の空気は、貴重で奇遇でかけがえのない良質の混沌を産み出す。
 出会いこそ人生也。

投稿者 yonezawa : 00:56 | トラックバック(0)

2008年 07月 4日

Bar STOP

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 飲め飲め団:団長は、諸事情の経緯あって現在8ヶ月間以上、禁酒を貫いている。
 しかし飲んべぇの心情を最も理解されている方なので、おいらのように飲み汚い輩の誘いにも、ノン・アルコールで最後までお付き合いくださるのだ。
 
 何年経過しても頭の痛い悩みの種が運命のようにつきまとう。
 何もかもぶっちゃけつつ思いをぶつけ、語らいの場を演出してくださる周囲の方々の距離感が嬉しい。
 デザイナー:Mちゃんに、編集:Y、MKらが順次合流し、賑やかなカウンターの面々と集い、夜が更けた。
 

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2008年 06月 27日

同級生+A

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 大会社Tのエリート・サラリーマン:HHはおいらの高校時代の同級生。
 すでに彼の誕生日は過ぎ去ってしまったのだが、たまたま千葉のAとの飲み話が持ち上がったタイミングで開催の運びに。
 馴染みの欧州料理と赤ワイン。
 
 一々「何を語ろう」と考えながらの会食の席など本当ーに稀だが、その真逆の「何を語ったのか覚えていない」程、この3人による語らいの摩擦のなさは感動的でさえあったのかもしれない。
 高校時代より25〜26年が経過しながら、HHの印象は真面目に当時と何ら変わりなく、あの十代の頃も、もしかしたら社会に出た後の、人としての度量を身につけていたのではかろうかと錯覚してしまう程、おいらの中でヤツは変わらない存在だ。
 おいらの知らない世界、分野についての広く深い知識や理解は半端ではなく、その上自然体な物腰で、世代・性別の分け隔てなく老若男女からの絶大なる信頼を勝ち得る稀な“物件”ときた。
 今回、1年半以上の再会となったA。感慨深い時間が流れゆく。
 出会って10年前後の時間が経過した今、彼女の成長ぶりと魅力は、成長の止まってしまったおいらから見ても一目瞭然の感触となって知らしめられる。

 誕生日当日に贈り物という発想は至極当然ながら、おいらは贈呈したき方々には、思い立った時期に、あるいは贈呈すべきと思しき品を見つけた時に購入し、想いを果たすことを基本理念としている。なので毎年誕生日の周辺、あるいは全く関係のない日の贈呈・到着となる。
 このあいまいの時期がおいらは好き。第三者が誕生日当日に“構えなくて”すむのだから。
 
 2次会は、H馴染みのカウンター・バーへ移動。西麻布。
 贈呈の品の1つ…彼らが聴くことを想定して編集したオリジナルCD−Rをかけていただき、酒の肴に。
 こうした“オリジナル音源の編集”は、かれこれ34年ぐらい昔からやってきたので、合計するとその本数は天文学的かと思われる。
 第三者を相手に「この曲はヤツの心に響くハズ」と勝手に想定して、曲を編集するのは昔から嫌いじゃなかった。
 「米澤さん、私の姉に贈呈したカセット・テープ収録の『フォトグラフ/デフ・レパード』はとても有効でしたぜ」と、美しき姉を持つ某妹に言われた十代の頃には、えらく勝ち誇った気分になったものだ。
 っといった錯覚の記憶も何もかもが懐かしい。

 うん十年昔のカセット・テープへの編集作業は、iTUNES全盛期の今考えるに、数倍の労力を要した。曲目のインデックスすら1文字づつシール状の文字を擦りつけ、構築した事もあった。
 タイプライターでパンチミスをすると、また一から打ち直しだった。ワープロが登場した時にはその利便性に驚かされたものだった。使用目的は編集カセットのインデックスがメインだった。
 LP、あるいはラジオ番組のオンエアー楽曲から1曲づつダビング作業を行うわけなのだが、その辺りの葛藤と闘いは、海陸先生のこの件↓が全て同感なのでサイトを参照。 
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spiceman/Music/igotyour.htm

 HHとAが帰宅し、眠りに着く直前に「何曲目で寝てしまったのか解らなかった…」ような状況で聴いてもらえたらそれなりに冥利なのである。

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投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2008年 06月 24日

京王線:国領駅

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 昨日夜、京王線:国領駅下車。現在、『コミック乱』にて『御誂 人情幕ノ内』を連載中の漫画家:昌原光一と久々の再会を果たした。
 彼は、20年以上ビッグコミック誌に執筆される『総務部総務課 山口六平太』の作者:高井研一郎を師匠に持つ。
 この日、奇遇にも先生&担当編集者と共に、仕事後軽く一杯やっている席に合流する形に。
 その昔、国領駅の隣の駅:布田にあった「武蔵野音楽学院」というスクールに2,3日だけギターを習いに行った事を思い出した。
 たった2,3日で辞めたのは、習って初めて理解した「習う意味を見いだせなかった」理由によるものだった。
 この辺を通過すると、いつも彼の日のことを思い出す。

 丁度、単行本の表紙を描き上げた高井先生による“恒例マジック”を酒の肴に、爆笑の一時が贅沢で嬉しい。手塚先生の手伝いをなされた時のエピソードの感慨深さ。
 日本が世界に誇る大天才にして努力家、あの手塚先生が、当時どういった用紙に執筆されておられたかのレア証人談が実に興味深い。
 高井先生は赤塚不二夫作品の、多くの主要キャラのペン入れを担ってこられた方でもある。
 当時のスクリーン・トーンは粘着力が強すぎ、剥がすと紙ごと剥がれてしまうぐらいの悪精度だったそうだ。剥がすための液体状の道具も勿論ない時代の頃。
 歴史に残しておくべき素晴らしき生き証人の語らいを間近に聞く機会を得られ、嬉しさと感激でいっぱいだった。
 昌原の連載も好調。インターネットにある某書き込みにも嬉しい件を発見し、あの作品に興味を持って連載に導いてくださった他誌編集者にも感謝の気持ちでいっぱい。

 終電を無くしてしばらくした頃、早めのおひらき。
 バー(2F)の1Fにあった“良さげ”なラーメン屋に惹かれ一人飛び込み、塩ラーメン。
 醤油ラーメンのつもりが、おいらの前に常連らしき男が券売機で買ったのが塩ラーメンだったので、急遽塩ラーメンに切り替えたのだった。安直にしてスリリング。
 その男、席に着くなり「麺固で」と付け加えたので、おいらもそのまま真似して「麺は固めでお願いします」とピタリと後に続いた。
 博多のFから矢継ぎ早に届く携帯メールに、律儀に返信しているうちに塩ラーメン到着。

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 一口、二口食す。…??? なんら至って普通の塩ラーメンであり…。
 完食し、トイレへ。

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 入って驚愕。なんと内鍵が、あの懐かしい?形のバーを輪っかに通すタイプの、実に昭和なヤツなのであった…まさに便所の鍵。

 本日午前起床。
 Rちゃん1歳半検診のため、かかりつけの病院へ。
 入稿、日付が変わって終了。
 

投稿者 yonezawa : 15:08 | トラックバック(0)

2008年 06月 13日

Slap My Hand

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 昼、JR中野を経由し編集部へ。
 コミックス原稿入稿、RIZEインタビュー記事作成。

 午後7時、ミッドタウン内『ビルボード東京』へ。
 ここでライヴを見るのは2度目だが、会場への最短の行き方を2度とも迷う。
 1Fなりに明確なるインフォメーションがなかなか見あたらないので、単に4Fと言われても、3Fまでしか行かないエレベーター等があったりで不親切。
 ここら辺の飲食店:店構えの雰囲気も好きになれない。

 ここのところライヴ観戦要員と化すMも迷った末到着した模様で、入口で待ち合わせ。『“Slap My Hand” special session Jimmy Copley & Char with Paul Jackson / Yoshinobu Kojima / Micky Moody 』の会場へ。
 先日のSMOKY MEDICINEのライヴを見逃してしまっていたので、今回の主役:ジム・コープリー参戦のライヴだけはかなり前から意識してチケットを購入していた。
 入口ではパス申請したものの、席のインビテーションを申請しなかった随分久々のライヴ観戦となった。

 アン・ルイスなり、サイケデリックスなり、チャーのソロでも証明済み。
 破格のタイム感で作品の質を最上級に押し上げるドラミングを聴かせるジムの技量は世界唯一無二。
 チャーがジムのドラムスを聴いた瞬間、バンドを作りたいと感じた気持ちが重々伝わってくる。他に代えが利かないからだ。

 他面子にしてもチャーのバンドとしてはベストと行ってよい。
 いつ見ても圧倒的存在感でたたずむベーシスト:ポール・ジャクソン。アメリカ人のプレイにしか聴こえない圧倒的センスとスキルを有するキーボード・プレイヤー:小島良喜。ゲスト・ギタリストで登場したミッキー・ムーディはスライドで沸かせてくれた。
 そして、どのステージに立っても結局の主役となるチャーのキレのよい圧巻のプレイは、今日特に際だっていたように感じさせた。
 やはり最終日がバンドとして最も温まっている感じだ。
 「この面子でワールド・ツアーしかない」とはライヴ中感じた素直な気持ちであり、楽屋で真っ先にチャーに伝えた言葉のひとつがこれだった。
 いつの時代でもステージの違う“かっこよさ”を発散するチャーという日本人ギタリストの存在感は、北野武の意味合い同様、世界へ向けた日本の誇りだと常々感じている。
 楽屋ではわずかの時間ながら全てのメンバーと語る機会を得、フェンダーのアコースティック・ギターのボディ裏に全員のサインを拝受。このサインはおいらのためのものではなかった。
 突っ込みの厳しいチャー兄とも久々にゆるりと語る機会を得、ラッキーだった。「漫画家の先生(江口寿史兄)、元気?」と聞かれたので、また先ちゃんとの飲み会セッティングしようかな。 
 しかるに格段レア物件と化したそのギターを抱え、まずは新宿『池林房』で酒ごしらえ。
 
 そして、ロック・バー『シンクロニシティ』のOちゃんへ、先ほど戴いたサインつきのアコギを太っ腹贈呈。
 今年4月28日、目出度く10周年を迎えた『シンクロニシティ』のOちゃんへの、おいらからの、そしてチャーの祝福メッセージの入ったギターをプレゼントしたのだった。ちょっと遅れたけど。
 オレンジで描かれたメッセージのフレーズはマスキングから塗装に至るまでおいらの手作りだ。
 第三者に向けて、こんな面倒なことをこの年代になってもやれることを自覚する。

 たった一人で10年間、つまみもナシの酒だけでロック・バーを貫き、借りた借金もすべて完済してしまったという話はしばらく前に伺っていたのだが、この10周年をお祝いする輩が誰もいないと伺い、本人も特別なイベントを考えていなかったと聞いた。
 オープンを待って常連となったおいらとしては、このお祝いを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
 同い年のあなたの所業は立派です。Oちゃん、10周年おめでとう! 

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 歌舞伎町〜はなまるうんどんで解散。

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2008年 06月 5日

送別会

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 長年、我が編集部のリーダー的ポジションにおられたFさんの送別会を会社界隈の神保町で開催。
 常に冷静沈着な方で、彼が怒った姿をおいらは知らない。
 Fさんのノーマルな有り様こそが、おいらにとって最もROCKなスタイルに映っていたのかもしれない。
 Jさんからの贈る言葉を聞いた時は、ちょっと胸に去来するものを感じた。
 Fさんの“人脈”はFさんの“人望”によるもの。Fさんという魅力的なリーダーに巡り会えた奇跡に感謝。
 体調のコンディションもあり、今少し控えているという酒をまた酌み交わせる日が、今から待ち遠しいのだ。
 終演後、Fさんは業務へと帰還され、おいらたち飲み足りない組の2次会は、近くのレストラン・バー。
 初披露だそうな、編集:Yによる弾き語りオリジナル・ソング「ふぃーる・えに・もー」が思いの外よい出来で、Yの知らない局面をかいま見た。
 3次会には三宿界隈へくり出し、メーターの振り切った相当な酒量に加え、居眠り輩も出現したので即刻解散。

投稿者 yonezawa : 13:15 | トラックバック(0)

2008年 05月 22日

焼き肉

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 Hとのサシ飯に焼き肉。ここのところ焼き肉頻度高し。
 この夏、Balletのスペイン公演を控えるHとの話は、あらゆるモチベーション向上の糸口になりうる。
 話は果てしなく脱線しながらも、各々の立ち位置を前提にした“生き様”を、時にディベートのごとく語り合うひととき。時間があっと言う間に経過してゆく。
 満腹の様相をして、流れのままJRの駅を一駅徒歩移動。最近、徒歩の時間が嫌いではない。ほどよき風が頬を打つ。

 次回の再会を約束しつつ、入稿を残したおいらは歩いた駅から電車移動。

 一仕事を終え、終電で最寄り駅近くまで戻った。「さて、ここから徒歩で帰宅すべし!」と健康面を気遣うごとく勇んで歩き出したところ、ほどなくして「味噌ラーメン」の明かり発見。
 現状腹八分。まったく食べなくてよいコンディションにもかかわらず、麺の誘惑にはまったく勝てず、ふらふら入店。
 時折、仰天ブログをのぞいてくださる文筆家:HHさん、漫画家:和田ラヂヲ兄の「米澤くん(米ちゃん)、ラーメン食べすぎ!」の声が聴こえてきた。

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2008年 05月 19日

Tristan Prettyman

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 今週入稿の映画『告発のとき』原稿を構成中。
 夕方、やや遅刻気味で渋谷クアトロ着。トリスタン・プリティマン来日公演の日がやってきた。
 クアトロは改装中で、入口は正面玄関からのみ。
 前回も、トリスタンはここクアトロでの公演だった。
 10分少々押し気味の頃、3ピースの編制でトリスタン&バンド・メンバー登場。
 先日、2回目のインタビューを行った時と似た、アットホームな雰囲気の中、終始リラックス・ムードを漂わせるトリスタン。
 観客から漏れ聞こえる感想のまま、今日の彼女もとても可愛らしく見えた。
 1曲目、テイラーから奏でられる音色がとても美しい。アタック音も明確に聴こえてくる。
 ゆとりのある空気作りしかり、ライヴ・スキルに格段の進化を感じさせたトリスタンはギターの腕前も随分上達していた。
 こんな音を聴くとアコースティックで何かやりたくなってくる。

