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2019年 10月 8日

プルガトリオ

 東京芸術劇場シアターウエスト、草刈民代&髙嶋政宏 舞台『プルガトリオ-あなたと私のいる部屋-』鑑賞。
 髙嶋さんの舞台は実は初観劇だった。
 予備知識を一切入れないまま観劇したのは、本作が純粋に放つ機微を体感したかったのだ。個人的には劇作家アリエル・ドーフマンもニコラス・バーターも全く知らない作家だ。

 客電が落とされ、再び明かりが灯った際の舞台は退廃さを匂わせる精神病院のごとき病室。そこに横たわる女がひとり。
 格子窓からは病室の闇を照らす光が差し込まれている。1台のベッドとイスとテーブル、そして監視カメラが配置された隔離部屋がその物語の全光景だ。
 男と女2人の会話だけで進行する本作は2シーンが交互に描かれる。白衣を着た男が女を尋問し、逆に白衣を着た女が男を尋問するといった2シーン。2人の立場はシーンによって逆転している。
 カウンセリングのようにも聞こえる会話から、観客(私)は冷静に2人の関係性、それぞれがどのような人生を送り、何を後悔し、何を見つめているのか読み取るのだが、セリフを緻密に追えば追うほど物語の闇にどんどん埋没してしまい、肩すかしをくらうような感覚だ。
 舞台後、関連サイトを見ると、舞台の世界観は人の死後、魂の行き着く“煉獄”であることが記されているが、その男女のやりとりはカメラを通して何者かに監視されていることが分かってゆく。
 女の生前の罪とは何なのか? 生前の罪は悔い改められたのか? 男の生き様とは何だったのか? 
 序盤ではまだ抑え気味だった男女の感情がひとつのピークを迎えながら、ぶつかり合い、やがて消滅したかに映る。

 一体何なんだ、このエネルギーは! “煉獄にありながら、皮肉にも人の放つ大変な血気を魅せつけられたのだった。

 安易に“役者魂”という表現だけではなく、双方の役者がこれまで培ってきた経験と感覚、そして作品に賭けた決意が見事に結実した怪作だった。
 ヴァンヘイレンの完コピを目指して鍛錬を重ねた方がどれほど楽か。比喩として大げさではなく明確にそう感じていた。この2人の、演劇を睨む途方もないモチベーションとその機微を想像する度に、気が遠くなる思いがしたのだ。
 「PURGATORIO」ただただ、すさまじい……

 ギリシャ悲劇「王女メディア」すら知らない自分を少し卑下しつつ、見事な快演を魅せつけてくださったイアソン(髙嶋)さんが素敵だった。

投稿者 yonezawa : 2019年10月08日 19:35

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