2011年 03月 31日
@shueisha.co.jp
本日をもって、およそ22年間あまりお世話になったヤングジャンプ編集部を離れることになった。
関係者各位へお送りさせていただいたメールは、温かいメッセージとなって返信賜り、その普通の距離感に嬉しさがこみ上げた。
22年という時間が経過する最中、幸運にも知り合う機会を得た多くの仕事仲間は、時に同士となり、戦友となり、隠し事の一つや二つを共有するぐらいの友ともなった。
そして、なんといっても数多くの作家と出会えたことは、この業界にいてこその幸運と言えた。
華々しいメディアの中でしかお目にかかれなかった多くの著名人の方々とも、たった一度の取材に始まり、まさかその日から何年もお付き合いすることになるとは。
編集者とささやかなミュージシャン活動の中で得た、人と人との繋がりはまさに生涯の宝だ。
20代前半で出版界に飛び込み、30代前半では書籍の出版が叶い、ロックバンドでは一応アルバム・デビューも経験した。その長き間、常に自分の隣にあった最たる核こそが【週刊ヤングジャンプ】という媒体だった。
雑誌が創刊されたのはおいらが中学生の頃。創刊1号から3号目までを大分県の書店で購入した記憶がある。
装丁の雰囲気が当時の感覚だと「大人の雑誌」風だったので、買う際レジのおばちゃんに「この本は大人が読む本なんやけどねぇ」と釘を刺された。そして4号目以降を買う勇気は断たれた。
その雑誌の編集部に自分が所属したことは奇遇であり、成人してからの青春時代というものがあるならば、その時間の全てをこの雑誌につぎ込んだと言っていい。
1989年1月、神保町は猿楽町の第四編集部に所属され、最初に手がけた雑誌が月刊ベアーズクラブ《BEARSCLUB》1989年3月号(通巻10号)。
執筆陣には、日野日出志、猿渡哲也、中島史雄、柳澤一明、船戸与一、はた万次郎、金井たつお、矢也昌久など。
そこでおいらが最初に入稿した漫画原稿が【志水三喜郎・画、針木康雄・監修「HONDA WAY 本田宗一郎青春伝(前編)」P100】だったと記憶する。
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「当時20代前半だった小僧も、あっと言う間に40代半ばの中年になってしまいました。ヤンジャン編集部在籍中は、いつも温かいご支援とご指導、手厚いご協力を賜りまして誠にありがとうございました。 新たな環境におきましても、これまで以上、良質なカルチャーの啓蒙に全力を尽くす所存です。みなさまとの再会の機会を楽しみにしています。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。」
※尚、これまで使用しておりました編集部の米澤アドレス
youngjump_yonezawa@shueisha.co.jp は本日をもって不通になります。
投稿者 yonezawa : 22:46 | トラックバック(0)
2011年 03月 30日
9割方終了・HAPPY BIRTHDAY
デスク周りの整頓をそろそろ9割方終えた。
地震のあった瞬間の3/11午後には、椅子に座ってられないぐらいに揺れを感じたのに、微妙にズレる程度でそこまで大胆に動かなかったのは、おいらのデスク上の文房具やら資料やら単行本。
あれ程の揺れを感じたのはビルの5Fということやら、ビルの構造ということやら、揺れの方向など様々な条件が導いた結果であったと思うが、行きつけのバーや居酒屋などで、普通に陳列していた酒が全然こぼれ落ちなかったという話をかなりの店で聞いた。
地震以降交わされている会話のほとんどが、今後の仮説の話ばかり。論客が街に溢れかえっている。
しかし専門の学者だけは、調べ尽くした末の真実を語ってほしいもの。
地上波とネットの情報に関する温度差は甚だしい。
たまたま吉祥寺で某広告の撮影を行っていたというカメラマンHからの誘いで、時間のずれた昼食を共にした。
単行本の箔版の校正刷りを確認し、さらにデスク周りの整頓中の夜、ほろ酔いデザイナーMちゃんご帰還。
「じゃ、いきますか!」の合図と共に新宿へ。Mちゃんはデザイナーでありながら正確な編集者目線も有しているクレバーな常識人。
BGMで流れるDON ROSSの旋律の美しさが、おかわりをほろほろ促す。
そしてTHE MODS:森山達也さん、HAPPY BIRTHDAY。
投稿者 yonezawa : 22:45 | トラックバック(0)
2011年 03月 29日
江口寿史兄、55歳
Rちゃんのいないリビングが閑散。
鰺を塩焼きにしてキャベツを刻み、トマトを切って、豆腐と卵とタマネギで味噌汁をこさえ、一人リビングで食事を摂る。
そろそろ街も人が帰ってきたような印象。自粛ムードで外食すら発想しなかったこれまでが、徐々に回復してゆく感じ。
しかし20時前後、また余震が。夜、谷口ジローさんと編集者の集いに参加。先生、連載絶好調。〜痛飲。
そして江口寿史兄、55歳の誕生日おめでとうございます。
投稿者 yonezawa : 22:43 | トラックバック(0)
2011年 03月 28日
明日から1人
午前中、Rちゃんが元気に部屋へやってきた。
調子の悪かった体調も1日で回復してくれた。安堵。
丸1日、水分だけしか摂らなかった昨日が嘘のようだ。
半年に1度くらいの頻度だろうか。夜、S社:S、Y、遅れてRのメンツで久々の親睦会。ひろ喜、クラウディア、STOPと経由しながら夜が更けた。
明日から1人残され、数日を過ごすことに。
投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)
2011年 03月 27日
病院
午前中、Rちゃんが嘔吐。
慌ててリビングのカーペット類、衣類を交換し、安静に。
しっかり発熱しているようで、症状からすれば感染性胃腸炎の感じなんだが、ともあれ午後から救急病院へ行くことに。
