2009年 12月 31日
おやすみ、Rちゃん
昨年偶然知り合い、初対面にも関わらず何から何までお世話になった水俣のHちゃんより、どかんとひものやらサーモンやら、高級魚類のお歳暮が到着。
現地滞在中、あれほどお世話になりながら、さらにダメ押しの贈り物まで賜り大恐縮。
Hちゃんに即刻御礼のお電話。品格ある人格者との出会いが己の宝となった。Hちゃん感謝!
昼過ぎ浅草を目指し、都内を走らせると空き具合が素晴らしい。
あっと言う間に現地に到着し、浅草寺まで散策。
大晦日の午後、さぞ激混みかと想像していたが、思いの他人通りはノーマルな混み具合で、世間の不況の風をこの現象にも感じたりしていた。
早めの夕飯で飛び込んだ鰻屋のおばちゃんが「去年はこの時間、ズラっと列をなしていたんですけどねぇ」と、例年に比べ閑古鳥の現状を嘆いていた。
浅草寺のすぐ裏の老舗の店にありながら、そのまま即入店出来たのだった。注文の品のスピードも早かった。
帰宅し、今年Rちゃんとの最後のお風呂。「おったんとおふろはいるー!」
今日1日だけは無礼講とばかり、深夜0時の時報をRちゃんも聴けるかのか? っと思いながら、お布団の上でゴロゴロさせていたが、わずかあと20分前になって彼女の瞳がしっかり閉じられてしまった。
おやすみ、Rちゃん!
今年お世話になった皆々様、来年もより健康でご多幸多き年になりますように。
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2009年 12月 30日
すき焼き
明け方就寝。午前10時起床。
午後、羽田空港に義理母を迎えにゆく。今日も首都高は空き空き。
行きも帰りも1時間かからない。都内が日々こうだとどれだけ気分も違い、時間を有効に使えることだろうか。
帰宅し、晩飯の準備まで急激に睡魔に襲われ、「10分間だけ床に…」と思ったら、しっかり1時間30分も寝てしまっていた。
来年の目標は基本的に眠気に逆らわない生活を目指そう。
夕飯のすき焼きを爆喰い。
久々の割り下は、食べ始めた後半に味が決まりだした。Nから戴いた四国の出し醤油が活躍。
Rちゃん、休日のお風呂の友は必ずおったんご指名なのにも関わらず、今回は自らの意志でおばあちゃんを指名。
上京したおばあちゃん2人への気遣いなのか本能なのか。
投稿者 yonezawa : 03:12 | トラックバック(0)
2009年 12月 29日
Al McKay
池袋のヤマダ電機には2店舗の大きな店がある故、入口で義理兄と待ち合わせた際、困難を極めた。各々がそれぞれの1店舗しか頭に入っていない故、「今正面玄関の真ん中に立っているよ」「おれも正面玄関の真正面にいるんだけど…」会うはずがない。
このやりとりの最中、もしやと思い、他店舗情報を店員に窺い、すぐそこの横断歩を渡った場所にもう1店舗の店をようやく見つけることが叶った。
このケースで、最も気をつけなきゃならないのが新橋のキムラヤ前での待ち合わせ。
そう言われ待ち合わせし、現地に初めて着いた際、「駅界隈はキムラヤだらけ」だと気づく羽目になる。
夕方、六本木ミッドタウン内の讃岐うどん屋で肉うどんと辛高菜おにぎりをほおばった。
そしてアル・マッケイ・オールスターズ・ライヴ観戦のためビルボード東京へ。
アル・マッケイはあのEARTH、WIND&FIREのギタリストだったが、当時、彼の教則ビデオを観て秒殺され、同じ頃観たアルバート・リーの教則ビデオと同様、彼らはもう片方の頭で意識するギタリストの一人となっていた。
世界有数のカッティングを拝みに行くべく高い椅子に腰掛け観戦。
あの「SEPTEMBER」もアルの作品だったし、懐かしい多くのアースのトラックは、こうしてライヴ・ハウスで聴けば、どれだけの秀作で、心地よいのかを改めて感じ入っていた。
リードヴォーカリストは3人。
晩年、フィリプ・ベイリーが歌っていたファルセットのヴォーカル・パートも、今日のこのライン・ナップで奏でた彼らの方が格段にパンチを感じた。
和光市を経由し、新宿犀門でホントの夕飯。今年もあと2日。
帰ってから、己の作ったカッティング曲をおさらいすることにしよう。
投稿者 yonezawa : 10:30 | トラックバック(0)
2009年 12月 28日
ROCK
母を姉宅近くの駅まで送り、今年最後の忘年会はロックシンガーAと乾杯。
すべてがロック一色の時間。有り難かった。奇蹟の一時。
投稿者 yonezawa : 02:27 | トラックバック(0)
2009年 12月 27日
母上京
昼、首都高を走らせ羽田へ。
今日の都内の好き具合は感激なほどで、行きも帰りも1時間かからなかった。
着後、昼食を戴き、Rちゃんのオモチャをいくつか購入。
第二ターミナルに到着した母を迎えに到着ゲート前。