 1本、打ち合わせを経て、夜馴染みのMと半年以上ぶりの再会を果たす。
 Mとはここのところ年に一度くらいしか会う機会を得られない。東京出身なのに、Mの仕事は常に様々な地方なのだ。
 来週からは三重県勤務だと言うMと乾杯し、シンク〜ハングリーハンフリー〜エイプリール・フールの経由で、最後にジャスミンティー飲んでおとなしく帰宅。 

投稿者 yonezawa : 23:59 | トラックバック(0)

2008年 05月 11日

調子悪

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 PCの調子悪し。
 DVDにここまでの情報をセーブしようと、保存書類の段階で整理。これが難儀。テキストの数多すぎ。
 何度かドラッグ及びコピーさせる途中、なぜか固まりの頻度だけが多くなり、嫌〜なコンディションの案配。
 他にやることもあるので待てずに再起動すると、どういうわけだか2006年版ATOKのインストール・アイコンが出てきた。明らかにおかしい。
 何も入っていないファイルを強制破棄してもゴミ箱から無くならない。
 こんなことの繰り返しで夜中になってもあんまり進展せず、午前0時から4時頃まで無駄な儚さを感じる。
 
 1,2年前、「幼い頃からの記憶を可能な限り辿り、文章で残しておいて」と言う要請に答えてくれた母親の書き記した文章を久しぶりに黙読。
 母が生まれ、幼少を過ごした10歳頃までの景色がほんのりと浮かんでは消えた。

 誰しもがめったに体験しない、ある種過酷で壮絶な歴史を乗り越えた、母と祖父、そして祖母を改めて敬う明け方のひととき。

投稿者 yonezawa : 23:15 | トラックバック(0)

2008年 05月 6日

鹿児島市内

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 「一緒に飲もうよ!」と、メールで20時53分に誘われたものの、場所は鹿児島市内だった。
 おいらの曲の作詞をすべて手がける海陸と、地元の音楽人:ショーサクら数名で飲んでいる様子。行きてぇなぁ。
 
 何をした1日だったか。午前11時に起きて飯。
 外出しないと決めた今日が大変な快晴で皮肉なものだ。
 カレンダーを見ると次回の公式休日は7月21日:海の日。その次は9月15日:敬老の日まで間隔がずいぶんと空くよう。
 
 中国:胡錦濤国家主席来日。
 福田首相が主催した非公式の夕食会の折り、パンダとトキの話が成された旨を報道で知ったが、本当にそれだけしか話さない外交なんじゃないのか? とやや本気で我が国リーダーのスキルを懸念してしまった。昔のいしいひさいちの漫画のネタだ、それで終わったら。
 世間で散々言われている「中国製ギョーザ中毒事件」「東シナ海ガス田問題の長期化」「チベット問題」に対する日本側の「おい! 本気でなんとかせぇよ、この野郎」といった“切実な意志”はちゃんと伝わるのか? 懸念で終わればよいが。
 パンダは東京不在となったが、他県には数頭健在とのこと。
 年金だ税金だと大問題山積の時期に、年間1億円もかけてパンダをレンタルするのが正しい選択とは個人的には到底思えない。
 
 家屋の縁側やら庭やら、近所の貯木場やら戸板の塀などは、我が家にも住まいの界隈にも、もう見受けられないものの、昔の我が家のような至ってノーマルな時間の使い方で1日が終わった。Rちゃんのおかげ。

 明日は早速最新原稿アップの予定だ。

投稿者 yonezawa : 13:07 | トラックバック(0)

2008年 04月 28日

Seymour Duncan

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 おいらにすれば早朝と言える午前8時過ぎ起床。
 3時には床についたものの、いつもの習慣からか寝付きがとても悪い。
 11時、編集部で打ち合わせ。
 久々に神保町で昼食。
 
 夕方、明後日インタビュー予定のザ・サブウェイズの出演するMTVライヴ・イベント会場:渋谷AXへ。
 午後7時45分過ぎ、ほぼオンタイムでザ・サブウェイズ登場。
 彼らは確実に一皮剥けた。2年前の取材時よりもよりラウドになり、バンドの風格もパワー・アップ。
 まだ二十歳そこそこの彼らだが、場数がバンドの雰囲気を変えたのだろう。
 パワー・コードの荒々しい演奏ながら、パンクバンドに通ずる若さ故の魅力が炸裂する疾走感溢れるライヴを小一時間堪能。
 
 すでに閉店している渋谷ESP店の石井ちゃんを尋ね、Seymour Duncanのアコギ用ピック・アップ、9Vの電池2コ、ストラップを購入。ギター・ショップで久々の買い物。
 遅い晩飯は久々の石井ちゃんと新宿ゴールンデン街で。
 偶然連絡を寄こしてきた高校時代の同級生で大会社TのH山ら、同僚諸氏と合流しウォッカで乾杯。
 初対面のTさん、Hくんらもとても気持ちのよい漢で、瞬時に全員の心がうち解ける。
 饒舌なH山の口調がほろ酔いの口調へと変わるに比例し、数軒の梯子酒。高校時代のアホ話に笑った笑った。面子が全て。
 〆のラーメン喰って、指折りに最高だった飲み空間の夜更けが明けた。

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投稿者 yonezawa : 20:19 | トラックバック(0)

2008年 04月 25日

Daniel Powter

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 ダニエル・パウターの新作リリースまでにはあと数ヶ月かかるようだが、先日の試聴会で、最終ミックスを残す1曲以外の全曲を拝聴。
 アレンジや楽曲の方向性は認識出来た。1st.に続く新作は、やはり優しくてせつなくて正直で軽快だ。

 午後、都内某所でダニエルと1年半ぶりの再会を果たした。
 小一時間の取材時間の中、彼は前回同様、真摯に、時にコミカルに回答してくれる。
 スーパースターといってもよい程の成功を、たった1枚のアルバムで手中に収めても尚、彼の謙虚な姿勢は変わらないままだ。
 自信を持つ瞬間はパフォーマンスの瞬間だけなのだろう。彼のストイックな一面も魅力の塊として、一ファンの心に響く。
 「#1に収録されそうな“Best of me”はファースト・シングルカット? もしかして最初に書いた曲なんじゃない?」との問いにダニエルは「その通りだよ。良い勘してるよ。正解だよ」と答えた。
 補足で、スタッフサイドから「ファースト・シングルカットの曲はまだ決まっていないそう」だとも。
 「今、最もファルセットの美しい、アレンジの曲を書くのがあなただね」と伝えたら「ステレオ・マジック(笑)!」と照れるダニエル。
 去年までの取材時、めったにサインを貰わなかったおいらなのだが、ここのところRちゃん宛のサインは時間と空気が許す場合のみ戴くことにしている。
 ダニエルがRちゃん宛に書いてくれたフレーズは「Don't listen to your Daddy! Be well」
 取材空間を爆笑に追い込んでくれた素晴らしき盟友:Daniel Powterとのひとときも、滞りなく終了。

 実家より引き上げてきた懐かしいMac G3を再生させようと編集部で四苦八苦。
 入稿と原稿リライト作業の最中、デスクの横で作業をしていると通りすがりのスタッフが「懐かしい〜」としみじみG3を眺めてゆく。
 たった5年でも、パソコンの進化は果てしないスピードであるが故、もうこの機種を使っている人をまず見かけることはない。
 おふくろパソコンの再構築が今現在最大の最優先事項ながら、まだ解決の時間が得られず無念。
 深夜4時帰宅。

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投稿者 yonezawa : 18:22 | トラックバック(0)

2008年 04月 23日

冬の動物園

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 午後、ワーナー・ミュージック本社でダニエル・パウターの新作『UNDER THE RADAR』試聴会へ。
 優しいメロディに美しいファルセット。ダニエルの創造する世界観は前作同様の彩りで構築されていた。
 会うと判る人間性の優しさ。金曜日にしっかり再会予定のダニエルは、きっと前回同様シャイなままなんだろうな。

 谷口ジロー『冬の動物園』発売。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091818501/
 収録作品は、05年から08年にかけてビックコミックオリジナル増刊に発表された、一話完結方式の連作長篇。
 ノンフィクションなのかフィクションなのか、その狭間が判らないまま物語りの中に溶けこまされた。リアルな世界観に浸るうちに、やがて自分が主人公の目線となり、主人公の心の痛みが肌で感じられるのだ。

 夜、K社:TSとライヴ打ち合わせ。新宿:ひろ喜。
 夜、吉祥寺で江口兄と随分久方ぶりにサシ飲み。闇太郎〜スカラベ。
 
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投稿者 yonezawa : 20:43 | トラックバック(0)

2008年 04月 22日

高裁

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 一日中報道されていた感のある、山口母子殺害事件への最高裁による判決は死刑。
 被害者の遺族が会見で語った整然とした発言に耳を傾けながら、正しい判決の報道を見つめていた。
 この9年間もの長きに渡って地獄以上の苦しみを味わってこられた、被害者遺族の本当の心中は当事者にしか判らない。
 人生最悪の事件当事者にありながら、常に冷静に法と向き合い、真摯なる言葉で自らの意志を主張続けた彼の志は賞賛と尊敬に値した。
 同じ子を持った親として、彼の人間性の崇高さは桁が違った。

 長き裁判の中、まったく理解出来ない21人の弁護師団の登場には愕然とし、この判決後に関連サイトで読んだ弁「弁護側弁論要旨」には、呆れを通り越して頭痛と怒りがわき起こってきた。
 文脈のすべてが理解不能だが、「強姦の計画性と強姦行為の不存在」「事案の真相」については発熱する思いがするほど。
 この見解に賛同する第三者はいるのだろうか。
 今回の高裁の結論が最後の結論となることを強く願うところ。遺族の方々には永遠に労いの言葉を贈り続けたい。

 午後6時、五反田イマジカでの映画試写会に全力疾走で駆けつけ汗だく。川沿いの道路が途中閉鎖され、迂回させる道のりにカチン。
 ロスより来日中の北村龍平監督&女優:Noraと再会。
 試写を観戦し、とんぼ返りで編集部へ。
 帰社後飯のタイミングを逃してしまい、これも久しぶりのコンビニおにぎりで哀しく夕食を済ませた。帰宅は午前5時。

投稿者 yonezawa : 18:21 | トラックバック(0)

2008年 04月 18日

スペイン料理

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 4人のスケジュールを調整し、待ちに待った今日の日がやってきた。
 小雨降りしきる中、S社:ENを囲む会を渋谷のスペイン料理屋で開催。
 この会をパーフェクトに取り仕切ってくれたYM、ライヴの立ち会いで少し遅れたFSに、おいらのメンバー4人。
 結果、これほど楽しく有意義なひとときは久しぶりだった。

 もうしばらくすると会社を退職し、新たな新天地を目指すENの送別会のような意味合いもあったのだが、この面子での“飲み会”には筆舌に尽くしがたい贅沢さを感じていた。
 これほど何も包み隠さないまま、思いついたエピソードをストレートに伝えられた今宵の夜も稀だ。きっと、このメンバー全員が醸し出す空気がそうさせたのだと思う。

 人に最も必要な気持ちは相手への配慮。
 親父と母親に教わった“配慮”、そしてこれまでおいらの受けてきた様々な方々から戴いた配慮。キアロスタミの話。たけしさんの話。映画の話。音楽の話。心が温かくなった。
 赤ワインが心から旨い。イカスミが刺激的だ。贅沢極まりない1日であった。
 3人とも今後とも仕事に酒によろしくどうぞ。
 そしてENちゃん、多くの現場での完璧なアテンドに心から感謝。あなたのスマートな配慮は忘れないよ。

投稿者 yonezawa : 18:29 | トラックバック(0)

2008年 04月 17日

上原ひろみ

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 世界的ジャズ・ピアニスト:上原ひろみ取材のため、夕方、都内某スタジオへ。
 本当の意味で、「世界的」という肩書きに相応しい、まさに世界を股にかける活躍をする彼女。
 上原ひろみのCDは逆輸入盤として日本国内ではリリースされている。
 オスカー・ピーターソンやチェック・コリア等の巨人と競演もしてきた天才ピアニストは、法政2部ジャズ研究会出身。
 通称“2ジャズ”には、おいらも23〜24年ぐらい前に特例としてギターで参加していた経緯もあったので、その旨を彼女に伝えたところ、OB会で会ったという、おいらの知る後輩の名前も出てきたので驚いた。
 トリオ編成から最新の4人編成のバンドとなり、5月には新作リリースを控える。
 新譜では、スタンダード・のカヴァーも数曲あるのだが、ジェフ・ベックのカヴァーという選曲にまずは惹かれた。彼女はギタリストが好きで、特にジェフ・ベックやらザッパのファンなのだそうだ。
 新譜はギタリストのインスト・アルバムという言い方も出来るような、トータル・バランスの優れた仕上がりとなっており、2005年のFUJI ROCK出演頃から、一度は彼女にお会いしたいと願っていた。今日は念願が叶い嬉しい。
 天才で謙虚。上原ひろみは日本の誇りだ。

投稿者 yonezawa : 18:28 | トラックバック(0)

2008年 04月 16日

日記を引用

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 マイミクで同級生:ショーベーの日記を引用。

「4月16日(水) フジテレビ系列で21:00〜21:54に放送された「ザ・ベストハウス123 」 という番組の中で「日本の感動CMベスト3」のコーナーがあり、休校になる鹿児島県蒲生町の新留小学校の最後の7日間を追ったドキュメ ントのマクセルのCM「マクセルDVD ずっとずっと。新留小学校 篇」が紹介された。 その中で男性教師が登場するのだが、その顔を見たとたん「!」と来た。小中高の同級生だった釘○君だと思うのですが・・・。違うかな〜。気になって眠れません。同級生の皆さん、誰か教えて!たぬさん、知らんかいな?」

 その後の書き込みで、その映像に登場する先生がショーベーの同級生だった旨を知ったのだが、このCMにはえらく泣かされたのだった。
 http://www.zutto-zutto.com/report/movie.swf

投稿者 yonezawa : 02:44 | トラックバック(0)

2008年 04月 11日

ゴールデン街

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 GW中発売のコミックス色校正戻し、青焼きチェック。

 晩飯は久々にR誌フリー編集者:Kと。
 Kは、2月ぐらいから同ビルに引っ越して来た事を今日初めて知らされた。
 一度も行ったことのないビル内・他階も沢山なので、自分の編集部以外何も知らないのが現状。
 向かいに出来た新ビルへもまだ行けていない。

 Kとは新宿三丁目で待ち合わせ、もはや馴染みとなった店:Hへ潜り込む。
 同世代の大将の技量を今日も充分堪能する絶品の食材に舌鼓。
 
 ゴールデン街に河岸変え。
 H店のカウンターで数杯流し込み、さらに河岸を変え別店舗へ。
 こうなるともう歯止めが利かない。
 体力が続き、本格的な睡魔の直前まで修行のように路地を徘徊。勿論楽しい。
 某メジャー・ロック・バンドのロサンジェルス・インタビュー取材をKに振ってみたが、諸事情あって残念ながらNGの回答ではあったが、Kとの酒はいつも格別。
 ソニー:Yちゃん、諸般の諸事情で取材打診を翻してしまいごめんなさい。
 抱えている周囲のトラブルが多すぎる昨今なので勘弁。

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2008年 04月 10日

品格

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 自分には到底書けない優れた文章を紡ぎ出す人は、人間性を含めてリスペクトの対象となる場合が多い。
 Hさんの創造する活字世界は常に温かく優しい。
 暴力とは無縁で、決して人に迷惑をかけない文章。初めてHさんの文章を読んだ第一印象はそんな感じだった。

 お互い身近な場所にいるにも関わらず、多忙なHさんとゆったりした場所でお会いする機会は稀だ。
 食事をしながら存分に語り合えるHさんとの時間がとても贅沢で、彼と並んで酒を飲めば少しだけ自分が上品になったような錯覚を毎度覚える。
 それはHさんが醸し出すある種のオーラのせいだ。
 その空気を受け、おいらが勝手に勘違いしているにすぎないのだが、一時期流行った「品格」という言葉をHさんと語る度に思い出す。
 基本的に、初対面の人間に対しても隠し事のないおいら。
 なので、例えば身内の恥もまったくのタブーではなく、そのままストレートに話を聞いていただき、いくつかのアドバイスをいただけた今宵の空間は心から癒された思いがした。
 おいら周りの切迫する事件を踏まえ、Hさんが語ってくれた同じ類のエピソードには「品格」プラス「人間の余裕」を感じさせた。

 文章を上手く紡げる方の発する言葉は、やはり整然としているのだ。Hさん、格別の夜に感謝!