水分だけは補給させるが、何も食べたくないというRちゃんなので、やむなくそのまま連れてゆくことに。
練馬の病院には初めて。こちらは子供だけの往診のようなので、こうした曜日の時間帯に待たされる時間は、日赤の比ではなかった。つまり診察時間までが早かった。
座薬を処方してもらい、医師のアドバイスを確認して帰途に。
途中、ポカリスエットなどを買っておこうと酒屋へ寄ったらば、水とお茶類のペットボトルは1人4Lまで、という購入制限があり、水自体は1本しか買えなかった。
帰宅後も、Rちゃん嘔吐。こんなことは初めて。噂のノロウイルスなのか。夕べは寒かったからなぁ。明日はかかりつけの病院に午前中から連れて行く予定。
夕方から夜にかけてずーっと彼女を膝に乗せたまま、アニメーション観戦。
こんなに大人しいRちゃんは初めてだ。
「あしたはおやすみなの?」
「おったん、となりにねるんだからね」
「あさ、いっしょにおきようね」
心細くなったと思しき彼女の言葉が、芳しくない体調を物語っていた。
しかし、高校野球の選手宣誓の凛々しいこと。
投稿者 yonezawa : 22:41 | トラックバック(0)
2011年 03月 26日
宴
えらく寒い1日だ。
後ろのタイヤに何度空気を入れても、翌日には空気の抜けてしまうRちゃんの赤い自転車はパンクかと思い、近所の青空自転車修理屋さんまで持って行った。
自転車を預け、買い物を済ませて戻ったところ、パンクではなく必要な器具が外れていたとのこと。修理費400円。
近くの公園でブランコ&鬼ごっこを経て帰宅。しかししみじみと寒い日。Rちゃん、大丈夫か?
夕方、作ってもらった唐揚げ、ポテトサラダ、激美味芋焼酎:明月などを持参し、bambi打ち上げの場へ。
ライヴ当日の打ち上げは、ご来場のみなさまとの会話を優先して楽しむことが慣例となっており、歴史的においらもバンド・メンバーでの打ち上げ、という状況にはなかなかならなかったものだ。
bambiにしても同様でそうした流れも踏まえ、打ち上げは事前に予定され今日を迎えた。
しかしこの時期、居酒屋類は計画停電やらの影響もあってか営業時間がえらく短縮されている様子。すると「ならばココを使ってよろしい!」と、太っ腹の提案を賜り、その主:bass:yoyo&𠮷紋兄が宴の場を提供してくださることに。なんと有り難い。
かくして全員の手弁当で宴開催の運びに。
銀座のあるワインバーではメニューのいくつかに印がついており、その品(ワインもフードも)の価格のうち200円分を日本赤十字社に義援金として寄付するというシステムを取っていた。
この時期、アルコールを口にすること自体に罪悪感を感じる方がいるようで、ならば「アルコールを飲むことによって寄付している」というシステムにすれば抵抗感も減るのではないか、という店主のアイディアでそうしたらしい。
その品を注文した方は署名し、その署名の一覧をお店のオフィシャル・サイトにそのまま載せるそうだ。
午後6時前後、いい年したbambi&関係者がわらわら集う。まるで高校生の集いのよう。
𠮷紋兄が用意してくださったギターの美しくてコンディションのよいことといったらなかった。さすが音楽職人。
おいらは座布団に座った端からMartinを手放さない。大先生の手にしたイバニーズ?の関連ブランド?の物件も素晴らしい。
唐揚げもポテトフライも、芋焼酎:明月も白ワインもちらし寿司もおにぎりも、ずこんずこん胃袋に消えてゆく。ギターは延々弾いている。
頃合いをみて、おいらは初めて観た先日のライヴ映像観戦。全員モニターに釘付け。
映像を手がけてくださった𠮷紋兄の一見無造作なアングル、切り取り方に、各々ピリっとくるクールなセンスを感じていた。
「音楽が好き」「楽器が好き」「演奏が好き」そうした共通認識で集う利害関係のない(笑)身内メンツで、ホロホロ酔いながら、ホクホク弾きながら、ワラワラ語り合う瞬間の贅沢なことといったない。
気持ちよく大先生の新曲にあわせていたところ、隣でvo.haruが爆睡体制に。さすがフロント大物女子。こうでなくちゃ。
皆様方、今日もお疲れごくろうさんでした。yoyo&𠮷紋兄、ありがとうございました。
投稿者 yonezawa : 22:42 | トラックバック(0)
2011年 03月 25日
原発事故問題
印刷所から単行本出校のタイミングを見計らい編集部へ。
夕飯はT氏がご馳走してくれると言うので喜んでお供した。
ここ数日、原発事故問題で様々な人たちと議論する機会を得ているが、それぞれ持っている情報、感覚を知るのもひとつの発見だ。
ともあれ、原発開発が行われるまでは地球には存在しなかった放射性物質=ヨウ素だけは絶対に身体に入れたくないもんだ。
今30倍の需要があるというミネラルウォーター不足問題もまだまだ収まらない。
夕飯に飛び込んだワインを出す店では『ミネラルウォーター』を注文したら「(ペットボトルの)『緑茶』」でも構いませんか?」と問われ、了解し、それが出てきた。
ボルヴィックも船便での輸送とのことで、急に量を増やせないのだと店主に聞いた。
原発事故問題から電力問題から水問題、避難者受け入れ問題、被災地のインフラ問題……山積する問題のうち、人災が誘発した大事件のたちの悪さが無念でならない。
投稿者 yonezawa : 22:40 | トラックバック(0)
2011年 03月 24日
取材の歴史
昨年のうちに写真家:熊谷貫が事務所を引っ越したと聞いた。
ふいにもらった彼からの連絡で、今夜、西麻布の新事務所を初めて訪れることに。
貫との歴史もいろいろあった。
まだ世界戦を行っていた頃のラスベガスでのボクサー辰吉丈一郎選手取材は、貫にとっての最初のヤンジャン海外取材だった。
『Kids Return』での北野武監督取材は2人にとっての大きなターニングポイントとなった。
世界戦に挑戦する以前と以降のボクサー畑山隆則選手の長期取材では、マニラでのキャンプにまで自腹で同行したこともあった。
