2016年 04月 17日

強風

 微熱の続くRは時折だるそうなゴロゴロ姿勢ながら、「昼寝しなさい」といっても「やだ」といって絶対に言うこと聞かない。
 一日中、部屋にいたのだったが、外の強風の音がもの凄くて、一体何なんだと思ったところ、ニュースで映し出すもの凄い地域の強風災害を知り驚愕。一体どうなっているのだ日本。

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2016年 04月 15日

熊本地震

 昨日の地震がいかほどのものかを、一日明けて愕然としながら冷静に知る。日本では、地球ではいつ何が起きても不思議ではないことを今日も認識する。
 午前中、九州の母にかける電話がコール音もせずしばらく繋がらない。数回の電話で繋がった話によれば、母が入浴中に揺れたそうで、怖かったと答えた。深刻な被害の実害はなく安堵するものの、大分県時代の某同級生宅ではSNSに記された部屋の中の甚大な被害の写真にショックを受け、嘆いた。

 枕元に靴とジャケット、鞄に非常食と水の用意。毛布もすぐに掴める場所に。水は箱での買い置きを怠らず、飲み干す度に補充という日常を考えるべきだと震災の度に思うが、かくいう己も震災から3年4年と経つと怠ってしまっている。
 丈夫な建物も瞬時に崩壊する自然の驚異。避難する広場の確認など、冷静にもう一度、シミュレーションしなきゃ。

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2013年 09月 25日

funkyな午前5時

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 シーフードのホワイトパスタをメインに、水炊きの残りを4つに振り分け、各位2口ずつの炊き込みご飯の残りと同じく2口ずつのカレー、納豆他を食卓に並べ、食の整理に。

 3泊4日の合宿はあっという間に最終日を迎えた。
 滞在中、おいらも筆でRちゃんの名を和紙に書き、Rちゃんのお土産に。Bさんの書き損じた「書」も記念にいただきバッグに梱包。
 帰宅の仕度を済ませ、4日間お世話になった部屋の掃除と台所回りの掃除と。

 こんなにゆるやかに基本的に何もせずに過ごしたのはいつ以来だろうか。携帯を丸丸3日間触らないという経験も、海外滞在を含め初めてだったかもしれない。留守電に3回録音してきたKちゃんからの後のメールは、「日本で携帯の入らない場所ってホントにあるんだね」という感心した内容だった。

 玄関での記念撮影を終え、昼前には家屋を後に。在来線からのぞみに乗り継ぎ、東京を目指した。

 東京は小雨がぱらついていた。その足でギターと大きな荷物を抱えたまま歌舞伎座へ。「歌舞伎美人 | 歌舞伎座新開場柿葺落 九月花形歌舞伎」千秋楽の証人になる。
 終演後、近場のイタリアンで観劇した同行のみなさんと銀座で乾杯。二次会はなべちゃん&Yで新宿三丁目。実にfunkyな午前5時を迎える。

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2013年 09月 24日

赤ワイン

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 朝食は6人前。鰺の干物とサラダ、あおさの味噌にもずくやキムチなどの適当な付け合わせ。
 先に出発される先発隊を午前中のうちに見送り、昼食は残った4人でオムライスとほうれん草のおひたしなど。

 今日は一日真剣に作曲に集中。ベイビー・テイラーもショート・スケールなりの響きではありながら、されどテイラー。安定感のあるサウンドが小気味よい。

 夕飯は炊き込みご飯に、残った唐揚げとしょうが焼きの付け合わせや生野菜。冷蔵庫にものを残してはならないと極力整理に努める。

 大概、此の地では1日くらいは雨に遭遇するそうだが、とにかく終日とも快適な晴天で、これ以上ない時間が流れていた。
 夕方になると少し肌寒くなり、早朝には確実に毛布がいる程冷え込む。
 九州出身で東京在のおいらにとって、この地への訪問は普通、想像出来ずに、まずあり得ない。
 釣れた魚は3匹。今夜は美味しい赤ワインを頂いた。