予定の時間よりも数分早めに到着した便の情報を確認した後、母と再会。
駐車場までの道中、Rちゃんは速射砲のように語り出した。
気持ちよい程空き空きの交通網を快走し、自宅近くのスーパーに寄り帰宅。
夕飯までRちゃんは母と延々お遊び。これほど嬉しい映像は他にない。
夕飯にはチゲ鍋を作成。
これまで環境のせいで、辛い食材を使うわけにいかなかった母に、滞在中のメニューはいくつか想定している。
休日になれば、Rちゃんは「おったんとおふろはいる〜!」っと、率先して浴槽に向かうのが慣例なのだが、夕飯の後、Rちゃんは「おばあちゃんとおふろはいる〜!」と宣言。
これほど幸せな瞬間は他にない。
お風呂からの笑い声を聴きながら、夕飯の食器を端的に片付け、撮り溜めた動画の映像を鑑賞。気が張っていたのか、珍しくRちゃんは午後9時前にはリビングの床の上で寝てしまった。
投稿者 yonezawa : 16:55 | トラックバック(0)
2009年 12月 26日
今年最後のbambi
今日までにやるべき家事を終え、今年最後のbambiリハへ。
このバンド、集合する度に新曲が追加され、この1年足らずの間にレパートリーは180曲以上。尋常でない創作スピードはここにきても止まるところ知らず。
コードを譜を見ながら、即席のアレンジメントで順繰りの音出し。
ある種の化学反応を見せるトラック、すでに1回目で完成に近い仕上がりを見せるトラック、自分自身、どうしてもコード・トーンに絡みきれないトラック。様々な感触を得、予定していた阿佐ヶ谷の居酒屋バーで乾杯。
まぁこれだけバラバラ異業種メンバーの集いは、各々の持ち場ネタがまちまちなので特殊な面白みが満載で、今宵の酒も爆笑の夜となった。
今年は長野での遠征ライヴもこなしたし、数回の都内でのライヴもこなした。
アマチュアにしてはかなり活動的な1年だったと回想。
やがてお開きとなり、戸外に出て商店街を歩いていると「ラーメン丸長」の看板を発見。
もしかして荻窪店の姉妹店?と思い、メンバーを見送った後、一人ふらりと入店。勿論つけ麺をオーダー。
丸長の系譜が書きつづられたポスターが貼ってあり、この店もあの丸長グループの流れをくんだ系列店とは判ったが、味の方はおいらにとって可もなく不可もなく。
投稿者 yonezawa : 16:55 | トラックバック(0)
2009年 12月 25日
F班忘年会
編集部F班での忘年会は人形町。
編集Mの御用達だと言うこの店は、目の前でも焼く炭火食材が美味い。
調理場で用意してくれる分の肴類も申し分なし。出された端からスポーツ部員の打ち上げのごとく、即刻品々がそれぞれの胃袋に消えてゆく。
ビールはほどほどに、芋焼酎を流し込みながら、少し遅れた編集部員を含む総計6名で集った機会が嬉しい。
例えば編集部の隣に座っているスタッフと飲む機会など、年に1度あるかないか。スケジュールなど、そんなものどうでにもなろうよ、っと昔は強引にどうにか融通をつけてきたものだったが、今の現代はそれぞれのスケジュールがあわないとホントに全然会う機会もなく、顔を合わせない日も希ではない。
だからこそ珍しい面子の酒席と言えた。至ってくだらない会話の応酬が心地よさに拍車をかける。
二次会は新宿。
今日の段階でも、悲しいかな最後の入稿を残している編集部員は上がり時間にあわせて引きあげ、最後は編集:Aとサシ飲み。
つい2日前に第一子を授かったAの子は、つまり天皇誕生日に産まれたのだった。おめでとう!
投稿者 yonezawa : 17:59 | トラックバック(0)
2009年 12月 24日
入稿終了
告知ページを入稿し、本年度の一応の入稿原稿は終わった。
終電間際の電車で最寄り駅に到着。深夜バスで帰宅。家の掃除あと半分。
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2009年 12月 23日
サンタさんくるもん
Rちゃん、物心ついて初めてのクリスマス到来。
「サンタさんくるもん」
この1週間、Rちゃんとママとの話題の中心は、もっぱらサンタさんが来るのか来ないか。あまりに「Rちゃんがイタズラばかりしてるから、サンタさん来ないかもよ?」という意見を言われるものだから、「サンタさん来ないもん」と一時期スネてたRちゃん。
改めて聴いてみる。
「来るかな? サンタさん?」「くるもん! サンタさん!」とRちゃん。
少し前から購入していた、ミッキー・マウスの大きな靴下にはお菓子類とオルゴールを入れ、用意していた。ママはRちゃんのほしがってた腕時計を追加購入して靴下の中に加えた。
暮れの母親上京に際し、部屋の大掃除を行っていた際、クローゼットに隠していたミッキーのビニール袋がふいにRちゃんの目にとまってしまった!
