2009年 09月 30日

 取材先の都内某所に到着したらば、しばらくすると見学希望な後輩編集者がワラワラ到着。
 「何なんだお前ら!?」「勉強させていただきに参りました!」世紀の大監督へのインタビュー取材の目撃者になりたい小僧集結…
 いつもはカメラとおいらの2人だけ。こんな大勢で入室する初めての取材となった。先方に問題がないのなら、まぁよかろう。
 
 定刻通り、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で一世風靡した、あのロバート・ゼメキス監督との初邂逅を果たす。
 とてもフレンドリーな取材空間を演出してくださる大監督は、想像したままの素晴らしき映画人。映像に関しては、パフォーマンス・キャプチャーと言う鬼の手段を駆使した凄まじい最先端映像のシステムに呆れた。想像通り、映画製作には一切妥協のない彼のスタンス。映画に没頭するこだわりが尋常でない。わかっちゃいるが大いなる刺激だ。
 実に興味深きテキスト素材を戴き即刻編集部へ。記事及びwebでの紹介記事がメチャ楽しみ。

 帰社後、積もり積もった雑務をさばきJR国分寺駅へと飛ぶ。
 文庫セクションのボス&スタッフらとTさんとの打ち合わせ&会食の席へ到着。
 Tさんからは、つい昨日今日出たばかりの最新単行本を贈呈戴き感謝&感激。
 制限時間まで語りあう機会を得、焼き肉『山水』だけで解散後地元方面へ引き上げた。

 先ちゃんスタジオへ立ち寄り、お願いしていた感慨深いコピー原稿を拝受。そして軽く「行こうや」と外へ。雨はまだ止まない。
 誕生日の今日、美女をはべらせながらきっとどこかで呑んでいるだろうと想像させた岩谷テンちゃん画伯は、なんと自宅に引きこもっておられたので誘いメールと誘導電話。
 静かなバーで先ちゃん、呼び出したテンちゃんと集い、彼のHAPPY BIRTHEDAY。

 テンちゃん仕事場界隈の居酒屋:Hへ移動。
 すると偶然、過去に一度だけ編集者:Kの誘いでたまたま呑んだことのあった地元民:Nを発見。ビックリ!
 そうなれば、当然彼女らと相席することとなった。遅れて漫画家:ごっちゃんも到着。意志とは裏腹に、高額なシャンパンなどを開けられてしまい、事態は益々訳のわからない展開に。

 さらに河岸を変え、バー:Sに移動したらば漫画家:福本伸行先生の姿が。
 「ちょっと、お墓見ていってよ!」と先生に促され、かつてバー:Sの給湯室だったスペースを見ると、実に立派で迫力満点の墓標が建設されていた。

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 アカギの墓──

 なんたる壮絶なレイアウト。噂には聞いていたが…。ここへのお墓お参りに全国からファンが集まってくるそうだ。
 さらに遅れてやってきた漫画家:Sとも合流し数杯飲み明かしたが、まだ病み上がり体調を引き摺っていたおいらは、1人だけやや先に帰宅。(つっても5時過ぎ)限界だった。

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2009年 09月 29日

Disney’s

 午前中、六本木「TOHOシネマ」着。
 今だ完成には至っていないロバート・ゼメキス監督最新作『Disney’sクリスマス・キャロル』フッテージ試写会へ。
 世界最先端の映像技法"パフォーマンス・キャプチャー"を駆使した驚きの映像世界を断片的に確認。上映時間は正味30分程度。 

 近場の中華屋でチャーハンを喰いながら、明日のゼメキス監督単独インタビューの打ち合わせ。
 続いて同じくディズニー作品『カールおじいさんの空飛ぶ家』試写会へ。
 こちらも来週のいずれかに監督インタビューを検討中。

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2009,アメリカ,ディズニー
© WALT DISNEY PICTURES/PIXAR ANIMATION STUDIOS.ALL RIGHTS RESERVED.

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2009年 09月 28日

1/3杯

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 深夜の入稿を終え、午前1時まで営業の「のろ」を目指したかったが時間的に断念。 
 いつもの居酒屋:Yで一杯やって帰ろうと、先のりしていた先ちゃんらと合流。
 常連作家:Kさんも合流となり、いつもの居酒屋談義な夜更け。
 ウーロンハイ、たったの1/3杯だけ呑んだ。まだ病み上がり。

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2009年 09月 27日

風邪はイカン

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 昨日は22時に就寝。熱さでいっこうに寝つけない。
 あまりに熱が引かないので午前5時にタミフル服用。ホントにタミフルでいいのか?
 汗に塗れた上着下着を着替え、11時まで強引に睡眠。
 12時30分、今日最初の食事。こんな時なので焼肉定食をかっ食らう。
 検温37時2分。ちと下がってくれた。

 定期的に薬を服用し、部屋で安静に。Rちゃんには子供用のミッキー・マスクで過ごしてもらう。
 いつもと何か違う気配を感じたと思しきRちゃん。「おったんが風邪だから、今日はおったんの部屋には来ないでね。こめんねRちゃん」と伝えると、「うん。わかった」と返答。
 部屋には入ってこないが、入口のあたりまでプーさんを持ってきたりしてなんだか寂しい感じで健気。
 
 暫くして、家事に忙しいママにまたしても叱られたのか、ふいにおいらの部屋の入口に現れたRちゃん。
 神妙な顔で「ママに叱られたよぅ」と小声で言ったとたんに抱っこ要請の姿勢となり、大泣き。もう可愛そうで仕方がない。しかし、病み上がりであんまり抱っこして風邪をうつしてはならないと気になるおいら。

 とにかく風邪はイカン。Rちゃんとの時間を割かれる最悪の事態となるので。 

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2009年 09月 26日

丸2時間以上

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 午後、先日のお祭りの際撮ってもらった写真の受け取りに神楽坂へ。
 途中、駐車しようと界隈を走らせていたところ、見つけた駐車場を少し通り過ぎてしまったのでUターン。
 するとたまたま正面からやって来たパトカーから警官が降りてきて路肩に車を促された。
 どうもこの一帯、「Uターン禁止区域」だった模様。くそったれ。標識などどこにも見あたらなかった。
 10分程度パトカーに並んで停車し、違反書類作成の後、提示されたのは減点1の罰金6000円。なんたる日だ。あと3ヶ月でゴールドカードだったのに。
 気持ちも身体も一気に重い。