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2008年 04月 9日

TOP PRIORITY

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 本日の仕事のスピードの速い事と言ったらなかった。
 音楽事情に精通するNとの会談は、ここのところトップ・プライオリティ。
 RORY GALLAGHER『TOP PRIORITY』は世界一のアルバムです。
 情報交換の潤滑油に赤ワインがどはまり。美味。
 しかし何故にこうも時間だけが早く経過してゆくのか。
 『オレたちひょうきん族』の番組鑑賞の時が、本当にあっと言う間だったことを思い出す。
 
 漫画家:Y氏の出没するSへ移動。赤ワインを継続乾杯。
 Nを交え、マスターと交わす音楽談義がまた興味深し。
 次回、マスターにベストCDこさえて贈呈しとこう。確かそんな約束したんじゃないかな。
 それにしても、まったく時間の経過が早すぎるわい。

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2008年 04月 6日

ほっぺたリンゴ

 休日にしては寝不足な1日の始まり。午前8時30分には起床してしまった。
 シャワーの後に風呂掃除。まとめたゴミを破棄し、ご飯を2合炊いたと同時に外出。

 ジョン・バトラー・トリオ、レニー・クラヴィッツ等の最新オリジナルCDを車に投げ込む。コンビニで水と週刊誌を購入し、1万円札をくずして高速道路用の小銭を確保。
 首都高:高井戸から羽田空港へ。
 700円の交通料金に対して支払った1000円札のおつりを、流れ作業で200円しか渡さなかった高井戸インターのオヤジの不手際に気づいた時には遅かった。
 特にこの時期、国土交通省には1円たりとも支払いたくない心境なのに大変悔しい。

 遅刻は厳禁と起床から気合いが入りすぎたか。
 まったく混んでいなかった道中のおかげで、予定の時刻よりも2時間30分も余裕を持つこととなった。しかし全然構わん。何もしないでよい2時間30分は贅沢だ。
 朝食と昼食を兼ね、タレントのサイン入り色紙の飾られた『羽田ラーメン』で塩ラーメン+半炒飯。けっこう満腹。

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 出発ロビーのさらに1F上のベンチ数席にはほとんど人が座らない事を見越し、軽く仮眠を取ることに成功。日常の編集生活のスキルがここで活きる。
 午後1時過ぎ、長き7日の間、待ちわびたRちゃんも無事ゲートをくぐって帰京。
 彼女はスヤスヤと夢の中。
 どこか穴の空いたような1週間だったことは感覚として間違いがなかった。
 たった一人の存在が、ここまで気持ちに影響を与えるものだと、06年の暮れに初めて覚えた感覚を、今また新たに噛みしめる空港での一幕。

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 駐車場:P1へ駐車した車に戻り速攻帰宅。帰宅に要する時間もかなり短い。
 都心は空いてりゃこんなに近い。

 久々に帰宅したRちゃんは、慣れ親しんだ我が家に帰ってきた安堵感からか、トコトコと室内を歩き回り、我がテリトリーを確認しているのか。
 赤らんだほっぺが1週間前より、思いの外少しぷっくらしているよう。
 

 ここのところ、テレビで放映されてるある番組のドキュメント・シーンに釘付け。
 
 難病に冒された九州の女性:テレニン晃子さんが、まだ幼い娘に残した数多くの優しく温かいメッセージが胸を打つ。
 赤ん坊を抱き、お乳を飲ませること、一緒に遊んでやること。そのどれもがままならない。普通のことができない。彼女が妊娠中の05年秋に脊髄悪性腫瘍が発覚したからだ。
 娘の将来を見てやれないかも知れない。そんな切なく、いとしい娘への想いがいっぱいいっぱい詰まった彼女のメッセージには、教えられることが多すぎた。

 千葉県在住の少年(当時6歳)は、心臓が拡張し、 機能が低下して心不全となり死に至る「拡張型心筋症」という 原因不明の難病を患い、入院しながら心臓移植準備中だった。
 当時、生命に関わるため、早急な移植を必要とする状態が続いていた。
 しかしながら6歳という年齢もあり、国内での移植の可能性は法律的に望めないため、海外での移植を選ばざるを得なかった。
 受け入れ先はアメリカの病院で決定したが、 海外での心臓移植には日本の保険が適用されないため膨大な費用(6000万円)が掛かるとのこと。
 ご両親は、一心不乱に街頭等で一般の方々に協力を訴えかける。
 その訴えを知った、少年の地元球団である千葉ロッテマリーンズがなんと全面協力する運びとなり、時に試合前後にこの情報を訴えた。
 ある番組ではこの事実・現状を紹介し募金を呼びかけた。
 複数の新聞社が、募金の記事を日付を変えて掲載した。
 
 結果、多くの人々が、いち野球・サッカー好きな少年の力になるために協力し合い、膨大なる募金額を達成。
 やがて、無事手術が成功し、元気を取り戻した旨を放映していた。
 
 激動の渦に巻き込まれる運命は、誰であろうと降りかかる可能性はある。

 1日寝かしたカレーと新鮮野菜のサラダが激美味。リセットされた日々がまた明日から始まる。

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2008年 03月 29日

花見

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 夕方まで自宅での雑務を終え、夕方より井の頭公園へくり出した。
 道中、芋焼酎、赤ワイン、キムチ、巻物系の寿司パック他を購入し、映画監督:寅(トラヴィス)、デザイナー:Yらの待つ野外座敷へ。
 昨日未明より場所取りを行い、池沿いのベスト・ポジションを確保した寅よ、ご苦労さん!
 いきなり、注いだ焼酎を傾いた地面に置いたとたんこぼしてしまうおいら。
 花見の至って日常的な光景がそこにあった。

 時間差で現れる初対面の面々を紹介いただき、暗くなるまでほどよき心の温度のまま、文字通りの花見酒。
 日が暮れるとやや肌寒くなってきた。いや、かなり寒いぞ。
 そうと決めたら行動は早い。速攻撤収後、場所を寅宅へと移し改めて部屋飲みへ突入。
 この日、集った面々には日本画家、デザイナー、バー経営者等の方々がおられたのだが、日本画家が確か2人、書家が1人登場した、なんとも珍しいアーティスティックな夜だった。
 深夜、1人ラーメンで〆、帰途についたら即落ちた。

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2008年 03月 28日

ジェシー&あっくん_野村

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 午後、およそ1年ぶりとなるRIZE(ジェシー&あっくん)インタビューのため、都内某取材地へ。
 彼らRIZEは、4月16日に待望のオリジナル・アルバム『K.O』をリリース予定。
 これほどの素質と才能とモチベーションを有した日本発のロック・バンドは、彼らをさしおいて他に思い浮かばない。
 ヴォーカル、ドラムス、共に技量という点を睨んでも彼らのスキルは破格。
 テクニックのことなど口にする彼らではないが、その部分における裏付けにしても実に充実しているバンド。新譜『K.O』は、RIZE史上最高傑作の仕上がり。

 今日のこの日をどれほど待ちわびたことか。夕食時に自由人:野村と待ち合わせ、初サシ飯へ。
 合流した瞬間から帰途につくまで、まぁ速射砲のように語り明かすことになった今宵も贅沢で貴重な時間だった。
 野村とはそれなりの世代差がありながら、音楽・映画を初めとする様々なカルチャーへの造詣深さは舌を巻くほど。
 銀座:Gより移動。初めて訪れた新宿のロックバーへ。
 自然な流れの我々の会話の中に出てきた、数々のバンドのLP(しかかけられない)を実にタイミングよく、ほどよき音量で矢継ぎ早にかけてくれるマスターの気遣いがたまらない。
 UFOもスティーヴ・ミラー・バンドもまた揃えたくなってきた。
 血湧き肉躍る音楽は、おいら酒飲みの気持ちを朗らかにしてくれた。
 花園神社を経由し、ゴールデン街:Aで乾杯。しっかりした自分の意志を持つ者と語る一時の充実した感触ほど嬉しいことはない。しみじみと野村は貴重な存在だ。
 今夜いただいた、トミー・エマニュエルの重要映像が収録されたDVDを観るのが超楽しみ。 

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2008年 03月 19日

公用車

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 後輩で旧友:Nと久々に一杯酌み交わす機会を得た。
 新たなる新天地での足場をとっとと固めるこの男の順応性とスキルは、正直毎度驚かされている。
 雨模様の中、Nの会社の公用車が神保町へ到着。
 そのまま、我が家近くへ移動し、近くのパーキングに駐車。タクシーで「闇太郎」へ。
 のれんをくぐると、いきなり入口近くのカウンター席に岩谷テンホーちゃんが!
 数軒の梯子酒でほろ酔い気味のテンホーちゃんは、我々が到着後して間もなく千鳥足で帰途。
 ビールで乾杯し、おでんに鯖塩、もやし炒めを喰いながらブランクの間の時間を埋めるべく語り合う。
 何はともあれ、友が順調な生活環境にあることにはホッとさせられるもの。
 何の話も、どんな変化球も通用するNとの疎通、距離感は初対面の日からまるで変わっていない。
 場を「スカラベ」へ移し、明け方までマスターと3人話し込む。
 一旦精算しながらも、話が途切れないものだから再びお代わりをお願いし、結局いつもの通り朝方まで飲み明かす。
 Nとの久々の酒だったので、この流れは予測のつくモノだったが、〆の「日本一寿司」まで「飲み」の展開としては、出来すぎのような気分に浸れた意味深き数時間であった。
 Nにはいろいろな事を教わってきたのだ。

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2008年 03月 14日

UKと甲斐さん

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 G社:UKちゃんとも、どえらく疎遠であった。
 しかし、イニシャルがUKとはクールだなぁ。
 雨模様は続いたまま。UKからの誘いで三軒茶屋、初のおでん屋へ直行。
 花粉症と風邪らしき喉のイガイガで笑うほど声がまったく出ず。昨日よりはマシだけど。
 コンディションもまだまだ半分しか取り戻していない状態ながら、UKとの乾杯は毎回愉快で嬉しい瞬間。
 ところで関東のおでんには鶏肉が入っていない。
 「九州ではおでんに必ず鶏肉入れるのだよ」帰国子女であり、アメリカ各地〜東京とインターナショナルな環境で学生時代を過ごしてきたUKに、地元情報を伝えた後メニューを見れば、鶏のもも肉をおでん出汁で煮込んだ品があることに気づく。
 同じ鍋で煮込むと出汁が濁ってしまうので、それを避けるために関東のおでんは肉類は入れないのだろうと読んでいるが、こうして別メニューでおいてある店は珍しいかもしれない。
 積もる話、これまで話す機会が無かった話、映画の話、音楽の話…っと、酒の酔いに任せて話はあらゆる方向へと連なり、心地の良い時間が過ぎゆく。

 UKにゴチ(感謝!)になり、雨模様の中、通算4,5回目の訪問となった居酒屋:Tへ移動。
 「先日、これから向かう店:Tで甲斐バンドの甲斐よしひろさんをご紹介いただいたんだよ」とUKに話しながら店ののれんをくぐれば、なんと偶然甲斐さんら音楽関係者らの方々と遭遇。
 なんたる幸運。
 先日、甲斐さんとの遭遇を田舎の母親にも伝えたならば、母の妹、つまりおいらのおばさんとおふくろが甲斐バンドの話をしたと聞いた。
 おばさんは「甲斐バンドの『安奈』を聴くと涙が出てくる」と言ったそうだ。
 時代、世代、性別に関係なく、多くの人々に影響を与えるロック・ミュージックの深さを、そのエピソードにも認識させられた。
 
 突然、ふいに現れたおいらたち2人をなんだかんだ言いながらも迎え入れくださり、しばしの談義に混ぜていただいた今宵も大収穫で大感謝な瞬間だった。
 名盤の1枚、『マイ・ジェネレーション』を超えうる甲斐バンドのオリジナル・アルバムを、おいらはいつでも心待ちにしているのだ。

投稿者 yonezawa : 15:48 | トラックバック(0)

2008年 03月 7日

COLBIE CAILLAT/インタビュー

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 都内某所、コルビー・キャレイへのインタビュー取材へ赴く。

 20分押しの流れで取材部屋にコルビー登場。
 彼女はインターネットのマイスペース上でオリジナル曲の1000万プレイを獲得し、レコード契約のない歌手のナンバー・ワンになった。
 やがてメジャー・レーベルも動き出し、彼女はユニバーサルと契約。
 ネットのヒット数なり、閲覧回数等がレーベルを動かしている現象はアメリカでも顕著となっている。
 穏やかな取材時間が流れる。コルビー・キャレイの1st.アルバムは3月19日発売。
 おいらは中でも#5:Feelings Showが好み。

