2012年 01月 21日

喫茶ルオーとbambi

K0000232992.jpg

 寝て、起きたら3時間30分が経過していた。
 眠気と気怠さを抱えているものの、そんなことは言ってられない。
 なる早で身支度を済ませ、JRと地下鉄を乗り継ぎ『本郷三丁目』駅に着いたのは丁度正午。
 徒歩で『喫茶ルオー』を目指す。

 『喫茶ルオー』は 本郷通り、東大正門のはす向かいに位置する。今回、この地をアカデミックな某2氏の対談場所に決めたのだった。
 集合30分前に到着したおいらは、朝昼兼用の飯を喰らう気満々。編集Wくん(東大生OB!)、そして時間前には必ず現れるカメラO&アシスタントの方らと合流し、店内の2F席に取材場所を確保。
 ここの店はカレーが有名と聞いていたので迷わずそれを注文するのだが、先に到着していた編集Wくんが席に着いたらお冷やに続けて(自動的)カレーが出てきたと語っていた(笑)。ホンマかいな。
 正午と言うこともあって満席状態ながら、とにかく快い取材空間を提供してくださり、一つ一つの事柄にものすごいお気遣いとご協力してくださったご主人、おかみさんの配慮に感激だった。今年(確か)53歳になるハズの編集Kちゃん(東大生OB!)が現役の頃は、たまにここのカレーを喰っていたというので、少なくともその歴史の長さを知らさせる。

 対談に関する事の顛末は、覚えていたら3月中のどこかで書き記したいと今日の時点では考えているところ。あまりにアカデミックな対談内容に驚嘆し、己の可哀想な頭脳を恨む局面もしばしば。すさまじき議論応酬の証人となった。

 取材を終え、即座に新宿へ電車移動。雨の降りしきる中、初めてやってきた『新宿ペンタ』に到着したのは午後5時30分。30分の遅刻を許せbambi。
 年明け初のbambiリハーサルは、本来の目的である大新年会の前に行われた。
 300数十曲を数えるレパートリーはいまだ変わらないペースで増え続けている。練習不足のへたれギターで応戦。
 リハ後、徒歩で『ちゃんこ両国』へ移動。
 宴にはカメラT&K子ちゃんも参戦。総勢8名で爆食爆飲の新年会は勃発。

 明日、キーボードのSくんは、フィアンセであるK子ちゃんのご両親にご挨拶をしてくるのだと言う。つまり両親からの承諾を戴く、あるいは許しを請う、という男子最大の関門突破か否かの前夜祭なのであった。

投稿者 yonezawa : 14:43 | トラックバック(0)

2012年 01月 10日

friends

41H2JWDDRKL._SL500_AA300_.jpg

 先週末、Rちゃんのご要望で映画『friends もののけ島のナキ』を2人で鑑賞。
 まったくノーマークだった3Dアニメーション作品。結論としては素晴らしい出来に驚く。Rちゃんに感謝だ。
 いつになくおとなしいまま淡々と鑑賞してくれたRちゃん。時折「おったん、ねてた〜?」と、同じく静かに鑑賞するおいらの様子を横目で見ながら確認する姫。可笑しい。

 主演のナキの声優がSMAPの香取慎吾。鑑賞中、この声が彼のものとは全く気付かずにもいたが、その出来はプロ顔負けの仕上がり。クレジットに気付いてからも全くの別人のようにしか感じられない。だみ声キャラクター等身大の声の印象は純粋に上手いと唸らされた。香取慎吾の最もよい機微を知った感覚。
  
 夜、落合界隈のスーパーで握り寿司、巻き寿司、刺身、焼芋焼酎、水、ピーナツ、マカロニサラダなどを買いそろえ、元呑め呑め団団長の邸にお邪魔。
 すでに二杯目以降の鍋が食卓センターに陣取られ、呑みの途中参加を果たす。
 かつて無類の牡蠣好きだったおいらが都合3度も(大当たり)裏切られ、牡蠣が食べられなくなって久しいが、今夜は牡蠣鍋。牡蠣を避けて煮込まれた鍋料理を頂いた。
 団長ご家族、ご親戚の皆様に感謝。

投稿者 yonezawa : 23:11 | トラックバック(0)

2011年 12月 29日

懐妊

CA3A1463-0001.JPG

 本日、Rちゃんとの時間は午後6時まで。
 公園やら家やらで散々遊んだ頃、彼女は夕飯の時間に。

 おいらには、今年最後の行事が残されていた。
 先日、ふいに連絡をもらった元映画人Sとの食事会がソレであった。

 つい先日、大手映画会社を退職したと聞いたS。その理由が、ご懐妊という嬉しいニュースも聞いていたので、年内にはなんとか飯とは思っていたが本日めでたく再会が叶った。

 身重のコンディション故、当然先方はノンアルコール。積もる話を交換すれば、彼女はほとんどのタイミングで腹を抱えてケラケラと笑った。昨年ゴールインした彼女は、実に理想的で可愛らしいお嫁ちゃんになったものだ。
 本体なら、こちらから彼女のスケジュールをうかがって飯会を決めるべきところ、彼女の提案でこうした機会を得られ、恐縮でもあり嬉しくもあった。

 彼女とは、2年前の失速イベントでもバンド仲間として共演した経緯もあり。同志であると同時に友好なバンド仲間とも言えた。
 天真爛漫という言葉のまま、突き抜けた明るさは、もう一人の命を授かった日から、きっと家族全員を包み込んでゆくことだろう。その姿は安易に想像され、目に浮かぶのだった。
 和菓子とみかんのお土産、ありがとう! S、とりあえず3月までは万全を喫して大事にね。

投稿者 yonezawa : 05:11 | トラックバック(0)

2011年 12月 23日

厳格な九州男児

91cmNwDVLCL._AA1500_.jpg

 近所の大きな公園でRちゃんと小1時間前後過ごす。
 肌寒い日故か、温かい時期に比べれば人出も随分ちらほら。それでも子供は外で遊びたがる。
 いつから寒さが億劫になったのだろう。
 はち切れんばかりの元気で公園内を駆け巡り、鉄製の大型玩具に登りまくる我が子。未だに子の居るその光景が不思議でならない。
 日が暮れるのも随分早くなった。夕景になれば「ねえおったん、いまよる?」と質問攻めの第一問が始まった。
 「ねぇおったん、なんであのひとは、あんなかっこうしてるの?」
 「ねぇおったん、なんであのひとは、あんなにいそいでるの?」
 一日中彼女と過ごす日は、大概「ねぇおったん、なんで○○なの?」と言った疑問の数が計り知れない。
 おいらが5歳の頃、親父はおいらにどう接していたっけか。健在なら是非とも伺ってみたいところだが、きっと記憶しているもんじゃなかろう。

 高度経済成長のまっただ中、3人の子供をおおざっぱに育て上げた母に、その頃のことを聞いてみても、「どうしとったかねぇ。憶えとらんよ」と言う回答がほとんど。
 例えば、おむつひとつにしても一々洗濯していたことを知れば、現代の生活の何十倍もの労力を使って日々を乗り越えていたに違いない。なのに、あたかも楽しかった思い出を回想するように母は語る。
 当時、母は嫁いだ家屋敷地内の小川で洗濯していた。冬場の洗濯、風呂沸かしだけで現在の若者は悲鳴を上げることだろう。想像しただけでおいらも嫌だ。それが何年も何年も毎日毎日続くのだから。
 おまけにおいらの祖父は絵に描いたような厳格な九州男児。女が男の前に風呂に入ることなど、ありえなかった。
 母は苦労を苦労と語らない。一切愚痴を言わない母のすごさ。昭和初期から激動の時代を生き抜いてきたおふくろは、「驕り」という言葉から最も縁遠い。

 表情がおふろに似ていると評判のRちゃんは、我がおふくろの内面も是非継承してほしいものだ。
 肌寒い戸外で、おいらの大きなマフラーをRちゃんの首に巻き付けた。お目々しか見えてなかった己のその様を爆笑しながら、Rちゃんは赤い自転車を思い切り漕いで帰途についた。

投稿者 yonezawa : 13:48 | トラックバック(0)

2011年 12月 19日

死去の報道

61agRUdKIjL._SS400_.jpg

 基本、Rちゃんを軸に朝昼の献立は構成される故、唐揚げ・餃子頻度の多い我が家。
 Rちゃん弁当の際、作り置きした冷えた唐揚げや餃子が朝食……と言うケースは少なくなく、今日もソレ(唐揚げ定食)。
 そもそも昔から「弁当」という形態自体が嫌いでないおいらは、飯やおかずが冷えていても違和感がない。
 冷えた弁当……高校時代のあの美味さとはいったい何だったんだ! と思うぐらい弁当には目がなかった。思い出しては当時のおふくろにも深く感謝。

 昼時、ある郵便物をやっと送付完了。
 正午、北朝鮮:金正日(キム・ジョンイル)総書記死去の報道に思わずモニター側を振り返った。
 日朝間最大の懸案事項、拉致問題の行方はどうなるのか? 真っ先に脳裏をよぎった。
 
 校了の狭間を見つけ、郵便局で郵便物をゆうパックで送付。通常の郵便物扱いなら送料1150円だった物件が、ゆうパックなら600円で送ることが可能なのだと言う。
 少々重さがかさむ物件なら、ゆうパックで送る方が安いそう。窓口で窺ってみるとよい。そんな当たり前のことを今更冷静に知る。優しく安価な方を知らせてくれた郵便局窓口のおねえさんに感謝。

 夕方、喫茶店で待ち合わせたTさんとお茶しながら、今年始まったばかりの妄想案件に関する意見交換。
 帰社し、再び印刷物の校正〜推敲。

 夕方、大ボスHさんへ奇跡的に連絡が繋がり、強引に食事の約束を取り付けられたのはラッキーだった。
 この貴重な機会を大事にするべく、近況を窺いながら近況をお伝えする機会を得る。年末に某地を単独訪問するというHさんは、おいらの中ではやはり作家だ。
 美味い和食に胃袋大満足。
 しかし、金正日の報道のせいか、橋下・大阪市長初登庁の報道が少なめだったのは、やや遺憾。

投稿者 yonezawa : 19:42 | トラックバック(0)

2011年 12月 16日

世界的レーベル

B000G1R3RQ.09.LZZZZZZZ%5B1%5D.jpg

 長きにわたり世界的レーベルに所属される、日本が世界に誇る音楽家Mさんと念願の忘年会が叶った。
 大概こうした親睦会を行う場合、港区界隈の飲食店でお会いするケースが多いのだが、今回は思い切って縄張りの新宿へお誘いさせていただく。

 お伝えしなければならないいくつかの案件があったこともあり、本来喰うべき場所のカウンターではなく、プチ個室を予約した馴染みの寿司屋で江戸前の握りを堪能。

 ここまでたおやかに、優雅に、そして朗らかな表情をみせる彼女の人間度量にはその都度驚かせられながらも、この貴重な空間を素直に歓んだ。
 体調面で心配していた部分も、今日のご本人から窺った直接の説明で安堵。
 それにしてもなんと魅力的な方なんだろう。
 壮大なオーラを感じさせるスケール感。お会いする度にMさんから学ぶものは、まだまだ抱えきれないほど見いだされてくるのだった。
 
 食後、もう1件だけおつきあいして欲しいバー『シンクロニシティ』へお連れし、共に芋焼酎のお湯割りを軽く頂いたところ、店主Oちゃんはタッチの差で出勤しておらず残念。なんてこと!
 Mさんとの空間は、おいらの音楽人人生を顧みても、最も重要な空間の一つ。
 おいらの来年の願いは、Mさんがストラトキャスターを弾いてくださった後の感想を窺うこと。

投稿者 yonezawa : 19:39 | トラックバック(0)

2011年 12月 6日

T先輩

51Cpp%2BnoAaL._SS500_.jpg

 T先輩に1月ぶりのサク飯に誘われ、雨降る銀座へ。彼は再び帰社し、残った仕事をかたづけるそうだ。ご苦労さま。
 現在家の風呂が故障中とのこと。飯の後、一杯だけ飲みに立ち寄ったカウンター・バーで「これから銭湯かサウナに行っておきたい」と言い、水道橋でおいらを落としてくれた後、彼はラクーアへと消えてった。

 ダイエットに成功し、この1年で10kgほど痩せたというT先輩。2,3年前においらが贈呈した彼への誕生日プレゼントはダウンジャケットだった。
 当初、サイズを読み間違って購入してしまったおいらは、T先輩から「やや小さかったようで、前のボタンがちょっとだけ窮屈」という話を聞き、残念に思っていた。
 ところが、そのダウンが丁度よいサイズになったのだと言う。

 夜の炭水化物を止めて理想のコンディションを手に入れたT先輩、未だリバウンドもナシ。

投稿者 yonezawa : 20:27 | トラックバック(0)

2011年 12月 5日

新しき邂逅

31odSD3Sn3L._SL500_AA300_.jpg

 かつて、ハリウッド監督のインタビュー取材現場に連れだったことのある編集Hと、その同期のTが親睦会を企画してくれた。
 遅めの夕飯はTの予約してくれたイタリアン。

 ソムリエの薦めてくれるまま、グラスごとに銘柄を変えた白赤のワインを飲みながら、折に触れて訪れる彼らとのひとときを楽しむ。
 40を過ぎてから、自分の年齢の半分ほどの仲間が出来たり、70歳を目前にした呑み達との出会いや、同世代の音楽仲間の出現など、新しき邂逅も感慨深い。
 映画のこと、音楽のこと、仕事のこと。いつものようにノンビジョンのまま思考の行き着くままに世のカルチャーの意見交換が心地よし。
 河岸を変え、最終的には蓄音機でオペラを聴きながら、更けゆく夜を堪能。マックスまで呑んだ。H&Tに感謝!

投稿者 yonezawa : 20:27 | トラックバック(0)

2011年 11月 26日

7周年記念

418EGH5FF3L._SL500_AA300_.jpg

 Rちゃんの昼食を食べ終えるまで待ってたら、約束の時間ギリになってしまった。
 大道塾吉祥寺支部7周年記念祝いのため道場へ向かう。
 開始時間をやや押しての14時30分頃、到着された夢枕獏さんの乾杯の号令と共に7周年興業開催。
 団体の垣根を越えたフレンドシップで集った格闘家が、エキシビジョンとも言い切れないような素晴らしいカードで激戦。
 これらのテンションも、盟友:飯村師範の人柄によるもの。プロフェッショナルな格闘家たちの温かくも激しい時間が過ぎた。
 獏さんの引き上げるタイミングで我々家族もおいとまし、獏さんを駅で見送った後、ヨドバシカメラでRちゃんの誕生日プレゼントを購入。
 本人によるセレクトで今年はバービー人形に決定。 

投稿者 yonezawa : 15:05 | トラックバック(0)

2011年 11月 24日

立川談志

51kT9HvWScL._SS500_.jpg

 『現代落語論』を初めて読んだおよそ25年前より、節目節目に様々なメディアで目にしてきた立川談志の生き様には、驚嘆と共感の歴史があった。
 『EXテレビ』での一幕。上岡龍太郎の司会する回において、CMを冒頭の数分間ですべてひとまとめにひっくくり連続放送。それ以降、ノー・カットで立川談志の落語を生中継した回など、凄まじき“志”、もしくは“業”を感じたものだった。
 あんな作戦は見たことがなかったし今では成立しえない。
 
 古典落語の枕における、一件きつい口調で語られる現代人への一睨み。その言葉の裏には真実に裏打ちされた優しさと、“生きる上での人間の謙虚さ”“人としてのまっとうなセンス”が秘められていた。
 立川談志の“脱線”は何もかもが粋だった。なんたる感性、なんたるバランス感覚。「立川談志の受け売りだけで生きている」と、浅はかに自認していた時期がある。
 どこかのパーティで談志師匠をお見かけした時には、おそれおおくて臆病な自分は立ちすくんでしまった。

 6年ほど前、漫画家:高井研一郎の一番弟子・漫画家:昌原光一初の自著本出版には、担当編集者としておいらも関わっている。
 その際「彼にとっての最高のはなむけは?」と考えた時、師匠であられる高井先生によるタイトル文字、そして帯には、昌原氏自身も崇拝する談志師匠のコメント、それが究極のアイディアだと考えた。だが「筋違いの考えかも?」とも脳裏を過ぎったが、当たって砕けるつもりで打診させて頂いた。
 結果、談志師匠快諾。
 事実関係を知るところではないが、新刊漫画単行本に対して帯コメントを寄せたのは、この作品が最初で最後ではなかったろうか。

 そのやりとりの際、当時使っていた携帯電話に残された談志師匠の留守番メッセージが、我が家の家宝のひとつとなった。

 まさに生き様が情念。今後、また再び立川談志のような資質を備える人と出会えるとはまったく想像できない。立川談志は特別だった。立川談志は、立川談志一人で一つのクラスをなしていた。この宇宙でただ一つ。 他に似たものがない究極の個性。

 日本人は、立川談志を誇りに思うべきだ。合掌。

投稿者 yonezawa : 18:08 | トラックバック(0)

2011年 11月 13日

究極の恩

412ev42fH7L._SS500_.jpg

 夕べ午前9時までたっぷり睡眠をとったというRちゃんが9時過ぎに部屋へ。
 パソコンゲームをやる間、身支度を終え、恒例の八王子水汲みへ。
 絶対友人Hを拾い、我が家だけで重量にして100Kgの給水作業完了。
 その間、公園で待つRちゃんらと合流し、雲梯やら公園道具を駆け回るRちゃんの所行を見終え帰途に。
 19歳の頃、Hがおいらのために尽くしてくれた究極の行為は生涯忘れない。

投稿者 yonezawa : 20:31 | トラックバック(0)

2011年 11月 12日

明治記念会館

ieyasu.jpg

 睡眠3時間で起こされた。この5日間、ほとんど会う機会のなかったRちゃんと午前8時過ぎより、しこたまパソコン・ゲームにつきあった後、西友までお買い物。
 言われるまま、まだ全体的に湿り気のある公園へ立ち寄った。ベンチで美味しそうにリンゴジュースを飲み干す我が子。
 プリキュアの食玩製品に入っていたのは指輪だった。
 気が済むまでブランコに乗り尽くした後、帰宅。

 昼食は炊きたてのご飯でチャーハン。
 午後3時30分を回った頃ギターを担ぎ、身支度を終えたおいらだけ先にJR信濃町駅を目指した。

 『癌!癌!ロックンロール』~金髪ドクター、6度の癌宣告&6度の復活~というタイトルで今月書籍が発売されるのだが、その出版を記念してのパーティーがなんと明治記念会館で行われた。
 おいらチームはBambi−2の面々でバンド・サポートとしてオープニング演奏予定。勿論メイン・プレイヤーは家康医師。

 会場のセッティング中、同時にリハーサルを終えた。やがて続々と招聘されたゲストの方々がご来場。結局、総勢350名前後の方々が集う大パーティとなっていた。
 ほぼオンタイムで、18時からの本番ライヴがスタート。我々の持ち場はとりあえず4曲。

●Hole lotta love
●Hey Joe
●Sunshine of your love
●You shook me

 今回初めて「Hole lotta love」を歌うことになった。イースト吉田兄の大変さをしみじみ痛感。世界一難しい楽曲を必死でシャウトしながら、ジミヘンへと王道の展開で弾き抜ける。
 急遽歌を担ってくれたVO.harukoのおかげで、ジミヘン、クリームとギターに集中出来、安堵していたが、やはり彼女の力を借りて正解だった。
 本番を、申し分のないパフォーマンスで締めてくれたのがともかく有り難い。

 大好きでも一生演奏することはなかろうと思っていた「You shook me」まで、こんなタイミングで弾く機会を得るとは……

 LED ZEPPELINの奥深さは「Hole lotta love」のブレイクポイントにもあった。
 曲中、「Way down inside... Woman... You need...Love.」の件、「You need...」の後のコードは、これまで意識もせずDーAとばかり思っていたが、ここEーAなんだな。
 これは驚きの発見。みんなそう弾いてなかったか? おいらだけか?
 家康バンドのおかげでこんな驚愕の発見をしてしまった。

 今夜の素晴らしいイベントに関わったすべてのみなさま、お疲れさまでした。ありがとうございました。
 しかし明治記念会館で誰かがツェッペリンやジミヘンやクリームなんかを演奏した歴史があったろうか。それもよりによって「Hole lotta love」なんて……。きっとなかろうと高い確率で想像する自分だ。
 それにしても明治記念会館の料理はナイス。
 ちょっとした出版社忘年会以上の豪華で賑やかなパーティであった。家康さんは偉大だ。 

投稿者 yonezawa : 20:30 | トラックバック(0)

2011年 11月 8日

展望アル未来

41sSUr1vFbL._SL500_AA300_.jpg

 新宿御苑「ちゃんこ両国」で待ち合わせたのはミュージシャンのSだった。初のSサシ飯。
 多忙な業務の合間をぬってか、出された日程3日のうち、本日が双方の都合が良かった。

 ところで馴染みの「ちゃんこ両国」、板場の板長さんが変わったとのことで具材の内容も若干変化を見せていた。一見は気づかない程に。以前訪れた際にはその旨を聞き、認識をしていたが、変化を知って2回目の鍋。
 冷静に何度も確認するように、煮詰まり気味の最後の具材まで丁寧に食いつくしたところ、正直、コクが減った。個人的にはかなり残念。

 今年、来年と展望アル未来へと邁進するS。次回の再会はウィンウッドの来日時か新宿のサシ呑みの席か。
 我が家な「シンクロニシティ」を経由しておとなしく帰途に。
 地元界隈に到着し、やむなく選んだ豚骨醤油ラーメンはまったく必要なかった。「やむなく」じゃなかった……

投稿者 yonezawa : 20:27 | トラックバック(0)

2011年 10月 27日

ロック

41FTNQRFmFL._SL500_AA300_.jpg

 朝昼兼用に餃子定食。
 10/3も10/18もタイミングを得られず「成り行きの日程でいこうや」と言うことになり、Tの倅満1歳の誕生日を本日、Hと共に祝うことに。

 1歳児の女の子なら得意だが、いきなり男の子となると躊躇し、急に初心者のようにプレゼントを考えこんでてしまった。アイディアが湧かないのだ。
 先日ライヴ帰りの際、たまたま寄れたディズニー・ショップで店員の女性にも相談しつつ、最終的に映画「カーズ」のグッズをたんまり購入したのだったが、今日の夕飯時にようやくT宅へ持ってゆけることになった。
 かつての生活パターンから180度の転換を果たさざるを得なくなったTが母をやる姿に新鮮な印象を抱き、日々の充実を身をもって伝えてくれた。
 Aくんが小さくで軽い! 確かほんの4年弱前はこんな感じだったよなぁと我が子を回想しながら、数分で慣れてくれたAくんを何度か抱っこさせてもらう。

 子供が育つ。これに勝るロックはなし。

投稿者 yonezawa : 14:26 | トラックバック(0)

2011年 10月 21日

SSの送別会

31Zkap0JXsL._SL500_AA300_.jpg

 iMoveに動画や、時にスチールを取り込み、iDVDでDVD化する作業も何回か繰り返すうちに手際はそれなりになってきた。
 しかし、ほんの数ヶ月放置して場から離れると些細な操作を直ぐに忘れてしまう。
 子供の記録を保管するために買った一眼レフカメラやHDDカメラや編集機能搭載のパソコンにしろ、そうした用途目的がある故覚えたようなものだ。

 先日の、渋谷での[FFP]LIVE映像編集は、自分としてはそつなく空き時間を上手く使っての取り込みと作業となった。デフォルトのエフェクト効果だけでの編集なので大した負担にはならなくなった。
 Aよ、到着を待っておれ。

 FFPの「Too Late」を聴いていたら、俄然創作意欲が湧いてきた。
 ロック・トラックの機微が、そんな気持ちにさせるケースは、その楽曲が優秀な証明だと感じる。ジョン・メイヤー全般しかり。

 怒濤の校了に集中。夜、ちっとだけ遅刻してしまったが、bambi鍵盤を担うSくんの送別会へ突入。
 Sくん、なんと札幌に行ってしまうそうだ。なんて極端な!
 最初から飲んだ芋焼酎がピンと来た。こういう日は幾ら飲んでも構わない体調の日だと、身体が知っていた。
 前途を祝しての乾杯。
 場をワインバーへ移し、やはりのBambiセッションへとなだれ込み、各位思い思いのペースでスタジオ入り。おいらに関しては、もはや何を弾いたのか分からない状態ながら、ともかくSよ、新天地で踏ん張ってきんされ!

投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2011年 10月 20日

伊丹兄

ford_deuce.rear.480jpg.jpg

 電車の中もデスクに座っても鬼の睡魔がとまらない。夕べもさして寝られてなかったか。

 伊丹由宇兄著『なぜ日本人だけが喜んで生卵を食べるのか』、Amazon拝受。
 伊丹兄とは、かれこれ10年を優に超えるおつきあいとなっていた。
 バンドでアルバムを出した時にライナー・ノーツを描いてくださったのが伊丹兄。
 ロンドンへ初めてジェフ・ベックのインタビューに行った際、ホテルのロビーで再会を果たしたのが伊丹兄。
 甲斐よしひろさんとの酒席を設けてくれたのが伊丹兄。
 1959年製レスポール・スタンダードを弾く機会を与えてくれたのが伊丹兄。
 気まぐれで更新を続けている「分裂ブログ」で心底笑わせてくれるのが伊丹兄。
 
 前出の書籍『なぜ日本人だけが喜んで生卵を食べるのか』は、とりわけ「日本食」をめぐる驚きのネタ、ウンチクがぎっしり詰まった一冊。
 ロックな文章を書く、とりわけ優れた文筆家の代表だという認識を古くから伊丹兄には抱いており、その気持ちは今日も変わらない。
 おいらは伊丹兄の冗談が大好きだ。
http://blog.livedoor.jp/sk99/ 

投稿者 yonezawa : 16:15 | トラックバック(0)

2011年 09月 13日

ミゲルくんとJちゃん

image017.png

 麻布某所へ。話題のCM『消臭力』で声量溢れる歌声を聴かせるポルトガル人の歌手:ミゲルくんと対面。単独インタビューを行った。

http://www.youtube.com/watch?v=K5ilVGKgcfA

http://www.youtube.com/watch?v=VEz5tX99K-0&feature=related

 ミゲルくん、普通に可愛らしい。12歳にしては小柄だと感じたけれど、受け応える回答は日本人の同じ世代のそれとは全く違う印象を抱いた。
 しゃぶしゃぶが大好きでメロンパンも大好き。インタビューの内容は、週刊プレイボーイ(確か)9月26日発売号の見開き記事「シゴトのこと」に掲載予定。

 夜21時過ぎ、突然事務所に現れたJちゃんに驚いた。
 かれこれもう10年ぶりぐらいの再会だったろうか。
 即時仕事を切り上げ、まだ夕飯前だという彼女と近場の居酒屋へ。
 Jちゃんはつい最近まで編集業をやっており、某雑誌の編集長を務めていたことは風の噂で聞いていた。
 10年ほど前、ゴールデン街で話した思い出話から矢継ぎ早に語り合うが、何から話していいのか分からない。やがて編集Uが加わり、河岸を変えて、当時Jちゃんとも親しかったと聞いた編集Hちゃんも呼び出し、さらにはO、Sらも合流し、どんちゃん騒ぎの展開に。
 時は流れても変わらないものがある。
 あの頃の心地よき風を感じながらも、なくなれば即おかわりする蒸留酒のお陰で、激しい二日酔いのコンディションが確定してゆくのだった…… 

投稿者 yonezawa : 17:04 | トラックバック(0)

2011年 07月 21日

ベテラン俳優

CA3A1450-0001.JPG

 報道によれば、俳優・原田芳雄さんの葬儀は通常の献花ではなく、祭壇に向かって杯を掲げる献杯の形を取るそうだ。
 若手、ベテラン、男女を問わず自宅に集めては飲み会(通称・原田居酒屋)を開いていた原田さんのご自宅には、かつておいらもたった一度だけおじゃまさせていただいたことがあった。

 ある日、ベテラン俳優・石橋蓮司兄とのサシ飯で呑んでいた。
 蓮司さんとはドラマの現場取材で初めてお会いした。同じ現場で共演されておられた俳優・佐野史郎さんらとも酒を酌み交わす機会を得たことがきっかけとなり、蓮司さんとの携帯メールの交換を果たせたのだった。
 待ち合わせの寿司屋に先に到着されていた蓮司さんは、カウンターの一番奥で静かに呑んで
おられた。
 挨拶をしたら半座敷へ促され、そちらで後に痛飲となる酒盛りが始まった。

 テレビ、映画で何度も観たあの役者。スクリーン、あるいは昔で言うところの「銀幕の世界」の男が目の前にいた。
 酒の酔いは量に比例するが、その場のときめきは終始臨界点超えのテンションとなり、至福の時間が過ぎていった。
 焼酎ボトルが空き、さらにもう1本。おいらはかなり酔っていた。きっと蓮司兄も同じくらいに。
 「おい、芳雄ん家行くか! 今から電話してみるぞ」
 時計が22時過ぎを指す頃、おもむろにそう言って携帯から原田家に電話をかけた蓮司兄。ところが芳雄さんは寝ておられた様子。「なんだ、寝てんじゃねぇぞ。今から小僧連れて行くからよ。酒用意しといてくれ」
 記憶は曖昧だが、おおむねこのような会話で電話を切り、タクシーをつかまえ、そこからほど近い距離にあった原田芳雄さん宅へ向かうことに。
 おいらは相当酔っていたこともあり、タクシーで走った経路は何も覚えちゃいない。
 玄関へ入り、出てこられた奥様にご挨拶して、座敷に上げていただいたら、その風景はもう完全に居酒屋規模のスペースが広がっている。通称・原田居酒屋の意味を重々理解した。

 そして奥から一升瓶をぶら下げた芳雄さんが登場。

 なんという空間においらはいるのだ。
 ここを訪れた多くの俳優も映像関係者も編集者もテレビ関係者も素人も男も女も、きっと最初はそう感じたことだろう。
 一見さんなおいらは、芳雄さんと話すタイミングはそれほどなかったものの、この2大巨頭を目の当たりにする幸運に感激していた。奥様の隣の席にはご帰宅された娘さんの姿も。

 そもそも蓮司さんとサシで呑んだ理由の一つは、当時結婚したばかりの売れっ子デザイナー小林満の嫁が「蓮司さんファンだ」ということを聞きつけ、彼らのお祝いにギターを贈呈してあげたいと考え、白いテレキャスターを持ち込んでいたのだった。
 好きな人物の直筆サインの入ったギターほど嬉しい贈り物はなかろうと考えたからだ。

 蓮司さんからは先ほどの寿司屋ですでにサインをいただいていが、「小林嫁は原田芳雄さんも同じぐらいファンだ」という情報も同時にあったので、この席で幸運にもいただく機会を得たのだ。

 「あなた、これ以上居たら何が起こるかわからないから、適当に引き上げた方が良いかもよ(笑)!?」芳雄さんの奥様に小声でそう言われ、ガンガン話込んでおられる2人に会釈だけして、おいらは先にフェイドアウト。
 蓮司さん、芳雄さん、奥様、その際はありがとうございました。

 それなりの夜中ではあったが、勿論その足で小林の仕事場まで、2人のサインがしっかり入ったテレキャスターを運び込み、手渡してきたことは言うまでもない。
 ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 yonezawa : 11:56 | トラックバック(0)

2011年 07月 7日

飲み日和

41V3D-aPZ%2BL._SS400_.jpg

 本日、おいらの後輩編集者の中で最も若いHと初のサシ飯。
 先日、失速ライヴ観戦にきてくれたHは、その日も即帰社して仕事となった。「ならば仕切り直しじゃ」と日程を決めた数日後の日程も急遽仕事で流れた。

 つまり今日はお互いに念願のサシ飲み日和となっていた。
 遅めの夕飯は久々の『ひろ喜』へ。
 美味い寿司を喰らい、いつものまま『STOP』を経由しゴールデン街へ。なんら日常と変わらない風景の中に、今日だけはハンカチ王子のようなフレッシュな青年が混じっている。
 そう、確かH入社当時、コピー機の前で交わした言葉がヤツとの最初の会話だったと記憶するが、その際に「おまえ(見た目が)ハンカチ王子みたいやなぁ」と言ったのがおいらだった。

 「よい情報、身になる話はすべて吸収したいのです」というような、真摯な姿勢が魅力を放つHと飲む酒が心地よいことは、先日大勢で飲んたある席での経験で認識していた。
 互いに配慮を持ちながら共有する時間が過ぎ去る。とてもよい酒だった。

 徹夜のような状態で参戦したHが最後の店で、しばしトイレから出てこないなと思ったら、案の定居眠りしてた模様(笑)。疲労を押して夜中までつきあってくれたH。
 ヤツとの3度目の酒も、そう遠い未来ではなかろう。感謝!
 