 地元界隈へ引き上げ、そこからさらに下った場所にある大型スーパーに車を走らせる。
 先ほどの怒りからなのかどうも身体が熱っぽく、買い物の最中もRちゃんとお留守番していたのだが、完全に発熱の自覚症状を知覚。

 帰途の途中、N病院を通過する道中にあったので、18時30分前にそちらへ駆け込んだ。
 検温38度4分。熱っぽいはずだ。
 そこから延々1時間30分以上が経過。まだ名前が呼ばれない。
 いくら何でもいい加減に長すぎるだろうと、「あと何人待ちですか? 1時間40分待っているのですが」と受付で伺ったらその5分後に呼ばれた。
 どういったシステムなのか大いに懐疑的。

 診察ではインフルエンザか単なる風邪なのか(本日昼頃からの発病なら陰性しか出ないそうで)解らないようで、どちらの薬の処方にするのかを選ばせる担当女医。
 当方としては、(自覚症状としても通常の風邪の症状となんら変わりないので、単なる風邪だろうが、世間の報道でもあるとおり万が一を想定し)念のためインフルエンザを想定したタミフルを処方してもらう意志を提案。併せて解熱剤も。
 「仮にインフルエンザでなく単なる風邪であっても、タミフルは有効な薬なんですか?」と確認を促す。それに答える医師の説明が、あまりプロフェッショナルに感じられない。タミフルを服用すると副作があることは充分に解るし覚悟の上なのだが、単なる風邪だった場合の服用に対する薬の効能について明言することはなかった。
 話終わりに女医の携帯が鳴り、(業務のことなのだろうが)話し出したのでそれ以上を確認する気は失せた。

 時刻が20時30分を回ってしまったので、車中で待ちわびるRちゃんらには、近場のうどん屋さんで先に食べてもらった。それでも時間は余るほど待たせることとなった。
 いつものRちゃんの夕飯は18時だと言うのに。ごめんねRちゃん。

 結果、丸2時間以上かかって正味3分の診察時間。近代病院界の実態を体感。違反切符は切らさせれるは、まさに最低の1日。
 昨日、Kが言ってた言葉「64年生まれは今年は最悪の年らしいぞ。(同い年の)おれも最低だ」はドンズバ正解だった。

 帰宅し、およそ40分の仮眠後、焼き肉&野菜炒めを食し、薬を飲んで爆睡。

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2009年 09月 25日

DOOBIE BROTHERS/The Derek Trucks Band

 海陸先生と、NYの報道カメラマン:天平
http://blog.goo.ne.jp/tempei/
http://web.mac.com/tempeiiwakiri/iWeb/E06DBE33-B00A-4612-915B-AC8DF4BA111C/5C1B21F4-0C48-4B38-8AA0-B513E39436FD.html
が同じ誕生日であったことをこの年になって初めて知る。

 男の同級生の誕生日なんぞは、当時たまたま知っていた輩以外知ることもないものだが、甲斐甲斐しいmixi等のお知らせもあってか、この偶然を知ることとなった。
 
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 国際フォーラムでデレク・トラックス・バンド、ドゥービー・ブラザース・バンド、ジョイント公演観戦。
 デレク・トラックス・バンドのダイレクトで純粋なギター・サウンドに対し、ドゥービー・ブラザースの面々の奏でたギター・サウンドはかなり作り込んだ音色に感じた。
 もしかしたらアンプは使わずラインだけで鳴らしてたのかもしれない。
 ハイテクなアンプシュミレーターの採用だったのか。
 ギターの音とはアンプのスピーカーから吹き付ける音厚と振動による「風」が必須だ。
 しかし残念ながら、ドゥービーにその風は感じられなかった。
 反面、デレクはフェンダーのアンプからビシバシ風圧を感じさせてくれたが。

 テクノロジーの恩恵をそのまま間に受け「ギターと真空管アンプ」という、この切っても切れない究極のシステムから離れてしまうと、見事に魅力は半減するのだという気持ちになる。

 とどのつまり、生涯かけて究極のギターサウンドの追求ということに変わりなし。

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2009年 09月 24日

1年近くぶりの再会

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 1年近くぶりの再会などとはとても思っていなかった。
 映画人:Sとの嬉しき再会は、Sから伺ったおめでたいニュースと重なった。
 メールで会話している分、ほんの3,4ヶ月程度のブランクかと思いきや、再会までに丸々1年という時間が経過しているとは、感覚などいい加減なものだ。

 村治佳織、押尾コータロー、ジェイク・シマブクロらのCDをお土産に贈呈し、店で村治佳織の新作『ポートレイツ』をかけてもらう。

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2009年 09月 23日

びっくぼーる

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 ここしばらくはウルトラマン各位に遭遇出来る機会がないようなので、ネット・サーフィンし、日の出から浅草までの船旅を決意。特に意味はない。
 船初体験のRちゃんをCCD映像と一眼レフカメラに収めたかっただけ。
 周りの風景など見る余裕も意識もなく、移動の電車の中からおいらはレンズを覗きっぱなし。
 仕事柄なのか、彼女の背景にはそれなりのベストのタイミングが来るまで調整しながらの特写だ。
 どこをどう走ったのか道中の景色など何も覚えちゃいない。
 
 久々に訪れた浅草寺には観光客がわんさか。さすが休日。
 地下鉄の駅から道路を渡ったお茶屋で食べた抹茶ソフトクリームが思いの外美味く、Rちゃんの分から(彼女で1個は多すぎるので)1/4ほどは戴いた。甘いものは滅多に食べない自分が珍しい。

 徒歩で仲店通りを散策。
 Rちゃんの引いたおみくじは「凶」だったのでなかったことに。

 テキ屋では、300円で限度5個のビックリボール掬い。つまり、金魚すくいのビックリボール版。Rちゃんはやはり真っ先にブルーを選んだ。
 ビックリボールと言ってもかなりデコボコの品なので、きっと商品にならない物を安く仕入れこうした景品に使っているとみた。
 それにしてもこの街の匂いや景観は、道頓堀なり宗右衛門町なりの、関西の繁華街風情にそっくり。