ともかく、ここ十数年に渡り様々な局面で現場を共にしてきた。
事務所で紅茶をいただきつつ、話題は地震、被災地、原発,政府、東電の話。
昨日、ある作家も語っておられたが、この災害を乗り越えた先には本当に必要な作家だけが生き残り、多くが淘汰されるだろう……といった意味合いの話をここでも語り合った。
写真家しかり、雑誌本体しかり、本当に必要とされれる媒体、カルチャーだけが生き残ってゆくと思われる。
映画も漫画も小説も写真も、生きるためには最優先されるものではない。当事者の心境の根底には,正直戦々恐々といった意識を強く認識させられた。
今回の事件が世界的にどのように見られているのか、海外の友人から届くメールで、逆にその重さを感じとっているこの頃。
実際、汚染国となってしまった日本。今後、相当頑張らねばと個人個人の意識にも渇を入れ、完全復興のスピードを願うばかり。一歩ずつ乗り越えなければならない。
投稿者 yonezawa : 22:39 | トラックバック(0)
2011年 03月 23日
ミネラルウォーター
朝また揺れた。感覚としても結構大きめ。そして原発が誘発した問題は次にまさかの水だった。
マスコミが発表する放射線の数字も「ここまではOK」とか「乳児は危ないけど大人には問題ない数値」だとか言うけれど、例え害が低かろうとも口に入れるモノとなればやはり抵抗あるのが人情だ。
しかしここまで放射性物質の情報を得るためにインターネットを活用したことはかつてなかった。
それこそミルクを飲ませなければならない親御さんの苦労はさぞ大変だろう。母乳を嫌がり、粉ミルクしか飲まない乳児もいるので深刻な問題だ。
幼児にしたら食料のすべてが食べられなくなったわけだから。
瞬時に街から水のペットボトルが姿を消した。
近くのスーパーは当たり前。コンビニでも自販機でも水だけは見つけられない。地方の身内が送ってくれるという配慮があったが、福岡でも1人3本限定での販売だったそうだ。
こうした物資の異常な品切れ具合ったらどうだ。こうなれば、米の洗浄はよいが炊く際はミネラルウォーターを使え、とか、本来は具体的に知りたいが、政府発表も正直たどたどしくしか聴こえず信憑性を疑ってしまう。
我が家でも朝食のご飯は、最後のとぎ汁からミネラルウォーターを使って米を洗い、炊き、野菜にしても最後の仕上げはミネラルウォーターで洗ったそうだ。
これは正直やってられない。策を考えるべし。
「使用済み核燃料の放射能のレベルが下がるまで100万年管理する必要があるそうだ」と、ツイートしながら気が遠くなって来た想田監督が嘆く。100万年だよ、100万年!
投稿者 yonezawa : 22:39 | トラックバック(0)
帝国ホテル
早朝連続の揺れには警戒させられた。もう余震への構えが定着してきた感じ。
正午過ぎ、帝国ホテル・ロビーで待ち合わせた作家Bさんと珍しくランチ。
この2週間、本格的に飲むという約束は全部延期されてしまったので、作家と語りながら割とゆっくり飯を喰うのは久々な感覚。
お会いした瞬間から、話題は当然大地震のこと。当日何をしていたかを伺った。
昼間、こんな高級ホテルでランチを食べる方とはどういう職業の方なんだろう。いつもそうした疑問が頭を過ぎるが、かくいう自分も同じ疑問を大いにもたれているのだろう。
チキンカレーが結構ボリュームあってお腹いっぱい。
Bさんを見送り、帰社後、せっせと校了作業。今日で校了のすべてを終える。
夜は引き続き、せっせと単行本の入稿。昨日に続いて夕飯は出前の弁当。明日も揺れるんだろうか。
投稿者 yonezawa : 22:38 | トラックバック(0)
2011年 03月 22日
21世紀毒談特別編
入稿原稿が夕方届くまで、フォントの指定とコミックス入稿の段取り。その狭間をぬって編集部デスクまわりの整理整頓。キャビネットも空にし着々と身辺整理の段取り。
軽い余震はまだ続いており、相変わらず揺れているのかそうでないのか分からない瞬間が多々ある。
夕べ、サブに置いた自宅PCのMacMINIのメールを整理していたところ、送信トレイにも受信トレイにもメールが残っておらぬよう削除し尽くした。すると突然勝手にシャットダウンしてしまった。「は?」と思いながら改めて立ち上げると、「アカウントから設定しろ」と指定されてしまった。
PCの難は永遠に続く。
ビートたけしのコラム〜週刊ポスト「21世紀毒談特別編」から抜粋したテキストを発見。たけしさんの切り口、あっぱれ。
http://naokitree.blog33.fc2.com/?mode=m&no=129
投稿者 yonezawa : 22:37 | トラックバック(0)
2011年 03月 21日
相田監督ブログより
相田監督ブログより転載。
http://documentary-campaign.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html
Sunday, March 20, 2011
この難局を生き抜くために
専門家の意見を聞け、門外漢は黙ってろ、という言説に違和感を覚える。「どんな地震が来ても原発は安全だ」という専門家のお墨付きを信じてしまったからこそ、今日の原発災害があることを忘れてはならない。この期に及んで専門家に自らや家族や国の命運を預けてはならない。
そもそも、専門家の間で意見が割れる事柄は多い。特に原発や放射能の問題は賠償問題もあるから政治が絡む。だからバイアスや誇張や嘘が混じりやすい。その道の専門家だからといって、100%信用する方がどうかしている。
だから結局問題は、どの専門家のどういう説を信頼するか、ということになる。これは、われわれ非専門家にとっては難しい。専門知識がないから判断の術がない。では、どうするのか。
難しいけれども、まずは説そのものが納得いくものかどうか吟味することが必要だ。そして対立する説があれば比較する。また、その専門家の政治的立場や人的つながり、経歴などを調べ、どんなバイアスがかかり易いか考える。あとはその人の人柄を直観する。難しいけれども。