投稿者 yonezawa : 22:35 | トラックバック(0)

2011年 06月 7日

最重要書類の作成

51y7xHjvYlL._SS500_.jpg

 しっかり二日酔いを自覚しながらも最重要書類の作成に。
 夕飯時に、S社Kさん、Hさん、WO社Yちゃん、W社Oちゃんとのミーティングを予定していた。打ち合わせ場所には静かなところを想定し(おいらは食べられないが)K氏馴染みの蕎麦屋を予約。
 到着したらば、店内は大勢のオヤジ・サラリーマンで席は埋めつくされ、まぁ〜うるさいったらない酷い環境の場所となっていた。大失敗。だが仕方なし。

 ビールで乾杯。二日酔いのおいらは温かいウーロン茶でスタート。
 それぞれ異分野の者同士が意見を出し合い、今年おいらが睨む、おいらにとっての壮大なプロジェクトの布石を投じた瞬間となった。
 この数週間は頭であれこれ妄想を繰り広げ、どういった手段を踏めば企画を現実に導けるのかのシミュレーションを繰り返していた。
 まさに本企画のブレーンと言える頼もしき面々のアイディアを賜り、また一歩前進した今日は最高の気分。外枠の構築は良好。後は二日酔いを覚ますだけのところ、2件目では赤ワインを開けてしまっていた。

投稿者 yonezawa : 13:59 | トラックバック(0)

2011年 05月 24日

宮崎県串間市

61KpdChTPoL.jpg

 おいらのCDをリリースしてくれたJVCのHさんよりお誘いを受け、渋谷WWWへ。
 今夜、17歳の女性シンガー:井手綾香(いであやか)の関係者限定プレミアムSHOWCASE LIVEへ招かれた。

 エスエス製薬<ハイチオールC プラス>CMソングとなっている井手綾香の「雲の向こう」が現在オンエアー中。長澤まさみが正面を見て泣く、あのCMだ。
 ほとんどテレビを観ない自分でも、なぜか記憶に残っているそのCMの歌声の主は気になっていた。同時に、紙資料にある彼女のプロフィールがちょっと気になった。

 現在、宮崎在住の高校三年生の彼女のオフィシャル・プロフィールを見るとこう書いてある。
 「17歳。120頭もの野生馬が生息する地として有名な宮崎県串間市都井で育った彼女。
全校生徒18名の中学校を卒業し、いまは宮崎市にある高校に通う。 アメリカ人でプロダンサーだった母と、福岡でバンド活動をしていた日本人の父をもつ。 4歳からピアノを始め、いつしか曲を生むようになると次に詞を描き、自らうたい表現した。 “うたとピアノ”で紡ぐ、ありのまま。」

 “宮崎県串間市”の件に反応していた。
 おいらが小児喘息に悩む幼少期、「宮崎県串間市に喘息の名医がいる」と聞きつけた両親は、毎週週末に車で数時間かけてその病院まで通院させてくれたのだった。
 この時代のエピソードを思い出せば、40も過ぎた今でも泣いてしまいそうな有り難さに包まれる。どこの親もそうだろうが、あの頃から続く一点の曇りもない両親の献身的な姿勢、家族を全力で守るという生き方に、いつでも胸を打たれる。

 あの頃、串間市までは遠かった。

 無言で車を走らせる親父は、一度も面倒な愚痴などこぼさず、母共々「喘息よ、早く治れ。苦しさから解放させたい」という表情をいつもしていた。貧弱な自分の体質を呪った。
 病院ではスピンヘラー(喘息用吸入器具)で粉状の薬を肺に吸い込み入れ、そして臀部に注射。
 この繰り返しを何週間行ったことか。

 これら両親のサポートで、確か小学3年生を過ぎた頃、喘息からは解放されることになり、そこからの学生時代はその片鱗など微塵もない体力を得ることとなった。
 
 井手綾香の名を聞けば、おいらは喘息と串間までの道のりを想い出すのだった。
 今日も、亡き親父と、世界一のおふくろに深く感謝。

投稿者 yonezawa : 16:55 | トラックバック(0)

2011年 05月 20日

M、おめでとう!

000989bd_medium.jpg

 SY編集との数ヶ月ぶりの親睦会のため、新宿三丁目へ。
 古いヤンジャン編集部を知るSYとの酒も毎度毎度かなり楽しみな空間だ。
 大概、震災後に会っていなかった仲間との再会であれば、この頃は当日の行動を伺いあうのが慣例となっている。

 美味しい寿司をつまみながら爆笑の世が更ける。
 途中、あらかじめ連絡をもらっていた地元友人でジャズ・ミュージシャンで軽いのんべぇの魅力溢れるFSが合流。

 SYは、相手が誰であっても負荷のかからない親しみ易いキャラクターと言え、連れが女性でもあっても男性であっても物腰が柔らか。
 端的に言うと、常にSYに育ちのよさを感じてしまうおいらだった。“育ちのよさ”とは単に金持ちの家系を指すものではなく、人間性の度量を指すもので、彼が発散する空気に誰しもが惹き込まれると想像させるのだ。

 SYのリクエストで場をゴールデン街へ移す。
 この界隈で最年少オーナーだと言う女性が経営するバーには漫画の単行本がたくさん陳列されており、図書館のように貸し出しも出来るのだと言う。なかなかユニークな店。
 ふと、いくつかの本をめくっていたら、江口寿史兄のサイン本も発見。

 再び新宿三丁目へ移動し、STOPのMに会いにゆく。
 Mはこの度、めでたくゴールインするそうで、直接お祝いを伝える日となった。STOPには、おいらの大事なほとんどの仲間を連れていったものだった。それはMがカウンターの中にいつもいてくれたから。
 ジェイクのライヴをうるうるした瞳で観戦していたMの姿を思い出していた。
 M、おめでとう! 

投稿者 yonezawa : 14:21 | トラックバック(0)

2011年 05月 13日

ドラマティックな先ちゃん話

f912319f8da085a00d727110.L.jpg

 先日、Ustream配信の映像を見てからお会いしてなかった江口兄と夜飯。
 いつもの居酒屋でいつものノリで愉快なサシ飲み開始。感覚として、7割以上の確率で常連客で知り合いの仲間と遭遇するのがこの店だ。
 先ちゃんには、先日個人的に展望ある感触を得たちょっと嬉しいある話をお伝えしたく、それを理由に一杯おつきあいいただいたのだった。

 しばらくすると、先ちゃん共々共通の飲み仲間で編集者の2人がやってきた。やっぱり!
 やがて、店に設置してあるテレビで漫画原作のドラマ『シマシマ』の放映が始まった。
 その作品の原作者であるさやか嬢も、ドラマが終了し、しばらくしてからふいに来店された。
 先ちゃん以外とは約束などしていないのだが、本日の飲みメンツが全員集合しきった感じ。

 自虐的でありながらも、めちゃドラマティックな先ちゃん話に抱腹絶倒の夜を迎える面々。この面白さだけは正確に電波などには乗ったことがないので、この極まった笑いはこうした常連の仲間だけが伺い知る極めて貴重で贅沢な空間。
 個人的見解として、江口寿史という漫画家はあらゆるカルチャーの語り部としての異彩も放つ作家。つまり評論という意味あいの切り口にものすごく同感させられるところがあり、その切り口が気持ちよいのだ。本人の作品同様に。
 毎回その場にいる面々が、きっとそう認識しているのだろう。今夜もそんな確信を抱きながら、明け方の4時過ぎに24時間スーパーへ立ち寄り、明日もしかしたらゆくことになろう高尾山用の弁当の材料を買い出しして帰途に。
 朝は目の前だ。

投稿者 yonezawa : 11:21 | トラックバック(0)

2011年 05月 10日

株券を持たない株主

51NdaGVabnL._SS500_.jpg

 6月ライヴに向けたリハーサルのためスタジオへ赴き予約完了。
 夜、活字誌編集KさんとJEFF BECK談義。大いに盛り上がる。

 朝日新聞夕刊4月25日(月)、26日(火)、27日(水)、28日(木)のあと、連休を挟んで5月2日(月)と6日(金)に掲載されたコラム『人生の贈りもの』全6話拝読。
 『人生の贈りもの』とは、各界の著名なベテランに人生を振り返ってもらう夕刊be月〜金曜掲載のコラム(一部地域掲載なし、関西地区などはDo面)。

 この6話分は、元ニッポン放送社長でラジオDJの亀渕昭信さんの回。
 亀渕兄の叔母さんがジャズシンガーであったり、妹さんが彼のゴスペルシンガーだったり(こちらは古くから認識)と、亀渕家は音楽一家であったことを、お母様が料亭を営んでおられた情報同様、今回初めて知った。

 進駐軍の将校クラブでの件は、さぞコーラが美味しかったのだろうなと想像させた。
 「資本とアイディアが最重要」なんて、ミュージシャン本人はなかなか気づかないもの。そこも含めてロックの歴史には感慨深い思いを抱くが、亀渕青年は早くからこのシステムを認識しておられた。
 大学時代には証券学会へ所属。先見の明というか、。つまりその日から数十年後にわきこる、ライブドアとの企業買収M&Aバトルは、この頃からすでに“想定内”だったことを伺い知る(笑)。

 おいらの生まれたS39(1964)年は東京オリンピックの年。その2年後、アメリカへの留学を認めたという会社もすごいが、稟議書を回し、説得力もあったのであろう亀渕兄の度量もきっと大きかったのだろうなぁと、大らかでチャーミング(僭越)な氏の笑顔を想像していた。

 サンフランシスコ州立大に在籍。すごいことだ。仮においらが同じ場所にいたとしても、そんな度量などなかっただろう。
 
 帰国。ラジオ番組を手がけられた。局に届いたという当時「3千通以上のはがきの重さ」には意味として泣けてきた。ラジオをものすごい場所に導いた氏の功績は筆舌に尽くしがたく、氏には聴く専門として最大の素質があった。そして、電波界最大の功績者となった。

 リスナーを指して「株券を持たない株主」とは、なんと素晴らしいフレーズなのだろう。

 全6話、会社を愛した、ラジオを愛した、音楽を愛した亀渕兄の、ほんの一部の軌跡を一読者として拝読・堪能させていただいた。
 しかしこの尺では短すぎる! 進駐軍の件もサンフランシスコの件ももっと読みたい! 知りたい! そこで亀渕青年が何をどう感じたのか、つぶさに教えてほしい! もし異国の地で、ビビった話などがあるならば全部知りたい!
 読後感の心地よさと共に、そうも感じていた。

 亀渕兄、近々の再会を楽しみにしています。

投稿者 yonezawa : 18:01 | トラックバック(0)

2011年 05月 4日

Sっこ、Sおり、S子、M七代他

51jFP4baJyL._SS400_.jpg

 わずかの帰省日程だった故「おふくろとの時間を優先しなければ」と今回の同級生飲みは泣く泣く断念か?…と考えていたが、ノンアルコールながら宴にはおふくろ&M姉も参戦を決めてくれたので、喜んで同級生の集う場所へ赴いた。

 宴にはすでに7人くらいの面々が集っている。
 認識出来たのはそのうち3名。「この人、誰だかわかる?」と問われ、名前を伺っても正直分からないメンバーもいたりはしたが、先方がこちらを認識してくれていたので共通の知識で会話は流れていった。
 古くはもう40年以上昔の景色を想像しながら、懐かしい単語の飛び出す賑やかな空間に身を委ねた。
 イタリアン系の食事を済ませ、二次会のカラオケ・スナックへと移した頃、先ほどの話題にも出たM七代到着。
 冷静に考えれば幼稚園時代からのつきあいとなっている者までいる計算だ。
 次回、Sっこ、Sおり、S子、M七代他の愛娘、愛息らに会う機会があればまた楽しみ。
 連中に会わせた時にはまだまだ赤ちゃんだったRちゃんが元気に動き回る姿を、是非連中にも見せたいものだ。

 とにかく、無謀なおいらからの1日前思いつきメールで、全員が都合をつけてくれた。みんなの優しさに感謝。また飲もう!

投稿者 yonezawa : 17:56 | トラックバック(0)

2011年 05月 1日

頼むよそろそろ

51fodL2rHQL._SS500_.jpg

 早朝からRちゃんと2人きり。
 午前中よりゲーム中心の遊びで盛り上がり、正午を20分過ぎた頃「昼飯の時間が過ぎてる」と気づき、Rちゃんには唐揚げとソーセージそてい、プチトマト(サラダ)等を20分程度でこしらえる。
 おいらは、残念ながらRちゃんが食べず嫌いで、まだ口にしたことにない納豆とごま昆布と梅干しを追加した。

 昼食後、自転車で外に行きたいと言うRちゃんと2人でスーパーへ。
 (中身のバリエーションはあるらしき)同じ食玩製品を2つ買わされ、姫の大好きなゼリー、ヤクルト、ヨーグルト類を購入。
 自転車、早く乗れるといいな。今のところなんとか補助輪のない自転車での訓練を貫いている。

 夕飯は餃子とほうれん草とトマト。お父さんはそちらにキャベツの千切りが加わった程度。まだ生野菜もまともに口にしないRちゃん、頼むよそろそろ。

 風呂が沸き、イタズラ心全開のRちゃんは浴室ではしゃぎっぱなし。
 とにかく人の頭にお湯をかけたり、抱っこされたまま、お湯を張った洗面器を足でこぼしてやること……などに必死になる彼女のモチベーションに、こちらも最終的には笑いが止まらなくなる。呆れて。

 風呂上がりもゲーム。しばらくして髪の毛をドライヤーで乾かしてやり、パソコンのモニター前に座ったまま歯磨きさせるRちゃんの横着さをちょっとは注意しながらも、結局すべての要求を聞いてしまう父。

 彼女が床についた後、パソコン類の梱包をようやく開始。その重量と大きさに改めて焦る始末。
 梱包すれば益々限界に近い相当な重量と相当な大きさなのであった。果たして手荷物で成立するのかマジで微妙。マジでデカ過ぎ。

 明日から5日間、九州帰省決行。

投稿者 yonezawa : 17:54 | トラックバック(0)

2011年 04月 30日

Sちゃん進学おめでとう

51fcrWBnWHL._SS500_.jpg

 先週木曜日に約束していた飯の都合がお互いダメなり、延期する代わりに「30日、我が家へ来ないか?」と件のJより誘いの連絡があった。迷わずJ宅のある府中方面を目指した。

 一昨日はRちゃん発熱、夕べはおいらまで発熱してしまったのだったが、根性で本日昼間には平熱へと引き戻し、何事もなかったかのように電車を乗り継ぎながら現地へ。

 現代は携帯サイトの「乗り換え案内」を検索すれば、正確なアクセス手段を検索出来、正確な到着時間を先方に伝えることが出来る。
 今回もそのサービスの恩恵を受けながらアクセスしていたところ、西国分寺から乗り換えのホームへ着いたとたん「おったんー、おしっこ、がまんできない……」と姫SOS。
 Rちゃん夕飯用の唐揚げ&サラダ、お土産のケーキ、赤ワイン、H家Sちゃんの進学祝いの品等、大量で重量のかかる荷物を長椅子に置き、ダッシュでトイレへ。
 用を足した後、意外と余裕で間に合いかけっこでホームへとんぼ返り。

 約束の時間、改札到着。
 Jと、その愛娘Sちゃんが迎えに来てくれてた。Sちゃんは「切符(?)の精算がある」とのことで、みどりの窓口に並んでいた。
 府中に用事のありそうな労務者風のおやじたちが行き交う光景の奥をしばらく眺めていた。
 10分、15分、20分…と、なかなかSちゃんの用事が終わらない様子。
 「ずいぶん長いな…」
 窓口辺りを覗いてみれば、Sちゃんのすぐ前のおばさんが1人延々と窓口を独占していた。おまけに1人用のみの窓口なので、どんどん人が並び始めている。
 結局そのおばさん1人で25分以上を要してなんらかのチケットを購入した模様。次、Sちゃんの用事は1分少々で終わった。
 Jに「あのおばさんは世界一周のチケットを買ったんだな?」と問いかけながら、Jの提案で徒歩のまま、暗闇祭の準備をしているという大国魂神社へお参りに。
 Rちゃんを抱っこして歩道をゆったりと歩いていると、正面から自転車に乗った糞馬鹿オヤジが突っ込んできそうな勢いで真正面から向かってくるではないか。瞬時に避けたが、思わず「ここは歩道だろうが、馬鹿たれが!」と正義の注意をゴツンとかました。捨て台詞で「なんだとこの野郎」と聞こえたが声は去っていた。ああ〜辞典の角で殴りたい。見かけ60歳代後半の糞馬鹿オヤジにはよい教訓になったであろう。いつ轢かれても不思議ではない精神状態の糞馬鹿オヤジは厄介。

 即時気を取り直す。それにしても神社へのお参りなんていい機会。こうした提案が実にそつない。常識人でホントの意味におけるインテリ。Jの人間性とバランス感覚が30年前からおいらは大好きで、自分なんかには到底追いつけない人としての度量を感じるのだった。
 Jは同級生うちで最もクレバーで真っ当で、成熟した社会通念を有する希有な存在。今日も30年前も何も変わっていない。一点の曇りもない素晴らしいJの家族と接すれば、そのすごさをすべて認識させられる。
 
 徒歩で20分かけ、そのうち9割の道中は「おったん、だっこー」の要求のまま、地味に汗をにじませた状態でJ宅へ到着。
 食卓にはすでに食事の用意がしてあり、Rちゃんは即時PCをセッティングしてもらい、早速ディズニーゲームに没頭。

 ビールが美味い。
 J宅訪問は丁度1年ぐらい前だったか。ゆったりと親睦会のつもりだったが、おいらをゲームへと誘う姫の要求がひきりなし故、笑って諦めた。

 「おうちにかえりたい!」
 突然脈絡のないタイミングでスイッチの入った姫が叫びながら号泣し、胸に飛び込んできたタイミングを堺に即帰宅準備を開始。

 Sちゃん進学おめでとう! わざわざ駅まで送ってくださったH家のみなさま、今日も大きく感謝!

投稿者 yonezawa : 17:53 | トラックバック(0)

2011年 04月 26日

人生の贈りもの

51%2BNoOrGOiL._SS500_.jpg

 マーラー交響曲第5番 第5楽章、拝聴。
 JEFF BECKご意見番:Kさんより知らされたネット情報に反応。
 ベックがマーラーの交響曲をカバーしているそう。その音源がなぜか発売前にネット流出し、「そのままお蔵入りとなった幻のテイク」があるとのこと。そこには「涙が出るほどの名演」と書かれていた。そうだろう、そうだろう。

 次回はクラシックだけの選曲による音源制作になるのか、 ジェフ?
 近年のインタビューでもそうした発言はあったので噂はかなり現実的なのかもしれない。

 なんだか日程が見えずに悩み悩んでいたが腹を決めた。GW中の単独九州訪問を確定。Rちゃんと離れるのがものすごく寂しいけれど。
 おふくろのパソコンを最新スペックへと変更し、万全のネット環境を構築するのが主たる目的。今はおふくろと語り合う贅沢な時間を心待ちするのみ。

 NHK『亀渕昭信のにっぽん全国ラジオめぐり』
http://www.nhk.or.jp/kame/index.html
で絶賛稼働中。現在、日本国中を飛び回っておられる我らが亀渕おとうさんより最新情報入手。
 朝日新聞夕刊掲載のコラム「人生の贈りもの」に亀渕兄が計6回登場する。
 4月25日、26日、27日、28日、の後、連休を挟んで5月2日(月)と6日(金)の計6回、掲載予定とのこと。
 昨日の回はすでに確認した。おふくろ様が料亭を営んでおられたことは初耳だった。
 この時代のエピソードに感じられる独特の空気は、全部映画のネタになりそうな迫力というか、妙な興味深さを抱かせるのは何なのだろう。我が母の境遇とも重ね合わせて読んでいた。
 大らかで優しい亀渕少年の人間性がここから育まれ、そしてFENに突入……だったのか? やがて少年は真顔でアメリカン・ポップスを追いかけはじめる、崇高で真っ当な(イワレナキ)不良少年時代に突入。……だったのか? 最終話まで楽しみに拝読することにしよう。

 小学生時代最ものめり込んだアイドル「CANDIES」スーちゃんの訃報は残念。ブロマイドを卓上に飾り、壁に初めてポスターを貼ったのがCANDIESだったか。あの3人が今も変わらず仲良しでいたことを知り、心が温かくなった。合掌。 

投稿者 yonezawa : 17:47 | トラックバック(0)

2011年 04月 22日

カメラのロケハンとOちゃん

41QOd-4XFyL._SL500_AA300_.jpg

 初校の戻し原稿を確認し、本番本文原稿を9割入稿。
 差し替え用のレイアウト・データが到着し、一区切りついた。

 ヨドバシカメラへコンパクトカメラのロケハンに。
 機種が鬼のように多い故、この分野は迷いまくる。
 目的はCanon製品であったが、シェアーはたいしたことがないというPENTAXの物件がやや気になった。いずれにせよ、手ぶれ防止と露出補正は条件。

 夕飯は、遅めの時間にW社Oちゃんと待ち合わせた。
 幻にならぬよう、現在企画書をしたためている(現段階では)ある妄想を直接プレゼンするべく、当日連絡ながら、Oちゃんは快くおつきあいくださった。
 レコード会社勤務の彼、ちょっとフライング情報だが、あのJBと一杯やったことがある!というとんでもない経験をしている。なんとときめく夜なのだ。OちゃんThanks&ごちそうさま!

 http://cweb.canon.jp/camera/dcam/lineup/index.html
 http://www.pentax.jp/japan/products/optio-s1/
 

投稿者 yonezawa : 17:43 | トラックバック(0)

2011年 04月 20日

代表取締役

e01_l.gif

 確か昨年9月頃入籍したYと、その日以来の再会を果たし飯。
 Yは、編集部界隈に自分の会社を構える一応事実上の代表取締役。
 東大生だった学生時代からヤツのことは知っているが、まるで会社経営者に見えないところがYらしくもあり(笑)。しかし大したものだ。

 貿易というか、仕事の中身は海外との取引がメインだと聞き、まったく異分野で活躍するヤツの仕事内容を聞き入った。
 乾杯した串揚げ屋はYの会社の入ったビル1Fにある店だったが、とても感じのよい店だ。また誰かと訪れたい。遅れてYの妻N到着。

 時代はどんどん移り変わり、連中との時間もそれなりに経過しながらも、お互いの性格などもちろん変わることもなく、彼らと初めて会った場所「六本木の鳥料理屋」の距離感と今日も同じだった。

 遅い電車で吉祥寺へ。
 地元の舶来映像人間T、デザイナーYと待ち合わせ、こちらもずいぶん久々の再会を果たした。
 「もしかしたら来月頃引っ越しするかも」とTとYに伺った。頻繁に会わないくせに、そうした話を聞くとちょっと寂しい感じ。
 彼らを見送り、一人禁断の豚骨ラーメン。ラヂヲ先生、ごめんなさい。

投稿者 yonezawa : 20:18 | トラックバック(0)

2011年 04月 12日

映画伝道師

LESLES1.jpg

 相変わらずマスクが欠かせない。

 映画伝道師:むーちゃんと久々に再会。
 日常、そうした「お茶する」的週間のないおいらとしては珍しい。
 神保町の昼下がりに、原発のことやら映画のこと、次にむーちゃんが何を見つめているのか、彼の志のようなことを聞いた。
 被災地近くに身内のいるという彼は終止笑顔。彼との最初の邂逅はロンドンのヒースローだったっけ。
 朝以降何も口にしてなかったからか、20時を回った頃、空腹が限界に達し吉野家に駆け込んだ。
 ついこの前まで肌寒かったはずなのに、ふと訪れた奇妙な暖かさが真夏の激暑を予感させた。

投稿者 yonezawa : 18:15 | トラックバック(0)

2011年 04月 4日

会食

51085XK3KKL._SS500_.jpg

 コミックス原稿の入稿に今日も編集部へ。

 夕方、Hさんとの約束の会食へ。
 どうしても震災の話が話題の中心になることは致し方ない。Hさんの持つ興味深いご意見を聞く機会としても、今日は楽しみにしていた1日だった。
 大型の飲食店は仕入れの調整が大変とのことで、大量に仕入れても客が来ない。あるいは少ない仕入れで予想以上の客が来てしまったらお手上げ……っと、飲食店も踏ん張り時の時世だと聞く。
 酔いに任せ、話がどんどん転がるように様々な分野に渡っては移り変わる。構えた飲みの席でない飲みこそが心から楽しめる空間であると認識しているが、今日もその最たる日。
 理屈抜きに楽しい。何から何までHさんには大感謝だ。

投稿者 yonezawa : 17:42 | トラックバック(0)

2011年 03月 31日

@shueisha.co.jp

CA3A1433-0001.JPG

 本日をもって、およそ22年間あまりお世話になったヤングジャンプ編集部を離れることになった。
 関係者各位へお送りさせていただいたメールは、温かいメッセージとなって返信賜り、その普通の距離感に嬉しさがこみ上げた。
 22年という時間が経過する最中、幸運にも知り合う機会を得た多くの仕事仲間は、時に同士となり、戦友となり、隠し事の一つや二つを共有するぐらいの友ともなった。

 そして、なんといっても数多くの作家と出会えたことは、この業界にいてこその幸運と言えた。
 華々しいメディアの中でしかお目にかかれなかった多くの著名人の方々とも、たった一度の取材に始まり、まさかその日から何年もお付き合いすることになるとは。
 編集者とささやかなミュージシャン活動の中で得た、人と人との繋がりはまさに生涯の宝だ。
 20代前半で出版界に飛び込み、30代前半では書籍の出版が叶い、ロックバンドでは一応アルバム・デビューも経験した。その長き間、常に自分の隣にあった最たる核こそが【週刊ヤングジャンプ】という媒体だった。

 雑誌が創刊されたのはおいらが中学生の頃。創刊1号から3号目までを大分県の書店で購入した記憶がある。
 装丁の雰囲気が当時の感覚だと「大人の雑誌」風だったので、買う際レジのおばちゃんに「この本は大人が読む本なんやけどねぇ」と釘を刺された。そして4号目以降を買う勇気は断たれた。
 その雑誌の編集部に自分が所属したことは奇遇であり、成人してからの青春時代というものがあるならば、その時間の全てをこの雑誌につぎ込んだと言っていい。

 1989年1月、神保町は猿楽町の第四編集部に所属され、最初に手がけた雑誌が月刊ベアーズクラブ《BEARSCLUB》1989年3月号(通巻10号)。
 執筆陣には、日野日出志、猿渡哲也、中島史雄、柳澤一明、船戸与一、はた万次郎、金井たつお、矢也昌久など。
 そこでおいらが最初に入稿した漫画原稿が【志水三喜郎・画、針木康雄・監修「HONDA WAY 本田宗一郎青春伝(前編)」P100】だったと記憶する。

****************************

yjcover.jpg

 「当時20代前半だった小僧も、あっと言う間に40代半ばの中年になってしまいました。ヤンジャン編集部在籍中は、いつも温かいご支援とご指導、手厚いご協力を賜りまして誠にありがとうございました。 新たな環境におきましても、これまで以上、良質なカルチャーの啓蒙に全力を尽くす所存です。みなさまとの再会の機会を楽しみにしています。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。」

※尚、これまで使用しておりました編集部の米澤アドレス
youngjump_yonezawa@shueisha.co.jp  は本日をもって不通になります。

投稿者 yonezawa : 22:46 | トラックバック(0)

2011年 03月 29日

江口寿史兄、55歳

61dvfbgZBJL._SS500_.jpg

 Rちゃんのいないリビングが閑散。
 鰺を塩焼きにしてキャベツを刻み、トマトを切って、豆腐と卵とタマネギで味噌汁をこさえ、一人リビングで食事を摂る。
 そろそろ街も人が帰ってきたような印象。自粛ムードで外食すら発想しなかったこれまでが、徐々に回復してゆく感じ。
 しかし20時前後、また余震が。夜、谷口ジローさんと編集者の集いに参加。先生、連載絶好調。〜痛飲。

 そして江口寿史兄、55歳の誕生日おめでとうございます。

投稿者 yonezawa : 22:43 | トラックバック(0)

2011年 03月 26日

51tS4bP0L0L._SS500_.jpg

 えらく寒い1日だ。
 後ろのタイヤに何度空気を入れても、翌日には空気の抜けてしまうRちゃんの赤い自転車はパンクかと思い、近所の青空自転車修理屋さんまで持って行った。
 自転車を預け、買い物を済ませて戻ったところ、パンクではなく必要な器具が外れていたとのこと。修理費400円。

 近くの公園でブランコ&鬼ごっこを経て帰宅。しかししみじみと寒い日。Rちゃん、大丈夫か?
 
 夕方、作ってもらった唐揚げ、ポテトサラダ、激美味芋焼酎:明月などを持参し、bambi打ち上げの場へ。

 ライヴ当日の打ち上げは、ご来場のみなさまとの会話を優先して楽しむことが慣例となっており、歴史的においらもバンド・メンバーでの打ち上げ、という状況にはなかなかならなかったものだ。
 bambiにしても同様でそうした流れも踏まえ、打ち上げは事前に予定され今日を迎えた。

 しかしこの時期、居酒屋類は計画停電やらの影響もあってか営業時間がえらく短縮されている様子。すると「ならばココを使ってよろしい!」と、太っ腹の提案を賜り、その主:bass:yoyo&𠮷紋兄が宴の場を提供してくださることに。なんと有り難い。
 かくして全員の手弁当で宴開催の運びに。

 銀座のあるワインバーではメニューのいくつかに印がついており、その品(ワインもフードも)の価格のうち200円分を日本赤十字社に義援金として寄付するというシステムを取っていた。
 この時期、アルコールを口にすること自体に罪悪感を感じる方がいるようで、ならば「アルコールを飲むことによって寄付している」というシステムにすれば抵抗感も減るのではないか、という店主のアイディアでそうしたらしい。
 その品を注文した方は署名し、その署名の一覧をお店のオフィシャル・サイトにそのまま載せるそうだ。

 午後6時前後、いい年したbambi&関係者がわらわら集う。まるで高校生の集いのよう。
 𠮷紋兄が用意してくださったギターの美しくてコンディションのよいことといったらなかった。さすが音楽職人。
 おいらは座布団に座った端からMartinを手放さない。大先生の手にしたイバニーズ?の関連ブランド?の物件も素晴らしい。
 唐揚げもポテトフライも、芋焼酎:明月も白ワインもちらし寿司もおにぎりも、ずこんずこん胃袋に消えてゆく。ギターは延々弾いている。

 頃合いをみて、おいらは初めて観た先日のライヴ映像観戦。全員モニターに釘付け。
 映像を手がけてくださった𠮷紋兄の一見無造作なアングル、切り取り方に、各々ピリっとくるクールなセンスを感じていた。 

「音楽が好き」「楽器が好き」「演奏が好き」そうした共通認識で集う利害関係のない(笑)身内メンツで、ホロホロ酔いながら、ホクホク弾きながら、ワラワラ語り合う瞬間の贅沢なことといったない。
 気持ちよく大先生の新曲にあわせていたところ、隣でvo.haruが爆睡体制に。さすがフロント大物女子。こうでなくちゃ。

 皆様方、今日もお疲れごくろうさんでした。yoyo&𠮷紋兄、ありがとうございました。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2011年 03月 24日

取材の歴史

518Q8KuHCmL._SS400_.jpg

 昨年のうちに写真家:熊谷貫が事務所を引っ越したと聞いた。
 ふいにもらった彼からの連絡で、今夜、西麻布の新事務所を初めて訪れることに。
 貫との歴史もいろいろあった。

 まだ世界戦を行っていた頃のラスベガスでのボクサー辰吉丈一郎選手取材は、貫にとっての最初のヤンジャン海外取材だった。
 『Kids Return』での北野武監督取材は2人にとっての大きなターニングポイントとなった。
 世界戦に挑戦する以前と以降のボクサー畑山隆則選手の長期取材では、マニラでのキャンプにまで自腹で同行したこともあった。
 ともかく、ここ十数年に渡り様々な局面で現場を共にしてきた。
 事務所で紅茶をいただきつつ、話題は地震、被災地、原発,政府、東電の話。
 昨日、ある作家も語っておられたが、この災害を乗り越えた先には本当に必要な作家だけが生き残り、多くが淘汰されるだろう……といった意味合いの話をここでも語り合った。
 写真家しかり、雑誌本体しかり、本当に必要とされれる媒体、カルチャーだけが生き残ってゆくと思われる。
 映画も漫画も小説も写真も、生きるためには最優先されるものではない。当事者の心境の根底には,正直戦々恐々といった意識を強く認識させられた。
 
 今回の事件が世界的にどのように見られているのか、海外の友人から届くメールで、逆にその重さを感じとっているこの頃。
 実際、汚染国となってしまった日本。今後、相当頑張らねばと個人個人の意識にも渇を入れ、完全復興のスピードを願うばかり。一歩ずつ乗り越えなければならない。

投稿者 yonezawa : 22:39 | トラックバック(0)

2011年 03月 23日

帝国ホテル

51ZjmXcFEaL._SS500_.jpg

 早朝連続の揺れには警戒させられた。もう余震への構えが定着してきた感じ。

 正午過ぎ、帝国ホテル・ロビーで待ち合わせた作家Bさんと珍しくランチ。
 この2週間、本格的に飲むという約束は全部延期されてしまったので、作家と語りながら割とゆっくり飯を喰うのは久々な感覚。
 お会いした瞬間から、話題は当然大地震のこと。当日何をしていたかを伺った。

 昼間、こんな高級ホテルでランチを食べる方とはどういう職業の方なんだろう。いつもそうした疑問が頭を過ぎるが、かくいう自分も同じ疑問を大いにもたれているのだろう。
 チキンカレーが結構ボリュームあってお腹いっぱい。
 Bさんを見送り、帰社後、せっせと校了作業。今日で校了のすべてを終える。
 夜は引き続き、せっせと単行本の入稿。昨日に続いて夕飯は出前の弁当。明日も揺れるんだろうか。

投稿者 yonezawa : 22:38 | トラックバック(0)

2011年 03月 21日

相田監督ブログより

51vbZ2uwKoL._SS500_.jpg

 相田監督ブログより転載。

http://documentary-campaign.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html
 
 Sunday, March 20, 2011
この難局を生き抜くために
専門家の意見を聞け、門外漢は黙ってろ、という言説に違和感を覚える。「どんな地震が来ても原発は安全だ」という専門家のお墨付きを信じてしまったからこそ、今日の原発災害があることを忘れてはならない。この期に及んで専門家に自らや家族や国の命運を預けてはならない。

そもそも、専門家の間で意見が割れる事柄は多い。特に原発や放射能の問題は賠償問題もあるから政治が絡む。だからバイアスや誇張や嘘が混じりやすい。その道の専門家だからといって、100%信用する方がどうかしている。

だから結局問題は、どの専門家のどういう説を信頼するか、ということになる。これは、われわれ非専門家にとっては難しい。専門知識がないから判断の術がない。では、どうするのか。

難しいけれども、まずは説そのものが納得いくものかどうか吟味することが必要だ。そして対立する説があれば比較する。また、その専門家の政治的立場や人的つながり、経歴などを調べ、どんなバイアスがかかり易いか考える。あとはその人の人柄を直観する。難しいけれども。

でも、非専門家にとっての究極の目標は、その説が正しいかどうかを判定することではなく、生き延びることだ。サバイバルできるなら、説の成否はどうでもよい。だから、何を信じれば自分や大切な人やその他の人々が生き残りやすいか。それを究極の基準にすればよいと思う。