「あ! ミッキーさん! Rちゃんの? Rちゃんの?」
やばい! 急に背後に現れた彼女に、隠していたプレゼントのビニール袋をうっかり気づかれた。しかし上手く中身を抜き取り、袋だけを取り出し「ビニールだけしかないんだよ。ごめんね、Rちゃん」と、どうにかごまかして事なきを得る。
なんとか納得しリビングへ引き上げたRちゃん。冷や汗出た。
そして夜、コテっと眠りについたRちゃんの枕元に改めてミッキーさんの靴下を置いてみた。
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2009年 12月 22日
POCKET忘年会
写真をCDーRに移し込む時間がかかって大変。
夕方、デザイナー・チーム:POCKET忘年会の席へ。
日々、最も頻繁に仕事の絡みがあるPOCKETスタッフと飯を喰うのは1年に1回以下。
それぞれがぞれぞれの場所で雑誌作りに関わる故、各々のスケジュールが本当に合致することは、ほっといたら永遠になさそう。
誰かが泣いて強引にスケジュールを確保しなければ決行には至らない。
そして本日決行。
新宿のレタス鍋屋へ総勢5名で到着。編集者おいら一人。
昨日の酒を引き摺っていたせいで、ややおとなしめにフェイドイン。温かい鍋が身体を温める。
この日にか一同に集えない優秀なスタッフと語り合う時間が、アホで愉快でたまらなかった。
労いの席で一緒に同じ飯を喰い、同じ酒を酌み交わす。そんな行為が外交の基本なのでは? と、思わず外務大臣の顔を想像した。
編集:Mが到着。ヤツとは昨日の酒も一緒だったのだ。
河岸を変え、バーSでシャンパン乾杯。この瞬間、「この飲み会はせめて年に2回はやるべし」と誓う。
数々沸き起こるケアレスミスを〆切にあわせ調整し、きちんと納品している彼らなしでおいらの仕事は成立しない。
皆様、今年もお疲れさまでした!
投稿者 yonezawa : 21:36 | トラックバック(0)
2009年 12月 21日
フリーペーパー『熱風』
伸び伸びになってしまっていた亀渕兄との飯が、この師走になってどうにか叶いラッキー。
ソニー・ミュージックMさんにご配慮戴いたアジカンのZEPP公演はS、M、A(後にゴールデン街で合流)に託し、新宿の待ち合わせ場所へ。
氏は、書店で無料で入手出来るフリーペーパー『熱風』に「ドーナッツ盤に恋をして」という、とてもチャーミングで魅力的なコラムを熱筆されておられるのだが、おいらはその熱心な読者だ。
待ち合わせの場所へ到着し、再会を果たし椅子に座る前から、もう速射砲のように語りつくす。次回の機会がいつなのか判らぬ故、会ったらとにかく速射砲。
アメリカン・ロック、ブリティッシュ・ロック、70年代、60年代、80年代、90年代、そして現在。
マイケル・ジャクソン、ジミヘン、ビートルズ、リトル・リチャード、民主党、自民党、洋画、酒、新宿、正月、鍋、寿司、山、コレステロール、会社、社長、江口寿史、夢枕獏、母、父、文章、コラム、仕事、ツェッペリン、ニッポン放送、ウィキペディア、お笑い、北野武、ギター…
話が途切れない。
脱線しまくる節操のない話題は、これ以上ないほどの興味深さへと突き進む。
亀兄、何でも知っている。物事をいつも優しい目で見つめている。
60歳代の亀兄は、例えば18歳から30歳ぐらいまでの時に持ち合わせるような鋭い感覚の瞬発力を今もまったく失っていないことを、45歳のおいらが感じている。
『熱風』に執筆されるコラムの、例えばたった2行を書こうと思えば、文献を2.3冊読み漁り、事実関係を突きとめなければならない。その真摯な姿勢が胸を打つのだ。そんな意味もあり、コラムの放つ熱風を感じずにはいられない。
話の途中、氏が1冊のボロボロになった片手サイズの洋書を取り出した。
例えばミュージシャンの正確な名前、アルバムのタイトル、年度、関係者各位とのいきさつなどは、その洋書を参考文献の1冊にされておられるとおっしゃった。
ページをめくると、蛍光ペンで何カ所もアンダーラインが引かれてあった。
感服。
アンダーラインなど、もう何年使っていないだろう。
本を読むときには確かにアンダーラインが必要だった。
自分の鞄にはピンクのアンダーライン用のペンを常備させているにも関わらず、何年もその作業をすっかりスルーしている。
ふいに母が学生時代からずーっと家で使っていたボロボロの辞書を思い出した。
亀兄と語ると、様々な景色が思い出されてきた。
古き時代を知り、最先端の今、巷に流れる音楽を聴き、そして自ら欲する音を求める。
2007年12月、ロンドンの地で偶然の初邂逅を果たした亀渕兄との出会いは、今生涯の宝となった。
投稿者 yonezawa : 21:36 | トラックバック(0)
2009年 12月 20日
ボロ雑巾
14時30分まで起きられず。
体内に残ったアルコールの分解率はここにきて格段に落ちた。そんな自覚がある。
年末年始の行事を睨み、部屋の片付けに1日を費やす。
クローゼットに収納していた大量の紙袋類を見て驚いた。「何かの時にために取っておこう」という品々は大抵使うこともなく、何年も押し入れの中にしまったままになるものだが、この機会に破棄することを決意させた立派な紙袋類を、東京都指定の特大のゴミ袋に入れたら3つで足りなかった。