でも、非専門家にとっての究極の目標は、その説が正しいかどうかを判定することではなく、生き延びることだ。サバイバルできるなら、説の成否はどうでもよい。だから、何を信じれば自分や大切な人やその他の人々が生き残りやすいか。それを究極の基準にすればよいと思う。
いずれにせよ、エネルギーにしろ、医療にしろ、政治にしろ、教育にしろ、僕らは専門家任せの社会を作ってしまった。社会が複雑化したせいもあり、自分で考え判断するのは難しいし面倒だから、みんな専門家に丸投げしてしまっている。この機会に、その態度こそを改めなければならないと思う。
専門家に丸投げすることによって眠らせていた各人の生存本能を、今こそ起動せよと言いたい。
投稿者 yonezawa : 22:37 | トラックバック(0)
2011年 03月 20日
大問題
早朝起床。そして原発事故のニュースを見る。
ここ1週間以上こうした毎日なので、体調…というか神経の感覚がなんだかおかしい感じ。
夕べ放映されたTBS系情報番組「情報7days ニュースキャスター」でのビートたけし快心のコメントに力が入った。
「日本人はいつからこんなにマヌケで、せこくなったのか。死体から何かとったり空き巣に入ったりさ、ああいうのは撃ち殺していい」と言ってくれた。
被災地で泥棒している奴がいる報道は知らなかったが、そんな極悪非道なことがあったのかと呆れを通り越して怒りを感じ「撃ち殺していい」という表現に強く共感。
報道を追えば、「壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、被災地に残された住宅や車の中から現金や貴金属が盗まれる被害が出ている」とある。
日本は戦後最大の苦難に見舞われ、戦後最大の問題を抱えた。
投稿者 yonezawa : 22:19 | トラックバック(0)
2011年 03月 19日
効く兆しがない
3種類ぐらいだったか、ACジャパンのCMがあまりに交互に頻発されるので驚く。ちょっと異常な頻度。
花粉症の娘と交互に鼻をかむ。
彼女はまだ上手に鼻をかめないので、時折綿棒できれいにする。
至って普通の休日の時間が過ぎるが時折の余震はまだ変わらない。頻度は減ったが、まだ緊張感は途切れさせない。連日、被災地域を写すニュースがいたたまれない。
地震の災害から、津波によって新たな大問題を生み出した福島原発事故のニュースからは目が離せない。子供だけは守られねばならない。関東圏の人が、関西だ九州だに避難したという情報が入る。
一応休日なので、何かの映画でも音楽でも視聴すればよいものの、原発のタイムリーな情報を得たいがためにパソコンとテレビから目が離せない。よってRちゃんとの共同ゲームの操作に気合いが入らない。気が入ってないのでRちゃんが怒る。とたんに「おったんったらぁ〜」とツッコミが来る。
病院で処方してもらった花粉症の薬が全然効く兆しをみせない。
しかしながら、昨日わずか1分以内で診察を終えた医者が言った「ちょっと眠くなりますけど…」と枕の後に処方された薬の眠気たるや半端ではない。
飯食って服用して、わずが20分程度で鬼のような睡魔に襲われた。
満腹故か、もう眠くて眠くてたまらない。この眠気には勝てずにソファで朦朧としていると、Rちゃんが不思議な眼で見ていた。
たまらず30分横になった。そんな案配でなんだか力が入らず、とりたてて何もする気が起きないまま少しばかりの雑務に着するが、Rちゃんの要請通り布団に潜り込み、彼女を寝かせながら自分も知らぬうちにブラック・アウト。
投稿者 yonezawa : 22:18 | トラックバック(0)
2011年 03月 18日
また揺れる
地面がまた揺れる。空気の読めん自然現象は終熄の刻が分からない。
バラバラの意見を提唱する評論家、専門家の何が正しいのか分からない。
東電の情報は政府にすら遅れて届くそうだ。海外メディアと日本のメディアが報道する内容に温度差があるのは何なんだ。
内部被ばくを懸念する学者がいるのだから、国はその方面の専門家を集結させて、本当の安全を指し示してほしい。子供たちのために。
細胞分裂している時点が被害を受けやすい。だから大人より子供。子供より胎児という順序で被害を受けることになる。飛行機に乗るときには誰でも宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線(宇宙線)を浴びるが、内側から受けるのと比べると遙かに小さい値で済む。しかし、身体の内側からうたれるということが遙かにまずい。
生物の中に入りこんだ場合、放射線は濃縮する。つまりどんどん肥大し、信じがたき数値に増幅されると聞いた(田中優氏の解説で確認)。
政府は「ただちに健康に影響の出るレベルではない」と繰り返し連呼するが、仮に10年後に、とある子供が白血病になっても「あのときの放射能漏れが原因」だと考える者も少なかろうし、立証することも確実に無理だろう。
政府にも、事故の当事者にあたる東電にもこんなに不信感が募ることになろうとは。
http://www.ustream.tv/recorded/13373990#utm_campaign=mixi.jp&utm_source=13373990&utm_medium=social
投稿者 yonezawa : 22:17 | トラックバック(0)
2011年 03月 17日
揺れないのに
揺れないのに「今揺れてない?」と言うスタッフがいた。
連日の余震で、確かにそう感じる場合が多くなった。
余震のトラウマだ。
微妙に揺れているのかそうでないのか分からない感覚にみまわれるのだ。
風がものすごく冷たい。えらく寒い日だった。
マスクの人々、すごく多い。鼻もひどい有様だわ、目の充血が終わらない。
今回は特に目がしゃれにならない。
計画停電、くるのか? こないのか?