いずれにせよ、エネルギーにしろ、医療にしろ、政治にしろ、教育にしろ、僕らは専門家任せの社会を作ってしまった。社会が複雑化したせいもあり、自分で考え判断するのは難しいし面倒だから、みんな専門家に丸投げしてしまっている。この機会に、その態度こそを改めなければならないと思う。

専門家に丸投げすることによって眠らせていた各人の生存本能を、今こそ起動せよと言いたい。

投稿者 yonezawa : 22:37 | トラックバック(0)

2011年 03月 8日

ジェフ・ベック信者

Z321000639.jpg

 見たくもない者が出てきた悪夢のせいか、午前の早い時間に起こされた。

 昼間、某編集部某氏とのミーティングで、氏が恐ろしい程のロック通で当たり前のようにジェフ・ベック信者でもあることが発覚し、驚き、喜んだ。
 ここまでギターを語れる編集者は近場の編集部にもいない印象だ。この22年の間。

 妄想が形になる──。
 世の傑作創作物は往々にしてそうして結実してきた(と思う)。
 昼間の編集部なので、さすがに飲酒なわけではないが、(くだらない戯言が9割だとしても)酒を飲んで語り合う雑談も、いかに重要であるかを再認識する瞬間でもあった。

 『俺のロック・ステディ/花村満月』をこれから拝読する。

 最近入手した書籍『超思考/北野武』の中身がともかく的を射ており、理屈抜きに素晴らしすぎる。読者に対して注釈として促す文面もあるが、そんな心配はおいらには不用で、ここには乱暴な言葉など皆無。
 この崇高なる書籍をもって日本中を啓蒙したい気分。

 昨年、ゴールデン街で知り合い、約束の酒が果てしなく延び延びになり、今日ようやく実現の運びに。まるで芸術家のようなTさんとの空間が貴重で嬉しい。
 「酒が好きでお金がかかってしまう」と無邪気に笑ったTさんの笑顔は、名前同様にツボだった。
 ちゃんこからシンク経由でSTOP。パーフェクトな一時。

投稿者 yonezawa : 01:33 | トラックバック(0)

2011年 03月 7日

MIXI

P1210525.JPG

 午前、起きがけに外を見ると雪が斜めに降り注いでいる。
 それなりに積もる勢いの雪。完全防寒の準備で外へ。
 
 飲みだちで取材対象者で映画監督で最高学府の想田さんが、MIXIで上手いこと語ってたので、抜粋転写。

 「筑紫哲也さんが癌で亡くなる直前に「日本という国は癌にかかっている。栄養分をみんな癌がとってしまって、必要なところに全然行き届かない」という趣旨のことを発言されていた。それを思い出し痛感する今日この頃。」

 「僭越ながら先の筑紫さんの言葉に僕が付け加えるとすれば、『日本は癌にかかって死にかけているのに、水虫のことばかり気にして様々な塗り薬をとっかえひっかえ塗り続けてる』という感じかもしれない。」

投稿者 yonezawa : 01:32 | トラックバック(0)

2011年 03月 1日

少し不器用

image004.jpg

 誠実で生真面目で温かくてクレバーで(多分)少し不器用で品格溢れる両氏。
 折に触れてOさん&Oさんと、貴重な時間を過ごせる環境にいるおいらは幸せだ。
 新宿でしばらくぶりの親睦会を楽しんだ。
 人生の大先輩が、青二才に対して何の負荷もないまま、同じ目線で日常感じるあれこれを語ってくださる、ということにひとつの喜びを感じるのだ。

投稿者 yonezawa : 01:27 | トラックバック(0)

2011年 02月 22日

サシ飯と格闘家

0-100701-02.jpg

 珍しい午前中からの連絡をいただき、ひょんな展開から今夜は大先輩のYさんとサシ飯となった。
 貴重で有り難いひととき。今日の親睦会の内容は、あと4〜5年くらいしたら明確に書き記したいものだ。
 新宿二丁目の美味しい和食屋で満腹になった。Yさんに感謝。

 今日の約束を入れた直後の昼間から、大道塾:飯村師範から飲み会に誘われており、宴をやっている場をメールで確認後、格闘家の集う居酒屋へ合流。

 かつてU.W.F.スネークピットジャパンで活躍した望月竜介氏、ムエタイのリングも経験するキックボクサーの大野氏、遅れて、現役東大教授の猛者で獏さんの友人である格闘家:松原氏も合流し、とことん格闘技談義。
 本気で肉体的に強靱な者たちが、いくつかの試合を振り返ったり、未来のカードを睨んで議論するその内容は、やはり説得力という意味では我々素人の比ではない。
 おいらの知る格闘家は、例外なく優しく、ユーモラスに溢れている。
 飯村の最近のブログを読んで驚嘆していたのだが、今日、彼から届いたメールがこうだ。

 「昨日ロシアから帰ってきました。最初は日本選手団のコーチとして同行の予定だったのですが(大道塾吉祥寺支部の田中)俊輔が試合一週間前におたふく風邪になり、ロシア行きもドクター・ストップになったため塾長の無茶振りで自分が出る事になりました。結果は準決勝で10kg以上差の毛毟ったゴリラのようなロシア人に腕十字で負けましたが、3回勝ってベスト4なので面目は保てたと思います。」

 どんな世界なんだ。
 このメールを拝受し、おいらは改めて格闘という世界で生きる者の精神力のすごさを感じ取るのであった。
 飯村は正式な試合のリングには7年あがってなかったのだという。本来試合などするハズではなかった男が単身ロシアへ乗り込み、娘の待つ日本を想い、プチ・ホームシックにかかったなどと冗談めいて語っていたが、モチベーションもないままリングに上がることこそ最も辛い状態であったことだと察した。
 今夜は少しだけ飯村を労おうと思った。

 今週の土曜日に、弟子や仲間が慰労会を開いてくれるので、おいらのライヴ(の打ち上げ)参戦はなくなり、残念だったが、おいらも駆けつけて労いたい気分になった。

投稿者 yonezawa : 01:22 | トラックバック(0)

2011年 01月 21日

還暦祝杯

817982e0bfbf98956c81ada0c2f9444c.jpg

 東京駅界隈の名古屋料理屋でBさんの還暦祝い(元旦)開催。
 南方方面帰りのBさんは大きなリュックを抱えて登場。Bさんのご都合を伺い、本日祝杯の日を決めた。
 ちゃんちゃんこは止め、渋谷のmont-bellで赤いアウトドア・ジャケットと赤いソックスを事前に代表購入していた。乾杯後、精鋭4名のワリカンにてプレゼントの贈呈式を。

 1年中世界を飛び回っておられる日常のBさん。根っから朗らかな氏の笑顔で場の空気は一気に温かくなる。
 「還暦を迎えられたご気分は?」とお伺いしたところ「分かったことがあるんだよ! (60歳になったからといっても)なにがえらくなることもなく、なにが見えてくるものでなし。優秀なヤツは10代から変わらず優秀で、60歳になっても駄目なヤツは変わらずダメってことなんだよ」と笑顔でご教授。
 Bさんのおおらかさを隣で眺めながら、20年近く前に氏との出会った幸運を心から感謝するのだった。

 氏を新幹線駅改札までお見送りし、定期的親睦会を欠かさないSと新宿へ河岸を変え、サシ乾杯。
 慢性の寝不足のはずなのに、おいらと飲む際にはいつも朝までコースの気持ちでつきあってくれる有り難いS。若いSにはいつも感謝だ。
 彼と話す場合、大概、携帯にメモらねばならない重要事項が毎度いくつかある。

投稿者 yonezawa : 18:09 | トラックバック(0)

2011年 01月 20日

jimmychar.jpg

 見に行きたい映画は複数ある。
 気になっている映画もたくさんある。
 しかし、気分がなかなか盛り上がらず、ここのところ多くの試写会を見逃している。
 
 夕方、この20年間、信頼する某氏とお茶。
 近況を報告し、温かい言葉もかけてもらえた。
 明日の風はどちらに吹くのか。

投稿者 yonezawa : 18:08 | トラックバック(0)

2011年 01月 19日

タワーの先っぽ

c-1.jpg

 カウンターのテーブル前から東京タワーの先っぽが見えた。
 おいらのプライベートではありえなさそうな高級神戸牛が目の前に運ばれる。
 かけがえのない方との貴重な時間が過ぎる。「おいらも後10年もすれば、こうした品格ある酒を飲むのだろうか」と妄想するものの「現実はきっと今と変わらない」という結論に今日も行き着く。氏には何年も何度も深く重く感謝するのみ。

 1人になれば様々な妄想が広がる。不安を抱えた妄想。
 「こんな時、親父だったら何を選択するのだろうか?」分かりようもない自問自答。
 一昨年に始まり、昨年末の予測しなかった決定的事件から、時間の流れにとまどう日々。
 突破口はまだみつからない。かんばしくない意味合いの“日々仰天”が続く。決断は結局本人の意志のみ。

投稿者 yonezawa : 01:39 | トラックバック(0)

2011年 01月 16日

正真正銘のロケンローラー

up_888812.jpg

 昼過ぎまでRちゃんパソコン・ゲームにつきあい、車で池袋へ。
 西武デパートに繋がる書店リブロで行われる「江口寿史サイン会」会場へ向かう。

 開始時間より1時間も早めに着いてしまったので適当に時間をつぶしつつ、先ちゃんと合流した後、別館8Fのカフェで待機。なんだか仕切りが心細い。

 サイン会より数日前に、整理券は予定枚数をあっと言う間に配りきったそう。
 次回の先ちゃんサイン会は30日14時より吉祥寺リブロ。並んだファンの行列前方、男子多し。
 
 この1〜2年で、おいらが最も注目するロックシンガーAから最新デモ音源拝受。嬉しい。
 英語圏からやってきたAの魂込めた、まさに渾身の新作。
 明日、珍しく通勤の際に爆音でもう一度拝聴予定。スキルは上がり、勢いは増し、期待は募るばかり。Aは正真正銘のロケンローラー。

投稿者 yonezawa : 01:33 | トラックバック(0)

2011年 01月 9日

最新超絶傑作

WP008_l.jpg

 午後、夕方までの3〜4時間、Rちゃんと2人きりで「かるた」やら「神経衰弱ゲーム」等に興じる。
 先日、先ちゃんより贈呈いただいた額装に、購入してきたイラスト「ROCKS」をはめ込む。
 額装にすると、絵にしろ写真にしろ数倍の風格を感じさせるもの。

 本作を受け取りに画廊へ行った際、東京芸術大学書道サークルの「審美展」なる作品展が開催されていた。
 せっかくだったので1点ずつしっかり閲覧。たまに上質の書を観たらば迫力も感じられてとてもよい気分になった。

 かつて、祖父も親父も姉も書家だったおいらの家系で書はとても身近なモノで、毎年正月には祖父の家で書き初めをやって(やらされて)いた。
 祖父の目の前で書く“書道”にはほどよい緊張感があり、今となっては貴重で重要な思い出。
 絵に描いたような祖父像だった。
 おいらが子供の頃、祖父は「男は3年に一度だけ(顔の)半分だけ笑え」と言ってた。
 耳の毛を1本抜いたら1円のお駄賃をくれた。
 祖父の家屋の庭には小さな川が流れており、幼少の頃我々はそこで泳いだものだった。
 その冷たい川の水で、桶と洗濯板でせっせと洗濯していたのは、新婚当時の母親だったと聞いた。
 この年代になって初めて気がつく大いなる価値観がそこにはあった。

 夕方、宅配便を拝受。
 差出人は、長年大尊敬し、敬愛し続けるBさん。ひもといたら驚愕。あの最新超絶傑作作品の最終巻・生原稿が丸ごと入っていた!

投稿者 yonezawa : 21:11 | トラックバック(0)

2011年 01月 7日

真剣師:小池重明

WP004_l.jpg

 飲んだ席でふいに出たのが、真剣師:小池重明の話。
 「プロより強いアマチュア」この魅力溢れるたった一言のフレーズで、その人となりを知ることとなったのだが、今宵そうした方向にも話は転がった。
 「疾風三十一番勝負」という「真剣師:小池重明」の続編となる文庫のあとがきに、獏さんが寄稿されており、その文面にもかつては泣いた。

 そのあとがきをA3の紙に拡大コピーし、当時闘病中だった父親に読ませるため入院先の病室に持っていたことがあった。
 何故、その文章を持って行ったのか、当時の自分の気持ちも明確には覚えていない。
 ただ、そのあとがきで獏さんが、本書の作者である団鬼六に嫉妬しているようなテイストも感じ受け、えたいの知れぬ力が漲ってきたその現象を父親にも感じさせたい、そう思っての行動だったように回想する。

 飲んで小池の話を語ると力が入る。
 やむない理由で志を貫徹しないまま若くして逝った小池の生き様は、節目節目で彼を知らない輩に語り継ぐことになろう。
 団鬼六も活字の名人也。

投稿者 yonezawa : 21:09 | トラックバック(0)

2011年 01月 6日

吉田兄と先ちゃん

It%20Might%20Get%20Loud.jpg

 部屋の棚などにかからないで布団が敷けたのは随分しばらくぶりだったかも。
 隅々まで整理した部屋での寝起きは気持ちよい。すぐ乱れるのだろうけど。

 大手TV制作会社イーストのスーパープロデューサーで、永遠のたけしさん番:吉田兄と初飯。
 暮れもまったく互いの予定が合わず、結局再会は年をまたいでしまった。
 本日ふいに待ち合わせが叶い、焼き肉をゴチに。兄貴感謝!
 持参してくださった『失速DVD』を『STOP』で拝聴。
 吉田兄の謙虚な言葉とは裏腹に、いつもの広大なシャウト技量に笑う。ではなくうなる。映像の中の吉田兄は今日もかっこいいぜ。
 そして、最新たけしさんエピソードで心が暖かくなった。

 遅い時間になり吉祥寺へ電車移動。新宿駅のホーム、寒い。
 たまたま仕事場で先ちゃんがつかまった! 先日の個展で展示してあったイラスト「ROCKS」(←タイトルです)の額装と、先ちゃんがイタリアのブランドに依頼されて描いたという赤ワインを頂戴するべく寿スタジオを久々に訪問。
 この赤ワインは画廊でしこたま飲ませていただいたのだが激美味で驚いた。パッケージも中身も一流品の認識。
 先ちゃん、わざわざ手提げのビニール袋をこさせてくださり、心では激しく感激。

 仕事部屋のレイアウトが大きく変更されていおり、ツメ作業の時に突然おっぱじめる先ちゃんの気分転換を思い出す。
 先ちゃんは整理整頓の天才でもある。

 近場のロックなバーで軽く一杯おつきあいくださった。
 ところが先ほど、吉田兄と飲んだ赤ワインが喉につかえており、2杯頼んでほとんど1杯分しか飲めない自分。
 正月、あまり飲む機会がなかったせいか、やや弱いコンディションの新春。
 とても心地よい音楽(BB&Aとか)を聴き、河岸を変え、先ちゃんと2011年初麺で〆。
 なんとしても今年は『まんがヤング』やりますよ!
 
CA3A1417-0002.JPG 

投稿者 yonezawa : 02:33 | トラックバック(0)

2010年 12月 28日

ツェッペリン繋がり

61jUZQiPaRL._SL500_AA300_.jpg

 ツェッペリン繋がりな亀渕兄との2人忘年会は新宿の『ひろ喜』にて。

 あの信じられないライヴの証人になって早3年。
 それまでの間、氏とは何度かの酒席を共にさせていただく幸運に恵まれてきたが、師走も押し迫る大層なこの時期に彼のスケジュールが確保出来たことは本当にラッキーだった。

 席に着く前、氏の第一声は「ツェッペリンは(なかなかライヴを)やらないなぁ、おい!」。
 なんとも真っ当で粋で、同時に(僭越ながら)チャーミングな氏の発散する空気がたまらない。
 時間を最大限に有効利用しつつ、氏のご意見を徹底的に伺い尽くす時間。贅沢な夜だ。

 新丸ビル8Fでやってるというアートディレクター信藤三雄さんのDJパーティーに行きましょうということになり、地下鉄移動。
 亀渕さんの友人でもある信藤さんには初めてお会いしたが、このイベントには江口さんもお誘いしてたとのこと。
 「スナックみつお」と銘打ったイベントを後にして、亀渕兄との忘年会をお開きに。

投稿者 yonezawa : 03:28 | トラックバック(0)

2010年 12月 17日

『ソレイユ』 東京公演

kaori.jpg

 とてつもなく優しいフィンガリングでフェイド・インしてきた「ヒア・カムズ・ザ・サン」の旋律にいきなり鳥肌がたった。音色もビジュアルも、本当に美しい…。

 昨年の今頃、同じ場所で聴いたあの感動と同じ感触が思い起こされ、常に「最新のライヴがベスト」と感じられるコンサートの幕が開いた。

 リリース記念コンサート『ソレイユ』 村治佳織:東京公演はニューアルバム『ソレイユ』収録曲を全て演奏するスペシャル・コンサートとして、恵比寿ガーデンホールで行われた。
 丁度昨年の今頃も同じ場所で佳織ちゃんのコンサート観戦のために、このホールを訪れていた。

 贅沢にもアルバムそのものの曲順で構成された演出は、暮れの最後にファンが大満足するライヴとなった印象。とても贅沢な演出となった。
 下町!(日本)が世界に誇るクラシック・ギタリスト:村治佳織の機微は今年も極まる。さすがだ。

 ゲストとして登場された沖仁さんとのコラボレーションも興味深い。あの優れたフラメンコ・ギタリストが一歩引いて演奏しているニュアンスも新鮮で、佳織ちゃんのギターの迫力が
がぜん引き立つ演奏となり、ホールに力強く響き渡っていた。
 「2人のコラボレーションはまた観てみたい」と、会場の多くの皆さんも感じられたことだろう。

 演奏クオリティに比例するように、愉快で品格溢れるMCのそつなさ。もはや村治佳織はなにもかも手に入れてしまった。
 後はそのトップ・スキルを何年継続するか、今後のテーマの一つはそこにもあるように思う。

 昨年は「初二日酔い」のエピソードに会場が温かい気持ちに包まれたような記憶。
 今年は師走に向かって12月半ば前より暮れまで基本的に延々飲む相手がすべて決まってしまっていると言う、忘年会アホ・スケジュール渦中の自分を省み、自業自得に汗。

 世界最高水準にある村治佳織のような素晴らしい演奏を目の当たりにする度、毎年毎年、襟を正さねばと、二日酔いを含めて反省の意識に苛まれる。

 走り続けるという凄さ。鍛錬は身を結ぶという説得力。
 それらをまるで当たり前のことのように、努力の姿を見せないまま、実にしなやかに演じきる技量。
 そしてそのスタイルは、どこを切っても「美」というキーワードに包まれている。
 ため息ものだ。圧巻の、かつ年間ベスト・ライヴ物件の証人となり、控え室へのご挨拶を経て即吉祥寺へ移動。
 佳織ちゃん、おつかれさま!

 音楽人Aとの嬉しき乾杯。輩とももう24、25年ぐらいのつきあいか…。感慨深し。

投稿者 yonezawa : 18:00 | トラックバック(0)

2010年 12月 11日

江口寿史×オザワミカ2人展『reply』

eply_DM.jpg


 漫画家:江口寿史と、イラストレーター:オザワミカによる作品展「江口寿史×オザワミカ2人展『reply』パーティへRちゃんを連れだって参戦。
 誰よりも身近に先ちゃんの絵は見続けているハズなのに、額装されたイラストの1点1点のクオリティのすごさに心でうなった。
 一見無造作に描いたようで、見つめれば見つめるほどものすごく繊細。
 最終的に選び抜かれた墨線の放つ機微、気持ちを捉えて放さない身体のライン、リアリティーあってシンプル極まる女のコの表情に心撃たれる。
 対するオザワミカさんは、すべての先ちゃん作品を観て、それに答える「アンサー」のスタイルで全作品を描き下ろしされたそうだ。
 全体にまとまりを感じるハズだし、とても清潔感のある素晴らしい個展だ。

okura.jpg

 (じっくり説明はしましたが)意味も分からないまま連れてこられたRちゃんは終始緊張気味で、到着後30分もしたらスヤスヤ寝てしまった。
 
 パーティを終え、二次会への大移動が行われるタイミングでおいらはbambiリハへ。
 久々の2時間ウォーミングアップ。
 2月のライヴを目指し、今日はすべて新曲の音出しなのだが、筆舌に尽くしがたいゆとりを感じる。
 「リハの演奏が完成している」という意味ではなく、バンドが結成当時よりも、沖縄ライヴ時よりも熟成してきたというか、アンサンブルに安定感があった。
 もちろん初めてに近い曲のたかだか3、4回程度のリプレイである故、全員、それぞれのアレンジに宛て、最もベストのタイム感を探し当てるべく試行錯誤の時間となるのだが、力業の引き出しがどんどん増えていくような気がした。
 みなさん、お世辞ではなくステキです。

http://natalie.mu/comic/news/41479
http://natalie.mu/comic/news/41727

投稿者 yonezawa : 01:07 | トラックバック(0)

2010年 12月 10日

センスある見識と人間性

10012006_The_Runaways_00s.jpg

 Fのセンスある見識と人間性に、確かに癒された。40歳過ぎの男に癒される日もあるのだ。
 真実の真相はどこにあるのか?

投稿者 yonezawa : 01:06 | トラックバック(0)

2010年 12月 9日

Baby Taylor

513%2Br3aKFfL.jpg

 3年間机の中、キャビネットの中から一度も紐解くことのなかったブツは廃棄してよい! という定義はあながち間違っていないと思うものの、これまで「捨てられない病」が邪魔をして踏み切れなかった。が、昨今の諸事情を踏まえ「えいや!」と思い切る。

 実家のテレビ環境は我が家に先駆け、先に地デジ対応のブラビアを設置してもらった。工事を行ってくれたのは同級生のKK。
 なんの気なしにメールで注文し、わざわざ県外まで遠征して実家まで赴いて完璧に構築してくれた。
 
 小学館の『ビッグコミック・オリジナル』で、20年にわたって続けていた名コラム
『こだわりの店』が終了した。
 執筆される伊丹由宇さんの文体には、個人的にとても真似したくなるような魅力を感じており、彼のブログは初回から欠かさずに読んでいる。
 かつて、ポールマッカートニー特集記事作成の際、伊丹氏に原稿依頼をしたことがあったが、出来上がりの機微というか、的確さというか、文体が読み手を惹きつけるクオリティにうなったものだ。もう名人。
 どういった理由によってあの1Pの枠がなくなることになったのか、やや疑問を感じるところだが、この名コラムを受け継ぐ雑誌(媒体)が現れないものかと、個人的にも活字媒体の諸氏にプレゼンメールを送ったところ。

 夜、漫画家:TT69と久々のサシ飯。
 積もる話にうなずき、笑い、ある瞬間には涙目になり、時の許す限り労いを込めた。
 ノーゲストとなった寿司屋(及び地下のバー:シンクロニシティ)で大将(及びマスター)に許可を貰い、用意したBaby TaylorをおもむろにつまびくTT69。巧いものだ。
 明日を見つめながらも、長い旅の一つの節目となった色濃き夜更けとなった。

投稿者 yonezawa : 01:06 | トラックバック(0)

2010年 12月 7日

誕生日

51GypNNvaFL._SL500_AA300_.jpg

 昨日の水炊きはなかなかよい物件だった。
 昔、同店を訪れた際も確かに「ナイスな物件」だと感じたのだが、精算時、その高額さに驚き「こんな店、もう来るもんかい!」と心で叫んで疎遠でいた。

 時代も移り変わり、久々にちょっと覗いてみるかと飛び込んだら読みは正解。時代の波に併せてか、常識的な価格に変わっていて嬉しかった。正直、前の半額のイメージなんだもの。

 夜、映画会社Oちゃんと再会。Oちゃん同僚のSも加わり3人の親睦会。
 雨模様で肌寒い。
 日に日に変わる気温に対応しきれず、身にまとうジャケットのチョイスが下手なおいらは今日も震えた。Oちゃんの雰囲気と場のリズムが大好き。Sのゲイ疑惑は本日も解明ならず。お二方ともお疲れさまでした。
 地元へ引き上げ、帰宅直前のFさんに連絡がついたので、軽くご挨拶して帰途に。

 今日がホントの誕生日だったRちゃん&THE MODSのスーパーベーシスト:北里さん、世界的絵描き師:寺田克也さん、女優:藤谷文子ちゃん、美人バイオリニスト:宮本笑里ちゃん、誕生日おめでとうございます!

投稿者 yonezawa : 01:05 | トラックバック(0)

2010年 12月 3日

hh&khの忘年会

51HvZwwttSL._SS500_.jpg

 hh&khの忘年会の席へ。
 彼らと過去何度も連れ立って訪れた店かと勘違いしてたところ、今日の2人と来たのは初めてだったと聞き、率先して鍋奉行を買ってでる。

 30年以上昔の話を、昨日のことのように語り合えるおいらの身内の中でも最も古い輩2名。至極真っ当で、優秀なサラリーマンを貫く連中は、おいらにとって糧のような存在とも言える。
 中学時代、転校生同士だったkhとおいらが何故にここまで近しい関係になったのか。その心は、現在電機店を営むkkの存在によるものだ…という話をkhに改めて説明され、再認識した。
 hhと、今日は長期出張中で残念ながら不参加となったykにおいら。高校時代からのこの3人の取り合わせにしても、今考えれば考える程なんたる愉快なキャラクターの集まりであったのか…と感慨深い気持ちになってゆく。

 一切の気兼ねもしない編集スタッフも大勢いるが、物理的にどれほどの長き時間を共有してきたかを比較をすれば、彼らを凌ぐ面子はいなかろう。
 五合瓶の芋焼酎がゆったりと空いた。発売当初の「鬼火」はもっと焼き芋の薫りがしたものだったが、最近はまったく「焼き」の薫りがしない。

CA3A1389-0001.JPG

 馴染みのバーではスコッチの“ロック”を彼らに習い、おいらもいただいた。
 もう10年近くは基本的に“ロック”なんていう飲み方をしていない。酔いのスピードが早いのは経済的ってのはあるが、本気で“ロック”で呑むとせっかくの大事な時間の記憶をほとんど失うと知っているので、それができないでいる。

 いつの間にか、足腰の立てない状態になってしまったhhをタクシーに担ぎ乗せ、運転手に彼の住所を番地まで伝えた。大丈夫だったのか。khもタクシーで見送り。
 単独になったおいらは、行かなくてもいいのに一人「一蘭」で〆のラーメン。物件が大変悲しかってものすごく残念。

CA3A1390-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 17:08 | トラックバック(0)

2010年 11月 9日

控えめ

UCCG-1518.jpg

 I、引き続きTと飲んだ酒が少しだけ残っていた。
 夕方、O氏と待ち合わせ、新宿で近況を伺う。O氏との思い出は豊富だ。
 20年以上昔、イギリスはネヴァースでLED ZEPPELINやらマッカートニーやらピンク・フロイドを共に見たという事実は動かせない。
 控えめの飲みで、終電前の電車で地元方面へ。
 帰宅し、忙しない脱力させられる喧騒にげんなり。

投稿者 yonezawa : 11:59 | トラックバック(0)

2010年 11月 1日

レスポールのヴォリューム

s_nm12-2222.jpg
 
 Rちゃんの体調がなかなか完治に至らず、今日も幼稚園はお休みで病院へ。
 かかりつけの医者に行かせたところ、その病院では細かい検査ができないとのことで、電車で数分かかる別の病院(の先生も指定)を紹介してもらい、病院を梯子させた。
 寝付いた後の咳込みが数時間おきに見られる故、大事をとっての診察だったが、気管支炎はしっかり再発していた。
 
 昨日のインタビュー原稿を書き上げ、担当編集へと中継し、ふいに双方のタイミングがあったS社Kと飯へ。
 ここでしか聞けないレア情報を確認しながら、音楽談義に花が咲く。
 遠慮無くディランだジェイクだエアロだと話のできる貴重な同世代の仲間。映画「宇宙戦艦ヤマト」挿入曲のエンディングか何かにスティーヴィン・タイラーが、「アルマゲドン」的想像通りの楽曲を書き下ろしているそうだ。

 彼の携帯ストラップに下がっている、レスポールのヴォリュームを鎖で繫いだアクセサリーをジロジロ見つめていたおいら。その気持ちを察してくれたのか、いつの間にかKは「これあげるし!」と、取り外して贈呈してくださった。
 重量感のあるヴォリューム・ストラップを、ゴム製ストラトのストラップに加え、ぶら下げてみた。K、サンキュ!

投稿者 yonezawa : 15:40 | トラックバック(0)

2010年 10月 25日

バッド・カンパニー

sub004.jpg

 鼻の通りがなかなか完治せずで、Rちゃん園を休んで今日も病院。
 段々冷え込む気候になってきた。

 入稿を言えた夕方、国際フォーラムAへ。バッド・カンパニーのライヴ観戦。
 
 以前、クイーンのライヴの際、ミート&グリートのため雑誌読者のおばさま方(多分同世代)を5名ほどバック・ステージへ招く_という企画をやったことがあった。
 引率者としては自ら率先してメンバーと接触することは御法度と考え、一スタッフに徹していたのだったが、帰り際にポール・ロジャースとブライアン・メイ&ロジャー・テイラーに一言だけ労いの言葉をかけることが叶った。
 同時に自分の音源と、気持ちを記したメッセージをお渡しした。

 その日から、およそ1ヶ月。
 帰国したポール・ロジャースから直筆の手紙が届けられた時には、腰が抜けるような思いがしたものだった。

 ステージ6列目で間近に見たバッド・カンパニーの勇姿。ポールがロックしている。
 往年のヒット曲を矢継ぎ早に演奏。
 安定したこの人のヴォーカル・スタイルは、フリーのファーストの頃から確立されており、彼は16歳の頃からこんな声でこんな歌い方をしていたことを、また改めて思い出す。達観ぶりがハンパではなかった。
 バッド・カンパニーはアメリカでも成功したイギリスのバンド。サポートを務めたいぶし銀のギターを弾いたのはミック・ラルフス(健康上の理由で手術が必要な為、米国ツアー後に予定されていた日本公演に急遽参加できなくなった。残念)ではなかったが、バンド・アンサンブルはさすがだ。
 フリーのレパートリーを極力抑え、バッド・カンパニーに徹した姿も結果としてクールに感じられた。
 ちなみにオープニング・アクトにはポールの息子の弾き語り。親の血を引く、素晴らしいスキルを秘めたヴォーカリストだった。

 ポール・ロジャース作詞曲による『Yoakeno Keiji』 (1970年代にTBS系列で放映された刑事ドラマ『夜明けの刑事』の挿入曲)のさわりを弾き語りで聴けた今日はラッキーだった。

 地鶏屋「車」でW社:Oちゃんらと乾杯し、Oちゃん作成のバッド・カンパニー紙ジャケCDをどかんと贈呈いただく。なんと素晴らしい仕事なのだ。Oちゃん今日も大感謝。忘年会は必ずやろうね!