どんだけ溜め込んだでいたのかと己で呆れた。
空いたスペースを利用し、服と鞄を整理。こちらも着ない服、使わない鞄も鬼のよう。
いずれ考えよう。
VTR類もきっと2度と再生しない物件多数で、家屋外にある収納スペースに取り急ぎ避難させつつ、資料となるボクシング、映画、プロモVTR類のものは欲しい輩に進呈することに。
破棄するゴミの量のハンパないこと。
何往復かして、今日出来る最大限の作業を終え、ボロ雑巾のように明け方床についた。
投稿者 yonezawa : 17:58 | トラックバック(0)
2009年 12月 19日
画集打ち上げ
新神戸より帰京し、都内某所で開催された高橋ツトム画集『S』&『K』出版記念パーティの会場へ。
画集は昨日無事発売の運びに。
http://artworks.tao69.com/
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2009年 12月 18日
長谷川穂積V10
漫画家:高橋ツトム氏と待ち合わせ、15時過ぎの新幹線のぞみで新神戸へ。
現地着後、ホテルへチェックイン。
セミ・ファイナルの行われている頃、会場となる神戸ワールド記念ホールへ到着。
本日行われる、WBC世界バンタム級タイトルマッチの防衛を果たせば、長谷川選手は日本人では具志堅用高(V13)以来の、10度目の防衛記録を打ち立てることになる。
チケットは高橋氏と長谷川選手のフレンドシップによってか、3列目の席を拝受。チャンピオンには大感謝だ。座った席の隣にはしょこたんが。
4RTKO。終わってみれば試合は盤石の出来だった。
後からテレビで確認はしたのだが、現場ではコーナーポストの死角になる場所故、フィニッシュ・ブローのストレートは瞬間見逃したような感じだった。それしてもやはり長谷川選手はすごい。
もうこの階級に敵はいないのだと再確認する試合となった。
この階級より2階級上げて、長谷川選手はラスベガスへと旅だってゆくのか。日本が世界に誇る最重要ボクサーの行く末を追いかけてゆきたい。
試合後、チャンピオンの奥様お墨付きの、ジム1Fにあるステーキ屋で食事をするべく訪れたところ、キャスターの徳光さんが後取材でそのステーキ屋さんを訪問しておられた。
奇遇にも隣り合わせとなり、ご挨拶。
しばらくしたら、チャンピオンより高橋氏の携帯に連絡が入り、「顔を出します」とのこと。
そんな情報を知らないままの徳光さんサイド。
しばらくしてチャンピオン本人が登場し、一同驚いた。
ちゃっかりの記念撮影をお願いし、チャンピオンを労い握手を交わした。まさに心技体最高潮と言える、上げ底ナシの現役絶対チャンピオン。
おいらにすれば奇跡的とも言える格別の夜となった。
投稿者 yonezawa : 17:58 | トラックバック(0)
2009年 12月 17日
村治佳織、宮本笑里のナビゲート
村治佳織、宮本笑里のナビゲートするJ-WAVE『MITSUBISHI JISHO Classy Café』公開録音の地:丸ビルへ。
http://www.j-wave.co.jp/original/classycafe/
ゲスト:レ・フレールの演奏に続き、宮本笑里のソロ演奏。優雅。
観るごとにスキル・アップをはっきりと感じさせる彼女の進化を今日も認識させられる。
クラシックでありながら、今回初のオリジナル曲を発表した彼女。ここのところの様々なメディアでの活躍ぶりは、デビューから見つめてきたファンの1人としても嬉しい限り。
あまりに集まる客が多すぎて、Rちゃんをなかなかベスト・ポジションで見せられない。
最終的にはステージから右手前方のカフェで観戦。
村治佳織のソロギターに聴き入る。
ああ言った場所での、戦メリ、ティアーズ・イン・ヘヴン等の効果的な選曲を改めて感じ受け、フロアのナチュラルなリバーブ感がとても加減のよい演出効果に感じられた。
通常のコンサートで聴く出音よりも、ややトレブリーでエッジの効いたような響きは個人的にはとても好みの音で、リスナーも“パンチ”を感じたのではなかろうかと感じた。
2人の非の打ち所のないパフォーマンスを観た後、控え室へご挨拶。
コンサート会場なり、控え室なり、取材先で何度もご一緒しているはずの彼女たちながら、2人の放つミュージシャン・オーラが素晴らしく、感じる空気にはある種の精悍さを感じた。抱っこして再会を果たしたRちゃんもその空気を察知したのか、とたんに静かになった。
現役バリバリのミュージシャンが発散する力強きオーラ。それ以上にクールなことない。
Rちゃんは彼女たちによって、特別よき体験をさせて戴いていた。
2人にお会いするまでは散々「かおりちゃん、いる! えみりちゃん、いる!」とかうるさかったくせに、いざ連れて行くとおとなしくなってしまい笑った。
終演後、一旦編集部へ帰還。
入稿を終え、M労いの会を決行。
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2009年 12月 16日