投稿者 yonezawa : 20:31 | トラックバック(0)
2011年 03月 16日
祝!九州 九州新幹線全線開CM180秒
投稿者 yonezawa : 20:31 | トラックバック(0)
2011年 03月 15日
浜岡原子力発電所
あまり寝られないままグズグズの鼻づまりで早朝気象。テレビとパソコンを点け、自分なりの情報収集。
津波被害の後、福島原発の問題で人的影響が大いに懸念されている。
昼前、何度か中断しながらもインターネットで原子力資料情報室の「元原子炉格納容器設計者」後藤政志氏のUst会見視聴。
そこで語られた内容は、同時刻にNHKなどで報道していたものとは違い、切実に深刻な事態を知らせる驚愕ものだった。
「格納容器にすでに穴があいている様子なので、スリーマイル島原子力発電所事故(1979年、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州:スリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故)よりはすでに深刻で、既にスリーマイルの時とは桁違いの事故になっている。むしろこれがどこまで広がるかが問題」「このまま事態が深刻化して大規模な水蒸気爆発や再臨界が起きると、チェルノブイリに近づく」
こうしたおおむねの内容に愕然。
TBS newによれば「政府は、原子力安全・保安院の職員らを福島第1原発からおよそ5キロのところにある『オフサイトセンター』で待機させていましたが、15日午前、第1原発からおよそ50キロ離れた郡山市まで退避させました。これは北澤防衛大臣が明らかにしたもので、政府は、第1原発周辺での作業にあたるため現地からおよそ5キロの『オフサイトセンター』に原子力安全・保安院の職員と自衛隊員らを待機させていましたが、当面、作業の実施が難しい状況となりました。このため、第1原発から20キロ以内の住民に対し、避難するよう指示を出している中、保安院の職員らの安全にも配慮し、退避させたものです。」
っとあったが、住民には20kmの退避勧告を出し、(細かい事情を知るところではないが)彼らは50km離れた……という意味への説明がないことに大いなる違和感。
「結局20kmや30kmじゃ危ないんじゃないか!?」と疑ってしまいそうだ。
「原発はどんな地震が来ても安全」と政府と電力会社は半世紀も言い続けて推進し続けてきた結果、地震にも津波にも弱かった。
そして0時45分頃、静岡県東部で震度6強の地震が。東京も揺れた。
NHKのニュースでは「中部電力浜岡原発 異常なし」と謳うが、「浜岡原発2号は東海地震に耐えられない」と、設計者の谷口雅春氏が明確に書き記している。
ここに書かれた論文を読めば読むほど恐ろしくなってきてしょうがない。
http://diamond.jp/articles/-/11514
http://www.mynewsjapan.com/reports/249
何を最も優先すべきなのか。
間違いなく汚染国として世界から監視される運命となる日本が今後選ぶ道は、原発の完全撤廃であるべきと素人ながら確信を抱く。
生活が大幅に不便になることで、これ以降の放射能汚染(被爆して死ぬこと)を回避できるなら誰も文句はなかろうと。莫大な利権絡みの人たち以外は。
地震の被災者への救済のために、都合1年間の消費税アップ…というアイディア(by大前研一氏)に対しても。
スリーマイル以降のアメリカがそうであったように、日本では原子炉は作れなくなる。つまり、今後はもう日本の原発は海外には売れないということ。
おいらも「福島原子力発電所の事故を受けて、浜岡原子力発電所の運転の再考を願う」に取り急ぎ1票。
http://www.geocities.jp/plumfield995/
投稿者 yonezawa : 20:30 | トラックバック(0)
2011年 03月 14日
計画停電
この混沌で仕事、うまく機能するのか。
出版物に関しては確実にかなりの地域への配本に支障をきたすだろうし、どの程度の打撃となるのかちょっと想像しにくい。
東京電力の計画停電に備え、使えなくなる時間帯の火元を想定し、黙々とその準備を施したところだったが、結局停電は見送られた。
情報の錯綜に翻弄される国民だが止まらなかったのでよし。「止まる可能性がある。しかし電力供給が間に合えば止めません。3時間程度のことなので準備だけはしておいてね」と言うことなら肩すかしでも構わない。
ただその予定時間の正確な情報は早く出してほしいところ。
たった3時間程度の停電を巡り、かつ今後の見通しの不安定なことからか都内の物資不足もものすごいこととなっているよう。今後の余震も含め、何が起きるか分からないことを想定して今夜も普段着で就寝。子供がいるとこうした意識が高まるものだと考えた。
「おったん、Rちゃんのとなりで、ねんねしてね」…Rちゃんが滅多に言わない発言。
鼻づまりな父に似て、同じぐらい鼻づまりの息苦しそうな寝息を間近に聞きながら彼女に添い寝。
地震終息の日はいつになるのか。
投稿者 yonezawa : 20:29 | トラックバック(0)
2011年 03月 13日
東日本大震災:マグニチュード9.0に修正
夜通し逐一テレビ中継を確認しながら寝た。早朝8時には姫共々起床。