 取材終了後、一旦入稿のため帰社。
 ジミー・ペイジ御大のインタビュー原稿を印刷所に放り込む。このインタビュー完全版はヤンジャンのオフィシャル・サイトに掲載予定。
 以前行った取材分のインタビュー掲載アドレスは以下の通り。
http://yj.shueisha.co.jp/special/hmsb/
http://yj.shueisha.co.jp/special/alesha/

 ヤンジャン16号(3/19発売)から1ヶ月間の限定で、チープトリック/リック・ニールセン/インタビュー完全版をWEB掲載予定。
http://yj.shueisha.co.jp/special/rick/
 ヤンジャン17特大号(3/27発売)から1ヶ月間の限定で、ジミー・ペイジ/インタビュー完全版をWEB掲載予定。
http://yj.shueisha.co.jp/special/jimmypage/


 夕方、日比谷:東京會舘へ。
 夢枕獏事務所:N氏と待ち合わせ、日本SF大賞、大藪春彦賞の授賞式パーティへ。
 会場で獏さんと遭遇し、小一時間情報交換。獏さんは今日も明日もパワフルで魅力的だ。

 夜、MSと待ち合わせ、数ヶ月ぶりの再会を果たす。
 本当に積もる話が目白押し。しかしこの貴重な機会に何を語ろうかと、ともかく速射砲のように語り明かした。内容はやはり行き当たりばったり。
 久々にゴールデン街へと迷い込み、Tと、偶然店に遊びに来ていたその姉:Aと合流。

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投稿者 yonezawa : 18:24 | トラックバック(0)

2008年 03月 6日

COLBIE CAILLAT/ショーケース・ライヴ

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 コルビー・キャレイなる新人シンガーのショーケース・ライヴ会場:渋谷DUOへ。
 彼女はカリフォルニア生まれの22歳。
 昨年リリースしたファースト・アルバムがアメリカで100万枚以上の売り上げを記録した。
 DUOに訪れた観衆の数は、おいらがこれまで体験した中で最も大勢であった。
 関係者用に設けた2F席の階段に辿り着くまで、ものすごく大汗をかく。
 まるで超満員電車の詰め込み状態で、大げさな言い方じゃなく本当の満員電車の中を1/2車両分移動するような状態だった。
 満員電車ほど嫌な場所はない。
 
 パーカットションとアコギ2本、時にそこにコルビーのアコギも加わるような編成で、温かいカリフォルニアらしい風を感じるトラックを数曲拝聴。
 演奏後のミーグリ時に、媒体用サービスの意図で記念撮影。おいらは明日のインタビュアーの一人である旨を彼女に伝え、会場を後に。
 かねてから約束だったT氏と新宿で待ち合わせ、かなりの優良物件である名店:Hで乾杯。
 さらに五反田でMと久々の再会を果たし帰宅。 

投稿者 yonezawa : 18:23 | トラックバック(0)

2008年 03月 4日

88minutes

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 昨深夜の原稿が10時引き上げになったので、午前中より入稿作業。
 車検の手続きは明日以降に繰り越した。
 昼過ぎから丁度いい時間帯に何か試写会はなかろうか? と試写状を見てみれば、前回タッチの差で入場させてもらえなかったアル・パチーノ主演作『88ミニッツ』の試写会がナイスなタイミングで見られることに気づいた。
 前回の教訓で20分前には現地到着。
 
 関連サイトによる内容は以下の通り…「次々と女性を狙う猟奇殺人の容疑者・フォレスター。彼は、異常犯罪分析医のジャック・グラム(アル・パチーノ)の証言によって死刑判決を下された。それから9年後、フォレスターの死刑執行が迫ったある日、同じ手口の殺人事件が発生。ジャックのもとに一本の電話がかかってくる。「お前に残された時間はあと88分だ!」――。刻々と時間が迫り来る中、果たしてジャックは真犯人を見つけることができるのか?」

 獄中からFBI捜査官の心理を操り、絶大なる影響力を放った『羊たちの沈黙』レクター博士の出来を思い出すと、正直、本作のストーリー・演出のツメには満足を得られなかった。

 アル・パチーノは最大限にリスペクトし、最重要俳優であることは今後も変わらないものの、例えば階段を駆け上るシーン、街を走り抜けるシーンに幾ばくかの違和感を感じたのは正直な感想だった。
 もうアル・パチーノは走らなくともよいと思う。

 次回作ではデニーロとの競演が控えているとか。勿論、その作品も見逃すことはないだろうが、より監督によるキャラクター付け、演出の在り方が、今後の作品の善し悪しを決定づけることになろう。

 夜、巨匠:Tちゃんに誘われ、恵比寿「やまざき」で寿司をゴチ。
 新宿で2件梯子し、THE POLICEも体感済みのオタクで和服の美女:RR、ファンキーに合流。音楽談義に熱が入る。またしても朝まで飲んでしまった。

投稿者 yonezawa : 14:30 | トラックバック(0)

2008年 03月 3日

transit

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 ひな祭りの実感ない3日だ。

 入稿の狭間を狙い、王子ホールへかっ飛ぶ。
 ネットで確認するまで王子ホールは王子だとばかり思っていたが、東京:銀座のど真ん中にあるのだった。
 バッハ:リュート組曲第1番_ホ短調_他の演目で、オーガニックな演奏を聴かせてくれる、“下町”が“日本”が世界に誇るクラシック・ギタリスト:村治佳織のコンサート会場へ。

 ここのところ、彼女のチケットは入手困難で、本日もソールド・アウト。
 ユニバーサル担当:T氏のチケットを強引に奪い取り、観戦する機会を得る。Tさんサンキュ!

 王子ホールでの『transit』コンサートは、2005年よりシリーズとして継続される人気プログラムの1つ。
 彼女のインタビューによれば…「バッハの作品は小学生の頃に「プレリュード・フーガ・アレグロ」BWV998より『プレリュード』を弾いたのが最初で、その後コンサートプログラムに1曲入れ込むことは時折あったのですが、コンサートの一部が丸々バッハという機会はありませんでした」とのこと。
 今年は、ドイツにて管弦楽団とバッハ作品を演奏する予定もあるようなので、「私にとってはバッハ・イヤーです」とも語っている。

 現代音楽の分野において世界的にその名を知られ、日本を代表する作曲家である武満徹によるギター作品が前衛的に聴こえ響く。
 構成、アレンジを聴き、理解する体力・スキルを有することが必要だと、特にトリッキーな演奏部分の技巧に目を見張りながら集中して拝聴。

 演奏中、曲のうねりに身を委ねるように、時に厳格に、時に優雅に、時にトリッキーにとギターを操る村治佳織。
 ある境地に到達した者だけが醸し出せる、メンタルな意味をも含む超絶技巧が今日も圧巻だった。
 演者の醸し出すウェーヴに観客も自然と同調し、曲の有する物語の起伏に取り込まれるような感覚を味わった。
 アンコールで演奏してくれた「オーヴァー・サ・レインボウ」のしみること。
 “語るよりギターの方が上手”なジェフ・ベック・バージョンの同曲ともまた趣向の違う、優雅で繊細な旋律が胸に沁みた。
 彼女も、言葉で語る以上にギターで語る表現の方が雄弁なのかもしれない。

 おいらのようなロック畑のみの者には、すべてが勉強不足だと自覚をせざるを得ない内容ながら、彼女の紡ぎ出す世界観だけは、およそ15年前から欲する感覚を継続させてくれるのだ。
 それは彼女の持つ演奏スキル、雰囲気、動き、言動、声質、音質、容姿、環境、すべての要素が融合し、化学反応を起こして感じさせるものだ。まさに言葉では言い表せない村治佳織独特の魅力を感じてしまうのだ。

 村治佳織は演奏中も演奏後も心の瞳を大きく見開き、すべてを見渡していた。
 一見簡単な行為かと思われがちだが、この境地にたどり着いていないプロ・ミュージシャンなど大勢いる。
 あらゆる世界の景色全てが見えきった瞬間、あるいは見渡せる余裕を得た瞬間、音楽家は本当の意味でのトップ・ミュージシャンという位置に到達するのだと思う。

 メンタル面で最上級のポテンシャルを有する村治佳織の行方は果てしなく厳格で壮大なものだ。

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2008年 03月 1日

永遠のH

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 起きがけの午前1時、誰もいない家で静かに目覚める。
 昨日もそうだが、極寒な日々が少し落ち着いた感じ。

 夕方から深夜にかけ、明日のゲスト上京来客に伴い、やや散らかりすぎた部屋の混沌を極力整頓。しかし、あんまり変わらんようだ。

 おいらにすれば、たまの来客は大歓迎。
 個人的には日常的に来客があってほしいぐらい。
 家に人を呼ぶのは昔から大好きな質のおいらだ

 昔、親父たちの世代の者は、大概、家に部下を招き飲み明かしていた。
 時代も環境も変わってしまい、ニュアンスはどうにも出しにくいものの、ああいった雰囲気の飲みをやってみたいものだ。

 明日は、永遠の親友:Hがやってくる。

投稿者 yonezawa : 14:30 | トラックバック(0)

2008年 02月 29日

swan lake

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 リック・ニールセンのインタビュー原稿を読み込む。
 感慨深い内容に「そうだったのか!」っと30年前の裏話に改めて驚きと発見を感じずにはいられない。
 ノーカット盤はweb展開も視野に入れ、気合い入れて書き記したし。
 
 B.デルトロ新作の試写会はこれら原稿書きにより断念。
 夜、『swan lake』公演チケットをSHより譲渡。
 水道橋の寿司屋:量平寿司で久々に夕食を。

 化粧品のCMが決まったというKMからのメールに労いの返信。
 電車の動いている時間に珍しく映画監督:寅より連絡があり、つたない英文でメール返信すれば、彼は約束通り駅改札に到着していた。
 英文、通じた通じた。

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 最近知ったB1の居酒屋で久々再会の寅と映画・音楽談義。
 この男、先日のザ・ポリスの楽屋へ潜入した模様で、アンディ・サマーズの生写真やら楽屋に無造作に置かれたストラトキャスターの写真を何枚も見せてくれた。
 なんでこのおれを呼ばねぇんだ! と嫉妬の意を伝えると、彼はBACK STAGE PASSを土産に差し出した。寅はアンディの娘と友達なのだそう。

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 4時過ぎ、寅の監督したドキュメント・フィルム『アラキメンタリー』を本人よりレンタルし帰宅。猛烈な睡魔に包まれながら半分ほど鑑賞した5時過ぎに就寝。

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2008年 02月 15日

マイ・ジェネレーション

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 午後8時、三軒茶屋へ。
 待ち合わせの居酒屋で音楽人:伊丹由宇兄と合流。
 伊丹兄を介し、なんと今日あの大物ロック・ミュージシャンをご紹介いただける機会を得たのだ。
 数分の遅れでロック・シンガー:甲斐よしひろ氏到着。
 
 おいらの世代だと甲斐バンドの洗礼はやはり1978年のヒット・シングル「HERO〜ヒーローになる時、それは今」が最初で、そこから遡り初めつつ1979年リリースのベスト盤『甲斐バンド・ストーリー』でスイッチが入った感じだ。
 続く1979年リリースのLP『マイ・ジェネレーション』がおいらにとってどれほど眩いアルバムだったか。
 同時期リリースの『ヘヴィ・ムーン/アン・ルイス』と併せて聴き込んだ数少ない邦楽アルバムの1枚がそれ。
 「三つ数えろ」のスリル、「100万$ナイト」の切なさ、「熱狂(ステージ)」の鼓動…
 曲の抑揚、メロディがこのバンドにしかない緊張感を感じさせてくれた。
 「翼あるもの」が「安奈」のカップリングで収録されたことによって、レコードとして欲しかった曲「翼あるもの」をようやく入手したのだが、簡単にLPを買えない世代のおいらたちはシングル・カットしてくれて助かった想い出がある。
 風のように登場されてからは、おいらにすればとても貴重な話の内容オンパレードで、会話の中で出た洋楽ミュージシャンの音源に関して、時にプロデューサー目線のような見解で教授してくださる甲斐さん。そしてあらゆる洋楽ミュージシャンの音源の話をふっても、きちんとその音源を聴き込んでおられることに驚いた。
 GSの話に関してだけはなかなかついてゆけないものの、おいらは甲斐バンドのカヴァーした「マドモアゼル・ブルース」が大好きだ。
 なんと氏に、2月20日リリースの、出来たてほやほやのカヴァー・アルバム第二弾「TEN STORIES」サンプル盤をいただいた。感激。

 中学生時代、DJ:甲斐よしひろによる、NHKサウンド・ストリート水曜日午後10時20分からの放送はとにかく勤勉に欠かさず聴き続けたものだった。
 ちなみに木金のDJ:渋谷陽一の放送も貴重な情報源として欠かせなかった。
 火曜日担当DJ:森永博志の放送でJL&C、ミカ・バンドを知り、DJ:渋谷陽一放送でツェッペリン他の洋楽ロックをこてんぱんに叩き込まれたのだ。

 今日の話題にも出たが、このラジオ番組で盛んにオン・エアーされていたバンド…例えば柳ジョージ&レイニー・ウッド、佐野元春、RCサクセション等は、甲斐さんによるラジオ配信の広報活動で火が点いた部分も大きかったのではないか。というのが個人的な見解だ。
 当のおいらがこのラジオで、彼らの音楽を知るきっかけとなったことは間違いない。
 
 それにしても今日は記念すべき嬉しい1日だ。
 おいらも、伊丹兄の書いてくださったライナー・ノーツが懐かしいファースト・アルバムを甲斐さんに贈呈。
 ジャケ写のアート・ワークは江口寿史兄。その起用に関して「職権乱用的!」と言う意味合いで、笑顔で突っ込んでくださった甲斐さんは昔も今も変わらずクールなロッカーだ。

 最高の焼酎に感激、伊丹兄&甲斐さん感謝!