THE MODS
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福岡の人間にとってもTHE MODSの存在は避けて通れないものがある。
ほとんどの音楽仲間は『FIGHT OR FLIGHT』の音源を持っていたし、確か16歳になる前ぐらいに出たその音源を、福岡在住時代、おいらもカセットでコレクションしていた記憶がある。
何度聴いてもファースト収録の「TWO-PUNKS」は名曲だし、83年『HANDS UP』収録の「激しい雨が」は破格のオーラを放った。
活動の拠点を東京に移すことを決意した、彼らの博多でのラスト・ライヴは「80'Sファクトリー」というライヴ・ハウスで80年頃行われたはずだが、この頃おいらはまだ16歳ぐらい。
当時大学生で福岡在住だった姉を頼り、長い時間電車に乗り継いでライヴ観戦に赴く気持ちもないことはなかったが、田舎もんであることと、交通費+チケット代の問題と、「80'Sファクトリー」と言う響きと、「福岡のロックバンド」という迫力に押され、まったく行動には移せなかった。
あの日から29年。本日縁あって、夕方都内で行われたTHE MODSのシークレット・ライヴへ赴いた。
ライヴハウスという場所がとてもマッチする、まるで我が家で演奏しているかのようなリラックスした面持ちで瑞々しい演奏が突き進む。
ロックバンドのあり方はこうでなければならない。
3度のアンコールに応えたバンドが、後半「TWO-PUNKS」を奏でた。イントロで目頭にきた。
思い巡る十代の風景。THE MODSは何も変わっていなかった。
福岡でイタリアンの店を切り盛りする後輩コック:Mのことを思い出した。後から電話してみよう。
「80'Sファクトリー」のマッチだけは今でも家のどこかに眠っているはず。
投稿者 yonezawa : 17:26 | トラックバック(0)
2009年 12月 15日
夢は久々
起きがけに奇妙で恐ろしい夢を見た。
夢の中でも、自分の部屋の同じ場所で寝ている。夢とは気づかないままに。
緩やかだが、揺れ幅の大きな地震が延々続いている。しかし起き上がることは出来ない。
揺れ幅は益々大きくなってきた。
不意に目覚め、家族の存在を確認しに行くが、すでに外出した後で家には誰もいない。
マンションは変わりなくぐらぐらと大きく揺れている。
リビング側のベランダから外を見ると驚愕の風景が飛び込んできた。
地面は見えず、まるでマンションが海水に浮かんでいるような状態であることに気づいた。
川が氾濫したと言うよりも、もはや建物が海に浮かんでいるレベルの光景。
遠くでは、何人かの人々がおぼれている姿が見える。
ここから断片的に映像が途切れるのだが、しばらくして水が退いたのか、外では水害にあった人たちが骨格だけになってしまった家屋の元に座り込んでいたり。
地上に降りると、我が家のDVDやCDのソフト類が無造作に戸外へ投げ出されている様を確認した。
呆然とした感覚の中、「家族はどこに行ったんだ?」と急に彼女たちの行方を想像し、少し離れた、思い当たる場所に急いで向かう辺りで目覚めた。
今日の明け方に地震はなかったかと思うが、これほど鮮明な夢を見せられたのは久々。
深夜の帰宅時、徒歩で数分歩いたのだが、師走になって最も寒いと感じたのが今日だった。
投稿者 yonezawa : 16:32 | トラックバック(0)
2009年 12月 14日
Superfly
ひょんな機会から、今回初めてスーパーフライの武道館公演を観ることとなった。
TVCM等で洩れ聴こえてくる彼女の歌声は破格だと感じていたし、多和田えみ、LOVE等と同じように、邦楽女性ヴォーカリストの中では最も気になる存在の一人だったのだけれど、会場に足を運ぶ機会はこれまでなかった。
漫画家:Hさん&担当Mと待ち合わせ、3階席に陣取った。
ステージ・サイドからの観戦となったが、この時代PAはこちら側にも向いているせいで、バランスの悪さは大して感じない。
ステージを縦横無尽に動き、パフォーマンスする彼女の自然体な姿はとても好感があり、比較的小さな女性ながら、その姿は舞台ではとても大きく映った。
ジャニスも弾き語りも披露してくれた志帆ちゃん(Superfly)。
2時間強のステージ後、控え室で乾杯を交わし、帰り際に一言二言、話す機会を戴けた。
乾杯の際、所属事務所社長の語った言葉が、とても言い得て妙であり、本当の音楽家を丁寧に着実に育てる術を感じさせた。
音楽の成功に近道はない。この意識を持って、この世のすべての優れたミュージシャンは同じ条件でトライするしかないのだ。
和田ラヂヲ兄と同じ松山出身最大の女性シンガー:スーパーフライの、今後のさらなる活躍を楽しみにしている。
遅い夕飯は四谷の博多料理。美味。
隣り合わせたお客さんは、偶然スーパーフライのコンサート帰りの方々だった。
ところで福岡市平尾在住時代には知りもしなかったが、糸島の卵は名物だったのか…
投稿者 yonezawa : 16:32 | トラックバック(0)
2009年 12月 13日
Tプロ忘年会