日本中が混沌とするこの時期に一人厄介な花粉症の症状か目のコンディションが信じられない程最悪。この長き酷さは初めて。
入浴時に充分洗浄し、定期的に病院の点眼薬で安定を謀るが改善の兆しなし。
ガラスの扉で外に漏れなかった台所の食器類は中で割れていた程度。
気づかなかった落下物を部屋ごとに確認して大掃除の状態に。
マンション1F渡り廊下部分の床が砕けた箇所あり。
「これまで発生した地震で、世界最大級だった」とは……。
近所のスーパーの生成食品、特に肉、魚類は軒並み売り切れだったそう。
気象庁による「16日午前までにM7.0以上の余震が起きる確率が極めて高い」という予測に震撼。
輪番停電の詳細知りたし。
投稿者 yonezawa : 05:18 | トラックバック(0)
2011年 03月 12日
地震の名残
帰宅は午前4時。JRがかたくなに不通故、都営新宿線と西武新宿線によって帰途につく。
深夜にも関わらず運行してくれた電車のアクセスは平常並で、乗客も日常の昼間程度の混みようで混乱もなし。
ちなみにタクシーはいっさい機能せず空車もなし。昼間に千葉より都内へ向かい、深夜帰社したスタッフは10時間かけて会社へ辿り着いたと言った。
下車して近くのコンビニへ。家族に頼まれたパン、飲み物類を調達。弁当おにぎり類は陳列棚に一つも残ってなし。
帰宅したら、本棚、CD棚が散々な散らかりよう。
ただ、割れたものはCDケース程度で、部屋の真ん中に布団を敷いていたのがよいクッションになってくれたようだ。
いつも寝ているお腹辺りのスペースに、エフェクター類を詰め込んだ大きな箱が直撃しており、寝てたならば充分死んでた勢い。
しばし頭上に何もないリビングのソファで寝るつもり。
横なったが結局寝られないまま昼が来た。本日予定していた、ギター鬼畜:家康兄宅でのセッションは地震の影響で当然延期に。
1週間前に届いていた「果たし状」(課題曲)の半分ぐらいは頭で理解したつもりで、ちょんちょんっとやっつける意欲満々だったのだが(ウソ)次回の持ち越しとなった。
昨日はRちゃんも初めての体験でさぞ恐怖したことだったろう。そんな時に近くにいないと無力なものだ。
夕べ編集部の多くのスタッフも「ここまで大きいのは生まれて初めて」と語っていたが、報道にあった通り「国内の観測史上最大の8.8」であるから当たり前なのであった。
東京も揺れに揺れた。
思い起こせば、えびの地震のあった昭和43年はおいらが3歳ちょっとの頃で、記憶という記憶は曖昧だが、当時現地にいた米澤家はその被害に見舞われた。
両親の語り伝えで、まるで光景を見たような錯覚に陥るような映像が時折想像される。
車中で過ごしたのは2日だったとか? 親父がおいらと姉で次女の2人を両脇に抱え、揺れと共に外へ飛び出したという我が家の定番エピソードを思い出した。
えびの地震では建物の倒壊も凄まじく、シラス崩壊による被害が多かったのだという。震度6を観測した。
いつもより何度もRちゃんを抱きしめた。九州育ちで地震には慣れているのが自分の感覚だが、今回は「ついに来たか!?」と焦った。
九州を始めとした温かき面々よりメールと電話で安否確認の連絡を沢山賜り恐縮&感謝。ちょっとだけ泣いたそうなRちゃんでしたが、大丈夫です。
投稿者 yonezawa : 11:14 | トラックバック(0)
2011年 03月 11日
マグニチュード(M)は国内の観測史上最大の8.8
夕方、ビル(5F)がものすごく揺れました。
編集部の雑誌、書籍の陳列棚がめちゃくちゃになりました。
揺れた時、椅子に座ってたけれど振り落とされそうになりました。近所の鰻屋は瓦が全部落ちてしまったとか。
でもスタッフ全員無事です。
やっと固定電話で繋がった家族の安否も確認出来ましたが、自宅内は棚から散乱し、結構ぐちゃぐちゃとのことでした。
家族の次に、昨日買ったばかりのパソコンも心配です。
近場のスーパーも、食料品も扱っているドラッグストアも閉店したそうです。
こちらは編集部で入稿作業をしながら待機中。しかし足がないので現状、帰宅の見通しはありません。
携帯自体、強制読み込みしないとメールを受信しないようで、先に転送されてきたパソコンで、各位よりいただいたメールに気づきました。
しかし驚きました。
コンビニも食べ物売り切れだそうで、電車はもちろん車も機能停止。
完全に足止めを喰らったまま、先ほどカップ麺をすすりました。
投稿者 yonezawa : 01:33 | トラックバック(0)
2011年 03月 10日
iMac
デザイナーMちゃんに相談しつつ、思い切った。
思いきって新調した。iMac。
あと1年程度でそういう時期も来るだろうと判断し、決意。
Rちゃんとバスに乗って専門ショップへ赴き、ものの10数分で買った。
そしてまた環境構築。
投稿者 yonezawa : 02:05 | トラックバック(0)
2011年 03月 9日
痒い
痒い。目が痒い。慢性の鼻づまりで不快指数は鬼。
数十分おきの点眼で目薬に頼り痒み軽減に努めるが、慢性故ほとんど効果なし。
確定申告、昨年はpdfのダウンロード用紙提出という形で解決したのに、今年はMacの場合、バージョン4は無視され、5以上の環境でないと書類作成できないと書かれてある。
なんて理不尽な…。
