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2009年 01月 22日

恒例の第四編集部新年会

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 恒例の第四編集部新年会。
 年に一度、東京會舘へ行くこの日だけはスーツ着用の一日となる。
 1年を通じてイレギュラーの冠婚葬祭等がなければ、スーツに袖を通すのは今日一日だけ。
 入稿原稿をギリギリまで確認し、開宴直前の夕方現地着。
 この日しか会わない方々も大勢ご来場。会場を徘徊し、たまたま遭遇した漫画家先生諸氏と交互にご挨拶。終始労いの空間。

 昨年も会話する機会を得られたちばてつや先生と、今年も談笑させて戴けた瞬間が感激だった。
 先生と交わした、以前NHKで放映されたドキュメント番組『引き揚げはこうして実現した~旧満州・葫蘆(ころ) 島への道~』の話は、おいらにとっても印象的だった。
 「ハルビンから引き上げた方々は、(比較的悲惨さは少なく)大丈夫だったみたいなんだよね」と伺ったことから、これまでおいらが母親から伺っていた話の点と線が結びつく。

 戦前戦後、満州からの引き上げ組の方々には、歴史的に悲惨な方々も間違いなくいらっしゃる中、多くの財産を失い、果てしれぬ奇跡的な障害を乗り越えてきた祖母&おふくろ&おふくろの妹が、少なくとも無事に日本へ帰還出来、将来おいらを産んでくれた経緯を考える度に、言葉では言い表せない感慨深さと同時に、この上ない有り難さを感じるのである。

 おいらのおふくろがハルビンからの引き上げ者だと知るちば先生より、「じゃあ、お母さんはとても大らかな方じゃない? ハルビンの方はそういう方が多いんだよね!」と伺った瞬間おもわず頷き、「母は大らか過ぎます」と答えたおいらだった。
 ただただ嬉しく有り難い瞬間だ。大陸生まれのおふくろのおおらかさは、おいらにとって永遠の誇り。
 満州引き上げの話は、母親の次においらにとっての人生最優先事項の歴史である。

 やがて会もお開きの頃合い。
 二次会会場へ向かう前、ラッキーにも大先輩:Hさんにお声をかけて戴き、ロケンローラー:Bさん共々食事へ。
 一応、主催者側の立場なおいらは、基本的に会場では何も口にしないままのケースが多く、おいらも例外なくお腹ぺこぺこ。
 確か昨年もHさんにお誘い戴き、豪華にご馳走になったっけ。
 おいらよりも一回り前後先輩のHさんと、親子ほど年の離れたBさん。
 人としての懐の深さを認識させられる貴重で重要な時間が流れる。
 お二方に深く大きく感謝。

 気がつけば、時間はすでに三次会突入の頃合い。
 電車で新宿駅へ向かい、徒歩で三丁目まで移動。雨模様が鬱陶しい。
 現地店舗はほぼ満席の様相。もう20年以上の時を数える古い付き合いとなった居酒屋:池林房で、集英社第四編集部・忘年会三次会真っ直中。
 
 宴は5時を回り、近場の居酒屋で先ちゃん、ごうちゃんらと再乾杯をカマし、例によっておいらの提案によりラーメンで〆。
 先日ラーメン本を発売した先ちゃんはおよそ半分程度しか食べられず。
 帰宅した時、午前8時を目前とする時間を時計の針が指していた。

投稿者 yonezawa : 2009年01月22日 23:15

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