平日のスケジュールがままならなかったのか、谷口プロとの忘年会は日曜日。
初めて訪れた吉祥寺の居酒屋は、井の頭公園近くの奥まった箇所に位置しながら、休日も満席で料理も美味かった。
ここのところ、夕飯時前に妙に腹が減るので、料理が出てくるとともに喰いまくった。
20名前後集った面子の中には、漫画家でイラストレーター:Tさんの姿も。久々の再会。
河岸を変え、B1のバーへ。
ほんの少しシェイプアップした人数で、谷口さん、Tさんらと卓を囲み、「あの映画のディテールはここがよかった」とか、「あれは見なきゃ」とか、思い思いの印象を持つ名作の内容について語り合った。
こうした場で得られる情報がとてもラッキーであり、おいらも今年出会ったいくつかの作品について印象をみなさんに伝えていた。
『ブレードランナー』は今一度ブルーレイで確認しなきゃならんと思ったし、『倫敦〈ロンドン〉から来た男』も気になったし、『刻刻』もチェックしたくなった。
『SIGLO:牛の鈴音 워낭소리』なんて、すごい映画の存在も知ったし、『Taken』はなるだけ早く観なきゃと焦ってしまった。
そして、ピート・ドクターがマカロン好きだったことを、インタビューする前に知ってたら…と思ったり。
ほっといたら、それらの情報には出会えない可能性もあり、出会うにしても果てしない時間がかかってしまいがちなところを、この一席で一遍に得た感じ。
年に一度の、ホントに滅多にない面子で集った今夜。
谷口さんとは11月18日発売の文庫『晴れゆく空』(2008年、ローマで由緒ある漫画賞《ロミックス(Romics)》受賞)もあったし、嬉しきお祝いと機会を設けられた貴重な夜更けとなった。
駅前で解散したTさんは、歩いておよそ1時間予測の道のりを、迷いなく徒歩で帰宅された模様。
投稿者 yonezawa : 17:23 | トラックバック(0)
2009年 12月 12日
同級生忘年会
中学時代の同級生5名で集う忘年会の席へ。
家庭を持つ者3名。単身の者2名。人生色々、境遇がバラバラで面白い。
先日、寅と優子の披露宴流れの3次会で訪れた店では、珍しく肉の鍋を選択。
子供の頃からは圧倒的にふくよかになった男性陣に比べ、女性陣はあの頃とさして変わらない印象だった。
同窓会を行えば「おまえは担任か!!」と突っ込まれる輩も、10年前ぐらい前の年代からボチボチ存在仕始める。
いつもの縄張りから趣を変え、今年は渋谷区なる場所を選んだものの、さて2軒目となるとどちらへ行ってよいものか。
青山通りに出て、やっぱり新宿だろうとタクシーに乗り込み、バーで抱腹絶倒の展開に突入。
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2009年 12月 11日
異業種ゴールデン呑み
小雨降る肌寒い中、夕方ゆうぽうとを経由し帰社。
雑務を終えた夜、随分久々にベテラン編集Sとの飯タイミングが合い、小雨の中、新宿へ。
何のビジョンもないまま安い寿司屋へ飛び込んだ。
こうして語るのも、きっと2年以上は経過しているような記憶だが、この男の放つおおらかな雰囲気はいつでも場が華やかになると感じさせる。
ふいに編集Kより連絡が入り、30分後に合流することに。
さらに音楽人Tより、この場所からわずか50M程度離れた場所から「飲んでます。今日はどちらですか?」メールが入り、さらに30分後に合流。
異業種が入り乱れてのゴールデン呑み。こんな日もあるものだ。
目尻が下がり、頬が赤くなった頃一足先にSが帰宅。
Tの誘いで渋谷へ向かい、深夜から明け方までセッションを行っているというクラブへ移動。
階段を下りると、とても心地よいリズムの乾いたアシッド・ジャズ・セッションの音色が聴こえてきた。
そもそも、おいらもキリのいいところで飛び入りしようと目論見、しばーらく観戦していたところ、徐々にまぶたが重くなってきてしまいTに促され帰途に。
確か前に一度、ライヴやったことのある小屋だったような…
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2009年 12月 10日
野方ホープ
映画人:WとSちゃんにお誘いを受け、遅い夕飯の待ち合わせ。
Sちゃんに連れられ、初めて入った定食屋的居酒屋:町蔵で、最後に少しだけ食べたご飯が妙に美味かった。
次回はきちんと白飯入りの夕飯(定食)だけを食べに来るとしよう。
プライベートな新年会の話題も出たところで河岸を変え、帰途につくWちゃんを見送り、いつもの闇太郎で〆。
「この後ラーメンに行きましょう!」の提案に「今日は勘弁」とSちゃんにフラれ、以前から気になっていた野方ホープの階段を一人で下っていた。
ドアからぞろぞろと男性数人が出てきたと思ったら、その中の一人に見覚えのある顔が。
大道塾師範代:飯村選手と不意に再会を果たした。
「米澤さんじゃないですか! じゃあもう一杯行きますよ」となり、飯村は今一度ラーメン屋に戻り付き合ってくれた。
新年会の相談もまとまり、飯村家との親睦会も今から楽しみ。
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2009年 12月 9日