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2013年 09月 23日

渓流

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 目覚めたら河のせせらぎが聞こえてきた。
 朝7:30には鮭を焼き、サラダとアオサの味噌汁で朝食。流れる渓流を目の下に見ながらの朝飯。
 この光景は、幼少時代に覚えがあった。宮崎県えびの市にある牧の原がそれだった。
 敷地の中に幅1m程度の小川が流れ、当時、子供時分のおいらたちは姉や従兄弟の子達と泳いでいたものだった。
 今となっては贅沢で貴重ともいえたあの環境をふと回想していた。今、自分がこの年代となり、あの祖父母の家屋だった環境がある日第三者の手に渡ったことを考えれば、初めて大変残念でもあったなぁと無責任に考える自分がいた。

 心地よき風が通るベランダでハードカバーの詩集を紐解き、タイトルにあった詩に曲をつけてみようとコードを探る。
 
 午前中、Tさんと近場を散策。
 家屋から500mほど歩いた場所でようやく携帯の電波が入るといった塩梅。メール9件にLINE3件、普段あんまり電話はかかってこないはずなのに3件の着信を確認。道中の景観は九州の山間部とダブる。

 夕方3名のゲストが来宅。うち、初対面のOさんは蕎麦を打つとのことで、夕飯の水炊き他以外にも蕎麦のふるまいがあり、おいら以外の面々はモリモリすすりまくっておおられた。蕎麦アレルギーの己が残念極まりなし。
 そして太くゴロゴロとした贅沢な松茸、マグロのブロック等の差し入れが。釣ったあまごと、マグロを串刺しし、囲炉裏で炙って出汁醤油をかけ山葵で頂く。

 早朝からの稼働だったからか、今夜は早々と眠気に包まれた。深夜に風呂を頂き、就寝。

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2013年 09月 22日

浮世離れ

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 朝、予定より40分寝過ごしてしまったが、40分程度の余裕を持っての想定準備だった故、まさにタイムリーな時間繰りとなる。迎車したタクシーで最寄り駅へ。JR、のぞみ、在来線ではるばる某地へやってきた。
 作家Bさんと絵描きTさんのお二人と共に、おいらは初めて訪れた町。車で地元のホームセンターとスーパーに立ち寄り、三泊四日分の生活用品と食材をどかっと購入。
 山道を数十分走った先には広大で優雅で圧倒される巨大日本家屋が建っていた。

 眼前に広がる信じられないくらい水の清らかな渓流はまるでプライベート・リヴァーとでも形容したくなった。家屋には陶芸の竈もあり、「鮎」だ「岩魚」だ「あまご」だ「うぐい」らが目の前の河で釣れるのだ。ものすごい自然の景観と環境の地。とにかくこんなに綺麗で清んだ水は見たことない。

 滞在中のお二人は自らの作品作りに時間を費やす目的の合宿であり、おいらは一昨日購入したばかりのベイビー・テイラーを抱えての曲作りと、滞在中入れ代わりで来宅されるゲスト分も含むシェフを担うこととなっている。

 とりあえず今夜の夕飯はポークカレーに唐揚げ、生野菜サラダ、肉野菜味噌炒めで、泡盛を頂いた。浮世離れした都会との落差のある異空間。すぐに心地よき酔いに包まれた。

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2012年 10月 8日

ルーでの海水浴とバーベキュー

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 8時には起床し、バイキングの朝ご飯。
 国際通りに車で移動し、買い物しながらソーキソバなどを頂く。ビーサンも購入。

 かなりの距離を感じながら、残波岬へ移動。
 風が強く岸壁のところは足場も悪く危ない。
 喉が渇くので、売店で売ってたシャーベットを飲み干した。

 その後、もう1箇所の観光地を目指すが、何故かナビに違う箇所に誘導され、時間も時間だったので断念し、今夜の宿泊地ルーへ移動。名称もあっているのに何故なんだろう。

 ルーへ到着したとたん、「Rちゃんおよぐー」と張り切る彼女の手を引き、yoyoの浮き輪を強奪しながら10半ばの海水に浸かった。
 当初ちょっと冷たい気もしたが、一度入るとぬるま湯に感じられるのが不思議。
 Rちゃん、沖縄に来て一番の笑みで終始大はしゃぎ。最初からある程度、海主体で行動すべきだったか。
 正味20〜30分程度だったと思うが、波打ち際で波に揺られる歓びを感じたことと、一度バシャンと海に顔が浸かり、焦って泣いた経験も有効となろう。
 たくさんの写真を撮ってくれたチャーリーありがとう!