投稿者 yonezawa : 21:07 | トラックバック(0)

2010年 10月 20日

太股が椅子

51TOA3Iq5aL._SS500_.jpg

 ほんの稀に咳きが出る程度のようだが今日も大事をとり、幼稚園を病欠のRちゃん。
 可愛そうだが金曜日の遠足は断念か!?
 やにわに9時に強引に起こされた。「おーきーてぇーー」と今日も絶対に二度寝を許さない臨戦態勢で登場。
 パソコンでやれるパズル等のゲームを要請されるまま数回やってご飯。
 父が家にいるわずかの間は、おいらの太股がRちゃんの椅子になる。
 真後ろを向いたまま膝にワサワサくっついてきて、モノも言わないまま「おったんの太股に乗せろ」という態度。これが無性に愛らしい。
 昨日は夕飯はとらず、深夜帰宅後に食べたのは納豆(のみ)とトマトの欠片とみかん2個だけだったが、起きがけにはあまり腹も減ってはいなかった。
 朝食と昼食を同時にとり、出張校正のため印刷所へ直行。
 
 昨日、急にパソコン・ソフトのエクセルが開かなくなった。
 PRAMやっても、シャットダウンして数分後の再起動でも、アプリケーションから新たに立ち上げても修復の兆しなし。
 いきなりたった一つのソフトが機動しないだけで、台割は開けないわ精算はできないわ入稿予定表は開けないはと、まさに重要な機能が停止してしまう。
 ここら辺に詳しいデザイナーに聞いてみても解決には至らず、逆に「つい先日、本体のメインPCがとびました…」という怖ろしい話を聞いた。
 100%パソコンに仕事を委ねることの怖さを思い知る。毎年何度も思い知る。が毎度学習することはなく、その呪縛からは逃れることは至難。

 専門業者に依頼し、15分ほどで復旧。基本的にはソフトをダウロードし直しアップデート。粗方そんなような作業だけだったが15000円の請求額。びっくり。
 
 夜、久々にフレッシュで勤勉な若者:Cと再会。つもる話は音楽と映画の話。
 自分の知らないナイスなロック・バンドやら書籍、映画の話を信頼を置く仲間から聞くと、その者の瞳の輝き度によって、対象の音源なり書籍なり映画等をその後調べることにしている。
 深谷のT宅で娘Yちゃんが「ONE OK ROCKが好きなんです!」という話を聴き、落ち着いた頃調べてみた。
 新し目の曲が特に好みで、なかなか魂がロックしており好感を抱いた。

投稿者 yonezawa : 00:36 | トラックバック(0)

2010年 10月 15日

きちんと覚えている

51RhAlcM17L._SS500_.jpg

 早朝帰宅した音でRちゃんがえらく早い時間にも関わらず起床した。初の運動会で少し興奮していたのか。

 「おったん、なにしてるの?」
 「おったん今から1時間だけ寝るから、後から一緒に運動会にいこうね!」
 「だめ〜〜ね〜ないでぇー」
 「ちゃんと起きるからほんの少しだけ寝かせて〜!」
 「だー〜めー〜よー〜」

 こうした攻防が20分近く続き、仮眠を断念。おいらアホの自業自得。
 先ほどまで一緒にいた輩らに「己がどういった状況に陥っているか」をメールで知らしめたくなり一斉送信。
 一眼レフカメラ、ハイビジョン・カメラ等を準備し、8時45分頃徒歩で幼稚園へ向かう。
 園にはすでに大勢の父兄、園児が集っており、ささやかなトラックが彩られていた。

 記念すべきRちゃん人生初の運動会開催。(何をやっている、父親)

CA3A1359-0001.JPG
 
 トラックを囲んで父兄が居並ぶスペースの端に座り込み、おいらは一眼レフで遠目から特写。
 隣の方がRちゃんと同じクラスのお母さんだったようで、手作りパンフを見ながら「ここの競技までRちゃんも出ませんよ」と教えてくださった。
 その端から10分の仮眠に徹する。
 どう足掻いても、二日酔いのダメな親父像は誤魔化せなかったかもしれないが、あともう1度の機会を見つけた10分仮眠だけで全行程を乗り切る。
 保護者に関してはかけっこ等の出場枠も特になく、基本母親が参加のダンスやら玉入れがあったぐらいでホッとした。
 あってもきっぱり出られるものではないが。

 Rちゃんのいつくかの輝く笑顔をフレーム内に収め、すべての競技が滞りなく終わった後、昼下がりの住宅街をお手々繫いで帰途についた。
 総菜屋で弁当を買い、帰宅後食べ終え、仕事の準備をした後外へ…

 夜──
 映画『マリア様がみてる』公式本では、フランス語コピーの翻訳を手伝ってくださった知的友人Tさんと何年ぶりかの飯に。
 昨日の爛れたコンディションから完全復活できず、乾杯した薄めのアルコールは3杯に留める。
 Tさんは翻訳の仕事で過去に300冊以上の日本の本を本国に輸出しているそうだが、漫画への造詣深さは舌を巻くほど。
 今回もご教授くだっさった某国内コミックを知らされ、帰宅して慌てて注文しなければと思った。
 音楽に関しても基本70年代の音が好みというTさんと、バー:シンクロニシティのOちゃん共々、趣味があいそうで嬉しい。
 結果、酔わない酒の席では何の話をしてきたのか、きちんと覚えていることが自分で新鮮でもあった。

投稿者 yonezawa : 21:49 | トラックバック(0)

2010年 10月 14日

人ごと

magical001.jpg

 久々にやらかした1日。20歳の飲みを46になる1月少々前にやってしまった。

 W社との親睦会も随分久々で、面子の一人、二枚目男子Zちゃんには(取材以外で)会わない間、「誕生日おめでとうメール」を3回は送ったぐらいのブランクだったと思う。

 改装中の雑居ビルB1で待ち合わせしたベネチア風居酒屋は意外な盛況ぶりで、料理のリズムにあわせて総勢5名のテンションは徐々に盛り上がる。

 酒体力を有した猛者の集まりか、一度だけ船をこいだ某氏はいた(致し方なし)ものの、何件梯子しようとも話もテンションも衰えない圧巻の面子に囲まれ、心がとてもとても有意義。
 「明日(すでに今日の早朝)の9時にはRちゃんの運動会が始まるなぁ〜」という思考は、午前5時のコンディションには、やや人ごととなっていた…

投稿者 yonezawa : 23:50 | トラックバック(0)

2010年 10月 8日

音痴

hitchcocklb.jpg

 明日行くやもしれぬ、多摩市にある全天候型の屋内テーマパークまでの地図をプリント・アウト。
 方向音痴である故、仮に何度か行ったことのある場所でも一々地図で確認しなければストレートに到着させる自信がない。

 以前、ボクシングの試合を観に車で横浜まで行ったことがあった。
 もちろんインターからの行き方も克明に分かる地図を数枚プリント・アウトしていった。にもかかわらず、降りるインターを一つ先まで余計に行ってしまい、そこから勘だけで会場まで向かうこととなった。

 右も左も分からない。地名にしても、矢印の指し示す方向が近づいている目的地の方面なのかもまったく知らないまま、まったくの勘だけで車を走らせた。
 結果、さほど大回りでない感触で目的地界隈にスムーズに到着したあのケースは今でも考えるとゾッとする。
 よく試合(取材)に間に合ったものだという意味で。
 今やれと言われても無理だろうし自信もない。

 世間は明日から三連休。九州帰省の日程も白紙となった今、明日、サンリオピューロランドまでの遠征は俄然信憑性を帯びてきた。

投稿者 yonezawa : 18:21 | トラックバック(0)

2010年 10月 7日

太氣拳

CA3A1329-0001.JPG

 ゆうべゴールデン街で出会った大きなおじさん(島田道男さん)の名刺には、『太氣至誠拳気功会師範』と書かれてあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/島田道男

 カウンターで隣り合わせた島田さんに、友人で大道塾の空手家:飯村師範代のことを伝えたところ、「もしかしたら、おれのこと知ってるかもよ」と言っておられたので、早速飯村にメールで伺ってみた。
 すると以下のような返信が届いた。
 「(島田道男さんとは)太氣拳の始祖、澤井健一先生に唯一、道場を出すことを許された達人じゃないですか!」
http://ja.wikipedia.org/wiki/澤井健一

 肩書きからして「飯村も知ってる方かも?」と思い、伺ったのだが、その世界では大変有名なお方だったと今頃知った。
 厳つい体格で豪放磊落な人柄。彼の迫力の源がそこにもあったのかと気づいた。
 強い男ほど優しさに満ちている。
 飯村師範代しかり、おいらの知りうる格闘家しかり、優しい心を持っている者こそが例外なく一番の強さを秘めている。
 次回、島田さんと飲む場所もきっと新宿ゴールデン街なんだろうが、飯村師範代も同行してもらうしかないな、こりゃ。

投稿者 yonezawa : 18:20 | トラックバック(0)

2010年 10月 6日

明日に続く…

CA3A1321-0001.JPG

 YB事務所Nさんと久々の会食。場所はNさんの事務所近くで、俳優Iさんも御用達の寿司屋Yにて。
 まったく飲まないNさんお構いなしにおいらは芋を飲みながら、現在・過去・未来の会話で盛り上がる。
 もうNさんとのお付き合いも10年ではきかない長い時間が経過した。
 彼と最も盛り上がるのは、昔から本の話と彼の趣味であるカメラ及び写真の話。
 書店を経由し、次回の再会を約束して久々に小田急線に乗った。
 YBさんやらNさんと初めてお会いした時代はこの沿線に住んでいたなぁ〜と、懐かしさに耽る。
 新宿でSと再会を果たし、ゴールデン街では実に嬉しき出会いに喜んだ。
 客として隣に座った、一見かなり強面なおじさんの笑顔が(失礼ながら!)妙に可愛らしく、様々な話で主人:ゆうじさんらも含めて盛り上がる。
 その強面おじさんと名刺交換を果たした瞬間も、勉強不足なおいらはその時、そのお方がどなたなのか、翌日になるまで気づかないのであった…明日に続く…

投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2010年 09月 22日

極上の夕餉

51ePH1ib8tL._SS400_.jpg

 仕事を早めに切り上げ、三鷹駅に車で向かう。
 待ち合わせの時間丁度に到着したおふくろと姉を招き入れ、夕飯を我が家で。
 野菜をふんだんに敷き詰め、豚バラをまぶして蒸しただけでホクホクのヘルシー料理が完成し、ポン酢でいただいた。美味しい。
 鰹の刺身に数点付け足し料理も美味い。
 奮発して購入していた(ディスカウント価格でも3万円以上する)赤ワインを思い切ってこの機会に開けた。
 おいらにすれば極上の夕餉とメンバーだ。
 

投稿者 yonezawa : 23:50 | トラックバック(0)

2010年 09月 21日

staff benda bilili

bilili_poster.jpg

 “カンヌ国際映画祭を熱狂させた奇跡のドキュメンタリー!”というコピーで只今絶賛上映中の映画『ベンダ・ビリリ! もう一つのキンシャサの奇跡』は、雑誌「ぴあ」調査による9月10日、11日公開の映画満足度ランキングでトップに輝いたそう。

 路上で生活する、コンゴはキンシャサのストリート・ミュージシャンを追ったドキュメンタリー。
 手作り楽器で誰にも真似できない音楽を演奏する車椅子4人と松葉杖2人を含むバンドが「スタッフ・ベンダ・ビリリ」。

CA3A1314-0001.JPG

 今日はそのバンマス:リッキーと、ドラマー:モンタナ2人の単独インタビューを敢行。
 リッキーの車椅子をモンタナが押しながら、2人はユニセフ内のインタビュールームへとやってきた。

CA3A1315-0001.JPG

 映画に描かれるまま、何の気負いもないバンドマンの2人。楽観的な国民性と伺っていた通り、現場はとてもフレンドリーな空間に包まれた。
 世界ツアーも経験した彼らは、路上生活者であった1年前と比べ、生活も180度変わったそうで、なんと今ではバンドメンバー1人ずつ家を建てたそうだ。
 モンタナは「人生はバラ色だ」と語った。
 
CA3A1316-0001.JPG

 メンバーの中に「サトンゲ」という自家製の楽器を奏でるロジェという少年がおり、実際に会ったら映画の中より随分成長していた。
 ロジェ、雰囲気カッコイイ。ある意味イケメンな兄ちゃん。
 彼らへの興味と共に、空き缶と木の枝だけで作った1弦楽器「サトンゲ」においらは惹かれていた。
 インタビュー後、全メンバーと対面し、野外の駐車場スペースで写真撮影。
 インターバルの際、ロジェからその「サトンゲ」を貸してもらったが、お手製感バリバリのなんとも言えない形状の楽器が不思議で面白い。シールドを通すアダプターもあったので、ライヴ用にピックアップも取り付けているのだろうか。
 例えば拾ったバイクを改造して自ら車椅子までも廃物利用で作成してしまう彼らは、もはや発明家だ。
 この「サトンゲ」、既製品として販売しないのか。ギター・メーカーは。そろそろ。
http://bendabilili.jp/

投稿者 yonezawa : 23:50 | トラックバック(0)

2010年 09月 17日

再校正出校

31xTsH-IeKL._SL500_AA300_.jpg

 映画公式本のプロモーション記事6Pの再校正出校。
 出校の時間21時過ぎに原稿を確認し、編集Uと飯の店に到着したのは22時。
 あまりおいらにはゆかりのない土地で初めての店にご案内いただいた。
 「和」なその居酒屋は一品料理がほどほどの量で、清潔感のある店内の雰囲気も申し分ない健全な物件。
 「精算」の合図と共に温かいお茶が出てくるのだが、そのつまには梅干し。
 帰り間際の、他客のことを見て知っていたのでその梅干しのことを認識していた我々は、まだ焼酎を飲んでいる最中、先にその梅干しをお願い。そんな客はきっと我々だけだったことだろう。
 本当に食事だけで帰宅。それでも電車の時間はすでに終わっていた。

投稿者 yonezawa : 23:48 | トラックバック(0)

2010年 09月 15日

突然の大雨

ju.jpg

 ここのところ、とても精力的に自分のやりたいことをどんどん前進させ、様々な試みをしている表現者:Mと、久々の再会を果たす。
 延ばし延ばしでやっと予定のすり合わせが叶った。
 食事会には、新聞などで取材記事を書いたり、漫画原作もこなすライターSさんも急遽ゲスト参加。
 まだ作品になっていないプリントアウトした原稿と、数冊の著作本を頂いた。
 Mはほんの数日前にSさんからのインタビュー取材を受けたとかだが、すでに意気投合し、古い友人同士のよう。美味しい食材と酒が一気に3人の距離を縮める。
 入稿原稿の、編集部の確認待ちでいたが、深夜印刷所と話し合い、結局明日の午後一入稿を確認。
 2軒目のバーから外に出れば突然の大雨。明け方にかけて降り注ぐ久々の雨は滝状態の場所も。
 帰途途中に経由した松濤界隈も降り方ハンパじゃなかった。

投稿者 yonezawa : 18:31 | トラックバック(0)

2010年 09月 11日

武蔵野中央公園

CA3A1308-0002.JPG

 明らかに寝不足を承知で10時には起床し、シャワーを浴びてTシャツと半ズボンはいて待機。
 買い物帰りのRちゃんを引き連れ、自転車2台のタイヤの空気を(汗だく)で補充し、自転車で5〜6分程度の武蔵野中央公園へ。

 バーベキューがこうした公園でやれることは具体的にはこれまで知らなかった。誘われなかったらなかなか来ることもないだろう。
 大道塾吉祥寺師範代:飯村選手のご家族にお誘いいただき、大人から子供まで総勢30〜40名で大バーベキュー呑み会。
 集った道場生、ジュニア部門に所属するお子さんを持つご両親、友人関係が集い賑わった。
 師匠である飯村選手の仲間に嫌な人間は皆無で、彼らの人間性の素晴らしさを感じ受ける嬉しい機会となった。
 ムエタイ、キック、空手のトップ選手もゴロゴロいる席ながら、そうした心技共に実力のある選手に限って優しい瞳をしており、物腰もとても優しい。
 優しさこそが強さであることを改めて認識させてくれる面々ばかり。

 たまにRちゃんのシャボン玉やら、公園器具での遊びに付き合い、汗も相当かいたせいか、缶ビール、缶酎ハイがゴンゴン吸収されてゆく。肉も焼いていただくばかりで恐縮ながら、ご厚意に甘えさせていただいた。
 「吉祥寺いせや」から購入したという焼き肉のネタが特にナイス物件で、その関係者がこのチームにいるということがラッキー。
 
 夕方16時30分までに火を消さねばならず、気がつけばもう3時間も呑んで語っていたのかと、時間の早さに驚く。基本的に一仕事終わると家に帰りたがるRちゃんに促されるまま、一旦おいらは彼女を自転車に乗せて帰宅。

 自宅で少し涼んでから二次会の居酒屋へ移動し、合流。
 結局13時30分から始まった「呑み」は、通算23時頃まで続いた計算となった。ナイスガイ具合にもほどがある若き格闘技トップ選手との集いは今日も幸運だ。試合、観に行こう。

 帰り際、無意識に札幌ラーメン屋へ飛び込み、つけ麺をすすったのがおいらだけなのは言わずもがなか。

投稿者 yonezawa : 19:03 | トラックバック(0)

2010年 08月 29日

ジェイク・シマブクロ

CA3A1308-0001001jake1.JPG

 このブログでも何度となく讃えたことだろう。
 渋谷オーチャードホールで行われる、恒例のジェイク・シマブクロ公演は年間を通じて最も楽しみな一日だ。
 いよいよ今年もその季節がやってきた。

 新作では、クイーンのボヘミアンラプソディのカヴァーもやっていたが、ジェイクなら当たり前に優れたアレンジだし、当たり前に優れた演奏だと認識し、特に深く受け止めるニュースでもない気がしていた。

 コンサートはアルバムの曲を中心に構成。問題の『ボヘミアンラプソディ』はコンサート中盤に奏でられた。

 イントロが始まった瞬間、CDのそれとは比較にならない破格の響きだと知覚。

 すごかった。

 とんでもない宇宙規模の音色がホール全体にこだまする。
 クイーンという比較対象のない凄まじきバンドが残した、この世でたった1つの旋律とアンサンブル。その極まる楽曲の機微を、ジェイクはウクレレ1本だけであますところなく再現し、そして独自の彩りを加えた。
 ほとんどの観衆が心で泣いていた。

 CDなどでは到底表現しきれない、2オクターブの4弦だけによる世界観がたまらない。
 世界トップ水準の演奏はここにあった。

CA3A1309-0001jake2.JPG CA3A1310-0001jake3.JPG

 ジェイクの音楽は、ライヴを見なきゃその真髄はわからない。
 ジェイクの身内中の身内Kの意見も言い得て妙だ。「ディラン同様、レコード(CD)はその時の記録でしかないってことでしょう」
 彼も、ジェイクのライヴ感をCDに収めるのは無理かもしれないと知っている。
 
 音楽家としてのあの表現力、演奏スキルに至っては、もうあれ以上のパフォーマンスを想像出来ない。
 つまり音楽家として機微は(もっと前からだが)頂点を極めた印象だ。
 後は、あのトップ・スキルを何十年継続するか、テーマの一つはそこにあるような気がしている。
 まだジェイクのライヴを知らぬ者は、おいらがライナーノーツを担った最新ライヴ盤を購入し、国内ツアー中のいずれかの公演を観るべきだ。

 加えてジェイクは人として最も重要な優しさ、配慮を兼ね備えている。
 今回、婚約の朗報は個人的にもとても嬉しいニュースだった。
 フィアンセに送ったという新譜#1収録の『kelly's song』は確かにアルバム中、最も優しさに満ち溢れている。
 ジェイクの音楽に触れられること、ジェイクと同じ時代を生きることすべてに感謝。

 ツアー・ファイナルとなる宮崎県はおいらの故郷であり、現在母親在中の町だ。
 ジェイクが「口蹄疫の影響を受ける本県に思いを寄せ…」という内容で綴った「全国ツアーで本県応援」という見出し記事の切り抜きを母が写メールで送ってきてくれたのだが、今日のMCではその件が語られた。

 当面、ジェイク&2人のKさんらと、また食卓を囲める日を妄想している。その日が実現したなら、もしかしてジェイクはまた目の前でバッハのレパートリーを生演奏してくれるかもしれない。
 暑い夏の全国ツアー、ジェイク&スタッフの皆様方、どうぞご自愛くださいませ。

投稿者 yonezawa : 04:01 | トラックバック(0)

2010年 08月 27日

彼のスタンス

51f1-NOCVTL._SL500_AA300_.jpg

 音楽人Aとの付き合いも、もう20年では済まない程の時間が経過していた。
 Aが18歳の時、おいらが21歳。この時から今日までAとの距離感は変わっていない。
 昨年から仕事場が代わり、都心のど真ん中に通勤を果たす彼から「来月には一杯行きましょう!」というメールを貰ったのが昨年12月だった。
 どうにもこうにも予定を合わせることがままならず、特に解っているヤツだという認識も手伝い、延び延びの極みになっていたが、「このままズルズルではイカン!」と思い立ち、今日の日を強引に決定し、Aの賛同を得、乾杯の席を設けることが叶った。
 間違いなくエリートサラリーマンの王道を行く彼のスタンスは、音楽活動を続けることに理想的な環境だと言えた。
 連れて行きたかった寿司Hで乾杯し、馴染みのバーでハイボールを頂く。
 歌舞伎町を散策した際、つい先日、ゴールデン街に店を出したというOさんの話を思い出し、路地を探検。看板の消えた店を見事に見つけ当てた。
 閉店後に数杯の(氷がなく)ぬるい焼酎水割りを頂き、懐かしい話に花が咲く。Oさんはおいらが22歳くらいの頃、バイトしていた出版社で当時編集長として活躍されておられた大先輩。
 「Oさんが店を出したそうですよ」と教えてくれたのは後輩編集のKで、KはOさんとは面識がなかったが、Kは知り合いの方にたまたまその店に引き連れられた際、Kの知り合いの漫画家:とがしやすたか氏と遭遇。
 流れ上、その場でおいらの話も出たということもあり、即時おいらまでその情報が伝わってきたのだった。ややこしいけど。
 ともあれ、とんでもない驚きの夜更けとなった。

投稿者 yonezawa : 12:18 | トラックバック(0)

2010年 08月 20日

フェンダー

513x2MRcvkL._SS500_.jpg

 世界的な大手ギターブランド・フェンダーのMちゃんが勇退されたとの知らせを受け、加えて近々東京を離れることを知り、労いの会を急遽設けた。

 Mちゃんとは、ジェフ・ベックだスティーヴィー・サラスだSUM41だ波瑠ちゃん(他)だと、これまで様々な仕事を共にしてきた。
 レコード会社からの要請で、ギター本体もスペシャル・ディールのもと提供くださったし、記事の構築、対応にはとにかく機敏で、彼との仕事はとてもスムーズだったことしか思い出さない。
 ギターの構造は勿論、弾き手の心も敏感に察知出来る機微を持つMちゃんがフェンダーから去ることは、業界にとっても大きな損失だと感じている。
 引き継ぎをされるNちゃんに今後は望みを託しつつ、新天地での彼の健闘を祈りたい。

 彼らを見送り、音楽人Tと待ち合わせた。
 彼はできたてホヤホヤのロリー・ギャラガーのBBCライヴ音源を持ってきてくれた。即、おいらの心は16歳に戻った。

投稿者 yonezawa : 21:34 | トラックバック(0)

2010年 08月 14日

新人俳優

CA3A1307-0001.JPG

 2日前にもらったメールで、急遽若き新人俳優:Uくんとサシ飯へ行くことに。
 彼を想定したこともあり、なんとなく「肉」であろうと、焼き肉:長春館で待ち合わせたのだがったが満席。予約しなくとも盆だから大丈夫だろう…とタカをくくっていたら、休日の家族連れが押し寄せていた模様。
 ならばと、もう1軒想定もしていた居酒屋:池林房へ。こちらは貸し切り状態で快適環境。

 映画の撮影現場で出会った経緯で今回の席に繋がったのだが、Uくんが若くして芝居の勉強を真面目に積み重ねていることを理解した。古い映画も古い舞台も年齢に見合わない程、よく知っている。それにしても顔も小さく身体の細いUくんながら、さすが年齢だけあって食べる食べる。気持ちよい。未成年である彼は終始ノンアルコールのドリンク類を交代で注文。
 正味4時間強。演技に関して、映画に関して、小説に関して…そして自身の立ち位置、今後のビジョンっと、思わず時間をも忘れるようなテンションで語り合った。
 Uくんの出演する舞台の公演は今月より2本連続で上映されることになっており、秋には主要キャストで出演している映画も公開。
 Uくんとの再会は、毎度毎度楽しいものになりそうだ。

投稿者 yonezawa : 16:38 | トラックバック(0)

2010年 08月 11日

修羅場はこれから

1_movie_295.b.jpg

 水疱瘡の予防接種を受ける前に、Rちゃん発症。
 時折かかってしまう風邪なり、他の幼児用感染症発症のせいで予防接種するタイミングを伸ばさざるをえない時期が続き、夏の内にやらせとこうと思っていた矢先の出来事だった。
 最寄りの病院が連休に入ると聞き、昼下がり近所の小児科で再検診。

 しかし、疲労困憊となるコンディションでなくホッとした。軽い症状ですでに水疱瘡の免疫も手に入れられ、主治医に終息の日も明言してもらい安堵。
 眠気と、若干の食欲不振、寝起きの際の機嫌の悪さは水疱瘡の辛さによるものだと認識。それでもRちゃんは、日中元気に陽気に振る舞う。

 日がな一日パソコンへ張り付き、順次到着するアナログ原稿を順番にテキスト書類におこしながら作業を推し進めた。
 まだまだ最重要な取材も残されている。締切も間近。事務所チェックはこれから。
 そう、修羅場はこれからだ。

 Rちゃんの日本脳炎予防接種のタイミングは夏の終わりが目標。

投稿者 yonezawa : 14:33 | トラックバック(0)

2010年 08月 8日

間一髪

hiba%2C%2Cri2.jpg

 午前7時にはしっかり目覚め、夕べお世話になった大勢の皆様にご挨拶を済ませ、小雨の中帰途に。
 突如「でちゃうー」と緊急事態の様相であるRちゃんのコンディションを知らせを受け、必死でインターチェンジを探した。もはやギリギリの状態だという言い回し。ようやくインターをみつけ、ともかく停車。「おたんといくー!」と決意しているRちゃんを抱きかかえ、入口付近でギャグを一発かますほどの余裕も見せたRちゃん、間一髪でセーフ。
 ついでに朝食もいただき、Rちゃんは牛のおじさんにオモチャを買って貰い帰途につく。

投稿者 yonezawa : 11:18 | トラックバック(0)

2010年 08月 7日

川でバーベキュー

CA3A1300-0001.JPG

 ここのところの生活のリズムからなのか、おいらにすれば午前の早い時間に目覚める日が多い。
 夜中、布団の上を自由に回転するRちゃんが平行にピッタリと寄り添ってきた。
 彼女は改めて寝息をたて始める。こちらも寝付きそうになったと思えば、Rちゃんの裏拳、時間をおいて左足のかかと落とし…という具合に、おいらの顔やら腹部に対してソレらが飛んでくる。
 午前の早起きは、あながちそうした自然災害によるものなのかもしれない。
 
 10時30分に買い出しのため外へ。
 そのまま友人の格闘家I一家らが先乗りしている秩父の山奥へ移動。車でおよそ40分程度で到着の場所だった。
 そちらへおじゃまし、古民家でバーベキューをやるといった趣旨でこの地へやってきた。
 I家の可愛らしいチビちゃん2人はRちゃんとの再会を歓んでくれ、勿論2人のおねえちゃんに会うことを、とても楽しみにしていたRちゃんも大喜び。
 チビちゃん2人はもう1人のお友達と3人ですでに川遊び中。
 なんと水が綺麗なんだろう。そこそこ冷たいけど泳げる程度で丁度よい。

 昼食用に買い込んだ、人数分のおにぎりやらカツサンドやら飲料水、酒、ビールを大量に川っぺりに運び込み、日のある夕方までとにかくダベり遊んだ。

 Iのお弟子さんらプロ格闘家の面々も集合。彼らは正真正銘の有名トップ・ファイターばかり。
 川っぺりで子供達は川遊びに夢中になり、大人達はビールを飲みながら成り行きの会話で盛り上がる。
 
 日が暮れる前にバーベキューの準備をしましょうや。ということになり、数台の囲炉裏を庭へ並べ、飲みの続き。
 宴にはIの愛娘の彼氏も登場し、益々賑やかな場となった。
 酔いが回った頃、古民家の2階にあった民族楽器から、ありとあらゆるバンド演奏可能な機材を拝借し、セッションタイム。ここに来たのはこの楽器を見ることも楽しみの一つだった。

 おいらが時最も間を費やしたのがドラムス。
 近隣の迷惑も考え、菜箸で叩いた軽い感触はいまいちだったが、こんな面子でこんな環境で鳴らす…という機会はそうそうなかろう。
 そしてRちゃんのドラムス・デビュー。ドラム・セットに対して、なんて小さいんだRちゃん。闇雲に感激。

 やがて演奏中にも関わらずやたらと絡み出し、なんでもかんでも「おったんといっしょにいくー!」と聞かなくなったRちゃんの眠気の限界を確認し、明日早朝からの運転もあった故、一人抜けだし、別家屋の3Fをお借りして早めの就寝についた。

 こうした贅沢を得るためには、秩父辺りぐらいまではやってこなきゃいかんのだなぁと、ぬるい風の届く扇風機を見つめながら考えていた。

投稿者 yonezawa : 19:28 | トラックバック(0)

見続けてゆきたい

51iW2aVrAdL._SS500_.jpg

 朝6時までには外出の準備を整えたかったのだが、起きた時間が6時。
 結局外出出来たのは7時30分を回った頃だ。

 先週に引き続き、最寄りの関越インターを目指し加速。
 いきなり帰省ラッシュ組の渋滞に道中の2/3程度は巻き込まれながら、2時間以上かかって目的の花園インター脱出。
 未だカーナビの生活未体験なおいらは、いつものようにプリントアウトしたYahoo!の地図を頼りに、記された国道を右へ左へと移動。
 難なく目的地のI宅へ到着。地図はとても正確だった。

 I家の家族全員とはなんと9年ぶりの再会となり、著しい成長を見せた高校生のお兄ちゃん、すでに仕事に就いていると伺って驚かされたお姉ちゃんの姿に驚き感激した。
 前回訪問の際には河原でバーベキューだった。写真があるからこそ余計鮮明に覚えている。懐かしい思い出だ。
 新築の大きな家屋に荷物を置かせていただき、一休みした後、1時間少々かけて大人とRちゃんで伊香保方面へ出かけた。
 まずは榛名湖へ。快晴の中、みんなでモーター・ボートへ乗車。
 わずかの時間だったが、体感速度のひんやり感は抜群。おいらはゆっくり景色を眺めることもなく、ひたすらハイビジョン・カメラのモニターと睨めっこ。満面の笑みを浮かべるRちゃんの記録に忙しい。
 ここのところ、どこの美しい景色に包まれていようとも周りを見渡すことはなく、優先順位はまずカメラのモニターであるおいら。
 
 モーター・ボート以外にも足こぎ用のスワンやら、様々な色味のアナログ・ボートが並べてある。視力抜群のRちゃんが、案の定「あっちのピンクにのりたい!」とモーター・ボートから降りたとたんに言い出した。
 「今乗ったばかりだから、もう終わり」と言うフレーズが頭を過ぎり、早足で売店方面に向かった。
「アイスでも食べる?」とRちゃんに伺いをたてたその時、Iと同行者Kの余計な一言が被って聞こえた
 「Rちゃん、あのボート、かわいいよねぇ! お父さんと乗りたいよねぇ〜。乗ったら多分気持ちいいよねぇ〜」的意味合いの爆弾発言をかます悪魔の同級生2人。
 Rちゃんの気持ちは完全にそっちの方へ向けられた。
「おまえ、父親として、Rちゃんの気持ちに答えてやらんのか」と促され、炎天下の中、足こぎボートへの試練に追いやられる羽目に。

 「のりたいよー! いこうよーおったん!」
 「はいわかりました。乗ろう…乗ろうか。どれがいい?」
 「ピンクー!」

 かくして30分の汗だくな時間をたっぷりと過ごす羽目に。
 
 陸に上がり記念写真を撮って、色んな動物のいる伊香保グリーン牧場へ移動。
 入園料が大人1名1800円とやや高めなところが気になったが、牛やら羊を間近に見られる場所なのでやむなし。
 園の奥で催ししていた見学無料のアトラクション:シープドッグショウを観戦。
 羊の毛を刈り、その流れを英語と日本語の解説で観客に説明していた。

 最後には「動物とのふれあい」の時間も設けられた。「羊さんに自由に触っていいですよ」とアナウンスされたとたん、Rちゃんは柵の中に駆け込み、羊さんを追いかけはじめた。
 奈良のシカ相手同様、そこには躊躇とか物怖じとか遠慮という言葉などない。
 目に入った羊さんに端から接触を試みるRちゃん。その笑顔の眩しかったこと。

 水道で靴底を洗い、「ここの物件なら特別に美味いはずだろう」と確信した末、みんなでソフトクリームを食した。さすが牧場、確かに濃厚で美味かった。
 
 ボチボチ丁度よい頃合いの午後の時間となり、夕飯の買い出しを経由してI宅へ帰宅。
 即、クリームパスタをメインにサラダ諸々を最速のスピードでこしらえ、食卓を賑わせた。
 芋焼酎を飲みながら、2つの家族にKが加わり、深夜2時までの晩酌タイム。爆笑の嵐。

 この貴重な晩酌だけは生ある限り続けてゆきたいものだ。

投稿者 yonezawa : 11:29 | トラックバック(0)

2010年 08月 4日

昇進祝い

imageimage003.jpg
 
 しかし暑い日々が続くものだ。
 突き刺すような紫外線。不快指数100%。各方面に送るメールの枕がこんなフレーズになりがちだ。東京はなんて暑いのだ。

 編集Sの昇進祝いの席を、昇進後1月近く経過してようやく実現出来た。
 もう後輩筋の編集者が編集長になるという時間が経過しているのだなぁ…と感慨深い気持ちになる。Sの編集長昇進は個人的にも、とても嬉しい。
 巧く行く仕事とそうでない仕事、業務の歴史の中では様々な障害はあるものの、今日の呑みで、ともかく自分の持ち場の仕事を真摯にこなす。その単純かつ重要な意識をまた再確認させられた席ともなった。
 編集S&Aとの酒席、理屈抜きに最高。
 バーへと河岸を変えた今夜の宴もどえらく印象深き一時也。2人今日も感謝。

投稿者 yonezawa : 16:38 | トラックバック(0)

2010年 08月 2日

インタビュー

41LLpOtqvbL._SL500_AA300_.jpg

 際立って筋肉痛になっていないのはどういうことなんだろう。
 慣れない雨靴で出来た擦り傷(踝から6cm上の辺り)を触らないように風呂に入り、午前8時から取材準備。
 焼き魚と、北九州から届いた海苔に梅干し、トマト、海草味噌汁の朝食が美味い。
 
 午前中には編集部に到着し、取材準備を終えて会議室へ。
 約束通り、映画『マリア様がみてる』の寺内康太郎監督が来社。
 地方でおよそ2週間程度のロケを行い粛々と進行された現場だったが、とても温厚な彼の演出は印象的だった。
 スケジュールの都合で一部のロケには参加出来なかったものの、松本、土浦、上田のロケには密着し、最終地となった上田の薔薇園まで映画全体の7、8割以上の現場には密着出来た計算だ。 
 正味1時間程度の特写&インタビューを行い、監督の思う本編作品への思い、現在の映画界への思いを語っていただいた。つつがなく取材を終え、次回の呑みの約束を交わす。

 そして監督はそのまま次回作の撮影現場へと向かわれた。
 編集部で、本誌入稿とコミックスの入稿作業に追われ、隙間の時間を利用し、先ほど行ったインタビュー原稿の構築に早速着手。
 6月18日発売となるYJC「スカイハイⅣ(FOUR)」の青焼きを切って貼り込む単純作業が深夜2時近くまでかかってしまった。

投稿者 yonezawa : 02:33 | トラックバック(0)

2010年 07月 26日

デリケート

31h6%2B09RvQL._SS500_.jpg

 起きがけのポーク・カレーにキャベツの千切りをこさえ、さくさく食す。
 やはりカレーはポークの頻度多し。
 Rちゃんはまだお子様カレーも食べてくれない。一口お口に入れて「違う!」と感じたらもう食べない。とてもデリケート。

 製氷器部分に霜がこびり付いていた。比較的新品の冷蔵庫にも関わらず、夏場に毎回霜がつくことが気になっている。引き出した折凍り付いており、出し入れに難あり。

 家で冷房を付けないまま、パソコン業務を行っていると徐々に汗がしたたり落ちてきた。外出30分前にシャワー。
 さっぱり気分で外へ。
 蒸し風呂のような気候だったのに、小雨がパラついた。