MITSUBISHI JISHO CLASSY CONCERT in Marunouchi
フジテレビ「2009FNS歌謡祭」は、終わり間際のSMAPの歌った部分しか拝見出来なかった。
そのステージではヴァイオリニスト:宮本笑里、クラシック・ギタリスト:村治佳織との共演もあり、そうしたこともあって個人的には珍しい舞台の映像に聴き入った。
夕方、丸ビル1Fフロアで行われるのは、J-WAVE(81.3FM)のクラシック専門番組「MITSUBISHI JISHO CLASSY CAFE」の公開録音コンサート「MITSUBISHI JISHO CLASSY CONCERT in Marunouchi」。
ナビゲーターの宮本笑里と村治佳織のツイン・ナビで魅せるスペシャル・コンサートを観戦するべく現地へ。
フロアにはゾクゾクと人が集い始め、どの位置でも鑑賞が困難になるほど、行き交うオーディエンスは膨れあがった。
ゲスト奏者の後、村治佳織のギター・ソロ。
いつもよりエッジの効いた、気持ちトレブリーだった村治の出音は個人的には好みだ。
観衆の雰囲気と、この場所、そしてこの環境にベストと思われるポップスのカヴァー曲が独特の風格を感じさせた。
宮本笑里と村治佳織によるジョイント演奏も、もはやあうんの呼吸と思わせるシーンも見受けられ、日々、進化を遂げる2人のクラシック・ミュージシャンの機微を感じ受けていた。
終演後、控え室でRちゃん、久々にお2人と再会。
先ほどまで、あれほど走り、騒いでいたRちゃんは彼女たちに再会したとたん、急に静かになってしまったので笑った。
笑里ちゃん、佳織ちゃん、貴重な時間に感謝。
一旦業務へ引き上げ、この日を逃したら年内の食事会は無しとなっていたMとの約束だったが、どうにか新宿で再会の時間を得た。
わずかの時間でも、濃い内容の意見交換を得られた夜更けはラッキー。
投稿者 yonezawa : 01:59 | トラックバック(0)
2009年 12月 8日
師走
しこたま飲んだアルコールのツケを引き受けつつ、午後から業務開始。
今日は同級生:Kの誕生日。
「なぜもう1日ずらして生んでくれなかったんか?」とは、昨日のRちゃんの誕生日と同じになりたかったKが3年前に言った言葉。
深夜に上がった原稿を入稿。怒濤の師走に突入。
投稿者 yonezawa : 01:58 | トラックバック(0)
2009年 12月 7日
理想的
漫画家:寺田克也さん、女優:藤谷文子さん、ヴァイオリニスト:宮本笑里ちゃんらが、Rちゃんと同じ誕生日。
本日12月7日からRちゃん3歳。おめでとう!
先日、編集部Tの披露宴で飲み明かしたS誌Cと初サシ飯へ。
飛び込んだ店は先月半ばにオープンしたばかりの和食屋。
Cのなじみの店:Vに移動し、無ければ構わない前提で「スティーヴィー・レイヴォーン」をリクエストした直後、店でちょっとした事件が発生。まぁよし。
この店で初めて知り合った若き面々と、まるで長いつきあいのあるような距離感で語れる一時が嬉しかった。
酒とは何故こうも人との距離を瞬間的に縮めてくれるのか。
昼間に名刺を持って大作家のもとを訪ねるよりも、酒の席で隣り合わせて作家に出会う方が、編集者にとっては理想的なのだ。
投稿者 yonezawa : 01:54 | トラックバック(0)
2009年 12月 6日
明日3回目
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明日はRちゃん3回目の誕生日。彼女のプレゼントを買いに街へ。
訪れた吉祥寺の街の、人の多さといったら凄まじかった。もう師走の景色。
行く店行く店で直感のように「(単なる)小箱」とか「スタンプ・セット」とか、瞬時に欲しい品が確定するRちゃん。そこには吟味とか悩みという言葉は一切ない。
「ホントにこれでいいの?」と問えば「うん、これでいい!」ときっぱり。
店を変え、他のグッズ・ショップを覗くと速攻でピンクの財布が彼女の瞳に飛び込んできた。
「これー!」と言って、勝手にレジに持ってゆくRちゃん(笑)。
「よし! じゃあこれにしよう!」と誕生日プレゼントがすぐに確定した。
「帰ってケーキも食べる?」「うん、たべるー!」
スーパーで夕飯の買い物を済ませ、自分の靴も衝動買いしたりしながら帰途につく間に姫は爆睡。随分歩いたので疲れたのだろう。
帰宅して、即ご飯を炊いた。タマネギと人参をアッシュしてミンチと合え、卵を落としてパン粉等を混ぜ合わせ、こねくり、あたり(味)付け。
もやしと韮、冷蔵庫にあったハムの残りを細かく切り、塩こしょうだけで炒めた付け合わせに、キャベツの千切り。おまけにもずく酢。
Rちゃんもお腹が減っていたのだろう。三輪車でキッチンにやってきて椅子の上に立ち上がり、Rちゃん専用の皿に盛ったトマトを全部その場で平らげた。
食卓に座って食べるハンバーグもペロっと早い早い。ほうれん草のおひたしもきれいに食べ干し、おにぎりでフィニッシュ。
ケーキをいただく時にはハイビジョンカメラで撮影。ブルーレイにはRちゃんの動画しか収録されていない。