 帰途の電車内で突風のような睡魔に襲われ、やにわに瞳を閉じたおいら。すかさず「パパ、ねんねしたよ」と母親に知らせるRちゃんの声を遠く聴いた端に、本気で完全に10分間オチた。
 自覚症状のなかったパパ(おいら)だったが、えらくお疲れだったようだ。

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2009年 09月 22日

Live From Austin Texas

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 たまには行きつけでないレコード店へも行ってみるもんだ。
 通勤の際、最寄り駅で、ある種の惰性で覗くレコード店のルーティン的意味合いではなく、大型有名レコード店にもたまには時間を割いて行くべきだと思ったのだ。
 失速ライヴ打ち合わせも兼ね、イースト:吉田兄と突発会食。その足で、タワーレコードへ。
 
 「国内盤の発売予定はない」と記されたヤードバーズのライヴ映像を収録したDVDが、まずは目指した品だ。
 荒削りな画質・演奏でありながら、何故こうも彼らの有り様は興味深くかっこいいのか。

 ヤードバーズで演奏されたDazed and Confused、そして(ギリギリ、ツェッペリンの結成直前なのか)ロバート・プラントがヴォーカルを取ったバージョンのDazed and Confusedも収録されており、とても貴重な映像であると同時に、今となっては“作り込み”では構築しようのないかっこよさの極みに項垂れる。
 収録されているそれら一部の映像は、過去どこかで断片的に観た記憶あり。
 
 フロアを徘徊し、見つけたロイ・ブキャナンのDVD『Live From Austin Texas』に再び倒れる。
 全編を通して鳴り聴こえる“まんま”のトーンにしみじみとう頷くのだ。76年頃のライヴ録音なのに、視聴した際、まず初めに聴こえてきたハイハットの繊細な響きがあまりに優れていて(歓びで)眉をひそめた。
 そして何と言ってもここで聴かれるテレキャスターの音粒と言ったらどうだ。
 まさしくこれ以上はなかろうと考えるテレキャスターの音。
 ちなみにキース・リチャーズの奏でるテレキャスターのひとつの音も、同様に凄まじいものがあるが、それはここで語った純然たるテレの音ではないと、ここの演奏でのロイの音を聴けば識別できる。

 哀愁にまみれ、奏でられるのはせつないフレーズばかり。
 サントラ(『ディパーテッド』とか)に持ってこいの、枯れた風情に包まれたロイの色気の真骨頂。
 おいらが東京で観た、事実上国内におけるロイの最期となったライヴは、国産:ローランドJC120で演奏されていた。このアンプの機種が名機であることに異論はないところだが、まったくロイの音ではなかったことを、古い遠い記憶の奥底から思い出す。

 映像を強く観つめながら、視聴機にあるヘッドフォンを耳に当てれば、あたかも今そこでロイが弾いている錯覚に見舞われた。

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2009年 09月 21日

明らかに100円玉

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 駐車場横の瓶の向こうに生い茂る、憎々しい木々の木くずが車体に降り注ぐせいで、季節によっては洗車しても翌日になると意味がない状態となる。もう何年も諦め状態。
 にわかな掃除しかやっていなかった昨今の状態もあり、あまりに野ざらし状態を続けていた車体を久々に磨こうと本格的な洗車へ意識を駆り立てた。
 
 いつもの広いセルフの洗車広場へ行くのだが、道路を隔てた側にあったはずの大型カー用品屋が消えており、そのスペースはいつの間にか車のディーラーに変わっていた。
 一人せっせと水をかけた車体にブラシでゴシゴシ泡立てる。

 小学生の頃、車掃除を手伝い、親父に褒めてもらえるのが嬉しかった。
 今は誰も褒めてはくれないが、一人黙々と作業を進行。つい30分ほど前に別れたRちゃんが、近くのスーパーから帰ってきた矢先、父の姿が見えたその場所から「おった〜ん!」と駆け寄ってくる。
 これ以上の至福はこの世になかろうと思いながら、最後の水かけ。

 マットを退かし、車内の掃除機がけを行った際、明らかに100円玉と思われるコインを吸い込んでしまい、もの凄く後悔の念にとらわれたおいら。

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2009年 09月 20日

オリジナル「俄」再結成

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 家で軽くコピーしていたオリジナル「俄」の曲を初めてバンド・セッション。
 おいらが、70年代にデビューした岡山発のバンド「俄」(一度だけの)再結成話を正式に聞いたのは、先日の吉祥寺ライヴ当日だった。
 バンマス:大先生がオリジナル「俄」のメンバーであり、11月に長野で行われる「俄」再結成ライヴへ参加する流れとなったのだが、同時(瞬時)に現バンド:BAMBIでの参加も決定。
 
 初めてバンド演奏した「俄」の曲は確かに70年代の香りに満ちあふれており、シンプルな曲調の中に感じられる練り込まれたアレンジが好み。演奏すれば心地よさを覚える名曲ばかり。
 LPのプロデュースはあの大野克夫。ちなみにデモ・テープはデビュー前の、無名の山下達郎が担ったのだと言う。
 NSPが売れたのなら俄も売れてよかった。「俄」1st.『俄芝居』は名盤也。

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2009年 09月 19日

Bunkamuraオーチャードホール

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 先だって発売された、ジェイク・シマブクロのライヴ国内盤ジャケットを描いた漫画家:谷口ジローさんと会場入り。
 ジェイク・シマブクロ in Bunkamuraオーチャードホールへ。

 ホールは超満員。
 ツアー中日の頃合いで、演奏的にもまさに脂ののった完璧な技量と色気の炸裂する申し分のないコンサートだ。
 たった一人で2時間以上のステージングをこなす舞台演出には、今回、スクリーン、CCDカメラを駆使したジェイク。
 アットホームな中に、針の穴を通すような繊細なリズムとメロディの機微。とにかく圧巻としか言いようがない。
 今回、初めてジェイクの(ガット)ギター・プレイも拝聴したが、そのスキルには嫉妬を抱くほど。見事。さすが。舌を巻いた。