投稿者 yonezawa : 02:51 | トラックバック(0)

2008年 02月 11日

井の頭公園/グラミー賞/クラウディア奇蹟の愛

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 今朝7時まで起きていた間、花粉症と同時に少し喉の違和感を感知。
 風邪の初期症状状を自覚。
 
 正午前に起きて午後の昼下がり、井の頭公園へ。
 近所に住むトラヴィス(寅)とYを誘ったら、寅が体調不良でダウンとのこと。残念。
 公演には大勢の人々が余暇を楽しんで来ている。日差しのよい気持ちいい日本晴れの陽気。

 ここではめったに食べないのだけれど、小腹の空き具合から「いせや」でつくねと焼き鳥を塩で1本ずつ立ち喰い。
 池に浮かぶスワンの数も相当なモノだった今日の井の頭公園。Rちゃんはたま〜に転けながらも、見渡す景色の雑踏を無心らしき表情で眺めていた。

 本日発表のあったグラミー賞で若手カントリー歌手:ブラッド・ペイズリーを初めて見たけどギター上手いな。
 新人:エイミー・ワインハウスが最多5部門を受賞。報道によれば、ドラッグ問題等々で度々騒動を起こしているという彼女。
 ロンドンとの中継映像でもその特異なキャラの一部をかいま見れたような印象。

 昨年、共にインタビューする機会を得たジョン・メイヤーとアリシア・キーズの競演がよかった。「レーベル間の契約だ何だという面倒くさい事は置いといて、とにかくセッションしようぜ」と語った2人のフレンドシップが思い出された。彼らは双方の最新アルバムに参加し合っている。
 同じく過去にインタビューしたネリー・ファータド、ファーギーもプレゼンター、パフォーマーで登場。

 ボストンのリードボーカル:ブラッド・デルプが昨年無くなっていたことは、今日のこのグラミーで知った。
 高校時代、ボストンのファースト、セカンドをどれほど聴き込んだことだろう。
 ボストンのギタリストだったバリー・グドローのソロ・アルバムまでも彼は歌っていたんじゃなかろうか。
 デルプはバンドの活動休止中にはBeatlejuiceなるザ・ビートルズのカバーバンドでプレイしていた。死因は一酸化炭素中毒による自殺であったことが警察から発表されたそうだ。
 享年55歳。合掌。

 以前、ブログにも書き記した書籍『クラウディア奇蹟の愛』を奈良の従兄弟:太に贈呈したところ、歓びのメールが届き嬉しかった。
 改めて概要を語ると、91年のソ連邦崩壊後も蜂谷弥三郎さんは恐怖心が先立ち、なかなか日本に連絡をとれなかった。だが、96年、51歳になった娘さんが訪ロし再会を果たした。
 日本で、独身を貫いた久子さんがご健在で、夫を待っていると知ったクラウディアさんが、最も強く弥三郎さんに帰国を勧めたそうだ。
 書籍の冒頭引用されているのが、弥三郎さんとの別れに際してクラウディアさんが書いた手紙の一部。
 後のテレビ映像で見た、半世紀ぶりに夫:弥三郎さんと再会した時の久子さんの可愛らしさといったらなかった。そして弥三郎さんの精悍なこと。
 久子さんは、持ち込まれた再婚の話などは全て断ってきたのだ。夫が生きているかさえどうかわからない51年もの間。
 51年…
 まだ、おいらではその時間を知りようのない長さだ。

 夫の絶ちがたい望郷への想い。
 途方もなく想像もつかない51年間の日々を待ち続けた妻の想い。
 夫を救った孤児の女性がもたらした果てしなく広大な懐。

 学ぶことは多すぎる。

 この書籍の存在を知った後、田舎のおふくろにも即読んでもらった。
 母方にあたるおいらの祖父も、終戦と同時にロシア兵によって満州から連行され、捕虜になった経緯もあるので、この話は他人事ではなかった。
 まかり間違えば同じ運命を辿っていた可能性もあった。

 報道で知ったのだが、残念なことに昨年07年5月に久子さんは逝去されたそうだ。
 すべての日本人も、すべてのロシア人も、心から彼女のご冥福をお祈りしなければならない。

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2008年 02月 1日

大家

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 酒豪でグルメで活字の大家で大金持ちでギター弾きで音楽史の達人で鮎川誠さん甲斐よしひろさんピーター・バラカンさん…他1200万人以上のVIP人脈の持ち主でブログが痛快でロック・ミュージックのどこの何の誰の話を投げかけてもおいらの数千倍の知識と情報と経験と非行歴があってロンドンではオイラの行う前日、ジェフ・ベックにインタビューしてピッグという非行バンドの連中を紹介してくれて飯を食おうぜという話になりじゃあ車に乗ってくれと言われロンドン郊外に連れ行かれてどんどん深い時間になり到着したら店なんかじゃなく人の家で恐ろしく空腹な状態なのにこれからピザの注文をするという連中に鉄拳を喰らわせてくれて東京ではホーム・パーティへお招きしてくれて大勢の真っ当な神経の持ち主の大物を矢継ぎ早に紹介してくれて高価なギターを数本所有していて生涯美味しいモノしか口にしたことがなくて全盛期のキャンディーズ:蘭ちゃんにインタビューし間近で太ももを観た生き証人であらゆるカルチャーに精通していてことごとく発言が的確明快でおいらの突然の電話を受けても快く鍋と焼酎に共にお付き合いしてくださる伊丹由宇兄、今宵は笑いました。貴重な時間を裂き、丸々4時間もロック話にお付き合いいただきまして大感謝。ああ〜楽しかったぁ。再来週辺りに続きを是非!

投稿者 yonezawa : 19:19 | トラックバック(0)

2008年 01月 2日

RESURRECTION

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 久々に茶の間という空間に座し、正月番組をザッピングしているがあまり興味深いモノがないので、年末撮り溜めた特番を鑑賞。
 昭和を振り返った昭和天皇崩御までのいきさつ、松下幸之助、中内正らの生涯の軌跡を辿る特番が興味深かった。
 やにわに年末購入したDVD『LIVE RARITIES/VAN HALEN』やら、年明けに入手予定のブート『RESURRECTION/THIN LIZZY』と、1979年前後の気分に浸る師走から新春。
 
 昔、たけしさんの発言にもあったレニー・ブルースの軌跡を知りたいと思いたち、ダスティン・ホフマン主演のDVDを探すがプレミアついて¥ 9,480〜もしやがる。
 実在した毒舌コメディアンの栄光と転落の人生を描くレニー・ブルースの物語はいかように描かれているのか。

 イースト:吉田宏兄のプロデュース深夜番組『たけしのコマネチ大学数学科』。
 第35回国際エミー賞にアジア代表としてノミネートされた放映の分を、遅ればせながら今日初めて観た。
 授賞式までのシーンが想像よりも克明に撮影されており実に興味深かった。永久保存版の内容だ。
 「仮にもし受賞しちゃったらこのスピーチを」と、事前にメモを用意していた吉田兄の緊張感に微笑しさを覚えた。
 結局、同番組はベスト4入りを果たすものの残念ながらグランプリとはならなかったが、スタジオで「何を言おうとしていたか、そのスピーチを読んでみろ」と言われた兄は流暢な英語でさらりとスピーチを終えた後、突然QUEENの『We Are The Champion』1フレーズをシャウト。
 照れながらも仕事を全うする兄の姿に感動を覚えたおいら。ロンドンでのLED ZEPPELIN以来の刺激を受けた新春の一コマだった。 
 きっとたけしさんも吉田兄が大好きに違いない。
 吉田兄、失速ライヴに殿を呼ぼうぜ! たまにはさ。
 それにしても受賞を逃した瞬間、号泣したスタッフの一人が印象的だったなぁ。おいらは1997年:ベネチア映画祭の感動をしんみりと思い出してしまった。

 午後から近所の八幡宮へ初詣。風が冷たかった。
 飛び込みで喰ったラーメンが酷くまずく愕然。大失敗の胃袋に遺憾。
 2日から営業してた楽器屋でVOXペダルワウを新調し、デパートでコートを購入。帰り間際に食材を仕入れ、なんとも正月らしい買い物を終え帰宅。

投稿者 yonezawa : 19:05 | トラックバック(0)

2007年 12月 24日

クリスマスイブ

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 クリスマスイブの昼下がり、パルコの本屋で『THE GUTAR MAN Super Deluve Edition[シンコー・ミュージック・ムック]』『Real Wine Guide 2008年 01月号』購入。
 先ちゃんの描く『Real Wine Guide〜』表紙の女のコのクオリティが、思わず素通り中のおいらを振り向かせた。
 ほんなこつ、こん人の描くおなごはいっつも美人で目立っとんしゃぁ。

 既存ギター雑誌も、よほど内容が好みでなければ買うことのない昨今。
 『THE GUTAR MAN〜』のカラーページをパラパラ捲れば、これまでのエディ・ヴァン・ヘイレンの使用ギター物撮りがガンガン掲載されているので衝動買いに走る。
 それらと同じギターが掲載されている本など何冊も持っているのに、欲しい欲しい病にすぐ罹るおいら。
 学生時代、いつもこういう買い方をしていたことを思い出した。
 十代の後半、音楽雑誌には毎月2000円以上も使っていた時代もあった。

 エディ・ヴァン・ヘイレンのギター・プレイほど心を高ぶらせてくれた物件はかつてなかった。
 ツェッペリンの新譜を待ちこがれて買ったのが『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』であるおいらの世代には、ジミヘンもジェフ・ベックも後追いだったので、目の前のトップ・プライオリティな存在は圧倒的にエディだった。
 どの世代にも、どのジャンルの者にも永遠にリスペクトされるエディがどれほど眩しい存在だったか。
 レス・ポール・ウィズ・フレンズのライヴ初っぱなに登場した、新婚当時のエディもよき映像だったし、ブライアンメイ&フレンズの「STAR FLEET」で共作したテーマ曲の気の利き方といい、カップリングされたブルース・トラックにフィーチャーされたギター・プレイの色気と言ったらなかった。

 テクニックは当たり前で、ギターのすべてが色気であることも、このエディ・ヴァン・ヘイレンから学んだのが、高校時代のおいらだった。

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投稿者 yonezawa : 21:30 | トラックバック(0)

2007年 12月 7日

Happy Birthday

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 Happy Birthday to you
 Happy Birthday to you
 Happy Birthday dear R chan & Miyamoto Emiri chan〜
( http://playlog.jp/emirimiyamoto/blog/ )
 Happy Birthday to you

投稿者 yonezawa : 20:26 | トラックバック(0)

2007年 12月 6日

生涯のコレクションは1000枚に限定

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 東銀座でRちゃん向けにピッタリの衣類を扱う店を発見し、悩みまくりながら数点の商品を購入。
 明日はRちゃん初めての誕生日!

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 JCDX『瑠璃の方船』コミックス入稿も佳境となり、本日最後のデータを入稿する運びに。
 FUJI ROCKの打ち上げを、この師走に近づいた本日まで引っ張っていた。
 W社:Yちゃん、新社屋移転直前の映像人間:Tちゃんとシンプルに鉄板焼き乾杯。
 彼らの知るロック(に限らずとも)界隈の知識、情報のスキルはオイラの比ではない。
 30年前のバンドの名前からアイドルグループまで、話が縦横無尽に飛び交う極めつけの席。なんでもよぅ知ってるよ、この2人。
 トライアンフ、フォガット、ジョニー・ウィンターの話題に笑い、ガバメント・ミュール、モビー・グレイプをご教授。
 果てしなく貴重だったAC/DCの来日公演にこの3人、揃いも揃って諸事情で未完戦。なんたる不覚な3人だと笑った。
 知る機会もそうそうなかろう、音楽業界の裏話にもずいぶん笑ったなぁ。

 彼らの所有する枚数には及ばないものの、おいらにしろ数千枚に及ぶ膨大なるCDのコレクションとなってしまってるが、この際贅肉を切り捨て、「生涯のコレクションは1000枚に限定してしまいたい!」と漏らしたおいらの意見にご両人も大賛同。

 濃度の高い熱烈な音楽話だけで夜が更けていった。
 

投稿者 yonezawa : 20:23 | トラックバック(0)

2007年 12月 1日

同時多発忘年会

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 デレクトラックス・バンドの追加公演観戦を諦め、夕方、新宿へ。
 K、I、お初のAやん、Mちゃんらの計5名で玖珠町同窓忘年会の席へ。
 
 中学時代、たった2年間しかあの地にいなかったせいもあり、小学生時代からの仲間だというAやん(おいらが転入した頃には彼はどこかへ転校)とおいらは同窓会ながら初対面。
 今年になって数回の飯会を行う面子となっているK、I、Mちゃんと激美味の鍋で身体を温めた。
 この会は、大分支部、玖珠本部、福岡支部、そして東京支部(他にもあったのかも)で一斉に行われているようで、“同時多発忘年会”となっていた。
 想像通り、盛り上がり必至の席で懐かしい話に、くだらない話に、政治経済の話(?)まで、組み合わせの面子でどこまでも果てしなく脱線する会話が尽きない。

 鍋を完食し、エスパで乾杯。
 場をAやんの宿泊先ラウンジへ移し、再び居酒屋乾杯。
 体力と飲みスキルさえあれば延々行っていたい飲み会の一つであった。皆様方、本日もご苦労さまでした。

投稿者 yonezawa : 23:30 | トラックバック(0)

2007年 11月 28日

単独インタビュー〜43歳

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 都内某ホテル。デレク・トラックスへの単独インタビューの機会を得た。
 本人は優しいナイスガイで中身もプレイも一流だった。

 インタビュー中には何度も驚かされた。
 ライヴで、メイン・ギターSGにかましているのは別バイパスのチューナーだけ。つまりヴォリュームと指だけのニュアンスだけで、すべての表現が出来る強者だ。エフェクターは勿論一切の使用がない。
 9歳から指弾きオンリーで、当時の海賊ビデオもブートで存在するらいしが、現レコード会社の担当者によれば、今とほとんど同じプレイだと聴いて驚いた。

 まったく、SGもクールなギターだ。

 メインのSGは61年のリイシューモデルの新品で、単なるローコストのギターとのこと。これも凄い。
 ライヴ中、座って弾いてたビザール・ギターはカワイ製で、ドブロ、ゴールドのレスポールらは、すべてコレクターとかオールドショップが強引に貸してきたレンタルギターだと言っていた。何てヤツなんじゃ! アンプのヘッドとSG1本だけが自前とのことだ。

 デレクの新鮮な刺激を受けながら取材完遂。おいらにすれば珍しく記念写真をお願いしてしまった。
 ホテルを後にし、新年早々発売するコミックス原稿入稿の準備のため、即帰社。


 40歳の誕生日は函館だった。本日、この世に生を受け、43年の時間が経過。
 
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 今年1年間、様々な仕事を共にし、そして本年度最後のインタビューとなったデレク・トラックス取材も彼ら界隈との共同作業によるもの。
 ソニー・ミュージックの奇特な有志らがおいらの誕生日を高級シャンパンで祝ってくれたのだ。
 晋平、エンノリちゃん、やないちゃん、ありがとね。嬉しかったよ! 大感謝。