夕飯1時間後にお風呂へ。入る前に風呂場で前髪を少し切ってあげた。年末年始に待望の再会を果たす、おばあちゃんとの準備は万端。
人生観を大きく変えられてから、丁度丸3年が経過した。
投稿者 yonezawa : 00:53 | トラックバック(0)
2009年 12月 5日
「高い高い」を数回
「そろそろ大掃除をせねばなぁ…」と思いながらも、録画したどうでもいい映像を観ていると、やがて眠気に襲われ、なかなかスイッチが入らない。
それでも午後には掃除機等を収納している物置を全部ひっくり返し、廃棄するモノと整理するものを仕分け。これも話題の仕分けの一種。
「こんなところにこんな書籍を収納していたのか!」等、多分整理する度に思っているだのろうが、片付けは人生につきまとう永遠の修行のようなもの。
リビングと廊下の狭間にある収納物置故、リビングのドアと物置のドアは同時に開けられない。
その切迫したスペースのドアを、Rちゃんが何度も何度も往復し、プーさんやらワンワンのぬいぐるみを持ってきたり、おいらのやることと同じことをいちいち隣でやろうとするものだから、仕事が全然捗らないので、そのうち作業の方がどうでもいいという気持ちになってきた。
作業は取り止め。もはや重量的に限界に近い「高い高い」を数回やらされた。
投稿者 yonezawa : 01:31 | トラックバック(0)
2009年 12月 4日
計画
誕生日プレゼントに伴侶&Rちゃんから貰ったマフラーを、Rちゃんが部屋に入ってくる度に「はい、ぷれぜんと!」と言って、一々持ち上げて渡してくれる。
嬉しさ何十倍。何度でも「Rちゃんありがとう!」を繰り返す日々。
今月の地方遠征行事、都内での打ち上げ、そして年末年始の大イベント構想を一人部屋で構成中。
時期優先で、良き公演、イベント、ライヴという探し方なので、なかなか悩むところ。
狙った演者、ミュージシャンは地方でやってるか、来日前だったり。
親戚関係の宿泊、帰途までの距離、各々のスケジュールをすりあわせるのが仕事並の大作業。しかし、これほど重要で楽しみな年末年始は初めてかもしれない。
取り急ぎ、関係者各位のみなさま、愉快な年末年始を極力演出するべく、考え尽くしますのでおつきあいのほどを。
投稿者 yonezawa : 12:41 | トラックバック(0)
2009年 12月 3日
失速で鍵盤
またしても早朝より稼働。
社内の会議に参加し、1日が早々と始まる。
入稿した原稿の、とある解せん方向性に泣く泣く泣く泣く了承。
延期になった失速ライヴの連絡以降、会う機会がなかった吉田兄と飯。
諸事情で早めに帰途につかれた兄と別れ、失速で鍵盤をお願いしているミュージシャンTと合流。ゴールデン街:Hで、こちらとも久々に「名月」で乾杯。
マイアミでバカンスを楽しんできたと言うT家の近況が、ちょっと羨ましい。
投稿者 yonezawa : 12:33 | トラックバック(0)
2009年 12月 2日
各国の首脳
午前中の原稿を受け取り、画集『S』の入稿状況を確認。
空いた時間を使ってバルト9へ突進。
観る映画は何でもよかったのだが、タイミングよく始まりそうな『2012』の劇場に飛び込んだ。
週プレで、クエンティン・タランティーノへのインタビューを行った際、次の掲載ページがローランド・エメリッヒ監督のインタビューだったので、とりあえず観ておかねばと言う気持ちもあった。
地球が崩壊し、各国の首脳が集い、今後人類がどう生存すべきかと議論し試行錯誤する。が、もう時間がない。
やむなく選ばれし者だけを“ノアの箱船”的避難のための乗り物に乗せることになり…みたいな話なのだが、正直、カタルシスの感じられない、おいらにしては戸惑わされる作品だった。
残念ながら脚本自体にも、映画に最も大事な核を感じられなかった。上手い具合に危機を回避してゆく主人公(語り部)の境遇にも、“お約束”だと言う緩い視点を考慮したとしても、納得し辛い演出だったことは否めない。
しかし無茶な特撮映像はここまで来たのか! と言う圧巻さで、まさにジェットコースターに乗ってGを感じるような感覚を平面2Dのスクリーンに感じていた。
3Dで見せられたら、その部分に関してはさぞハラハラさせられることだろう。
ほんの2、3ヶ月、映画鑑賞をサボると、とても手に負えない本数の未見の作品がお蔵入りとなってしまう。ポン・ジュノ最新作でさえもまだ未見だ。
投稿者 yonezawa : 17:45 | トラックバック(0)
2009年 12月 1日
最終校正
深夜、画集『S』の最終校正のためデザイナー宅を訪問。
編集部と往復し、これですべての入稿を終えることになる。
12月18日発売の書籍をこの時期にまだ校正だなんだとやってることが、実にスリリング。
短いようで長い、長いようで短かったこの1ヶ月だった。
深夜に車で都内を走らせると、日中の車両の数より全然少ないので帰途まであっという間だった。
明日も、おいらにすれば早朝と言える午前中からの稼働故、4時間の睡眠を摂取するべく布団に潜り込んだ。
投稿者 yonezawa : 17:45 | トラックバック(0)