 終演後、大勢の関係者が待ちわびる中、控え室にジェイク登場。
 ジェイクは谷口さんの描かれたジャケット原画を持参し、記念撮影の後にサインを戴いた。谷口さんも英語版のご自身のサイン入りコミックを贈呈。全編英語フキダシのコミックスにジェイクご満悦。
 冷静にコンサートの出来を確認するジェイクに、おいらは感じたままの印象を伝える。彼と同じ時代に生き、同じ音楽を共有出来る幸運に感謝しながら控え室を後に。

 今後彼は、国内ツアーのわずかな合間にも渡仏し、異国でのライヴを控えているそうだ。
 世界有数のこれ以上考えられないミュージシャンの一人:ジェイク・シマブクロ。今日も世界へ邁進中。 

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2009年 09月 18日

1986年9月28日

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 博多から上京し、東京で初めて飲んだ店は吉祥寺『大茂』(現在、駅高架下にあった当時の場所とは別の店舗へ移転。営業時間も短縮)。
 上京したその日、九州時代の同級生で東京在のTに連れられ、飲んだ店が『大茂』で、当時の彼はライヴハウス『のろ』のスタッフ。(『ライヴハウス:のろ』であるのに対し、「そちらはライフは“うすのろ”さんですか?」と言う電話がかかってきたことのあったTの話をふいに思い出す)
 結果、吉祥寺『のろ』は、おいらが東京に来て初めて認識した飲み屋の一軒となった。

 当時、Tの誘いで1日だけ『のろ』のカウンター内に入り、スタッフの一員的ノリで手伝いをやったことがある。
 「米澤、おまえの好きな漫画家がうちでライヴやるみたいやぞ」そうTが言うのだ。「誰?」と聞けば「江口寿史」と答えが返ってきた。
 背筋に緊張が走った。「ホントか? だったらその日一日、カウンター内でバイトさせてくれ」
 当時、Tが掛け持ちで厨房スタッフをやってた今はなき中箱バー『プレイヤーズクラブ』の厨房の手伝いも、Tの口利きでやっていたこともあったし、そうした行き来はなんだか当たり前のようにまかり通っていた。

 『のろ』でのライヴは、遠藤賢司のオープニング・アクトと言う形で、江口寿史率いる漫画家&編集者で組んだバンドでの登場。
 カウンターごしにステージを見つめていたおいらは、今となっては他のメンバーの印象は何も残ってなく、ほんの数曲しか演奏しなかったその漫画家だけの動向を遠巻きに追いかけていた。
 ライヴが終わり、面々は打ち上げに突入。
 盛り上がる店内。こちら心臓バクバク。小学生時代から憧れたあの漫画家にどうにか話しかけたいのだが、どうしても踏ん切りがつかない。
 「しかしこの絶好のチャンスを不意にしてしまったら、おまえはどんだけのアホなんだ」「後悔だけが残るぞ」自分にそう言い聞かせ、便所で用を足した直後の(当時30歳の)先ちゃんを入口で待ち伏せする。
 「江口寿史が出てきた!」意を決し「あの…江口先生、ファンです」伝えた言葉はそれが精一杯。
 会話の流れでおいらも九州生まれですと告げた時、熊本出身の先ちゃんが「九州ね?」と九州弁の口調で返してきた。
 会話は一瞬のささやかなものだったと思うが、ともかくこの田舎から上京してきたばかりの、見ず知らずの青年に、先ちゃんが最後にかけた言葉が「今度、家に遊びに来なよ!」だった。
 倒れそうになった。初対面のロック小僧に漫画界のカリスマはとても優しかった。
 まだまだおいらはプロギタリストでも編集者でもなかったあの頃。

 その『のろ』が、10月いっぱいで閉店だと、先ちゃんからの最新メールで知らされたのだ。

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2009年 09月 17日

SUPER ROCK'84 IN JAPAN

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 人生ハードロック一色だった19歳の夏。全身が興奮に包まれたあの日。
 1984年8月6日夕方、今は無き「福岡スポーツセンター」(現:ソラリア)においらは居た。
 コンサート名は「SUPER ROCK'84 IN JAPAN」。出演はアンヴィル、ボンジョヴィ、スコーピオンズ、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ
(Bon Jovi,Anvil,Scorpions,Whitesnake,Michael Schenker Group)。

 公演は、当時としては珍しくなかった日本縦断規模で行われていた。ツアー発表前後にクワイエット・ライオット(Quiet Riot)がアメリカで馬鹿売れしてしまい参加できなくなったそうで、当時デビューしたての新人としてボンジョヴィが加わったそうだ。
 つまりまだ誰もよくは知らない、ボンジョヴィの初来日のタイミングとなった。

 正直、記憶ではボンジョヴィ、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループしか思い出せない。思い浮かぶのはカヴァーディールの歌唱力と、マイケル・シェンカーの巧さとフレーズの色気、ボンジョヴィの元気さだけ。
 マイケル・シェンカー・グループのヴォーカルはレイ・ケネディーという臨時の雇われボーカリストだったそうで、当時を記した記述では大層悲惨なパフォーマンスだったと言われているようだが同じく記憶にない。
 これらの豪華メンツの中で、さらに記憶の片隅にも残されていなかった完全黙殺状態のバンドが居た。
 
 アンヴィル------

 このバンドのことは記憶を司る海馬から本能的に抹消されてしまったのか、無意識に記憶に蓋をしてしまったせいだったのか…。
 
 アンヴィルは、80年代中頃に活躍したカナダのヘヴィメタルバンド…だと今日初めて知った。「メタル・オン・メタル」をヒットさせ、84年のこの機会に来日公演を果たしたバンドだったようだ。
 「アンヴィルのハードコアなメタルはスラッシュメタルやデスメタルの先駆けとも言われ、メタリカのメンバーもはっきりとアンヴィルの影響を認めている。ガンズのスラッシュやモーターヘッドのレミーも彼らを高く評価」と資料にある。