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投稿者 yonezawa : 11:58 | トラックバック(0)

2007年 11月 26日

安堵の息〜デレク・トラックス・バンド

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 午前2時前に就寝。午前8時前には食卓での話し声で目覚めた。

 わずかの帰省の時間のタイムリミット到来。
 毎度毎度、とりたてて何もしない緩やかな時間が過ぎ去ってゆくものの、一見平坦なこれらの時間がおいらには大切でたまらない。
 母親のパソコンの交換及び環境設定は、ソフト提供者の強力あってなんとか再構築が完了。
 ともかくホッと安堵の息をついた。

 8月9日以来、およそ3ヶ月半の長き間、クラッシュした母パソコン再構築の機会が今回まで得られず、やきもきしていた。
 交換機種は、おいらのバックアップ用にと予備でストックしていたiBOOK-OS9.2.2という、もはや古いOSながら、これで日常のおふくろとパソコンを介し会話できるかと思うと嬉しい限り。

 夕方着の便で羽田到着。帰途の便も15分ほど到着が遅れた模様。
 高速バスで編集部を目指す。ところがいきなり湾岸線がタクシーの故障とかで、激昂糞渋滞に怒り心頭。
 一旦、編集部で一仕事を終えた後、取材先の恵比寿へ向かう予定が大幅に狂った。
 結局大きな荷物を抱えたまま、直で恵比寿リキッドルーム:デレク・トラックス・バンド来日公演へ。荷物は恵比寿の映画配給会社:クロックワークスの有志に一旦預かってもらう。

 現地で漫画家:高橋ツトムと合流。アンコールを含む2時間のスライド満載大満足なステージングを凝視。
 デレク、タイム感素晴らしすぎ。ギター、異様に上手めぇ。
 リポートは今後に続く…。

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投稿者 yonezawa : 23:16 | トラックバック(0)

2007年 11月 24日

破壊力

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 午前中、高速を疾走。母と薩摩川内市へ。
 目的地に1時間前に到着したので、DEODEO小村電機に立ち寄る。
 突然の訪問を快く迎えてくれた小村&奥様と数分近況を語り合い、川内駅へ。
 午後2時前に到着のK&Rちゃんをピック・アップ後、レストランで昼食をいただき帰途に。
 
 本日より実家参戦のRちゃん。
 家屋内の空気は、突然現れた“太陽”の出現により一気に華やかで賑やかに。
 たった1人の人間が発する究極の破壊力をしみじみと感じる。

 カナダはバンクーバーより届けられた豪快な生きたロブスターを爆食。

投稿者 yonezawa : 23:16 | トラックバック(0)

2007年 11月 10日

お茶会

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 天気さえよかったら公園経由〜動物園コースを予定していたのに、今日はまったく残念。
 昨夜からの雨は続いたままだ。
 やむなく駅ビルでS、Y&T、Y、N、T諸氏と合流。Rちゃんと共に初のお茶会を。
 お茶会て人生初かも。
 11月もそろそろ中盤にさしかかる時期、ぼちぼち忘年会の話題も出始める頃合い。
 温かい空間はおよそ2時間30分。
 飲まなかった嬉しき親睦会の席を後にし駅ビル内で弁当を購入。こうした食材の賑やかなフロアで弁当を物色するのは嫌いでなし。
 チキン南蛮メインの弁当、さらに別店舗で140g分のサラダ購入。
 めっきり日の落ちるのも早くなったものだ。天気の悪さも手伝い、帰宅したばかりの部屋は真っ暗。久々に、目の前の雑務をこなす時間が心地よいものだった。
 
 今日で親父が亡くなり満5年が経過。

 「楽天」で今シーズン一番売れたと言う、ネット注文したみかんが到着。

投稿者 yonezawa : 17:31 | トラックバック(0)

2007年 11月 2日

MAGIC

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 結局、睡眠時間が少ないんだろう。
 わずか30分程度の電車中でも、原稿リライト中の今でも、恐ろしいほどの睡魔に襲われ5分程度オチかける。
 ネット・サーフィン…漫画家:南Q太による、web不定期エッセイがなんとも言えないノスタルジックな気持ちにさせる。
 Q太は正直で文章も巧いなぁ。得てして漫画家には文章も巧い人が多い。

 ブルース・スプリングスティーンの新作『MAGIC』はどっしりと安定感のある傑作だ。
 長きにわたりスキルをキープし続け演奏し続けるということの偉大さを、ボブ・ディラン同様感じさせてくれるミュージシャンの一人。
 今この歳になって、彼の音楽がより自然に受け入れられる実感を抱いた。『USA for AFRICA』におけるスプリングスティーンのコメントほどカッコよいものはなかったなぁ。
 イーグルスも新作を出すし、大御所と呼ばれる面々も若いバンドのように転がり続けている。

 今日は先ちゃんらのDJイベント日。そろそろおおひなたごうちゃんがお皿回す時間だ。

投稿者 yonezawa : 09:52 | トラックバック(0)

2007年 10月 29日

証人喚問

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 衛星放送でレッドソックス優勝の瞬間に、NHKでは守屋前防衛次官の証人喚問が開始。

 「山田洋行」の元専務からゴルフ接待を受けていた守屋氏と妻は、ゴルフバッグに偽名の名札をつけていたこと。
 そしてその接待は自衛隊倫理規程に違反することを認識していたこと。接待はこれまでの報道にあった100回程度ではなく、200回以上にも及んだと語った。
 こうした証人喚問のシーンを見たのは、あの耐震強度偽装事件の時期、一世を風靡(?)したマンション販売会社「ヒューザー」小嶋進(元)社長以来。

 守屋前防衛次官は、この接待ゴルフに纏わる取材を受けていた際にもゴルフバッグを持っていたのが印象的だった。

 それにしても松坂大輔、岡島秀樹、そして松井稼頭央はかっこいいなぁ。

投稿者 yonezawa : 23:43 | トラックバック(0)

2007年 10月 28日

記録

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 ここ最近、連日テレビに登場する協栄ジムの金平会長が以前よりも極端に痩せた。
 大毅選手練習再開時の、謝罪会見まで結局あの騒動は続く予感。
 亀田兄弟につくことになる、協栄ジムの新たなトレーナーもワイドショーは追いかけるのだろうか。

 先だって「いつまでもデブと思うなよ」を出版した岡田斗司夫の豹変ぶりにはにわかに驚かされた。
 『レコーディング・ダイエット』と称する方法で減量に成功したそうだが、関連サイトによれば、「毎回の食事の中で、どれだけのカロリーの物をどれだけ食べたかを逐一記録し、自分の一日の総摂取カロリー量を確認する」という簡単なものだが、この行為を反復することにより『無意識に摂っていた間食などの食材』を自覚し、肥満に繋がる食生活のパターンを戒める意識が自分の中に根付く」…というもの。
 以前おいらも仰天日記の下書きには、日々食べた飯を書き記していた。
 だが、その日その場、あるいはせめて翌日頃までに書き記すか、あるいは外食で誰とどこで食べたという場合でないと、2,3日も経過してしまったらほとんど思い出せない。
 家で食べた3日前の食事なんか、まず正確には思い出せない。

昼:トマトソースの海の幸パスタ、サニレタス&トマトサラダ
夜:きんぴらごぼう、グリーンサラダ、味噌漬けの豚そてい、梅干し

投稿者 yonezawa : 16:57 | トラックバック(0)

2007年 10月 24日

乾杯

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 お誘いいただいていた、新宿モリエールでのJAZZライヴには諸事情あって残念ながら間に合わなかったが、漫画家:T氏との会食にはギリで間に合った。
 終電近くまでの時間近況を伺い、編集:K氏&Yと再び軽く乾杯。
 
 深夜「闇太郎」で酒盛り中の、エグチン、タムタム、タヒチン、テンホーちゃんらと合流。
 いつもの豪華で賑やかなメンバーで、いつもの贅沢な夜が更けてゆく。

投稿者 yonezawa : 00:58 | トラックバック(0)

2007年 10月 21日

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 6時30分起床。7時30分、浦安方面へ。
 スーパーサラリーマン:H家族と合流し、初の親睦会を。
 Hとは、通算27年ぐらいの歴史を数えていた。
 奴とはお互いの環境が変化しながらも、折に触れて時間を共有してきたが、よくよく考えてみればこの男とかつて一度も喧嘩をしたことがない。
 そうした幼なじみとも言える中・高生時代からの仲間も大勢いるが、Hの場合は持ち合わせた度量の大きさ、あるいは太さがおいらとは違うような感覚だ。
 仮に、おいらがいくら暴言を吐こうが暴れようが、Hの有する人としての度量というか深みは、端っからおいらの段ではなく余裕綽々なのだ。
 基本的にこうした感性とか度量の質量は努力しようとも、生涯変わることがなかろうと思う。つまりレベルが違うのだ。

 24年前、Hがおいらに配慮してくれた、とある心遣いは、Hの宝であるKちゃん、Sちゃんが成人した頃、一杯やりながら彼女たちに告白してみたいと思う。
 その時の証拠は、今でも大切に保管してあるのだ。
 そうしたささやかな夢を一人想いながら、共に過ごした楽しき一日を回想しつつ、夕食となった行きつけの店で極上パスタを食した。
 みなさん、ご苦労さんでした。

 結論、おいらは生涯、Hには勝てない。Hと知り合えた奇跡に今日も感謝。

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投稿者 yonezawa : 03:41 | トラックバック(0)

2007年 10月 16日

上層階

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 午後10時30分、原稿を受け取り深夜入稿。
 小腹の空いた深夜、新宿方面へ知人に連れられ、初めて訪れたバー2軒。
 住居メインの古いマンション内にある某店。思いも寄らぬ建物の中にいくつもの店舗がひしめきあっており、ビックリ。
 ゲイバーの入る店舗の上層階には普通に一般家族の世帯も多数あるそうだ。
 銀座で、めでたく新規リニューアル・オープンした店のトップとなったS、おめでと。

投稿者 yonezawa : 19:20 | トラックバック(0)

2007年 10月 10日

ようやく

 将来有望なる編集者:Tを引き連れ深夜の新宿探訪。
 ところがそのTが、編集者から足を洗う可能性があると言うではないか!
 一大事に渾身の気持ちを込め、数軒の梯子酒。結論はいかに?

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 ようやく、トライアンフ『ジャスト・ア・ゲーム』入手。
 小村、聴きたいだろう!?

投稿者 yonezawa : 13:52 | トラックバック(0)

2007年 10月 3日

午前1時

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 取材用に書き留めておいたパソコン内の書類ファイルがなぜか消失。
 1時間かけてセーブしたハズの原稿が、エイリアスのようなフォルダしか検索に引っかからず諦めた。
 何か掘り出す手段もあるのかもしれないが、おいらのスキルでは無理。

 インターネットで写真を簡単に注文できるソフトをインストール。
 この辺りの情報はカメラマンがよく知っているので細かいアドバイスが的確だ。しかもこのサイト、L版が安い。
 写真の仕上がりも、良質の会社とそうでない会社があるようなので、30〜40年後まで残す気のある写真は、安易なインクジェット印刷ではどうにも不安だ。
 夏に帰省した折に撮った写真90枚弱を、今の時期になってようやくネット注文。
 
 増刊原稿を深夜拝受、入稿。
 喰いそびれた遅めの夕食は夕飯午前1時を回った頃。
 つきあってくれたSと映画、カルチャーの話をすごい勢いで思いつくまま語りつつ、やがてカベルネは2本目に。
 新しい映画は頑張ってでも随時見続けねばなぁ…。よい音楽と、よい映画の語り合いは酒の肴に最適なのである。
 そしてよいワイン(酒)は本当に翌日残らないものだ。

投稿者 yonezawa : 22:03 | トラックバック(0)

2007年 10月 2日

宮本笑里

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 ヴァイオリニスト:宮本笑里が熱かった──
 この日を待ちこがれていたのだ。
 クラシック音楽の聖地:サントリーホールで行われた『宮本笑里 デビュー・リサイタル』へ。
 400席のキャパは満席。
 最初の一音が出るまでは、どういうわけだか椅子に座っているこちら側が妙な緊張感を覚えながらも、グラデーションを引くような絶妙の間で旋律が聴こえ始めると、そこからはもう宮本笑里独壇場の優雅なる世界観。

 冒頭、『スラヴ幻想曲』は彼女のCDで覚えた曲だった。
 ラフマニノフもカッチーニも、鍛錬を積み重ねた者だけが成せる幻想的な曲としてホールに神々しく響き渡っていた。
 初々しいMCはむしろ好感があり、客席には宮本笑里を包み込むような、一種の愛情のような空気が溢れており、彼女の一言一言を見守る観衆の温かさ。
 その反応も、ある種の初々しさを感じさせるのだった。

 すべての曲目が正確には把握できてはいないものの、聴き覚えのある超絶技巧を要する連符の嵐を弾きこなす彼女。その圧倒的技量に酔いしれた。
 ヴァイオリニスト:奥村愛のCDで知った『愛のあいさつ』も実に優雅だ。ピアニスト:鈴木慎崇とのアンサンブルも美しい。
 細かい音符のタイミングがよくもズレないものだと関心させられた。

 天性の品を併せ持つ彼女の放つ空気は繊細でありながらも、演奏時には大きく迫力を増す。あの細い腕からよくもこんな技巧、パワー、パッションが湧き出てくるものだと舌を巻いたほどだ。
 「緊張しすぎて大変です!」と屈託のない笑顔で答える彼女は、本番の演奏シーンにはその緊張感が圧倒的にプラスに働くようだ。
 クラシックに関して、スキル0に等しいおいらのような者にはノーミスに感じさせたリサイタルは、極めて100点満点に近い高得点で幕を閉じた。
 威風堂々とし、初めてのソロ・リサイタルを大成功に導いた彼女には温かい拍手を捧げたい。

 今後、勝手な意見だが、個人的には様々なコラボレーション(作品集)を聴いてみたいところ。(レーベルの枠は無視)

●宮本笑里×ジェイク・シマブクロ
●宮本笑里×木村大
●宮本笑里×中村蕗子(ex:core of soul)
●宮本笑里×レ・フレール
●宮本笑里×村治佳織
●宮本笑里×松下奈緒
●宮本笑里×上原ひとみ
●宮本笑里×Don Ross
●宮本笑里×Delta Lea Goodrem
●宮本笑里×Raul Midón        …等々。

 笑里ちゃん、関係者各位の皆様方、打ち上げまでご苦労様でした!