 この場所でこのメンバーで、午後5時30分からのバーベキューをやりたいがためにやってきたところもあるので、個人的にはこの瞬間からが一番嬉しいのだった。
 野外のバーベキューは何故こうも美味いのか。母が隣にいてくれて今年も幸せだ。母との旅がbambiと共に続いているのがまた嬉しい理由の一つ。家族には慌ただしいスケジュールの中、いい時間までつきあってくれて大感謝。
 泡盛をごんごん飲み続け、結局2〜3本空いたのか。今年の泡盛は優しかった。

 酒盛り中は大先生との2本のアコギで終始セッション。
 バンマスは、きっとこの場の閃きで数曲を仕上げてくるだろうという確信を抱く。

 まぁ〜喰うだけ喰った後、ベランダ呑みへと場を移し、深夜12時頃に終了。
 なんか終わるの早い気もしたが、おいらも丁度そんな気分だった気がする。

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2012年 02月 29日

警告音

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 降雪の気配など、夕べ終電頃の時間までまるで感じなかった。
 タクシー運転手も「降るんですかねぇ?」と語っていたし。
 ところが午前中、目が覚めたら大粒の雪がごんごん降り注いでいてびっくり。
 明け方だったか、地震の余地を知らせるものすごい警告音が携帯(au)から聞こえた。
 何事かと飛び起き、心臓がどきどきし、揺れを覚悟するものの一向に揺れは感じられない。
 あの警告音は何だったのか? 鳴ったのはおいらの携帯だけなのか? 地震はなかったのか。
 そこから寝られなくなってしまった。
 
 降雪でRちゃん大丈夫かな? と危惧したが徒歩で無事に登園した模様。
 ワインで満たされた体内のアルコールを取り払うべく節水と、遅い昼食で食べた丸香のうどんのスープを最後にほとんど一気飲み。ああ〜体内に染み入る……

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2012年 02月 4日

ALWAYS 宇宙 バンド

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 家族で協議の結果、観る映画を確定。新宿で『ALWAYS 三丁目の夕日'64』に決まった。
 当日、ネットで座席指定のチケットを購入したが、すでに空席はほとんどない。
 なんとか2列目の端の席を並びでおさえる。
 
 内容は、おいらの生まれた昭和39年が舞台になっており、ストーリーが進むに連れ、是非ともおふくろに一番観てほしいな……と感じつつ鑑賞。

 どこまでVFXを駆使しているのか一見するだけでは分からないが、きっとほとんどの風景の映像がそうした特殊技術で構築されているのだろう。そう想像しながら東京オリンピックの開催された懐かしい映像世界に入り込んでいた。

 鈴木オートの星野六子がよかった。ググったところ、東京出身である堀北真希は完全に役所の東北の人間にしか見えない。
 様座なシーンで爆笑するRちゃん。時折、彼女の表情を観ながら鑑賞し、やがて物語は終盤へ。想定したまま「おったん、おしっこ」とトイレタイムを挟み、Rちゃんの手を引きトイレに駆け込んだが、席に戻った頃にはタイトルロールが出ており最後のシーンは観逃した。それでも充分満足。

 その足で紀伊國屋ホールへ。
 午後7時より始まる、新書『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』を発売された村山斉(ひとし)さんの講演会へ。「知のトレッキング叢書」と題して、いま一番注目されている宇宙物理学者:村山さんの本の販促の一環で行われた。
 ただ、この日程をうかがったのが昨日のことで、その後の先約を優先するべく講演会はどうしても1時間しか拝聴出来なかったが、確かにこの分野も知れば知るほど興味深い。
 
 約束通り、吉祥寺『真希うどん』でTTとITと待ち合わせ。
 途中、地元の飲みだちSも合流し、深夜まで飲み明かす。よく喰ってよく呑んだ。T&Tには大きく感謝。バンドの稼働がともかく楽しみ。

投稿者 yonezawa : 22:39 | トラックバック(0)

2011年 12月 10日

武道館と皆既月食

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 クラプトンとウインウッドのステージ後はRちゃんに焼き肉食べさせて大満腹。
 自宅前に到着した頃には月が欠けだした。
 

投稿者 yonezawa : 01:52 | トラックバック(0)

2011年 05月 14日

高尾山

 朝9時起床。
 家族2名に高尾山行きの最終的な意思を訪ねたところ、10時30分出発で行くことが決定。家族のリクエストには、野暮用さえなければ全面的に答える体勢で生きている父。ただし10時まで二度寝。

 本格的なものではないが、一応登山なのでそこら辺に関してはベテランであられる亀渕兄に数回のアドバイス・メールを賜っていた。
 本日頂いたメールにも温かく有り難いアドバイスが。

「高尾山、行ってラッシャ~い!