かくなる上はアナログの紙をとりにいくか、ダウンロードするか、確定申告のためにバージョンをあげる費用を使うか、パソコン自体を買い直さねば解決しない。昨年、パソコン上で記載した経緯もあるので、今更アナログの記載がかなり億劫というのが正直な心情。
もっと古い環境のパソコンを使っているユーザーもきっと大勢いるだろうに。
編集T氏、デザイナーYさんと初メンツで飯。
投稿者 yonezawa : 01:34 | トラックバック(0)
2011年 03月 8日
ジェフ・ベック信者
見たくもない者が出てきた悪夢のせいか、午前の早い時間に起こされた。
昼間、某編集部某氏とのミーティングで、氏が恐ろしい程のロック通で当たり前のようにジェフ・ベック信者でもあることが発覚し、驚き、喜んだ。
ここまでギターを語れる編集者は近場の編集部にもいない印象だ。この22年の間。
妄想が形になる──。
世の傑作創作物は往々にしてそうして結実してきた(と思う)。
昼間の編集部なので、さすがに飲酒なわけではないが、(くだらない戯言が9割だとしても)酒を飲んで語り合う雑談も、いかに重要であるかを再認識する瞬間でもあった。
『俺のロック・ステディ/花村満月』をこれから拝読する。
最近入手した書籍『超思考/北野武』の中身がともかく的を射ており、理屈抜きに素晴らしすぎる。読者に対して注釈として促す文面もあるが、そんな心配はおいらには不用で、ここには乱暴な言葉など皆無。
この崇高なる書籍をもって日本中を啓蒙したい気分。
昨年、ゴールデン街で知り合い、約束の酒が果てしなく延び延びになり、今日ようやく実現の運びに。まるで芸術家のようなTさんとの空間が貴重で嬉しい。
「酒が好きでお金がかかってしまう」と無邪気に笑ったTさんの笑顔は、名前同様にツボだった。
ちゃんこからシンク経由でSTOP。パーフェクトな一時。
投稿者 yonezawa : 01:33 | トラックバック(0)
2011年 03月 7日
MIXI
午前、起きがけに外を見ると雪が斜めに降り注いでいる。
それなりに積もる勢いの雪。完全防寒の準備で外へ。
飲みだちで取材対象者で映画監督で最高学府の想田さんが、MIXIで上手いこと語ってたので、抜粋転写。
「筑紫哲也さんが癌で亡くなる直前に「日本という国は癌にかかっている。栄養分をみんな癌がとってしまって、必要なところに全然行き届かない」という趣旨のことを発言されていた。それを思い出し痛感する今日この頃。」
「僭越ながら先の筑紫さんの言葉に僕が付け加えるとすれば、『日本は癌にかかって死にかけているのに、水虫のことばかり気にして様々な塗り薬をとっかえひっかえ塗り続けてる』という感じかもしれない。」
投稿者 yonezawa : 01:32 | トラックバック(0)
2011年 03月 6日
白いブラウスに紺系統のスカート
今日も早起き。9時には身支度を終えていた。
「ルネこだいら」で行われるというヤマハの発表会を観にいくべく、地図を片手にポンコツを走らせた。
この日のために上下の衣装、靴まで新調したRちゃん。
白いブラウスに紺系統のスカート、黒いスニーカーがよく似合った。
大きな会場だったのに、親御さんじいちゃんばあちゃんら多数の来場で、いきなり会場は満席。
おいらもギリギリで一席だけ確保。
発表会の始まる30分以上前に、せっせと動画カメラを三脚にセッティングし、一眼レフを身構えた。
彼女の登場した、たった2曲だけのふりつきの演目はとても淡泊で、幼稚園のお遊戯の方がよほど細かいふりつけであり、充実していたような印象を抱く。
教えたら園児はもっと色んな動きも出来るだろうに、かなりおざなりで淡泊な指導内容を感じながら演目は瞬時に終わった。
こんなものなのか。月謝は安くはないのに。
帰宅し、昼食の炒飯。
お着替えを済ませたRちゃんは早速赤い自転車で「コンビニにいきたい」と言う。
昨日の長距離歩いた疲労も乗り越え、やむなくアイスクリームとロールケーキ他を買い出しに。
1日のいろいろな行事があって花粉症の気もあるRちゃん。
終始機嫌が悪いまま、あまりに理不尽な我が儘をいうので、ここはとばかりにちょっときつく叱ってみた。可愛そうだったけど。
投稿者 yonezawa : 01:31 | トラックバック(0)
2011年 03月 5日
PRSと補助輪自転車とイーグルス
ほとんど貫徹状態で山積みの家屋内の仕事を終え、午前中からせっせと身支度開始。
渋谷のクラブで行われるポール・リード・スミスのイベントへ向かった。
このイベントの招待状は、整形外科医で驚愕のギターコレクターの鬼畜で、超人格者の赤木家康兄。
30分も早く現地に到着してみればなんと長蛇の列。いきなり萎えた。
加えてRちゃん「はいりたくなぁーい! はいりたくなぁーい!」と入場をかたくなに拒否のだだっ子状態。こちらにも萎えかけ一瞬入場を諦めかけたが、「入って面白くなかったらすぐに出ようか!」と半ば強引に受付を済ませ、中でオレンジジュースを飲ませたら少しだけ静かになってくれた。
ポール・リード・スミスへの質疑応答、そして海外ギタリストによるアコースティックのデモ演奏。ポール・リード・スミスにアコギがあることは、おいらは知らなかった。
その頃、やはり我慢の限界に達し始めたRちゃんの言うまま一旦外に出て、久々の「喜楽」。
ここでもRちゃん、「Rちゃんラーメンたべないー!」と我が儘。「大好きな餃子もあるよ」というものの、「たべない!」と一向に引かない。