 しかし、アンヴィルはその後、世間の目から消えた。

 そのアンヴィルのドキュメント映画『アンヴィル!』を本日鑑賞したのだった。
 今から1年以上前、S社:Sよりその作品の概要は聞かされており、内容だけで興味津々だった。
 来日公演こそ果たし、当時その分野の方面ではそれなりの注目を得たバンドだったようだが、大した成功も果たせないまま埋もれてしまったバンドの一つ。
 映画はバンドのヴォーカルでギターのスティーヴが、アンヴィルを復活させようと四苦八苦する様を追いかけたドキュメンタリー作品となっている。

 これが大変な傑作映画として構築されているのだ。まず予告編で惹き込まれることになった。

 映画『スクール・オブ・ロック』はおいらも漫画誌上で大いに啓蒙記事を作成したものだったが、本作も同様、是非音楽の好きな者には大いに啓蒙したい気持ちになった。
 S社スタッフで、おいらの隣で鑑賞していたRは、終始涙を拭いながらスクリーンを見つめていた。
 売れる売れないのせめぎ合いは、ショービジネスの世界に不可欠であり、現実としてその活動の歴史と生活にすべてのしかかるシビアなジャッジとなるのだが、成功した者にも成功の途上にある者にも、胸に訴えかけるであろう内容の作品だった。
 勿論、アンヴィルの音楽の善し悪しは聴く者による判断であることで構わない。
 ただ、アンヴィルのメンバーが憎めない魅力的な人物であったことには確信を抱いた。
 スラッシュによるリスペクトの意を表したコメントが感慨深かった。
http://anvilmovie.com/

●ANVIL(アンヴィル)
リップス(LG&LV)
デイブ・アリッソン(G&V)
イアン・ディクソン(B)
ロブ・レイナー(D)

●BON JOVI(ボン・ジョヴィ)
ジョン・ボン・ジョヴィ(LV&G)
リッチー・サンボラ(LG&V)
アレック・ジョン・サッチ(B&V)
デヴィッド・ラッシュバウム(K&V)
ティコ・トーレス(D)

●THE MICHEL SCHENKER GROUP(ザ・マイケル・シェンカー・グループ)
マイケル・シェンカー(G)
レイ・ケネディ(V)
デニス・フェルドマン(B)
アンディ・ナイ(K)
スティーブ・オーギー(BV)
テッド・マッケンナ(D)

●SCORPIONS(スコーピオンズ)
クラウス・マイネ(V)
ルドルフ・シェンカー(G)
マティヤス・ヤプス(G)
フランシス・バッチョルズ(B)
ハーマン・ラルベル(D)

●WHITESNAKE(ホワイト・スネイク)
デヴィッド・カバーディール(V)
ジョン・サイクス(G)
ニール・マーレー(B)
コージー・パウエル(D)
リチャード・ベイリー(K)

投稿者 yonezawa : 11:59 | トラックバック(0)

2009年 09月 16日

Jean Giraud

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 Sからのメールで唐突にメビウス[Moebius]の画集欲に駆られた。
 1年前、Sに対して「おまえにメビウスを教えたる! 次回会うときには画集を観せてやる。覚悟しておけ」と言った約束をきっぱり忘れていた。

 メビウス(ペンネーム)=ジャン・ジローは、日本選りすぐりの漫画家諸氏にも多大なる影響を与えたフランスの漫画家。
 中でも「鷹が猫と戦い、鷹が勝利を収め、猫の目の玉を咥えて飛び去り、そこから離れた場所に待っていた目のない主人に、その猫の目を差し出す…というサイレント・コミック」とか「身体が徐々にデキモノのようなものでふくれあがり、いっぱいになり、やがて岩みたいになってしまう…というサイレント・コミック」がとりたてて欲しくなった。
 あと、ジミヘンの『ヴードゥー・スープ』も。

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 この↑ジャケットに描かれたイラストにも、当時呻ったものだった。

 フランスの出版社の友人:Dは、わざわざメビウスの奥様からCD-Rにイラストを写し込んでいただき、一昨年前の来日の際、おいらにお土産として贈呈してくださったことがあった。
 時代時代に絵柄の変化がありながらも、一貫してその魅力は薄れることがない。
 素人風情に、安易に「あんな絵が描きたい!」などと想像すらさせない圧倒的な線。しかもシンプル。
 公式にはクレジットされていないそうだが、メビウスはリドリー・スコット監督によるSF映画『ブレードランナー』には主要キャラクターの衣装デザイナーとして参加しているそうだ。
 
 谷口ジローの傑作漫画作品『イカル』

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では、メビウスが原作を務めている。

 日本漫画界に次いで、フランス(&ベルギー)コミック界にも多くの逸材が存在するかと思うが、未だかつてメビウス以上の線を感じさせるヨーロッパの漫画家には出会ったことがない。

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2009年 09月 15日

BOX SET

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 いくらでも入手可能かと完全にタカをくくっていたザ・ビートルズ・モノ・ボックス(BOX SET)【初回生産限定盤】 は、EMI:Nちゃん情報によれば今後は入手困難だと今更知る。
 あらゆる分野にマニアは存在しようが、ザ・ビートルズ・マニアの緻密さを凌ぐマニアはなかなか見つけづらかろう。売れた数字が物語る。

 モノ盤には、一般的と考えるオリジナル・アルバムのタイトルが数枚欠けているようなので、結局ステレオ盤の方をコレクションしたくなるところだが、すでに恐ろしいプレミア金額設定でコレクターズ・アイテム化されていることを知ると、まんまと欲しくさせられたモノ盤。
 そのステレオ盤の方にしろ、次回の出荷が確か10/25。
 中学時代、自宅にあったモジュラー・ステレオの前に座り、ヘッドフォンで何百回赤盤を聴いたことか。
 ザ・ビートルズはいつも懐かしく、聴くと嬉しい音楽。 

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2009年 09月 14日

すべては夜から生まれる

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 アナログの原画を高解像度でCD−Rに取り込み作業。デスク上の雑務が後を絶たず。