 お天気が悪ければ行かないこと。お水は多めに。
 しっかりした靴を。
 低い山でも高い山でも、油断しちゃダメ、絶対に。
 のんびり歩いても、前に進めば必ず着ける、頂上に。
 しかし、頂上は、まだ半分。下山して初めて山登り終了。
 最後まで、要注意。です。」

 我が家のボロ車には、カーナビもETCもない。
 昨日のうちにプリントアウトしていた地図を片手に11時過ぎ出発。途中、Rちゃんトイレのため、予定外燃料補給のためGSへ立ち寄る。

 目的地の高尾山口駅にはスムーズに到着。
 駅前にいくつかある駐車場を想定していたところ、辺りを走らせるが全部「満車」の表示。困った。
 一度辺りを通り抜け、1個ぐらい離れた駅の界隈に駐め、電車で行く手でもよかろうと思ったが、近場の駅といっても少し戻るしかなく、やはり高尾山口駅近隣に駐める場所がなかろうかと一度往復してみる。
 「満車」と書かれた入口の係の方に車中からジェスチャーで「ダメ?」と問うたところ「OK」の合図。ラッキー。ホッとする。

 車を駐め、全員トイレを済ませた後リックを背負い、徒歩でケーブルカー入口へ到着。乗車。
 確か日本一の傾斜だというケーブル路線とのことで、確かに到着間際の角度は凄いと感じさせた。「おちちゃうよー!!!」と、椅子からズレ落ちそうになったRちゃんを膝に抱え乗せ、到着。

 午後1時を回っていたので、広場にあったテーブルと椅子に落ち着き、笑顔で手製弁当をいただく。
 野外で食べる食事とは、何故こうも旨さを増幅させるのか。
 温かくもないおにぎりの旨さも理屈抜きにとにかく旨い。唐揚げ、ウインナー、卵焼きもおいらにとっての極上品。2セットは食べられそう。だがRちゃんの食は相変わらず細く、今日もやや叱咤気味で登山開始。

 リュックの中身は、水筒の水(おいらはペットボトルのお茶)、バンドエイド、菓子、飴、弁当、雨がっぱ、敷物、タオル、カメラ、ゴミ袋、帽子、上着、Rちゃんの換えのズボン、シャツ等。
 他にデジタルビデオカメラに一眼レフカメラと、結局父は重装備。
 携帯には、「○東京消防庁 救急相談センター、24時間受付・年中無休 #7119(携帯電話・PHS・プッシュ回線から)をセーブさせた。

 清滝駅から高尾山駅までケーブルカーを使い、そこから山頂まで徒歩での登山コース……と現地で決めた。

 道のほとんどは稜線上にあり、高尾山独特の景色を堪能。
 空は快晴の上に気温はベストのまさに登山日和。嬉しい。駐車場の混み具合で分かってはいたが来場客の数もそこそこで、しかしその人数もほどよい賑わいを思わせるもので、今日の日はホントについていた1日だったように思う。

 行きの冒頭のみ、やや歩かないそぶりを見せたRちゃんだったが、神社での賽銭とか、小銭をわき水で洗う等のアトラクション(?)などで徐々にやる気を見せ、結果全体の7割強は自力で登山、下山してくれたことに安堵した。
 昨年訪れたFUJI ROCKの現地で、ほとんど歩かない彼女を抱えて数㎞の距離を移動したあのパターンだけは避けたいと願っていたが、本日の姫は天候同様素晴らしかった。
 時折休憩したベンチで、塩せんべいをボリボリむさぼり喰らい、真剣な目線は遠くに向けられ、たすき掛けの水筒を自らゴクゴクとやるその姿を見て笑いが出た。
 「どうしてわらうの!?」とやや不満な表情で父を睨む我が子。滑稽だから笑っているんじゃないんだよ、あなたの成長に笑みが出たのだよ。高尾山、来てよかった。

 いくつかの神社を経由し、やがて山頂に到着。
 写真と言えばほとんどがRちゃん単体か、ママとRちゃんの2人ショットばかり。富士山の位置を確認したりしながら、ここで初めて3人で記念撮影。
 写真はトータル123枚。登山の道中、延々としゃべり続けながら元気に歩いたRちゃんの記録は正味30分程度の動画にも収めた。睡眠5時間でなかなか踏ん張れた父。