投稿者 yonezawa : 13:51 | トラックバック(0)

2007年 09月 28日

篠﨑誠

 早朝6時30分、原稿脱稿。
 朝の編集部はフロア内を清掃される方々の姿しかなく、作業はスムーズ。
 貫徹必至、最速のスピードで入稿作業に没頭。
 昼12時40分過ぎ印刷所に入稿後、座ったままデスクで15分オチる。

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 夜、約束より2時間ほどずれ込みながら、映画監督:篠﨑誠と合流。
 彼ともこの数年間の間、「会おう会おう」の繰り返しで再会を先送りにしていた。
 先日、共通の友人の葬儀の席で再会したものの、この2ヶ月前後の間もお互いの都合がまったくかみ合わずいた。
 10月より公開される彼監督作のタイミングと、それに絡むたまたま今日おいらの居る編集部近くでのイベントという流れだったので再会が実現したのだった。
 しかし、この男との酒は久々なのにまるっきりそんな感覚がしない。

 お腹いっぱいの食事を終え、量平寿司のお気遣いに今日も感謝。
 話のたっぷり出来る新宿のロックバーで時間の許す限り、誠ちゃんが眠気に襲われるまで語り尽くした。
 が、当然、まだまだたった一夜なんかでは語り尽くせない。
 出会ってから10年近い時間が経過し、かつ度重なるブランクは果てしなく長い時間が積み重なっているはずなのに、取材で出会った彼の日の清々しい空気、腹を抱えて笑った共通のエピソードを語る瞬間は瞬時にあの場面を想像させた。
 同じ映画の撮影景色を共に眺めたあの時。
 共にスイスの映画祭へ乗り込み、のちに彼の妻となった女性と彼との写真を、カメラマンと化したオイラがアルバム数冊分撮りまくった、あの日の想い出は永遠也。

 映画監督の肩書きとは別に、篠﨑誠は立教大学 現代身体学科:教授のとんでもない肩書きも併せ持つ才人。
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/gendaishinri/prof/prof_shinozaki.html

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2007年 09月 27日

北村龍平

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 手斧で首を切り、警官の父殺害。ミャンマー治安部隊、無差別に発砲。日本人含む9人死亡。時津風親方…。

 物騒な事件が相次ぐ昨今、北村龍平監督によるハリウッド作品第一弾予告編を発見。原作は、クライヴ・バーカー「Midnight Meat Train」。
http://media.movies.ign.com/media/953/953258/vid_2139950.html
(CM後に予告編が開始)
 予告編の映像だけでも圧倒的。有言実行の龍平はさすがだ。

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2007年 09月 25日

0093女王陛下の草刈正雄

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 連休明けのデスク上はおびただしい郵便物で占拠。
 山を切り崩すように1個1個サバきつつ、まずはコミックスの最終青焼きチェック。
 夕方の原稿が予測よりも2時間45分押しながらも無事アップ。
 ところが、完全に原稿がバッティングしてしまったため、やむなく試写会を断念。
 誠ちゃん、『0093女王陛下の草刈正雄(篠崎誠監督作)』舞台挨拶つき完成披露試写会にたどり着けず、ごめんよー!

■篠崎誠 プロフィール
1963年生まれ。立教大学・心理学科卒。卒業後、映画ライターとして活動。「キネマ旬報」「月刊東京人」などで連載をもつ。北野武、クエンティン・タランティーノなど国内外の映画人ロング・インタビューを行う。96年公開の『おかえり』で商業映画監督デビュー。ベルリン映画祭最優秀新人監督賞はじめ、海外で11の映画賞を受賞。一昨年より、自らの企画で、ショート・ムービーオムニバス『刑事まつり』を始動。青山真治(『ユリイカ』)、黒沢清(『アカルイミライ』)、是枝裕和(『誰も知らない』)、塩田明彦(『黄泉がえり』)らが参加、現在までにシリーズ7作、59本の短編を企画・プロデュース。BS-iの依頼を受け、「スパイ道」なる5分の短編ドラマを企画プロデュース。その他の主な監督作として北野武監督を追ったドキュメンタリー「ジャムセッション『菊次郎の夏』公式海賊版」、「忘れられぬ人々」、「犬と歩けば~チロリとタムラ~」など。著作「恐怖の映画史」(青土社2004年黒沢清との共著)がある。

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2007年 09月 23日

丸長

 晩飯は久々の丸長だろうと荻窪へ。
 隣接のパーキングも、近場のパーキングも満車で駐められないと思いきや、タイミングよく1台出車してくれた。
 以前、車が駐められずに断念せざるをえなかった事もあったので安堵。
 1組のお客が出たタイミングで店内に入ると「あれ? 米澤さん?」と後方から声が。
 振り返ればデザイナー:小林と奥様が。
 奇遇にも丸長ファンの小林と遭遇。
 4人掛けの席に移り、小林が食すスタミナ・ラーメンの姿を初めて見る。
 つけそばを頼まない小林はもの凄く珍しい。
 なかなか目出度い話に花が咲き、わずかばかりの夕食のひとときが賑やかになった。
 彼らとはそのうち一杯行こう! と考えていたのだが、あるHappyな理由によってその宴はしばらく先送りになりそうだ。
 でも、よかったよかった。

 あ! 後、丸長、営業時間が30分短縮されているので要注意。

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▲生後4ヶ月頃(?)の頃のオイラで大変失礼。

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2007年 09月 21日

Beautiful Liar〜華麗なる反撃

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 3名の仲間と焼き鳥屋か居酒屋のような場所で一杯。従業員はビヨンセとシャキーラ。支払金額8万円。
 精算を終えた直後に「8万円痛ぇなぁ〜」と思いながらこの奇妙な夢から目覚めた。
 「Beautiful Liar〜華麗なる反撃」
 http://jp.youtube.com/watch?v=Krhl2o_uwdc

 Hと待ち合わせ、初めてがっぷり語りあう機会を得た。
 Hは押し迫る舞台の本番に備え、肉体的にも精神的にも節制を心がけている日常のはず。
 しかし、そうした重い苦労は微塵も感じさせないHの屈託のない笑顔が、心地よい空間を演出してくれた。Hよ感謝!
 地元方面へ引き上げ、いつもの寅&Yと合流。よく飲んでよく語ってよく笑った夜更けだ。

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2007年 09月 14日

MITSUBISHI JISHO CLASSY CAFE

 丸ビル1Fのカフェで行われたJ-WAVE『MITSUBISHI JISHO CLASSY CAFE』の公開録音へ。
 http://www.j-wave.co.jp/original/classycafe/
 この村治佳織さんの番組には作家の石田衣良さん、宮本笑里ちゃんらがゲスト出演。
 目の前に陣取った観衆の前で、実にそつなく自然体のスタンスでさらりと演奏される村治さんのパフォーマンスが優雅で心地よかった。
 デビュー・アルバム「エスプレシーヴォ」に収録されているナポレオン・コストの曲『秋の木の葉』は可愛らしく優雅。
 渡辺香津美のアレンジだと言う喜納昌吉作品「花」の演奏は美しさが際だつ。

 以前にも増して、力強さと表現力の幅を感じさせた素晴らしい演奏を聴かせてくれた宮本笑里ちゃんも圧巻。10月2日に行われるソロ・リサイタルも楽しみ。
 収録中、石田さんも言っておられたが、目の前に陣取った客の目前で、紹介された端から即演奏すると言う、演者にとっては最もやりにくかろう環境で涼しく演奏される二人のスキルには脱帽だ。
 村治さんと石田さんによるフリー・トークの軽妙な空間も圧巻であり、飾り気のない2人の人柄を表すような、なんとも言えないアットホームな時間が緩やかに流れていった。

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 夜、YJ藤原と待ち合わせ、馬肉専門店で飯。壮絶に愉快な時間が朝まで続く。
 おいらが手がけるライナーノーツの最終チェックは、必ずこの藤原の最終検閲を通過し納品している。

投稿者 yonezawa : 18:26 | トラックバック(0)

2007年 09月 13日

アリシア・キーズ

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 昨日、試聴会&ショーケース・ライヴに引き続き、昼間都内某所でのアリシア・キーズ単独取材へ赴いた。
 充分な時間、単独インタビューの機会を得、これほど一点の曇りもないミュージシャンも、なかなかいなかろうと思わせた彼女の純粋なポジティヴさは素晴らしかった。

 21歳にしてグラミー賞5部門を受賞。
 きっと10年後、20年後には益々スティーヴィー・ワンダーと同じような存在に君臨しているであろうアリシア・キーズ。
 彼女の持つパワーとスキルは、そう確信させるのだった。
 ホンモノのシンガーとはかくあるべき。おいらも計り知れないパワーを与えていただいた最上級の取材空間となった。

 帰社。夕方、紀尾井ホールでのジェイク・シマブクロのライヴへ。
 誰でも知っている日本の曲をジェイクのアレンジよるインストで演奏される趣向のライヴ。得も言われぬノスタルジックな空間だ。
 控え室で再会を果たした際、ジェイクに伺えば、バンド・リハーサルは1日だけだったとか。この男の持つプロフェッショナルな姿勢はいつもいつも脱帽モノ。
 ジェイクには今月中に最低もう一回は再会の予定。

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1 サボテンの花/チューリップ
2 時の過ぎゆくままに/沢田研二
3 卒業写真/荒井由実
4 秋桜/山口百恵
5 オリビアを聴きながら/杏里
6 さよなら/オフコース
7 戦争を知らない子供たち(with vocal:ブルース)/ジローズ
8 夢の中へ(with vocal:ブルース)/井上陽水
9 ふるさと jklubリクエスト
10 見上げてごらん夜の星を/坂本九
11 スウィート・メモリーズ/松田聖子
12 I Love You/尾崎豊
13 ロビンソン/スピッツ
14 First Love/宇多田ヒカル
15 雪の華/中島美嘉

encore
16 一期一会(オリジナル新曲)

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2007年 09月 12日

村治佳織 アリシア・キーズ

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 今日のこの日を、どれほど待ちわびたことだろう。
 2000年、ビクターエンタテインメントで一時期レーベル・メイトでもあった、日本が世界に誇るクラシック・ギタリスト:村治佳織さん単独取材の日がやってきた。

 彼女のデビュー・アルバムから拝聴していたおいらは、同じレーベルでCDをリリース出来たことが実に光栄だったが、2003年11月、日本人としては初の、英国の名門クラシックレーベルDECCAとインターナショナル専属契約を結んだことは記憶に新しい。

 「職業:ギタリスト」これほどカッコイイ肩書きがあろうか。
 クラシック界としては破格のレコード・セールスをキープしながら、自身のスキルも末広がりにアップさせてきた村治佳織の存在は、一ギター弾きとしても神々しさを感じてきた。
 初対面の空間ながら、とても気さくにインタビューに答えてくださった彼女の醸し出す空気は品格の塊であり、数知れない海外での経験によって培われたのであろう人としての“艶”を感じさせた。

 ミュージシャンとしてはこれ以上ないと思わせるスキルの向上、勝ち得た環境は羨ましい程だが、勿論彼女自身の努力、鍛錬あっての今なのだろうということが、凜とした彼女の瞳から伺いしれた。
 10月17日に新作「VIVA! RODRIGO」をリリース予定。クラシック・ギタリスト:村治佳織は、今も昔も超一流だ。

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 夕方、恵比寿リキッド・ルームへ移動。
 11月発売予定、アリシア・キーズの新作「AS I AM」試聴会へ。2Fフロアで7曲の新曲を先行して聴く機会を得た。そして彼女自身のパフォーマンスによる数曲の演奏と、Q&Aのため、1Fフロアへ移動。中からはBGMでピアノの音が…
 アリシア本人によるピアノ生演奏が、ステージからのBGMとなって奏でられていた。

 なんたる演出。

 マスコミ関係者が着席するまで彼女は10分程度の即興のような演奏で我々を向かい入れてくれたのだった。
 わずか3m程度の目の前で、数曲、彼女の生演奏、歌声を聴けた今日の瞬間も生涯忘れられない体験となるであろう。
 歌はこれほどまでに上達するものなのかと、世界トップクラスの歌声を贅沢にも堪能させていただいた。感激。

 昼間、感涙の村治佳織さん遭遇、そしてアリシア・キーズのショーケース・ライヴ。人生における指折りに究極の1日となったことは言わずもがなだ。

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2007年 09月 9日

えん罪

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 ドキュメント番組を観戦。
「富山県で起こった強姦事件の犯人が、別件逮捕の際発覚し、誤認逮捕された男性は仮出獄後に真犯人が判明したとして、検察官が再審請求をおこなうという異例の事態となった」
 裁判所の間違った有罪判決によって、犯人ではなかった人が2年あまりの服役。刑期を終えた後、真犯人が捕まったというのだ。
 さらに追い打ちをかけるように、彼の服役中、お父さんは他界されたのだという。なんと言う悲惨な事件なのだろう。

 こうした相次ぐえん罪の特徴は、いずれもウソの自白を警察が強制的に取り、誤判を引き起こさせている。
 警察は、誰が聞いても証拠不十分である人間を、なぜ強引に犯人にしたてあげたがるのかが判らない。そして裁判所は一体何をする場所なのだ。
 この問題、調べれば調べる程、煮えくりかえる一方。

 今年2月には、2003年の鹿児島県議選において公選法違反で起訴された被告12人全員に無罪判決が出ている。
 無罪判決は被告の県議のアリバイを認め、買収会合自体がなかったとしている。
 存在しなかった事件を警察がでっちあげたわけだ。つまり、6人の被告は人権を無視した取調べによってウソの自白を強いられていたことを意味する。
 何を言っても信じてくれない延々続く警察の取り調べを苦に、自殺未遂までした方もいたそうだ。

 これら相次ぐえん罪事件から教訓にしなければならないのは、まず、警察・検察の取調べの録音・録画をはじめとする捜査の可視化をすみやかに実施することだ。
 裁判所は自白の厳密なチェックをおこなう必要があるということだ。

 富山県の事件では新犯人が別件で逮捕された時に、発覚したケースなので、見つかった方が奇跡的だったと言えるだろう。えん罪の被害者として、そのまま泣き寝入りした人も、もしかしたら大勢いるのだろうか。
 恐ろしい問題だ。