 入稿後の遅い夜、約束していたジャーナリストTさんと編集者Tさんと久々3人会食。
 ジャーナリストTさんは大変お酒のお強い方で、前回呑みの印象では「こちらがもたないかも…」とその酒豪ぶりに驚いた記憶があったが、今日はほんのり酔いの雰囲気を身にまとった感じでよいテンション。
 室内に入ったら、とても新宿とは思えないバーを編集Tさんにご教示いただき、軽く1杯。
 ジェフ・ベックが大好きで、ヘミングウエイが好んでいたという「モヒート」が、心底好きで飲める体質には、まだなれそうにない。

投稿者 yonezawa : 19:57 | トラックバック(0)

2010年 07月 23日

2ショット写真

41slHZIA5rL._SS500_.jpg

 沖縄滞在中、折を見て写真を撮ってくれたおふくろからの写メールが届いた。
 海岸で浮き輪をしたRちゃんとおいらの2ショット写真を見ていると、おいらがRちゃんぐらいの頃の、古き良き米澤家の団欒を思い出し感慨深い気持ちになっていた。

 あの時代の屈強な親父と、凛とした母が、いかにきちんとした家庭を築いていたかを痛感する思がしていた。
 紛れもなくおれら姉弟は幸せだった。
 その後の姉弟各々の人生は、おいらも含めて情けないところもあるけれど、両親のもとに生まれて最高だという自負を今日も認識させられた。

 今から遡る42年前以上昔、おいらを海岸で撮った、わずかばかりの尺の8ミリ映像は貴重な思い出だ。親父がおいらを海岸沿いで遊ばせている映像と、Rちゃんと自分の画像が見事にダブるのだった。
 父も母も、やっぱりスゴかった。
 生きることに、育てることに、喜びのために、誰よりも純粋だったから。
 Rちゃんが大きくなったら、米澤家の祖父母がいかに温かく偉大であったのかを、ゆっくりと教えてあげなきゃならん。

 「おったんがいちばんすき!」「おったんとけっこんする!」
 これらの言葉を今の時期だけ真に受け、この宇宙で最も大切な時間を心に刻んでおこう。

 沖縄で、ことあるごとにRちゃんが耳打ちしていたのが、「おったんがいちばんすき」の言葉だったことを深夜に思い浮かべ、一人にやけた。

投稿者 yonezawa : 17:26 | トラックバック(0)

2010年 07月 15日

手紙〜親愛なる子供たちへ〜

cg17.jpg

「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」

作詞:不詳 日本語詞:角智織・補作詞:樋口了一 作曲:樋口了一
(元々はポルトガル語で書かれた差出人不明の一通のメール)

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても どうか そのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を 濡(ぬ)らしてしまったりお風呂に入るのをいやがるときには 思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えをさせたり 様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
   
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっと それだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

私の子供たちへ 

愛する子供たちへ
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html

投稿者 yonezawa : 01:43 | トラックバック(0)

2010年 07月 12日

CA3A1246-0001.JPG

 《39年回》とは、おいら、そして名物編集者:いっちゃん、&フォトグラファー:尾形の3人を指す集合体のことで、全員昭和39年生まれ。
 そんな同い年のベスト面子で久々に酒を飲み交わすことに。

 今日は、日本のトップギタリスト:Cさんの極秘撮影現場潜入に誘われていたのだったが、会食の約束の方が先だったので当たり前に見送った。
 撮影に立ち会えなかったことは残念だったが、親しい仲間なだけに今日の約束の延期は考えられなかった。

 同じ時期に同じ編集部で、それこそ同じ釜の飯を喰った連中だ。
 いつも同じ距離で、それぞれがそれぞれとの酒の席をいつもいつも心待ちにしている。少なくともおいらはいつもそう。
 しかしそれほど頻繁に会うわけではない。それぞれの多忙さも知っているから。しかし会えばその距離はいつも変わらない。
 こんな距離感を感じる仲間は他の編集部にはいない。
 同い年の大将の握る寿司を頂きながら、ほろほろと酔いが回る様の心地よさといったらなかった。
 情けない話も、ここだけの話も、シビアな話も、笑い話も、会話の垣根がすべて取り払われ、酔ってきたおいらの思考は「果たしておいらが、連中のためにやれることは何だろうか?」といった意味合いのものへと傾いてゆく。
 20年以上の付き合いを超えたきゃつら、もはやある種の幼なじみのようなものだ。いやー実に楽しい。

投稿者 yonezawa : 02:09 | トラックバック(0)

2010年 07月 5日

Oさん

20080727-HikoSyojyoYoko.jpg

 ヤンジャン編集部に所属して早22年目となった今年。
 内勤の外部スタッフとして最初に携わった雑誌は、今は無き月刊ベアーズクラブ。
 最初の社員旅行で隣の隣に座っておられたのは、すぐ隣の編集部に在籍されておられた先輩編集者のOさんだった。
 そのOさんより、僭越ながらビールをお酌していただき、そこで交わした会話がOさんとの初めての出会いのようなものだった。

 やがてOさんも同じ月刊誌に所属することになり、沢山の仕事を共にさせていただいた。
 編集者としての機微を勉強する、極めて貴重な機会をたくさん得た。
 Oさんは知り合った当初から我が両親にも年賀状をお送りくださった。

 大学生の男性読者5名を引率し、訪れたロンドンのネヴァースは初めての海外取材だったが、そちらは信頼を寄せるOさんと一緒だった。
 野外フェスでピンク・フロイドとマッカートニー、そしてレッド・ツェッペリンを観戦しながら、Oさんと半日以上野外で過ごした彼の日は、忘れられないよき思い出となっている。

 やがて編集者から編集総務セクションへ移動され、常勤するビルも変わってしまってから食事をする機会はずいぶんと減ってしまったが、お会いすればブランクの時間など瞬時に吹き飛び、いつものおちゃめなOさんとの距離がとたんに埋まり尽くす。

 そんなOさんが今週9日(金)を持って勇退、定年退職されることになった。
 おいらにしても、なんと長い時間が経ってしまったのかと感慨深い気持ちになっていた。
 36年以上の長きに渡り、大出版社に勤務され、青年誌の黄金時代を歩んでこられたOさんの魅力は筆舌に尽くしがたいほど。
 何があっても温厚なOさんの人間性は驚嘆ものだ。自分など生涯到達出来なかろう、人としての大いなる器を感じさせるてくれる最たる先輩の一人がOさんだった。

 送別会が行われた高級中華屋での、古くからの仲間によるスピーチは爆笑の嵐。
 今後も再雇用として週の半分程度は関連会社に出社されると聞き、これまで以上にOさんと密になりたいなと心で思った。
 今夜の賑やかな宴は、そんなOさんの素晴らしい人間性も指し示していた。
 Oさん、節目となった今日まで本当にお疲れさまでした。そして末永くお付き合いの程、引き続き宜しくお願いいたします。ありがとうございました。

投稿者 yonezawa : 18:04 | トラックバック(0)

2010年 06月 17日

散会式

418pry6vpuL._SS500_.jpg

 昼下がり、デザイナー事務所:ロジアへ打ち合わせに。
 帰社して雑務を終え、20時30分より始まるF班散会式の地:西麻布の韓国料理屋へ赴く。
 よく知る面子とよく通じる笑いネタで爆笑の夜が予想通り続くのだが、最後の最後に編集見習いのTが同棲中の彼女にプロポーズするといった事態に話が展開。
 
CA3A1259-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 13:47 | トラックバック(0)

2010年 06月 10日

唖然

61ox0eVJZJL._SL500_AA300_.jpg

 「編集Iさんのオススメの店なんですが、是非一杯行きましょう!」と誘われた。
 「Iの常連店なら期待大だ!」とほくそ笑み、また知らぬ名店を新たに知る機会になると思っていたら、おいらが翌日予約していた店で(嬉しくも)唖然となった。
 なんたる偶然なのだ! と言うだけで明日のことは早速忘れることにし、今日の贅沢な食事を楽しんだ。極上つまみが今日も嬉しい。

 心を掴まれた映画・音楽を酔いに任せてほろほろ語りだし、若き編集Mの拘っている映画作品も教示してもらう。近々にブルーレイも貸してくれると彼は言った。
 折に触れてそうした名盤ソフトの情報交換を行いたい輩はたくさんいるが、Mもその中の一人に加わった感じがしている。 

投稿者 yonezawa : 04:54 | トラックバック(0)

2010年 06月 7日

東京島

ZRTR-JF01_1.jpg

 やっと試写鑑賞。篠崎誠最新作『東京島』。
 原作を読んでいないので、本編と原作との違いを知るところではないが、全編を通じて、沖永良部を含む離島ロケの映像に誠ちゃんのパワーを感じさせた。
 こうした立場にいると、全体の撮影日数なりバジェットなりを、まずはいやらしくも考えがちなのだが、「篠崎誠の作品」という括りで、いかなる理由があろうとも味方な気持ちで鑑賞している自分を自覚した。
 誠ちゃんとは近々に飲みたし。

 今週末の新規開店を睨む『ひろ喜』オープン直前の店舗内をラッキーにも拝見出来た。
 新しい壁の質感を見つめ、店内に漂う真新しき香りを感じながら将来の展望を願った。
 ひろ喜を囲み、ライターK、編集Uもかけつたプチ親睦会を開催。

 〆「わ蔵」のラーメン写メールを撮り損ねたのは、決して酔ったからではなかった。

投稿者 yonezawa : 19:38 | トラックバック(0)

2010年 05月 28日

ラッキー

51pLRnH5RKL._SS500_.jpg

 21年少々前に現在の第四編集部で勤務することとなったのだが、最初に意気投合し、プライベートな会話を投げあうことの出来る唯一の同僚先輩編集者:Nさんと十年以上ぶりの飯に。

 日常、おいらとは半日(?)稼働時間が違うNさん故、飯の時間もまず被ることがなく、仕事内容も行動パタンも真逆なので、仲良しでも食事(酒)は疎遠…と言う間柄となっている。
 「夕飯もご自宅で」という日も少なくないというNさん。おいらは1年を通じて夕飯を家で食うことは、平日ではまずあり得ない。
 
 積もる話を弾丸のようなスピードで語り合った。おいら大満足。
 世界の北野の話題も、他のお笑い芸人の話も、おいらにとってNさんの意見はとても参考になり、何よりも彼のセンスを窺い知る機会がラッキーだと感じている。

 各々の、未来の青写真はまだまだ未知のモノといった案配ながら、タイムリミットまで語り尽くせた今夜は大収穫。
 Nさんの大好きなカルチャーを彼の喜びのために独自で収集し、贈呈したいと、今日も感じた。

投稿者 yonezawa : 12:16 | トラックバック(0)

2010年 05月 27日

ミーティング

51S68NGAPTL._SL500_AA300_.jpg

 映画『マリア様がみてる』の件で編集:S氏とミーティング。

 S氏はおいらが1999年に出版したルポルタージュ書籍『Blue Film』の担当編集者でもあり、さらに遡る23年前には、グラフ誌の仕事で同じ釜の飯を喰った仲。
 漫画誌の世界に移行し、しばらく時間が経過した後、節目節目に遭遇する機会が何度か得られ、そしてあの北野武に密着するという決意を抱かせてくださった張本人、それがSさんだった。
 完全に背中を押された感じ。

 渾身にして唯一の署名書籍の編集作業は楽しかったことしか覚えておらず、Sさんには本当の意味で、編集者の機微を感じさせられた。
 かつ、人生における最重要な仕事の一つであったことが嬉しき思い出となってる。

 今日の打ち合わせに、あの当時の本を持参してきたSさん。
 「たけしさんも若いけど、米ちゃんも若いね!」と、11年前のおいらの写真を見せてくれた。
 今になってページをパラパラめくると、写真の選択、挿入箇所のリズムに一点の曇りも感じない。さすがの編集者という印象。
 この本の作成にあたって、おいらは何も口出しせず、写真も自分では選んでいない。
 それでいて大満足だという気持ちにさせてくれたSさんの仕事は、やっぱり秀逸なる編集者であることを認識させられる、僭越ながら。

投稿者 yonezawa : 12:17 | トラックバック(0)

2010年 05月 26日

ロック・ミュージック

41GppgPuDQL._SL500_AA300_.jpg

 小雨降る中、演奏家:Aとしばらくぶりの会食談笑の席を設けることが叶った。
 彼の口から出てくるミュージシャンやらバンド名は、そこそこの音楽通でも対抗しようのない根深い知識と造詣深さを思わせる。
 知り合ってからもう20年近くの時間が経過した計算だが、本気でロック・ミュージックを語り合える貴重な存在の一人、それがAでもある。

 新宿「匠」を経由し、ゴールデン街で久々にHへおじゃまし、名物のカレーミートボールをいただいた。
 クラシックの世界にも精通した現役のチェリストでもある彼とアコギ・セッションする日、その日を心待ちにしている。

投稿者 yonezawa : 13:35 | トラックバック(0)

2010年 05月 24日

失速LIVE2010

51R293G4vOL._SS500_.jpg

 Aimie、bambiご一行様、デビルガールズご一行様、トッポ、マミコロ、エミちゃん、S織、E戸夫妻、対バンのみなさま、サウンドチェックでトラで叩いてくださった某氏、実行委員会の皆様、カメラ殿村&広称、他、失速LIVE2010に参加してくださったすべてのスタッフ、ご来場の皆様の方に感謝!

 第16回を迎えた失速LIVE2010はあいにくの雨模様。
 巻き気味で始まったサウンドチェックにはギリギリで到着し、着いた端から音出し。走ってきたので熱い熱い。
 
 出番までK野、Tらと焼鳥屋へ。
 本番1時間前に今年も恒例の会場となった「目黒ブルースアレイ」へ戻り、満員御礼の集客を確認。少し赤ら顔だったおいらは誰かに指摘される。

 20時30分、本番。
 知らぬ間にドラムスの兼松くんが突然ドラムセット前に居ることに気づく。
 フィードバックから『移民の歌』でライヴ・スタート。
 スタート瞬間の、なんとも表現しがたいライヴ独特のテンションが毎度たまらない。ライヴの最も好きな感覚は、この瞬間にもある。
 回客席には大勢の知り合いの面々。おいらにとっては最も贅沢なライヴと言えた。ここにおふくろがいれば完璧。

 時間いっぱい正味20分のステージを瞬時に駆け抜けた。
 打ち上げの最終的な〆には、久方ぶりの『阿夫利』。

 唯一の心残り、それはこのイベントに絶対来たかったRちゃんが、残念ながら来られなかったこと。風邪と(ぶつけた)お口の怪我で断念したのであった。

●失速LIVE2010
Beat generation

●吉田宏(ヴォーカル)
●甲野勝之(ギター)
●池田哲也(ベース)
●兼松幸市(ドラムス)
●田中英俊(キーボード)
●米澤和幸(ギター)

1)Immigrant Song
2)Communication Breakdown
3)Custard Pie
4)All My Love
5)Misty Mountain Hop〜Beat it〜Misty Mountain Hop

投稿者 yonezawa : 00:33 | トラックバック(0)

2010年 04月 30日

ボクシングWBC、WBOダブルタイトル・マッチ世界戦

51fm2TQ6cjL._SS500_.jpg

 先日、九州から帰省した日、買わなきゃと思っていた書籍をコンビニで発見。
 タイトル『意志道拓』。ボクサー:長谷川穂積の自伝を綴った本を迷わず購入した。
 
  本日、ボクシングWBC、WBOダブルタイトルマッチ世界戦を見届けるべく夕方、日本武道館へ。

CA3A1199-0001.JPG

 スペシャルリングサイドの席を贈呈してれた漫画家の高橋ツトム氏、そしてその席を手配してくださった長谷川選手両氏に大きく感謝。
 
 セミでは粟生が痛快にTKO勝ちし、続くスーパーバンタム級チャンピオンの西岡利晃は、同級10位の挑戦者:バルウェグ・バンゴヤンを相手に盤石の試合運びで捉え、こちらもTKO(5R)で下し4度目の防衛に成功。
 最高のお膳立てが出来た午後7時、メイン:長谷川の試合時間が近づいた。

CA3A1200-0001.JPG

 WBOという団体は日本非公認ながら、勝てば世界(アメリカ)への大きなアピールとなる。長谷川は、めっぽう強いと評判だった同級王者:フェルナンド・モンティエルをあえて防衛戦の相手に選んでいた。
 安定政権とも言える両世界チャンピオンの技術を思えば、どちらが勝つのかは中身を見るまで判らない。長谷川を信じる気持ちと不安が交錯する。まったく試合予想の出来ないままゴングが鳴った。

 しかし、試合はまさかの結末を迎えた。
 長谷川選手の4RTKO負け。結果、11度目の防衛に失敗。

 3Rまでは長谷川が相手を見切っていたと感じさせたし「何ラウンドで決めるのか?」という期待も高まったぐらいだった。
 モンティエルは時折トリッキーな動きで、相手のタイミングを外すリズムで攻めてくるが、突破口を見いだせない。しかし、4Rになってその読みにくい動きはより顕著になり、「これまでよりも予測しにくいパンチの繰り出し方もあるな…」と感じていた矢先のことだった。
 残り時間10秒の拍子木が鳴った直後、決定的な1発、そして2発目以降の連打を打ち込まれた。
 
 試合後、何人かの人たちからメールが到着。別件と併せて届いた江口兄からのメールに長谷川の試合に関して一言書かれてあった。
 「負けたね。残念。でも剣豪同士の斬り合いみたいないい試合だった。」
 まさに試合中、自分が感じていたことを端的に言い表した表現であり、その言い回しに胸のつかえがとれた気持ちになる。(未完の少年漫画『エイジ』(最終担当:米澤)が傑作であるはずだ)
 岩谷テンホー兄からのメールにしても「相手も素晴らしいチャンピオンだったんだね。長谷川にパンチ当てるんだからなー。しかしラスト10秒の油断かな。」と、漫画家諸氏の視点の的確さに大きく納得。漫画家には強烈なボクシング狂多し。

 帰社し、試合のVTR映像と控え室での長谷川選手のインタビューを見た。
 「コンディションはパーフェクト。言い訳は出来ない」といった意味合いの言葉を語っていた長谷川選手。
 正直、言葉も出ない結果であり、個人的にもかなりズシンときた試合ではあったが、再起戦の未来に向けて、一ファンとして応援し続けたい。
 今日は負けてしまったが、長谷川穂積、世界に誇れる素晴らしいボクサーだ。

投稿者 yonezawa : 20:21 | トラックバック(0)

2010年 04月 27日

帰社

gr023.jpg

 午前5時から1時間ごとに目覚め、午前9時40分頃ホテルの車で宮崎駅に送迎して頂いた。
 9時59分の電車で宮崎空港へ。
 軽く土産屋を覗き、ちょっと余裕をもって待合い場のソファでなにげなくテレビモニターを見ていた。
 NHKの映像では、かつておいらが2年ほど住んでいた大分県玖珠町関連の町おこし的ニュースを流していたので、ふいに見入った。
 すると役場の人だか中年男性が登場し、イベントの説明などを行っていたのだが、そのうち1人の男性の名前に見覚えが。なんと同級生でバスケット部も同じだったM.M.がハッピ着て祭りの話をしているではないか。
 思わず動画撮影し、玖珠町出身の輩3名に即配信。笑った。

 12時20分発のSNAに搭乗。定刻通りフライトし、2時間もかからず羽田着後、一路編集部へ。
 東京も宮崎同様に雨模様で、編集部近くのコンビニで傘を購入。微妙な雨だけに、傘に金を出すことにはなぜか異様な抵抗を感じる。

 届けられた入稿原稿の下絵を見て呻る。
 幕末世界を描いた物語『SIDOOH』は抜き差しならない展開に突入しており、勝海舟と、この物語の主人公の一人:雪村翔太郎とのやりとりに旋律を覚えたおいら。
 物語の放つ緊張感はいつでもMAXだ。

 原稿取りは雨模様もあってか少し早めに向かった。
 途中、居酒屋KでAと、ものの30秒再会。Rちゃん&ママへもお気遣い戴いたお土産に心より感激。

 原稿を引き上げ、入稿中、ふいに玖珠出身のYからメールが。なんと新宿都庁真下で飲んでいるとのこと。妙に玖珠づいた1日だ。

投稿者 yonezawa : 17:50 | トラックバック(0)

2010年 04月 26日

手術〜良好

CA3A1191-0001.JPG

 午前中病院に到着したら母はすでに手術室へ移動しており、身内は別室の狭いモニタールームへと通された。
 テレビには大きく見開かれた瞳のアップの映像が映し出されており、手術の一部始終が観覧出来るシステムになっている。
 かなりエグい映像ではあったこともあり、近眼のメガネを外して焦点の合わない状態で見た。
 映像をこうして包み隠さず公開する姿勢に病院の信頼を感じ取ることもできた。
 所要時間はおよそ30分。術後の母のコンディションも良好。
 出血もあるし、針と糸で切開した瞳の白い部分を縫う箇所もありながら、全く痛みもないそうで安堵の息をつく。しかし自らの場合を想像すればかなり怖い。

 それにしても、母の後にも十何人かの患者がオートメーションのように次々手術されてゆく。一般患者の方は待合室を満席にしている。大繁盛の新城眼科。

 今日も時間の許す限り、姉、母とバカ話の続き。至福の時間と言えた。
 嫁に嫁いで真摯に半世紀走り続けた母に、天がくれた休息の時間であろうと受け取り、この貴重な時間を贅沢にまったりと過ごした。
 病室で姉が持参してくれたおかずと焼きおにぎりを頬張りながら、昼食と軽い夕飯を頂く。
 夕方、姉を見送りそして20時の面会時間一杯まで母と2人で過ごした後、ホテルへ。

 外は急に雨模様。ホテルのサウナで汗を流し24時頃まで仮眠。小腹の空いた頃、軽い夜食を探しに街を徘徊。今更ながら宮崎の料理は美味い。おいらは宮崎県のことは何も知らないようなものだった。
 あの長島さんも大好きだと聞く釜揚げうどんが名物であることも、こちらで知り合ったMに初めて聞かされた。

CA3A1192-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 17:38 | トラックバック(0)

2010年 04月 25日

お見舞い

 翌朝S.S子の母さんとは2年ぶりの再会。近況を伺いながら朝食をご馳走になる。感謝。
 おばさんの物腰も小学生時代からなんら変わらなく嬉しい。
 
 午前中、M姉の車にピックアップしてもらい宮崎市の新城眼科を目指した。
 1.5時間かけ現地着。昨日左目の手術を終えた母はガーゼで片目を保護しサングラスをかけている。その様を見て立川談志を思い出すおいら。

CA3A1189-0001.JPG

 母が夕飯と風呂の時間となった間に、編集部で一番の宮崎通なIっちゃんにレクチャーを受けたラーメン屋『栄養軒』へ。美味。さっぱりした宮崎ラーメン。かなり好み。東京の豚骨系の多くの物件がいかにギトギトしているか認識。

CA3A1190-0001.JPG

 食後、姉に再び病院まで送ってもらい、面会時間一杯の20時まで語り尽くす。
 天気も良かった1日。
 病院からホテルへ徒歩とバスで移動。
 遅めの時間にふらふらと街に出て夜食を探して徘徊。美味い飯や「AUBE」を探しあて、店主と意気投合。

 明日はおふくろの白内障・緑内障手術最終日。

投稿者 yonezawa : 17:29 | トラックバック(0)

2010年 04月 23日

地元ティ

CA3A1080-0001.JPG

 都内での失速リハを終え、大人しく電車帰宅。の途中、札幌から打ち合わせで上京中の漫画家:Mさん他と吉祥寺にて合流。
 Mさんは、吉祥寺の主:漫画家:Sちゃんとの初邂逅が目的で、わざわざこの日だけこの飲み屋の界隈にホテルを取った。
 
 すでにMさんらはSちゃんら行きつけの居酒屋:闇太郎で飲んでおられた。Mさん、Sちゃんにお会い出来て嬉しそう。おいらが到着したのはすでに23時頃だったので、Mさんとはわずか1時間程度しか語り合える時間がなかったのだが、今宵も贅沢な面子との遭遇で場はいつものように賑やかな宴となった。
 おいらは闇太郎後の、ど深夜のカラオケは遠慮させていただき1人帰途に。明日の九州行きに備えて…

投稿者 yonezawa : 15:35 | トラックバック(0)

2010年 04月 19日

おしごといくの?

pic01-4.jpg

 小学生低学年の頃だったか、例えば夕飯で食べる肉の焼き加減が判らず、ちゃんと火が入っているのかどうかいちいち親父に確認していたものだった。

 「これ食べれる?」
 「もうちょっと焼いた方がよか」
 「これは?」
 「それはもう(食べて)いい」

 この親父による“安全”を意味する言い切りがとても頼もしかった。
 いつしか、料理人を経験したこともあってか、こうした判断は個人的には得意となっている気がするのだが、現代のRちゃん、まだまだ食べ偏りがあるものの、少しずつこちらの“食べても大丈夫”発言を気にしながら食事をしている気がする。
 
 今日も一般の成人女性並の量の餃子を平らげたRちゃん。食べる早さも日々進んでいるようだ。

 「おしごといくの?」

 平日、ジャケットを羽織るとこう問われ、「いったらダメー。ダメだよー」攻勢も恒例となった。
 仕事用の鞄を抱えると、唐突に何かを注文してくる。「じっえっべっく、みるー」とDVDを催促。ご要望通り抱っこして映像を見せるものの、30秒程度で他のモノに興味を示すのだが、そのわずかの時間、立ち往生させる作戦が叶えばRちゃんはようやくバイバイしてくれる。
 玄関までズックを履いて、案の定「Rちゃんもおしごと、いくー」と一緒に外に出ようとするものだから、すかさずママに「こっちに来なさい」と一括。
 おいらの平日業務の一日は大概そうして始まっている。

 先週の冷えこみとは一転し、今日は妙に暑いぞ。
 鍋を喰っていいのか、刺身でいいのか、食べ物の選択もその都度大きく変わりそうな気候ばかり。
 S社Sさんとのサシ飯はもう3〜4年ぶりだったか?
 ふいにそうした間合いとなり、本日久方ぶりの食事の席を共にさせて頂いた。

 bambiの沖縄ライヴ・ツアー計画、着々と進行中。メンバー中3名(YY、H、S)、旅行計画スキル高すぎ。残り3名(Y、O、C)スキル低すぎ。

投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)

2010年 04月 15日

Gっさん

pic01-1.jpg

 寒い日と暑い日が交互に訪れる感じ。
 Tシャツ1枚で過ごせる日から一転し、革ジャンの必要な日に変わる。
 小雨模様の中、外出に同行するRちゃんを見送り外へ。
 
 着ていく服の厚さを間違えた。バス停に向かった頃、かなりの冷え込みを自覚し、途中でジャケットを買おうかと迷った。
 
 昨年の親睦会から数ヶ月。S社の名物ディレクターにして、実力派シンガーHKのブレーンでもあるGっさんと久々の再会を果たす。
 席に落ち着き、飲み物を注文した際、個室のドアの隙間から知り合いの顔が見えた。
 漫画家:若林健次と偶然遭遇。
 
 現在邦楽セクションに身を置くGっさんは、以前洋楽セクションに在籍中、おいらと共にニューヨークへ飛び、AC/DC「アンガス・ヤング」取材時の担当者でもあった。
 AC/DCの公演は、個人的に海外まで追っかけ、先だって行われたさいたまスーパーアリーナでの公演の際には、アンガスのコスプレでエントランスに現れた。
 ニューヨークでの取材時、この日と同じ格好でアンガスと2ショットを撮ったことはいわずもがなだ。
 彼の醸し出す独特のノリが妙にツボにはまる。マシンガントークで音楽談義に花が咲く。

 やがて遅れること1時間少々、同社S&Yも合流。
 この席に、たまたま流れで出た(タレントで、警世家で、ベナン大統領特別顧問で、俳優:ビートたけしの付き人でもある)ゾマホンを呼ぼうという話になり連絡。着信を入れたらば、丁度別件で同じ新宿にいるという返事が返ってきたが、残念ながら合流にはならず。ゾマホンにもそろそろ会いたいものだ。

 三丁目のバー『S』に河岸を変え、トミー・エマニュエルの旋律に耳を傾ける。
 「ジョー・サトリアーニのギターよりも、先日聴いたノラ・ジョーンズのギターの方が、数倍の魅力を放っていた」というおいらの話に「そういうことなんですよね!」と頷いてくれたGっさんが、やがて船をこぎ出した。
 超プレミア・チケットを都合してくれたGっさん、嫁も喜びます。大感謝!

投稿者 yonezawa : 11:40 | トラックバック(0)

2010年 04月 12日

ジェフ東京公演2日目

51IdVbaobxL._SL500_AA300_.jpg

 ジェフ東京公演2日目。国際フォーラムA。
 名古屋公演だけで演奏されたという『フリーウェイ・ジャム』は、セットリストに記されながらも、今夜も奏でられることはなかった。
 ジェフの機微は何度見ても何度聴いても飽きが来ない。究極の演奏をステージ中央近くの4列目で拝聴した。
 ギターのアドリヴは、簡単に言えばその場の閃きであり、即興演奏のひとつだとも言える。
 その即席で奏でるメロディには演奏者のセンスがすべて剥き出しとなり、それまでにどれほどの引き出しなり、アイディアなりを有しているのかがミュージシャンのセンスの鍵となる。
 とにかく舌を巻く圧巻の演奏が今日も繰り広げられるのだった。

 終演後、控え室へと向かい、待機部屋で赤ワインを飲んでいたらドラムスのナラダ・マイケル・ウォルデンが登場。超ファンキー。そしてなんとフレンドリーな男なのだ。
 部屋にいる関係者すべてと握手を交わし語り合う機会を提供し、自ら記念撮影を催促するほど温かいナイス・ガイだった。ドラムスに偽りがないはずだ。
 やがて関係者に「メンバーはすでに全員帰りました」と聞き、残念ながらこの日はジェフには会えず仕舞いで引き上げた。

投稿者 yonezawa : 15:20 | トラックバック(0)

2010年 04月 8日

尿管結石

 今年の米澤家新年会の席には、正月に上京していたおふくろの参加もあり、同時に、まだ一度も酒の席を共にされていないと伺っていた江口兄&獏さんの豪華ゲストもお誘いし、賑やかに鍋でもつつければと計画した。
 この宴の噂を聞いた出版関係者他が「私も混ぜて〜」「皿洗いでも何でもするので参加させてください」「子連れで伺います」等々、続々参加することとなり、結局10数名を数える大宴会に。
 ところが当日になり、「これから尿管結石の(切開ではなく、レーザーを中てる)手術をやることになったので少し遅れます。麻酔でぼーっとしてるかもしれないので勘弁」おおむねこのような内容のメールが獏さんより入った。
 「無理をしなくとも次回の機会で大丈夫ですよ! お大事に」そう電話でお伝えしようと思っていたところ、結局手術は泊まりになってしまい、2日続けて行うことになったという連絡が入った。

 結局、残念ながら獏さん抜きの宴となったのだが、獏さんはおいらのおふくろにもお気遣いされ、その電話でおふくろともしばらく話してくださった。
 
 そこから4ヶ月程の時間が経ち、体調の戻られた獏さんから「仕切り直しの飲み会を是非やろうぜぃ!」とご提案を頂いており、本日が新年会のやり直し日となった。
 やや面子は変わったが、同じちゃんこ屋で鍋をつついた。
 みなさま、お疲れさまでした。獏さん、ごちそうさまでした。

 格闘家:飯村選手と地元へ帰還。最後の1杯は、偶然遭遇した地元漫画家先生方と闇太郎で乾杯。

51eTgZbdENL._SS500_.jpg

 尚、獏さんが尿管結石にのたうち回った経緯は、『獅子の門-人狼編-カッパ・ノベルス-夢枕獏』
http://www.amazon.co.jp/dp/4334076890
の後書きにしっかり書き記されている。

投稿者 yonezawa : 16:03 | トラックバック(0)

2010年 04月 7日

泣く泣くお断り

CA3A1175-0001.JPG CA3A1174-0001001.JPG

 JR吉祥寺駅、まんが家:江口寿史一色。

 先週の水曜日、ふいに世界のTさんにお誘いを受けながら、当日のことだったので先約あって泣く泣くお断り申し上げた。
 「今週の水曜日にも、もしかしたらその可能性があるかも?」と考え、今夜は20時過ぎまで予定を入れず編集部で雑務をこなしていた。
 結局お誘いはなかったので、「もしその用事がなければ21時以降に落ち合うべし」と約束していたW社:Yちゃん&Tちゃんとの待ち合わせが叶った。
 昨年以来、今年初となる3人での再会。
 しばらく会わずとも頻繁に会おうとも、彼らとの距離はいつも一定だ。
 映像業界に身を置く彼らと、妄想で語る仰天企画のあれこれがとても興味深い。
 ロック・ミュージックを遠慮なく語り合える最強の面子の中の2人。

 Tちゃんが出張から帰ってきたら、おいらもそろそろ映像ディレクター化しようかと、もう一つの大いなる妄想を抱いてみた。

投稿者 yonezawa : 16:02 | トラックバック(0)

2010年 04月 5日

“夜忍戒”2010

51Vst%2BvL0wL._SL500_AA240_.jpg

 “夜忍戒”と命名する映画人&編集者の親睦会は、すでに十数回を数える。
 渋谷の鳥料理『鬼亭』はなかなかのナイス物件。
 店のおばちゃんのパーフェクトなフォロー(客の不安定な焼き方を見ていられない)によって、ベスト・コンディションの中、出てくる品々を次々がつがつ喰いまくる。
 平均年齢40歳ぐらいの4人ともペースを落とさず。

 ダイエット中のIちゃんは、そうしたこともあり珍しく一軒目で引き上げ、残った3名で少しだけ馴染みのロックバーへ。
 店では80年代前半の洋楽“産業ロック”がかかっている。つまりおいらが高校時代の音源オンパレードが大音響で鳴っていた。
 
 映画界における裏話を今宵もちらほら入手し、こちらも、つい最近感じ受けた驚きのきな臭い裏話を披露。思惑と実態と真実と裏切り。
 とにかく山師多し。つまるところ映画界は大いなる大博奕の世界であると再認識。

投稿者 yonezawa : 15:40 | トラックバック(0)

2010年 04月 1日

おめでとう

51Y-umgtbRL._SS400_.jpg

 我が両親の結婚記念日は、漫画家:MKの娘さん誕生の日と重なった。
 MK、おめでとう!

