2009年 10月 12日
告別式
深夜5時30分に1時間仮眠を戴き、7時に1人帰宅して朝風呂へ。
8時、姉の甥っ子4人を起こし、9時に再び会場へ戻る。
告別式は11時より開始。
奈良から駆けつけた従姉妹:中川太が、ばあちゃんに最期に贈る言葉を述べる。
「生きて生きて生きまくったばあちゃん。ありがとう」
それらの言葉を記した大きな垂れ幕まで自作してきた、太による労いの言葉が胸を熱くさせる。
太の大きな大きな声は、充分ばあちゃんの魂にも響いたことだろう。ヤツの男気に泣けた。
葬儀の最後に親族代表の挨拶を仰せつかった。
ばあちゃんが救急車で搬送され、血圧の数値も危ない旨を知った事。
家を出る数日前に母に告げた最期の言葉。
それらを聞かされた時に狼狽した気持ち。
満州から命からがら帰国を果たしたばあちゃんの勇気と強さ。
そして自身の持つ個人的な価値観を何一つ、第三者に押しつけなかった品格。
それらを言葉に託し、参列賜った皆様の前で語らせて戴いた。
そして親父の葬儀の時と同様、おふくろへの労いの気持ちを語らずにはおられなかった。
親父のもとへ嫁ぎ50年間、まさに親戚・関係者のために自分自身のプライベートはおざなりにして、献身的に尽くし尽くして生きた母。
すべての祖父祖母の介護は全面的におふくろが担ったようなものだった。
天に召された祖母はとてもとても幸せだったに違いない。世界一の娘に最期を看取ってもらえたのだから。
霊柩車とマイクロバスを自家用車で追いかけ、火葬場へ移動。
最終最期のお別れをし、点火。
おいらは自宅での準備がある故、一足先に引き上げた。
スーパーで頼んでいた精進上げのオードブル2点を受け取りに行き、自宅で準備。
葬儀屋さんにディスプレイを施して戴いた頃、親族らが帰宅。
正装から普段着へ着替え、各々一息つきながら、昨日の夜中に姉らと作ったおにぎりをオードブルと共に頬張る。
精進上げを戴く前、遺骨となったばあちゃんにお経を上げて戴いたのだが、その際、その場にいた全員が目撃した光景があった。
並べて隣に設置してある親父の仏壇にあるローソクと、今回設置したばあちゃんの祭壇のローソク2本が、風もない部屋の中で異様な燃え上がり方を示したのだった。
親父の方のローソクの燃え方は時折異様な勢いがあり、1本無くなるスピードが尋常ではなかった。
超常現象には縁もなく、大槻教授やら松尾貴史指示派のおいらとしては、そうした意識は皆無に近いものの、今日のこの景色だけは特例として己の意識の中に刻んでおこうと思う。
親父がみんなを見守り、労いの気持ちを示してくれていたのだと信じて。
投稿者 yonezawa : 2009年10月12日 12:39
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