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2007年 06月 24日

逝去

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 午後を少し回った時間に、Rちゃんの体重で目覚める。
 シャワーを浴び、礼服に着替え、目的地の地図をプリントアウト。6月22日 5:37:23、映画監督で大親友の篠崎誠よりメールが届いていた。

「米澤様

 米澤さんや市山さんらと1999年のロカルノ映画祭で一緒だった
 編集者の田畑裕美さんが昨夜遅く、胃がんのため、逝去されました。日月か月火に通夜と告別式が行われる予定です。
 詳細がわかりましたら、御連絡します。」

 言葉を失った。

 映画人の友人、田畑さんとはここのところは試写会場でお会いする程度だったが、年賀状のやりとりもあったし、折に触れて映画談義をさせていただく貴重な友人のお一人だった。
 おいらの企画プロデュースした渾身の書籍『maters of TAKESHI』で、海外ゲスト執筆陣の一部中継をご協力いただいた事をきっかけとした映画を通じた友人。

 ロカルノ映画祭では、『ジャム・セッション 菊次郎の夏<公式海賊版>』で会場を熱狂させた篠崎誠監督、初の商業作品を上映した『どこまでもいこう』の塩田明彦監督らのご一行者に紛れ、数少ない日本人の一人として単独で現地入りしたおいら。
 その際、おいらのホテルを手配してくださったのが、先発隊で出発されていた田畑さんだった。
 『maters of TAKESHI』の想い出話を肴に、ワインを飲みながら語り食事をした彼の日が最後の思い出となってしまった。
 毎年届く年賀状には、海外で映画を見まくる羨ましい様子をお知らせ下さった田畑さん。多い問いには年回3回ほど海外へ赴くこともあったそうだ。映画に対して自由に飛び回り、自由に表現された映画人。
 何度か試写会の場でお会いする姿を見たのが最後となってしまったが、それも昨年の記憶だ。ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 yonezawa : 2007年06月24日 01:32

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