投稿者 yonezawa : 18:00 | トラックバック(0)

2010年 03月 31日

アグレッシヴな戦略

%E6%BA%80%E5%B7%9E.jpg

 Kさんのご依頼で、編集者Oさん紹介の席を設ける。
 新たな分野に移籍されたKさんのアグレッシヴな戦略なや妄想は、端から見ても呻るものがあり。
 古い編集部の体質をガンガン刷新し、次々と新しい試みを実験しようとするその姿勢は、出版界不況の中においても、まず必要な行動だと感じさせる。

 違う分野の専門的な情報が飛び交う中、おいらはちんぷんかんぷんな場面などもありながら、今夜の親睦会も大事な席だと認識。
 深夜に聴く、トミー・エマニュエル・ライヴ盤の心地よい音色といったらなかった。

CA3A1173-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 02:33 | トラックバック(0)

2010年 03月 29日

誕生日おめでとうございます

51NK1WRWCKL._SS500_.jpg

 柴田 国明さん、マイケル・ブレッカーさん、高水健司さん、野沢直子さん、西島秀俊さん、鈴木彩子さん、桜庭あつこさん、滝沢秀明くん、里田まいちゃん…

 そして…江口寿史兄、誕生日おめでとうございます。

 夕方、漫画家:高橋ツトム兄とTHE MODSライヴ観戦。
 森山達也さんは、高橋ツトム『SIDOOH-士道-』20巻帯に、いぶし銀のコピーを提供してくださった。
 今夜のライヴは“完璧”という形容が相応しいほど掛け値無しにベストの出来であり、なんといっても新曲の放った色艶、完成度に心揺さぶられた。

 数時間遅れて打ち上げの席に合流させて戴く機会を得、そこでメンバーの方々と直に語り合うという信じられない夜を体感。
 何故THE MODSが永遠に瑞々しく光り輝いているのか、その理由の一旦が理解出来たような気がした。
 彼らの音楽に対する誠実さに適う音楽家には、簡単には出会えない。

 THE MODSの皆様、素晴らしい夜をありがとうございました。&日付が変わった頃、森山さん、ハッピー・バースディ!

投稿者 yonezawa : 00:56 | トラックバック(0)

2010年 03月 26日

1人でも飲む

statuesketch.jpg

 以前、地元の居酒屋で知り合ったFSさんと念願の会食。
 「ちょっと飲み足りないと思ったら、迷いながら1人でも飲む」という、基本呑んべぇ体質のFSさんは、その物腰全体がチャーミング。
 親父が生涯飲み続けたおいらの一等好きな芋焼酎:明月を常備しているこのうどん屋は、それだけでステイタス高し。
 予定していた(週末だけ[?]予約の出来ない店)『汁べぇ』が残念ながら満席で断念。『真希うどん』に落ち着いた。
 外はジメジメ日より。
 FSさんがジャズに傾倒され、学生時代から自らも管楽器を演奏されていると伺い、急に親近感が増した。「楽器を演奏する」こうした人間とは基本的に話が弾む。
 己の子供には何らかの楽器を1つ自分のモノにして欲しいという願いが、身勝手ながら心中にある。勿論、ギターである必要もなく。

 FSさんを見送り、『闇太郎』を覗けばタムタム、エグチンのささやかな誕生会が開催中。
 流れで暖簾をくぐったのだが、読みは的中。偶然、同級生:Hも大酔い状態で合流したものの、彼は即刻爆睡したのでタクシーに乗せて引き上げさせた。
 早朝5時、まだまだ飲む先生たちを残し帰途に。

投稿者 yonezawa : 18:12 | トラックバック(0)

2010年 03月 25日

ディラン

012222221.jpg

 雨模様で寒い。
 夜、日本橋へ。親愛なるF氏にお誘い頂きサシ会食。
 氏とは1日違いでB.ディラン観戦に行ったおいらだが、氏のディランに関する造詣の深さはハンパでない。
 高級ステーキを真正面から本格的に頂く。Fさん感謝!
 遅い電車で地元へ引き上げ、E氏へ近況報告。
 
 角田光代の「八日目の蝉」がドラマ化される模様。ちょっと楽しみ。

投稿者 yonezawa : 18:12 | トラックバック(0)

2010年 03月 21日

高校時代

 Bambi鉄壁のリズム・セクション:チャーリー&ヨーヨーの出演するライヴ情報を得、代々木の某ライヴ・ハウスで行われた帝京大学軽音楽部OB-LIVEへ向かった。
 高校時代を思い出すパラシュート、そしてプリズム等のカヴァーが奏でられ、自身が高校時代の景色を思い出していた。

 実に忠実に高中正義を弾きこなすH先輩。マイケル・シェンカー/イン・トゥ・ジ・アリーナを寸分違わずコピーしきったK。同級生のTはクラプトンを極める高校生だった。
 先のH先輩の消息は知るところではないが、Kがギターを止めたのは大変勿体ないと感じたものだった。Tは今も地元でギタリストであるハズだが、ギターを本業として成功に至らなかったのは今でも残念でならない。
 当時高中正義は周りの環境もあり、おいらも1曲だけ弾いたことがある。確か「FINGER DANCIN’」。今のおいらのギタースタイルとは対局とも言える懐かしきカヴァーの1曲。

4988005420527_1L.jpg

 ライヴはヨーヨーのスラップらしきプレイも初めて体感。バンド中、最もプロっぽい仕切りでキメを極めたチャーリーのスティックさばき。7月沖縄ライヴも益々楽しみ。
 みなさまお疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 02:22 | トラックバック(0)

2010年 03月 19日

写真家

100304gguitar.jpg

 近年、最も共に仕事をした写真家は、間違いなく(株)スウィープ代表:若林広称だ。
 これまで、何百人という各国の音楽家、映画人の取材現場にはほとんどが彼がいた。

 取材とは一つ一つがシビアな真剣勝負といえる。
 どんな現場でも、まずこちらのもくろみ通りに展開しない故、100者100様の取材空間となる。毎度その場その場の空気をどう読み取り、何を優先し、限られた時間をいかに上手に使うのかが、成功(満足)する取材となるか、そうでない取材となるかの鍵を握る。

 ふと、ブラックアイドピーズ:ファーギーへの取材を思い出していた。
 彼女へ2つ目の質問を投げようとした時、スタッフから「あと2分です」のカンペが見せられた。
 約束の時間はあと10分少々残っているハズ。「話が違うじゃないか!」と心で思ったおいらは思わず 「FUCK」と声に出してしまった。
 その言葉の意味を理解したファーギーは「It's ok It's ok!」とおいらをなだめ、なんと2度にも渡ってインタビュー時間の延長を指示してくださり、結果予定の倍の時間を得たことがあった。
 取材前、おいらの気持ちを記したファーギーへのメッセージをご本人にお渡ししたのだが、取材後、全スタッフの前でその内容を披露させたというエピソードを、後にレコード会社スタッフに伺った時には感激したものだった。

 この日も広称は、(撮影するには)狭いホテルのインタビュー部屋に強引にピンクのバックドラフトを持ち込み、特写を果たしたわけだが、彼が現場で出来うる限りベストを尽くしてきた最たるフォトグラファーであったことは事実だ。
 できあがった写真は、まさかホテルの部屋で撮られた写真だとは、読者の誰も思わなかったろう。

 荒木町、そして新宿三丁目と場を移し、滅多にやらない広称(&ゲストのK)との親睦会の席を設けた今夜。
 今日は広称の初めての労いの日。そして広称は新たなるステージへと邁進する。
 しかし新利しりの炒飯秀逸也。

CA3A1146-0001.JPG CA3A11147-0001.JPG

 現在・過去・未来の話に盛り上がる最中、漫画家:江口寿史兄は前情報通り「西原理恵子の人生画力対決」の行われる六本木ミッドタウン界隈へスタンばった。
 そして、ベロベロに酔っ払った状態で、Billboard Live TOKYOで開催されるそのイベントのシークレット・ゲストとして、無事、乱入を果たされた模様。

 関連サイトによれば…「今日は対決のためにシラフで来たから!」と千鳥足で見え透いた嘘を吐き、席に着くなりアルコールを注文…されたそうだ。なんと素晴らしい。
http://natalie.mu/comic/news/29367

投稿者 yonezawa : 18:08 | トラックバック(0)

2010年 03月 18日

音楽家

61GL2kwO0gL._SS500_.jpg

 広尾から西麻布へ徒歩移動。
 家族ぐるみでお会いする機会(コンサートの控え室や取材の場)が多かったのだが、およそ2年ぐらい前から延び延びとなっていた、音楽家:Mさんとの念願の会食がついに実現することとなった。

 丁度、海外と日本とを半分ずつ行き来し、ワールド・ワイドに音楽活動を展開される彼女のスタイルは一つの憧れでもあり、常々その偉功を讃えているおいらだ。完全に脱帽。
 常に自然体で気負いがないまま世界中を飛び回り、各国の人々の前で一年を通して演奏する日々。あまりのナチュラル(無防備)さに、懐の深さなりゆとりを感じ、日々最前線で活躍される機微を余計に感じていた。

 一昨日は北海道、明後日は関西でのコンサートを控えておられるそうなので、本当に合間の時間を調整してくださったMさん、感激でした!

 彼女はたけしさんの番組にも何度か出演されておられ、そこから派生した無軌道な話が、音楽話以外の会話へと脱線し、とても興味深い。
 頭脳明晰で音楽的才能に溢れ、その上、容姿端麗。彼女は芋焼酎も数杯おかわりしてくれた。

 コンサート会場では控え室を訪れる度に、いつもRちゃんに配慮されたメッセージを頂き、人間的にあまりに素晴らしすぎる才女。夢のような数時間は、あっと言う間に過ぎ去った。

投稿者 yonezawa : 18:07 | トラックバック(0)

2010年 03月 17日

リサとガスパール&ペネロペ

51njY3%2Bc-ML._SS500_.jpg

 銀座松屋で開催中『リサとガスパール&ペネロペ展』閲覧。
 パリに住むドイツ人画家ゲオルグ・ハレンスレーベンと、フランス人作家アン・グットマン夫妻によって生み出されたキャラ。
 明るく豊かな色彩と、ほのぼのとしたストーリーで、絵を見つめていると気が抜けるような気分になる。
 何とも形容しがたいキュートなキャラが微笑ましい。

 Rちゃんは関連グッズの小さなバッグを見つけた端から握りしめ、持ち歩き、どうしてもソレが欲しいのだときかない。
 プラモデルの前でテコでも動かなかった幼少時代の自分がダブる。
 
 今年勇退される2人の先輩と、突然の閃きで会食する機会を得た。
 どんな形であっても、どんな角度から切り込んでも全部シャレの通用する諸先輩。
 僭越ながら、勝手に彼らのことは戦友だと思ってきた。

 両氏と席を並べ、贅沢に語り合える瞬間の温かさは他ではなかなか味わえない気持ちに包まれる。
 両氏の素晴らしい功績は個人的に深く認識しており、そのすごさは編集者としての、おいら自身のひとつの指針となってきた気がする。
 おいらとは縁もゆかりもなかった、昔OZさんの所属した編集部の忘年会へ軽くお誘いくださったOZさんの温かさ。
 すでに、ほとんどがご主人のご逝去やら引退に伴いなくなってしまったが、幾つかの美味しい飯屋やバーへ連日引き連れて頂き、何年もの食の歴史をも共にさせて頂いたOTさんとの時間。
 貴重な思い出は、懐かしくも新鮮な赴きで胸に刻まれている。

 20年近く昔、漫画家:江口寿史氏の仕事部屋へツメた時、なかなか上がらない原稿を愁い、陣中見舞いにいらした OTさんが先生に伝えた言葉を思い出した。

 「江口先生、米澤を男にして(原稿を上げて)ください!」

 嬉しかった。担当編集として4,5泊した頃のことであり、先輩編集者のこの言葉はとても心強かった。
 勿論、江口先生はその期待にギリギリに答えてくださり、無事表紙巻頭で上がった読切作品の入稿によって、“男”にしてもらえたのだった。

go_423_01.jpg
「リサとガスパールのレストラン」Hachette Livre
© 2004 A.Gutman & G.Hallensleben

投稿者 yonezawa : 18:06 | トラックバック(0)

2010年 03月 3日

The John Butler Trio

 「ひな人形は出しましたか?」というおふくろからのメールで思い出した。
 「とっとと出さねば」と焦った。
 義理母からのギフトとして贈られてきたこの人形を飾るのも、もう3回目だが、Rちゃんの記憶は今年からとなるのだろう。
 
 ちょっと少量だった朝食以来、飯を喰ってなかったからか妙に腹が鳴り、18時30分頃の東横線内でおにぎり2個を頬張りながら代官山のライヴハウス:UNITへ。
 本国オーストラリアでも絶大な人気を誇る、ジョン・バトラー・トリオのライヴへ向かった。
 
 以前、ジョン・バトラーの日本における契約レコード会社はワーナーだったが、今回のニューアルバムよりレーベルを移籍。同時にドラムス、ベースのメンバー・チェンジも行っている。
 この件に関しては、以前のJBTのバンド・メンバーであるドラムス:マイケル、ベース:シャノンらにメールでいきさつを伺っていた。
 マイケルにしろシャノンにしろ、「今度は他のミュージシャンともやってみたい、というジョンの意志を尊重し、残念ではあったが了承した」と記されたメッセージが届いた。

 新しいバンド・メンバーもお茶目な輩で、なかなか好感のもてるプレイヤーであったが、冷静に旧JBTと新JBTでは、リズムの繊細さに関しては明らかに前者の方がきめ細かい印象を受けた。
 今日の段階では、正直マイケルにとシャノンに戻ってきてほしいという気持ちが心を支配しているが、新JBTの面々がセッションを繰り返し、新たにわき起こる化学反応を得るその様も、また心待ちにすることにしよう。

nggshow.php.jpeg

 ジョンの技量は言わずもがな。変わらなく突き抜けて素晴らしい。比べる者など誰もいない。
 定番『オーシャン』のエンディングではまたしても目頭にきた。
 演奏だけの11弦サウンドはどうにも涙腺を直撃してくる。ジョンに神が降臨する瞬間を、おいらはもう4度生で見ていることになる。

 今回どういうわけだか、スタンディングのステージ最前列中央に陣取り、終始ライヴ観戦を果たしたのだが、最後のアンコールを終え、両手を掲げてオーディエンスに挨拶をするジョンが、グーのサインでこちらのグーサインに答えてくれるアイコンタクトの配慮が嬉しかった。
 この日の焼酎が格別だったことは言わずもがなだ。

 彼らは3月24日に日本先行で待望の新作『April Uprising』を発表する。

投稿者 yonezawa : 03:47 | トラックバック(0)

2010年 02月 25日

41KZ6FrwuzL._SS500_.jpg

 暖かい日。
 凍える日。
 震える日。
 豊かな日。
 虚ろな日。
 人生百日あれば百通り様々な想いがある。
 5年生の頃、書いた詩をふと思い出す。
 人生の岐路には誰がいるのか。

投稿者 yonezawa : 23:41 | トラックバック(0)

2010年 02月 22日

usuki_hasu_450.jpg

 3月公開の某映画作品への取材、諸事情あって本日断念。揺れる心。
 夜、敬愛するモノカキHさんと会食。心温まる。
 帰社後、業務を終え、編集Hと偶然の一杯。心穏やか。

投稿者 yonezawa : 05:14 | トラックバック(0)

2010年 02月 19日

お腹に優しい

41Q9J07363L._SS500_.jpg

 EMIの精鋭:N♀&N♂ちゃんと、ど久しぶりの会食に。
 年に一度ですら機会を得られなかった近年、久々の親睦会となった。
 鍋料理がお腹に優しい。音楽シーンの現状、アビーロード・スタジオ売却問題、そしてその後…話は無軌道に突き進む。
 N♀&N♂ちゃん今日も感謝!
 彼らを見送り、地元方面で最後の一杯を飲み干し帰宅。twitterはやっていない。

投稿者 yonezawa : 19:56 | トラックバック(0)

2010年 01月 12日

THE MODS

 信じられない一日となった。
 都内某所でTHE MODS森山達也氏、漫画家:高橋ツトム氏の特写&対談が実現することに。

 50年の歴史を誇る年期の入った都内大型駐車場を撮影スペースに決め、撮影1時間以上前に現地入り。スーパー・フォトグラファー:尾形正茂と事前ロケハン。

 この場所のとてつもないクールさに胸が高まる。
 場所を提供くださった現地関係者の方々の協力も有り難く、今回ロケ・ポイントにはしなかったが、今後のための様々な驚きのスペースも見学させて戴いた。大感謝。

 高橋氏現地入り。やがて森山氏も。
 肩肘の張らないパンク・ロッカー森山さんのスタンスは、とてつもない魅力に溢れていた。

 福岡から上京したおいらにとって、THE MODSの存在はやっぱり特別なものがある。
 ビートルズもツェッペリンもマイケル・シェンカーもヴァン・ヘイレンも大好きだったが、JL&CもミカバンドもTHE MODSも勿論大好きだった。

1th-live-a.jpg

 THE MODSが東京進出する際、最後に演ってた80's FACTORYは伝説のライヴハウスだったし、おいらは当時入手した同店のマッチを今でも家のどこかに保管している。

logo80.jpg

 『TWO PUNKS』にしろ『激しい雨が』にしろ『バラッドをお前に 』にしろ、森山氏が希代のメロディメーカーだと言う認識は、博多で1stを聴いたあの日から変わらない。

a-a.jpg

 パンキッシュでありながら、同時にスタイリッシュな存在感が共存。
 今回氏と遭遇し、何故永遠にTHE MODSが瑞々しく輝き続けているのか、その理由の一端を再認識させられた夜になった。

 対談はまるで旧知の友人同士が語り合っているような、至ってアットホームな雰囲気の中進行。2人は3杯目の生ビールをおかわりした。やがて取材はつつがなく終了。
 そのまま「もう1杯いこうや!」と近所の酒場に飛び込み、その後夢のような時間が訪れることに。極めてロック。もう最高。

 THE MODSにおける森山さんの魅力溢れる声と、せつなく美しいメロディーは世界でただ一つの究極の個性。その想いは死ぬまで変わらんだろう。

 この、ときめく対談記事は、1月27日(水)発売のスーパージャンプ4号に掲載される。

投稿者 yonezawa : 04:08 | トラックバック(0)

2009年 12月 21日

フリーペーパー『熱風』

418338A7X4L._SS500_.jpg

 伸び伸びになってしまっていた亀渕兄との飯が、この師走になってどうにか叶いラッキー。
 ソニー・ミュージックMさんにご配慮戴いたアジカンのZEPP公演はS、M、A(後にゴールデン街で合流)に託し、新宿の待ち合わせ場所へ。

 氏は、書店で無料で入手出来るフリーペーパー『熱風』に「ドーナッツ盤に恋をして」という、とてもチャーミングで魅力的なコラムを熱筆されておられるのだが、おいらはその熱心な読者だ。

 待ち合わせの場所へ到着し、再会を果たし椅子に座る前から、もう速射砲のように語りつくす。次回の機会がいつなのか判らぬ故、会ったらとにかく速射砲。

 アメリカン・ロック、ブリティッシュ・ロック、70年代、60年代、80年代、90年代、そして現在。
 マイケル・ジャクソン、ジミヘン、ビートルズ、リトル・リチャード、民主党、自民党、洋画、酒、新宿、正月、鍋、寿司、山、コレステロール、会社、社長、江口寿史、夢枕獏、母、父、文章、コラム、仕事、ツェッペリン、ニッポン放送、ウィキペディア、お笑い、北野武、ギター…
 話が途切れない。

 脱線しまくる節操のない話題は、これ以上ないほどの興味深さへと突き進む。
 亀兄、何でも知っている。物事をいつも優しい目で見つめている。
 60歳代の亀兄は、例えば18歳から30歳ぐらいまでの時に持ち合わせるような鋭い感覚の瞬発力を今もまったく失っていないことを、45歳のおいらが感じている。

 『熱風』に執筆されるコラムの、例えばたった2行を書こうと思えば、文献を2.3冊読み漁り、事実関係を突きとめなければならない。その真摯な姿勢が胸を打つのだ。そんな意味もあり、コラムの放つ熱風を感じずにはいられない。

 話の途中、氏が1冊のボロボロになった片手サイズの洋書を取り出した。
 例えばミュージシャンの正確な名前、アルバムのタイトル、年度、関係者各位とのいきさつなどは、その洋書を参考文献の1冊にされておられるとおっしゃった。
 ページをめくると、蛍光ペンで何カ所もアンダーラインが引かれてあった。
 感服。
 アンダーラインなど、もう何年使っていないだろう。
 本を読むときには確かにアンダーラインが必要だった。
 自分の鞄にはピンクのアンダーライン用のペンを常備させているにも関わらず、何年もその作業をすっかりスルーしている。
 ふいに母が学生時代からずーっと家で使っていたボロボロの辞書を思い出した。
 亀兄と語ると、様々な景色が思い出されてきた。

 古き時代を知り、最先端の今、巷に流れる音楽を聴き、そして自ら欲する音を求める。
 2007年12月、ロンドンの地で偶然の初邂逅を果たした亀渕兄との出会いは、今生涯の宝となった。

投稿者 yonezawa : 21:36 | トラックバック(0)

2009年 12月 7日

理想的

41%2BVJEG9w6L._SS500_.jpg

 漫画家:寺田克也さん、女優:藤谷文子さん、ヴァイオリニスト:宮本笑里ちゃんらが、Rちゃんと同じ誕生日。
 本日12月7日からRちゃん3歳。おめでとう!

 先日、編集部Tの披露宴で飲み明かしたS誌Cと初サシ飯へ。
 飛び込んだ店は先月半ばにオープンしたばかりの和食屋。
 Cのなじみの店:Vに移動し、無ければ構わない前提で「スティーヴィー・レイヴォーン」をリクエストした直後、店でちょっとした事件が発生。まぁよし。

 この店で初めて知り合った若き面々と、まるで長いつきあいのあるような距離感で語れる一時が嬉しかった。
 酒とは何故こうも人との距離を瞬間的に縮めてくれるのか。
 昼間に名刺を持って大作家のもとを訪ねるよりも、酒の席で隣り合わせて作家に出会う方が、編集者にとっては理想的なのだ。

投稿者 yonezawa : 01:54 | トラックバック(0)

2009年 12月 6日

明日3回目

5L500_.jpg
 
 明日はRちゃん3回目の誕生日。彼女のプレゼントを買いに街へ。
 訪れた吉祥寺の街の、人の多さといったら凄まじかった。もう師走の景色。
 行く店行く店で直感のように「(単なる)小箱」とか「スタンプ・セット」とか、瞬時に欲しい品が確定するRちゃん。そこには吟味とか悩みという言葉は一切ない。
 「ホントにこれでいいの?」と問えば「うん、これでいい!」ときっぱり。
 店を変え、他のグッズ・ショップを覗くと速攻でピンクの財布が彼女の瞳に飛び込んできた。
 「これー!」と言って、勝手にレジに持ってゆくRちゃん(笑)。
 「よし! じゃあこれにしよう!」と誕生日プレゼントがすぐに確定した。
 「帰ってケーキも食べる?」「うん、たべるー!」
 スーパーで夕飯の買い物を済ませ、自分の靴も衝動買いしたりしながら帰途につく間に姫は爆睡。随分歩いたので疲れたのだろう。
 
 帰宅して、即ご飯を炊いた。タマネギと人参をアッシュしてミンチと合え、卵を落としてパン粉等を混ぜ合わせ、こねくり、あたり(味)付け。
 もやしと韮、冷蔵庫にあったハムの残りを細かく切り、塩こしょうだけで炒めた付け合わせに、キャベツの千切り。おまけにもずく酢。

 Rちゃんもお腹が減っていたのだろう。三輪車でキッチンにやってきて椅子の上に立ち上がり、Rちゃん専用の皿に盛ったトマトを全部その場で平らげた。
 食卓に座って食べるハンバーグもペロっと早い早い。ほうれん草のおひたしもきれいに食べ干し、おにぎりでフィニッシュ。
 ケーキをいただく時にはハイビジョンカメラで撮影。ブルーレイにはRちゃんの動画しか収録されていない。

 夕飯1時間後にお風呂へ。入る前に風呂場で前髪を少し切ってあげた。年末年始に待望の再会を果たす、おばあちゃんとの準備は万端。
 人生観を大きく変えられてから、丁度丸3年が経過した。

投稿者 yonezawa : 00:53 | トラックバック(0)

2009年 12月 4日

計画

51QnepgSziL._SS500_.jpg

 誕生日プレゼントに伴侶&Rちゃんから貰ったマフラーを、Rちゃんが部屋に入ってくる度に「はい、ぷれぜんと!」と言って、一々持ち上げて渡してくれる。
 嬉しさ何十倍。何度でも「Rちゃんありがとう!」を繰り返す日々。

 今月の地方遠征行事、都内での打ち上げ、そして年末年始の大イベント構想を一人部屋で構成中。
 時期優先で、良き公演、イベント、ライヴという探し方なので、なかなか悩むところ。
 狙った演者、ミュージシャンは地方でやってるか、来日前だったり。

 親戚関係の宿泊、帰途までの距離、各々のスケジュールをすりあわせるのが仕事並の大作業。しかし、これほど重要で楽しみな年末年始は初めてかもしれない。
 取り急ぎ、関係者各位のみなさま、愉快な年末年始を極力演出するべく、考え尽くしますのでおつきあいのほどを。

投稿者 yonezawa : 12:41 | トラックバック(0)

2009年 11月 30日

熊谷貫

julianne6.jpg

 写真家:熊谷貫と久々の再会を果たす。
 例によって延々スケジュールの折り合いがつかず、延期の上に決めたタイミングとなっていたが、予定した日程(今週末)をさらに当日変更し、急遽本日とした。
 待ち合わせのちゃんこ屋も久々で、店のおばちゃんに皮肉を言われるのがこの店の鍋シーズンに入ってからの恒例の約束事。

 かつて、貫と最も密に追いかけた取材対象者は北野武監督、ボクサー畑山隆則だった。
 映画『菊次郎の夏』のエンドロールには貫の名が刻印されており、畑山の最初の写真集『ハタケ』は、彼の熱意と誠意によって商品化に導かれた。
 積もる話も酔いに連れグズグズになってゆく。その様も、あの頃の飲みの傾向となんら変わらない。
 現在、一流の場所で一流の写真を撮り続ける貫の活躍が、今改めてとても嬉しい。

投稿者 yonezawa : 19:11 | トラックバック(0)

2009年 11月 26日

出雲大社

 慢性の眠気全開。
 表参道へ色校正を届ける際、漫画家:高橋ツトムとWBC世界バンタム級チャンピオン:長谷川選手のリスペクト・ニュースがネットで話題の旨を知る。
 先だってブログにも記したが、「今世紀最強チャンピオン」と言い切ってもよい長谷川選手の防衛戦が今からとても楽しみ。

 先日チャンピオンにに初めてお会いした日、お土産を持参したのだが、その時併せて出雲大社のお守りも贈呈させて戴いた。

%E3%81%8A%E5%AE%88%E3%82%8A.jpg

 このお守りの贈呈は、新神戸入りするほんの数日前に閃き、神社の子であるI社のNにダメ元で相談したことによって実現した。
 突然の迷惑なお願いにも関わらず、速攻で地元の身内の方に連絡を取って戴き、品は前日に到着するという荒行をやってくれたのが音楽人N。
 取材を終えた頃、Nには御礼をしたかったのだが、今日、その機会を得ることとなった。

 馴染みの店:Hでご飯を食べて終電で帰宅。Nとの至って健全な食事会が年内に叶い、よかったよかった。
 お守りは長谷川チャンピオンと、彼の母へ贈呈させて戴いた。

投稿者 yonezawa : 20:59 | トラックバック(0)

2009年 11月 23日

Michael Jackson THIS IS IT

tii_01.jpg

 周りの仲間、諸先輩方に揃って「よねちゃんは絶対に観た方がいいよ。」「観た? まだなら観た方がいいぞ。」「米澤くんは私より見る目がきびしいと思いますが、女性ギタリスト、オリアンティ・パナガリス(あとで調べた)、すごくよかったです。」等の有り難きメッセージを戴いた。
 
 まぁここのところ劇場へ行くタイミングを逸する日々にあったが、本日ようやく鑑賞する機会を得た。
 Rちゃんが上映時間の2時間近くもつのか懸念されたが、結果、基本的に周りの迷惑になるようなこともなく3回(軽く劇場外に出る)の息抜き程度で無事鑑賞出来た。
 
 勿体ない。
 まったくもって勿体ない。
 これほどの恐ろしい才能が逝ってしまったことが、世界中の多くの人々の気持ち同様に口惜しくてならない。
 本番のテンションより7〜8割のウォーミングアップした程度の力なのかもしれないが、1シーンも見逃したくないような興味深き映像ばかりが矢継ぎ早に映し出された。
  
 Nさんの事前メールで知った女性ギタリスト:オリアンティ・パナガリスが、なるほど、かなりカッコいい。
 彼女のことはまったく知らなかったが、一発で虜にさせるビジュアルと技量。素晴らしかった。紛れもない世界一の演奏とパフォーマンス。
 マイケルは勿論偉大だが、あのツアーに招かれた連中の顔ぶれも映画の醍醐味と言えた。
 
 マイケル・ジャクソンだと、まずはジャクソン5時代の楽曲が好きだ。
 これからもあのグループの曲はカヴァーでやりたいぐらい。
 popスター以降のソロのマイケルには、一般の人よりも少しだけ多くの興味を抱くぐらいの認識でいたように思うが、亡くなってしまうとその存在が自分の中でもいかに大きかったのかを知った。
 USA for AFRICA We Are The Worldのレコーディング時、演奏する参加ミュージシャンもすごかったし、クインシーの担った部分に、日本人は初めて音楽プロデュースという意味を見出したのではなかろうか。

 また、これほど世界中にダンスをするプロフェッショナルな人間が溢れ返っているにも関わらず、最もマイケル・ジャクソンのパフォーマンスが最も見たいという欲望を抱かせることからも、彼のスキルはやっぱり頂点だと感じてしまうのだった。

 凄い人間だった。それしか言葉が出てこない。

投稿者 yonezawa : 11:50 | トラックバック(0)

2009年 11月 9日

鶴岡食堂

 夕べの深夜、おいらを含む総勢5名が、おいらの泊まるシングルの小さな部屋に押し寄せ、カップラーメンと酎ハイ、ビールを飲みながら過ごしたのだった。
 おいらがベッドの端にくの字になって眠りかけたタイミングで、みなさん容器を片付けつつ、明け方帰途につかれたようだ。

 無料だった8時30分までの朝食バイキングは断念。11時近くまで起きられず。
 
 シャワーを浴び、先ちゃんと近くの喫茶店でお茶。12時過ぎにはホテルまで秀ちゃんが迎えに来てくださった。
 秀ちゃんは3日続けておいらたちのサポートを買って出てくださり、とにかく感謝の極み。
 今日の昼には、『鶴岡食堂』のチャンポン。水俣入りした直後に食べることが決まっていた物件だ。

tsuruokas1.jpg

 海っぺりに車を駐め、店構えを見ると、もうその時点でこの店が美味いのかそうでない店なのかの判断がついた。もはやこの勘にさして誤差はない。

 チャンポンを3つ注文したのだが、水は勿論、お茶も自らきゅうすにお茶の葉を入れ、お湯を入れて戴くシステム。

 一口二口。地元のみんなが口をそろえて「鶴岡食堂のチャンポンを食べた?」と聞いてこられた意味を重々理解。申し分のない美味物件との遭遇だった。
 
tsuruoka1.jpg

 食後、直ぐ近くの秀ちゃん宅まで送っていただき、16時頃に戻ってくるという約束でユーノスコスモをお貸し戴いた。
 こんなスポーツカーに乗ったのは、博多時代の頃の117クーペ以来だったか。
 ちなみに秀ちゃんのガレージには、ユーノスコスモ、社用の車以外にも数台が保管されており、おいらは黄色いポルシェの影を見逃さなかった!
 いずれにせよ、オープンカー仕様の車種は初体験だ。しかも助手席には世界の江口寿史兄!
 すこぶる天候の良き水俣の町並から海沿いまでオープンカーで激走することとなった。

tsuruokas2.jpg

 なんて有り難いナイスな旅なのだ。
 市役所で最後のサイン描き業務を経由し、「水俣市の本店のここまで来なければ買えない」という名和菓子店『美貴もなか』本社を訪問。

1174954757.jpg

 『美貴もなか』の商品は、デパートにも卸していないし、インターネットでも買えないそうだ。
 その姿勢こそ、有象無象の情報社会と化した現代における真摯な新ビジネスなのでは? と逆に感じた。
 1個1個手作り故、1日で生産する量も限られるそうで、毎日完売するそうだ。
 品質が落ちるといけないので、無理な大量生産は絶対にやらないのだそうだ。
 甘い物は苦手なおいらだったが、職人上がりの社長の深い言葉は印象深かった。

  オープンカーで秀ちゃん宅へ帰還し、またしても秀ちゃんには新水俣駅まで送って戴いた。なんと御礼を申し上げればよいのやら。
 秀ちゃん、何から何まで本当にありがとうございました!
 走り去る秀ちゃん号に会釈をし、我々は新幹線で八代駅駅へ。

 バスに乗り継ぎ、熊本空港着。
 夕食を戴き、先ちゃんと便の違うおいらは土産売り場へ。先ちゃんは「じゃあ東京で!」っと、一足先にフライトしていった。

投稿者 yonezawa : 01:03 | トラックバック(0)