しかし、どうしても食べておきたいおいらは意地でも! と強引に注文し、Rちゃんにはケンタッキー類の好物買ってきて食べさせようとするが、機嫌が悪いのでほとんど口にしてくれない。困ったもんだ。
まったく落ち着いて食事も出来ないまま、とっとと公園へ向かうべく代々木へてきぱき移動。
後に聞いたのだが、PRSのサプライズ・ゲストにはオリアンティだったと聞いてがっくし(涙)。
徒歩で延々歩く。
噂に聞いた通り、公園内にはレンタル自転車のコーナーが設けられており、幼児向けの補助輪付き自転車もあるので姫に借りて乗せ、おいらはフォトグラファーと化した。
40分前後、元気に周回を重ね、ようやく満足した姫を引き連れ原宿駅へ。
おいらは一人水道橋へ。イーグルス来日公演の地:東京ドームを目指した。
暗転からコーラス・アンサンブルの美しい「Seven Bridges Road」からステージの幕が開いた。
比較的冒頭の部類に入る前半に、このバンドの世界で最もポピュラーな曲「Hotel California」が聴けたのは意外だった。
ジョー・ウォルシュは相変わらずのロッカーぶり。彼のソロ・コーナーも充実したものだった。
サポート・ギタリスト:スチュワート・スミスはスタジオ・ミュージシャンだというが、その完コピぶりは徹底しており、まるでレコードそのままのフレーズをおっているような錯覚を覚えた。
Silhouette Customのダブルネック・ギターでは、勿論「Hotel California」でも活躍。カントリー界隈のミュージシャンの、舌を巻く程の錬成沈着さをかいま見た。
終演後、残念ながらbambi打ち上げには参加出来ず、W社Oちゃんと神保町〜新宿界隈を放浪。ハル、yoyo、チャーリー、大先生、(壮は不在?)すまなんだぁー。
投稿者 yonezawa : 01:31 | トラックバック(0)
2011年 03月 4日
なんだか焦る。
観たいのに観る機会をどんどん逃している。映画の最新情報を得られていない状況になんだか焦る。
「面白い」と聞く新作映画をほどんど観てなく、現在公開中で気になる作品をピックアップしたところ7本も見つかった。果たして何本鑑賞消化出来るのか。
S推薦の新作映画『キッズ・オールライト』も気になったので、早速配給に試写スケジュール要請。明日以降の日程を見てチェックしたいところ。
人格者で都会人のSが稀の上京を果たし、『ひろ喜』で満腹に。
積もる話の口火はまずは家族のこと。人生で最も大事な言葉のひとつ=家族。
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2011年 03月 3日
ひな人形
Rちゃん誕生の翌年に届いた、義母からのひな人形が登場するこの季節。
ケースの横についてるオルゴールのつまみも、もうRちゃんは自分で回せるので、「ねぇ、みてみて!」と得意げにオルゴールを何回も聴かせてくれる。
本日、「気持ちは是非!」と願っていたギタリスト:村治佳織の銀座「王子ホール」での公演は、終わらない業務のため泣く泣く断念。
情報によれば今日、彼女は新たに(多分初めて)弾く曲があったそうだ。
誠実で鍛錬を絶やさない彼女のことなので、きっといつものように観衆に感動を与えたに違いなかろう。
4月刊の単行本のテキストをとりまとめ、只今入稿中の単行本原稿を逐一チェック。
キャビネットを整理し、時間の許す限りデスク回りの整理を行った。
切りたくなくても切らざるを得ないインタビュー原稿に悩みまくり、どうにかこうにかリライト作業でテキストをシェイプ・アップさせるが、きっと確定するページ内ではもっともっと削除しなければならんだろう。
遅い時間の地下鉄に乗った瞬間、Tさんより銀座呑みのお誘いメールを受けるが、4連チャンの呑みにはならず、「間が悪かった」とごめんなさいメールして帰途に。
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2011年 03月 2日
White Knuckles & Blue Moods
関連サイトより情報入手。
故ゲイリー・ムーアのドキュメンタリーが公開される!
タイトルは「White Knuckles & Blue Moods」。
ゲイリーはイギリスのブライトン郊外にある小さな村の墓地に埋葬されたそうだ。
遅い晩飯はSと。有り難き夜更け。
http://www.youtube.com/watch?v=KIIOUF_DBHA
http://oops-music.com/info/view_news_rss.html?nid=64653
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2011年 03月 1日
少し不器用
誠実で生真面目で温かくてクレバーで(多分)少し不器用で品格溢れる両氏。
折に触れてOさん&Oさんと、貴重な時間を過ごせる環境にいるおいらは幸せだ。
新宿でしばらくぶりの親睦会を楽しんだ。
人生の大先輩が、青二才に対して何の負荷もないまま、同じ目線で日常感じるあれこれを語ってくださる、ということにひとつの喜びを感じるのだ。
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