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2009年 08月 21日

Happy Birtheday

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 例えば知り合い女性の多数が標準的に30歳半ば頃を過ぎる年齢になると「誕生日を迎えても、もう喜べる年じゃない」というような言い方をする。何十回も聞かされたフレーズ。
 逆に男からはあまり聞かないフレーズのひとつだ。
 作家の出版する本の見返しで、プロフィール部分に生まれた月日を入れる割には、年度を入れない作家の意味も解らない。
 年を言ったところで抱く印象など何も変わらないのに…とかねてから考えるおいらは年を隠す気持ち自体が解らない。

 おいらにすれば、己の人生において最も重要な1日。
 今日はおふくろの誕生日。

 数年前にも書き記したかと思うが、時間があれば常に日頃の運動を絶やさない母。特に卓球に関しては冗談抜きに真剣勝負したら未だに勝てないかもしれない。
 なにせ定期的に練習している故、いきなりの対決なら勝つ自信がないのだ。
 親父も強かったがおふくろも屈強な継承者。まだまだ強い。誇らしい。

 大陸生まれの母が厳格な親父の家に嫁いでから今日まで、家族、身内を献身的にサポートする人生が続いている。
 物心ついてからおふくろの横顔を見つめてきた我々姉弟3人の母を思う印象は同じだ。
 親父の父母とは、祖父母本来の身内よりも真摯に向き合った。それぞれ人生の最期まで看取った最たる“身内”がおふくろだった。
 父方の祖父が自分の娘・息子よりも比較にならないほど母を信頼し、亡くなる何年も前からその気持ちにブレがなかったことは、祖父が遺書に書きつづらなくても孫のおいらたちは知っていた事実だった。

 親父も含め、おふくろにも「何故そんな貧乏くじのような、第三者の犠牲になるのだ」というような、当時としては腑に落ちない選択をしていた両親にいらだちを覚える時も多かった。
 しかしその考えは間違いだった。
 彼らの大いなる人間性の度量が、そうした生き方を選択させたことに気づいたのは、親父が現役を引退した頃辺りからだったか。
 果たして母は、これまで何人の者たちの生活の助力をしてきたことだろう。

 翻って現在、今日も実祖母の日常をサポートし続け、実娘の深刻なる悩み事を受け入れた。
 一般的に高齢と呼ばれる今頃になっても尚、複数かつ育ち盛りの孫を現実的に育てながら、ほんのささやかな自分の時間を“健康維持”に充てる母。
 「私が倒れるわけにはいかんからね!」笑いながらそう言う母は、自身のおかれた立場として自分がいなければ歯車が狂ってしまうと、結局第三者の生活を最優先して考えている。

 頭が上がらない。
 おふくろの生き様こそ、永遠の最大のリスペクトの対象。その気持ちは勿論永遠だ。

 Happy Birtheday

投稿者 yonezawa : 2009年08月21日 18:12

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