2009年 10月 17日

札幌

4194FSPQBRL._SS400_.jpg

 午前中に稼働し、Rちゃんともろくに遊ぶこともなく昼過ぎの便で札幌へ。
 空港よりJRで札幌駅へ。

 こちらでも東京で使うスイカが使えた。ちなみに大阪では使えない。
 地下鉄ですすきの駅へ。東急インホテルへチェックイン。

 午後7時、作家:M氏、編集Tさんとロビーで合流し、予約してあったすぐ近くの寿司屋「たる善」へ。
 漫画、音楽、ドラマ、俳優、女優、映画、食…思いつくまま語りあう一時。M氏の中のブームをいくつかご教示戴く。
 それにしてもこちらの肴の美味いこと。銀座の高級店に匹敵する極上の食材が、話のテーマをそちらに導かせてくれる。山わさびだけでもつまみになる。
 話も盛り上がるが食も盛り上がり過ぎ、おいらの年代としては「そんなに食べてはイカンだろう」と言えるほど食い過ぎた。自分アホ。
 河岸を変え、赤ワインを注文したのだが、喉のギリギリまで先ほどの新鮮な諸々が遣えており、酔う前にして食も飲もギブアップ。自分アホ。

 Mさんをタクシーまで見送り、そのまま部屋に倒れ爆睡。やがて朝を迎えてしまった。

CIMG0083.JPG

投稿者 yonezawa : 21:29 | トラックバック(0)

2009年 10月 14日

記憶完全粉砕

51SaPG8ZvvL._SS500_.jpg

 午前中、クライマックス・シーンを継続し続ける最重要原稿を引き上げ、即刻入稿。
 
 夜、漫画家:山崎紗也夏と会食。
 彼女とは、地元のバーで度々遭遇することはあるものの、こうしてちゃんと待ち合わせて食事をする機会はもう何年ぶりだろうか? と思うぐらい久々。
 この日程も随分前から計画し、ずんずんずれ込み、ここまで延期された末に実現となった。
 かねてから「山崎さんと飲む時には是非誘ってください!」とリクエストしていた若き編集:Mも約束通り同行。
 新宿へ。

 生魚を肴に芋焼酎をちびちび。
 河岸を変え、赤ワインをちびちび。
 ゴールデン街では馴染みの連中と遭遇しながら、なんらかのアルコールをちびちび。
 その後の話によれば店:HのHちゃんも合流したそうで、みんなで花園神社にお参りにも行ったそうだ。当然おいらも。しかし全然記憶がない。

 そのうちお開きとなったようで、タクシーで山崎嬢の地元へ送ったならば、彼女は「まだ飲む」のだと言う。
 後の話で聞いたのだが(こればっかり)、おいはゴールデン街で一度オチた瞬間があった模様。
 そんなコンディションにありながらも「ならばおいらも!」と同行したおいらはカウンターで1杯戴くことに。ところが、限界を自覚しながらの儚い抵抗であり、結局、彼女よりも先に撤退。
 久々に記憶完全粉砕の夜更けであった。
 素晴らしき強者:山崎紗也夏、恐るべし。

投稿者 yonezawa : 12:38 | トラックバック(0)

2009年 10月 13日

帰京

 遙々広島からご会葬くださった親戚のHおばちゃんを送るべく、午前7時30分頃、車を空港まで向かわせた。
 移動の車中では、おふくろとは従姉妹同士にあたるHおばちゃんから、いくつかのエピソードを窺う。
 とにかくHおばちゃんは、おふくろの緩やかな性格を褒めっぱなし。「あんたのお母さんは、そら優しい人やからねぇ。本当にいいお母さんよぉ。昔からそうやったよ」
 おいら、終始笑顔。
 空港に到着し記念撮影終え、ゲートインしたHおばちゃんを見送った。

 帰宅してすぐ、今度はおいらの離陸時間が迫った故、東京組の姉、甥っ子の3名と、見送り組の姉、母と再び空港へ。
 皆様方、色々とお疲れさまでした。

 昼過ぎに羽田へ到着し一路神保町へ。即刻、編集業務の真っ直中へ埋没。

 結局深夜の帰宅となり、残念ながら(起きた)愛しのRちゃんにはまだ逢えないまま…

投稿者 yonezawa : 12:38 | トラックバック(0)

2009年 10月 12日

告別式

 深夜5時30分に1時間仮眠を戴き、7時に1人帰宅して朝風呂へ。
 8時、姉の甥っ子4人を起こし、9時に再び会場へ戻る。
 告別式は11時より開始。

 奈良から駆けつけた従姉妹:中川太が、ばあちゃんに最期に贈る言葉を述べる。
 「生きて生きて生きまくったばあちゃん。ありがとう」
 それらの言葉を記した大きな垂れ幕まで自作してきた、太による労いの言葉が胸を熱くさせる。
 太の大きな大きな声は、充分ばあちゃんの魂にも響いたことだろう。ヤツの男気に泣けた。

 葬儀の最後に親族代表の挨拶を仰せつかった。
 ばあちゃんが救急車で搬送され、血圧の数値も危ない旨を知った事。
 家を出る数日前に母に告げた最期の言葉。
 それらを聞かされた時に狼狽した気持ち。
 満州から命からがら帰国を果たしたばあちゃんの勇気と強さ。
 そして自身の持つ個人的な価値観を何一つ、第三者に押しつけなかった品格。

 それらを言葉に託し、参列賜った皆様の前で語らせて戴いた。

 そして親父の葬儀の時と同様、おふくろへの労いの気持ちを語らずにはおられなかった。
 親父のもとへ嫁ぎ50年間、まさに親戚・関係者のために自分自身のプライベートはおざなりにして、献身的に尽くし尽くして生きた母。
 すべての祖父祖母の介護は全面的におふくろが担ったようなものだった。
 天に召された祖母はとてもとても幸せだったに違いない。世界一の娘に最期を看取ってもらえたのだから。

 霊柩車とマイクロバスを自家用車で追いかけ、火葬場へ移動。
 最終最期のお別れをし、点火。
 おいらは自宅での準備がある故、一足先に引き上げた。
 スーパーで頼んでいた精進上げのオードブル2点を受け取りに行き、自宅で準備。
 葬儀屋さんにディスプレイを施して戴いた頃、親族らが帰宅。
 正装から普段着へ着替え、各々一息つきながら、昨日の夜中に姉らと作ったおにぎりをオードブルと共に頬張る。

 精進上げを戴く前、遺骨となったばあちゃんにお経を上げて戴いたのだが、その際、その場にいた全員が目撃した光景があった。
 並べて隣に設置してある親父の仏壇にあるローソクと、今回設置したばあちゃんの祭壇のローソク2本が、風もない部屋の中で異様な燃え上がり方を示したのだった。
 親父の方のローソクの燃え方は時折異様な勢いがあり、1本無くなるスピードが尋常ではなかった。
 超常現象には縁もなく、大槻教授やら松尾貴史指示派のおいらとしては、そうした意識は皆無に近いものの、今日のこの景色だけは特例として己の意識の中に刻んでおこうと思う。
 親父がみんなを見守り、労いの気持ちを示してくれていたのだと信じて。

投稿者 yonezawa : 12:39 | トラックバック(0)

2009年 10月 11日

通夜

 通夜の儀は午後7時より。
 事前の準備等もあるので、それよりも数時間早めの会場入り。

 祭壇にまつられたばあちゃんの遺影はおいらが選んだ。
 桜の花見の時に写したばあちゃんの笑顔が可愛らしい写真だ。
 身内で根暗の者が皆無なので、こうした葬儀の席にあっても始まる前は賑やかな空気が流れる。ばあちゃん、きっと喜んでいるに違いない。
 ばあちゃんの遺影をバックに、この日を忘れないための写真を数枚撮影。

 そして午後7時。お通夜はばあちゃんの意向を汲む友人葬にて執り行われた。
 おいらにとっては初体験の儀。

 終了と共に姉と買い出しに走る。
 精進料理を振る舞い、遙々遠方からご会葬賜った親戚、知人、友人の方々を順次お見送り。

 線香の絶やさない、ばあちゃんのいる部屋で従姉妹同士馬鹿話に花が咲く。
 こちらも葬儀恒例の風景。ばあちゃんの遺影は変わらず朗らかに笑っていた。

投稿者 yonezawa : 12:39 | トラックバック(0)

2009年 10月 10日

帰省

 結局、1時間天井を睨んでいたが全然眠れなかった。
 午前4時にシャワーを浴び、車を呼んで最寄り駅へと向かった。午前5時の高速バスへ乗車。
 午前6時台のANAに搭乗し一路九州へ。

 遡る4時間30分前、祖母が98歳と11ヶ月の生涯を閉じた。
 空港に迎えにきてくれた姉の車で帰宅。
 部屋に入ると、綺麗な装束に包まれた祖母が横たわっている。なんと美しい顔をしたばあちゃんなんだろう。
 とても亡くなったとは思えない表情に映った。

 満州はハルビンより、幼き2人の娘(母と叔母)を引き連れ、命からがら帰国を果たした祖母。
 祖母がいたからこそ己の命に繋がった。
 祖母はとてもとても偉大でとてもとても優しかった。

 明日からのセレモニーのための打ち合わせを関係者と綿密に執り行う。
 続々と集ってくる親戚らと久々の再会を果たす。彼らの誰もが実に朗らかで、賑やかな時間が流れる。
 それもばあちゃんの人間性を反映しているようだ。
 本日は仮通夜となり、明日が本通夜、明後日が告別式となった。

投稿者 yonezawa : 04:18 | トラックバック(0)

2009年 09月 19日

Bunkamuraオーチャードホール

51pFD1I4F9L._SS500_.jpg

 先だって発売された、ジェイク・シマブクロのライヴ国内盤ジャケットを描いた漫画家:谷口ジローさんと会場入り。
 ジェイク・シマブクロ in Bunkamuraオーチャードホールへ。

 ホールは超満員。
 ツアー中日の頃合いで、演奏的にもまさに脂ののった完璧な技量と色気の炸裂する申し分のないコンサートだ。
 たった一人で2時間以上のステージングをこなす舞台演出には、今回、スクリーン、CCDカメラを駆使したジェイク。
 アットホームな中に、針の穴を通すような繊細なリズムとメロディの機微。とにかく圧巻としか言いようがない。
 今回、初めてジェイクの(ガット)ギター・プレイも拝聴したが、そのスキルには嫉妬を抱くほど。見事。さすが。舌を巻いた。

 終演後、大勢の関係者が待ちわびる中、控え室にジェイク登場。
 ジェイクは谷口さんの描かれたジャケット原画を持参し、記念撮影の後にサインを戴いた。谷口さんも英語版のご自身のサイン入りコミックを贈呈。全編英語フキダシのコミックスにジェイクご満悦。
 冷静にコンサートの出来を確認するジェイクに、おいらは感じたままの印象を伝える。彼と同じ時代に生き、同じ音楽を共有出来る幸運に感謝しながら控え室を後に。

 今後彼は、国内ツアーのわずかな合間にも渡仏し、異国でのライヴを控えているそうだ。
 世界有数のこれ以上考えられないミュージシャンの一人:ジェイク・シマブクロ。今日も世界へ邁進中。 

投稿者 yonezawa : 14:48 | トラックバック(0)

2009年 09月 18日

1986年9月28日

inglourious_basterds.jpg

 博多から上京し、東京で初めて飲んだ店は吉祥寺『大茂』(現在、駅高架下にあった当時の場所とは別の店舗へ移転。営業時間も短縮)。
 上京したその日、九州時代の同級生で東京在のTに連れられ、飲んだ店が『大茂』で、当時の彼はライヴハウス『のろ』のスタッフ。(『ライヴハウス:のろ』であるのに対し、「そちらはライフは“うすのろ”さんですか?」と言う電話がかかってきたことのあったTの話をふいに思い出す)
 結果、吉祥寺『のろ』は、おいらが東京に来て初めて認識した飲み屋の一軒となった。

 当時、Tの誘いで1日だけ『のろ』のカウンター内に入り、スタッフの一員的ノリで手伝いをやったことがある。
 「米澤、おまえの好きな漫画家がうちでライヴやるみたいやぞ」そうTが言うのだ。「誰?」と聞けば「江口寿史」と答えが返ってきた。
 背筋に緊張が走った。「ホントか? だったらその日一日、カウンター内でバイトさせてくれ」
 当時、Tが掛け持ちで厨房スタッフをやってた今はなき中箱バー『プレイヤーズクラブ』の厨房の手伝いも、Tの口利きでやっていたこともあったし、そうした行き来はなんだか当たり前のようにまかり通っていた。

 『のろ』でのライヴは、遠藤賢司のオープニング・アクトと言う形で、江口寿史率いる漫画家&編集者で組んだバンドでの登場。
 カウンターごしにステージを見つめていたおいらは、今となっては他のメンバーの印象は何も残ってなく、ほんの数曲しか演奏しなかったその漫画家だけの動向を遠巻きに追いかけていた。
 ライヴが終わり、面々は打ち上げに突入。
 盛り上がる店内。こちら心臓バクバク。小学生時代から憧れたあの漫画家にどうにか話しかけたいのだが、どうしても踏ん切りがつかない。
 「しかしこの絶好のチャンスを不意にしてしまったら、おまえはどんだけのアホなんだ」「後悔だけが残るぞ」自分にそう言い聞かせ、便所で用を足した直後の(当時30歳の)先ちゃんを入口で待ち伏せする。
 「江口寿史が出てきた!」意を決し「あの…江口先生、ファンです」伝えた言葉はそれが精一杯。
 会話の流れでおいらも九州生まれですと告げた時、熊本出身の先ちゃんが「九州ね?」と九州弁の口調で返してきた。
 会話は一瞬のささやかなものだったと思うが、ともかくこの田舎から上京してきたばかりの、見ず知らずの青年に、先ちゃんが最後にかけた言葉が「今度、家に遊びに来なよ!」だった。
 倒れそうになった。初対面のロック小僧に漫画界のカリスマはとても優しかった。
 まだまだおいらはプロギタリストでも編集者でもなかったあの頃。

 その『のろ』が、10月いっぱいで閉店だと、先ちゃんからの最新メールで知らされたのだ。

投稿者 yonezawa : 12:56 | トラックバック(0)

2009年 09月 5日

JAZZ KEIRIN

shop_01.jpg 

 下高井戸の東京讃岐うどん屋「JAZZ KEIRIN」には、法政大学2部ジャズ研究会OB会の打ち上げ以来に訪れたので、もう何年ぶりになるだろう。
http://www.jazzkeirin.com/

 料理人時代のおいらが大学に所属していたわけではなかったが、縁あって20歳ぐらいからギターの参加で、なし崩し的にサークル活動を数年間過ごした時期があった。
 オーナー:T氏は、おいらよりも1個年上の同じく2ジャズ出身。
 久々の再会を果たした(2ジャズ内では同期のような)TTが、何年ぶりかに誘ってくれた店がここだった。
 
CA3A0874-0001.JPG

 閉店間際にお任せで出てきた酒のアテの何もかもが美味い。
 時間的にカマの火を落とさねばという事情もあり、うどんの選択も店主:Tさんに任せ、冷たい(確か)白カレーうどんを戴いた。味◎。

 酔いに任せ、競輪好きのTさんの話を聞くうちに、思わず90年頃、当時まだギリギリ現役選手だった中野浩一選手へのインタビュー(江口寿史先生との対談企画)のことを思い出した。
 プロスプリントで世界10連覇した奇跡の実績は尋常ではない。

 中野は1976年に初めて世界自転車選手権に参戦。
 翌1977年には世界自転車選手権プロスプリント種目で初優勝。それから毎年同種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成した後、自ら同競技より身を退いた。「KEIRIN」を世界的に認知させたのは間違いなく中野だった。

 当時伺った淡い記憶ながら、V10を振り返った中野は確かこう語った。「初優勝の時には、『あいつは誰だ?』と言われ、誰にも認知されなかった。2度目以降の連覇の積み重ねにより『東洋人?』『日本と言う国から来たヤツなのか?』『ナカノという選手なのか!』と徐々に名前を覚えられ、認知される評価を目の当たりにしながら競技を行っていたものでした」
 「後に、もう自分が身を退き、世界一の走者でなくなった後にも、ヨーロッパの大会にゲストとして招かれると、ポスターの一番上には大きく『Koichi Nakano』と書かれてあるんですよね。嬉しかったなぁ」
 世界チャンピオンの名は、その次にナカノの文字よりも一回り小さい字で記されてあったそうだ。
 中野の偉業は、他の、どのスポーツのどの優れた選手にも匹敵、あるいは凌駕するほど桁違いの素晴らしいものがある。

 『世界自転車選手権プロスプリント10連覇』
 この記録は、20年以上経った現在でもいまだに破られていない。 

投稿者 yonezawa : 01:27 | トラックバック(0)

2009年 09月 2日

関西にて第二子

4128%2BYGJd5L._SS400_.jpg

 過去に2度、満席で断られてしまった店:Tへようやく入店出来た。
 大将は「たまたまですよ、ホントにたまたま」とおっしゃるが、この店が人気店になりつつあることは第三者情報からも窺い知れた。
 Iとの飯は常に久々だ。
 彼は全国を飛び回る業務もある故、日程の摺り合わせが益々困難になりながらも無事再会を果たした。
 
 卓につき、しばらくすると関西の同級生:K先生より「業務終了〜」メールが。
 つい先日、めでたく第二子を授かったK家。その後、親父(K先生)の声を初めて聴いた。
 彼のmixiに事の詳細が記されてあるのだが、その文面はいつになくハラハラしながら読んだ。文脈を見る限り、どれほどの修羅場だったのか想像するのも恐ろしいほどの切迫感を感じたものだが、最善を尽くした彼らの処置がすべてを無事に導いた様子。
 嬉しい。嬉しくて、まだ大して呑んでいなかったが、心が喜びで泣けてきた。

 男ごとき、確かに女性には勝てないわな。よかったよかった。K先生、おめでとう。

投稿者 yonezawa : 00:32 | トラックバック(0)

2009年 08月 24日

ぷーるいく

%E6%94%B91.jpg

 日に日に言葉のバリエーションが増えるRちゃん。
 どこの親御さんにしてもこの面白味は体験してきたのだろうが、特別に子供嫌いだった自分は第三者から、こんなに刺激的な子供の話を聞くことはこれまでなかった。
 己の豹変ぶりは自覚しているものの、未だにこんなブログを書くこと自体信じられない感覚でおいらを見ている身内もいる。
 
 先だってSちゃんに誘われた、Rちゃん未体験の「プールへ行く」というイベントを彼女はしっかり覚えており、「ぷーるいく? ぷーるいく?」と口癖のように語る時がある。
 大人だろうが子供だろうが、勿論約束は守らねばならない。
 残暑と言われるシーズンのうちに、一度赴きたいところ。
 
 自我が芽生え、あり・なし、好き・嫌い、欲しい・いらないの意見をしっかり持ち始めた子供の感性は、少なからずこちらにも重要な人の機微を教えてくれる。

投稿者 yonezawa : 02:06 | トラックバック(0)

2009年 08月 23日

Music Is Good Medicine Tour 2009

419mEsabbCL._SS500_.jpg

 昼、車を動かそうと鍵を開けようとするがドアの解錠音がしない。
 完全に電気系統がイカれている様子。
 よくよく見れば丸々2週間、室内灯の1カ所が点いたままの失態でバッテリーが上がっていた。

 予定していた外出の時間は押し迫っていたので、やむなく帰宅後の夜JAFを呼ぶことに決めた。
 [Music Is Good Medicine Japan Tour 2009]で国内ツアー中のジェイク・シマブクロ・コンサート観戦のため「恵比寿ガーデンホール」へ向かう。
 やむなき電車移動の道中、いつになくおいらの場所から離れないRちゃん。
 家以外でこれほどコミュニケーションをとったことがないほど、実にたまらない時間を過ごせて幸運だった。その代わり移動中の7割は抱っこ。ともあれ運転手だとこうはいかない。
 
 恵比寿ガーデンプレイス敷地内では買ったばかりの一眼レフが大活躍し、Rちゃん特写におよそ20分。
 動きっぱなしのRちゃんとは2時間30分ほどのお別れで、おいらはライヴ会場へ。

 先日書かせて戴いたライナー・ノーツの載った『Live〜ジェイク・シマブクロの世界』発売以来のライヴ・ツアーとなる。
 会場はチケット完売の様相で場内満席。大量に陳列されているCDの平積み加減が嬉しかった。
 
 初期のアルバムからの選曲なり、懐かしい衣装での演出なり、CCDカメラをウクレレのヘッドに搭載し、大型スクリーンで奏法をしっかり見せる演出やらと、趣向を凝らしたアイディアが会場の空気を和ませ、そして凝視させた。
 常に立ち止まらない偉大なる音楽家:ジェイクの演奏が今日もありがたい。
 
 登場するまで知らなかったが、ゲストにはアコースティック・ギタリストの押尾コータロー。
 YouTubeなりテレビでその卓越した超絶技巧は知ってはいたが、彼の最新アルバムからのオリジナル曲を始め、その明瞭で美しい音色がまずは際立っていた。やはりとんでもなく上手い。
 ジェイクとのセッションが命題となるのだが、中でも後半に魅せた「Five Dollars Unleaded」の2人かけあいは正に圧巻。
 誤解を恐れず言えば、このテイクは彼らにもそうそう簡単に再現は出来ないのかもしれないと思わせた。それほどの極めた演奏と言えた。
 互いのインプロの極みからエンディングへと叩きつけるキメまでがものすごい化学反応を実現させていた。
 (後で聞いたのだが)限られた打ち合わせの時間しかなかった故、双方がどう掛け合ってくるのかは、本番のテンションでないとお互い解らない境地だったことだろう。
 世界最高峰の演奏と認識する、すさまじき瞬間の証人となれた今日はラッキー。

 公演はアンコールを含んでおよそ2時間30分。
 終演後、控え室でジェイクとの再会をRちゃんと果たし記念撮影。一眼レフが活躍。
 押尾さんもご紹介戴き、彼の最新アルバムを贈呈戴き感激。

41e6N%2BYPNuL._SS500_.jpg

 押尾さんのゲスト出演はスケジュールの都合上、昨日と今日の2カ所、東京公演のみ。特別な1日だったようだ。
 せっかくなのでRちゃんと押尾さんとの2ショットも実現の運びとなり、ムードメーカーなRちゃんの存在の大きさをここにきて再確認。
 Rちゃん、恐るべし。

 夜帰宅し、JAFを呼んだ。
 「バッテリーの残量は計測すると0。チャージしても数値が安定していないため、アイドリングとか、少々走る程度では一度止めたら再びエンジンがかからない確率もあり。GSでチャージするにせよ、これからなら24時間の店でなければならないし、最低でも半日〜1日は車両を預けなければならないはず」
 と診断されたので選択肢はほとんどなく、17000円の大枚をはたきバッテリー新調(泣)。
 
 気持ちとしてバッテリーのテスト運転も兼ね、ともかく車を動かしたかったのでRちゃんを連れ立ち、Sちゃんスタジオへ走らせた。

 スタジオにたまたま居合わせた最強スタッフ:Mちゃん、小Sちゃんとの嬉しい再会ともなり、Rちゃんは初対面の機会を得、なんと嬉しき邂逅となったことか。
 それまで気乗りしていなかったRちゃんの発言が嘘のように、Sちゃんスタジオ玄関前に到着したとたん、走り込んで家屋の中に入り、「うーたーまんいったよ。うーたーまんいったよ」とSちゃんに語り出したRちゃん。
 大いに笑った。

投稿者 yonezawa : 02:06 | トラックバック(0)

2009年 08月 21日

Happy Birtheday

51dGhkrKnqL._SS500_.jpg

 例えば知り合い女性の多数が標準的に30歳半ば頃を過ぎる年齢になると「誕生日を迎えても、もう喜べる年じゃない」というような言い方をする。何十回も聞かされたフレーズ。
 逆に男からはあまり聞かないフレーズのひとつだ。
 作家の出版する本の見返しで、プロフィール部分に生まれた月日を入れる割には、年度を入れない作家の意味も解らない。
 年を言ったところで抱く印象など何も変わらないのに…とかねてから考えるおいらは年を隠す気持ち自体が解らない。

 おいらにすれば、己の人生において最も重要な1日。
 今日はおふくろの誕生日。

 数年前にも書き記したかと思うが、時間があれば常に日頃の運動を絶やさない母。特に卓球に関しては冗談抜きに真剣勝負したら未だに勝てないかもしれない。
 なにせ定期的に練習している故、いきなりの対決なら勝つ自信がないのだ。
 親父も強かったがおふくろも屈強な継承者。まだまだ強い。誇らしい。

 大陸生まれの母が厳格な親父の家に嫁いでから今日まで、家族、身内を献身的にサポートする人生が続いている。
 物心ついてからおふくろの横顔を見つめてきた我々姉弟3人の母を思う印象は同じだ。
 親父の父母とは、祖父母本来の身内よりも真摯に向き合った。それぞれ人生の最期まで看取った最たる“身内”がおふくろだった。
 父方の祖父が自分の娘・息子よりも比較にならないほど母を信頼し、亡くなる何年も前からその気持ちにブレがなかったことは、祖父が遺書に書きつづらなくても孫のおいらたちは知っていた事実だった。

 親父も含め、おふくろにも「何故そんな貧乏くじのような、第三者の犠牲になるのだ」というような、当時としては腑に落ちない選択をしていた両親にいらだちを覚える時も多かった。
 しかしその考えは間違いだった。
 彼らの大いなる人間性の度量が、そうした生き方を選択させたことに気づいたのは、親父が現役を引退した頃辺りからだったか。
 果たして母は、これまで何人の者たちの生活の助力をしてきたことだろう。

 翻って現在、今日も実祖母の日常をサポートし続け、実娘の深刻なる悩み事を受け入れた。
 一般的に高齢と呼ばれる今頃になっても尚、複数かつ育ち盛りの孫を現実的に育てながら、ほんのささやかな自分の時間を“健康維持”に充てる母。
 「私が倒れるわけにはいかんからね!」笑いながらそう言う母は、自身のおかれた立場として自分がいなければ歯車が狂ってしまうと、結局第三者の生活を最優先して考えている。

 頭が上がらない。
 おふくろの生き様こそ、永遠の最大のリスペクトの対象。その気持ちは勿論永遠だ。

 Happy Birtheday

投稿者 yonezawa : 18:12 | トラックバック(0)

2009年 08月 14日

Les Paul

les.lpg.jpeg

 昼過ぎ、KJ兄からのメールでレス・ポール御大ご逝去の訃報を知る。
 絶句…。「ついに逝ってしまったのか…」

 エレクトリック・ギターは彼の存在なしでは語れない。
 ギブソンのオフィシャルサイトには、多くの有名ギタリストのコメントが寄せられていたが、ギタリストであると同時に発明家であったレスの存在は、どのギタリストにとってもその存在はあまりに大きかった。
http://www2.gibson.com/Gibson.aspx

 何年おきかに仕事でNYを訪問する機会もあったが、いつも、レスの恒例ライヴの曜日「レスポール・ナイト」には日程があわず、それを理由に結局一度も彼の生演奏を聴く機会には恵まれなかった。
 エレキギター本体の開発しかり、マルチトラックの発明家ともなれば、世界でどれだけの音楽に携わる人々がその恩恵を受けてきたか。その功績は、プロツールス全盛の時代における現代であろうともすべての発想の源だと言えた。

 16歳で親父に7万円借りて買った最初のエレキギターが国産レスポールだった。
 レオ・フェンダーが逝き、そしてレスが逝った。
 エレキギターの歴史における大きな節目の一日となった。合掌。

投稿者 yonezawa : 14:41 | トラックバック(0)

2009年 08月 9日

じゅーたーまん

51ob7SgmgSL._SS500_.jpg

 午前中、唐突なる姫の「おきて! おきてパパ!」の一言で“悪夢”から目覚める。
 悪夢とは、iPod touchの中にセーブしていたRちゃんの写真がスライドショーのごとく逐一悪魔のような顔に変貌する…という本気で恐ろしい内容だった。
 その悪夢からRちゃん本人が目覚ましてくれた。あの心理は何だったのか。
 
 もう1週間ほど前から彼女と約束していた「ウルトラマンに会いに行く」計画を実行に移すべく、午前中からいそいそと準備。

 今週、「じゅーたーまん、いく? じゅーたーまん、いく?」と少なくとも5回は問われていた。
 ケーブルTVで『帰ってきたウルトラマン』の(確か)最終話を見せてから、Rちゃんはアンパンマン並にウルトラマンが気になるキャラクターになったよう。
 ちなみにその最終話の暗いことと言ったらないのだが、彼女には何かひっかかるものがあったのだろう。
 そのうち忘れてしまい、再びいつもの「しまじろう」とか「アンパンマン」等に戻るのかと思いきや、その熱はずっと継続されていたようで、「だったら行こうか!」と約束したのだった。

 早めの昼食を戴き、随分空き空きの都内へ車を走らせ、目的地:池袋サンシャインへ到着。
 道中もそうだが、館内の人出も比較的大したことがなく、通常この程度の人出なら、なんと快適な観光に、ショッピングになろうなぁと感じた。

 駐車場の割引の対象にもならない高額な入場券を購入し、ウルトラマン・ショーの座席も確保。入口で撮られた写真は(購入は自由意志ながら)帰り際に1200円で売られる仕組み。額装なら2500円とは、そのあこぎさに驚かされた。
 アトラクションのタイムリーな時間が来るまで、他の催し物会場を先に梯子。
 まだRちゃんの年齢ではトライ出来そうなゲームはないのだが、いくつかの小物を買ったり、おやつを食べたりで館内を適当にブラブラ。

 ウルトラマン・アトラクション会場へ戻り、乗り物に乗ったり、怪獣、ウルトラマン等の等身大フィギュアを眺めた後、舞台で行われる催し物、さらに別の大がかりな舞台のショーを観戦。
 Rちゃんを太ももに乗せ、椅子に座って観戦中、激しい睡魔に襲われ10分ほど上手に爆睡。
 ショーはおよそ1時間。着ぐるみの方々の暑い・熱い苦労を想像した。
 「おもしろかった?」の問いに「おもしろかった!」とRちゃんご満悦。よかったよかった。
 早めの夕飯にRちゃんはフライドポテトと餃子。ご飯は食べてくれなかった。
 帰途の道中、30分程度お昼寝をしたRちゃんに、帰宅後ふりかけご飯を食べさせ、お風呂。
 ご機嫌も損ねることなく就寝まで導けたのがなんとも嬉しい感慨だった。

 Rちゃん、買ってもらった初代ウルトラマン・フィギュアを握りしめてスヤスヤ寝ていた!

投稿者 yonezawa : 18:18 | トラックバック(0)

2009年 08月 3日

hibari & Pixie Lott

news_large_hibari01.jpg

 ↑に倒れた。絶賛発売中!