 下山し、帰途の道中はRちゃん突然の「しっしタイム」以外はスムーズなもの。
 笑顔のRちゃんが語り出す。「Rちゃんね、ちゃーんとずーっとじぶんであるいたから、おもちゃごほうびにかってね! 2コだからね!」っと、帰宅直後に食玩おもちゃを2個買うことが契約成立させられていた。
 
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2011年 03月 13日

東日本大震災:マグニチュード9.0に修正

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 夜通し逐一テレビ中継を確認しながら寝た。早朝8時には姫共々起床。
 日本中が混沌とするこの時期に一人厄介な花粉症の症状か目のコンディションが信じられない程最悪。この長き酷さは初めて。
 入浴時に充分洗浄し、定期的に病院の点眼薬で安定を謀るが改善の兆しなし。

 ガラスの扉で外に漏れなかった台所の食器類は中で割れていた程度。
 気づかなかった落下物を部屋ごとに確認して大掃除の状態に。
 マンション1F渡り廊下部分の床が砕けた箇所あり。
 「これまで発生した地震で、世界最大級だった」とは……。
 近所のスーパーの生成食品、特に肉、魚類は軒並み売り切れだったそう。
 
 気象庁による「16日午前までにM7.0以上の余震が起きる確率が極めて高い」という予測に震撼。
 輪番停電の詳細知りたし。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103130145.html

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2011年 03月 12日

地震の名残

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 帰宅は午前4時。JRがかたくなに不通故、都営新宿線と西武新宿線によって帰途につく。
 深夜にも関わらず運行してくれた電車のアクセスは平常並で、乗客も日常の昼間程度の混みようで混乱もなし。
 ちなみにタクシーはいっさい機能せず空車もなし。昼間に千葉より都内へ向かい、深夜帰社したスタッフは10時間かけて会社へ辿り着いたと言った。

 下車して近くのコンビニへ。家族に頼まれたパン、飲み物類を調達。弁当おにぎり類は陳列棚に一つも残ってなし。

 帰宅したら、本棚、CD棚が散々な散らかりよう。
 ただ、割れたものはCDケース程度で、部屋の真ん中に布団を敷いていたのがよいクッションになってくれたようだ。
 いつも寝ているお腹辺りのスペースに、エフェクター類を詰め込んだ大きな箱が直撃しており、寝てたならば充分死んでた勢い。

 しばし頭上に何もないリビングのソファで寝るつもり。
 横なったが結局寝られないまま昼が来た。本日予定していた、ギター鬼畜:家康兄宅でのセッションは地震の影響で当然延期に。
 1週間前に届いていた「果たし状」(課題曲)の半分ぐらいは頭で理解したつもりで、ちょんちょんっとやっつける意欲満々だったのだが(ウソ)次回の持ち越しとなった。
 
 昨日はRちゃんも初めての体験でさぞ恐怖したことだったろう。そんな時に近くにいないと無力なものだ。
 夕べ編集部の多くのスタッフも「ここまで大きいのは生まれて初めて」と語っていたが、報道にあった通り「国内の観測史上最大の8.8」であるから当たり前なのであった。
 東京も揺れに揺れた。
 
 思い起こせば、えびの地震のあった昭和43年はおいらが3歳ちょっとの頃で、記憶という記憶は曖昧だが、当時現地にいた米澤家はその被害に見舞われた。

 両親の語り伝えで、まるで光景を見たような錯覚に陥るような映像が時折想像される。
 車中で過ごしたのは2日だったとか? 親父がおいらと姉で次女の2人を両脇に抱え、揺れと共に外へ飛び出したという我が家の定番エピソードを思い出した。
 えびの地震では建物の倒壊も凄まじく、シラス崩壊による被害が多かったのだという。震度6を観測した。
 
 いつもより何度もRちゃんを抱きしめた。九州育ちで地震には慣れているのが自分の感覚だが、今回は「ついに来たか!?」と焦った。
 九州を始めとした温かき面々よりメールと電話で安否確認の連絡を沢山賜り恐縮&感謝。ちょっとだけ泣いたそうなRちゃんでしたが、大丈夫です。

投稿者 yonezawa : 11:14 | トラックバック(0)