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2011年 03月 31日

@shueisha.co.jp

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 本日をもって、およそ22年間あまりお世話になったヤングジャンプ編集部を離れることになった。
 関係者各位へお送りさせていただいたメールは、温かいメッセージとなって返信賜り、その普通の距離感に嬉しさがこみ上げた。
 22年という時間が経過する最中、幸運にも知り合う機会を得た多くの仕事仲間は、時に同士となり、戦友となり、隠し事の一つや二つを共有するぐらいの友ともなった。

 そして、なんといっても数多くの作家と出会えたことは、この業界にいてこその幸運と言えた。
 華々しいメディアの中でしかお目にかかれなかった多くの著名人の方々とも、たった一度の取材に始まり、まさかその日から何年もお付き合いすることになるとは。
 編集者とささやかなミュージシャン活動の中で得た、人と人との繋がりはまさに生涯の宝だ。
 20代前半で出版界に飛び込み、30代前半では書籍の出版が叶い、ロックバンドでは一応アルバム・デビューも経験した。その長き間、常に自分の隣にあった最たる核こそが【週刊ヤングジャンプ】という媒体だった。

 雑誌が創刊されたのはおいらが中学生の頃。創刊1号から3号目までを大分県の書店で購入した記憶がある。
 装丁の雰囲気が当時の感覚だと「大人の雑誌」風だったので、買う際レジのおばちゃんに「この本は大人が読む本なんやけどねぇ」と釘を刺された。そして4号目以降を買う勇気は断たれた。
 その雑誌の編集部に自分が所属したことは奇遇であり、成人してからの青春時代というものがあるならば、その時間の全てをこの雑誌につぎ込んだと言っていい。

 1989年1月、神保町は猿楽町の第四編集部に所属され、最初に手がけた雑誌が月刊ベアーズクラブ《BEARSCLUB》1989年3月号(通巻10号)。
 執筆陣には、日野日出志、猿渡哲也、中島史雄、柳澤一明、船戸与一、はた万次郎、金井たつお、矢也昌久など。
 そこでおいらが最初に入稿した漫画原稿が【志水三喜郎・画、針木康雄・監修「HONDA WAY 本田宗一郎青春伝(前編)」P100】だったと記憶する。

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 「当時20代前半だった小僧も、あっと言う間に40代半ばの中年になってしまいました。ヤンジャン編集部在籍中は、いつも温かいご支援とご指導、手厚いご協力を賜りまして誠にありがとうございました。 新たな環境におきましても、これまで以上、良質なカルチャーの啓蒙に全力を尽くす所存です。みなさまとの再会の機会を楽しみにしています。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。」

※尚、これまで使用しておりました編集部の米澤アドレス
youngjump_yonezawa@shueisha.co.jp  は本日をもって不通になります。

投稿者 yonezawa : 2011年03月31日 22:46

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