 夜、自由人でフリーライターの仕事仲間:Oといつ以来かの会食へ。
 待ち合わせた地下鉄出口の番号をメールで書き間違えるおいら。

 先日、自ら幹事でありながら、入稿でたどり着けなかった飯屋を訪問。
 Oに依頼する一連のリライト原稿の納品のスピード、クオリティには信頼があり、先だって部内の上司に依頼された個人的原稿起こしの作業もそつなく敏速に対応してくれた。
 労いの意味も含む、語らいの機会を得た。
 映画談義も恒例の話題のひとつなのだが、おいらのノーチェックだったO推薦の映画『すべては夜から生まれる』DVDをご本人よりレンタル。
 HD内の見たい未見の映像も多数ありながら、また1本見なければならないタイトルとの遭遇。
 同作品で主演をつとめる、北野武監督作『Dolls』にも出演した西島秀俊は気になる俳優の一人。

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2009年 09月 13日

若宮公園

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 デザイニングスタジオ:ジェニアロイド
http://genia.blog20.fc2.com/ 
 の代表:Kより拝受したウルトラマン情報に乗っかり、まだまだ日の高い夕方、神楽坂へ。
 車を駐め徒歩で若宮公園へ。入場30分前にはすでに地元の家族連れの方々が列をなしていた。
 ネットで見ると毎年(少なくとも昨年は)行われたウルトラマン・イベントのようで、今夜も2人のウルトラマン(ティガと?)がやってくる予定。
 ポップコーンを頬張り、ヨーヨーをつり上げ、金魚すくいにもチャレンジするRちゃんだが、もうあと1年はゲーム成立に時間がかかりそう。
 しかし「やる!」意志は誰にも負けない。
 金魚は残念だったが、強引に大負けでヨーヨーを3個、くじ引きではマグカップ等をゲット。
 予定のバルタン星人は、子供たちが泣くことが懸念されるので、ウルトラマンとの記念撮影がすべて終わった後に登場させるのだそうだ(笑)。
 我々はバルタン星人の登場までは待てずに、2人のウルトラマンのみと記念写真を撮って帰途に。
 撮ったその写真は、およそ12日後に取りに行かねばならないとのこと。
 ちなみに電柱に告知してあったバルタン星人の登場まで、我々は待てなかった。
 先にバルタン星人を登場させるとチビッコたちが泣いてしまうのだそうだ。

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2009年 09月 12日

違うピース

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 雨模様で神楽坂遠征は取りやめに。
 世田谷の音楽人:Tのもとを家族で訪れた。
 4年ぶりの再会となるのか。積もる話というよりも、目の前の日常を見つめた会話に終始し、それこそがわずか小一時間の空間を温かくしてくれた。

 帰宅し、HDレコーダーに録り込んでいた過去の音源を久々に聴いてみると、「こんな曲かいたっけ?」と思ったレパートリーの断片がいくつか。
 その時その時の感情を放り込んだ音源には、今の感情とは赴きの違うピースのいくつかが記録されており、改めてコードをコピーしなければ思い出せなかった曲も。
 つまり極めて第三者的客観視して聴くことが出来るので、善し悪しの判断も早い。
 1からの楽曲制作にもボチボチ取りかかるべし。

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2009年 09月 11日

敦賀明子(オルガン)

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 渋谷:東京メイン・ダイニング[TOKYO MAIN DINING|SHIDAX]という地は初めて。
 こんなところにこんなスペースがあったのか…とやや驚く。

 公式HPではソールド・アウト。
 Charge Jazz Live AKIKO TSURUGA TRIO[敦賀明子(オルガン)、田井中福司(ドラムス)、石川政実(ギター)]のライヴ観戦を目指した。
 敦賀さんとは丁度1年前、NYはハーレムのクラブで知り合った。
 事前に敦賀さんにもメールで伺っていたのだが、席はなかろうと思いながらも行けばなんとかなろうと音楽人:Tと共に現地参着。
 ポツンと空いた真横がぶりつきのテーブルを用意して戴き着席。久方ぶりとなる敦賀さんの生オルガンをゆったり堪能させて戴く。

 アルバム『Oriental Express』のジャケ写には、彼女と初めて遭遇したハーレムでのクラブで友人:Tの撮影した写真が一部にコラージュされていると彼女に聞いた。
 会場でそのCDを購入しようと陳列された商品コーナーを覗いたら完売。残念。
 身体全体で「楽しくってしかたがない気持ち」を表現する彼女の音楽はいつでも陽気で素敵だ。

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投稿者 yonezawa : 16:56 | トラックバック(0)

2009年 09月 10日

水炊き

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 編集部内の島(班)で初めて夕飯に。
 Aの明確なリクエストでチョイスした水炊きがとても美味い。
 博多発祥の水炊きは、幼少の頃から我が家でも定番のメニューのひとつだった。
 しかし、博多で外食として水炊きを食べたのは東京に来てからだったと思う。

 鶏ガラスープに鶏肉や野菜を入れて食べるわけだが、今日の店は白菜ではなくキャベツを使用。別名「博多煮」 とも呼ばれる水炊きには早生キャベツが定番なんだとか。

 カレーにしろ、唐揚げにしろ、水炊きにしろ、子供の頃食卓に並んだ、おふくろ作成の料理がやはりまた食べたいものだ。

 遠慮のいらない戦友共と爆笑の宴が続く。
 河岸を変え、ワインをかっ喰らう前に20代の若者1人が真っ先に船をこぎ出した。

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2009年 09月 9日

下北沢 CLUB 251

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 午後6時、ヤングジャンプ30周年記念企画のひとつ「YJクロニクル」記事のため、編プロ:ライターによる漫画家:高橋ツトムへのインタビュー開始。
 彼がヤンジャン本誌に登場してすでに10年以上の月日が流れた。本誌へ執筆することとなった経緯より、質疑応答が始まる。

 2000年1月よりこのブログは書き記しているのだが、高橋ツトムとの出会いは99年以前のことなのですでに記憶も曖昧となり、初めて高橋ツトムと遭遇した日付は正確には思い出せない。
 しかし最初の遭遇がライヴハウス「下北沢 CLUB 251」での対バンだったことは明確に記憶している。
 漫画家:若林健次に誘われ、当時のおいらのバンド「パンクラ」で参加させて戴き、若林健次、おおひなたごうらとバンドを組んでいた高橋ツトムという漫画家を初めて認識した。