 捜査の可視化は当然。個人的には裁判の放映も是非とも実現させてほしい。

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2007年 09月 5日

B社:Hさん

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 台風の影響か、外は雨模様で蒸し蒸し。
 来週の取材打ち合わせを終えた後、B社:Hさんと初飯。
 顔色変えずに淡々と焼酎をお代わりするHさんの醸し出す空気は、仕事のリズム同様端的でよどみがない。
 玄界灘で獲れた『魚彩』の魚を、ほどよいペースでいただく和やかなひととき。奇遇にもバスケット経験者というHさんの意外な一面を知り、思わず中学時代の野外コートを思い出す。
 おいらは中学時代のユニフォーム一式を、未だに保管してあるのだ。
 Hさんの段取ってくれた13日のインタビュー取材は今から相当楽しみ。
 帰社後、結局入稿が深夜までの作業となり、遅れて帰社してきたYJ藤原に「随分疲れてますねぇ」と、疲労困憊の見たままを指摘される。

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 http://www.aliciakeys.com/ 

投稿者 yonezawa : 23:36 | トラックバック(0)

2007年 08月 31日

森の同窓会

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 「森の同窓会」サイトを見逃していたため、今日ふいにMちゃん上京のニュースを聞かされた。
 複数の心ある仕事仲間の配慮により、打ち合わせ日程を即座に移動。みなさんに感謝。
 新橋駅近く、中央通り沿い。Sのいる店:てしごとや http://www.jproject.jp/ に、玖珠町にゆかりにある有志6名集結。
 なんとも言えない感慨深い面子で交わす酒の愉快さに、今宵も芯の芯まで酔う夜更け。
 各々人生の山も谷も超え、一息ついた頃の仲間との再会は本当に飽きの来ない語り合いの空間だ。
 結構な時間まで銀座界隈を徘徊し、最終的にMちゃんを滞在先の家屋へ送り届けるのだが、彼女の頼もしいほどの方向音痴ぶりには笑った笑った。
 心の優しい人は、表情に表れるもの。
 帰途につく車中、早々と彼らとの次回の再会を想像してしまうのだった。

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2007年 08月 28日

三浦友理枝

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 天は彼女に二物も三物も与えてしまった。
 その技量、可能性、知性、それに加えて容姿の品位は突出している。
 イギリスを拠点に、国内外の音楽活動を続けるピアニスト:三浦友理枝インタビュー取材の機会に恵まれた。

 地図を片手に指定された都内某所のビルへ到着。
 ドアのなかった場所からウエイティング・ルームのような部屋へ入れば、メイク中の彼女の真裏側から進入してしまった。

 1stアルバムのジャケ写を彷彿とさせる、まるでティーンエイジャーのような美人ピアニスト:三浦友理枝さんをご紹介いただいた。
 ピアノの置かれた広いスタジオでのフォト・セッション。
 セッティングの狭間を利用し、伺いたかったバイオグラフィー、彼女のひととなりに関する質疑応答に数十分。
 通常の海外ロック・ミュージシャン取材とは趣向を変え、今年の夏を境に様々なクラシックを中心とした音楽家の取材を行ってきた。
 それら取材対象者全員に共通するのが、この場所まで辿り着いたそれまでの苦労を何も感じさせないこと。

 彼女も例外ではなかった。

 若き年齢のうちに故郷:日本を遠く離れ、異国の地にたった一人で移り住み、言語の違うクラシックの本場で鍛錬を積み上げる。
 多かれ少なかれ、ごく普通の日常を過ごす者からすれば、想像すらできない局面、気苦労、修羅場もあろうはずなのに、交わす会話の中にはそうした陰に籠もった空気は微塵も感じさせない。
 前にも書いたが、精神的成熟を成しえる才能が、まず彼女たち海外組の不可欠要素なのだろうと思う。
 日常を書き記した彼女のブログも時折参考にしながら、その行間に隠された三浦友理枝の、ここまでの軌跡をおいらなりに伺うことが叶った。
 きっと大変なことを大変とは受け取らずスイスイ乗り切る度量の持ち主に違いない。
 写真から感じとられた優雅さとは裏腹の、“気っぷの良さ”的雰囲気を彼女から感じとっていた。そして彼女は自身のライナー・ノーツも手がけているのだが、なんと文章のクオリティも実にそつがないのだった。

 一連のクラシック取材を通し、彼女たちの奏でる素晴らしき音の旋律、自由奔放で優雅な表現力をして、益々日本人が頼もしくなったおいらだ。

 この3ヶ月以内の取材対象者は…

●ブラッド・バード監督 映画『レミーのおいしいレストラン』
●宮本笑里(バイオリニスト)
●マルーン5
●KTタンストール
●矢野沙織(JAZZサックス)
●フーファイターズ
●スティーヴィー・サラス・カラーコード
●ジョン・バトラー・トリオ
●ジュリエット・ルイス
●スウィッチズ(マット・ビショップ)
●クーラシェイカー(クリスピアン・ミルズ)
●クエンティン・タランティーノ 映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』
●吉田恭子(バイオリニスト)
●SUM41
●奥村愛(バイオリニスト)
●新倉瞳(チェリスト)
●彩愛玲(ハーピスト)
●遠藤真理(チェリスト)

 そして本日の

●三浦友理枝(ピアニスト) 070828_1723~0001.jpg

 贅沢極まりないラインナップとなっている。
http://www.yamaha-mf.or.jp/art/official/yuriemiura/

投稿者 yonezawa : 21:52 | トラックバック(0)

2007年 08月 25日

遠藤真理

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 午前、都内某スタジオへ。現在ザルツブルグ在住のチェリスト:遠藤真理さんの撮影へ向かう。
 ザルツブルグと言えば思い出すのが、あのモーツアルト生誕の地。本場の地でクラシックを学ぶ彼女のプロフィールを知り、抱いていたイメージは正直堅いものだったが、ここ一連の取材を通してその意識はどんどん払拭されつつある。
 クラシックという分野の高尚なあり方はきちんと継承されつつ、実際にお会いするほとんどのミュージシャンの方々は気さくでピュアで熱心な人柄ばかり。
 今日の遠藤さんにしろ例外ではなく、彼女がロック・ミュージシャン、あるいはジャズ・ミュージシャンと言われてもまったく違和感がない感じだ。
 多くの音楽賞を受賞し、異国の地で音楽漬けの日々を送る彼女。
 オフィシャル・サイトのブログも時折拝読させていただいているが、基本的に海外へ飛び出し、自身の思う師匠への師事、そして鍛錬。この行動力こそが、まず技量以前に必要な才能であることを、彼女の澄んだ瞳を見ながら感じ取っていた。
 撮影中、演奏シーンも特写したのだが、とたんにフォトスタジオが大聖堂のごとく異空間へと空気が変わり、優雅で力強い演奏に吸い込まれた。
 「もっともっとギターに触れる時間を増やさねば!」と、彼女の流れるような音の旋律に感銘を受け、刺激されるのだった。
 おいらのフェイバリット映画でもある『アマデウス』を100回以上見たと言う彼女の笑顔は無邪気。
 国内のコンサート活動も増えるであろう遠藤真理の今後に益々注目したい。
 チェロの響きもまさにロックなのだ。
http://endomari.com/jp/index.php

 夕飯後、下北沢CUEへ。
 九州時代のバンド仲間:緑朗がライヴで上京。この男の登場はいつも突然だ。
 ライヴ終了、機材撤収後、彼の後輩という若きミュージシャンと共に一杯。
 遅れて吉祥寺の映画監督:寅&美人のYも、高円寺阿波踊りからの合流。
 なんだか判らないメンバーで怒濤の呑みに突入。楽しい酒なら面子はなんでも構わないのだ。

投稿者 yonezawa : 21:56 | トラックバック(0)

2007年 08月 19日

戦争の爪痕

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 日テレで24時間テレビで見た蜂谷彌三郎さん、久子さんの、あの有名なエピソードに改めて心が揺れた。
 久子さんは先頃、彌三郎さんの腕の中でご逝去されたそうだ。

 「蜂谷彌三郎さんはスパイを助けたという身に覚えのない容疑でシベリアの強制収容所送りとなった。七年後の1953年に釈放されたが、ソ連当局の監視は続き日本に帰れず、そこで同じような境遇のクラウディアさんと出会い結婚し、お互いを支えあうようになった。しかし蜂谷さんは日本で既に結婚していて生死のわからないものの妻と娘がいた。日本への思いは募るものの帰国できない日が続いたが、それをクラウディアさんは温かく見守ってきた。そして1991年ソ連が崩壊して今なら日本の家族に連絡がとれると思い、手紙を出した。日本の妻、久子さんは再婚もせず帰りを信じて待っているという。クラウディアさんのやさしい言葉もあって、ついに蜂谷さんは帰国を決意する。辛い別れもあったが51年目の帰国となった。」なんたる戦争の爪痕よ。

 明日以降の準備が何も出来ていない。
 深夜上がる原稿を引き上げ、午前7時7分の成田エクスプレスに乗るべく必至。
 明日から週中までロンドン。仰天更新はそれ以降に。

投稿者 yonezawa : 13:30 | トラックバック(0)

2007年 08月 9日

ご苦労様

 S、K、E、T、Z、T.S.諸氏のみなさま、ご苦労様でした。
 おふくろPCがトラブルで本日深夜より憂鬱。

投稿者 yonezawa : 15:00 | トラックバック(0)

2007年 08月 6日

トライスクル

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 指すような陽気。わずが15分程度でしっかり日焼けの痕がついてしまいそうな強く暑い太陽光が目映い。
 本日、自身で課したノルマ分の雑務をサバきつつ、SのB-DAYへ駆けつけた。
 音楽や映画etc...この夜のあらゆるカルチャーを語り合う、貴重でタフでかけがえのない時間。
 最近馴染みになったゴールデン街の古い店で、久々にJL&Cの『トライスクル』を再生したら、瞬時にあの時代の景色で頭の中が満たされた。
 背中に電気の駆け抜ける音楽の持つ力のすごさ。
 頬にも心にも涙を流させる名画を思い浮かべた時に見える景色、それはいつも愛おしくせつなく優しい。
 「帰宅したら冷えたスイカを腹一杯に食べたいなぁ〜」と妙な思考が働き、夜が耽るまま身を委ねた。
 しかし、このたんまりと山積する仕事の山は何なんだ。明日は、アヴリル・ラヴィーンの旦那率いる、SUM41のインタビューへGO。
 

投稿者 yonezawa : 16:31 | トラックバック(0)

2007年 08月 4日

時代の趨勢

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 炎天下の駐車場に晒された乗用車の、車内の温度は尋常なものではない。
 最低温度を設定し、最大出力でクーラーのスイッチを入れて緊急冷却の体勢。
 車の中に置き去りにした乳幼児を、熱中症などで死亡させる事件が頻発しているが、大人でも同じ条件の下取り残されれば死んでしまうだろう。
 どういった神経を持って、こうしたあり得ない事件を起こしてしまうのか。子供をバイクの座席下に入れて殺す親もいる時代の趨勢。
 驚愕させられる保護者の神経は人にあらず。
 
 睡眠時間のほとんどとれないまま、西東京方面での買い物を終える頃、原稿アップの時間を確認。深夜、空気圧を調べガソリンを満タンにし、入稿作業のためYJ編集部へ。フロアは珍しく無人だった。
 午前3時を回る頃、入稿&雑務、無事終了。

 試合をちゃんと観戦しているわけじゃないけれど、ヤンキース:松井の驚異的なペースの打ちまくり報道が嬉しい。

投稿者 yonezawa : 06:26 | トラックバック(0)

2007年 08月 3日

http://www.grindhousemovie.jp/

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 快晴も快晴。バス停まで歩く途中、日差しによる顔面の軽い火傷を、思慮分別をもって知る。
 バイオリニスト:吉田恭子さんのインタビューの地へ。

 CDで聴かれる音色をそのままイメージするような、妖精のような出で立ち。待ち会わせの店で、そこはかとなくインタビューが始まった瞬間のおいらの抱いた印象だ。
 自らの立ち位置がしっかり構築され、常にポジティヴに進化を遂げるミュージシャン。彼女の真摯な瞳と言葉には、鍛錬を継続する者のみが醸し出すであろう音楽家としての深みを感じさせた。
 10月に行われる紀尾井ホールでのコンサートが今から待ち遠しい。

 場所を移し都内某ホテルへ。
 本日、Wヘッダーとなる取材対象者は映画監督;クエンティン・タランティーノ。
 映画『キル・ビル』でのロサンジェルス取材以来の再会となった。
 クエンティンは饒舌の極みのような男だ。
 「久しぶり!」「ヤングジャンプは何冊も家に持ってるんだ!」っと、リップ・サービスともマジとも言えない賑やかな会話から取材はスタート。

 彼の監督した作品『デス・プルーフ IN グラインド・ハウス』の肝は脚。
 ロバート・ロドリゲスが監督した作品『プラネット・テラー IN グラインド・ハウス』の肝も脚。
 「『好きこそモノ上手なれ』という言葉を思い出すよ」と彼にも伝えた通り、この作品の、ジャンク・フィルムな演出の“凝りよう”は喝采モノだ。
 映画の成功を祈りつつも、インタビューの持ち時間は直ぐに押し迫り、思いの1/3程度の段階で宣伝担当者によって遮られた。
 しかしおいらはそこでひるまなかった。やにわに本人より直で許諾をいただき、予定よりも十数分インタビュー時間の延長に成功。
 ファーギー以来の、マネージメント・サイドから勝ちを収めることに。
 映画は9/1に封切られる。

 帰社後、午前5時までの徹底的なデスク・ワークと入稿。

 福岡からやってきたY、新宿在のK、結局合流できずに申し訳なかった! 新宿の飲み屋はよかところ、見つけられましたか? 次回、ざっくり呑みましょう。ホントごめん!!

投稿者 yonezawa : 05:36 | トラックバック(0)

2007年 07月 31日

39年会

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 ジャニーズ系でも忙しいスーパー・フォトグラファー:尾形正茂。
 スポーツ、井上雄彦でも忙しいスーパー・エディター:市川光治との『39年会』で集う飯会開催。
 「毎年、もしくは各年度で『39年会』、あるいは『'64年会』をやろうや!」っと、たまに会った席では盛り上がりながらも、果てしない多忙極める同窓生の彼らと、ただの飯会日程をすり合わせるのがどれほど大変か。
 他打ち合わせの日程がポッカリ空いた市川・米澤の本日、現場から遅れて到着した尾形、入稿で2時間遅刻したおいらが最後に駆けつけ、どうにか3人が相まみえた。
 誰しもそうだろうが、同じ年齢の者同士にしかわかり得ない遠慮のいらない会話が心地よい。
 看板のない、