 午前中、都内某所着。
 初来日中の美人シンガー:ピクシー・ロット、インタビューへ。
 長旅の疲れか、前日からかなり体調が思わしくない情報を関係者より得ていたのだが、登場した彼女はとてもプロフェッショナルな気持ちを持ち合わせていた。
 2パターンの衣装によるフォトセッションを経てインタビュー・ルームへ移動。

Pixie%2BLott%2B%2BPNG-3.png Pixie%2BLott%2B%2BPNG.png

 イギリスはケント出身の若干18歳。
 今流行の、リアリティ番組やオーディション番組などテレビのバックグラウンドなしでデビューシングルを全英シングルチャート初登場1位に送り込んだ、初のUK女性アーティストとのこと。
 ポージングを決めてスチール撮影を行った時の大人びた雰囲気とはうってかわり、テーブルを囲んで質疑応答する瞬間、等身大の彼女の笑顔はまさに年相応。とてもキュート。
 
Pixie%2BLott%2BPixie_Lott_HD_1.png Pixie%2BLott%2BPixieLott03093.jpg

 デビューアルバム『Turn It Up』は9月に全英リリース予定(日本では10月14日)。 
 身長は180cm以上あるそうだ。

投稿者 yonezawa : 15:42 | トラックバック(0)

2009年 07月 30日

iPOD touch

S500_.jpg

 深夜帰宅すると、部屋のあちこちにオモチャのコインやらシールやら折りたたんだトランプ等が散乱している日もあり。
 手の届かない壁際の隅には様々なモノが落っこちてしまっている形跡。
 
 しばらく使ってなかったiPOD touchを思い出し充電。
 しかし、移動中に音楽を聴くと言う行為はほとんどやらなくなった。
 ダウンロードの始まった現代、巷では移動中の音楽鑑賞はウォークマン登場期の頃のようにポピュラーな光景だが、移動中はもっぱら仮眠というケースになっている昨今。

 昼間、ついにiPOD touchをRちゃんに発見されてしまった。
 同時に写真の送り方、拡大の操作を即座に習得されてしまった。
 結果、当然のごとく彼女の私物となった…。

投稿者 yonezawa : 18:06 | トラックバック(0)

2009年 07月 28日

忘れた

51nPmoOLbXL._SS500_.jpg

 生クリームを使う料理は、大人になればなるほど好きになってきたような感じ。
 高カロリーとは知りながら、メニューに白身魚を素材とした品がかかれていると迷わず注文してしまう。
 素人ながら自炊を25年前後続けているサラリーマン:Kはフードプロセッサーまで購入し、アボガドやらタマネギやらをシェイクし料理するのだと言う。
 なかなか馬鹿にできない素人オヤジ料理。次回喰わせてもらおう。

CA3A0799-0001.JPG CA3A0800-0001.JPG

 雨模様の天候が鬱陶しい。
 飛び込んだ店で、預けた傘を忘れてしまった。買って全然使っていなかった新品だった。
 傘ってどうしてこう定期的に置き忘れるものなのか。
 夏場、外出した後ハンカチを忘れてしまったことに気づいた瞬間の無念な思いといい、何度も何度も“忘れるものか”と思っている日用品を忘れるのだ、人間は。
 「習慣となっているいつもの行動と、急に違う動きをすると忘れがちになりますよね」とは漫画家:Mの弁。
 シャワーを浴びて、服を着て、鞄の中身と身につけるモノのチェック。
 例えばこれが日常の順番であれば、その順番を入れ替えるだけでタイミングは乱れ、忘れ物の可能性を高めるのだと。
 
 ズボンのベルトの装着は今日もRちゃんが手伝ってくれた。こちらは毎度の日課的行動パターン。
 Mの発言を思い出し、外出時いつものように左足から靴を履いてみた。

投稿者 yonezawa : 00:56 | トラックバック(0)

2009年 07月 26日

チャンネル権の行使

51Lxvc5bRkL._SS500_.jpg

 不意に未確認情報が飛び込み、関係者各位に緊張が走る。
 来週の業務再開後、さらなる詳細の確認が待ち構える。
 自宅待機の時間はバンド・リハーサルの時間と思い切り被っていたが、最後の1時間だけ間に合わせるべく、思い切って家を飛び出した。

 リハ後、諸々の連絡を行いながら吉祥寺駅ビル構内でRちゃんらと待ち合わせ。
 軽い食事を終え帰宅したとたん、やにわに睡魔に襲われたRちゃんは「(お風呂に)入らない!」と言う。
 「今日もいっぱい汗をかいたから入らんとイカンよ」と促すものの眠気に負けそうだったのか「入らない!」とビッシリ繰り返す。
 数回の押し問答の末、「水遊びしよっか?」っという言い方の変換により、どうにかなんとか入浴に導けた。
 一つ一つの問答には大いなる自我を含む人間性が現れる。実に面白い。

 こちらがチャンネル権を行使してはならない。
 午後10時30分を回った頃、テレビのリモコンを持たせて「Rちゃん、消してね」とお願いしたら、すんなりパチリと消してくれた。
 同時にRちゃんは「おやすみなさい」と小声で言ってくれたのだった。

 自我を含んだ葛藤する人間性。和みの瞬間也。

投稿者 yonezawa : 04:17 | トラックバック(0)

2009年 07月 25日

1戸建てと国営昭和記念公園

51%2BRoUFHhgL._SS500_.jpg

 S社:Sが、おいらの家からもほど近い閑静な住宅地に一戸建てを構えたと聞き、彼の新居でご飯を戴こうという話が急速に進展した。
 そのホームパーティを行う際には、そもそもおいらが料理をまかなうこと(条件?)になっていたので、S宅へゆく前に西友で買い出しに。

 「包丁が切れないんで、それも買いましょう」というSの要望も盛り込み、食材、飲み物は買い物カゴ4個がいっぱいになるほど買い込んだ。
 総計5名分の食材をわんさか購入。

 33歳の若さで庭付き1戸建ての物件購入。何はともあれ立派なことだ。
 おいらの自宅からの距離は車で正味15分程度だったろうか。
 「庭付き」の自慢話(笑)通り、確かにちょっとした庭もあり、隣は空き地。日当たりのよい環境も申し分のない新居に招かれた。

 今日集うメンツのうち2人がおいらとは初対面とのこと。
 Sの仕事仲間である彼らの到着時間はあと15分を切ってしまっていたので、とにかく突貫工事のごとく調理に着手。
 
 まず、ゆで卵を作成。
 その隙に、キャベツの千切りにレタス、サニレタス、トマト、キュウリ等を洗ってざるにあげ、サラダの材料は冷凍室へ。
 調理の後、サラダを即食べる場合、食材は冷凍室にしまうのがベストだと思う。

 豚肉野菜味噌炒め用の材料を切り出し、ニンニクアッシュして、シーフードクリームソースパスタ用の野菜、具材切り出し。
 調味料を確認。パスタの具材に考えていた3切れの鮭のうち2切れは素焼きにした。
 ニンニクの茎と牛肉を酒、醤油、出汁とブラックペッパーで炒め煮込み、5人前想定の豚肉野菜味噌炒めも作成。

 パスタの麺を12分間茹で、むきえび、鮭、卵黄、えのき、タマネギ等バターで炒め併せ、牛乳買うのを忘れてしまったので白ワインで和え、丁度麺がゆであがった頃、フライパン内で生クリームとざっくりあわせて軽く煮だたせた。

 S宅のフライパンが鬼のように小さいので、すべての料理は難儀を極めたが、丁度よいタイミングで到着したメンバー:Rに流しの洗い物等をサポートしてもらいながら、スムーズな時間繰りで予定したすべての品を完成させた。
 所要時間、正味1時間強だったか。気持ちのよい汗が流れる。
 
 ビールで乾杯。
 FUJI ROCKでの名演:ジョン・バトラー・トリオのライヴ映像を見ながら親睦会の開催。
 しかし仲間宅でのホームパーティはいいものだ。
 20年近く昔、たまに催していた、先ちゃん宅でのホームパーティは派手だったなぁ。あの頃もよく十数人分のシェフやってたっけ。
 午後5時のお開きの時間まで、ほろ酔いの心地よき時間が流れる。

 午後6時過ぎ、ママ&Rちゃんと三鷹駅で待ち合わせ。
 昨日突然思い立ち、国営昭和記念公園で開催される花火大会へ赴く計画を立てていた。本物の花火をRちゃんに見せようと考えた。
 
 立川駅からデパートの屋上を目指すが、すべてのテーブルがすでに予約者の名前で埋まっている。当たり前か。
 やむなく昭和記念公園に連なる遊歩道を歩き、適度な場所でシートを敷き、とりあえずの場所を確保。
 昼間2本近く飲んだワインがきいてきたのか、おいらは思い切り大の字。

CA3A0785-0001.JPG

 やがて数千発を打ち上げる花火の音が聞こえ始めた。音色が小気味よい。
 Rちゃんは夜空に大きく輝く初めて見る景色を興味深く見つめている。その横顔がたまらない。
 ときおりRちゃんの姿を携帯とデジカメでとらえながら、可能な範疇「花火」の説明を耳元で聞かせた。
 ひとひとつの風景が彼女の心の襞にどういった心象を与えていくのか。
 かつて幼き自分が両親に見せてもらった胸の温まる多くの風景。Rちゃんを見つめながら、遙か昔に見た田舎での花火の光景がフラッシュバック。
 
 昔、祖母に花火大会でのあるエピソードを聞いたことがある。
 汽車が川内川を通過するそのタイミングに花火大会での花火が打ち上がった時、汽車は一旦そこに停車し、乗客に花火を見せてくれていたそうだ。

 なんて優雅でロマンチックな時代なんだ!

投稿者 yonezawa : 18:04 | トラックバック(0)

2009年 07月 23日

LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界

jake.jpg

 8.19発売「LIVE 〜ジェイク・シマブクロの世界」でライナー・ノーツを書かせて戴いた。
 ジャケットは日本が世界に誇る漫画家:谷口ジロー氏に快諾戴き、描き下ろしたイラストとなっている。谷口さんがCDジャケットを手がけたのは初。ジェイクの関連サイトでアート・ワークがすでにお披露目となっていたのでここでも掲載。
 全面的にアートワークまで任せてくださったKazyに感謝!

 これまでジェイクのアルバムには、細かい情報等を盛り込んだライナーはほとんどなかった。ので、クロニクル的な資料にもなるよう、9000W近い文字数でジェイクを見つめたすべての気持ちを書き記した。
 スタジオ盤のクオリティを凌駕するとも言えるジェイク真骨頂のライヴ音源は正に必聴。 

 はっきりしない雨の中、E先生宅で数十分の打ち合わせ後、小一時間闇経由で帰宅。

投稿者 yonezawa : 22:08 | トラックバック(0)

2009年 07月 22日

遭遇

51o2qArevLL._SS500_.jpg

 どかんと届いた最重要な大量の原稿にせっせと指定を施し、わさわさと入稿。怒濤の入稿。

CA3A0767-0001.JPG

 活字媒体のセクションに移動されたK氏に誘われ、およそ1ヶ月ぶりに再会。
 同じフロアからビルも変わってしまったので、随分疎遠になった感覚だった。
 訪れた店では、少年ジャンプ全盛期を支えたSさん、現M誌の大黒柱:Sと偶然遭遇。ビックリ。

 食事を終え深夜に帰社後、再び入稿に数時間。

CA3A0768-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 22:07 | トラックバック(0)

2009年 07月 17日

SOS

CA3A0752-0001.JPG

 早朝4時、伴侶のSOSで近隣の救急病院へ。
 深夜の時間帯では簡単な診察しか出来なかったが、ともあれ応急処置で点滴をお願いすることに。
 点滴を受ける間、Rちゃんシフトのため1時間程度一旦帰宅しようと外へ出たらスコールのような大粒の雨が降り出した。
 5時30分に再び迎えに病院。薬を処方してもらい、とりあえずその場は凌げた。支払いは5000円の一時預かり金。点滴正味1時間40分。

CA3A0751-0001001.JPG

 帰宅し、5時間ほど横になった後、再び伴侶は病院へ向かいCTと2度目の点滴へ。
 午前中は室内でRちゃんのお遊び相手に徹する。

 Rちゃんの昼食には唐揚げ3切れと目玉焼き、トマト1/2にふりかけご飯。
 全部をきちんとテーブルについて食べてくれることは未だに皆無だが、今日はちゃんと昼食を完食してくれて嬉しい。
 料理人を経てきてこれほど役立ったと感じる瞬間はなく嬉しい局面はない。
 おいらはネギをきざみ、海苔をこなごなに千切り入れ、ワサビをつゆに溶かし、キンキンに冷やした揖保の糸を2束かけこんだ。

 まだ完治ではないが、一応落ち着きを見せた伴侶のコンディションを帰宅後確認し、都内某スタジオへ。

 久々となった本誌グラビア撮影への立ち会い現場は、とても大がかりな重厚感溢れるイントレが組まれていた。両サイドには野外ライヴでも充分可能な巨大ライティングが。
 企画内容を全然聞いていなかった経緯もあったので、この大かがりな撮影セットには驚いたが、おいらは頼まれたギター:ジャガーとストラトを責任持って用意。
 色は共に赤。用意したシールドも赤。小道具で見切れることにはなろうが、アンプもVOXの赤。
 ストラップもウッドストックのデザインが施された赤を貴重としてデザインされたもの。
 赤赤赤。今日の被写体女子が持つギターのイメージは「赤」だった。拘った。
 スレンダーな長身美女の彼女を想定すれば、フルシアンテやらカート・コバーンの持つフェンダー・ジャガーがジャスト・フィットだと考えた。
 
 やがてご本人がスタジオ入り。
 撮影衣裳をフィッティングした後ご挨拶を交わし、ギターを肩からかけると狙いはズバリ的中。ご本人、とてもチャーミングでありながらもギターを抱えたその姿は大変クールな出で立ちに。
 そして彼女は礼儀正しくクレバーな女性だった。
 今をときめくグラビア女優にして超売れっ子タレント:○○○ちゃんのジャガーを抱えたこんなクルーな姿は、ファンにしろ、読者にしろきっと初体験となるシロモノになることだろう。
 正に一点物のプレミアムショットが続々とデータ・セーブされてゆき、およそ1時間押した撮影は滞りなく終了。
 今日日のスチール写真は、撮った端からMACの大モニターに写し出され、撮影終了と同時にOKカットの確認が出来るシステムとなっている。
 この20年で、紙の入稿スタイルも写真の入稿スタイルもえらく変わったものだ。

 オール・スタッフの皆様方、お疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 02:19 | トラックバック(0)

2009年 07月 15日

孤高の格闘家

a0079391_1314534.jpg

 DREAMの大黒柱であり、あのエメリヤーエンコ・ヒョードルに「尊敬している」とまで言わしめた総合格闘技界屈指の逸材に青木真也(パラエストラ東京)と言う選手がいる。
 その青木選手の、打撃の師匠とも言える孤高の格闘家:飯村健一(大道塾吉祥寺)と久々の再会を果たした。

 「米澤さんと知り合ったのは1992年だったですね」と本人から改めて伺い、大した時間が経過したものだと時の流れを回想した。
 ついうっかり見逃したボクシングの話題など、いくつかの格闘技話もプロの飯村視点で教授戴くのだが、話の基本はお互いの愛娘のことばかり。
 ゴールデン街で飲み明かし、いくつかの夜を語り明かした飯村と今この歳になって、次回は家族で遊びの計画が出来るとは、なんとも感慨深い思いだ。

 あちらこちらの関係者筋から聞こえてくる噂によれば、飯村は指導技術にも大変定評があり、例えば素人の練習生にもすぐにサンドバッグ等、蹴らせてくれると聞く。
 通常の格闘家の指導を想像すれば、基本的な身体作りの反復練習を経なければ、そうした実際の打撃などをやらせてもらえないようなイメージを抱くものだが、彼の方針はそちらではないのだと言う。
 勿論、プロ指導者の鋭い監視あってのメニューなのだろうが、「まずは練習も楽しくなければ」といった、練習の面白さにメンタル面を直結させるような意識が、練習生のモチベーションを最大限に引き出すのだろうと想像させた。
 
 多くの本格プロ格闘家からの信頼も厚く、団体及びジャンルの垣根を超え、飯村選手に教えを乞う選手が後を絶たないことが、的確な指導力と人望をそのまま反映していた。
 彼がセコンドについてくれれば、それほど心強いものはなかろう。
 飯村選手、今宵もお疲れさん。

 河岸を変え、馴染みの居酒屋で偶然遭遇したのはEさんグループ&Kさん。
 そこでは、とある驚愕の完成度を誇る最先端イラストを目の当たりにした!

投稿者 yonezawa : 09:46 | トラックバック(0)

2009年 07月 9日

送別会

Cover_red.jpg

 7年前に親父が亡くなった頃、幸いにも特に切迫して困るようなことはなかったが、今になって相談したいことやら意見を伺いたいことはなんとなくチラホラ出てきて、「こんな時に親父ならどう選択したのだろうか?」「こんな時、親父の判断はどうだったのか?」みたいにもの思う瞬間がある。

 本日夕方より、編集部から移動されたJさんの送別会開催。  
 Jさんはまさにヤンジャン編集部の親父的存在で、スタッフ内での存在は特別だった。
 送別会とは言いながらも、今後も同フロアでの仕事仲間であることは変わらないのだが、28年間の長きにわたりヤンジャンを支えてこられたJさんの歩みは偉業だと言えた。
 お疲れさまでした。

投稿者 yonezawa : 18:19 | トラックバック(0)

2009年 07月 3日

夕張メロン

090701_170115.JPG

 先日、母の日に合わせて注文した夕張メロンがようやく出荷の時期とあいなり、田舎に到着した模様。
 パソコンも携帯も自在に操るお袋と姉貴より御礼のメールを拝受。
 果物好きな性質のおいらは明らかに両親からの影響のもので、今でも一人スーパーに行けばその日の気分でなんらかの果物を買ってしまう。
 しかし同級生等の同世代の仲間で、わざわざ果物を買ってまで喰う知り合いはほとんどいない。
 むしろ拒否する輩の方が多数なぐらい。
 「感謝します。みんなで頂きます。ありがとう。」と言った母からの労いの言葉を読むだけで、随分得した気分になった。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 07月 2日

BOSS:J

41MHPEBNE4L._SS500_.jpg

 BOSS:Jさん労いの会は、同士:Iっちゃんと。
 Iっちゃんの発見してきた新宿の飯屋Tはどえらい穴場のナイスな新物件で、アクセスもベスト。
 Jさんの人望は、とてもここのスペースに書き尽くすことなど不可能なほど尊大なものがあり、掛け値無しに特別な思いがある。
 「組の若い衆が親分のために鉄砲玉になる」この表現は大げさだとしても、Jさんはそうした気持ちを抱かせる、数少ない人格者だとかねがね感じている。
 頭に立つ者はそうした圧倒的な信頼感を抱かせるものであり、事実Jさんには多くのシンパが存在する。
 同時にチャーミングな不良性に包まれていることも、頭に立つべき人格者の条件のひとつだと言える。Jさんはとてもチャーミングだ。

 各々、連日の痛飲のようで、同じ程度体内に残った酒に迎え入れるような今日の酒であったことがおかしかった。
 新宿駅前から新宿三丁目まで徒歩で移動。
 Sでシャンパン、ワイン等で再び乾杯し、解散の後、夜風にあたりたかったおいらは彼らを見送った後、ほんの少しだけ散歩して歩いた。

投稿者 yonezawa : 11:57 | トラックバック(0)

2009年 06月 30日

いくつになってもロケンロール

%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B1.jpg

 先日放送された、フジテレビ『人志松本のすべらない話』が楽しめた。
 個人的には小藪にも出て欲しかったが、各キャストによる申し分のないせめぎ合いを堪能出来た。
 番組は、岩崎宏美&コーラス隊による『聖女たちのララバイ』で幕が開いたのだが、岩崎宏美のサポートにはゴスペル歌手:亀渕友香も参加。
 
 今夜の夕飯は、亀渕友香さんの実兄で、ディスクジョッキーであり、音楽評論家であり、ニッポン放送元代表取締役社長の亀渕昭信兄とご一緒することに。

 久々の再会に、積もる話も個人的にはありながらも、結局顔をつきあわせて語られる話題のほとんどが、その場で閃いた思いつきだけのエピソードばかり。
 マイケル・ジャクソンの悲劇に関しても兄の見解には興味深いものがあり、スティーヴィー・サラスの書いてくれた名文の話は、とっておきのおいらからのエピソードとして兄にお伝えさせていただく。

 60年代後半のサンフランシスコで、やれザ・フー、ジミヘン、ジャニスetc...と普通にライヴハウスで聴いてこられた経験を持つ亀渕兄には永遠に脱帽だ。
 一昨年のO2 アリーナでのツェッペリンを体感しているのと、いないのでは今の自分は違うのかもしれない、というのは兄とおいらとの共通認識なのかもと思っている。
 よくぞ彼の地で、兄と共にあのステージを観戦出来たものだ。

 現在、NHKデジタル・ラジオで彼がディスクジョッキーを務める番組『亀渕昭信のいくつになってもロケンロール 』の放送(再放送?)が始まろうとしていた。
 兄、おもむろに携帯ラジオのスイッチをON。

http://www.nhk.or.jp/kame/index.html
http://www.nhk.or.jp/kame-blog/
http://e-days.cc/style/columns/2/

 小さな音にして、耳に当てながらおよそ50分間の放送を聴き入った。

 今日の内容は、ザ・ビートルズの日本公演が始まった日の特集。
 ザ・ビートルズ来日コンサートは、1966年6月30〜7月2日の3日間、昼間のコンサート(マチネー)も入れて合計5回行われたそうだ。
 その曲目は5公演とも全部同じだったとのこと。

1. Rock And Roll Music
2. She's A Woman
3. If I Needed Someone
4. Day Tripper
5. Baby's In Black
6. I Feel Fine
7. Yesterday
8. I Wanna Be Your Man
9. Nowhere Man
10. Paperback Writer
11. I'm Down
 
 放送は一種のドキュメンタリー番組とも言える内容で、おいらも今夜初めて知った情報がいつくかあった。
 飯の席で語る亀渕兄の声と、放送の声は思いの外トーンが違い、電波に乗せた亀渕兄の声のトーンが幾分高く聞こえた。
 なんと言う名曲の数々よ。ザ・ビートルズにはいつでもどこでも心で泣けるのだった。

kame01.JPG

投稿者 yonezawa : 16:31 | トラックバック(0)

2009年 06月 25日

MOJITO

5152MNEQR3L._SS500_.jpg

 B社が近々に社屋をS社に移し、本国と同じ形態の会社として再起動するニュースは、昨年から聞かされていた。
 編集の先輩:T氏の要望で、レコード会社の近況をご教授戴くべく、名刺がS社となったHちゃんを交えての食事会をセッティング。
 西麻布「真」着。

 九州出身の父親を持つHちゃんは、プロモーターとしての仕事も完璧で、良き意味で年齢に似合わず仕事を円滑にこなすクール・ビューティな才女。
 おまけに父親譲りなのか酒も強い。
 
 すれっからしのロック信者であるおいらが、今ロック啓蒙のほんの一端を担えるような立場にもしあるなら「是非とも次回はこうしたい、ああしたい」などと妄想しながら、洋楽話に花が咲く。
 漫画、ロック、映画、スポーツ、すべてのカルチャーの中から良質なモノを抽出して紹介してゆければ、いち発信者としては本望だ。

CA001.JPG

 酒豪ヘミングウェイが愛飲し、エレキギターの神:ジェフ・ベックが好んで飲むと言うカクテル「MOJITO」を、昨日のジェフ65歳の誕生日に飲めなかったので、本日改めてジェフに乾杯。

投稿者 yonezawa : 15:18 | トラックバック(0)

2009年 06月 24日

Jacqueline Bisset

51qph3YICSL._SS500_.jpg

 地下鉄に降りる前、路上に立ち止まり携帯で深夜上映の映画日程を検索していたところ、同じく携帯を見つめながら歩いてきたMちゃん。
 彼は、飯はまだ喰っておらず、帰途につく途中なのだと言う。
 ここのところ互いの誘いも巧く間があわず、伸び伸びになっていた飯のタイミングをここで見っけた。

 馴染みのバー「S」は出前もOKなので軽食を注文。パソコン、音楽を中心としながらも、無軌道に語り合うカルチャー全般。今宵も実に興味深い内容ばかり。
 そこら辺の編集者よりも編集的スキルを有し、あらゆるカルチャーに対する造詣深さをかいま見せるデザイナーMちゃんは、ホントに何でも知っている。感心する。いつでも何でも教えてもらっているおいら。
 
519wk3ip%2BoL._SS500_.jpg

 店内でかかっていたDVD映像をなんとなく眺めていた。
 そこに映る主演女優の美しさに魅せられ、バーテンMちゃんに「これ何の映画だっけ?」と伺った。パッケージを見せてもらえば作品名は「アメリカの夜」。
 ところが前回にもこの作品について問い、同じ質問をしたことを情けなくも思い出した。

 巨匠フランソワ・トリュフォー監督の傑作。
 造形的に響くジャクリーン・ビセットの容姿は現代でも圧巻だ。

投稿者 yonezawa : 21:27 | トラックバック(0)

2009年 06月 19日

MEDICOM TOY EXHIBITION '09

 渋谷パルコ6F「ファクトリー」にて「MEDICOM TOY EXHIBITION '09」が開催。
 それに先立ち、(毎年恒例だと言う)レセプションパーティが本日行われた。

 そもそも畑違いのおいらはそんな情報など知る術もないはずなのだったが、トイズ・マッコイ代表で偉人:岡本博兄直々にプレミアム招待状をお贈り戴いた(大感謝!)経緯があり、勿体ないので編集部アートディレクター:モトちゃんを連れ立ち参加。
 会場ではビリケン商会代表:三原さんにも遭遇。
 
 なんだか事情もわからないまま、ともあれ場内に陳列された驚きのトイを観賞させていただいたが、やたらと人が多く大変な状態。
 ディスプレイされたウルトラマン・シリーズやら仮面ライダー・シリーズのフィギュアに関しても、量産の市販品もついにここまでの完成度を誇るものなのかと舌を巻いた。
 
090513_2009ex.jpg

 個人的にはメインの品ではないのかもしれないが、やはりKISSなり、人物のフィギュアが目を惹く。
 知るものにとっては岡本兄、横山宏さんらで作成された「12インチマシーネン」はかなりのトピックらしい。圧巻のフィギュアは迫力満点だ。

CA3A0725-0001.JPG

 時間をずらして集った夕飯は、久々の映画関係者の面々で佐賀料理を戴くことに。
 知らなきゃ絶対に入らない店のひとつ。K社の美女:Oちゃんの貴重な情報で初めてこの名店『佐賀 雑穀』を知ることになった。

 本格的に辛いゆずこしょうが、まず店の優秀さを物語り、魚ロッケ(ぎょろっけ)等面白いメニューも珍しかったが、玄界灘で獲れた白身魚の諸々に感激。煮ても焼いてもベストの一品に遭遇。全員大満足。

CA3A0726-0001-1.JPG

 人格者と語り会う時間が貴重で有り難くてたまらない。人は真摯であることが人生最重要事項。そう考えて生きねばと、参加者中のOちゃん一人だけが思わせてくれる空間だった(笑)。

 事の発端となった、ロサンジェルスでわき起こったMちゃんに纏わるおいらのホラ話から始まった“Mちゃんゲイ疑惑”の話題に、彼自身が自虐的にフェイク告白する一幕。
 何度聞いても可笑しいスベらない話の1つ。何が本当で何が嘘なのか関係者すら判らない。
 彼らとの次回の仕事がとても楽しみ。

 何年も付き合いのあるD社:Kが、今日初めてまともな店を教えてくれた。粋なロック・バーは意外な場所に位置し、この店は、この時間、この空間にとてもよくマッチしてくれた。

 昨日届けられた7月発売のスティーヴィー・サラス・カラーコードの新作『SET IT ON BLAST!』から1曲、爆音で拝聴。
 またしても、世界一のロック・アルバムとの遭遇を果たす。本気で呻った。流石、あっぱれのサラス。

Fuckin' so very very cool guitar sounds.
A world's best rock album was completed again.

 昨日、早速感想のメールをスティーヴィーに送ったところ、速攻で返信到着。

Hey kaz!! Thanks. Please tell everyone to get the new cd ok and see you soon in japan I hope

Stevie

 来年、盤石の面子で来日の噂だ。

投稿者 yonezawa : 20:30 | トラックバック(0)

2009年 06月 14日

訃報

51BVM3E3B0L._SS500_.jpg

 13日、プロレス興行の広島大会後に亡くなられたノアの選手兼社長、三沢光晴選手のニュースに驚いた。
 三沢選手とは、一度だけ直にお会いしたことがある。
 ディファ有明のリング上で行われた、ラジオ番組の公開録音という場だ。
 リングではバンドで「NOHA2000」というオリジナル曲も披露した。
 三沢選手のテーマ曲:スパルタンXは、当時のバンド・バージョンという形でvapレコードより再録・リリース(オムニバス・アルバム)したこともあり、三沢選手とはそれほど疎遠な関係ではない意識があった。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005H0DC/
 様々な覚悟を踏まえ、リングという過酷な場所に身を置くことは全プロレスラー共通の思いかも知れないが、実際にこうした不慮の事故を目の当たりにするとたまらない感情がこみ上げる。合掌。
 
 訃報続きの昨今だ。
 夕方、東西線:落合駅で下車し、友の母:Kさんのお通夜に伺った。ほんの数ヶ月前、友を介し「また是非今度、ご飯ご一緒しましょう」と交した約束は、永遠に果たされることがなくなってしまった。
 なんと虚しきひとときなのだろう。合掌。

投稿者 yonezawa : 20:01 | トラックバック(0)

2009年 06月 11日

パブ『アラジン』

it-3732.jpg

 20歳の頃、おいらは王子のパブ『アラジン』にいた。
 ミッキー・マウスのエプロンを付けて、厨房で料理を作っていた。
 まかない飯は手鍋で炊いていた。
 油を敷かなくてよい激辛チョリソのそてい、仕込み立ての揚げたて串カツの美味しかったこと。
 店内は日々常連さんで賑わい、カラオケ全盛だった。
 店までは、杉並から毎日トヨタ・セリカXXで通っていた。後に環七で3回転半の転倒事故を起こし、廃車にしてしまったセリカXXで。
 実に様々な思い出が蘇る。たった1年強の時間でありながら。

 あれからおよそ25年。
 皆、それぞれの仕事に就き、それぞれの家庭を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。

 幼なじみ:Kの提案で、ふいにあの日の面子:YE、KH、KMらの4人で卓を囲む日程が組まれ、本日その日がやってきた。

 思い起こすのは彼の日に見た景色ばかり。
 「あの人、名前なんだったけ?」と古い記憶を掘り起こし、今の日常では体験しにくい実際にあった抱腹絶倒のエピソードにお腹がよじれた。
 20歳そこそこで就職したKHの会社のロゴを2つもデザインしたことは、おいらは自分ですっかり忘れていた。ついでに、旧友:KKの今の会社のロゴもデザインしたことを思い出す。

 こうして古い記憶を辿りながら仲間と飲み交わす酒は好きだ。
 全員の曖昧な記憶を持ち寄ることにより、断片的なピースが綺麗に埋まってゆく。
 諸事情あって全員が辞める決意をし、我々が店を離れてからパブ『アラジン』は、ほどなくして消滅したそうだが、今は区画整理で建物自体何もないそう。
 
 店内で撮られたある1枚の写真。
 そこには、おいら、そして我が両親の2人が写っており、助言する父親に対して、神妙な表情で視線を伏せているおいら。心配そうに見つめる母。

 将来の展望など何も考えてなかった時代の象徴的な1枚であり、おいらはその写真が妙に好きだ。

投稿者 yonezawa : 18:12 | トラックバック(0)

2009年 06月 10日

知らぬ間に外は雨

%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3.jpg

 知らぬ間に外は雨。
 前途有望な編集:Mと初のサシ飯に。
 席でも語った話だが、Mは新人の頃から足が地に着き、そつなく業務をこなすイメージがある。その人となりは外部フォトグラファーなどにも評価されており、年齢に似合わなく冷静沈着。彼を指して、カメラ:Wは「様々な局面で常にびびらない男」だと評した。

 新宿でしばらくぶりの、ひろ喜ちゃんに会いに行き、突然誘われた赤坂の悪友チームと合流。
 スーパー・フォトグラファー:尾形正茂、編集超人:市川光治の「39会」面子の席に到着。
 20年を超える付き合いとなった彼らとの酒席は、もはや同窓会。
 ワインが格別だ。

投稿者 yonezawa : 00:51 | トラックバック(0)

2009年 06月 9日

昼下がりのメール

51DGkhzHNvL._SS500_.jpg 513wbCPyeCL._SS500_.jpg

 昨日、イースト:吉田兄より感激のDVDボックスを贈呈戴く。
 思えば本気でテレビに没頭していた時代は、『北野ファンクラブ』の頃が最後かも知れない。
 見たかった番組を録画しそびれ、かなりガッカリする経験はあの頃からどんどん無くなっていった。
 あの頃、『北野ファンクラブ』、上岡龍太郎の出る回の『EXテレビ』などはかなり熱が入っていたものだった。

 名場面を編集した『北野ファンクラブ』は、もはや見る前から5つ星。
 最近のビートたけしは更に一段面白い。書籍のクオリティもこれまでと変わらず◎。TBSのニュースしかり、タレントとしてもう一つの全盛期を迎えている印象を抱かせる。
 過去前例のない、信じがたき恐るべき現象だ。たけしさんはやっぱり大好き。


 昼下がり、Tからのメールに絶句した。
 ほんの小一時間前、Tの母が逝去された知らせを受けた。
 おいらにしても、Tの母とは知り合ってから10年では利かない時間が経過していた。何人かの仲間と居酒屋で賑わう空間を何度か共有させて戴いた。

 母親の死──
 それは筆舌に尽くし難い、張り裂けるほどの胸の内だろう。
 遺族にかけられる言葉はないけれど、残された家族が彼女の分まで精一杯生きること。誰しも、それが最たる供養だと察する。

 故人との思い出を、生涯大切に胸に留めて生きてゆきたい。合掌──

投稿者 yonezawa : 00:51 | トラックバック(0)

2009年 06月 8日

「フェローズ」新作展示会

41KVQKD6Q3L._SS500_.jpg

 代表:志村さんより「フェローズ」新作展示会のお知らせを戴き、恵比寿を目指す。
 もはや志村さんとも友人である江口寿史兄、泉晴紀兄を連れ立ち「フェローズ」本社訪問。

 会場には、トイズ・マッコイ:岡本博氏、ビートたけし番組プロデューサーでzeppelinシンガー:吉田兄(イースト)、ビリケン商会:三原社長、ダチョウ倶楽部:寺門ジモン氏、香港のアメカジ・ショップ「Benny Seki」代表:セキ氏etc...と異業種の錚々たる面子が集結。

 年に2度の親睦会と化す展示会場。飾らない志村さんの人柄が偲ばれる。
 
 例えば「ステッチ一つで2時間、平気で語り合う」と聞く、アメカジ全般プロ集団の親睦会。
 会場より中目黒へ移動。軽い打ち上げの席にも参加させて戴いた。
 漫画界代表の先ちゃん、ズミーも、ジーンズに関しては、造詣深さで彼らに充分対向できるスキルを有している。そんな知識を引け開かすくだらない輩などいるわけではないのだが、意味もなく、なんだか頼もしい気分でいたおいら。
 後半は現場がサイン大会と化し、漫画家スキルの独壇場。疎遠な街:恵比寿、中目黒へやってきてよかった。今宵集った貴重な面子の親睦会に立ち会え、ラッキー。

 宴終焉後、恵比寿に来たら喰う「阿夫利」でつけ麺。
 JRで地元へ引き上げ、道中の打ち合わせを経て軽く1杯。

CA3A0714-0001.JPG

投稿者 yonezawa : 13:12 | トラックバック(0)

2009年 05月 29日

片面CD、片面DVD

41M3B3FJJ1L._SS500_.jpg

 DMBのこのアルバムは、片面CD、片面DVDというシロモノ。
 こんな両面仕様の盤は初めて見た。
 ところがDVDサイド、既製の国内DVDレコーダーではリージョン違いで再生不可。
 同じバンドの他の輸入盤CDに付属するDVDは再生可能なのにややこしい。

 早朝8時の高速バスで帰郷の義母。あっと言う間の1週間が経過した。
 「おったんとお留守番!」と言って、外出の準備を手こずらせたRちゃんは、意志とは裏腹に服を着替えさせられ、おばあちゃんのお見送りに羽田まで同行させられた。

 今朝3時間睡眠。朦朧の頭のまま、録画した番組を見た後消去するべく再生。しょぼしょぼした目が画面を見ていられない状態で、音声だけ聴きながら数本の番組を鑑賞直後に消去。
 ディズニーだ、アンパンマンだ、しまじろうだ、ハッピー!クラッピーだと自動録画の番組が増えたせいで、HDD内ハードディスクはすぐ容量オーバーに。
 自身で撮った動画の保管手段もそろそろ確立させねばと思いながら、時間は刻一刻と経過するばかり。
 それにしても、数年前のドラマ『スカイハイ』撮影現場で初めてお会いした女優:新山千春は随分綺麗になったものだ。

 想田和弘監督最新作『精神』の単独取材記事をようやく構築。
 監督からの最終チェックを経て、無事本日入稿の運び。
 彼からのメールによれば想田くん、来月(6月)、初の著書「精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける」(中央法規出版)を出版するそうだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/480583014X/