 それ以前、パンクバンドをやっていたという彼の突き刺すような眼光がまず印象的で、俗にイメージされる漫画家の雰囲気など1mmも感じさせない、初めて遭遇するタイプの男。
 ちなみに、もう1つの対バンには、今をときめく天才漫画家:二ノ宮知子のバンドも登場していた。
 
 『ALIVE』でヤンジャンに登場するのが99年からなので、そこから遡る1〜2年の間に編集者として彼を口説きにかかったという経緯だったか。
 高橋ツトムは今年デビュー20周年。ヤンジャンに描き初めて10年。
 本誌で描いた作品中3本が実写化。漫画から派生したメディア・ミックスは現在も尚延々続いている。
 申し分のない経歴を経て、年内にキャリアを総括する大型企画を勝手に妄想するこの頃。

投稿者 yonezawa : 19:04 | トラックバック(0)

2009年 09月 8日

画面が変

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 なんだか蒸し暑い。今朝の寝端もそうだったが起きがけも蒸し蒸し。
 シャワーを浴びてしばらく涼むのだが、Tシャツがほんのり汗で滲んだのでまた着替えた。
 
 パナソニックHDDがメイン機器として稼働する故、滅多に電源すら入れないソニー・ブルーレイを機動させた。
 今朝の夜中、『中野浩一V10の軌跡』が収録されたビデオテープからパナソニックHDDのDVDにダビングし、ファイナライズを終えたディスクのテスト行うためブルーレイ本機に挿入。
 画面が立ち上がり、ちゃんと再生出来るのか確認しようとしたところ、どうも画面が変。
 色が、特に赤みが抜け落ちており、カラーと白黒の間のような色彩になっている。
 起きがけの自分の目の方がおかしいのかと当初思った。
 
 ともかくディスプレイの操作画面からそんな調子。
 過去ダビングしたハイビジョンのRちゃん映像もすべて色あせて再生されてしまうようだ。
 通常のテレビ放映にしろ同じ。おかしい。
 
 この具合は本機の故障によるものか? 
 即座に家電のプロ:DEDDEO:Kに連絡すると、「ブルーレイとモニターは何で繫いでいる? 音声には問題ないのなら映像端子の接触不良によるものかもしれない。もしD端子ならD端子の確認を。接続面が繊細なので。ピンなら黄色の画像端子を確認し、今の接続がD端子ならそちらを外して黄色のアナログ端子をとりあえず繫いでみるなりしてみて」と迅速かつ明瞭な回答。

 どこをどう接続したのかなんて、やったそのときしか覚えていないので「よっこらしょ」とテレビをズラし裏側に回り込み、接続端子部分を覗いてみた。
 するとD端子がなぜか斜めに刺さっており、一度抜いて90度に真っ直ぐ差し込み直してみた。
 瞬間、画像の不備がとたんに解消。こんなくだらない理由だったとは…
 しかしながら専門家に一言言われなければ、コロンブスの卵のごとくこうした単純な理由にも気づかない。
 Kがオーディオ機器、家電に関する一流のプロであることを充分に証明するひとつのシーンと言えた。
 大感謝。

投稿者 yonezawa : 01:05 | トラックバック(0)

2009年 09月 7日

カセットとmp3

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 iPod Touchのデータ移行に手間取るおいら。
 しばらく使っていないものだから、基本的な打つ仕込み方の要領を忘れてしまっている。
 そう言えば、先日久々に再会したTさんから「カセットのウォークマンを使っている」と聞いた時にはさすがに驚いた。
 カセットのWデッキは、先日Rちゃんによる執拗な過剰操作によってか、パワーを入れるだけで「カチッ・カチッ・カチッ...(エンドレス)」の音が出てしまい、再生も録音も出来なくなった。
 サンプル盤としてレコード会社より希にカセットでの試聴盤が届くケースも、つい2年ほど前まであるにはあったが、ここ最近は一切見かけないのでレコード業界でも流通上、いよいよ無くなったのかもしれない。
 MD音源をmp3に変換する仕事が今後、残された。
 
 深夜、駅より30分の徒歩帰還。

投稿者 yonezawa : 01:27 | トラックバック(0)

2009年 09月 6日

ウルトラマンアグル

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 東京駅構内B1にあるキャラクター・ショップへ、ウルトラマン人形を買うだけのために向かった。
 ウルトラマン関連キャラの中で「アグル」というものがおり、多分モブ的キャラだと思われるのだが(違うか?)ブルーのウルトラマンがいる。最近の調査で知った情報。

 サンシャインでのイベント内キャラクター・ショップへ赴いた際、Rちゃんが突進して鷲づかみした人形がアグルだった。
 そこで「(初代)ウルトラマンはいらんの?」と、こちらがまず推進したいキャラを指して伺ったところ、最終的に彼女は大人の手のひらサイズのフィギュアに初代ウルトラマン、指人形にはアグルをチョイス。
 アグルに関しては色彩が青だったことが好みの理由だったと分析。
 その日から今日まで、延々その2つの人形を常に身の回りに置いてるRちゃん。
 今日もアグルだけはポッケに忍ばせ、持ち歩いている。
 プーさんやら他3体ほどの人形類を持っていこうとしていたので、協議の上アグルだけにしてもらった。なくすので。

 結局、本人が選んだ指サック人形は今回8キャラを加え、全部でハンパな数の9体がコレクションに。
 今後、これが何日で何個なくなるのかが懸念されるところ。
 この2ヶ月でおいらのチタンネックレス2本がRちゃんによってどこかに隠されたこともあり。

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 現地で食べた塩ラーメンがもうひとつで、とても残念。六厘舎は人が並びすぎで断念。今だ六厘舎未体験。
 猛烈な睡魔の中、帰途へ。

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2009年 09月 5日

JAZZ KEIRIN

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 下高井戸の東京讃岐うどん屋「JAZZ KEIRIN」には、法政大学2部ジャズ研究会OB会の打ち上げ以来に訪れたので、もう何年ぶりになるだろう。
http://www.jazzkeirin.com/

 料理人時代のおいらが大学に所属していたわけではなかったが、縁あって20歳ぐらいからギターの参加で、なし崩し的にサークル活動を数年間過ごした時期があった。
 オーナー:T氏は、おいらよりも1個年上の同じく2ジャズ出身。
 久々の再会を果たした(2ジャズ内では同期のような)TTが、何年ぶりかに誘ってくれた店がここだった。
 
