2008年 08月 5日
レッドクリフ
午前10時30分過ぎ、出発。
もより駅から地下鉄大江戸線を経由し、目的地駅で下車すれば、取材先のホテルまで雨に濡れることもなく辿り着くことが出来る。
そのせいで、熱帯のスコールみたく激しい豪雨の様相にも気づかないまま、静寂な48階のスイートルームに登り詰め、ガラス越しに広がる薄暗い灰色の街並みを改めて眺めていた。
スチール用のカメラとは別に、自前のDVカメラをセッティングし、テレコ2台にマイクをセット。
オンタイムで漫画家:本宮ひろ志先生、到着。
15分後に、映画監督:ジョン・ウー、到着。ジョンン・ウー監督は映画『レッドクリフ』(11月1日公開)プロモーションでの来日だ。
なんと、日本漫画界の首領:本宮先生と、映画界の良心:ジョン・ウーとの“漢”対談が実現する運びとなった。
先週の閃きが、こうして実際に成就することになるとは、企画した当のおいらも正直、感激の戦慄を覚えている状態。
本宮先生とは、もう17年くらい前になるだろうか。
当時、先生の会社で発売したファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム・ソフト『おたくの星座』(ストーリー:本宮ひろ志、キャラクターデザイン:江口寿史)の取材時に、今日と同じようなインタビューを行った以来。
ジョン監督とは、2004年3月13日公開の映画『ペイチェック 消された記憶』取材時のインタビュー以来。
ヤンジャン本誌で長年執筆される本宮先生だが、ご本人を目の当たりにすると未だに緊張感が背中を駆け抜ける。個人的には北野武監督と同じ質の匂いを感じる時がある。
04年の取材時以降、暮れの時期に一筆添えてお送り下さるジョン監督からのクリスマスカードが、今も我が家の家宝となっている。
受け取った時の、あの感激は忘れられない。
対談に関しては何をどう決めていたわけではないものの、本宮さんの振った言葉に対して、饒舌なジョン監督の回答が帰ってくる。
交わされる言葉を自分なりに咀嚼しながら頷き、まさに同世代の2代巨頭のツーショットを目の当たりにしているおいら自身の幸運を感じ取っていた。
取材は異例の85分。インタビュー対談&撮影を滞りなく終え、ジョン監督と労いの握手を交わし、部屋を後に。
ロビー階ラウンジで本宮先生を囲み、初めてあんなに長い時間、談笑する機会に恵まれた。
漫画でも政治でも映画でも小説でも、本宮先生の睨んだ見解は実に的を得ており、胸のつかえが取れゆく感覚。作品を読めば一目瞭然ながら、あまりの博識ぶりに感激し、かつて本宮漫画一のファンだった自分のことを思い出していた。
この機会に、中学時代においらが『硬派銀次郎』一色であったことをカミング・アウト。
実に有意義な時間だった。大先輩のお2方には最大の感謝。
夜、JR中野駅では、落雷による電気系統のトラブルで運行の復旧が遅れ、電車が立ち往生を喰らっていた。ホームはいっぱいの人で溢れかえっている。
遅れに遅れて到着した電車は、すでにすし詰め状態。通勤ラッシュ時の状態で、とても乗れる様相にあらずと判断し、直ぐさま改札を抜け、タクシー乗り場へ移動。
しかしココも激しい長蛇の列。もう最悪。
街道へ徒歩移動し、駅からおよそ500Mほど離れた抜け道で巧い具合に流れてきたタクシーを拾い、吉祥寺で先ちゃんと待ち合わせ。
今日の、本宮さん・ジョン・ウーのエピソードを口火に、やがて話は本題へと突入していった。
投稿者 yonezawa : 2008年08月05日 02:15
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