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 閉店間際にお任せで出てきた酒のアテの何もかもが美味い。
 時間的にカマの火を落とさねばという事情もあり、うどんの選択も店主:Tさんに任せ、冷たい(確か)白カレーうどんを戴いた。味◎。

 酔いに任せ、競輪好きのTさんの話を聞くうちに、思わず90年頃、当時まだギリギリ現役選手だった中野浩一選手へのインタビュー(江口寿史先生との対談企画)のことを思い出した。
 プロスプリントで世界10連覇した奇跡の実績は尋常ではない。

 中野は1976年に初めて世界自転車選手権に参戦。
 翌1977年には世界自転車選手権プロスプリント種目で初優勝。それから毎年同種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成した後、自ら同競技より身を退いた。「KEIRIN」を世界的に認知させたのは間違いなく中野だった。

 当時伺った淡い記憶ながら、V10を振り返った中野は確かこう語った。「初優勝の時には、『あいつは誰だ?』と言われ、誰にも認知されなかった。2度目以降の連覇の積み重ねにより『東洋人?』『日本と言う国から来たヤツなのか?』『ナカノという選手なのか!』と徐々に名前を覚えられ、認知される評価を目の当たりにしながら競技を行っていたものでした」
 「後に、もう自分が身を退き、世界一の走者でなくなった後にも、ヨーロッパの大会にゲストとして招かれると、ポスターの一番上には大きく『Koichi Nakano』と書かれてあるんですよね。嬉しかったなぁ」
 世界チャンピオンの名は、その次にナカノの文字よりも一回り小さい字で記されてあったそうだ。
 中野の偉業は、他の、どのスポーツのどの優れた選手にも匹敵、あるいは凌駕するほど桁違いの素晴らしいものがある。

 『世界自転車選手権プロスプリント10連覇』
 この記録は、20年以上経った現在でもいまだに破られていない。 

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2009年 09月 4日

ネット蟹/Inglorious Bastards

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 ネットで買ったボイル済みの冷凍訳あり蟹到着。
 (約束の)1kgの重量を量りで計ると1kg超えで0K。以前、現地で推薦された店へ赴き、購入後、田舎にも送った蟹が購入した品よりも(おいらの推定)600g以上も満たないケースがあった。そんな業者には心底腹が立つ。住所も店名も場所も知っている。今回は納得。

 贈り物の場合、送る側も受け取る側も確認のしようがないので、ネット注文はとにかく慎重さが必要。喰うのは来週か。Rちゃんは喰えるのか。

 夕方、映画『Inglorious Bastards』完成披露試写へ。
 監督・脚本はクエンティン・タランティーノ。

 女性にはあまりお薦めしにくいグロいシーンもふんだんに出てくる作品なのだが、シーンシーンに爆笑させられた。
 結果、勢いとしては“クエンティンの最高傑作”と称してもよいほどの緊張感を感じさせた傑作だった。
 きっと公開が始まれば、ブラピよりも52歳の無名ドイツ人俳優:クリストフ・ワルツの評価が際だってくると想像している。
 もちろん主演として登場するブラピも最高だったが、完全に彼(ワルツ)の作品として構築されている印象だ。これまで世界的にはほぼ無名の役者。ワルツ演じるランダ大佐は「冷酷かつ語学に堪能」という設定がとにかく絶妙。
 さすが、クエンティン。
 結果、今年のカンヌ映画祭で見事、男優賞に輝いた遅咲きスターの誕生だ。

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2009年 09月 3日

Portraits

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 「週に2、3回徒歩帰宅出来ればまぁまぁかな」という感覚でいるこの頃、今日も深夜の道中は徒歩で帰宅。
 今週は予定しながら3本の試写会を見送り断念。
 村治佳織「Portraits ポートレイツ」が優雅。

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2009年 09月 2日

関西にて第二子

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 過去に2度、満席で断られてしまった店:Tへようやく入店出来た。
 大将は「たまたまですよ、ホントにたまたま」とおっしゃるが、この店が人気店になりつつあることは第三者情報からも窺い知れた。
 Iとの飯は常に久々だ。
 彼は全国を飛び回る業務もある故、日程の摺り合わせが益々困難になりながらも無事再会を果たした。
 
 卓につき、しばらくすると関西の同級生:K先生より「業務終了〜」メールが。
 つい先日、めでたく第二子を授かったK家。その後、親父(K先生)の声を初めて聴いた。
 彼のmixiに事の詳細が記されてあるのだが、その文面はいつになくハラハラしながら読んだ。文脈を見る限り、どれほどの修羅場だったのか想像するのも恐ろしいほどの切迫感を感じたものだが、最善を尽くした彼らの処置がすべてを無事に導いた様子。
 嬉しい。嬉しくて、まだ大して呑んでいなかったが、心が喜びで泣けてきた。

 男ごとき、確かに女性には勝てないわな。よかったよかった。K先生、おめでとう。

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2009年 09月 1日

焼鳥屋と訳ありカニ

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 深夜の風にあたりながら徒歩で30分、帰途の道中を今日も歩いた。
 いつも通る歩道沿いに焼鳥屋がある。
 店の前を通る時に香る独特の居酒屋、というか焼鳥屋特有の匂いが16歳時分のバイト先『喜怒哀楽』を思い出させる。
 串焼きを焼いた煙にアルコールの混じった、なんとも言いようのないあの香り。
 レコードとギターおよびギター周辺機器を買うためだけに夜のバイトを続け、十代の頃からたくさんの飲食業に携わったあの頃。
 同級生よりもちょっとお小遣いの多い優越感と、大人のように給料を得る快感が同居する特殊な心境だった。
 バラは渋谷の『鳥金』につきる。

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 楽天の訳あり商品「【訳ありカニ】ボリューム満点!足折れ混ざりの訳ありだけどタラバガニの美味しいところだけをどっさり約1kg前後詰め込んで今だけ格安特価でご提供!」といううたい文句にあおられ、何も考えないまま1クリックで注文してしまった。
 果たして姫は食べてくれるのか?

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